2014/09/14

もう「詐欺」と呼ぶべきではないですか?

 「報道ステーションSanday」での朝日新聞社社長会見の紹介、アナウンサーの「『謝罪しなかったこと』を謝罪した」としか聞こえない表現に口あんぐり。出演している朝日新聞社社員の発言も当事者意識の無さが語尾の歯切れの悪さに滲み出て酷い。朝日新聞社内のセクショナリズムなんて、日本、日本国民、在外邦人が長期にわたり、さらにこれからも受けるであろうダメージを前にすればどうでも良いことだ。更に朝日新聞社の言う「誤報」で儲けた連中もいることを忘れてはいけない。

 「ねつ造」なんて呼ぶから駄目なんじゃないか、「詐欺」と呼び、実質的に犯罪行為である(あった、ではない)ことを明示的にする必要があるんじゃないか、という思いを強くした。それでも朝日新聞社は「誤報」と呼ぶのだろう。どこまで言葉遊びに興じ、被害者に甘え続けるつもりなのか。

 朝日新聞社は普通になったって駄目だ、自助能力があることを示さなければならない。自らの「誤報」によって生じた利権、詐欺的犯罪に切り込むというのは最低ラインだろう。自らに引導を渡すこと(渡すぐらいのこと、ではない)ということだ。それが無ければ、外部の人々が引導を渡すことになるんじゃないだろうか。前者なら禊と認識されて生き残れる可能性はまだあるが、後者ならまず間違いなく報道機関ではいられなくなるだろうと思う。

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