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2014/09/20

朝日出版社、これは相当まずい


 経緯は記事を読んでもらうとして、朝日新聞社の100%出資子会社である朝日出版社が競争相手とも言えるデアゴスティーニ・ジャパン社の機密資料を入手、自社内の会議資料などとして使っていたらしい。

 昨今のサラリーマンなら、これが会社存亡に関わる事案であることは直ぐに分かる。記事の一部を引用しよう。
 デアゴ社(デアゴスティーニ・ジャパン社)の大谷秀之社長はこの「不正競争防止法違反」疑惑について、週刊文春の取材に「これはコンプラインアス違反だし、ビジネス倫理の問題もある。朝日に対してどう対応すべきか、これから顧問弁護士と相談して考えなければいけない。まずは抗議をし、(刑事告訴も含めた)あらゆるオプションを検討します」。

 この件は昨年、朝日新聞本社のコンプライアンス委員会にも通報されたが、黙殺された。

 同委員会の委員長は、木村伊量・朝日新聞社長が務めている。デアゴ社、および木村社長の今後の対応が注目される。
 「コンプライアンス」とは「法令遵守」の意味である。近年、企業における「コンプライアンスの徹底」は企業防衛における重点項目だ。

 例えば、社員個人による「会社の顧客リストの流出(個人情報保護法違反)」を考えてみよう。まず、以下の点は覚悟しなければならない。
  • 会社はその関与の度合いによって刑事罰の対象となり得る。集団民事訴訟で被害者から訴えられればまず勝てない。社会的制裁も避けられない。
  • 社員個人は刑事罰の対象となり、解雇は必至。被害者、会社から集団民事訴訟で訴えられればまず勝てない。訴訟となれば個人名は公開され、社会的制裁は避けられない。
 これらのような目に合わないために。企業は様々な仕組みを用意する。
  • 社員教育
  • コンプライアンス委員会などの社内機関の設置と運用
大抵の場合、コンプライアンス委員会の役割は以下の通りである。
  • 社内からの「コンプライアンス違反」通報、相談のための受付窓口を有する。
  • 通報、或いは調査によって「コンプライアンス違反」が疑われる事案が見つかった場合、「コンプライアンス違反」かどうかを調査、協議、検討する。そのため事業実施のための命令、報告ラインとは独立した調査権限を有する。経過、結果は第三者が確認できるように徹底的に文書化する。
  •  「コンプライアンス違反」が判明した場合、関与した社員の処分方法、社外対応方法(プレスリリース、会見の有無など報道対;株主への報告;省庁への報告など)などを決定、経営陣に勧告する。
 ここで重要かつ面白いのは、「コンプライアンス違反」を起こした後の企業の対応を見ることだ。その「コンプライアンス違反」をどう捉えているかといった点を通じて、企業体質というのがむき出しになる。

 ある「個人情報流出事件」では、当事者となる企業がいち早く会見で「流出があったこと」を発表し、その時点で分かっていることとして「流出が発覚した経緯、流出した個人情報の総数及び個々人が自分のデータが流出したかどうかを判断するための情報」を公開した。ただし、この時点で「犯人や流出経路はまだ不明」である点にも触れている。
  • 会見に経営陣が顔をそろえていた。
  • 「コンプライアンス違反」が疑われる事案の発生に対して、迅速に調査などに着手していた。
  • 「コンプライアンス違反」が明確になった時点で、情報公開に踏み切った。
  • 「コンプライアンス違反」に伴う被害者に明確に謝罪した。「犯人や流出経路はまだ不明」の時点での会見で、「顧客(被害者)重視」の意図を暗に示した。
 「コンプライアンス違反」事案においては、多少あざとくとも「顧客(被害者)重視」の姿勢を示すこと、「自浄能力がある」ことを示すことが重要だ。でなければその企業は通常は生き残れない。

 対して朝日新聞社はどうか?本報道の内容を見るに「顧客(被害者)軽視」、「自浄能力がないこと」を明確に示している。

2014/09/18

ふむ、

「嘘はいかん」、「他人を欺むき嘘に加担した人間はそれを正した上で、さらに然るべき行動を取るべき」ということですね。そして「それを怠る者達には未来はない」と。成程、正論ですね、そうあるべきですね、ね?ね?

 朝日新聞の社説です。
(社説)山口淑子さん 戦後の歩みが語ること
2014年9月17日05時00分

山口淑子さんが、94年の生涯を閉じた。戦中は満州映画協会のスター「李香蘭」として一世を風靡(ふうび)。戦後は、俳優、テレビキャスターとして活躍し、参議院議員を3期務めた。

劇的なその人生は、私たちに多くのことを語りかける。

生まれは旧満州(中国東北部)。南満州鉄道で働く父は中国の人たちと親しく交わり、義兄弟の契りを結んだ。その縁で山口さんも「李香蘭」という中国名を持った。

北京の女学校には、父の親友の家から「潘淑華」の名で通った。時は日中開戦前夜。祖国日本と母国中国、それぞれへの愛情に引き裂かれ、「日本軍が攻めてきたら、北京を囲む城壁の上に立ち、どちらかの軍に撃たれよう」と思ったという。

だが、完全な中国語を話す日本人の美少女は、満映によって、「中国人女優・李香蘭」として売り出されてゆく。

日中のはざまで苦悩した山口さんは時代に翻弄(ほんろう)された「被害者」といえる。半面、日本の国策映画に出演し、プロパガンダの一翼を担わされた。

中国では日本人の横暴に心を痛め、憧れの日本では、中国服姿を侮辱された。

こうした自身の複雑な立場のどれからも目をそらさず、深く省みたことが、戦後の生き方を方向づけたのだろう。

いつも虐げられた側を思い、平和と人権擁護のために発言、行動した。パレスチナ問題に積極的にかかわり、元慰安婦への償いをする「アジア女性基金」の副理事長を務めた。

著書やインタビューでは、あやまちを率直に語った。

「李香蘭 私の半生」(藤原作弥氏と共著)には、こんなことが記されている。

李香蘭時代も、自分なりの信念を持ち、納得できないことは受け入れないできたつもりだった。しかし、日本にとって都合のいい中国の娘を演じた当時の主演映画を改めて見て、衝撃を受けた。信念というものが、いかにあいまいなものだったか、思い知らされた、と。

この罪を償うには、わびるだけでなく、自分の体験について作為を加えずに語るしかないと考えた。それでも、記憶が自分の都合のよいほうへ流れるのを抑えるのは、ひどく難しい作業だったと明かしている。

自分の弱さを深く自覚しながら、それでも過去と誠実に向き合うことでしか、人はあやまちを正せない。未来はその先にしかない。長い戦後を生きた山口さんのピンと伸びた背中から、いま学ぶことは多い。

2014/09/16

「不寛容(イントレランス)」という表現が別の人からも出ました。


 窪田氏が「非寛容」という表現を使ったのは個人的にやや痛快(私が使ったのは「不」寛容だが、どっちもイントレランスの意味であろう、と我田引水)、この言葉でしか表現できないニュアンスが朝日新聞社への反応にはあるように私も思う。イントレランス(不寛容)という表現を本ブログで使ったのはほぼ1ヶ月前、本文中では触れていないけれども朝日新聞の8/5、8/6の記事も当然念頭にあった、というよりその時は敢えて朝日新聞社の記事には触れなかった。それは朝日新聞社への期待もまだあったからだ。

 さて、窪田氏の文章の一部を引用させて頂く。
 こうなるともはやジャーナリズムではなく「信仰」である。

 今、彼らは自分たちの「信仰」を守ろうと必死になっている。「信仰」に批判や反発はつきものなのだ。世界中の宗教紛争を見るといい。「イスラム国」然りだが、弾圧をされることでさらに信仰が深まり、危険さが増している。

 つまり、もし仮にアンチの人々が望むように『朝日新聞』が地上から消え去っても、「殉教者」たちに手によってより過激な第二、第三の『朝日』が生まれるだけというわけだ。だから、怒りにまかせて過激な行動にでてはいけない。腹わたが煮えくり返っている方もいるかもしれないが、それでも我々は『朝日新聞』を許さなければいけない。

 異なる思想を暴力で排除するということは、韓国と同じレベルに落ちてしまうということなのだから。
 うん、「殉教者」にしては絶対いけないし、個人的には最初っからそうさせるつもりもない。私の考えは単純で、
  • 嘘をついて多くの人々に迷惑をかけた。
  • 嘘により被害、或いは不公正な扱いを受けた人々に謝罪する必要がある。
  • 嘘により被害、或いは不公正な扱いを受けた人々の名誉回復に率先して取り組む必要がある。
という風に、単純に倫理的問題、或いは「人としてどうなんですか?」というレベルの問題としか捉えていない。これは今までの関連エントリで言葉や表現を変えて何度も述べていることである。 朝日新聞社の有様は余りに隙が多く、理詰めで追い込もうと本気で考えている人間には良いカモになってしまうだろう。そのような動きが表層的にはほとんど見られないということは、この期に及んでもまだ朝日新聞社は甘える事を許されているのである。が、当の本人達は「まだ」甘えが許されていることに気づいていないようである(つまり、普通の日本人の目からも「察し」が無い馬鹿、阿呆、愚鈍に見える)。察しを欠き続ければ、更なる被害者を生み出し続けるだろう。ここでの被害者は主に元朝日新聞社社員である。

 主義主張もイデオロギーも何も関係ない「人として」という話だから、「殉教」なんて出来る筈もない。 そもそも朝日新聞自体には見るべき論理性も、主義も思想も無いじゃないですか。だから言葉を弄び続ける朝日新聞記事やテレビでしゃべる朝日新聞論説委員などの言葉に寛容ではいられないのである。「嘘ついたんでしょ?」、「人としてその姿勢は問題では?」と言いたくなるのである。これは私一人の心象では無くて、同様の思いをもやもやしたまま抱えている人も多いのではないかと思う。そういう「日本人の美意識に照らしてプリミティブに受け入れ難い有様」を朝日新聞社に感じているのではないかと思う。故に「黙って購読中止」する人が多かったり、奥様方が動く事態が発生しているのではないかと思わずにはいられないのだ。加えれば、

朝日新聞社:「記事を取り消します。」
私:「はい、大枠分かりました。で、倫理的観点から、嘘をついたことに対してどう今後対応していくのですか?」
朝日新聞社:「(それ以外の事ばかり)うだうだ」

という感じで、ボールはまだ朝日新聞社側にあると私は思っている。朝日新聞社にはまだ対応を正す機会が与えられている筈なのだ。早くしなければ「朝日新聞社が生理的に受け付けられない」人間が増えるばかりだと信ずる。

2014/09/14

もう「詐欺」と呼ぶべきではないですか?

