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2020/02/10

「パラサイト」アカデミー賞受賞からつらつら

 今年のアカデミー作品賞は、ポン・ジュノ監督の「パラサイト」が受賞した。私は観てないので作品自体については何も語れないが、個人的には懐かさも感じる名前がみられたので、昔語り含めて思うところをつらつらと書いてみようと思う。

 ポン・ジュノさんが関わった映画作品との最初の出会いは「ユリョン(幽霊)(1999)」だった。担当は脚本である。脚本家なんて普通覚えることは無いが、ストーリーが当時親韓寄りの一日本人であった私からしてみてもあんまりなものだったから、結構ネガティブな意味で名前を憶えてしまったのだ。はっきり言って観ていて不愉快になった映画だった。本映画では、「借金のかたにロシアから核ミサイル原潜(艦名が「ユリョン」)と核ミサイルを入手したから、日本の諸都市を核攻撃しよう。海上自衛隊の潜水艦も撃沈してやったぞ!」という反乱勢力と、「日本を核攻撃するべきは今ではない、今は止めろ!」という主人公との、核ミサイル原潜内での戦いが描かれる。そして、日本を核攻撃する理由を主人公に問われた反乱勢力のリーダーの回答は、「これは我々の恨(ハン)だ」の一言だった。

 これを観て、日韓は絶対に安定した友好的関係を維持できない理由がある確信した。観た時期が日韓共催サッカーワールドカップと重なったことで、その思いは尚更強くなった。

 「恨」に対応する概念は日本には無いとされるのが一般的だ。2000年ごろに、日本人には「恨」は絶対分からないと本で書いた日本人や韓国人もいた。「恨」に対する私の印象は「相手が悪いんだと決めつけることが許されるという、日本で言うところの空気みたいもの」であり、「甘えの論理」の発露以外の何物でもない。「恨」は韓国人同士でも発動するし、「国民情緒法」や韓国左派の志向、とにかくマウントを取りたいという欲求などとの親和性が実に高い。「ユリョン」では韓国原潜は米国原潜には全く手を出さないが、映画とは言えさすがに日本と同じ扱いはできなかったのだろう。だから余計に「日本への甘え」に見える。

 「恨」を否定も肯定もせず、極端な仮想的状況下で「恨」を振り回す人々の様と「恨」の発露の様を描いた映画、というのが私にとっての「ユリョン」だ。この視点からは、韓国人にとっては何気に自虐的な映画、「恨」の構造そのものの映像化にも見える。全てが「恨」の上に構築された物語であるため、「恨」が無くなると全てが意味を失う。多くの韓国人には「反日エンターテインメント大作」に見えるんだと思うんだけれども、僅かにしかない日本要素の描き方(沈没し、深海で圧壊寸前の海上自衛隊潜水艦から聞こえてくる日本語など)は反日ニュアンスなど含まないかなりニュートラルなものである。とは言え、一日本人に言わせてもらえれば、劇中の反乱勢力や主人公の言行は押し並べて幼稚で不愉快だ。主人公も「恨」を克服している訳ではなく、おそらく「反乱勢力の言行に対する若い正義感に基づく反発」みたいな別の理由によって、結果として「『恨』にどっぷり浸かる楽な態度」から距離を置くことになっているようにしか見えない。どこまでが計算ずくの脚本だったのだろう。

 ちなみにポン・ジュノ監督と韓国保守派との関係は良くない。少なくともとある保守政権では、問題ある人物のリストに含めたことがある。裏を返せば現在の政権は、必要と見れば国を挙げて彼と彼の作品を押すのは間違いない。政府が業界に金を落としている昨今、韓国映画は重要な輸出商品であるとともに政治的な武器とも言える。政権が変われば作られる映画のトーンも変わる。

 とは言え、とある韓国ウォッチャーの文章を読んでいると、政治性の無いエンターテインメント作品や一見左派好みの作品でさえも政権批判(とも取れなくもない要素)や反北朝鮮要素をこっそり忍び込ませる、といったことは最近でも少なからずあるのだそうだ。映画が政治化しようとしているのではなく、政治化されたことに対する映画からの反抗っぽいところがミソだと思う。が、それは作り手がどちらかと言うと保守派寄りである場合の話であって、左派、革新派寄りの場合は時の政権に寄らず、批判の原因である政治や社会の問題の描写がまんまむき出しであることが多い。その代わり、陰にも陽にも政権批判はまぁしない。少なくとも2006年までの作品のポン・ジュノ監督の作風もそんな感じだった。

 むき出しにできるってのは骨があるのか生真面目なのか、個人的にこの辺はもう20年来の謎なのだが、理想家肌の作り手と保守派の反りが悪いことと、保守派でなければこっち側だろうと二分法的に考えている風が見える昨今の左派や革新派の挙動も併せて考えると、話が逆な気もしてきた。左派、革新派だからむき出しなんじゃなくて、むき出しにするから左派、革新派から左派、革新派認定される、むき出しにしなければ左派、革新派から保守派認定される、ということだ。そして、作り手の政治的信条とは関係なく、保守派は左派、革新派の反応を見て、敵味方の判定をする。結局相対的なのだ、「恨」にも似て。

 そもそも中道がない、存在できないとか、保守派もさっぱり頭良さそうな感じがしないとか、脇から見える韓国国内状況からならそんなこともありそうにも思えるから困る。「政治問題、社会問題をむき出しで描くなんて、時の政権であれば左派だろうが革新派だろうが嫌がるでしょ」と思うでしょ?「政治問題、社会問題の原因は全て過去の保守政権」と「悪いのは全て他人」とできるから左派とか革新派なんてやってられるんですよ、「悪いのは朝鮮戦争に介入した米軍」とか何時はっきりと言い出すか分かったもんじゃないですよ・・・きっと、多分、もしかすると・・・まぁ、可能性が全く無いわけじゃないぐらいの話として、ね。

 ここで韓国の映画産業がらみで、さらに脱線する。

 90年代中、後期に韓国映画業界は自ら力をつけた。制作プロセスのデジタル化を一気に進め、ハリウッド作品を彷彿させる画作りをあっと言う間に修得した。強くなった経済力を背景にエンターテインメント大作が作られるようになり、主に軍政時代の事件(例えば、光州事件)を題材とした韓国独自・固有のテーマに基づくやや内省的な作品群も生まれた。短い期間ではあったが、韓国映画は自国の近い歴史を時に批判的に、時に中立的にシリアスに描く作品を生み続けたのだ。私が韓国映画に興味を持ったのがこの時期である。

