金森たるものこんな表情を見せてはいかん、いかんなぁw。金森メッチャスキーな面倒くせぇ奴の戯言、今回もはっじま~るよ~。作品が面白いとかつまらないとかとは全く別の話を今回もつらつら。
今話ばかりは小さいことどころか大きいこともどうでも良いんだぜ、困ったもんだの残念回。やっつけ感満点で「それで何か上手いこと言ったつもり?」的なサムシングだ。言い訳がましく小ネタと辻褄合わせと説明不足な描写が時間方向に連続的に並べられているだけとしか思えない今話、何か言えることがあろうか・・・個人的には「あ、あの女性教師は教頭だったのか」ぐらい?
盛り込み過ぎだったのでは?と言われれば成程とも思わなくもないけれど、ならばこそ原作由来のエピソードの一部を切るなり捨てるなり、アニメ版オリジナルの部分についても遅くともシナリオ段階での整理が必要だったんじゃないか、とはならないか。
アニメ版では完全に切ってきていたと(捨てられていたと)思っていた百目鬼の「河童の声・・・」ネタとその周囲のエピソード、このタイミングでは最終話(!!)である次話の展開(≒ピンチ解決)の伏線ぐらいの機能を与えられてでもないとホントに存在意義が無い、時間の無駄でしかない(原作では百目鬼の実質登場エピソードとしての機能があるが、アニメ版ではその機能は当然必要ない)・・・河童そのものには前話まででも十分触れてるし、別に水中に飛び込まなくても風邪をひくことはある・・・万事、そんな感じなのが第11話。アトランティス連合ネタの仕込み?・・・とにかくセリフで説明、絵もとにかく見せただけってレベルでしょ、視聴者に対するネタのインプットとして十分に機能してるかな?百目鬼に関わるシーンをカットする「だけ」でも、3~4秒分はインプットを丁寧にできる。この時点で水崎に「河童の住む・・・かぁ」とか「アトランティス連合かぁ・・・ちょっと面白そう」とか金森の提案や浅草のアイディアの説明に対する反応として言わせておけば、後で生きる。
水崎「河童?ラフはもう人間で描いちゃってるよ」→浅草「小さな皿を描けば良い」の展開も、「敵の設定とストーリーの説明」の後ではなく、説明の早い段階で入れるべきだったと思う。少なくとも水崎の「え、追加?」より前に、だ。そうしておけば、視聴者にとって画面内の河童(敵)と人間の見た目の区別はより容易(皿の有無だけ見ていれば良い)となり、「敵の設定とストーリーの説明」の内容をより分かりやすく伝えられたのではないかと思わずにはいられない。いや真面目な話、「敵の設定とストーリーの説明」の冒頭で浅草が「河童と人間が戦い、・・・・するストーリーなんだ。」と全体像の説明から開始すればなんてことない、一種のプレゼンテーションとして見做せば、浅草の説明はまず内容のしゃべる順番から見直した方が良い。上記の水崎のツッコミと浅草の対応は、その直後に入れられるでしょ?そうして誰か不幸になるかしらん?ん~、先行する話で触れられており、原作でも「**UFO大戦争」の肝となる「音だ!百目鬼氏!」辺りの内容はもう扱いがノイズレベルで、果たして次話でまっとうに扱われるのかも怪しい感じ。
原作から持ってきたエピソード内のディテールも含めて必要な要素の幾つかが明らかに描かれず、必要なのかどうか分からない、少なくとも今話内だけでは何の機能もしていない(或いは、明らかに演出などが上手くなくないため機能させ損なっているようにしか見えない)要素が少なくない数、それなりの時間をかけて雑然と描かれる。が、今話の問題のふっとい根は、間違いなく演出やシナリオよりもさらに上流にある。もちろん、シナリオも酷い方だとしか思ってないけどさ。
本作では以前から気になってはいたのだが、「構成」や「監督」の仕事って何だ?
あと浅草の使う「マニ車」の例えなんだけど、マニ車が何か、どういう意味や宗教的機能を果たしているか、機械的構造や機能はどうなっているかを知ってる人ほど受け入れ難い(=この例えの所為で浅草の説明内容が逆に分からなくなる)のではないかと思う。まぁ、「(アニメ版の)浅草ってのはそういうことに不勉強なキャラなんですよ」ってことで意図的ならまだ良いんだけどさ、作り手もこの浅草と同レベルですよでは切ないわな。マニ車はチベット仏教系なので問題が起こることはないと思うけど、仏教系であっても民族対立・宗教対立を煽り、一般的にはテロ行為言える行動に出ている集団はある(ミャンマー国内969運動など)。作り手内には米国企業・クリエイターと一緒に仕事をしているスタッフもいるだろうに、そういう宗教絡みのネタを安易に使う(大抵において不正確か大きな誤りを含み、かつ原因は不勉強や怠惰にあるようにしか見えない)ことのリスクに気が回ってない感じは本当に情けなく見える。
で、ラストの水崎のセリフ「全然合ってない!」は、「曲がシーンに合ってない」の意味なのか「曲とキャラの動きが合ってない」の意味なのか、あのカットでの「水崎」の発言だけに解釈に困る。まぁ、「曲調と作品の画のつくりとが合ってない」といったざっくりとした意味で、水崎のセリフだからといって特に水崎のキャラ(作画へのこだわり)を反映した言葉選びはしてないんだろうなぁと、今話のシナリオに関してはねぇ・・・
今話ばかりは小さいことどころか大きいこともどうでも良いんだぜ、困ったもんだの残念回。やっつけ感満点で「それで何か上手いこと言ったつもり?」的なサムシングだ。言い訳がましく小ネタと辻褄合わせと説明不足な描写が時間方向に連続的に並べられているだけとしか思えない今話、何か言えることがあろうか・・・個人的には「あ、あの女性教師は教頭だったのか」ぐらい?