 「報道ステーションSanday」での朝日新聞社社長会見の紹介、アナウンサーの「『謝罪しなかったこと』を謝罪した」としか聞こえない表現に口あんぐり。出演している朝日新聞社社員の発言も当事者意識の無さが語尾の歯切れの悪さに滲み出て酷い。朝日新聞社内のセクショナリズムなんて、日本、日本国民、在外邦人が長期にわたり、さらにこれからも受けるであろうダメージを前にすればどうでも良いことだ。更に朝日新聞社の言う「誤報」で儲けた連中もいることを忘れてはいけない。

 「ねつ造」なんて呼ぶから駄目なんじゃないか、「詐欺」と呼び、実質的に犯罪行為である(あった、ではない)ことを明示的にする必要があるんじゃないか、という思いを強くした。それでも朝日新聞社は「誤報」と呼ぶのだろう。どこまで言葉遊びに興じ、被害者に甘え続けるつもりなのか。

 朝日新聞社は普通になったって駄目だ、自助能力があることを示さなければならない。自らの「誤報」によって生じた利権、詐欺的犯罪に切り込むというのは最低ラインだろう。自らに引導を渡すこと(渡すぐらいのこと、ではない)ということだ。それが無ければ、外部の人々が引導を渡すことになるんじゃないだろうか。前者なら禊と認識されて生き残れる可能性はまだあるが、後者ならまず間違いなく報道機関ではいられなくなるだろうと思う。

2014/09/13

加害者責任も併せてお忘れなく

  どう言おうが書こうか変わらないことがある。謝罪しようとも変わらないことがある。

 もう一度、「加害者責任も併せてお忘れなく」。

 「誤報を認めた」ことは分かったから、早く「ねつ造」に対する見解を出して欲しい。まさか「ねつ造」=「誤報」とか、日本語としても論理的にもおかしい究極的に手前勝手で他者を馬鹿にした「認識」なんてしてないよね。あと、吉田証言、吉田調書の誤報の訂正記事の英語(米語)、韓国語、中国語(簡体、繁体)での海外発信を早くお願いします。日本版デジタルの英語記事じゃ駄目、ニューヨークタイムス記事でも駄目(もうその手はばれてますから、ソースロンダリングやっても無駄)。

 朝日新聞社説、どこまで甘えれば気が済むのやら。
論じることの原点を心に刻んで

2014年9月13日(土)付

 朝日新聞は、戦後に例がない大きな試練を自ら招いてしまいました。
 一昨日、木村伊量(ただかず)社長が記者会見し、福島原発事故での「吉田調書」をめぐる誤報や、慰安婦報道での間違った記事の撤回の遅れなどを謝罪しました。
  「吉田調書」は、社説でも取り上げ、全面公開を求めました。その中で、誤報だった記事に基づいて「所員の9割が命令に反して10キロ余り離れた別の原発に 一時退避」や「所長の指示・命令が守られず」という表現を使いました。社説を担う論説委員室として、読者や関係者の方々にかさねて深くおわびします。
 また、慰安婦報道検証や、それについて論評した池上彰氏のコラム掲載見合わせも、重い問題だと受け止めています。
 私たち論説委員は、社説などの欄で、あるべき社会の姿について主張をし、ときに人や組織を批判する役割を担っています。
 しかし、その土台を大きく損なってしまいました。どんな主張をしても「お前にそれを言う資格があるのか」と厳しく問われるからです。
 私たちはその批判と誠実に向き合い、読者の信頼回復に努めなければならないと感じています。そのうえで、論じるべきことを論じるのは依然として自分たちの責務だと考えます。

■反証と異論に謙虚に

 読者やほかのメディアから、たくさんの批判をいただきました。一番重く受け止めなければならない指摘の一つは「自分たちの主張に都合の良いように事実を集めたのではないのか」だと思います。
 日々、論じることを仕事としている論説委員も、つねにその危険に近いところにいます。
 論を紡ぐ過程で、主張への反証となる事実への謙虚な姿勢を失えば、それは空論や暴論となります。また、そこに陥らないようにする上で、あるいは自分たちが陥ってもそれを批判する視点を読者に確保する上で、大切なもう一つのことは、異論に紙面を開く姿勢にほかなりません。
 朝日新聞はそのためにオピニオン面をとりわけ重視し、社説とは異なる論も含めた多様な意見を掲載することに力を入れてきました。それだけに池上氏のコラムの掲載見合わせは、自分たちが一番大切にしていた価値を損ねる結果になりました。
  慰安婦報道の影響については、今後、第三者機関で検証を進めてもらいます。ただ、たとえば1997年に一度検証をしながら、吉田清治氏の証言を虚偽だと断 定し記事を取り消せなかったのは、反証となる事実や異論への謙虚さが欠けていたからではないかと自問せずにはいられません。

■議論をゆがめた誤報

 朝日新聞が8月、自身の慰安婦報道の検証を紙面に掲載したのは、慰安婦問題を直視するには、過去の誤った記事が妨げになっていると考えたからです。
  かつての報道を明確に取り消さないかぎり、「朝日の慰安婦報道問題」が前面に出てしまい、本来の「慰安婦問題」が背後に退いてしまう。朝日報道への批判と ともに、議論がナショナリズムの対立に大きく傾く。日本で嫌韓本がはやり、韓国の団体は慰安婦の像を国内外に建てる。お互いに挑発する不毛な応酬。その結 果、被害者の救済という一番大事な問題の解決が置き去りになっていく――。そんな状況を打開したいと考えたからです。
 にもかかわらず、原発事故に関する「吉田調書」の誤報で再び議論の核心をゆがめかねない同じ過ちを繰り返してしまいました。原発問題という大切な議論をしなければいけない言論空間に、「朝日の原発報道問題」というもう一つの問題を作ってしまったからです。

■論じ続ける責務

 私たちは、慰安婦問題の本質とは、戦時下の女性の尊厳や人権であり、取り組まなければならないのは被害者の救済や日韓の和解であると主張してきました。
 また、吉田調書を含め関係者の証言や記録の吟味は、日本の今後の原子力行政に欠かせない作業だとも考えています。
 その意味でも、慰安婦問題や原発問題の議論が、自らの失態で後方に退いたり、ゆがんだりしたままにならないように論じ続けることは、私たちの責務だと思っています。
 もちろん、論じることを読者に説得力を持って受け止めていただくためには、反証となる事実や異論に謙虚になるという原点を改めて心に刻まなければならないと痛感しています。
 その自覚をもって、今の日本にとって重要な数々のほかの課題についても、私たちはこれからも社説などを通して言論人としての使命を果たしていきます。批判に耳を傾けながら、多様な議論の発展に貢献したいと考えます。

 んで、天声人語。

 「砕け散った思い」とは笑止千万、「自ら砕いた」が正しい。そこは他人事みたいに書いてはいけない。はい、書き直し。
天声人語

2014年9月13日(土)付

まっさらな紙に記事が印刷されて、世の中に出ていく。新聞社で働く者の喜びであり、ささやかな誇りでもある。しかし昨日の紙面は、朝日新聞にとっ て痛恨のものとなった。報道にたずさわる一人として、身が縮む。同僚だれもが同じ心情だと思う▼当コラムの執筆を任されたころ、敬愛する先輩に言われた。 引き継がれてきた1本のろうそくに、毎日毎日、火をともすように書く仕事だ、と。小欄だけではない。新聞づくりそのものが、社員全員が真摯(しんし)な気 持ちで、日々に新たな火をともす仕事である▼言論の自由の保障が、日本国憲法にもある。人間の歴史がこの自由を獲得するまでに、どれほどの血が流れ、苦闘 があったことか。その理念を尊び、死守すべき言論機関として、慰安婦問題をめぐる池上彰さんのコラム掲載を見合わせたのは最悪だった▼気に入らない意見 や、不都合な批判を排した新聞は、もう新聞ではない。「あなたの意見には賛成しないが、あなたがそれを言う権利は命をかけて守る」。古来の至言が、信頼も ろとも紙面上に砕け散った思いがした▼「吉田調書」については、今年5月の小欄でも取り上げている。初報記事とともに「命令違反」の表現が誤っていたこと を、おわびいたします▼砕け散ったもののかけらを、時間はかかっても拾い集める。そして信頼を一から作りなおしていく。深く自省する中で、朝日新聞が言論 の一翼を担っていく気構えには揺らぎがないことも、あわせてお伝えをしたい。

2014/09/11

テレビ朝日「報道ステーション」が朝日新聞の二つの「吉田」報道

 朝日新聞社、言葉に溺れ、この期に及んでただ言葉を弄ぶのみ。上(社長)も中(論説委員)も当事者意識、加害者意識が画面を通じて全く感じられないのはある意味凄い。とても日本人とは思えない。

 無意味、曖昧、j自浄能力が無いことの表明(第三者機関の調査とか笑止だが、法廷での証拠にできるレベルのきっちりした調査書が出ればそれはそれで良し。ただし、時期に触れないのはやらないと言ってるに等しい)、実質的に謝罪もなし。吉田調書の件は、日本語が読めいない、理解できないと言ってるのと同じ。見え見えの本質外し対して一般的な日本人は非常に敏感、実害があったとの認識が広く受け入れられている現状では叩かれるのは必定。早く馬鹿をやめなきゃならない、戦前から一貫して続けている姿勢そのものを改めなければならない。

 あかんわ。

 「クラマスワミ報告書」にまで踏み込んだのはちょっとした驚き。黒田勝弘氏の主張は完全に上滑り(立ち位置は察するし、気持ちは理解できるけどね。感情論はもう意味が無いのですよ)、お金の話にしちゃいけない。

 恵村順一郎氏は印象操作と問題すり替えに一生懸命で、カメラから顔をそむつつもこれでもかとばかりに「ぶれない朝日」を押しつけてくるが、まさにそこが一般的な日本人にとって「朝日新聞社が異常に見えるところ」と私は見ている。ボールは今も朝日新聞社にあると思うんだけどね。自分達が原因で他者から非難されている状態で非難者に対して全く歩み寄らない姿勢、そんな態度の人達に「国家間の歩み寄りが必要」とか言われたって説得力なんか全くありゃしませんがな。

 ほんまあかんわ。舐めるンもたいがいにしぃやぁ。

p. s.