 そんな一種の自由な制作環境は、映画産業に国が資金を投入し始めた21世紀になって変質していった。「シュリ(1999)」はそんな過渡期最終期の雰囲気をたたえる作品だ。エンターテインメント大作であり、南北分断・対立という朝鮮半島固有の状況を背景とし、デジタル技術を生かした画作りと日本の90年ごろのトレンディドラマ風の画作りが共存する、今見るとちょっとちぐはぐさも感じるサスペンスメロドラマである(私はトレンディドラマとやらを観たことがないので、この辺りの言及は当時一緒に本作を観た人間の感想である。私は時折画が古くさくなるなとしか思っていなかった)。金大中拉致事件を扱った日韓合作「KT(2002)」が後に作られたが、(何時何処で読んだか思い出せないのだが)とある人によれば「この映画の制作時期が、事件当時の乃至は公開当時の政権批判を含む作品が韓国で製作可能だった最後の時期」とのことである。まぁ、もうそういう映画に観客は入らなくなってもいたのだが。

 ポン・ジュノ監督の活動開始時期は、そんな業界の変化と同時期である。韓国近代史上の事件やリアルタイムな国内の政治問題、社会問題をシリアスに描くことが、主張の左右上下に関わらずリスキーなった時代の監督なのだ。後でも少し触れるが、私は韓国のコメディー映画がさっぱり笑えない、面白くない。これは私が韓国の政治や社会のリアリティを知らないせいなのかもしれない。

 他方、朴正煕大統領暗殺事件を扱った映画「ユゴ 大統領有故(2005)」は、ついさっき読んだWikipediaの記事によるとブラックコメディとのことなのだが、初見以来全くそのような認識がなかったので本当に驚いた。本事件に関しては何冊もの本を読み(事件に続く粛軍クーデターの顛末も含め、最初に読んだJICC出版のムック「軍部!」の内容が余りに面白過ぎた)、事件自体の展開が行き当たりばったりなものであることを知っていた。このため「全体として重苦しい画作りで、演出はあるものの、そもそもコメディがかった要素の多い事件経緯をほぼ再現した映画」としか見てなかったのである。今でも「コメディとして作られている」なんて思わない。劇中、「下半身に人格はないからな(笑)」みたいなセリフが日本語で飛び出すが、韓国の観客がどういう思いでそのセリフを聞いていたのかは分からない。

 なお、朴正煕政権内の同世代との内緒話では、うっかり若い世代の人間に聞かれても話の内容が分からないように、日本語を使うことが少なくなかったようである。この点は、世代も、ナショナリズム意識の基盤または国に対するアイデンティティの置き方も違う全斗煥政権以降とは異なるらしい。朴正煕政権は経済発展をテコに「日本の呪縛≒反日≒大きな恨のひとつ」からの精神的自立(≒克日)を、全斗煥政権は軍の米国からの自立をテコに米国からの精神的・政治的自立を、それぞれ志向していたというのが私の理解である。盧泰愚政権以降は・・・うん、一気に「反日」、「反米」の姿勢を取り戻すと言うか、ほとんど再創造してしまった。北朝鮮の「反米」は歴史的経緯から理解は簡単だが、韓国のそれは、例えば米国にはほぼ理解不能だろう。それは士官学校の教官に米国軍人が含まれていた時代を侮辱的と捉えた全斗煥のスタンス(これも「恨」の構造である。自分達が士官学校の教官が全て韓国人となった最初の士官学校生であったことを理由に、全斗煥らは自らを真の「韓国軍士官候補第一期生」と称し、他世代に対してマウントを取ろうとした)を利用した勢力により、政治問題として再創造された側面も持つものだからである。この辺り、戦時統制権に絡む韓国「内」のゴタゴタの筋の悪さと無関係ではないだろう。

 軌道修正。

 北朝鮮の主体思想の立ち上げは、私には「『恨』を乗り越えようとする試み」、「自立への試み」にも見えた(ただし、北朝鮮外で「主体思想」と呼ばれるものの大部分は政治工作用の別物で、「恨」をむしろ利用している)。朴正煕政権の開発独裁手法も、上述したように同じ方向性を持つものと見えた。が、北朝鮮は後に「先軍政治」を叫び、相対的に「主体思想」の影響を国内で薄めた。その結果なのか、北朝鮮の日本への態度に「恨」的な甘えっぽいものを感じることが増えた。 今やその甘えは米国にも発動しているやに見える(年を越えてから良く分からなくなっているが)。片や韓国は盧泰愚政権以降に「恨」は完全に息を吹き返し、その反動として誕生したとも見えた朴槿恵政権(1000年変わらない発言に見るように、アンチ「恨」の体は取らなかったが)も改めて押し流してしまった。

 と言う訳で、韓国の現行政権の中心である左派、場合によっては革新派は、「恨」すら克服できないというか逆にどっぷり浸かった守旧派乃至は単なるポピュリスト、もしかすると50年遅れの北朝鮮であることが明らかとなってしまった。ただ当人たちにその自覚が無い。金日成の大勝利どころか、間違いなく想定外の完全勝利だ。

 この2~3年は南北共に同じ相手(主に日本、米国)に「恨」を発動している状態にいったんなったが、それでもなお北朝鮮には「恨」から距離を取ろうという姿勢はあり(でなければ金日成否定となる)、「北朝鮮が韓国を見下すような態度を取る」根拠となっているというのが私の見立てだ。北朝鮮には現在の韓国政権の精神性が「自分達が50年前に乗り越えたもの」に見えるのである、まともに相手をしようとは思わないだろう。とは言え、そのような北朝鮮の態度も韓国への「恨」の発動とも見えなくもなく、北朝鮮がまともに見えることはあっても、十分にまともな訳ではないだろうという思いは変わらない。目くそ鼻くそを笑う、というやつである。「恨」の呪縛はかくも強烈なのである。

 さて、

ぺ・ドゥナさんというかつての私のお気に入り韓国女優さんがいる。10年代になって「クラウドアトラス(2012)」や「ジュピター(2015)」に出演し、今やハリウッド女優である。日本映画「リンダリンダリンダ(2005)」ではバンドのボーカルを務める韓国人留学生役を演じ、日本のTVCMに起用されたこともある。舞台活動もしている。映画の出来は今二つだが、「春の日のクマは好きですか?(2003)」での彼女が個人的には一番可愛く魅力的だった。

 ポン・ジュノさんの監督デビュー作「吠える犬は咬まない(フランダースの犬)(2000)」はコメディであったが、さっぱり笑えず、面白さが全く分からなかった。が、主役級で出演していたぺ・ドゥナさんを見つけられたのは個人的に大収穫だった。ぺ・ドゥナさんの出演映画は「リング・ウィルス(1999)」から「グエムル(2006)」まで日本で視聴機会のあったものは全て観たが、「グエムル」はポン・ジュノ監督作である。

 ぺ・ドゥナさんは「TUBE(2003)」で「ちょっといい女」っぽい役を演じたりもしているのだが、多少なりとも当たったのがコメディ映画ばかりだったせいか、少なくとも2010年ごろまではワールド・ムービー・データベースで「コメディエンヌ」と書かれていてちょっと可哀そうだった。なお、00年代のぺ・ドゥナさんは明らかに出演作に恵まれていない(婉曲表現)が、観ていないなら、「リンダリンダリンダ」と「グエルム」はまぁ、お勧めできる。「パラサイト」がコメディとして始まりホラーに変わっていく構造と人から聞いたのだが、ならば「グエルム」と似た構造とも言えるかもしれない、知らんけど。

