2018年12月5日

Midnight, Stars and You

 さて入院していた件は先のエントリに書いた通りだが、入院中昼間はずっと「キューブリック全書」(フィルムアート社)という本を読んでいた。入院時にたまたまカバンの中にあった唯一の本だったためで、文字通り十回以上読み返すことになる。ちなみにカバンの中の本は「中国文化大革命の大宣伝(上・下)」(芸術新聞社)となっていた可能性もあった。となると、このエントリは書かれなかっただろう・・・まぁ、別に感慨深くもないけど。

 あ、キューブリックとは映画監督のスタンリー・キューブリック氏のことです。おそらく「2001年宇宙の旅」が最も有名でしょうが、個人的には「博士の異常な愛情」「フルメタル・ジャケット」「現金に体を張れ」を推しますよ。

 一方、「シャイニング」は未だに個人的評価に困ってしまう一作です。まぁ、原作(もちろん日本語訳)を全く面白いと思えないのも影響しているでしょう。そんな中、映画中で(古の)ダンスミュージック"Midnight, Stars and You"が使われたのには当時劇場でにんまりしたものです。小学校高学年のころはスイングジャズから入って、古いダンスミュージックをラジオでたくさん聞いていました。 "Midnight, Stars and You"はそんな時代からのお気に入りだったんですね。

 オリジナル楽曲に映画「シャイニング」からのカットなど使った動画。"All work and no play makes Jack a dull boy." (働いてばかりで遊ばないからジャックはつまらない奴(ダルい奴)になる。)という文字列が延々繰り返されるカットの意味が分からない人は是非映画を観て、どうぞ。知ってる人も「タイプミスが無い!」とか言わないように。
 Youtube上で見つけたオリジナル以外ではこれが良かった(ちゃんと踊れそう)っすね。要は
がちゃんとできてるかなんですけどね。
 

2018年12月2日

生きるだけでも結構大変

 先月中旬、ついに倒れて入院した。原因は睡眠不足、突然1日2時間の浅い睡眠しかとれなくなって5日でダウン、たまたま病院の診療日だったので私の状態を見かねた主治医の判断で急遽入院となった。結局ほぼ半月入院していたことになる。

 前回のエントリの日付は8月初旬、それから色々あった。まず睡眠時間が6時間以上取れなくなり、耐性と身体依存性ができたのか特定の薬が効かなくなってきた。薬に耐性ができてしまうと同じ効果を期待するためには使用量を増やすしかないが、短いとは言え睡眠時間自体は安定(一定)だったのでむしろ減らすこととした。薬を減らすのは変だと思うかもしれないが、これら特定の薬は寝付きは良くするものの、睡眠の質(深さ)は下げてしまう。つまり、睡眠時間が制限されているならば、寝付きが悪くならない範囲ではむしろ減らした方が睡眠の質を向上できる可能性がある訳だ。

 が、これらの薬の使用量を下げること自体が極めて困難なことが分かった。それを知り、身をもって体験し始めたのがお盆のころである。もはやブログどころではなくなった。具体的な話は省略するが、キーワードとしてベンゾジアゼピン離脱症候群を挙げておく。その離脱(使用中止、使用量低減)の難しさや耐性形成後の副作用の多さなどから、英国などでは90年代に既に使用期間の制限が導入された薬に対して、未だにその種の制限が設けられていない日本の薬事行政には明らかに問題がある(昨年度に注意喚起が出、それら薬から他の薬に変更することに対する制度上のインセンティブはあるが・・・)。

 さて、急激な睡眠時間の減少は特定の薬の量を約1/2まで低減できた時期に発生した。2ヵ月以上にわたって減薬に伴う様々な不調と戦ってきたが、急激な睡眠時間の減少は一種のちゃぶ台返しとなり、薬の使用量はむしろ増えて減薬は元の木阿弥となった。「正直、命に係わる」と思った状況下では致し方ない結果とは言える。

