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2014/10/02

揺れる、香港

 「例え戦勝国であっても、敗戦国の憲法をいじってはならない」、これは国際法が至ったひとつの帰結である。「戦争でなければこの考えは適用されない」という意見は正しいが、「政体の実質的変更は憲法改定に等しく、それらは当事者により為されなければならない」という一種の理想、は戦時平時を問わず共通の価値観であろう。

 エントリタイトルは月並みだが、現在の香港での動きは現行の中共指導部の姿勢が明確になった時点でいつかは起こらざるを得なかったものであり、まずはそうとしか表現できなかったということでご理解頂きたい。

 最近起きた台湾立法院(国会に相当)占拠も中心的主体は大学生を中心とした若者であったが、香港での現在の動きの最初の主体も高校生を筆頭とする若者だという。

 香港で「真の自由選挙」を求める活動集団としては「オキュパイ・セントラル」があるが、やや急進的である故か、また中共によるガス抜き工作を疑う向きもある故か、一般香港市民の支持は半数にも及ばないという。今回の動きは、中共の方針とのみならず「オキュパイ・セントラル」へのアンチテーゼとしての側面も持つように見える。

 御嶽山の不幸な災害があったためか日本国内の本件に関する報道は皆無に近く、勢い情報を海外のニュースサイトなどに頼らざるを得ないのはなんとももどかしい。学生を中心に発生した運動が市民の支持を得ているのか、その辺りがまだ良く見えない現時点では今後の予測は難しい。運動そのものだけ見ていると、事の本質を見誤りかねない。「民主化」の美名の下で行われた非人道的行為は多いが、それはデモ実施側も同じだ。

 私の「もっと情報を!」の思いはまだ満たされない。

2014/08/11

イントレランス

 イントレランス【intolerance】とは、
  1. 許せないこと、耐えられないこと
  2. (宗教上の)不寛容
という意味である。

 冷戦時代は少なくとも表面的にはイデオロギーの対立の時代だったと言えよう。

 この時代のイデオロギー対立は完全な対立関係、つまり両立しないものとして良くも悪くも極めて単純化された形で取り扱われた。だから勝敗が争われた、互いに自分がラストマン・スタンディング(最後の生き残り)たらんと科学技術、経済、軍事などあらゆる手段で覇を競い合った。今から見れば、極めて理解し易い世界情勢が形作られていたと言える。

 イデオロギー対立の下では、それ以外の事案は大抵許容された。どちらかの陣営に属するか旗色をはっきりさせれば、独裁だろうがなんだろうが大国はそれを許容し、支援すらした。敢えて誤解を恐れず言えば、冷戦時代は意外にも「寛容(トレランス)」が至るところで見られた時代だったのかもしれない。もちろん、ここで「寛容である事」自体の良し悪しは問わない。「寛容」が極めて恣意的、選択的であったことは紛れもない事実である。

 対して、現在は「不寛容(イントレランス)」の時代という思いが最近強くなってきた。例えば、宗教対立や民族対立には相手に対する「不寛容」の存在が透けて見えることが多い。先鋭化した原理主義も他の価値観に対する「不寛容」さを伴う。隣国と日本との関係もそう、互いの「不寛容」さの衝突のように見える。

 時代のキーワードは「寛容(トレランス)」から「不寛容(イントレランス)」へ。 情報化の発達は相互理解の促進だけでなく、互いに相譲れない価値観の相違もあぶり出した。国家や民族集団などの内への顔、外への顔が同じ重みで不特定多数に伝わるようになった。これはまぎれもなく大きな変化である。

2014/07/24

ウクライナ情勢、EUの足並みの乱れ

 ウクライナ、ロシアに対するEU(欧州連合)の足並みの乱れがTVなどで報道されている。足並みの乱れの原因のひとつはフランスの対ロシア姿勢で、ロシアから受注した強襲揚陸艦の輸出を控えていることが大きいとのことだ。強襲揚陸艦の件は知っていたのでここまでは完全に予想通りの展開で、特に新しい事項ではない。この辺りは実利を押し出して憚らない如何にもフランスっぽい姿勢と言えよう。

 個人的に興味があるのは実はドイツの姿勢なのだが、そのあたりの情報はまだ入手できていない。なぜドイツを気にするかというと、概して紛争地域の宗教、宗派によって態度がまるっきり違うからだ。ウクライナはキリスト教でも東方正教会が強いが、ドイツはローマ・カトリックが強い。宗教的観点からは、おそらくドイツはこの紛争に「興味が無い」。しかし、過去エントリでも触れているように、ドイツの発電源にロシア発、ウクライナ経由の天然ガスの占める割合は依然として高い。従って、ドイツはロシアを気遣って余り目立たないように振る舞っている可能性が高いと見ている。