 ソン・ガンホさんは今もお気に入りの韓国男優である。 低予算コメディからシリアスな大作までもこなす、個人的印象としてとても器用な俳優さんである。役を自分に寄せるタイプではない。初見は「シュリ」で、「パラサイト」では主演を務めている。お勧めの出演作は肩の凝らない「反則王(1999)」と胃もたれするかもしれない「殺人の追憶(2003)」だ。

 「殺人の追憶」は今やアカデミー賞タッグとなった監督ポン・ジュノ、主演ソン・ガンホ作品で、最初から最後まで緊張感のあるフィルムだった。同監督の「吠える犬は咬まない」も同主演の「反則王」もコメディだったので侮り、心の準備なく初見に臨んで劇場でちょっと茫然としてしまった。カメラワークなどに、主人公らの経験を観客にも共有させるようとしているといった意図を感じる映画だった。私にとってのポン・ジュノ監督作品は、今も「殺人の追憶」に尽きる。ただ結構重苦しく後味も良くない映画なので、万人にはお勧めしない。

 最後に「パラサイト」の受賞だが、(後出しだから説得力はないけど)個人的にはかなり確率が高いと見ていた。ここまでの追い風はなかなか望めないからだ。トランプ政権の支持基盤は共和党右派で主流派よりも右寄りである。アカデミー協会の政治的逆張り体質は折り紙付き、ポリコレに対する態度はもう敏感を通り越し異常とも言えるレベルであり、更に昨今の海外会員の増加の少なくない部分を韓国人会員が占めている可能性も高い。おそらく韓国政府の働きかけも方々であっただろう。監督がNETFLIXからの投資を受けた経験も、もはやアカデミーでは問題とはされない。NETFLIXも何らかの賞は取らせたいと考えていたのではないか・・・「アイリッシュマン」との兼ね合いはあるが。

 「パラサイト」はノミネートされた時点で映画として一定レベル以上の出来である評価が定まっており、社会的テーマを取り扱うとともに、(観てはいないがおそらく従来通り)左派視点が盛り込まれているか強く影響した描き方となっているだろう。故に受賞を逃すようであれば、「人種差別を叫ぶ会員が出てきても驚かない」レベルと見ていた。映画としてOK、アカデミーが好きなテーマ性、アンチトランプ(厳密にはアンチ現米国政権なのでざっくりアンチ保守、つまり左派・革新支持)、ポリコレ(アジア人監督作)・・・もうここまででも十分な数の受賞に有利な因子がある。繰り返すが、これまでの受賞歴、評論家のみならず観客からも得た高い評価から、映画としての出来は折り紙付きなのである。アカデミー作品賞受賞の可否は、もう政治マターだったようなものだ。

 もちろん、そうではあっても、アカデミー賞受賞が「パラサイト」の価値を上げることはあっても下げることはないのは当然だ。そしてもう一つ大事なこと。賞は作品なり、監督なり、脚本なり、俳優なりが取ったものであって、国は基本的に関係ないんだ。だから(馬鹿々々しいので以下省略)

2017/01/06

従北左派のせい!

(私は悪くない!!)と言い出しそうと、ラジオでニュースを聞いた時に思いました、以上。

2016/02/14

続・中共は北朝鮮に追い込まれた?

 昨日のニュース報道によれば、中国外相が次のように発言したようだ。
北朝鮮への過度な制裁の実施は、北朝鮮と国境を接する(中国)国内地域の安定を損ねる可能性がある。
つまり、「中国の国内問題を理由に、北朝鮮へのより踏み込んだ制裁実施に反対する」と言っているに等しい、と言うか、公式に述べてしまったと言ってよいのではないかと思う。敢えて茶化してみれば、中国共産党(中共)は「中国への愛は無いのか?」と叫んだ、という事にもなろう。

 この発言を、単に「やっちまったな」と見るか、「どうせ世界は既に知っている事だからもう隠しません」という態度の現れと見るか、それとも「中共は世界の愛を必要としています」とばかりついにヘタレたと見るかなど、現時点では様々な見方ができよう。何れにせよ、これは極めて自業自得と言えるのだが、やはり中共は色々と追い込まれていると見做せると思う。香港もきな臭くなって来てるしね。

 韓国の外交は相変わらず下手を打ち続けている。そもそも本来は色々ある筈の北朝鮮との間の解決すべき懸案事項のみならず、北朝鮮とは戦争中だという事も忘れているとしか思えない態度を続けてきたが故に、北朝鮮に外交戦を仕掛けるだけの一貫した戦略を持てる筈もない。日本がキレた今、「泣き叫ぶだけでなんとかなる外交」が通じる国はもはやどこにも無かろう。

 かつての韓国はそれでも一種の優等生だった時代はあった、優秀な人間による愚民政策が国家運営上上手く機能していた時代である。が、今や愚民政策の生み出した愚民による劣化した愚民政策が為されている状態だ。実のところ愚民政策は劣化した時点で既に政策と呼べる代物ではなくなっているし、愚民政策の実施は優秀な人間によってのみしかできないものだ。故に、現在の韓国には政策すら無いという事になる。

 昨今の北朝鮮問題に対し、米国は既に政治的決断は明らかに終えている(それが何年前かは議論があろうが)ので、残るは「それをやるか、やらないか」だけであろう。個人的に気になるのは米国省庁内のパンダハガー(親中共派)への米国の対応で、別件で米国防総省がパンダハガーの動向に神経を尖らせ初めているという話もあって、「それ」が対中共事案を含むのかはちょっと読め切れない。

 プーチンさんもそろそろなんか言って下さいな。とは言えロシアらしくなく、既に二正面作戦中ですからなぁ・・・

2016/02/08

中共は北朝鮮に追い込まれた?