 一部海外で右翼が~とかいう朝日新聞社を擁護すような報道もあるようですが、そういうレベルっつーか文脈で捉えること自体が異常なのだ。一般的な日本人の言いたいことは、きっとこういうことだと思う。

「嘘ちゅいたんでしゅよねぇ~?だったらその嘘で迷惑をかけちゃったオトモダチみんなに謝って許してもらいましょ!許してもらえないときはぁ、う~ん、どうすれば良いと思う~?ちょっと考えてみましょうねぇ~。」

 つまり嘘をつくことはそれ自体が悪いこと、基本はここ。マスコミの嘘は暴力行為に等しい、とかは敢えてこれまで書いてこなかったけど、それよりももっと基本的な社会倫理の問題。

 なぜそれが問題か、ちょっと思考実験をしてみれば直ぐに分かる。口裏を合わせた悪意ある多数の人間が一斉に特定の朝日新聞社記者に暴行を受けたと「証言」する、しかも朝日新聞社記者のアリバイは巧妙に回避しておく。つまり、「暴行の証拠はない」が「証言を否定する証拠もない」状態に落とし込む。「証言」にのみに依存すればどうなるかは言わずもがな、裁判で無罪とされてもその後10年以上にわたって件の悪意ある多数の人間は謝罪と賠償を、との声を挙げ続ける。

 「論点すり替え」と言われるのは当たり前、そこに込められているニュアンスは「論点を変える前に、まずしなきゃならんことがあるでしょう」ということ。それさえすれば、「論点が変わる」のは当たり前で、「すり替え」とは言われない。あと、「謝罪と賠償はワンセット」なんでしょ?お忘れなく。

テレビ朝日「報道ステーション」が朝日新聞の「慰安婦問題」を報道!!らしい

 仕事から帰ってTV番組表を見てたらなんと!!、ということらしい。

 真面目な話、放っておけば放っておくほどハードルが高くなるのは必定で、それこそ誰かが腹切る様子を中継するぐらいのインパクトと実を伴う内容じゃないと結局火に油を注ぐことになりかねない。

 しかし例え何人死のうが真面目に謝罪しようが、朝日新聞社が「嘘」 をつき続けたことには変わりなく、社会的制裁はもとより日本の法制度に則った訴訟事案も有り得ると考えた方がいい。あの問題に関しては感情の出る場はもはやない、堪忍袋の緒が切れた日本人が既に多すぎる。

 正直に言って、放送中にあの問題の関係者がテロにあって命を落とすようなことがあっても、おそらく私の心には何も響かないだろう。結局のところ、中途半端な事をやれば当然ながら、相当に真面目にやっても流れは変わらず、「あれが終わりの始まりだった」と後々言われるだけという気がする。

 南京の件も靖国の件もあるよ、さて?

2014/09/05

甘えはどこまで許されなくなるだろうか?

 「堪忍袋の緒が切れる」という状態の発生とその後の日本人の行動は、いわゆる日本人文化圏に属していない人間にはまず理解できないだろう。「察しと思いやり」は緒が切れた側、緒を切った側にとっても重要だ。「我慢する」或いは「許す」、逆に「どこまで我慢してもらえるか」或いは「どこまで許してもらえるか」の両者の衝突は、結局のところ両者に同等の「察しと思いやり」が共有されている限りは極力回避される。持つ者にとっては比較的確固たるものでありながら論理的とは言えない一種の「良い塩梅」は、それらを共有しない人間からは理解不能のグレーソーンだろう。

 日本人において美徳とされる行動規範は、「許してもらえなさそうだ」という状況の到来をまず「察し」、原因となった自分の言行に思いを馳せ、自らの言行を変えるとともに必要に応じて謝罪も行うことである。これを上手くやり遂げれば、「あいつ分かってんじゃん」とばかりに「思いやり」によって許され、むしろ評判が上がることもあり得るだろう。かくして「察しと思いやり」のサイクルは一回転し、許し許されの関係はより高次のものとなる。

 さて、「察しと思いやり」が共有されている事を前提にすると、「察しと思いやり」を共有していない人間の言行は曰く理解し難い。だが、それは「理解不能」というより「甘え」に見える。つまり、他人の「察しと思いやり」に頼りながら、他者を許さずに件のサイクルを回さないからである。

 と、大風呂敷を広げたところで言いたいことの一つめは単純だ。

 おそらく多くの日本人は「当たり前すぎる」故に直観的に気付いているだろうこと、「韓国や朝日新聞社は甘えているとしか見えない」ということである。彼らは「今まで許してもらえたのに、何故突然に許してもらえなくなったのか(厳密には、実害がない限りは『思いやり』により見て見ぬふりをしてもらえていた、ということだろう。だが、見て見ぬふりをしてもらえていたことを『察して』いることが暗黙の前提だった訳である)」という状況の発生に未だ戸惑っており、かつ「許してもらうためにはどうあるべきか」という思考にすら至ることができないのではないか、ということだ。「察し」の前提を著しく欠いていたとしか見えない朝日新聞社の行動が異常と捉えられる原因はそんなところにあるように思える。「日本人じゃなかった、そして日本人じゃない」とでも考えないと、彼らの言行は「心情的」にも「論理的」にも全く理解できないのだ。以前のエントリにでも触れている通り、韓国に行ったきりで日本に戻ってこなくなった人の方が「日本人的な察し」を有している可能性が高い、という点は実に皮肉な話だ。

 で、言いたいことの二つめは「察しと思いやり」の範囲の見直しの「可能性」だ。

 現在の日本の政権は「韓国や『察しと思いやり』を共有していない人間の『甘えに見える』言行をこれ以上許さない」という立場を明確に選択したと考えて良いだろう。またその選択は多くの日本人からも支持されているようだ、少なくとも現在までは。かく言う私も大枠において支持している(内政、特に経済政策には多くの疑問がある。が、それらはむしろ担当大臣と一部官僚に原因があるように見える。いくら優秀な総理大臣であっても、内外の敵対勢力を同時に相手にすることは困難だ)。

 ただし、この方向性の延長線上には、「察しと思いやり」を共有している人間の「これまで許されてきた甘え」に対する不寛容(イントレランス)の発生の可能性がある。ここでのキーワードは「性善説」だ。グレーゾーンが広い「察しと思いやり」や「弾力的な法制度運用」が法治国家の枠組みの中で成り立ったり、大多数の日本人に許容されてきたりした重要な理由が「性善説」にあると考える故だ。

 ネット時代の恐ろしさは、「性善説」故に許されてきたと誤って広く「察されていた」事案が、実は「制度の悪用」或いは一部勢力が「暴力乃至半暴力により強制的に獲得した利権」、であることを示す情報があふれていることである。事案個別に対策を打てるなら問題ないが、ある程度の類似の事案を一気に是正しようとすると、おそらく「性善説」をいったん停止しなければならない。「察しと思いやり」と「性善説」とが微妙に絡んでいる以上、その時には「察しと思いやり」もダメージが避けられない。

 「性善説」に立てば、是正の結果は「弱者を救うべきシステム」は「本当の弱者しか救わない」ものに生まれ変わるだろう。手垢の付いた表現が許されるなら、本来あるべき「社会正義」が実現できることになる。だが例えそうなったとしても、一度ダメージを受けた「察しと思いやり」は幾ばくかは変質せざるを得ない、良し悪しは別として。

  「察しと思いやり」の棄損を極力避けるひとつの方法は、「日本人文化圏に属するかどうか」よりも緩い条件、例えば「日本国民かどうか」で境界線を引くことであり、実際に引かれ始めた境界線だ。これは法的解釈の範囲で対応できるし、グレーゾーンが無く境界が明確故に合理的でもある。が、何気に「性善説」に基づく「察しと思いやり」を守るために「察しと思いやり」が発動している、という気がしてならない。

2014/09/03

ふ~ん、朝日新聞の記者ね。

 2chまとめからの引用です。

 赤字の部分がミソって感じ、メンタリティが日本人的ではないのがありあり、「察しと思いやり」ゼロってことですよ。そりゃ「謝罪せよ!」って言っても何もしない筈、自分達に向けられている他者の感情を「理解することができない」んだから。 

 勘違いぶりがハンパない。朝日新聞社への謝罪要求は右も左も関係ない、まずは「嘘つきが嫌いな日本人」の感情の発露だからね。この辺りは昨今のネガティブな対韓感情のうねりと同根ですよ、違いは朝日新聞社は「まだ敵としてのコンセンサスが広くは得られていない、まだ甘えを許す人が多い」ぐらいじゃないですか?

 「文化的に日本人じゃない」という共通認識がいったん形成されたら、「民族的に日本人」である方が「民族的に日本人ではないけれど、文化的には日本人」という場合よりもきっと酷い目にあいますよ、「裏切り」は「嘘」よりも「普通の日本人」を怒らせますからね。故に「文化的に日本人」であればあるほどもう日本には居られない、自分がどれだけマズい状況にあるかということをちゃんと察することができるからね。つまり、韓国に逃げたままの人ほど実は「日本人っぽい」かも、ということなのです。

【慰安婦】朝日新聞記者が池上彰氏の連載中止申し入れに自社批判 「はらわたが煮えくりかえる思い」

2014年09月03日

1 名前:動物園φ ★@\(^o^)/:2014/09/03(水) 15:05:57.02 ID:???.net

    トピックニュース 2014年09月03日11時40分

 3日、朝日新聞大阪本社社会部記者の武田肇氏がTwitterで朝日新聞について批判をした。

 発端は2日に「池上彰氏が原稿掲載拒否で朝日新聞の連載中止を申し入れ」と題した記事が、週刊文春に掲載されたことによる。

 池上彰氏が連載している「新聞ななめ読み」の原稿に、慰安婦問題について「朝日は謝罪すべきだ」と記述があったことから、朝日新聞は原稿の掲載を拒否。池上氏は自ら連載中止を 申し入れたのだという。

 この記事を紹介する形で、3日、武田氏はTwitterの自身のアカウントに「私は組織に忠実な企業内記者の一人ですが」と前置きしながらも「夕方、このニュースを聞いて、はらわたが煮えくりかえる思いでした。極めて残念です」と投稿し、怒りをあらわにした。

 すると、この投稿に対して「はらわたが煮えくりかえる思いは、朝日新聞に対してですか、それとも、池上さんに対してですか?」と武田氏に質問する返信が寄せられた。

 武田氏は返答する投稿で「今回の自社の姿勢に対してです…」とハッキリと自社批判であることを認めている。

 なお、武田氏のTwitterプロフィールには「投稿内容は朝日新聞を代表するものではありません。RTは必ずしも内容に賛意を示すものではありません」と書かれている。


武田 肇 / Hajimu Takeda @hajimaru2
私は組織に忠実な企業内記者の一人ですが、夕方、このニュースを聞いて、はらわたが煮えくりかえる思いでした。極めて残念です(査定に響きませんように…) /池上彰氏が原稿掲載拒否で朝日新聞の連載中止を申し入れ(週刊文春) - Y!ニュース http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20140902-00004316-sbunshun-soci …
2014年9月3日 00:08


中島章智 @Cap_Herlock
@hajimaru2 はらわたが煮えくりかえる思いは、朝日新聞に対してですか、
それとも、池上さんに対してですか?