 減薬や耐性形成による副作用は多様だ。光や音の刺激に対して過敏になった。耳鳴りがする。目はかすむ。頭は回らない・集中できない。記憶がおかしくなる。という訳で車は運転できない、音楽すら聴くのが苦痛、ネット上の動画やTVも観るのが苦痛、PCでゲームなんて無理、そして仕事にも色々と問題を生じている。

  現在の私の脳、身体は「眠気」を完全に忘れている。「眠気」を感じないので睡眠不足で身体に様々な変調が出ていようが眠ろうとしないのだ。「遺伝性のアレだったら余命一カ月だわな」「体内時計が変になっているだけだとは思うけどね」とは主治医の弁であるが、どこまで本当なのやら。
 
 この約3ヵ月で生活は全く別物になってしまった。生きているだけでもめっけもの、少なくとも暫くは「薬による睡眠頼み」で命を繋ぐこととなる。

 とは言え家族、職場の一部の人間などは私の病状を気にかけ、回復を願ってくれている。有り難い事だ。

 人生、明るい面だけ常に見ていこう!"Always Look On The Bright Side Of Life"・・・てか


これはかの地震後、電気復旧と同時に作り始めたもの。あれもね、結構大変でした・・・

2018年8月9日

さすがにクスってなった

 下の曲を聴いていて、さすがにクスってなりました。

  まぁ、音色の種類を絞っていけば似たフレーズが現れるのはプロの作品でも不可避だし、30年以上色々な音楽を聴いてきた人なら失笑不可避なパクリをプロだって堂々とやっちゃうことがある時代になっちゃいましたしね・・・

 どっちが先なんだっけ?

 あ、体調はですね、当然言葉のあやなんですが「健康だったらほかに何もいらない」ってくらいきついです、とにかくちゃんと眠りたいなぁ・・・

 さて完全な別件で、かつ何を今更なのですが、「ポプテピピック」のアニメ化にあたり制作のキングレコードの収益モデルが全く分かりませんでした。どうやら「~風(なになにふう)」の楽曲を多数制作・販売するという収益モデルだった、というのが現状の理解です。

 「ちゃんと分かってる人達」が楽曲制作したとみえ、パクリ感とはほぼ無縁の見事なまでの高品質「~風」楽曲を取りそろえられていたと思います。正直、完成度には唸らされました(←何様?)。が、見事に「~風」であるが故の宿命として、それら楽曲には悲しいかなオリジナリティが宿ることがありません。と言うか、オリジナリティを与えないことが高品質「~風」を得る方法なのです。これはとても難しく、技術、知識、素養が求められる作業でしょう。「ちゃんと分かってる」とは、それら要求事項をきっちり備え、かつ作業を遂行できる能力も持つ、という意味です。

 「~風」極振りはオリジナルとの対比においてのみ面白味などの何かを生み出すことができます。が、オリジナリティを与えないことに成功してしまった楽曲は、そもそもオリジナルを知っている人間は1回聴けば、出来が良ければそれこそ出だしの8小節ぐらい聴けば、もう十分お腹いっぱいになってしまいます。消費し尽くしたことになるので自らの意思で2回目を聴くことはありませんし、楽曲単体にお金を払うこともありません。聴くならオリジナルなのです。私にとって高品質「~風」楽曲は単体では無価値です。実際、「再放送」で同じ楽曲を聴かされることにウンザリしたことは二度や三度ではありませんでした。時間の無駄です。

  それら高品質「~風」楽曲群、オリジナルを知らない人達にとってはどんな位置付けになっているんでしょうか、或いはどんな聴かれ方をしたんでしょうねぇ・・・

2018年7月22日

今月の体調(2)

 体調が悪いと言うべきか、薬との相性が悪いと言うべきか。

 不眠症は継続中だ。「あと1時間寝られれば・・・」という状況は2、3日なら体が疲れるだけだが、3ヵ月も続けば精神活動や思考への影響は計り知れない。休日も大半は横になって動かず過ごす(文字通り不眠症なので昼寝はできないが、目を瞑ってじっとしていれば多少はね・・・)ようになってしまう。