 かつてのボスニア・ヘルチェゴビナ紛争にはNATO(北大西洋条約機構)が介入したが、この紛争はイスラム教、ローマ・カトリック及び正教会の対立という側面も持っている。この点も踏まえれば、NATO介入の意味合いも違って見えてこよう。NATOとして結束して事にあたっていても、参加国の思惑や背景にある動機は異なっていて当たり前だ。そこには「人道上の理由」などのナイーブかつ曖昧な要素は、良い意味でイギリスなどを除けば、意外に含まれていないように見える。

 経済規模及び産業構造、軍事、人口比/民族比及び規模、宗教、地政学的地理などなど、諸々のファクターを踏まえないと紛争に関して迂闊なことは口にできない、してはいけない。本日の某報道番組内での古○氏のコメントは以前にも増して最悪、何も知らないことを良い事に薄っぺらい言葉を並べるだけで、リアリティ(適切な現状認識)が全く感じられない。

 これはあくまで私見だが、イギリスの有様から冷徹で時に場当たり的なリアリズムを差し引くと、一見ナイーブかつ能天気なお花畑状態が現れる。中東諸国の国境線、現在のパレスチナ問題の原因、一度は示したナチスドイツへの融和的な態度など例には困らない。古○氏の有様はリアリティを伴わないが故に本質的に満開のお花畑、一見したイギリスの有様のようだ。紛争の原因を作ることはあっても、紛争解決には全く役に立たない。本来持ち得る力を言葉に付与する資格も力も全く感じられない。言葉を殺し、全てを他人事として語るだけだ。イギリスやアメリカが時に「良心的」に振る舞えるのは、リアリティに裏付けられた損得勘定ができるが故である。

 古○氏の2時間のしゃべりよりも、1秒にも満たないイギリスのイエス/ノー、ドイツのヤー/ナイン、ロシアのダー/ニエットの方が含む内容が遥かに大きいことは明らかだ・・・と書いてしまったところでイギリス、ドイツ、ロシアに心からの謝罪の言葉を贈ります。

 「あんなのと較べて御免なさい」

2014/07/21

イスラエル対ハマス、そしてガザ住民に関する報道を観ていて思うこと

 某報道番組、画面の中の男がもっともらしい事を語っている。が、その内容は薄っぺらく、内容もリアリティ(適切な現状認識)に欠ける。国連に言及する部分と固有名詞を置き換えれば、20年前でも同じことを言えただろうことを保証する。報道と言いながらしょせんその程度のレベルなのだ、楽な商売だと思う。自分が知らないことは他人も知らないかのような薄っぺらい報道内容は、笑うに笑えない低レベル具合だ。イデオロギーに基づく情報の偏向すら正せないのではなく、それにすら気づいていないと思わずにはいられない。

 「反米と米国大統領の行動力の無さへの非難」が両立できるのは朝鮮半島南部の住人だけだと思っていたが、某テレビ局のコメンテーターの中でも両立しているらしい。愚劣、魯鈍なまでの論理性とリアリティの欠如、「考えてる振りをやめろ、知ってる振りやめろ」、と声を大にして言いたい。 せめて、冷戦後のリアリティ、ポスト・パクス・アメリカーナ(ポスト・アメリカ支配による平和)の時代に早く辿りついて欲しい。湾岸戦争後、たかだか20年の遅れなのだが。マスコミはどうしてそんなに中共指導部の時代遅れ具合に歩調を合わせたいのか、と意地悪なことも書きたくなる。

 中共指導部はまるで40年前と2500年前を同時に生きているようで、微笑ましくも極めて迷惑だ。ある米国の軍事アナリストははっきり書いている、曰く「中共のとる孫子の兵法は欧米には通じない、中共はムスリムも仏教徒も理解していない」。今の中共指導部の動きを「孫子」を引いて解釈できるだけの人間が、現在の日本の報道機関にどのくらいいるのだろうか。和訳版なら私は「易経」と同時に中学生時代に読んでるぞ。

 現在の内閣総理大臣は冷戦後のリアリティを理解しているように見える。彼や政権の動きに対する報道がいびつになりがちなのは、明らかに報道側が戦後秩序の枠組みから一歩も踏み出せていないことが大きいように見える。時代は「口を開けて待っている人間の口に平気で石を詰め込む」ものに既になっている。プレイヤーにならなければ他者に蹂躙されて終る。

 挙句の果ては、まるで飲み屋でおっさんが若い女性相手に得意げに浅い知識をひけらかすみたいなシーンまで電波に乗せる始末。そんなこと、天体や宇宙に興味があれば小学生だって知っている。

 ネットの時代、リテラシーのある人間は自分の興味のある分野については詳しい。ソースをきっきっちりと抑えることさえ怠らなければ、私の子供時代ならばもう十分に専門家レベルになれる。近代史に関しては外交資料などが電子的に公開され、面白くてしょうがない。ただし、ネットだけでは絶対勝てない種類の人間も存在する。それは、現地に入り、実態を目にした経験のある人間だ。価値有る報道とは、本来そういう人間によるものだろう。百歩譲っても、コピぺと引用が違うことぐらいはいい加減本質的に理解して欲しい。