武田 肇 / Hajimu Takeda @hajimaru2
@Cap_Herlock 今回の自社の姿勢に対してです…
2014年9月3日 08:48

 http://news.livedoor.com/article/detail/9213276/

8 名前:動物園φ ★@\(^o^)/:2014/09/03(水) 15:07:39.30 ID:???.net

しかし一番最近の投稿ではこんな書き込みをリツイートしている

武田 肇 / Hajimu Takedaさんがリツイート

赤い豚 @cochonrouge 6 時間
池上彰が降りたらしいけど、今の朝日に対する謝罪要求って「慰安婦強制連行の捏造を詫びよ」みたいな話ばかりで(右翼のいう狭義の強制連行は、裁判でも確定してるものがある)、謝罪のしようがない。 今や日本の右翼は、かつてのソ連だののように、嘘の自白で自己批判せよと言うまでに堕落したわけだ

引用元:http://awabi.2ch.sc/test/read.cgi/news4plus/1409724357

2014/08/29

グダっているのかどうか、だけどね。

 後でじっくり読みましょう、論理レベルが分かる筈。朝日新聞DEGITALの記事から。まぁ、第一段落で既に「日本語からの超訳?」みたいな「変な英語」感がハンパない、coolはねぇなぁ、せめてcoldだろうね。
Look squarely at essence of 'comfort women' issue

2014年8月22日10時00分

By NOBUYUKI SUGIURA

Executive Editor

Japan-South Korea relations have cooled in a manner unseen in the past. One reason for the increasingly troubled relations is the large gap that exists between the two nations over the "comfort women" issue.
The issue first came under the spotlight in the early 1990s. After a former comfort woman came forward to tell her story, debate and research on the topic progressed.

What was gradually brought to light were the conditions that led to women having their dignity and honor severely compromised during a time of war at comfort stations created in various parts of Asia, through the involvement of the military.

Now, after about 20 years, a move to review the Kono statement, which acknowledged Japanese military involvement and offered an apology, has provoked opposition from within South Korea.

South Korea has also maintained a rigid position, refusing to accept the feelings of apology and remorse expressed by the Japanese government.

With the comfort women issue becoming a political problem, the Abe administration conducted a study into the process behind the compilation of the Kono statement and released a report about that study in June.

Groundless criticism has arisen among some commentators as well as on certain Internet sites saying, "The comfort women issue is a fabrication of The Asahi Shimbun."

Moreover, a former Asahi reporter who wrote articles about former comfort women has been maligned by name. That has led to inquiries from our readers asking, "Are those allegations true?" and "Why don't you respond?"

We have put together special pages reflecting on our coverage of the comfort women issue because we believe that fulfilling our responsibility to our readers to explain ourselves will provide the first step toward the start of new discussions that are oriented to the future.

Although we ran special coverage on the comfort women issue in March 1997, we have once again gone over the points of contention while also relying on subsequent research.

In the early 1990s when the comfort women issue first came under the spotlight, research on the issue was not at an advanced stage. We continued to write articles based on the testimony given by former comfort women as well as the few documents that were available.

We have now learned that there were factual errors in some of those articles. While those errors occurred at a stage when the overall picture of the issue was not yet clear, we do reflect on the fact that there was insufficient information gathering to support those articles.

Similar errors also emerged at that time in articles carried by other Japanese media outlets as well as in articles by the South Korean media.

It has been pointed out that some of that inaccurate reporting has led to confusion in the understanding about the comfort women issue.

However, we absolutely cannot agree with the use of that as a reason for espousing "the comfort women issue was a fabrication" and arguing "there is no need to apologize to the former comfort women."

The reason we cannot agree is because some of the arguments being made to protect the honor of one's own nation by degrading the victims as "prostitutes" only incite nationalism in both Japan and South Korea and create factors to complicate the issue.

We are concerned about the spread of inward-looking discourse that avoids looking at the unpleasant past and incites emotional confrontation.

There is no way to erase the fact that during the war there were women who were forced to serve as sexual partners for Japanese military personnel.

The essence of the issue is that comfort women had their freedom taken away and their dignity as women trampled upon.

In the 1990s, during the fighting in Bosnia, the attention of the international community was concentrated on rapes by militia members. How a nation views sexual violence toward women during times of war is now viewed internationally as a human rights issue concerning women. The comfort women issue is also connected to such contemporary themes.

When the Asian Women's Fund, created through a combined effort of the public and private sectors, gave atonement money to the former comfort women, it also included a letter from the prime minister of the time that had the following wording:

"(Japan) should face up squarely to its past history and accurately convey it to future generations. Furthermore, Japan also should take an active part in dealing with violence and other forms of injustice to the honor and dignity of women."

The letter contains the resolve of political leaders to proceed along a path of reconciliation by overcoming confrontations revolving around historical recognition.

Next year will mark 70 years after the end of World War II and 50 years after the normalization of relations between Japan and South Korea. However, the national security environment in East Asia is increasingly unstable.

The comfort women issue is one topic that cannot be avoided in the building of a future-oriented and stable relationship with our neighbor.

We will continue to report on this issue without changing our basic stance.

***

In this special coverage, we will analyze what the comfort women issue is all about and respond to the questions that our readers have about our reporting in the 1990s. We will also take a look back at the wavering Japan-South Korea relationship over the past 25 years because of this issue and also have experts present their views on the comfort women issue.

2014/08/23

朝日新聞シリーズ記事「慰安婦問題を考える」英語版、読んだ記事の冒頭からいきなり日本語版と内容が違うんですが!

 朝日新聞(朝日新聞デジタル含む)は8/5、6にシリーズ記事「慰安婦問題を考える」を掲載した。しかし、通常であればほぼ当日中に行われる英語版の掲載が当該シリーズ記事に限って為されていないことが報道他社含め多方面から指摘され、一部では非難の声も挙がっていた。当ブログ主も英語版記事を掲載しない朝日新聞社の姿勢を「まさにゲスの所業」と見ていた。

 当ブログでは、このシリーズ記事のうち2件の記事を挙げて私なりの注釈を加えてみたりしている。記事の内容は置くとしても、論理的には酷い文章であること、偏向乃至は印象操作が疑われる記述が散見されるのは動かし難いだろうと感じている。

 関連エントリ: 朝日新聞「慰安婦問題を考える」の不完全な解説 #1 #2

 そんな中、昨日になって英語版記事が掲載され始めた。正直、記事自体を見つけるのにかなり手間を喰ったことを告白しよう。本来一番目にそれらの記事が出てきてもおかしくない「検索ワード」を使って記事検索しても、なかなか目当ての記事がヒットしなかったことが理由のひとつである。もちろん、使用した検索ワードは英単語だ。英語版記事掲載の可能性については、過去エントリで次のように書いた。
でも真面目な話、あのシリーズ記事の英語版は書けても英訳は不可能だと思う。姑息なレトリック満載の記事の文章は論理破綻の塊で、日本語ですら成り立って いない。そんな文章、或いはそもそも論理構造も論旨すら備えていない唯の単語の羅列なんか、論理構造がより明確であり、あやふやな記述を苦手とする英語に 訳せるとは思わない。翻訳を頼まれた人が居たとしても、できる人間ほど頭を抱えてしまうだろう。概して英語で曖昧な文章を書くことは難しい。
当時の私の思いはともかく、やはり英語版記事は日本語版とはかなり論理的に異なる内容のものになっている。今回は英語版記事"Testimony about 'forcible taking away of women on Jeju Island': Judged to be fabrication because supporting evidence not found"の最初の1段落だけを日本語版記事と比較するだけでそれは良く分かる。

 「1段落だけ抜きだすのは恣意的では?」と思う人もあるだろう。しかし記事は「疑問→回答」の形式を採っているので、第1段落は「疑問」の部分そのものであり、単独で論理性などを吟味することには恣意性も任意性も入らない。「正しい回答、解答」を得るには「適切な疑問、質問」を発することが必要だ。その観点からは「回答」部分よりも「疑問」部分の方がむしろ論理的にきっちりと閉じている必要があると言って良い。

 では、始めよう。

英語版記事
Question: There was a man who testified in books and meetings that he had used violence to forcibly take away women on the Korean Peninsula, which was Japan's colony, to make them serve as comfort women during the war. The Asahi Shimbun ran articles about the man from the 1980s until the early 1990s. However, some people have pointed out that his testimony was a fabrication.
対応する日本版記事
〈疑問〉政府は、軍隊や警察などに人さらいのように連れていかれて無理やり慰安婦にさせられた、いわゆる「強制連行」を直接裏付ける資料はないと説明しています。強制連行はなかったのですか。
 testifyは「証言する」、testimonyは「証言」、a fabricationは「つくり話、つくり事」、comfort womenは「慰安婦達」。

 さて、この時点で英語版と日本語版とで既に論理的観点から見て大きな違いがある。日本語版では「政府は、軍隊や警察など」という強制連行の主体の記載があるが、英語版には「政府」も「軍」も「警察」も出てこない。 

 日本語版では以前からの朝日新聞の主張、すなわち「日本政府、軍、警察は慰安強制連行の主体であり、日本政府に謝罪と賠償の責任がある」を反映した文章となっている。しかし英語版では、「日本の植民地であった朝鮮半島で、証言者(吉田氏)は暴力を用いて強制的に女性を連れ去った」と書かれており、「一人の男」(a man)である証言者(吉田氏)しか慰安婦強制連行の主体として挙げられていない。つまり、記事の最初の段落から日本語版と英語版の記事の内容は本質的に異なっている、「まさにゲスの所業」である。

 他方、あくまで「日本の植民地」(Japan's colony) という表現は譲らない。私の知っている歴史的経緯からは「日本統治下」(under the Japanese rule)あたりが妥当だと思うのだが。また、太平洋戦争をthe war(~これぞ全世界万民にとっての戦争の中の戦争!The war of wars!戦争の中の戦争!)と書いてしまうセンスは英語的にはかなり疑問、というかかなり書き手が頭悪そうに感じられる英文。ネイティブの書いた英語ではないか、ネイティブが書いた英文を英語を良く知らない人間がいじったとか、可能性は色々考えられますがね。

 on?which?articles about the man!?とか細かいところを挙げたら実のところキリが無い。これらは文法上の話ではなくて記述されている内容の論理構造に関わる話、行間や文脈を敢えて読まずに「英文で記述されている論理」をそのままを受け入れようとしても意味が全く理解できない、ということだ。

 日本語版と英語版の「疑問の内容の違い」の原因が、「もともとの日本語版記事の段階で回答が疑問に対する回答になっていなかった(論理破綻していた)」ので「単純に翻訳してもまともな英文にならない」、ならば「いっそ疑問の方を回答に合わせて変えちゃいましょう」、とかだったりするんじゃないかと本気で怖い。もしそうなら脳だけでなく性根も腐りきってる。

 あと、Questionと言いながら、英語版は全く疑問の要素を含んでない。会合などの質疑応答で「質問をせずにただ自分の主張を述べ続ける人」みたいなDQNな感じは否めませんね