 なので、薬。「あと1時間寝られれば・・・」という状況まで持っていけるベースの投薬メニューが確立できてから約1ヵ月、後は微調整で済むかとも思えばさにあらず、むしろその後の方が身体や精神へのダメージが大きい。そもそも担当医の意中の薬(これで済めば筋は良かったと私も思う)が合わず、異様に長時間寝てしまうので使えない、というのが躓きの始まりだ。

 先週新たに試した薬は「昼間の眠気を払う」ものの筈だったが、実際には夜の眠気を払い、昼間には耐え難い眠気をもたらした。空腹感を感じることも無く、食欲も感じなくなり、一睡もせずに丸3日間を水だけで過ごしてしまった。3日目の夜に眠れないまま水でも飲もうと冷蔵庫のドアを開けると目の前に3日分の食材が・・・状況を理解するのに数秒考えこんでしまった。試した薬の最初の投薬は食材購入も含めた買い物を済ませた後で、以降は時刻をきっちり守って投薬を続けていたようだ・・・食事すら取らずにね。

 幸い薬の効果時間が9時間と短めだったので、投薬中止で翌日夕刻にはまたもな思考ができるようにまでなったが、身体はすっかり参っていて5分も散歩すると息が切れる有様。あと、薬を飲むとまるで禁煙直後のように煙草が吸いたくてたまらなくなった。調べてみると、喫煙で誘導される化学物質と同じ物質が、薬の代謝過程で脳内で生成されるらしい。脳が喫煙後と勘違いしてしまったようだ。

 今週新たに試した薬は「眠りを深くする」もの。効果てきめんで3ケ月以上ぶりに「寝た!そして気持ち良く起きた!」を実感したのもつかの間、「起きた!」のは意識だけ、脳の大部分?と身体は眠ったままで水を飲んだりトイレに行くのにも一苦労。しかもそんな状態が投薬後から丸1日(以上)続く。今こうしてこの文章を書いているのは夜8時過ぎだが、これは昨晩の投薬量を半分にしたから可能になったと言って良い。ちなみに投薬量を半分にすると、「寝た!」感はもう全く無くなってしまい、その癖夕方6時頃まで実質動けなかった。という訳で、今回の薬も投薬中止にせざるを得ない様だ。

 うつの症状は本当に出なくなったのになぁ・・・うーん・・・

2018年7月13日

今月の体調

 輪をかけて酷い。

 症状だけ見れば、不眠、ホルモンバランス不全、自律神経失調が依存関係不明のまま平行進行しているみたいだ。いみじくも会社の上長が「まるで実験場」と呼んだ如く、脳内はどう贔屓目に見ても薬品漬けと言って良い。特定の薬の服用は汗に混じる香りからすら分るほどだ。現在文章が書けるのも、新たに今日昼間用の薬を処方してもらったせいなのは間違いない。医者曰く、「まぁ、眠気を取るための覚醒剤だわな」。今晩はともかく、明日以降の生活が全くイメージできない。

 この2カ月以上は、精神的に身体的にもうつの症状はない。

 ではさきの薬が無いとどうなるかと言うと、治まらない頭痛と眠いけど一瞬として絶対眠れない半端状態が続く。短期記憶に頼った論理的思考は高速で回せるが、記憶は実質的に使えない。故に高速で回して得た複数の論理的思考結果が統合できないどころか、新しい思考を始めるとその前の思考結果の詳細は消える。もうオフィスの机上はメモ書きだらけである。