盛り込み過ぎだったのでは?と言われれば成程とも思わなくもないけれど、ならばこそ原作由来のエピソードの一部を切るなり捨てるなり、アニメ版オリジナルの部分についても遅くともシナリオ段階での整理が必要だったんじゃないか、とはならないか。
アニメ版では完全に切ってきていたと(捨てられていたと)思っていた百目鬼の「河童の声・・・」ネタとその周囲のエピソード、このタイミングでは最終話(!!)である次話の展開(≒ピンチ解決)の伏線ぐらいの機能を与えられてでもないとホントに存在意義が無い、時間の無駄でしかない(原作では百目鬼の実質登場エピソードとしての機能があるが、アニメ版ではその機能は当然必要ない)・・・河童そのものには前話まででも十分触れてるし、別に水中に飛び込まなくても風邪をひくことはある・・・万事、そんな感じなのが第11話。アトランティス連合ネタの仕込み?・・・とにかくセリフで説明、絵もとにかく見せただけってレベルでしょ、視聴者に対するネタのインプットとして十分に機能してるかな?百目鬼に関わるシーンをカットする「だけ」でも、3~4秒分はインプットを丁寧にできる。この時点で水崎に「河童の住む・・・かぁ」とか「アトランティス連合かぁ・・・ちょっと面白そう」とか金森の提案や浅草のアイディアの説明に対する反応として言わせておけば、後で生きる。
水崎「河童?ラフはもう人間で描いちゃってるよ」→浅草「小さな皿を描けば良い」の展開も、「敵の設定とストーリーの説明」の後ではなく、説明の早い段階で入れるべきだったと思う。少なくとも水崎の「え、追加?」より前に、だ。そうしておけば、視聴者にとって画面内の河童(敵)と人間の見た目の区別はより容易(皿の有無だけ見ていれば良い)となり、「敵の設定とストーリーの説明」の内容をより分かりやすく伝えられたのではないかと思わずにはいられない。いや真面目な話、「敵の設定とストーリーの説明」の冒頭で浅草が「河童と人間が戦い、・・・・するストーリーなんだ。」と全体像の説明から開始すればなんてことない、一種のプレゼンテーションとして見做せば、浅草の説明はまず内容のしゃべる順番から見直した方が良い。上記の水崎のツッコミと浅草の対応は、その直後に入れられるでしょ?そうして誰か不幸になるかしらん?ん~、先行する話で触れられており、原作でも「**UFO大戦争」の肝となる「音だ!百目鬼氏!」辺りの内容はもう扱いがノイズレベルで、果たして次話でまっとうに扱われるのかも怪しい感じ。
原作から持ってきたエピソード内のディテールも含めて必要な要素の幾つかが明らかに描かれず、必要なのかどうか分からない、少なくとも今話内だけでは何の機能もしていない(或いは、明らかに演出などが上手くなくないため機能させ損なっているようにしか見えない)要素が少なくない数、それなりの時間をかけて雑然と描かれる。が、今話の問題のふっとい根は、間違いなく演出やシナリオよりもさらに上流にある。もちろん、シナリオも酷い方だとしか思ってないけどさ。
本作では以前から気になってはいたのだが、「構成」や「監督」の仕事って何だ?
あと浅草の使う「マニ車」の例えなんだけど、マニ車が何か、どういう意味や宗教的機能を果たしているか、機械的構造や機能はどうなっているかを知ってる人ほど受け入れ難い(=この例えの所為で浅草の説明内容が逆に分からなくなる)のではないかと思う。まぁ、「(アニメ版の)浅草ってのはそういうことに不勉強なキャラなんですよ」ってことで意図的ならまだ良いんだけどさ、作り手もこの浅草と同レベルですよでは切ないわな。マニ車はチベット仏教系なので問題が起こることはないと思うけど、仏教系であっても民族対立・宗教対立を煽り、一般的にはテロ行為言える行動に出ている集団はある(ミャンマー国内969運動など)。作り手内には米国企業・クリエイターと一緒に仕事をしているスタッフもいるだろうに、そういう宗教絡みのネタを安易に使う(大抵において不正確か大きな誤りを含み、かつ原因は不勉強や怠惰にあるようにしか見えない)ことのリスクに気が回ってない感じは本当に情けなく見える。
で、ラストの水崎のセリフ「全然合ってない!」は、「曲がシーンに合ってない」の意味なのか「曲とキャラの動きが合ってない」の意味なのか、あのカットでの「水崎」の発言だけに解釈に困る。まぁ、「曲調と作品の画のつくりとが合ってない」といったざっくりとした意味で、水崎のセリフだからといって特に水崎のキャラ(作画へのこだわり)を反映した言葉選びはしてないんだろうなぁと、今話のシナリオに関してはねぇ・・・