 最初の段落だけでこの有様。

2014/08/16

う~ん、

 朝日新聞社説、なんとも調子が良いことで。
日本と韓国―国交半世紀に向かって

2014年8月16日(土)付

 8月15日の終戦の日、日本は戦没者の追悼に包まれた。
 隣の韓国は、植民地支配から解放された「光復節」だった。
 きのうの式典で朴槿恵(パククネ)大統領は、日韓が来年、国交正常化50年を迎えることにふれ、「未来志向的な友好協力関係に進まねばならない」と訴えた。
 中でも慰安婦問題が解決されれば関係が進むとし、「日本の政治指導者たちの知恵と決断を期待する」と呼びかけた。
 両国が未来を見すえて行動を起こすときであることは間違いない。日本の誠実な対応とともに、朴氏自身も「知恵と決断」に踏み込むべきである。
 どちらか一方が百点満点と評価できる解決はありえない。どんな方策を選ぼうとも、両国の間には、評価と反発とが入り組む複雑な反応が生まれることは免れない。
 だが、そのむずかしい着地点を探しだし、大局的な視座に立った解決を図ることこそが、外交をつかさどる政治の使命である。冷え切った隣国関係がこのままでいいはずがない。
 朝日新聞は今月、慰安婦問題について特集を組んだ。過去の報道の誤りをただすとともに、慰安婦問題の本質は普遍的な人権の問題であることを示した。
 日本軍が関与して作られた慰安所で、多くの女性が兵士の性の相手を強いられた。女性の尊厳が著しく傷つけられた。その史実は否定できない。
 負の歴史に対する責任の認識は、日本の歴代政権もしっかり共有してきた。90年代の「アジア女性基金」の設立など一定の努力をしたが、韓国側が受け入れを拒んだ。
 こじれた問題とはいえ、両政府は2年前、打開する合意案に近づいていた。日本の大使が被害者らにおわびし、国家予算による支援などをする案だった。
 その合意は日本の政局の流動化で霧散してしまった。だが、政治が真剣に取り組めば、道は開けることを示している。
 両国の識者や政治家が集まった「日韓フォーラム」が先週、福岡で開かれた。政治の膠着(こうちゃく)が経済や観光にも暗い影を落とし始めている問題も論じられた。
 安全保障面では、北朝鮮への対応や、アジア全体の安定化のためにも、西太平洋を代表する民主主義経済大国である日韓の連携は不可欠だ。
 首脳同士会うこともできず、健全な隣国関係を築けない両国の指導者が、アジア地域全体の未来を描けるはずもない。
 安倍首相と朴大統領は、節目の年を前にした今こそ、真のリーダーシップを見せてほしい。
言いたいことは分かる、分かるが、「それはそれとして」旗色はっきりさせないといけないことが有るでしょうという事なんですが。「ねつ造報道」とそれらを発端として隣国との無用な軋轢を発生させた件に対してはどういう立ち位置なんですか。

 「南京大虐殺」「靖国参拝問題化」と、まだ先が控えているのですよ。今は中共内では権力闘争が展開中の様なので目立っちゃいないけど、いずれこれらにも答えなきゃならないよ?歴史もちゃんと理解できない馬鹿、或いはしないファンタジー脳なのは重々承知ですが、仮にも報道機関なんだろ。総括しろ、それとも総括されたいの?左翼用語ならば分かってもらえるかな?

2014/08/15

本日の天声人語は

豪快なブーメランであろう。

 山田風太郎氏の「戦中派不戦日記」を引用し、「どんぐりとなるな、個を持て」とまとめていた。ここで「どんぐり」が指す意味合いは「皆が同じ考えに染まった状態」を指す。戦前、戦中に日本国民の「どんぐり」化、しかも戦争に向かう「どんぐり」化を進めた主体のひとつは明らかに新聞である。朝日新聞自体も例外ではなく、戦前~戦中の紙面に一通り目を通した経験からは、むしろ強力に加担したと言って良いとの感触を持つ。今もどんぐり化を進めたい意向のようだが、紙面を見るにもう報道である事も放棄しつつある現状では無理であろう、ドグマ剥きだしで読むに耐えない。なお、山田風太郎氏の作品を愛する身としては、

 山田風太郎氏を愚弄するな。

とはっきり言いたい。どの面下げてそんなことが書けるのか、毎度のことながら自らを省みることができないセンスを心底疑う。

 夕刊は輪をかけて剥きだしで酷い。昨日の「素粒子」欄も酷かった。国内で朝鮮半島で見られるピラミッド型古墳が発見されたことと、現在の日韓関係の悪化状況を引っかけた一文があった。が、当時の高麗(高句麗)は「現在の朝鮮半島の住人」とは異なる民族による国である。

 良くて不勉強、それとも「韓国国定教科書の歴史記述を信じている」とか。

 別民族であることを前提に書いていたとすれば、それはそれで愉快。違う民族による違う歴史を経ていれば、現在の状況は無かったかもしれない。そういう意図でのあの一文であれば評価もできよう、いや、上手いと言おう。脱亜論も、日中戦争も、日露戦争も、日華事変も、太平洋戦争も、ねつ造慰安婦問題も無かったかもしれないのだ。

おまけ・・・いや、四大文明より大韓民国の方が新しいですから。

2014/08/10

朝日新聞「慰安婦問題を考える」の不完全な解説 #0

  夕刊フジZakuZakuの記事、タイトルだけでもううんざり。

 朝日新聞、慰安婦誤報 英文サイトに検証記事なし「お答えは、さし控えます」

 前段は良いとして後段はどういうことかと言うと、
・・・しかし、朝日が運営するウェブサイトの英字版では9日午前9時現在、誤報を認めた記事の英文版は確認できない。朝日の主要記事は当日中に英訳され、同サイトに掲載されている。
これだけ日本にダメージを与えた証言を取り消す検証記事は、少しでも早く掲載する必要があるはずだ。万が一、掲載しないとなれば、「姑息」といわれても仕方ないのではないか。
夕刊フジが、朝日にこの件について問い合わせたところ、同社広報部は書面による質問を求めてきた。このため、7項目の質問をFAXすると、5時間以上かかって回答書がきた。
注目の回答書は、「いただいたご質問にまとめて回答します」で始まり、改行後、黒く太いゴシック文字で「お答えは、さし控えます」と続き、再び改行後、「以上です。どうぞよろしくお願いいたします」と書いてあるだけだった。
電話で、回答ができない理由を担当者にたずねても、「さし控えますということです」という答えしか返ってこなかった。
ということらしい。

 でも真面目な話、あのシリーズ記事の英語版は書けても英訳は不可能だと思う。姑息なレトリック満載の記事の文章は論理破綻の塊で、日本語ですら成り立っていない。そんな文章、或いはそもそも論理構造も論旨すら備えていない唯の単語の羅列なんか、論理構造がより明確であり、あやふやな記述を苦手とする英語に訳せるとは思わない。翻訳を頼まれた人が居たとしても、できる人間ほど頭を抱えてしまうだろう。概して英語で曖昧な文章を書くことは難しい。

 論理的に無意味な英文が使われていると言えば「不思議の国のアリス」を代表とするチャールズ・ドジソン(ルイス・キャロル)の作品群が挙げられるが、彼が数学者であったことは重要だ。英文として成立させつつ、論理性が曖昧な、或いは論理破綻した英文を書くには、人並み外れた論理性が必要ということだ。

 技術畑の人なら分かると思うけど、英語で論文を書く場合と日本語で論文を書く場合とでは論展開自体が変わる。日本語のしっかりした論文でも、単純に英訳したものは回りくどくて凄く理解にしくい代物となる。実際、先に社内用の日本語報告書を書いた後に社外向けの英文論文を書こうとするともの凄く苦労する。ここは個人差があると思うが、私は論理的思考に数学を除く特定の言語は使わない。が、いったん頭の中の論理を日本語で言語化すると、頭の中の論理構造が一気に曖昧になってしまうのだ。

 朝日新聞の件のシリーズ記事では主語、或いは行為の主体を曖昧にしたり、不要な修飾を付すことで、結局論理的には何も言っていない文章が多い。これは日本語が主語を重視した言語構造を持つ故であって、裏を返せばここを曖昧にすれば文章全体を曖昧とできるということだ。対して英語は主語よりも動詞に重点を置く。例えば、英文では文頭を主語を代理する"it"で始め、論理的な主語が動詞の後で記述される事が多い。これは単に構文といった形式的なものではなくて、論理構造を明確に示すにはまず動詞、次いで主語ということを英語という言語が要求するからと解釈すべきだと思う。動詞と主語の現れる順番を幾つかの文で確認すれば、執筆者がどれだけ英語慣れしているか、或いは日本語といったウラル・アルタイ系言語をネイティブとしているかが何となく分かることすらある。

 職場で論理破綻した主張をする人には「英語で説明し直して」とお願いする。まず、主語も動詞も選べなくて説明できない。良くても論旨が変わってしまう。TOEIC900点以上を自慢する人でも、論理が破綻している内容は英語では説明できない。 ちなみの私の英語力は、英文を読むことに抵抗が無いだけで、高いとはお世辞にも言えない。会話、文章作成能力は職場では平均未満であろう。

 さて、朝日新聞社の「お答えは、さし控えます」、どう解釈しますか?察してやるなんて義理もないですからね。

バカ・卑怯者発見機、豪快に作動中!

 「このブログ主、何をはしゃいでるの?」と思う人もいるだろう。だが90年代の朝日新聞社への投書などによる質問、問い合わせを複数回無視された身としては、やっと「始まりの始まりに」に辿り着いたという思いを持たざるを得ない。私の朝日新聞社への態度は単に「嘘つきは大嫌い、卑怯者としか呼ばない」でしかなくて、自ら任じる「中道左派」という政治的信条とは無関係だ。

 朝日新聞の記事シリーズ「慰安婦問題を考える」は、案の定○○発見機として機能している。

 2chまとめ「【特定秘密は批判したクセに自身はw】 東京新聞記者のxxxxx、「朝日新聞は謝罪した」とTwitterで主張するも批判と反論が殺到→非公開設定にして逃走(ノ∀`)」を見てうんざり。本質スルー、リアリティ欠如者のドミノの典型例。リアリティ欠如から自ら極めて低いハードルを設定しながら、それすら越えられずに自爆、ハードルは一気に上がってしまうという自業自得。個人攻撃は本意ではないが、典型的な例なので一部伏字で引用しよう。なお、今沈黙している人はある意味賢いが、自爆者のおかげで自らの身の振り方とは無関係にハードルは自動的に上がっているので覚悟しておいた方が良い。最初のドミノが自ら許容した理不尽なのだから、拡大していくのも理不尽だ。因果応報とは良く言ったもの、論理に訴えようと、感情に訴えようとも、倫理に訴えようとも、泣き叫ぼうが自殺しようがテロ仕掛けられようが自らが醸成し肥大化した理不尽はビクともしない。
xxxxx@kenkoma 2014年08月05日(火) 10:47:28
朝日はあれだけの分量を割いて間違いの検証、謝罪をした。それに引き換え、朝日を徹底的に
攻撃する某新聞は、自らの明らかな誤報で何らかの対処をしたことがあるのかな?

