2020/03/05

アニメ「映像研には手を出すな!」第9話を観る!

 原作の「私はその昔、一軒の酒屋が消滅する現場を見た!」のセリフと表情に「金森の原点を見た!」と思った面倒くせぇ奴の戯言、今回もはっじま~るよ~。

 原作のこのセリフのコマでの金森は珍しく奥歯まで歯が一本一本描かれていて、「初めて見る表情(の描き方)だなぁ、なんか熱い!」と思っちゃった訳ですよ。改めて原作をざっとチェックしてみても、近い描写は「あんたがこのロボットに満足できないなら、『更に好き勝手描く』以外の選択肢はないんすよ!」のセリフ時とか、やっぱり「熱い!」じゃないですか。でも、アバンタイトルでの「新作を作りますよ!DVDを売りまくりましょう!貴様ら!」というセリフ中の「貴様ら!」はねぇなぁ、要らねぇなぁ・・・私の中の金森像とは完全にマッチしないんだな、これが。例えば「設定や物語を作らない浅草」や「絵を描かない水崎」に対してならともかくね、ここはドス利かせ気味で「お嬢さん方?」の方がまだ俺イメージ寄り。あ、ホワイトボードの微かな光の反射描写は良いね。

 で、作品が面白いとかつまらないとかとは全く別の話を今回もつらつら。

 今回はネガティブな引っかかりは小さなのが一点のみ。やっぱり百目鬼の扱いが雑ですよ。怪力線の発砲前後の音に関して(本ブログで言うところの)「遷移過程」中で百目鬼が独自の音を提示しつつ映像研3人の会話に割って入ってくるけど、唐突過ぎてちょっとしんどい。実は展開そのものは原作通りのなんだけど、原作では先行する話(第20話、水力の鐘みたいなもの(祭具)が登場)で「音の可視化表現」も含めて「遷移過程」中での百目鬼の描写が既にある。アニメ版ではこの先行するシーンが無いため、原作のままの展開では唐突感は出ざるを得ないんですよ。ちなみに、既に百目鬼もいるよ~ってことが分かるカットが先行して有れば、それだけで良かったんじゃないかなぁ。

 んで、浅草のセリフ「そして音だ!百目鬼氏!」から百目鬼の顔のアップの流れは原作では回の最後の3コマなので、アニメ版でも十分に「ばばーん!」となっても良い画作りになってます。このシーンもほぼ原作のままの展開、画作りなので、最終カット感のある百目鬼の顔アップのカットから次のカットへのつながりがイマイチ悪い感じ。百目鬼の顔アップカットでは、どうせなら「よし、やったろうじゃん」みたいな表情変化ぐらいもう付けてやんなよって思いました、正直。

 アニメで「足してきた」スポンサードがらみのシーンや関連する展開、UFOの目的などの金森や水崎の疑問の提示などはすっと受け入れて、とにかく先を期待。「芝浜UFO大戦争」がアニメ版の最終作品になるんだろうから、アニメ最終話に向けて色々仕掛けを「足す」のは必要でしょうね。原作の潜水艇から次元潜航艇への変更は成程&納得、螺旋商店街は裏表逆だろうと違和感バリバリだけど、確かにコレの扱いは難しいから事前の仕掛けは必要だよね。

 ただ、フルーツ担々麺屋の食事スペースから見える厨房の描写はちょっと悩ましいなぁ。何らかの伏線とかなら良いんだけど、単なる引用だったらツマらんな、と。プロによるプロの作品の引用っつーのが心底大嫌いなのでなんとも。作品内で機能していれば無問題なんだけど、「ピュアな引用」、「引用でしかないもの」は大嫌いなんですよ。自分の中で幾つか保留にはしているんだけど、本アニメシリーズでは「引用でしかないもの」っぽいカットや描写が個人的な感触として目立ち気味、少なくとも「引用される側が引用なんてしない」ことには意味があるように見えるんですがねぇ。「リスペクト」って言えば言葉の響きは良いですが、本来それは相互的なものであるべきで、一方的でかつ作品中で機能していない引用はセンスも意味も無いパクリに過ぎないとしか思えないんですね。プロがファンフィルム作っちゃいかんでしょ、それ誰得なんですか派なんですよ。

  あと、アニメ版では学校が面してるのは「芝浜湖」じゃなくて海なのかな?

 ちび森氏のシーンは期待以上の出来、大事にして欲しかったシーンなのでとっても嬉しい。冒頭に原作には無い追加設定の説明があったり、一部の客の見た目を原作から変えてきたりとかあったけど、これらは完全にプラス。原作通りの展開をあの絵のスタイル(「遷移過程」のアニメ版での描写スタイル)できっちりやりきっちゃた上で、アニメ版の武器とも言える「間のコントロール」によって雑貨店の運命を知って呆然とするちび森氏の心情が痛いまでに伝わってきてね、いや、切ない、切ないなぁ。

 作画の凸凹については、今回は「いかにもTVアニメだよね」な動かし方(悪口ではないよ)の多用や、原作の絵に作画を寄せて来た感じがひときわ強い。前者の端的な例としては、浅草が「百・・・八十万円!」と絶句するカットが挙げられようか。見開いた目の位置や大きさはほぼ不動で、それら以外の要素のみ明確に動かすという手慣れた感じの処理で見せる。小さな黒目の大きさもピクピクと変わるなど手は入っていて、手抜き感などは感じないよ。ここでの「手慣れた」は「見慣れた」の裏返しでもあって、視聴者には優しい、理解しやすいってことでもある。

 あと一見して「どのようになってんだ?」「あ、やっちゃうんだ!(褒」と思ったのが、最終カット前の浅草のトランスフォーム。マンガなら大抵コマとコマの間のものとして直接描かれることは無く、アニメでもコマ割りに対応したカット割りを使いそう・・・ん、原作に直接対応するシーンはあったかな?

 頭身の変化だけざっと追っかけると下のような感じになるけど、当然間にある絵の中には微妙なものもあるように見える。動画データが手元にあったら(ご存知の通り入手方法が無い訳ではないんだけどさ)、一度はフレーム単位で絵をチェックしてみたいね。今回使用した絵は、YouTubeに個人が上げた2分ぐらいの動画からのキャプチャしたもの、思い通りのところでは止められんよ。

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