2014/07/03

アジアワッチ特別編:「反日」の正体が一瞬見えたような…(その3)

  本当はもうちょっと色々書くつもりだったんだけど、如何せん日本周辺の国際状況の変化が早すぎる。従って最低限言いたいことだけ記すことで、本シリーズを取り敢えず終わりとしたい。と言っても、「鋭い分析!」「新しい視点!」なんてものは存在しないからね、済まぬ。


 さて、未だにこんな事([東京小考] 三兄弟、長い葛藤の物語)を書く人(若宮啓文氏 日本国際交流センター・シニアフェロー 前朝日新聞主筆)が居て本当に困る。

 その件は1400年以上前に終わらせたのが日本(当時は倭国)だ。

 先人の苦労や知恵を無視し、まるでそれらが無かった様な振る舞いは、私の感覚からすれば「侮辱的」とも見える。

 西暦607年の第二回遣隋使が携えた国書には、「日出處天子致書日沒處天子無恙云云」(日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙無しや、云々)との記述があったと伝えられている。ここで重要な点は、「天子=皇帝(天皇)」であることだ。

 中華思想に基づく所謂「冊封体制」において、天の象徴たる「皇帝」は「中華を統べる天子」以外には存在しない。「冊封体制」とは、周辺地域を中華国家が直接支配するのではなく、周辺地域の支配者を一国の「王」と「中華の天子が認める」ことで権威付けし、対価として貢物(朝貢)を求めるという間接支配体制である。「冊封体制」における「属国」とは、「中華国家の天子が認めた王が治める国」ということになる。ここでは「天子=皇帝」-「王達」という明確なヒエラルキーが存在し、その頂点たる「天子=皇帝」は唯一絶対の存在となる。

 故に、日本(大和朝廷)が自国の王を「天子=皇帝」と称することは、中華思想或いは冊封体制の否定、これら枠組みからの明確な離脱の意思を示したも同然だ。別の言い方をすれば、「日本は中国の属国ではない」と宣言したと言ってよい。(韓国マスコミなどが天皇陛下を「日王」と表現することは、その地位や立場を一段貶めるというニュアンスを含んでいると見做されても仕方ない。時代が時代ならば、これは立派な宣戦布告や国交断交の理由とできるレベルの事案だ。日本人は「不勉強による無知」に対して全般的に甘すぎるのではないかという気もする。)

 なにぶん古い話なので真実が何処にあるかは正直分からない。 「大和朝廷は地理的に辺境であったことを利用し、(冊封体制に則った)礼儀を知らないふりをした」と論ずる人も居る。が、日本が自国の王を「天子」と称し、それをその後も貫いたのは歴史的事実だろう。辺境、という地政学的なアドバンテージに助けられてか、或いはそれすら計算ずくの判断であったかは不明だが、何れにしてもそうなのだ。

 「中華人民共和国が長男、朝鮮半島国家が二男、日本が三男」というような構造が、歴史的に一度でも現れたことがあるのだろうか?少なくともここ1000年以上に渡り、そのような状況は現れなかった。少なくとも日本は一度それを明確に拒絶した。別にそれを誇るつもりも、誇る必要も感じないが、それを日本人自身が否定するのは先人に対して余りに失礼だと思う。

 視点を再び中共に戻す。中共は「中華思想的に正統性のない中華の支配者」だが、それを知りながら中華思想的言行を強める傾向が見て取れる。現在の中共の反日の正体は、自らが「中華思想的に正統性のない中華の支配者」という引け目の裏返しだと私は見る。だから歴代の中共の主流波は触れてこなかったし、実は「中華思想」も必要としなかった。「中華思想」や「反日」は反主流派が主流派を揺さぶるときに使う一種の手段に過ぎなかったのだ、かつては。

 が、中共主流派の劣化は「中華思想」に手を出すことを止められなかった。当初こそは反主流派の手札を封じるためだけだったのかもしれないが、それは一種の麻薬のようにいつのまにか手放せないものになった。「中華思想の導入」は単なる手段故に、直ぐにその導入の本来の意味は失われる。さらに時を経て、「中華思想」自体も形骸化し、自らの都合の良い枠組みのみが残るに至る。それはもはや他者を強圧するための手段としての機能しか持たない、「天子が天子たらんとすることが要求されない」、いじめの為のわがまま、甘えに与えられた名称に過ぎない。

 わがまま中共は、1400年以上前に「まっとうな中華思想」の枠組みから離脱した国家、日本が今も存在・・・文字通り「日帝」として、日本は「天子」を有するが故に今でも実質的に帝国である・・・することが単純に気に入らないのである。ところが、「日本が気に入らない」と思う資格が自らに無いことも同時に分かっているのである。このジレンマを解消する一つの方法は、中華民国(台湾)を吸収、同化し、清の正統な後継政府であることを宣言することである。これが、台湾と中共との関係、台湾に対する中共の振る舞いを理解するに、日本との関係性という視点も必要と考える所以である。

 だから、中共が中華思想から自由となった時こそが歴史の転換点足り得る。

 現在の中共は、本来は囚われる必然性の無い中華思想と言う一種のイデオロギーを自ら身にまとい、それに絡み取られて悶え苦しみ続けるマゾヒスティックな存在にしか見えない。それと較べれば、日本は飄々と自由に舞い続けているようにも見えよう。そして、そのように見える日本の姿も気に入らないのだろう。片や、今の韓国はどのように見えているのだろう?

 だが、中共にとっての負の連鎖はそう簡単に終わらない。何故かって?

 中華思想というイデオロギーを捨てることは、中華人民共和国という単一国家を維持する求心力をも捨てることになりかねないからだ。自らの数々の愚行を正当化できなくなるからだ。日本は現在の様に、中華思想なんかに頓着することなく振る舞い続ければ良いと思う。これはしばらく忘れられていた(本当は忘れていたんじゃなくて自分で色々と文献を漁っただけでも○○で××な感触を得ているのだが、ここは穏便に・・・)が、実は先人から引き継いだ知恵であり、捨てる必然性のない歴史的遺産だと思うのだ。

 「集団的自衛権の行使容認」は、今日的な政治力学の視点や、ここ1世紀ほどの地政学の視点だけで捉えるだけではなく、ここ1500年ほどの歴史に基づく視点からも捉えることで異なった意味合いをまとう。

「私達はあなた達が後生大事にしている手前勝手な世界観、それに基づくルールには一切従いません。あらためてになりますが、今回ももちろん本気ですのでよろしくね」

そして、このように歴史的文脈からこの事案を解釈できるのは、実は1400年程昔の「日本の中華思想的枠組みからの離脱、否定」の当時者の末裔たる中共と日本、もしかすると北朝鮮、だけなのだ。この辺りの機微は欧米諸国には分からないだろう。

 なお公平を期すために書いておくと、歴史的には朝鮮半島の国家も「中華思想的枠組みからの離脱、否定」を試み、実際に成功した事例もある。が悲しいかな、最後の王朝国家であり約600年間続いた李氏朝鮮が、その成立からして「中華思想的枠組み」に頼ったものであった。加えて歴史を直視しない多くの現在の住人には、「日本の1400年以上前の行動」が既にして理解の埒外ではないかと危惧する。まぁ、李氏朝鮮は江戸時代には何度も通信使を江戸に送ってんだよね。さぁて、どっちがお兄さんだったんでしょうかねぇ?そっちの流儀だと。

 江戸幕府将軍は「日王」でOK。

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