xxxxx@kenkoma 2014年08月05日(火) 10:47:28
朝日はあれだけの分量を割いて間違いの検証、謝罪をした。それに引き換え、朝日を徹底的に
攻撃する某新聞は、自らの明らかな誤報で何らかの対処をしたことがあるのかな?
http://twitter.com/kenkoma/status/496472522934607872
http://twilog.org/kenkoma/date-140805

yyyyy@neon_shuffle 6:52 - 2014年8月6日
32年も経過してから記事訂正するのは別に誇ることじゃないし、謝罪はしてないよな
QT @kenkoma: 朝日はあれだけの分量を割いて間違いの検証、謝罪をした。(以下略)
https://twitter.com/neon_shuffle/status/496775832853958656

xxxxx @kenkoma
yyyyyなる著名アカウントになるとを頂く栄誉に接したが、寝起きで頭が動かないから
処置させていただきます。
https://twitter.com/kenkoma/status/496791196534972418
http://favstar.fm/users/kenkoma/status/496791196534972418

xxxxx@kenkoma 2014/8/6 8:32:00
鬼の首を取ったように揚げ足を取る奴が殺到しているので、謝罪があったという部分は訂正します。
RT @kenkoma: 朝日はあれだけの分量を割いて間違いの検証、謝罪をした。それに引き換え、朝日を
徹底的に攻撃する某新聞は、自らの明らかな誤報で何らかの対処をしたことがあるのかな?
https://twitter.com/kenkoma/status/496800820587819008
http://favstar.fm/users/kenkoma/status/496800820587819008

xxxxx@kenkoma 2014/8/6 8:41:21
鍵かけていいすか?
https://twitter.com/kenkoma/status/496803174959685632
http://favstar.fm/users/kenkoma/status/496803174959685632

@kenkomaは非公開設定です。
https://twitter.com/kenkoma?protected_redirect=true
 繰り返しになるけど、まぁ、以下のような内容が普通の日本人(ノンポリ)の反応ではないか?朝日新聞の件の記事はレベルが低すぎて非難や評価の対象にもなり得ないでしょう。他者を言行を挙げて自己の言行を肯定しようとする幼稚園児手法もあっさり使用。普通の日本人はこういう態度は卑怯者のものだからやっちゃいけないと教えられてくるものだが。
  • あれだけの分量を割いても、検証の証拠の提示、論理的で誤読を許さない明確な論展開ができていない。不要なレトリックばかり目立ち、それが原因で論理破綻していたり、書くべき内容が書かれていなかったり(<疑問>に対してちゃんと回答を示していない)、とにかく酷い文章としか言いようがない。
  • 個人的には分量が圧倒的に不足している、ひとつの<疑問>に対して10面フルに使っても説明するに足りないだけの事をしてきたんじゃないの?書籍が何冊も書かれているような事案なんだけど。
  • 文章を何回読んでも、謝罪しているとは解釈できない。百歩譲って謝罪してるとしても、謝罪対象も明確にしてないんじゃ意味がないよね。謝罪の対象たる被害者が特定できないということは、すなわちには謝罪する内容も特定できていないということだよね。そんなんじゃ実効ある謝罪にもならないし、誠意が無い(感じられない、ではない)よねぇ。
 報道ステーションSundayではフリップにリストアップしておきながら見事にスルー、テレビ朝日も天晴れ、卑怯者。

2014/08/09

加害者ということの意味、分かってる?

 8月5、6日の朝日新聞のシリーズ記事「慰安婦問題を考える」に対するネット、一般の反応ともに予想以上に冷静、理性的な点は、「やっぱり日本人ってまだまだ行ける」感じがして実に心強い限り。とは言え、私の職場に限って言えば20代の反応は薄い。興味が無いのかもしれないが、結局知らない、全体像が見えないから反応もできないのだろう。知らないことは恥という空気が醸成されればまずは文句は無いのだが。

 結局、恥の上塗りしかできなかった朝日新聞の件の記事は、ズルい人間、状況を適切に理解していない人間をあぶり出した形となっていると言って良いと思う。ズルい人間とは特に名を挙げずとも分かるだろう「口を閉ざした人間達、報道機関」と「触れずに逃げている人間達、報道機関」 、状況を適切に理解していない人間の代表は件の記事について実に間抜けなコメントを出したことが報じられた某都知事だろう。本質スルーってのは笑いのキモのひとつだが、都知事にそんなもの要らないだろう。

 朝日新聞が5、6日付の紙面で「慰安婦問題を考える」との特集を組み、「強制連行があった」とした過去の一部報道を取り消したことに、政界では自民 党の石破茂幹事長や民主党の松原仁国対委員長、日本維新の会の橋下徹大阪市長などが批判した。ネット上でも批判のオンパレードとなっているが、朝日新聞社 内では若手記者を中心に「いい加減にしてくれ!」と悲鳴に近い怒りの声が渦巻き、険悪な雰囲気になっているという。

 ある20代の記者は本紙にこう激白した。「32年前のことをわざわざ『誤報だった』と報じて、直接批判にさらされるのは現場に出ている我々、若い記者。取材先で『あれは何?』と聞かれても、僕らは答えようがないですよ」とため息交じり。

 また30代の記者は「もし今、自分が書いた記事で『誤報でした』なんてことになったら大問題で、すぐ処分される。内容次第では上司も飛ば されるでしょう。でも、32年前のこの記事では書いた記者も社会部長もおとがめなしどころか、結構出世してる。退職金もきっちりもらってる。『こんな不公平はない』と社内は不満の声ばかりですよ」と明かした。

 社内でも「なぜこの時期に検証記事を掲載したのか」との声もあるとか。一因として「慰安婦問題の火付け役」の元記者U氏が今年3月、早期 退職したのと関係があるともささやかれている。「Uさんがまだ社内にいたとしたら、さすがに検証記事はやりづらいでしょう。もっとも紙面ではUさんの記事 について『意図的な事実のねじ曲げはありません』と擁護してましたけど…」(同)

 6日の紙面では「日韓関係なぜこじれたか」との見出しが付けられたことも、朝日社内で話題になっている。「こんな見出し付けたら『こじれたのは朝日のせいだろう』と皮肉られる。現場の記者はあきれていますよ」(同)。検証記事は朝日社内外の怒りを買ってしまったようだ。
 不満を漏らすとか、答えようがないとか、現場の記者は呆れてるとか、甘えるのもいい加減にしろとはっきり言いたい。 そういうのを単に醜態と言うのだ。不公平当然、不満なんか挙げてる暇があったら自分達の立ち位置について早く適切な状況認識を持つか、さもなくばとっとと朝日新聞社と縁を切るべきだ。

 ねつ造記事を載せ、それを放置するのみならず更に嘘を重ね、他者を加害者に仕立て上げた新聞なんぞ機能的には十分に「暴力装置」だ。加害者に仕立て上げられた人間に非は無い、それは若い記者もいっしょだろう。新聞のねつ造内容を口実に加害者にされた人間も理不尽、ならば若い記者だろうが朝日新聞社の人間が叩かれるのも理不尽、筋が通っていないか?公平ではないか?

 前述の通り、日本人、日本の反応は総じて冷静で理性的だ。そうではなかった場合をちょっと想像してみると良い、自分達が如何に恵まれているか分かる筈だ。分からない人もいるかも知れないからはっきり書いてしまうが、「暴力装置」を効率良く排除する方法は別の「暴力装置」にその機能を発揮させるだけで良い。最近ではクリミア半島やウクライナで起きてるって報道があったじゃないですか、ね?

朝日新聞「慰安婦問題を考える」の不完全な解説 #2

 さて#2です。#1はこちら

 朝日新聞及び朝日新聞デジタルは 「慰安婦問題を考える」というシリーズ記事を最近掲載した。はてさて、今度はどう出てくるかと思ったが、悪い意味で予測が的中、時宜もわきまえず、自らの 非も認めずといった内容であった。私なら(自己検閲)。本エントリから始まるシリーズは、「慰安婦問題を考える」の記事に解説と言うか、「読者への考える きっかけ」を加える試みである。「不完全な」に込めた意味は主に下記の3点である。
  • 記憶に頼るところが多く、ソースが示せない内容を含む。
  • どう頑張っても一個人の力だけでは客観性を完全に担保することはできない。
  • 事実ベースのアカデミック寄りの姿勢は譲れない。
記憶、と言うのは大学生時代に足しげく大学や自治体の図書館に 通って目にした戦前~戦後の新聞紙面、歴史研究書、手記、個人的な聞き取りの内容である。これらはネットだけでは引用元を担保できない。また、先の震災経 験後に蔵書を泣く泣く処分した。従って引用元が手元に無い場合も多い。

 さて、具体的なやり方だが、
  • 定本は朝日新聞デジタルの記事とする。より厳密には、 まず2015年8月6日午前7時42~44分の間にダウンロードした記事のウェブページの内容とする。
  • 不完全とは言え解説を目指すので、記事全文の引用を基本とする。
  • 解説を加える部分に下線を引き、下線部の末尾に"*数字"を付す。つまり、こんな感じだ。*3
  • 記事引用の後に、番号毎に解説を付す。
って感じかな。 

 なお、必要に応じて刺激の強い表現、単語も使用している場合がある。ご注意のほど。


記事開始

強制連行 自由を奪われた強制性あった

2014年8月5日05時00分

〈疑問〉政府は、軍隊や警察などに人さらいのように連れていかれて無理やり慰安婦にさせられた、いわゆる「強制連行」を直接裏付ける資料はないと説明しています。強制連行はなかったのですか。*1

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 慰安婦問題に注目が集まった1991~92年、朝日新聞は朝鮮人慰安婦について、「強制連行された」と報じた。吉田清治氏の済州島での「慰安婦狩り」証言(「『済州島で連行』証言」で説明)を強制連行の事例として紹介したほか、宮沢喜一首相の訪韓直前の92年1月12日の社説「歴史から目をそむけまい」で「(慰安婦は)『挺身(ていしん)隊』の名で勧誘または強制連行され」たと表現した。

 当時は慰安婦関係の資料発掘が進んでおらず、専門家らも裏付けを欠いたままこの語を使っていた。秦郁彦氏も80年代半ば、朝鮮人慰安婦について「強制連行に近い形で徴集された」と記した=注①。

 もともと「朝鮮人強制連行」は、一般的に、日本の植民地だった*1朝鮮の人々を戦時中、その意思とは関係なく、政府計画に基づき、日本内地や軍占領地 の炭鉱や鉱山などに労働者として動員したことを指していた=注②。60年代に実態を調べた在日朝鮮人の研究者が強制連行と呼び=注③=、メディアにも広 がった経緯もあり、強制連行は使う人によって定義に幅がある。

 こうした中、慰安婦の強制連行の定義も、「官憲の職権を発動した『慰安婦狩り』ないし『ひとさらい』的連行」に限定する見解=注④=と、「軍また は総督府が選定した業者が、略取、誘拐や人身売買により連行」した場合も含むという考え方=注⑤=が研究者の間で今も対立する状況が続いている。