 さて、地球の衛星軌道上に何かを2つ投入に成功した北朝鮮の「事実上の弾道ミサイル」の発射だが、中共(中国共産党)の今後の振る舞いの自由度を一気に削いだ感がある。TVを観ていても同様の論調はあり、必ずしも突飛な認識でもないのではないかと思う。

 米国大統領予備選に現在挑んでいるトランプ氏の発言は総じてつまらないものだが、以前から一つだけ気に入っているものがある。「北朝鮮を制御できない中国なんてぶっ潰してしまえ」というやつだ。後段はつまらないものだが、前段の前提に相当する部分の一種の問いかけは、意外に含蓄があるように思う。

 そうは言っても、トランプ氏の方向性は概ね「対外不干渉主義」っぽいから、おそらく「ぶっ潰す」の主体は米国ではない。「米国は何もしたくないし、何もしないが、北朝鮮は目障りだ。北朝鮮の始末は威勢の良い中国がやればいい。中国がやらないんだったら日本や韓国にやらせればいい。武器は売ってやるから、北朝鮮ついでに中国にも一発みまってやれ。中国も日本も韓国もそれぐらいの存在価値しかねーわ」って辺りが彼の本音と言うか妄想なのではないかと思う。故に後段については別に何か斟酌してやる必要は無いだろう。

 話を 「北朝鮮を制御できない中国なんて」に戻すと、かなり見事に現状に当てはまっているように見える。各種報道が伝えるところでは、先の「水爆実験実施」に対して国連安保理事国の大部分は「追加制裁やむなし」との姿勢だが、中国つまり中共は「制裁に慎重」らしい(ロシアの姿勢に関する情報が無くて困っているのだが、プーチン氏は土壇場まで旗色を明確にしなさそうだ)。

 北朝鮮に対する経済制裁は既に実施されているが、少なくとも北朝鮮の現状の体制へのダメージは見えてこない。皆さんもご存じの通り、経済制裁が北朝へのダメージに直結していない理由の一つは「中共の制裁破り」にあるとするのが広く共有されているコンセンサスだ。この見方のベースには、「中共は現在の北朝鮮の位置に共産主義国乃至は社会主義国といった干渉地帯が不可欠と考えている」という認識があるのは明白だろう。

 さて、上述のコンセンサスが事実であるすれば、有効な「追加制裁策」は明確である。「制裁破り実施国を含む、実質的な北朝鮮支援国も追加制裁の対象とする」というものだ。つまり、中共が現行通りの北朝鮮への実質的な支援を続けると、当然ながら中国も制裁対象となる。ただ、中国は拒否権を持つ安保理理事国だし、現在の世界大統領はアレだし、ロシアがどう出てくるか読めないし、ドイツもアレなので、そうは問屋が卸さないだろう。今後のインドやイランの動きは、これらの国々の国際的存在感を大きく変えるかも知れない。

 とは言え、中共が追い詰められているのは確かだ。「北朝鮮を制御できない中国なんて」という言説は、裏を返せば「北朝鮮の不興を買っている数々の振る舞いは中共が原因」と言っているに等しいし、実際のところそうとしか見えない。北朝鮮の現行体制は「中国の干渉地帯としての北朝鮮」を実に高く中共に売りつけることに成功しているように見える。

 中共は六か国協議の再開を主張しているらしい。この中共の姿勢に対する分析として、中共が「もう交渉は米国と北朝鮮で直接やってくれ」と言っているとするものがある。おそらく、当たらずと言えども遠からずといったところだろう。が、ここで中共に好き勝手に足抜けさせてはいけない、少なくとも現状に対する落とし前を付けることをやり方が陰湿であろうが中共に求めるべきだ。

 中共が如何なる言い訳を重ねるか、面白くもなんともないが目を離すべきではないね。

2016/01/10

結構意外だわ。

 未だにそいうことを大声で叫ぶ人がいる。最初はポーズかな、と思ったけどどうも違うようだ。なんかイデオロギー臭も感じられんばかりで、結構意外な展開。

 カードの威力を理解していないとそのカードを上手く使うこともできないし、要はそのカードが無効とならない範囲でたんたんと戦うだけでも十分に相手にダメージを与えられると信じる。その辺りの種明かしがされないのはそれが戦略上必要であるとともに、一種の踏み絵として機能するためかと思う。国内状況が想像以上に酷いと言う事が良く分った、いやぁこれは収穫と言うか気を引き締めないといけないですね。とは言え実際のところ、皆に「こりゃ良いや」と言われてしまったら、「説得されるためだけに反対するポーズをとる人」をどうやって用意すれば良いのかと心配もしていたのだ。

 相手国側の民間団体が何をしようともう一方の国は何も言えないが、やってる内容によってそれらを抑えたり無効化したりする義務を相手国は負っていて、かつその義務があることを両国ともに国際的に公言した、と言うのが今回の味噌なのは間違いない。つまり、一方が「それは合意違反」と宣言すれば相手側は国内問題として対応せざるを得ない訳で、基本的に「国として相手国政府や政権を非難してこなかった」国は今まで通りの主張を繰り返す以上は何らの問題も起きないが、「民間団体のやることだから関与できない」とか言ってた国はもはやその手は使えない。

 国は国内の反合意勢力を説得する義務を負う。とは言えこれまでも犯罪行為だったことはこれからも犯罪行為だ。嘘が嘘であることも変わらない。国会議員は良くも悪くも動きにくくなった。官僚は暫く動けなくなった。マスコミは状況変化に追いつけないためか沈黙か思考停止状態に近く、突出したバ○だけがとにかくあぶり出され続けている。中共すらアクロバチックな論展開をも封印せざるを得ない状況下、どの国が何と言うかも一種の踏み絵状態となっていて既に踏んだ政権もある(が、後に続く国や政権はあそことあそこぐらいで、面白くないまでに想定通り)。

 ひと月ほどは耳をすましておくだけでもいいんじゃないだろうかと思う。かまってチャンを当然のように無視できる状況は、それだけで心休まるものだ。この心の平安、一度知ればとても手放せない。

 あと忘れてはいけない、国はともかく民間はフリーハンドだ。
 繰り返す、これまでも犯罪行為だったことはこれからも犯罪行為、嘘が嘘であることも変わらない。

2015/12/29

続・2015年を振り返る・・・にはまだ早いのか?

 想定通りの展開ですね、今回のポイントは「今後の対応が全て」と言う事でしょう。さぁ、始まるよ!(と言うか、始まってもらわなければ困ります)

 3月に米国で合意文書?が事実なら、そこまでは韓国側の反応は無視、放置しておいてたんたんと準備を進めれば良いだけかな? 合意内容の重要性を鑑みれば、韓国側が「国際的に公式に合意を破棄しない限り」、3月の合意文書調印までは日韓間の外交活動は実質的な停止状態、が筋だよね。

2015/12/27

2015年を振り返る・・・にはまだ早いのか?