 初見の論文は続けて10回は読む(2回目以降は速読だが)。仕事の打合せ時は記憶だけではしゃべれないので、メモ片手に以前と同じ(と思われる)思考を改めて回しながらリアルアイムで思考結果を口にする。他人の発言内容は記憶できないので、自分の思考内に組み込んで回し続けるしかない。忘れる前に、0.5秒に一回ごとぐらいのペースで意識して記憶し直すのだ(バッファーから読み出し、同じバッファーに書き込むイメージ)。実際のところ、エクセルでのセル2つ移動に要する時間(当然アニメなどの全視覚効果はオフだ)でも記憶的には危ない。なお重要故に繰り返し記憶され続けられた内容は、どこかの段階で別の記憶域に記憶されるようだ。あと、他の人の記憶も利用するためにとにかく結論を先に口にする。思考内容がうっかり途中で失われても、「結論なんだったっけ」と周囲に聞けば高確率でリジュームできる。

 そんなことできるの?と思う方もあろうが、訓練し、おそらく必要な犠牲を払えばできる、としか言えない。うつ病をやった経験も個人的には無視できない。うつ病をやると、どうも論理的或いは厳密な思考になりがちだ。これは私だけの体験ではなく、同じ病を患った2人の知り合いも同じだ。個人的に意見だが、「いなし上手」「いいかげん」な上司は部下をうつ病などで潰しやすい。それらこそがうつを引き起こす原因となり得るが故、うつ克服後にそれらを嫌うのだ(アニメ「ひそねとまそたん」は哀れ歴史や智への理解も論理性も欠くため、このような尺度からは適当過ぎる内容故に評価の対象にすらなれないのである)。「直観的な人だなぁ、感覚的な人だなぁ」と新たな職場に行くたびに言われ続けた私が今や「論理的な人」と言われるようなるとはね。

 さて、メモを見ながらながら思考し、同時にしゃべっている時は、メモ記載の図や文字群以外の視覚情報をおそらく脳は処理していない。ある人によると、「目から光が失われ、どこを見ているのか分からなくなって不気味、眼球周りの筋肉が一切動かない」のだそうだ(トイレの鏡などで片目からすっと光が消える瞬間は自分でも見るようになった。片目だけ痙攣をおこしているだけかも知れないが、昨日は右目の光景だけ数分間サイケデリックな配色になった)。結論を先出ししているので、結論自体に問題が無ければ話は中断されずに聞いてもらえる。そもそも短い文章を積み上げていくしゃべり方だし、しゃべる量自体が少ない。

 喋りには日本語しか使えない。英論文を読んでる途中で日本語を口にすると、英論文の内容の記憶は失われる(英語は読めるものの所謂学者英語なので、使っている脳の部分は後天的に割当てたところだろう、つまり日本語とは全く別の部分を使っている)。そのせいか、英論文を読んでいる間やしゃべる気が無さそうな時は空いている手で口きっちり塞いでいるらしい。また論文を読んでいる途中なのに視線がしょっちゅう派手に泳ぐらしい。おそらく思考中なのだろう。視線が泳いでいる間、特に何かを見ているちう意識はない。つまり、実際には何も見ておらず、記憶の中の空間内に分散配置した文章(概念)を読み直すといった脳内の視覚情報処理にでも合わせて動いている可能性が高い。

 と、なんか格好良いことを書いているように見えるかもしれないが、違う。むしろ、「皆さんが意識せずに難なくこなしている様々な思考」を「意識的にやらないとできない状態である」と考えて欲しい。

 単一の思考ループのみを回すから早いのは当たり前、皆さんは相互に依存関係がある複数の思考ループを常に回しているのだ。単一ループしか回せないということは、損得勘定や駆け引きができないし、発展的な会話もできない。概念や情報の統合、整理やまとめができないので資料作成は非効率的、分析の深さにも限界がある。細部を組み立てて全体を作ることは非効率とは言えできるが、逆は無理だ。全体は理解できるが、記憶の支援無しでは相互依存関係を維持したまま構成要素への分解はできない。たいていのゲームもできないだろうが、そもそもやろうとすら思わない。