 朝鮮半島でどのように慰安婦が集められたかという過程は、元慰安婦が名乗り出た91年以降、その証言を通して次第に明らかになっていく。

 93年2月、「韓国挺身隊問題対策協議会」は、元慰安婦約40人のうち「信憑性(しんぴょうせい)に自信が持てる」(鄭鎮星〈チョンジンソ ン〉)・挺身隊研究会会長)19人の聞き取りを編んだ証言集を刊行。「軍人や軍属らによる暴力」があったと語ったのは4人で、多くは民間業者が甘い言葉で 誘ったり、だまして連れて行ったりする誘拐との内容だった。

 慰安婦たちは、徴集の形にかかわらず、戦場で軍隊のために自由を奪われて性行為を強いられ、暴力や爆撃におびえ性病や不妊などの後遺症に苦しんだ経験を語っていた。*3

 93年8月に発表された宮沢政権の河野洋平官房長官談話(河野談話)は、「慰安所の生活は強制的な状況で痛ましいものだった」「募集、移送、管理 等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた」と認めた。関係省庁や米国立公文書館などで日本政府が行った調査では、朝鮮半島では軍 の意思で組織的に有形力の行使が行われるといった「狭い意味の強制連行」は確認されなかったといい、談話は「強制連行」ではなく、戦場の慰安所で自由意思 を奪われた「強制」性を問題とした。

 談話発表に先立つ7月には、ソウルの太平洋戦争犠牲者遺族会事務所で、日本政府が元慰安婦たちに聞き取りをした。今年6月に発表された河野談話作 成過程の検証チーム報告は、聞き取りの目的について「元慰安婦に寄り添い、気持ちを深く理解する」とし、裏付け調査などを行わなかったことを指摘した。

 河野談話の発表を受け、朝日新聞は翌日の朝刊1面で「慰安婦『強制』認め謝罪 『総じて意に反した』」の見出しで記事を報じた。読売、毎日、産経の各紙は、河野談話は「強制連行」を認めたと報じたが、朝日新聞は「強制連行」を使わなかった。

 官房長官への取材を担当していた政治部記者(51)は、専門家の間でも解釈が分かれていることなどから「強制連行」とせず単に「強制」という言葉 を使ったのだと思う、と振り返る。「談話や会見、それまでの取材から読み取れたのは、本人の意思に反する広い意味での強制連行を認めたということだった。 しかし、強制連行という語を使うと読者の誤解を招くと考え、慎重な表現ぶりになった」

 93年以降、朝日新聞は強制連行という言葉をなるべく使わないようにしてきた。

 97年春に中学教科書に慰安婦の記述が登場するのを機に、朝日新聞は同年3月31日朝刊でこの問題を特集した。

 日本の植民地下*2で、人々が大日本帝国の「臣民」とされた朝鮮や台湾では、軍による強制連行を直接示す公的文書は見つかっていない。貧困や家父長制 を背景に売春業者が横行し、軍が直接介入しなくても、就労詐欺や人身売買などの方法で多くの女性を集められたという。一方、インドネシアや中国など日本軍 の占領下にあった地域では、兵士が現地の女性を無理やり連行し、慰安婦にしたことを示す供述が、連合軍の戦犯裁判などの資料に記されている。インドネシア では現地のオランダ人も慰安婦にされた。*4

 97年の特集では「本人の意思に反して慰安所にとどまることを物理的に強いられたりした場合は強制があったといえる」と結論づけた*5

 河野談話が発表されて以降、現在の安倍内閣も含めて歴代の政権は談話を引き継いでいる。一方、日本軍などが慰安婦を直接連行したことを示す日本政府の公文書が見つかっていないことを根拠に、「強制連行はなかった」として、国の責任が全くなかったかのような主張を一部の政治家や識者が繰り返してき た。*6

 朝鮮など各地で慰安婦がどのように集められたかについては、今後も研究を続ける必要がある。だが、問題の本質は、軍の関与がなければ成立しなかった慰安所で女性が自由を奪われ、尊厳が傷つけられたことにある。*7

 これまで慰安婦問題を報じてきた朝日新聞の問題意識は、今も変わっていない。*7

■読者のみなさまへ

 日本の植民地だった朝鮮や台湾では、軍の意向を受けた業者が「良い仕事がある」などとだまして多くの女性を集めることができ、軍などが組織的に人 さらいのように連行した資料は見つかっていません。一方、インドネシアなど日本軍の占領下にあった地域では、軍が現地の女性を無理やり連行したことを示す 資料が確認されています。*4共通するのは、女性たちが本人の意に反して慰安婦にされる強制性があったことです。*7
     ◇
 注① 「従軍慰安婦(正続)」陸軍史研究会編「日本陸軍の本 総解説」(自由国民社、1985年)
 注② 外村大「朝鮮人強制連行」(岩波新書、2012年)
 注③ 朴慶植「朝鮮人強制連行の記録」(未来社、1965年)
 注④ 秦郁彦「『慰安婦狩り』証言 検証・第三弾 ドイツの従軍慰安婦問題」「諸君!」1992年9月号
 注⑤ 吉見義明「『河野談話』をどう考えるか――その意義と問題点」「戦争と女性への暴力」リサーチ・アクションセンター編「『慰安婦』バッシングを越えて」(大月書店、2013年)

記事終了

  1. <疑問>の時点で既におかしい。「政府の説明の真偽」と「強制連行はあったのか」は独立して検証可能な事項である。これら二点を分離していない書きっぷりは論理性の欠如の証左と言えよう。
  2. (百歩譲って)議論の分かれる「当時、朝鮮半島が植民地であったか」について当然のようにこう書く姿勢を疑う。朝日新聞社は「植民地の定義」を明確にしなければならない。
    歴史上の事実は「合邦」であり、大日本帝国憲法が朝鮮半島にも適用された。この形態は例えばドイツ帝国のパラオや、英国のインドの取り扱いとは一線を画しており、同様に「植民地」と呼ぶには論理的に無理があるとともに、当時の実態に対しての印象操作が疑われても仕方ない。
  3. 証言資料にのみ依拠しているということ。
  4. 証拠の存在する事実である。
    が、大部分の事案において関係者が法に基づいて処罰されているという事実、つまり軍、政府は「慰安婦強制的連行」を禁止しており処罰者も出ている事実に触れないのは印象操作のそしりを免れ得ない。軍や政府の通達を破った人間が逮捕、処罰されたが故に、当時の司法関連書類などが「慰安婦強制的連行が行われた」という証拠資料として残っているのである。本来はこれら証拠資料の全文を記載、乃至は参照可能としておくことが必要であろう。
  5. 結論自体は否定しない(厳密には議論のしようがない、理由は続いて記載の通り)が、なぜそう結論したのかの経緯、根拠に一切触れられていない。他者の認識に触れるのは構わないが、自らの結論に対してそこに至る経緯、判断根拠を示さないのは詐欺師のよく使う手段である。また他者の言行に基づいて自己の言行を肯定するという手段は、真っ当な日本人ならば小学校入学時にはもはや使わなくなっているものである。
  6. 根拠も示さずこの言説は意味不明。印象操作のそしりを免れ得ない。
  7. 「共通するのは」がかかる範囲が不明、文章自体も意味不明。そのまま読めば、「資料がない」ことと「資料がある」こととに「共通するのは」「強制性があったことです」となる。これは主観だが、まずはちゃんとした日本語の文章が書けるようになってから記事を書くべきである。
    「問題意識」の内容も文章中に明確に述べられていない。執筆者はもっとまらしい事を書いているつもりなのだろうが、論理的には何も言っていない。つまり、この一文は無くても良い、と言うか何も変えないつもりならば無い方が良かろう。これからも卑怯でいきまっせ、という宣言と解釈させて頂く。
    (注:文字通り「何も言っていない」ということ、「何も言っていないも同然」ということではない。)
全体・感想

 <疑問>に対する回答は、
  • 日本政府の主張を覆すような資料は現時点でも見つかっていない。
  • 当時の日本施政下及び軍事的占領地下において慰安婦として現地の軍隊が女性を連行した事実はある。
の2文で朝日新聞的にも十分であろう、残りの文章は全く不要。それら事項が書きたければ<疑問>を変えるべきであったろう。 執筆者の論理構成能力の欠如があからさまな酷い記事としか言いようがない。論文であればイントロダクションだけでいきなり結論が書いてある様なもの。大事なのはその間に書かれていることなのにね。
 *4で触れているように、現地軍による強制連行事案があったのは証拠資料が残る事実であるが、これら事実を強調するならば、少なくとも証拠資料の残る事案において関係者が処罰を受けている事実も記載するのが真っ当な姿勢であろう。こういう底の浅い印象操作を平気で未だにやるあたりに朝日新聞社の卑怯さ具合が良く出ている、
 もしこのような印象操作が不要な差別や被害者を生み出す口実にされれば、もはやねつ造、偏向、犯罪のそしりは免れまい。日本人の「察しと思いやり」の中には、「他者を犯罪に導きかねない自らの安易な行動、言動を厳に慎む」というものがある。列車で財布を席に置いたままトイレに行ったりしない、みたいな話である。朝日新聞社にはそういう日本人的な感性も無いのか、分かってはいても酷いものは酷いとしか言いようがない。

2014/08/09 初版

2014/08/07

朝日新聞社、本当に嘘つきの卑怯者

朝日関係者によれば、政権発足後は朝日バッシングが加速し、苦情や抗議活動、不買運動が連日展開され、部数を大幅に落とした。明々白々なうそと分かってい る慰安婦問題の過去報道を隠し切れなくなったというのが実情で、同紙は「一部の論壇やネット上に朝日の捏造といういわれなき批判が起きている。読者への説 明責任を果たしたい」と言及している。
とな。お気楽なものだ。リアリティ(適切な現状認識)の欠如具合は現在の中共指導部や隣国に勝るとも劣らない。この期に及んでも嘘をつき続ける有様。私が物心ついて以降で、「普通の日本人」を怒らせることができたのは某韓国大統領と朝日新聞社くらいだろう。

 ネット上での批判というが、批判者の大部分が同社新聞の購読者ではあり得ないだろう。朝日新聞不買の主体がネット上の批判とは接点がない場合がまだ多い、という可能性に思い至らない辺りに朝日新聞社のリアリティの欠如が垣間見える。母親や兄弟の近所付き合いでの会話を耳にして良く分かったのは、日々ネットに接している私より韓国や朝日新聞社に対する態度が手厳しいということだ。ネット上では発言しなければ意思を示すことができない(それも表現はかなり抑制されている)が、朝日新聞社にとってのクリティカルなリアリティは、ネットとは接点のない人々が黙って買うのも読むのも止めているということだ。

 朝日新聞を購読することは、既に気恥ずかしい行為、既に世間体に関わる事案なのである。

 そんな話聞いた事ないというなら、もう朝日新聞社の「耳」は社会的にハブられているいうことだ。サイレントマジョリティから既に「対立者と見做されている」ということだ。そして、このような朝日新聞社の認識のズレ具合も、奥様連中は「分かってないねぇ~」「新聞が土下座する夢みちゃった」などと嗤っているのだ。

