2014/04/11

STAP細胞騒動について思うこと

 STAP細胞騒動の本質は、「他者が結果を再現できない」に尽きる。論文の記載に従って「結果の再現性が確認」されていれば、ねつ造なんて話には至らなかったろうし、ねつ造の有無にすら意味が無い。

 実のところ、真偽が確認できない時点で「論文」としての資格はない。アインシュタインの一般相対性理論の論文は発表時には検証に使えるデータが存在しなかった。つまり、理論の真偽は実験的に確認できなかった。しかし、論文を読み、内容を理解すれば誰でも同じ結論を導きだせ、かつその過程で仮定や前提から結論に至るまでのプロセスは厳密にチェックされる。それ故、アインシュタインの一般相対性理論の論文は論文たり得るのだ。

 ねつ造は、「悪意」があろうが無かろうがねつ造だ。「ミス」はとっととエラッタ(訂正)を出せばよいだけだ。ことさら「悪意」を前に出すのは科学的姿勢ではない。「ミス」を認めた以上、エラッタをすかさず出すのが科学的姿勢というものだ。

 研究の世界はある意味陰湿だが、厳しさは公正でファクトベースだ。「コピぺ」は冷笑の対象でしかなく、著者にはそう簡単に消せない研究者失格の烙印が押される。それでおしまいだ。

 以上。

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