 要は韓国とのいわゆる従軍慰安婦の件である。年も押し詰まってのここ数日の展開は完全に予想外の動きと言える。それが何だったかは置いといて、日本の政権側が事前に埋めておくべき穴が埋まったということなのだろう。或いは、別のタイムリミットでもせまっているのだろうか。

 さて、昨今の件の話の半分以上は韓国の国内問題にしか見えてこなかったのも事実だ。別の言い方をすれば、韓国内の政争や政治的勢力争いの具になっていたと言える。おそらく色々とお金も動いたこともあるやに見える。この種の一種の不透明感は日本側にとっては疑心暗鬼の原因となる。少なくともネットで見られる言説の内容には、疑心暗鬼をはるかに超えたものもある。まぁ、大統領が「解決」と言っても、政権交代後に蒸し返した事実がある訳だけどね。

 さて、某ネット掲示板まとめ記事で面白い記述に出会った。曰く、
今回の日本政府の動きは、対立構造を「韓国政府vs日本政府」ではなく「韓国政府vs挺対協(韓国挺身隊問題対策協議会)」にしようとする試みだ
成程、これは完全な韓国の国内問題であることの明確化のみならず、韓国政府の本件に関わる責任範囲(と、できること、当然できないこと、絶対しなければならないこと)の明確化にもつながる。このような事態になれば、おそらく現行の韓国政権、政府は件の問題に関してはいったん詰む。

 だが、本当に「未来志向」たらんとすれば、この辺りの構造や仕組みを整理、明示化した上で必要な清算は両国ともしておかなければならない。今回の日本側の一種の提案は、「本当のことを知っているとは言えない」私には、割と穏当な(実はかなり優しい、相手に気をつかった)落としどころの提示に見える。裏を返せば最後の微笑みかも知れない

 とは言え、どう転がろうが通貨スワップ協定締結は今後も無しで。「国民が納得しない」とばかり、国内世論のせいにしていただいて結構ですので。

2015/11/16

「価値観」とは?

 「価値観外交」の「価値観」の意味するところをいまいち掴みそこねていたのだが、ここに来てやっと個人的に納得できる結論に至った。他国と共有されていたり共有されていなかったりする「価値観」とは、「法治主義」ではないだろうか。

  「法治が為されているか」という点は、もれなく特定アジア諸国のアキレス腱だ。さらに言うなら、「本来、国内法に優先されるべき国際法(慣習含む)、国際条約、2国間条約」が「まず履行されているか?」を問うのが「価値観外交」の初手という事になる。

 少なくとも韓国、中共(中国共産党)への昨今の対応はそのように見える。

 在韓日本大使館前の所謂従軍慰安婦像の撤去に日本がこだわる理由は、単純に国際条約(ウィーン条約)違反だからである(棒。本条約を批准している韓国の政府は、撤去はもとより、設置自体を許さない国際的な義務がある。日本は韓国の国内法に干渉はできないが、国際公約とも言えるウィーン条約の履行は要求できる。そこに感情論が入り得る余地は無く、日本に対する外交カードにもなり得ない。しかもこれは初手に過ぎない。

 同様に「航行の自由」は中共に対する一種の錦の御旗だ。米国は「原理原則」に対して非常にナイーブだから、B-52爆撃機を飛ばすことも厭わない。米国のあるアナリストは「孫子の兵法は米国には通じない」と書いた。これは米国の行動原理が「明確な、極力単純で他の解釈を許さない原理原則に基づく」ことを求めるからだと言える。行動原理の根本に「裏が無い」ので、物事の裏表の間隙を突くような策はそもそも存在しないのである。スプラトリー諸島の件は米国経済へに直接影響しないから、米国から見れば純軍事的なイシューだ。国内経済界からのノイズが無いが故に、米国は大上段に「裏の無い原理原則」を振りかざせるとも言える。

 中共は米国が自分達と同じ行動原理に従うとナイーブにも考えていた節があるが、こここそがそもそものボタンの掛け違いの始まりなのだろう。米国も極めてナイーブであるが、米国政府にはそのナイーブさの押し出し方や押し出し時を心得ている人間が居るという事だ。注意すべきは米国政府がナイーブさをアピールする第一の対象は相手国政府(または支配層)ではなく、むしろ米国市民と相手国(とその従属国)を除いた すべての国、地域の政府と住民である点だ。「国内世論と国際社会を味方につけるにどうすべきか?」は米国政府の行動原理を推定する上で無視できない因子だと思う。

2015/07/26

しなやか?某国のイージスさん

 文脈を知らない人には何の事やら?某国のイージスさん、パワーアップ復帰宣言です。

 「人を呪わば穴二つ」「過ぎたるは及ばざるが如し」とは日本人は上手く言ったもの。「おぼれる犬も打たない」「やりすぎない」のが日本の文化というものです。なんたって「流れを読む」という「察し」がありますから、「ブーメラン」は当然怖い訳です。

 が、世の中「察し」の無い連中は居るもので、いわゆる「ブーメラン炸裂!」という流れを自ら作ってしまったようです。調子に乗った報いを自ら招き寄せた(自分の投げたブーメランが自分に命中)という訳ですね。どーしよーも無く価値観が違うのです。「頭が悪く見える」「脊髄反射にしか見えない」のは仕方ない、きっとそうなのですから(確信)。

 一連の流れの波及効果は大きいです。Youtubeに対する見方を少し変えないといけないのも確か。しかし、ここはまず「静かにしなやか」に行きましょう。

 空気を読んで、声を挙げるのはちょっと待ちましょう、今はまだそのときじゃあない。もしあなたの中に静かな怒りがあったとしてもそれはあなただけのものじゃない。分かる人は分かってる、多くの人に共有されていますよ。

 閑話休題。

 東洋経済ONLINEの「『空気を読む』は『考えない』につながる愚行だ」に目を通してがっくり。日本においては、「空気を読む」は教養以前のたしなみだったはず。「空気を読んで」からが本番だから、「『空気を読む』こともできなければ『考える』なんて(できるはずもないので)意味なし」が自らの経験に照らしても正しい。

 真に空気を読むとは、その場において自らを縛る事項の意識化であり、自らをその縛りから解き放つための第一歩に過ぎないからだ。つまり、「『考えない』につながるレベルの『空気の読み』」は「空気を読んだとは言えない」からである。読んだ上でどうするか、そこが問われる部分なのである。「そんな日本人同士だけでしか通じないことを・・・」と言うこと無かれ。経験上、米・仏のできる人間はちゃんと「空気が読める」し、「読んだ上での議論」にしないと意味ある議論はできない。 「空気が読む」を重要視しない人間は、そもそも「空気が読めない」場合が多いものです。

 ん、 「『プロフェッショナル シンキング――未来を見通す思考力』、監修 大前…」 あ、(察し)

2015/07/07

悪手っぽい

 世界遺産がらみの外務省のやり方は悪手っぽいが、実際のところどうなのかはまだ分からない。ただ、「解決好き」の日本人気質に合わないやり方であったのは確実で、レベルの低い新しいゴタゴタが国内外で発生する可能性は高い。相手方の一時情報に近い情報が直接入手可能、かつ一方的、意図的な情報リークも可能な現行のネット社会においては、もはや「国内向けの『玉虫色』は演出できない」点は甘く見てはいけない。特に今回は相手が相手である。

 「なんとかセンター建てます」という点については、外務省の責任で実現してもらわなければ困る。建てるにあたって趣旨に関する嘘や詭弁は勘弁、「国際的な約束」を錦の御旗にするとかも勘弁。さらに個人的には建設・維持管理への税金投入も勘弁であるから、必要予算は外務省予算のどこかを削って捻出して頂きたい。ものがものだけに、建設や維持管理に関わる予算執行具合の透明化には一層の努力をお願いしたい。加えて建設予定地住民などからの建設反対があった場合、説明や(必要ならば)補償といったものも外務省でお願いしたい。それが責任ってもんだ。

