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2025/09/23

チェインソーマン第2部ですが・・・

 毎度おなじみの周回遅れです。チェンソーマン原作マンガを1~22巻まで一気読み2周しました。きっかけは某サブスクでアニメの総集篇を観たこと、

 なんか第2部は第1部と比べて評価が低いみたいで、単行本発行部数は第1部と比べて明らかに少ないとのこと。まぁ他の人のブログでの主張や感想は分かるんですが、個人的には第2部の方が分かり易くて読み易く、第1部より好きですと言うか面白いです。ただ面白いと思う上での条件が一つあって、22巻末段階で第2部が7割方は進行していることが大前提。この段階で進行度が半分ぐらいでまだ本格的な伏線回収に入れないとだれるかもなぁ~って危惧があります。もちろん、面白くなる分にはどっちでも構わないんですけど。

 あと、藤本タツキ氏が兵器や航空機に対してフェティッシュなものを一切持ってなさそうな作画が本作には上手くはまっていると思います。爆撃機の描写がリアルではなく記号性を帯びているので、劇中の一般人の「空気」や「雰囲気」に馴染む気がします。つまり劇中の(ミリオタなんかじゃない)一般人の「恐怖の対象」たる「戦争」や特定の「兵器」は可能な限り「共有され易い概念」に近い形で描写されているのが合っているのではないかという意味です。悪夢で見るような「怖い」んだけど詳細は全く覚えていない怪物みたいな感じ。ここで我々の世界に存在するステルス爆撃機がそのまま出てきてしまっては、「戦争の悪魔」ではなく「B-*の悪魔」が力を得てしまいます。ただし、どちらの悪魔が力を得ることになろうとも、劇中の被害者が受ける被害、結果には差はありません。そして、その部分の描写は今ぐらいのものが良い塩梅だとも思います。

  某ブログなどでも指摘がありましたが、私もパワーとの契約はちゃんと果たしてもらいたいかな。

2025/06/21

2025/6/10 士郎正宗の世界展

  爪表面の輪郭と爪半月と爪の角質化済部分との境界を1本の線で、更に指の輪郭と爪と皮膚との境界をまた別の1本の線で。そういう線の引き方を始めて見た、考えたことも無かった。

 ああ、ペンはカブラだったのか、何故40年も気づかなかったのか。とは言え、ケント紙よりも引っかかりが大きい筈の紙の上にカブラペンを走らせるとき、手首はどんな動きをしていたのだろうか。 

 電子化以前の下書きの排除方法には唸った。1ページのためのラフスケッチ(下書きの役割を果すもの)が複数あるのも当然だ。ラフスケッチでは手首までしか描かれていないが、横に展示されていたペン入れされた画には、グラブを付け、軽く握られた手が描かれている場合もあった。それらの2つの画の間の画が存在したことは無かったのだろうか。

 大学時代の友人に誘われ、士郎正宗の世界展 〜「攻殻機動隊」と創造の軌跡〜世田谷文学館)に昨日行ってきた。魅了されるでもなく、引き込まれるでもなく、それでも1枚々々の画の隅から隅まで視線を走らせ続けた。この距離感が私特有のものなのかどうかは分からないが、私にとっての士郎正宗氏はマンガ家であることは大きく、目の前の1ページ分の完成原稿やラフスケッチなどを一枚画として「鑑賞すること」はできなかった。右上から左下へ、展示された現行類の説明に付されたページ順を示すイナズマのようなギザギザの線に従うように、ページ内のコマからコマへ、ページからページへと、視線と頭の位置が動き続けていた筈だ。

 私事で恐縮だが、「APPLESEED」が出版された1985年の春に私と件の友人は大学生となった。大学のある都市の繁華街にマンガ専門書店があり、「APPLESEED」が平積みされていた。「攻殻機動隊」の連載が始まったのは大学生活の最終年度だった。高校生時代には、近所の小さいながらこだわりのマンガ専門書店の店長となじみ客の会話や、地元大学の映画研究部との付き合いの中で、「とにかく関西方面の動きが面白いから目を離すな」という話を何度か耳にした。何のことはない、士郎正宗氏も所属していた漫画研究団体「アトラス」と映像制作集団「ダイコンフィルム」の話だった。改めて今日調べてみたら、「関西」よりもむしろ「大阪芸大」と言った方が正確だったかもしれないのは改めて小さな驚きだ。

 話は展示会場に戻る。会場内は写真撮影可であり、スマホなどで撮影する人は何枚もお気に入りのイメージを何枚もフレームに収めていた。うっかりするとあと30年ぐらいは生きてしまうかもしれないが、人生のアガリが既に見えてきている私は全く撮影しようなんて気が湧かなかった。ただ「自分でも改めて『線』を引きたくなった」。「画」でも「マンガ」でもない。才能が無くても線を描くことぐらいはできるだろうとふと思った訳だ。再現すべきは、或いは理解すべきは線そのものではなく、線の接続関係が示すトポロジカルな構造で十分だ。世田谷文学館の出入り口を出て直ぐ右手、水路の透明な水の中を鯉達の姿を上から望める手すりに体重を預けて一息つきつつ、隣の友人にそんな話をした。「写真を撮っている暇があるのなら、さっさと画材を買いに走るべきではないか?」。実際、今私の周りには様々な無数の「線」が描かれた紙が10枚ほど散らかっている。

 自身の終焉においてデジタルの写真データをその先に持っていける筈もない(ネット上に生まれたかつてない生命体と一体化できれば話は別だ)。でも目を介して得た記憶と、実際に腕、手、指を動かして身体に覚えさせた線の引き方はもしかしたら先へ持って行けたり他の人に伝えることでこの世に残せるかもしれないなどと考えるとか、本当に心の準備ができていないのだなぁと改めて思う。士郎正宗の世界展は、そんな日常では考えないだろうことを考える機会もくれたようだ。

 これまたたまたまうっかりこのページを目にし、関東圏に居住していて、かつまだ開催期間であるならば、是非足ヲ運バレタシ。特に少しでも自分の人生と彼の作品とにリアルタイム乃至はそれに近い交錯の機会があったのならば、「人それぞれの見方」ではなく「宇宙が生まれてこのかた、その人のみの持つ経験」に基づく体験の場となり得る筈だ。自分の人生とのリアルタイムな接点の無いゴッホやリキテンシュタインではこうはいかなかった。

 あと、コラボ作品(世界展の公式ページでも見ることができる)として展示されていた北久保弘之氏の画には友人共々食いついた。右下に書かれた「原画描きたいなぁ」は是非実現して欲しいと思う。こっちも考えると、まだ終わる訳にはいかなさそうだ。