ちょっと思い出したので補足。
私の「いや韓」の根っこは2000年ごろに遡る。「韓流」なんて言葉も無かった時代である。
1990年代後半は邦画の低迷をしり目に韓国映画に佳作、秀作が多かった時代だ。だが、映画製作に国が資金と口を出し始めた時点から迷走が始まる。リアリズムをファンタジーが駆逐するのである。映画「ユリョン(幽霊)」(1999)はそんな時代の幕開けを告げた映画と言える。
予告編の冒頭、「21世紀 すべての韓国映画はここから始まる」と表示される、そうだ、私の「いや韓」はこの映画から始まったのだ。「恨(ハン)」と「ファンタジー」の結合は既に完成されている。劇中で「歴史、歴史」と繰り返されるが、その中身には一切立ち入らない。いや、立ち入ったら都合のいい夢から目が覚めてしまうからだろう。
この映画を観た直後に仕事で韓国に行った際、反日機運があることをふと感じさせられる場面に複数回遭遇することになる。こちらが日本人と分かった瞬間に相手の対応が無愛想となる、といった類の話ではあったのだが(韓国語の挨拶だけは覚えて行ったので、先に韓国語で挨拶すると多くの人に韓国人か在日同胞と思われた模様。何で下手な英語でしゃべるんだ、と聞かれて実は…という展開)。
映画の中身もさることながら、こんな映画が作られることの「異常さ」が衝撃だった。タダなら観よう。
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