2014/03/15

ボールは韓国

 ナイキはKリーグにボールを提供しないが、ボールは今完全に韓国側にある。

 日本は韓国に会談のために人を送り、「河野談話」をモラトリアム状態とし、どこに一線があるかを明確にしたやに見ゆる。朝鮮日報は「土産も持たずに首脳会談をねだる日本」と報じたが、この上から目線具合は実に気持ち悪い。

 最も韓国は日本に「友情」なんて求めていないようだし、それが分かった今となっては日本が「友人」として振る舞う必要はないと信じる。まぁ技術情報は欲しいんだろうが、不当な手段で入手したとなればそれなりの報いを受けるのは当然だ。

 で、ある人に言わせると「河野談話」は示談書(和解契約書)みたいなものなのだという。個人的には納得できる解釈であり、この観点からは談話の表現に韓国の筆が入っているのも当然かと思う。

 問題の本質は、韓国政府が「和解内容」を(日本から見て明らかに)反故にしたことにある。「河野談話」の見直しの機運は、和解の反故とはやや別の文脈、韓国政府がそれを「利用」し始めたところに起因する。ここは明確に、論理的に、「分かる人には分かるよう」に分けて考えておく必要がある。

 これら一連の不愉快な展開から得られる教訓は何だろうか。

 「小中華思想」だの「儒教社会」だの相手の側に原因を帰するのは簡単だが、それこそ相手と同レベルに落ちるのは恥知らずにも程がある。大事な点は、「河野談話」に関して報道などでさっぱり語られないとある点にあるのではないかと思うのだ。

 それは、「河野談話」に対して、当時の韓国政府が公式にどのような見解を表明したかだ。

 「河野談話」は一国の重要ポストに就いていた人間による国の見解表明であり、間違っても無かったことにはできない。それは今だって変わらない。当時の韓国政府の見解を知らない段階でこういうことを書くのは気が引けるが、当時の日本政府の失敗は、韓国政府に「和解内容」を公式に認める見解を表明させなかったことにあったのではないかと思う。もし、日本側の談話に対して、韓国側に

「謝罪は『河野談話』で終わった、賠償は日韓基本条約等で解決されている。これで韓日の新しい関係が始められる。」

と公式に宣言させておけば良かっただけだったんじゃないだろうか、ということだ。つまり「外交的失敗」が教訓ではないか、ということである。

 一連の韓国政府の主張は論理性に極めて乏しい。昨今の「纏声塵語」とどっこいどっこいの低レベルだ。加えてリアリズムもなく、実益性という観点からは中共のえげつないまでのそれとは雲泥の差を遥かに凌ぐ差がある。

 真偽は不明だが、ナイキ本社は「韓国人立ち入り禁止」だと聞いた。その原因が聞いた話の通りなら、ナイキがKリーグに関わろう筈もないことは至極当然の成り行きだ。

 ナイキはKリーグにボールを提供しないが、ボールは今完全に韓国側にある。それすらも直視しないのか、それともできないのか。河野談話見直しのモラトリアムを米国政府は歓迎するだろう。それは韓国政府にとって、米国政府から日本が研いだナイフを喉元に突き付けられたようなものである筈だ。もし米国の歓迎を自らの勝利と見做すならば、韓国政府はリアリズムを完全に欠く。

 「追いつめられた」、というのがおそらく今の韓国政府のリアリティだ。

 親書を受け取らないで返送するなど、最低限の外交プロトコルも守れない国であることを全世界にさらし続けている場合じゃないよ。いや、平和時の外交プロトコルではあり得ない対応ということは、実は交戦状態のつもり?

 日本政府による「河野談話見直しのモラトリアム」によって、「靖国カード」に続いて韓国政府は外交カードをまた一つ失ったと言えよう。むしろ日本側の外交カードになったと見做してよい…その筈なんだけどね。

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