2020/02/24

アニメ「映像研には手を出すな!」第8話を観る!

 原作からキャラがブレてない金森はやっぱり良いね。Канамолимєтцаский(仮)(カナモリメッチャスキー)の面倒くせぇ奴の戯言、今回もはっじま~るよ~。

 作品が面白いとかつまらないとかとは全く別の話を今回もつらつら。

 細かいことはまずは良いんだぜ。第8話でついに来た、ほぼ手放しで取りあえず言っておこう「アニメ化して良かった!」回。 半分以上はアニメ版で「足してきた」ロボ研メンバーの大活躍によるものだが、第7話と違い色気ある「アニメ」の作画も要所要所で効いている(「色気」については先行エントリ(長い、くどい)内の記述を参照くだされ)。

 段ボールを着て逃げる水崎を金森が誘導するシーンとか、ロボ研小野がジップラインを使って「飛ぶ」シーンとか、マンガでは表現しにくい、効果的な表現には手間がかかって勢いやスピード感が死に易そうなシーンが、TVアニメならではの手際でさらっと効果的に描かれている。良いね。いやマンガでもできるんだけど、クライマックスならともかく、途中で「さらっ」てのはやっぱり難しいと思うんですよ。

 作画に関しては上述のように色気があり、なんちゃって感が多少あってもそこは気にならない。キャラの表情の豊かさ、動画枚数に見合った演技のさせ方・見せ方はTVアニメのある意味真骨頂だ。理想的には「水崎の描いたアニメーション」との対比も出せることになる筈なのだが、そこは後述する視聴者に対する様々なフックなどのせいで、まぁ、良くも悪くもうやむやな感じになっている。ホント、良くも悪くも。

 作画の色気について多少具体的に触れておくと、まず運動途中の物体の移動を表す効果線やブレを模したギザギザの輪郭線の使用がある。例えば、本エントリ上端に示した金森がボードをさっと持ち上げるカット(1枚絵として見ると、「手はどうなっとんねん」とかツッコミどころはあるが)、映像研3人が「気合だー!」と文字通り気合を入れるシーンに先行する水崎が握りしめる手のアップのカットだ。高速で動いて(いるように見えて)ピタッと止まる、観ていて気持ちの良いメリハリある動きだ。まぁ、第7話の「ダンスも動きの・・・」辺りのシーンでとっても欲しかった要素と言える。

 次いで表情の豊かさ、変化はほぼ全てのキャラに及ぶ(百目鬼や1カット?しか登場しないソワンデなどは残念ながら除く)。敢えて1カ所取り出すならば、ラスト近く、水崎が両親と話をし、「さすが役者夫婦・・・」のセリフをしゃべるカット内での表情などの変化だ。定番の軽い驚きを表すような表情と(今度はゆっくりと)首が伸びるような作画(実際の人間では首を後ろに引いたり、姿勢を正したり後ろに反ったりに相当する動きか)に続き、下図のような原作には無いなんとも微妙な表情を見せる。良いね。第7話に欠けていた動きとは別の要素は、まさにこういうところなんだ。あ、ロボ研のロケット発射のカウントダウンのシーンでの、浅草と金森のカウント時の身の乗り出し具合の差や動きのタイミングの微妙な違いも良いね。そしてこういうシチュエーション下では勢いや熱を焚きつけることはあっても、それらを削ぐようなことは絶対しないのが実は熱い奴、金森なんだぜ。
 最後に目に付いた作り手側からのフック、小さな目くばせの類や、個人的な引っかかりをざっと流していこう。

 まず百目鬼は映像研所属ではないということで、今後も扱いはこれまで通りのぞんざいに見えるもののままなのだろう。話数などとの関係で百目鬼主体のエピソードは切らざるを得なかったのかも知れないが、第2シーズンは無いとしておかないと色々と禍根を残すことにはなる。セリフのある登場シーンはアバンタイトルの音声編集シーンだけだが、その後の食事シーンにはカップ麺が4つあるし、火の周りには誰も座っていないクーラーボックスが1個(その前に未開封カップ麺)あるので、いないことにされている訳ではない。まぁ、空いたクーラーボックスの横に入口があるテントで寝ているのかもしれない、原作では昼寝を(一度しか)したことがない百目鬼ではあるが。