 だから現在の私単独は、会社では役に立たない。かろうじて出番があるのは、同僚皆が忙しくて、回せる思考ループが1つか2つ不足しているからだ。このような状況は「なんかもやもやして釈然としないところが残る」という感覚の原因になりがちだ。だから、そんなもやもやを吹き飛ばせるような「提案」のために思考を回す。そういうところこそ相談してもらう。様々な人からの相談を受けた結果、一種の情報ハブとしても機能する。同僚間で話を通してみたりする。レベルがそれなりに高い同技術分野では悩み所のバリエーションはあまり多くない。結果、私が書いた単一のメモ、時に同僚の机を一周したりするわけである。

 ただこんな(ある意味恵まれた)状況が続けられるにも限界はある。なんとかしたいのだが、薬にぶん回されている状況ではなかなか能動的に手が打てない。オカルト小僧崩れで柔道もやっていたから整体、気功、鍼灸、漢方もある程度の理解の上で取り入れているけれど、ね。新しい事ができないと企業の開発エンジニアに価値はないし、そこに自らの価値を見出してきた自分自身が辛い。

 睡眠薬に対する反応が極端らしく、医者からは「めんどくさいなぁ」とか「面白いなぁ」とか言われるものの、当人には何も面白くない。まぁ、通常の睡眠効果が7時間とされる薬が18時間以上効いてしまったり(ほぼ20時間寝っぱなし)、翌日には同じ薬が1秒も効かなかったり(一睡もできず)、副作用が原理上無いとされる薬で副作用ライクなわやくちゃな反応が出たりするようでは仕方がない。なお現在使っている薬の場合、11時就寝(スイッチオフ、または気絶という感覚だ)で、約3時または約5時に覚醒(瞬間的に覚醒し、まさにスイッチオンの感覚だ)という状態で安定(?)しているものの、その後は夜11時のスイッチオフまで寝られず、昼間の状態は前述の通りである。夢を見た記憶は皆無、寝たという感覚すらも正直持てない。蕁麻疹も酷く、両手とも膨れ上がってしまってちゃんと手が握れない。もちろん車の運転なんてできない。

 さて、どうなることやら。

2018年7月2日

ひそねとまそたん、終わり

 らしいっちゃらしいが、もう何も説明はしないまま終わりにしちゃうんですか。なるほど分らん。そういう方向では面白くなかった・・・のか、何か大事なものを見逃しているのか。すとんと落ちる、またはコペルニクス的転回、というカタルシスは皆無、嗚呼。

 「当たり前」を「価値観を伴うもの」ではなく「個人の単なる認識、形式的な解釈、思い込み」というレベルでしか描いていないので、人物像が薄っぺらくなるし、ひそねによる「『当たり前』の破壊」もカタルシスが無い。「価値観の破壊」なら大インパクトだが、単に「誤解が訂正された」みたいな展開ではねぇ。実際のところ、ひそねとまそたんの周りで「運命の転回」や「再生(=Re-birth、個の死の初の意識的な拒絶)」が多数発生した訳なんだけど、描き方が淡白と言うか、もったいないと言うか。

 映画や小説の「帝都物語」や「陰陽師」をご存知の方なら直ぐにお分かりの通り、こういう儀式上の「贄」は1000年以上前に「式(式神)」や「ヒトガタ」で十分に置き換えられ得る訳で、現代においてもあの形態、儀式化の進んで無さというのは1000年以上ぶりとかならともかくもやっぱり良く分らん、と言うか納得いかんと言うか。

 結局肝は鈴やんけ、誰でもええんやで、龍といっしょなら何も失うことなく帰還できるんやで(なぜか三カ月必要だが)、では尚更「生贄」が必要との説得力が無く、なんとも筋が通っていない、一貫した思想が見えない。これでは「ひそねの機能」は「神(超越者)」か「英雄」になってしまっている・・・あ、「英雄」ならアリなのか、ルーク・スカイウォーカーとアーキタイプを共有するような西洋的な英雄ではあるのだが。