 私案だが、なんとかセンターは外務省内組織として直接運用とし、地域ともめるのが面倒ならば外務省が入居する建物内に設ければ良い。少なくとも、「目的外使用」できない仕組みは導入して頂きたい。

 いやマジで。

2015/07/02

やっぱりえげつない

 このブログに目を通している奇特な方ならお察しの通り、私はドイツってのが信用できない。

 昨今のギリシャ問題の原因の一端であってもドイツに求めることは理性的でも合理的でもないが、「ユーロをどうしたいか」というドイツの意思とそれを反映した行動はギリシャ問題とは無関係とは言いがたい。金融、経済は不勉強もいいところなので事実かどうかはわからないが、現行のユーロによる通貨システムの設計は主にドイツによるものと聞いたことがある。まぁ、通貨発行権の所在などを見るに、あながち嘘ってことでも無い様に思える。

 当然ながら、ユーロをコアとする経済、金融システムは誰にとっても益があるなどという理想的なものではない。イギリスが自国通貨ポンドを維持し、ユーロベースのEU共通の金融システムからの自国銀行の独立にこだわる点にはきっと意味がある。

 さて、ロイターの記事「アングル:『ユーロ圏から出ていけ』、ギリシャ見放す独産業界」はタイトルだけでお腹いっぱい、やっぱりドイツはここぞというところでえげつない。この種のえげつなさはドイツ企業の振る舞いや国の政策にちらちらと垣間見え続けるものである。ギリシャ問題も原因とするユーロ安傾向はドイツを潤しているのは事実だろう。ま、良し悪しはともかくとして、友人ができにくい振る舞いとは言えよう。二つの大戦で…無関係かな?

 とは言えそれも国や企業としての在り方だ。一時期、某国は「日本はドイツを見習え」を連呼した。ここはひとつ、日本も相手限定でえげつなくなってみても良いんじゃないかと思う。

2015/06/28

思考停止とはこういうことだ!

「戦後70年に考える―忘れてはならない歴史と中国」をテーマにした講演会が20日、石垣市健康福祉センターで開かれ、元静岡大平和学講師の森正孝氏が「中国軍事費の伸びは、経済発展に応じて抑制的だ」と「中国脅威論」を否定。「抑止力論を捨てなくてはならない。人間の英知は(戦争放棄を定めた)憲法9条に凝縮されている」と訴えた。
 講演会は「いしがき女性9条の会」や「子どもと教科書を考える八重山地区住民の会」などで組織する実行委員会が主催した。
どうも9条を文言のみで捉え、周辺情報を踏まえた上で理解しているとは思えない。で、こう続く。
中国が軍事的な脅威だとする考えが日本に広がっていることについて「日本社会は、この問題では思考停止状態だ」と批判。中国軍事費の伸びを「ウェルカムではない」としながら「人口1人当たりにすると非常に少ない」と述べた。
まさに思考停止の見本、偏向というよりももはや馬○丸出しである。非現実的、非論理的、非理性的、非生産的、非学術的・・・挙げればキリがない。もしまともなら、誰かから幾らかもらっているか、どこかのイデオロギー(厳密にはイデオロギーもどきの屁理屈もどき、つまり論理性が無いので屁理屈にすらなりえない)に囚われているか、のどちらかだろう。理想を論ずるのはかまわないが、ぞの基礎となる歴史的、地政学的な事実関係はちゃんと踏まえておいてくれなければ困る。

 抑止論の否定は、ローマの平和(パクス・ローマ)などの大国の権威に基づく戦争の無い状態や永世中立政策をも(なんらかの基準に基づいて)否定することになるのだろうか。ポイントはまず第一に「平和の定義」にあるので、これが明確でない状態では先に踏み込めないが、ポーランドやスイスに向かっても同じことが言えるのかとは問いたい。

 ウィキペディアによれば、「平和学」とは「諸国家間の紛争の原因、それが起こりうる背景や経済、地政学的な理由から、紛争回避の手立て、方法、平和の維持とその条件などを科学的に研究する学問である。」とのこと、記事から察するに公演内容は「平和学の遥か手前の内容に過ぎない」ようである。なんといっても学術的ではないし、「紛争回避の手立て、方法、平和の維持とその条件」に全く踏み込んでいないからである。

 私の見るところ中国脅威論の本質は軍事費ではない。膨張主義的な対外行動を取らざるを得ない状況を引き起こしている多数の国内問題、乃至は中国共産党の内部問題(無知、無能、誤ったイデオロギー、教育の失敗など)である。国家の上に置かれる共産党(党が国家の上に置かれる国家体制をファシズム国家と呼ぶ)と、共産党の一機関たる人民解放軍はともに国家には属していないが故にまず「中共脅威論」であるべきだ。 「人口1人当たりにすると非常に少ない」という「おそらく事実だろうが論展開上は意味の無い」オマヌケ発言が真にオマヌケである一つ目の理由はまさにそこにある。

 「人口1人当たりにすると非常に少ない。だが、共産党指導部1人当たりにすると非常に多い。書記長1人当たりにするともっと多い」

もちろん、これを以って「日本国民一人一人の生命、財産に対して中国が脅威」などとは言わないし、言える筈もないよ。

2015/06/13

一部日本マスコミによると...

「終息した」らしい韓国内のMERSアウトブレイクだが、4次感染者まで確認されてパンデミックに更に近づいている模様。

 ちなみにNHKが「終息した」と報道したって本当?

2015/06/08

メールス?

 中東呼吸器症候群こと"MERS"、カタカナ表記は「マーズ」が主流だ。ちなみに私は最初「ミールス」と発音していた。これは「E」が英語では「イー」の発音になることが経験上多いためで、「エ」となることは十中八九無く、「エー」となることは皆無と言ってよい(と言うか、少なくとも米語ではそのような発音はない)。

 が、報道によっては「メールス」なる表記もある。

 動画サイトでMERSに関する英語での報道をチェックすると、発音は「マーズ」相当が大部分で、早い段階のジャーナリスト個人の動画で「ミールス」という発音が聞かれるぐらいだ。

 では、「メールス」はどこから来たのだろうか?米語的には"MAL(E)S"を想像させる発音だ。

 ひとつの可能性は韓国の報道の中にあった。ハングルでの"MERS"のつづりは「메르스」、つまり「メルス」相当なのだ。「メールス」はハングル記事の翻訳過程で出てきた表記なのではないかということだ。ま、それでもなぜ「エ」ではなく「エー」なのかは謎なのだが。

2015/06/06

いよいよ詰んできたかなぁ

 知り合いによると、昨晩は池上彰氏の出演するTV番組で「(東日本大震災の時)真っ先に駆けつけたのは韓国の救助隊」とやったらしい。事実関係として入国が早かったのは事実だが、日本側からの「待機要請が無ければ」台湾の救助隊の入国が早かったのではないかというのは震災直後から言われていたことだ。当時の日本の政権は、その後も台湾に対して幾つかの非礼を働いている。