 すっごく淡白な描き方なのだが、百目鬼の不在こそアニメ版の百目鬼の性格や行動を反映した描写なのだろう。ただこうも徹底的に映像研3人から百目鬼不在に関する言及が無いと、いよいよ不自然さの方が目立ってくる。アバンタイトルを見る限り、浅草が百目鬼に感じている距離感は、美術部メンバーに対するそれよりも明らかに近い。この辺をサポートするような描写はやっぱり欲しい。ちなみに百目鬼用と思しきカップ麺はカレー味、名はパーカーと英米っぽい。と言うことで、アニメ版では英国系1/4、インド系1/4辺りを想定しているのかねぇ。
 水崎の走りのフォームについては、第1話のカイリー号のシーンでの俯瞰で描かれたちょっと癖のあるフォームが記憶に残っている。第1話での腕はむしろ常に身体の外で開き気味で振られており、本話のそれ、特に段ボールを着ているときの前方で内側に閉じるような腕の振りとはかなり違う。ただ、後方に腕をほとんど引かない点は共通している。なお、第1話では使用人(メンインブラック)との絡みでも走るシーンがあった筈だが、そちらは特に記憶に残っていない(ので、おそらくありがちな走りの表現だったのではないか)。本話内での整合性には問題無いが、「あれが水崎の日常的な走り方ですよ」といきなり言われても、第1話から見てきた一視聴者としては「はい、そうですか」とは言いかねる。
(2020/3/4追記:第5話アバンタイトルでの水崎の走りのフォームも新たに見直すと確かに「癖がある」けど、う~ん、 第1話と本話のそれらの中間か第1話のそれ寄りかなぁ・・・駆け出した瞬間ってのもあるので、多少姿勢や腕の振りが変だったりしても視聴者はそのまま受け入れがちなんじゃばいかな。ちゃんと以前から描写してたのは確かなのだが・・・本話でのフォームの方が「極端な描写となっている」と見做すべきか・・・次話以降での描写次第ってことですかねぇ。)

 「じゃぁ水崎の箸の持ち方は?」と問われるとさすがに困る。第6話のラーメン屋のシーンでテーブルのメニュー表がラーメンを食べる水崎の口元を隠している点については先行するエントリでちゃかしつつ触れているが、「実は水崎の箸の持ち方を視聴者から隠していたんですよ」とかだったらどうしましょうかねぇ、いや伏線の観点からならむしろ見せるべきだったんじゃないかと(確認すると、別回のラーメン屋での静止画による食事カットで確かに見せているのだが、箸がクロスした状態で麺を挟んでいるので持ち方以前に変な絵なのよ)。っつーか、この時点で水崎だったら浅草や金森と箸の持ち方が違うことに気づいても良い様な、音曲浴場ザリガニもあったし学食にも3人で何回も行ってる訳だし・・・水崎家族も使用人達もこれまでの友人達や読モ関係者もどうなのよって考えると、ちょっと無理のある設定ではないですかねぇ。こういうのをご都合主義って言うんじゃないですかね、シリーズ全体の整合性は誰もみていないんですか!ちな、ラーメン屋では水崎はライトブルーのマイ箸持参だったかもです。

 これまで触れてこなかったけど、作画や演出には既存のTVアニメシリーズのDNAと言うか、雰囲気と言うかを感じることが極端に多いのが私にとっての本作の特徴だ。今話は「四畳半神話体系」を思い出しました。「監督いっしょやん」っちゃぁそうですけどね、非常にネガティブな意味で思い出した訳で、そこは言わない方が良いかと。

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