 まぁ、古神道と陰陽五行思想は別物だから、道教とかも交じってるから、とか思いつつも、陰陽五行思想的・正方形+中心点のシンボル(龍達の配置)、五芒星的シンボル(祭壇、これも陰陽五行思想的?)、六芒星的シンボル(楔女銭選定儀式で用いた図版、加茂家ではなく安倍家系?)ともに使われるとか、これは何らかの混乱や適当なだけなのか意図されたものなのかどうか・・・真面目に考えたら負けっぽいですけどね。

 ひそねの帰還がイザナミの黄泉がえりとはなってなかった?(画では見せてくれてないからね)かのようなので、まずはめでたし。後はジミーとキングダム(汗)になんかあるかな、ぐらい。

2018年6月26日

ミラージュGのこの手の映像は珍しい?

 さて、先のエントリでネタ的に取り扱った仏TVシリーズ?"les chevaliers du ciel"ですが、つらつらと幾つかのエピソードを眺めていたら珍しい機体を発見。試作で終わった可変後退翼戦闘機ミラージュGです。単発のせいなのか、角度によってはシルエットがミグ23に似てますね。オープニングの後、いきなり登場します。

 操縦翼面周りのアップのカットやコクピット内のカットがあったりして、下手な公開の公式記録映像よりも資料性は高いかも。なおフランス語はからっきしなので、エピソードの内容は不明です。

2018年6月25日

"BEST GUY"っつーおしい奴

 映画"Best Guy"の一部シーンの動画が、なぜかYoutubeでレコメンドされました。

 "Best Guy"とは航空自衛隊を舞台とした映画です。所謂"Top Gun"もどきに分類されるでしょう。製作は東映で、大泉撮影所の壁に製作中作品としてタイトルが表示されたりして(当時、練馬区民でした)、明らかに大作扱いでした。F-15やF-1といった自衛隊の実機映像が結構てんこ盛り、領空侵犯したソ連機に対してロシア語で警告を出すシーンあり、登場するソ連戦闘機も配備開始後間もないSu-27と、シチュエーションに対する誤魔化しが少なくていろいろと説得力がありました。

 でも、合成がどーもいけなかった。ここばかりは劇場でも失笑が起きていたのを思い出します。当時は映画にもビデオ合成が使われ始めた時期で、本先でも多く使われていたと記憶しています。 精細度が足らないというのもあるのですが、当時の手法ではどうも撮影素材のスケール感が出てしまう、模型が模型に見えてしまうのです。スクリーンで見ると違和感が半端なく凄いですよ。このため、F-15の空撮シーンはとても良いのですが、ソ連機、特に大型機のカットはお世辞にも・・・ね。

 同じく模型を使った合成でも、Su-27戦闘機の画面奥行方向の動きなどはスピーディで良い味出てるし、空撮カットとの合成も意欲的だと思うのです。そして個人的には、Su-27をちゃんと出したことも高く評価しているのです。HUDの表示も良いしね。とは言え、シナリオと時折見られるセット内撮影カットの光量不足、お前らは駄目、コクピット内カットが特にダメすぎますね。

 映画"Top Gun"では「F-5戦闘機にミグなんとかを演じさせる」ことで空撮による戦闘シーンを実現しましたが、それなりに軍事に詳しい人間にとっては残念な誤魔化し、興ざめです。また、ミサイルでミグなんとかが撃墜されるカットは当時の典型的な低予算VFXの画で更に興ざめしました。屋外で撮るんですよ、まずガラス板に模型を張り付けてですね・・・安く、それなりにリアルなんですが、意欲の欠片もないつまらない画にしかならない、と言うね。

 さてCG全盛な昨今、更に兵器の無人化も進み、この種の映画が撮られる可能性は下がる一方です。下手をすると、仏映画の"Les Chevaliers du Ciel"が空撮を駆使して作られた最後の戦闘機パイロットを描いた映画になるのでは、とすら思ったりします。監督はもちろん飛行免許持ちです。流石に撃墜シーンやパリ上空のシーンはCGや合成が多用されていますが、ミラージュ2000を中心に実際のフランス空軍機が多数でてきますよ。