 なお、件の知り合いはこのTV番組の内容のバランス感の無さにうんざりしていた。有体に言えば、「印象操作臭い」と拒否反応を示していたということだ。

 韓国救助隊の入国時期について触れるなら、当然台湾救助隊の件にも触れていないといけない。「韓国救助隊一番乗り」は「作られた事実」である可能性が否めず、故に、その事実のみを強調することはプロパガンダと捉えられても仕方がない。「作られた事実」は、「作られてたものかも、と捉えられても仕方ない事実」と一体で語られなければ後に禍根を残す。特に韓国絡みは要注意だ。

 某ネット掲示板まとめでよく目にするのが、「韓国の募金規模は総額42億円」という類の書き込みだ。だが、実感が無いと言うか「そんな事実があったのか」という感じがぬぐえない。ソースは不明だが、「総額42億円」は韓国内で使途不明金となっているという話も聞く。そもそもそんな額の義援金が日本に送金されていれば、プロパガンダの意図の有無と全く無関係に、日本国内でその事実を周知するような動きがあって良い気がする。

 「語れば印象操作、語られないのは不都合な事実」を地でいくような展開は、お約束とは言え不愉快極まりないものである。韓国、いよいよ詰んできたのかなぁ。 「堪忍袋の緒が切れる」、「ここらが年貢の納め時」といった状況は多少なりとも日本的ではあるものの、米国のような良くも悪くもナイーブな国民性との親和性は高い価値観とは言える。

 日本の報道機関の不甲斐なさ、或いは偏向具合?が知れる事案が進行中の様だ、とも言えそうな状況だ。

 ちなみに日本赤十字社によると韓国赤十字社からの義援金は2億円を超えるということだが、それでも1桁違う。なお、ソウル市のとある区の集めた義援金の半分以上は「独島防衛目的」に転用されたのは事実の様である。事実がどの辺にあるかはもう一度ソースをきっちり押さえる必要があるが、義援金の件に関してはほぼ同一の記述がウィキペディアにあることは事実として付記しておこう。

p.s.
テレ朝もやっちまったようですね。大人の事情を斟酌しない子供から「あ、TV局の都合の悪いことは言わない人だ!」なんて言われた時、あの人はどういう反応をするのかなぁ。それとも、そういう状況の発生を意図してるのかな?

2015/06/04

ありがとう、朝日新聞

 ありがとう、朝日新聞。弛まぬ離韓工作が実を結んでいる。昨日のエントリで書いたように、私も目が覚めた、はっきり言って一線を越えた。自身の倫理観に逆らって「信用できない人間(集団)というものが存在する」と一度は認めてしまっては、もう元には戻れない。こういうものも平気で貼れるようになった。
 
  社説も立派だ。さあ、自らが開けたドアの向こう側の風景をしっかり見るべきだ。十中八九「希望」なんて見えないよ、保証する。
日韓国交50年―首脳が打開に乗り出せ
2015年6月4日(木)付

 日韓の首相経験者や財界関係者らでつくる「賢人会議」がソウルに集い、1日、朴槿恵(パククネ)大統領に安倍晋三首相との首脳会談を促した。
 朴氏はその席で「早期に関係改善できるよう努力したい」と語ったという。  日本と韓国にとって今年は、特別な年だ。植民地支配した国と、支配された国が国交を結んだのは50年前。記念すべき条約の調印日は6月22日である。  だが、政治や外交の現場では目を覆いたくなるようなお寒い関係が続く。その荒波をかぶるかのように両国の国民感情にも暗い影がさし、日本の側でも嫌韓の空気の広がりは深刻だ。
 とはいえ、少しずつではあるが、政府同士の関係が復元力を機能させつつある。先月は日韓の財務担当相が会談したのに続き、約4年も開かれていなかった防衛相会談も実現した。  あとは首脳会談だけだが、まだ開催のめどは立っていない。もつれあった糸をときほぐすこともリーダーの重要な仕事のはずだが、こと日韓関係にあっては両首脳の存在感は薄い。  首脳会談が実現しない最大の理由は慰安婦問題をめぐる意見の違いである。政府間協議で意見は近づいてきたが、双方が取る具体的な措置をめぐって、まだ完全には折り合えない。
 慰安婦問題を含む歴史問題については、米国の日本研究者らが「偏見のない清算」を呼びかける声明を出した。元慰安婦の被害者数が何人であろうと、女性たちが尊厳を奪われた事実が重要だ、との国際社会の標準的な視点を抑制的に指摘した。
 声明は、韓国や中国の「民族主義的な暴言」を批判しつつ、安倍氏の「大胆な行動」を求めている。発表時に187人だった署名者は世界的に増え続け、いまや400人を超えた。
 政財界の先達も、海外の知日派も、不安まじりではあるが、期待の視線を注いでいる。両国民の間にも、遠ざけ合うより打ち解け合いたいと願う気持ちがあることは間違いない。
 両国の政治のこだわりのほかに関係改善を阻むものは、そんなに多くないのだ。半世紀の交流を温めてきた隣国の関係をもとに戻す痛切な責任感を、当事者がもつしかない。
 22日の節目の日を、無為に過ぎ去らせてはならない。東京とソウルでは、それぞれ祝賀行事が予定されている。
 両首脳はせめて、互いに足を運び合い、そこで隣国への思いを語るべきだ。今日と未来に責任をもつ政治指導者として、自らが動くときである。

2015/06/03

ちゃんとしろよ

 韓国政府、韓国人ともにいい加減すぎる。中東呼吸器症候群(MERS)の話だ。

  MERSはワクチンも無く、致死率が高いとされる。が、報道における致死率は27~50%の範囲でまちまちで、こちらもなかなかいい加減なものだった。ウォールストリートジャーナル日本語版の記事「MERS流行に備え知っておくべき5つのこと」によれば、「1154人がMERSに感染し、少なくとも434人が死亡」とのことなので、ざっくり37%以上となる。決して低い数値ではない。

 んもぉ、迷惑だな。

 p.s.

 消毒に殺虫剤とか、ラクダ隔離とか…認識が甘かった、いや完全に私が間違っていました。どうやらマジで魔法の世界に生きている人間が多いらしい。つまり、一見文化的な生活を送っているように見えつつ、自分たちが享受している社会システムや所謂文明の利器からの恩恵の原理・原則は全く理解しておらず、背景となる文化的コンテクスト、換言すれば道理、も全く分かっていないということだ。もしそうならMERSよりも恐ろしい存在と言えよう。目が覚めました、マジで。

2015/05/30

ふぁっ、政経分離は可能だ!