 朝日新聞社の人間よりも、本来の読者たる奥様連中の方が上手なのである。

2014/08/06

朝日新聞「慰安婦問題を考える」の不完全な解説 #1

  朝日新聞を「売国新聞」、特定の朝日新聞社記者や特定の朝日新聞社幹部を「売国奴」と呼ぶ人も少なくないが、それに関しては私は異議を唱えたい。彼らは単に「嘘つきの卑怯者達」に過ぎない。「売国奴」と持ち上げてやる必要なんかない。それは「勘違いテロリスト(間違った状況認識に基づいて他者を殺めたり負傷させた者)」を「建国の父」や「国の英雄」と呼ぶに等しいぐらいの現実感の欠如である。なんちゃって。

 繰り返す、「嘘つきな卑怯者達」で十分である。なんちゃって。

 バカにすらつける薬のないこの世界では、もちろん卑怯者達につける薬などないし、自浄なんて上品かつ知力と腕力が同時に必要な行為はそうは期待できない。なんちゃって。

 世界情勢と言う冷徹なリアリティは、普通の日本人にも「味方」と「それ以外」の区別を要求し始めているぞ。なんちゃって。

 私は親戚からとあるミッションを受け、盆休みに結論を出すことが求められている。この2日で心は決した。だが心配するな朝日新聞社、10戸にも満たぬ世帯が購読を止めるだけだ。「天下のクオリティペーパー」らしいが、きっとこれも嘘のひとつなんだよね?ね?なんちゃって。

  とまぁ、おふざけはさておき、エントリタイトルの件である。

 朝日新聞及び朝日新聞デジタルは 「慰安婦問題を考える」というシリーズ記事を最近掲載した。はてさて、今度はどう出てくるかと思ったが、悪い意味で予測が的中、時宜もわきまえず、自らの非も認めずといった内容であった。私なら(自己検閲)。本エントリから始まるシリーズは、「慰安婦問題を考える」の記事に解説と言うか、「読者への考えるきっかけ」を加える試みである。「不完全な」に込めた意味は主に下記の3点である。
  • 記憶に頼るところが多く、ソースが示せない内容を含む。
  • どう頑張っても一個人の力だけでは客観性を完全に担保することはできない。
  • 事実ベースのアカデミック寄りの姿勢は譲れない。
記憶、と言うのは大学生時代に足しげく大学や自治体の図書館に通って目にした戦前~戦後の新聞紙面、歴史研究書、手記、個人的な聞き取りの内容である。これらはネットだけでは引用元を担保できない。また、先の震災経験後に蔵書を泣く泣く処分した。従って引用元が手元に無い場合も多い。

 さて、具体的なやり方だが、
  • 定本は朝日新聞デジタルの記事とする。より厳密には、 まず2015年8月6日午前7時42~44分の間にダウンロードした記事のウェブページの内容とする。
  • 不完全とは言え解説を目指すので、記事全文の引用を基本とする。
  • 解説を加える部分に下線を引き、下線部の末尾に"*数字"を付す。つまり、こんな感じだ。*3
  • 記事引用の後に、番号毎に解説を付す。
って感じかな。 

 なお、必要に応じて刺激の強い表現、単語も使用している場合がある。ご注意のほど。


記事開始

「済州島で連行」証言 裏付け得られず虚偽と判断

2014年8月5日05時00分

 〈疑問〉日本の植民地だった朝鮮*1で戦争中、慰安婦にするため女性を暴力を使って無理やり連れ出したと著書や集会で証言した男性がいました。朝日新聞は80年代から90年代初めに記事で男性を取り上げましたが、証言は虚偽という指摘があります。

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 男性は吉田清治氏。著書などでは日雇い労働者らを統制する組織である山口県労務報国会下関支部で動員部長をしていたと語っていた。

 朝日新聞は吉田氏について確認できただけで16回*2、記事にした。初掲載は82年9月2日の大阪本社版朝刊社会面。大阪市内での講演内容として「済州島で200人の若い朝鮮人女性を『狩り出した』」と報じた。執筆した大阪社会部の記者(66)は「講演での話の内容は具体的かつ詳細で全く疑わなかった」と話す。*3

 90年代初め、他の新聞社も集会などで証言する吉田氏を記事で取り上げていた。

 92年4月30日、産経新聞は朝刊で、秦郁彦氏による済州島での調査結果を元に証言に疑問を投げかける記事を掲載。週刊誌も「『創作』の疑い」と報じ始めた。

 東京社会部の記者(53)は産経新聞の記事の掲載直後、デスクの指示で吉田氏に会い、裏付けのための関係者の紹介やデータ提供を要請したが拒まれたという。*4

 97年3月31日の特集記事のための取材の際、吉田氏は東京社会部記者(57)との面会を拒否。虚偽ではないかという報道があることを電話で問うと「体験をそのまま書いた」と答えた。済州島でも取材し裏付けは得られなかったが、吉田氏の証言が虚偽だという確証がなかったため、「真偽は確認できない」と表記した。その後、朝日新聞は吉田氏を取り上げていない。

 しかし、自民党の安倍晋三総裁が2012年11月の日本記者クラブ主催の党首討論会で「朝日新聞の誤報による吉田清治という詐欺師のような男がつくった本がまるで事実かのように日本中に伝わって問題が大きくなった」と発言。一部の新聞や雑誌が朝日新聞批判を繰り返している。*5

 今年4~5月、済州島内で70代後半~90代の計約40人に話を聞いたが、強制連行したという吉田氏の記述を裏付ける証言は得られなかった。

 干し魚の製造工場から数十人の女性を連れ去ったとされる北西部の町。魚を扱う工場は村で一つしかなく、経営に携わった地元男性(故人)の息子は「作っていたのは缶詰のみ。父から女性従業員が連れ去られたという話は聞いたことがない」と語った。「かやぶき」と記された工場の屋根は、韓国の当時の水産事業を研究する立命館大の河原典史教授(歴史地理学)が入手した当時の様子を記録した映像資料によると、トタンぶきとかわらぶきだった。

 93年6月に、吉田氏の著書をもとに済州島を調べたという韓国挺身隊研究所元研究員の姜貞淑(カンジョンスク)さんは「数カ所でそれぞれ数人の老人から話を聞いたが、記述にあるような証言は出なかった」と語った。

 吉田氏は著書で、43年5月に西部軍の動員命令で済州島に行き、その命令書の中身を記したものが妻(故人)の日記に残っていると書いていた。しかし、今回、吉田氏の長男(64)に取材したところ、妻は日記をつけていなかったことがわかった。吉田氏は00年7月に死去したという。*6

 吉田氏は93年5月、吉見義明・中央大教授らと面会した際、「(強制連行した)日時や場所を変えた場合もある」と説明した上、動員命令書を写した日記の提示も拒んだといい、吉見氏は「証言としては使えないと確認するしかなかった」と指摘している=注①。

 戦時中の朝鮮半島の動員に詳しい外村大・東京大准教授は、吉田氏が所属していたという労務報国会は厚生省と内務省の指示で作られた組織だとし、「指揮系統からして軍が動員命令を出すことも、職員が直接朝鮮に出向くことも考えづらい」と話す。

 吉田氏はまた、強制連行したとする43年5月当時、済州島は「陸軍部隊本部」が「軍政を敷いていた」と説明していた。この点について、永井和・京都大教授(日本近現代史)は旧陸軍の資料から、済州島に陸軍の大部隊が集結するのは45年4月以降だと指摘。「記述内容は事実とは考えられない」と話した。

■読者のみなさまへ

 吉田氏が済州島で慰安婦を強制連行したとする証言は虚偽だと判断し、記事を取り消します。*7当時、虚偽の証言を見抜けませんでした。*8済州島を再取材しましたが、証言を裏付ける話は得られませんでした。研究者への取材でも証言の核心部分についての矛盾がいくつも明らかになりました*9

     ◇

 注① 吉見義明・川田文子編「『従軍慰安婦』をめぐる30のウソと真実」(大月書店、1997年)

記事終了

  1. (百歩譲って)議論の分かれる「当時、朝鮮半島が植民地であったか」について当然のようにこう書く姿勢を疑う。朝日新聞社は「植民地の定義」を明確にしなければならない。
    歴史上の事実は「合邦」であり、大日本帝国憲法が朝鮮半島にも適用された。この形態は例えばドイツ帝国のパラオや、英国のインドの取り扱いとは一線を画しており、同様に「植民地」と呼ぶには論理的に無理があるとともに、当時の実態に対しての印象操作が疑われても仕方ない。
  2. 全ての記事(残り15件)も記事中で特定すべきである。特に「記事を取り消す」以上、特定は朝日新聞社の責任において為されなければならない。特定しないという態度は、他の記事については何時でも言い逃れできるようにしていると解釈されても仕方ない。「特定していない記事を取り消します」ということに意味があると理解するのは無理である。
  3. これは単なる一記者の感想であり、客観的であるべき本記事の本質から言って不要である。吉田氏を「口の上手い詐欺師」扱いする意図でもあるのか、つまり印象操作と勘繰られても仕方ない。
  4. 伝聞形であるが、主体が不明確である。 「東京社会部の記者(53)」が主体であることを担保する文章となっていない。
  5. 朝日新聞社への同様の非難は90年代からあり、安倍首相の発言はその一つに過ぎない点に触れていない。安倍首相に対する印象操作、及び10年以上にわたって虚偽報道を放置してきたことの隠蔽を疑われても仕方ない。
  6. 伝聞形であるが、このような点も取材、確認していないということか。主体も不明確である。
  7. 2項記載のように、取り消すとした記事のうちの15件を特定していない。従って、この「取り消し」自体が1件の記事を除いて実効性を伴っていないのは明らかである。
  8. 何が言いたいのか論理的に不明。単に言い訳なら、尚更詳細な訂正記事を掲載すべきである。
  9. 記事にすべきである。2及び8項を踏まえた記事とすれば、実効ある訂正記事とできる可能性がある。
全体・感想

  「当時、虚偽の証言を見抜けませんでした」と明言する以上、現在は嘘を見抜いていることになる。かつての虚偽報道内容と現在明確に嘘だと見抜いた事項について、きっちりとした説明をする責任が朝日新聞社にはある。新聞社であること、虚偽報道が新聞記事であったことを鑑みれば、引用可能な訂正記事とすることが筋である。つまり、口頭だけなどでは責任を問われよう。
 事実を語る人間を時にヘイトスピーカーに貶める口実を与えてきた主体が、特定もしていない記事の取り消しごときで加害者である立場から逃れられる筈もない。ヘイトスピーカーと貶められた人々の名誉回復のためにも、朝日新聞社が取り消し対象としている記事を特定した上で、個々の記事の内容について無用なレトリックを排し、曖昧さを残さないきっちりとした訂正記事を掲載すべきである。国益に関する点についてはここでは問わないが、訂正記事が出されれば論理的帰結として是正されるべき点は是正される。

2014/08/06 初版