 あ、これは1967年ごろに制作された同名作でした、ミラージュ違いですね。こっちが、ミラージュ2000です。

 あとオマケ。8年ぐらい前に制作されたトルコ映画"Anadolu Kartalları"の予告編です。トルコ空軍の戦闘機パイロット候補生の青春群像?を描いた映画です。

 国際演習への参加が劇中最後のイベントなので撃墜シーンはありませんが、主人公がF-16でアグレッサー(仮想敵機)を担当しての模擬空戦シーンなど、逆に実機映像を使わんでなんとするか!って内容です。また劇中では、主人公ら憧れのトルコ空軍のアクロバットチーム"Türk Yıldızları"やソロアクロバット機"Solo Türk"の飛行シーンも登場します。

2018年6月24日

あ、結構ふつー(続)

 アニメ「ひそねとまそたん」11話を観ていない方にとってはネタバレを含みます。

 うん、少なくとも11話終了までの描写では、「マツリゴト」が 「ゴジラ」でも引用された「禍神の鎮めの儀式の変遷過程」ともまた違った、なんか訳の分からないものと神道儀礼っぽいものとの混交物であることが分かった。「ガメラ3」が近いのかもしれないが、あれもさる筋との牽連性は思わせぶりなだけだったし、矛盾だらけだったし。何れにしても「華夷思想に合わせた日本の歴史、皇室解釈」みたいな居心地の悪さ、適当さは辛い(あれだ、欧米研究者の歴史学関係書籍で頻出する「・・・と中国の研究者は主張しているが、全ての研究者が賛同している訳ではない」ってやつに近い)。

 「ゴジラ」の場合、最初の舞台となる孤島・大戸島では、映画でも描かれているように禍神を鎮めるために雅楽の奉納が行われる。この儀式形態はかなり神道的である。一方、土俗的な鎮めの手順として、若い娘を筏に乗せて海に放つ、という風習が以前は為されたとされる。これはまごうことなく生贄の儀式であり、神道とも関連しない。

 一般的に両者がどちらも行われることは無い。理由は簡単、目的を同一としつつも、上述した通りに儀式と風習の起源が全く違うためである。生贄を伴う土俗的風習が(後からやってきた)神道的儀式に置き換えられたというのが、ありがちな歴史的流れだろう。ゴジラを作った世代の人、特に原案を担当した作家・香山滋さんなどはこの辺りがちゃんと分かっていた筈だ。もっと言えば観客の多くも分かっていた筈だ。「大魔神」シリーズでも神(大魔神)はそれが生贄は求めない(生贄の代替である兵士型の埴輪の形をした御神体が生贄を求めるとか、なんという有り得ないシチュエーションか)。

 そもそも、生贄を伴う土俗的風習にも発生起源がある筈だ。時代の推移とともに数を減らしつつも、大戸島の周辺には以前から後にゴジラとなる生物群が生息していた。生物群の食料は回遊魚だが、回遊量が少ない年には漁師の船が襲われたり、大戸島へ上陸して家畜や住民すら襲うこともあったかもしれない。そんな状況下で漁獲量が少ない年に筏で生贄を海へ送り出すことを繰り返したところ、生物群による被害の低減や根絶といった実効がみられたため、生贄は土俗風習化した。その後も風習は続くが、おそらく件の生物数の更なる減少を原因として、風習の実行性は実は失われていた(不要になっていた)。この段階まで至れば、生贄を伴う風習を「生物群を禍神と見做し(宗教普及のためにそういうことにして)、それらを鎮めるための雅楽の奉納」に置き換えてもなんら実害は生じない・・・実益は土俗宗教の神道化、神道の勢力拡大くらいである。そして生贄の風習が失われて幾星霜、「ゴジラ」登場直前までの日常が形成された訳だ。生物群はひっそりと絶滅していた、或いは絶滅する筈だった。が、核兵器開発競争が全てを変える。それが「ゴジラ」という物語のスタートラインだ。

