エントリタイトル通りです。この中央日報のコラムは凄い。
ナチスドイツの恐ろしさは「合法的手続き」を積み重ねてどこかで一線を越えたところ。ヒトラーも政権掌握までは完全に合法的なプロセスを踏んでいる。このプロセスは特に「Machtergreifung(マハトエアグライフング」と呼ばれる。例えば、クノップ著, ヒトラー権力掌握の二〇ヵ月(中央公論新社 2010/04)を読めば良く分かる。だから、ヴィシー政権が傀儡政権だったいうのはまず間違いないとしても、コラム内に明確に書いてあるように「合法政府」であったのも事実であるから「ヴィシー傀儡政権」とさらっと「傀儡」を付けてしまうのは印象操作でしかない。
ナチスドイツの恐ろしさは「合法的手続き」を積み重ねてどこかで一線を越えたところ。ヒトラーも政権掌握までは完全に合法的なプロセスを踏んでいる。このプロセスは特に「Machtergreifung(マハトエアグライフング」と呼ばれる。例えば、クノップ著, ヒトラー権力掌握の二〇ヵ月(中央公論新社 2010/04)を読めば良く分かる。だから、ヴィシー政権が傀儡政権だったいうのはまず間違いないとしても、コラム内に明確に書いてあるように「合法政府」であったのも事実であるから「ヴィシー傀儡政権」とさらっと「傀儡」を付けてしまうのは印象操作でしかない。
ド・ゴール氏のパリ入場までの経緯に関する記載内容も印象操作がある。ノルマンディ上陸作戦には直接の参加はしていないにしても、自由フランス軍は上陸作戦成功後に連合軍とともにフランスで戦い、煩がられながらもド・ゴール氏は「解放者(の演出)としてのパリ入城一番のり」の意向を連合軍にほぼ認めさせている。つまり、ノルマンディ上陸作戦成功後~パリ入城までのファクトを無視することで、フランスの有様を中傷しているようにしか思えない。それとも歴史を知らないのだろうか。
ドイツは「悪いことは全てナチスの手によるものです」と悪役を仕立て、連合国側もそれを「受け入れた」というのが常識的な歴史認識だ。日本では「軍部」が悪役とされたが、そもそも「軍部」の指す先が不明確だ。「陸軍の一部」を指すとの説明もあるが、これは海軍や官僚に都合が良すぎる時点で怪しい。ま、これまで学んだ歴史からは実際に「悪役たる軍部」なんてなかったとしか判断できないが。
「軍部のせいにする」ことは実のところ日本生まれの歴史観だ。が、それ故か、某国はドイツの説明は受け入れて、日本の説明は受け入れない。真面目な話、「軍部のせい+所謂自虐史観」を日本が公式に受け入れると、「日帝がどうのこうの」とは某国は言えなくなる。「軍部のせい」だからだ。まぁこの期に及んでは、どうせ都合のいい点だけを都合良く語るという姿勢は変わらないだろう。もちろん、自国についても同じ姿勢しかとらないだろう。
被害者、加害者の下りはさっぱり意味不明だ。文化的差異を踏まえてもさっぱり分からない。また他国を責めるならば、「自国はどうか」という点にも触れるのが公平というものだ。つまり、公正性を欠いている。
要は「結論ありき」で書き始めたものの、その「結論には実態が伴わない」が故に論理構築ができなかったということだろう。論理がおかしいのではない、論理がないのだ。
ただし、確信犯的に「自国民に向けて自国の有様について苦言を述べている、それも凄く婉曲的に」という可能性も否定はしない。だって書いたのは「大学教授」なんだぜ。