 地震、おそらく震度3くらい。マグニチュード8.5(推定)は明らかに大きい地震だが、津波の心配が無いということは震源が深いということなのだろう。ちなみに先の東日本大震災はマグニチュード9だった。

 で、地震で微妙に揺れ続けるPC本体を見ていたら、ぴこ~ん!と来るものがあった。
  • PCのグラフィックカードはASUS製である。
  • ASUSは台湾(中華民国)のメーカーである。
  • 台湾と日本とは国交が無い!
  • つまり、政治と経済の分離(政経分離)は可能である!
  • では、政経分離を望むどっかの国の(非常識な)要求を例外として日本は受け入れよう!
  • こちらについては国交は残すけど、経済的には断交しよう。つまり台湾とは逆にする!
どうよ、これ。

唖然、呆然、どうする沖縄

 朝日新聞デジタルの記事「翁長氏『沖縄、平和の緩衝地帯に』 ハワイで講演」に唖然、呆然。

 一般論として「緩衝地帯」を自ら請け負おうなんて発想は、まともな知的能力を持つ人間なら受け入れられない。歴史も政治も知らないか、巷で良く言われているように(いざという段階で自分は蚊帳の外に居ることが分かった上で)誰かの利益誘導に走っているかのどちらかであろう。所謂「頭がお花畑」の人間は、事が成就された暁には良くて放置、普通は粛清の対象となろう。なぜなら「頭がお花畑」の人間は煩く、かつ役に立たないからである。

 「緩衝地帯」と私の信じるところのある意味お花畑的な「平和」とは全くなじまない。まず、「平和の緩衝地帯」という表現の意味するところが論理的に不明だ。では、「平和の緩衝地帯」という表現になじむ多少なりとも現実的な「平和」とはどういうものだろうか。

 ひとつの解釈は「戦争が起こりえる状況下で戦争がない」状態の可能性だ。個人的な経験上、 「頭がお花畑」で自分では何も考えていない人間の多くはこの状態を平気で「平和」と呼ぶ。だが、私に言わせればこれは平和でも何でもない、本質的ではないからである。戦争の概念の有無や実際の有無とは関係なく、平和は戦争とは独立して存在し得る。

 別の解釈は「覇権による平和(と呼ぶもの)」の可能性.、つまり強国、大国の力を背景とした「戦争のない状態」だ。歴史的に「パクス・ロマーナ(ローマによる平和)」、「パクス・アメリカーナ(アメリカによる平和)」が存在したのは否定し難いだろう。

 いずれの解釈を取っても、「沖縄を平和の緩衝地帯に」という表現の矛盾、胡散臭さはぬぐえない。

 戦後の沖縄は「パクス・アメリカーナ」の下で「平和であった」という事実は動かせないし、現在の状況もその延長上にある。と言うことは、現状変更とは「パクス・アメリカーナ」の否定に他ならない。(一般的な意味での)合理的な思考ができる人間ならば、米国でそんなことを語るという行為そのものからして理解できないだろう。米国側に宣戦布告と取られても驚きはしない。少なくとも、可能性としての「パクス・シニカ(中国による平和)成立」との関連性、或いは対応を明示化しなければ、相当に具体的なシナリオを示す以外に聞くに値する話とすることは不可能だ。要は「中共になります/なりません」の選択の明示化以外は米国にとって相手にする価値は無いということだ。

 「緩衝地帯とされた」国、地域というのは概してろくでもない目に合う、もっと具体的に言えば戦場や粛清の場となる。ポーランドや冷戦時代の東欧諸国も歴史を紐解くだけでお腹いっぱいである。第二次欧州大戦直前のドイツ・フランス国境地域やナチス・ドイツの東方拡大政策の結果も同様である。ポーランドのように複数回の「国の消滅」を乗り越えた国があるかと思えば、「事大」に走り単なる場(シアター)となることを自ら選ぶ地域もある。前者は賞賛に値するが、後者は軽蔑の対象にしかならない。

 現実問題として、語義とおりに自らの土地を「緩衝地帯」とすることは、潜在的にその地を戦場や紛争地域とすることと等価である(「緩衝地帯」を宣言しても地政学的に「緩衝地帯」と成り得ない場合はもちろん除く。幸か不幸か沖縄県は米国、日本、中共、台湾にとっても地政学上重要な位置にある)。もし「戦争のない状態」が維持されるなら、それはどこかの覇権下にあるという意味でしかない。そのどこかが米国ではない、となればどこか。「戦争のない状態」が維持されなければそこは戦場と化し、戦後は粛清の場となる。さらに隣接地域が新たな潜在的な紛争地域となる。現在のアジアの軍事的安定性は「緩衝地帯がないこと」によって維持されている可能性にも留意しよう。朝鮮半島はもはや緩衝地帯としての価値はない*(沖縄の方が遥かに価値がある)。

 オナガ氏は戦争を望み、沖縄を再び戦場、或いは政治的事由による粛正、パージの場とすることを望んでいるようである。さらに隣接地域にも潜在的に迷惑な存在(卑近な例で例えれば、住人が変な主張をし続けるゴミ屋敷みたいなものだ)となることを望んでいるようである。論理的、合理的帰結としてそうならないか。

 そうなった時の私の思考実験の結果は、(以前のエントリに書いたことがあるが)米国軍による再占領が望ましいというものある。理由は「アジア地域の安定化、(戦争が起きない、戦場としないという意味での)平和の維持」と「平和のためのコスト最小化」である。形式的に日本の領土としつつ、軍政を認めれば米国から文句は出ないだろう。「事大の代償」は当事者にとっては高くつくのである、ましてや「地域平和に対する裏切り者」においては言わずもがなと言えよう。当事者能力が無い者を相手にするのは時間やお金の無駄だ。それが中共ン十年の歴史を調べるだけでも十分に分かる歴史が教えてくれるリアリティってもの、欧州史でも日本の戦国時代史でもローマ帝国史でもエチオピア史でも結論はあまり変わらないよ。


*:朝鮮民主主義人民共和国(DPRK)は、独自路線と長距離ミサイル開発によって「緩衝地帯」よりも関心の高い国となりつつある。故に「我が地を緩衝地帯とせよ、かまってくれ」という恐喝が使えることになるが、自称「緩衝地帯」は実態として「緩衝地帯」とはならない。「緩衝地帯」はその地域の住人の意思とはほぼ無関係に外部から認定されるものである。

2015/05/16

朝日新聞 「過去の報道が誤っていたと紙面で明らかにすべき場合はあるが、法的義務はない」

 そんなこたぁ言われなくたって分かっている。法的義務があればとっくの昔に刑事罰対象だ。馬鹿なの?(zakzakの記事

 こいつは一種のハラスメントみたいな事案だ。自称報道機関によるパワーハラスメントと言って良い。「そんなつもりは無かった」は通用しない非合理とも言える世界が待っているかもしれないよ、それにこれで終わりじゃない。お前ら不愉快だ、俺はお前らの報道に心から傷ついているぞ、なんてね。

 さぁ、消耗戦の始まりだね。