 劇中、ジョアおばさんは「生贄」という表現を使う、「人柱ですらなかったのか」と正直驚かされた。「柱」は神の数を数える時の単位でもあることから分るように、神扱いとして祀る対象ともなる。個人的理解では神道的には人柱もアウト、生贄は論外。まぁ、「楔女が人柱である必然性すら否定した」先行するエントリの妄想内容は壊滅的に大外ししたということになる。

 いやはや、「マツリゴト」にこれほど神道色が無いとは思わなかった。「龍が出てくるんだからしょうがない」と言ってもね、宮内庁の名前を引っ張り出してまでこれはどうなのかな。宮内庁の登場は「生贄」や「人柱」の封印宣言と解釈していたのでどう持っていくのか楽しみでね(生贄は安易すぎるでしょ?)、どちらも神道とはなじまないので・・・と12話で大逆転ですか!?(まだ諦めていない)

2018年6月20日

音楽と香の好みは誰だって激しい

 Snail's House さんの ".-。:+*mal d'amour.。:+*"という楽曲が昨日Youtubeにアップされていた。聴いてみたけど残念、"Pixel Galaxy”みたいにお気に入りにはならなかった。基本アップされれば必ずチェックするので、プロモーション込みであろうがなかろうがアップ自体は有り難い。一応収入もある大人なので、気に入った楽曲が商品として販売されていればちゃんと買うしね。
  ホント、音楽の好みってのは激しい癖に、自分自身でもどういう判断基準に基づいているのか全く分からない。ビル・エバンズトリオの"Waltz for Debby"は"Take2”は大好きなのだが、"Take1"は12~13秒間のある区間を除くと退屈で退屈で聴いていられない。音の響きやタイミングの違いは明らかに分かるのだが、一方は好きになり、他方は退屈で聴いてられない理由との関連なんて全く分からない。

 私はアーティスト聴きは基本的にしない。アーティストの作風は変わるものだし、そもそも好きな曲が2曲以上のアーティスト自体が少ない。

 例えば坂本龍一さんの"Thatness and Thereness"はもう個人的エバーグリーン以外の何物でもなく、「感情すら揺さぶられることがある」と言っても過言ではないぐらい好きな楽曲なのだが・・・他に好きだと言える坂本さんの楽曲は無い。ボーカルのイギー・ポップが良くて聴く"Risky"や(別エントリで触れた)カバー曲の"Free Trading"、映画「ラストエンペラー」のタイトル曲などを聴くことがあるが、それはあくまで「良い」と思う楽曲であって好きな楽曲と言う訳ではない。斯くの如く、好きなのは1人1曲なんてざらで、このままではSnail's House さんもそうなってしまいそうだ。

 とは言え例外が無い訳ではない。まず完全な例外は東海林修さん、次いで変にオカルトがかっていた時期を除く細野晴臣さん 、00年代前半のCAPSULE/中田ヤスタカさん(最近そのまんまのスタイルの海外アーティストを発見して笑う・・・CAPSULEの再現を意識したものなのか、それともスタイル自体がそのアーチストに再発見されてしまったのかは不明ですけどね。)、リプリーズ(レーベル)時代のフランク・シナトラさん・・・約3万曲のiTunesのライブラリや手元にあるレコードを眺めてもこんなもん。

  加えて、「聴きたい曲を聴きたい時に聞く」ことしかできないという面倒なタイプでもある。こんな調子なので、「定額聴き放題サービス」なんてものとの相性は最悪そうで、全然利用したいと思わない・・・そういうサービスでしか音楽が聴けなくなるとしたら、もう音楽を聴くという行為自体を止めることになるのかなぁ・・・