 ネット上の情報と新聞やテレビの報道内容と照らし合わせば、後者が如何に洗浄されたものかが良く分かる。それは単に無知の反映であったり、どう考えても意図的な偏向もある。そして昨今良く言われるようになってきた「報道しない自由」という公共の電波を介した一種の暴力行為の存在にも気付く。

 不覚にも、Wikipediaにはかつて期待を持った。だが実態は技術分野でも誤りが多い。FM音声合成とかまだ間違ったままじゃないだろうか。こと近代史においては、完全にプロパンダの戦場である。こういう側面に触れた報道は観たことが無い。自らもプロパガンダの主体なのか、それともプロパガンダに踊らされているのか。単に無知故にプロパガンダか否かの判断もできないのか。もし三つ目ならば、もはや公共の電波を使う資格はない。

2014/07/16

自衛隊、フランス革命記念日の軍事パレード参加のニュースでちょっと思ったこと

 本日も止めどなく。

 7/14にパリで開催されたフランス革命記念日の軍事パレードに、陸上自衛隊が初めて参加した。これはフランスに招きによる。日本(当時は大日本帝国)が第一世界大戦で日英同盟に基づいて連合国の一員であったことが理由だそうだが、この種の歴史的事実は国内では十分に周知されているとは言えない。私見だが、歴史的事実を取捨選択した時点で、「歴史観」は「自由に対する絶対悪」である。

 まず、「集団的自衛権の行使容認」が「他国の戦争に巻き込まれる可能性を高める可能性」について。上記の第一次世界大戦の件を踏まえると、確かにその可能性は否定できない。しかし、それは「集団的自衛権の行使容認」とはいったん切り離すのが論理的な姿勢というものだ。むしろ考えなければならないのは、「同盟の有効性」或いは「同盟のメリット・デメリット」である。

 第一次世界大戦というのは発端に関しては不思議な「大」戦争で、 民族主義者によるテロに端を発する。つまり、元々国対国の話ではないのだ。が、「テロ実行勢力が存在する国」に対して「国が宣戦布告して」以降、複雑な同盟のネットワークによって論理的帰結としてドミノ倒しの如く自動的に列強各国は2大勢力に分割されることになった。そして、極東の島国も同盟に基づいて参戦することになったのだ。

 第一次世界大戦前の同盟はいわば平時の同盟、特定の国家群が特定の国家を封じ込めるべく構成されたものである。後で出てくるからもう書いちゃうけど、封じ込めの対象国のひとつはドイツ(当時はドイツ帝国)である。 ドイツは露仏同盟で東西を挟まれていたため、ロシア或いはフランスが戦争準備を始めた時点で軍事行動を開始することを事前に決定していた。その状態で、ロシア(当時はロシア帝国)が参戦した。ドイツは当初の計画通りにベルギー経由でのフランス攻撃を開始、ベルギーと同盟関係にあった英国が参戦、で日本も参戦という具合である。

 同盟というのは戦争勃発の抑止力ともなるが、同時に戦争勃発後は強制力を持つ。だから、「同盟が他国の戦争に巻き込まれる原因となり得る」という言説は正しい。「集団的自衛権の行使容認」と「他国の戦争に巻き込まれる可能性を高める可能性」とが繋がるためには、例えば「同盟」といった別の因子が挟まる必要があると考えるのが妥当だ。

 「論理の飛躍」と「思考停止」は端から見ている限りはほとんど区別できない。が、それ故に相容れない意見の衝突にあたっては、論理的な対話が必要だ。むろん「話せば分かる」なんて言いたい訳じゃない。○○、××、嘘つき、ナルシスト、STAPな人などを選別せよ、ということだ。

 強国を間に挟んだ同盟は危険、これが私の認識だ。結局、軍事的な同盟はNATO(北大西洋条約機構)やかつてのワルシャワ条約機構といった多国間、地域的同盟に移行した。本来は国連がそのような機能を持つことが期待されるのだが、常任理事国の構成や事務総長の無能ぶりから全く期待できない。

  次いで、ドイツ。私の把握している限り、現在のドイツにあっても反日の素地がある半面、親日要因はほとんどない。むしろ、ドイツは歴史的には反日国だろう。近代に限っても、第一次世界大戦で戦火を交えている。第二次世界大戦だって「アーリア人種とは無関係」な日本人なんかナチスから見ればどうでも良い存在だったろう。挙句の果てにはロシア、満州経由の欧州から米国へのユダヤ人脱出を日本は軍、国を挙げて支援している。中道はともかく、右派、左派ともに反日か、親中親朝鮮(結果として反日)だ。

 第一次世界大戦参戦後、日本は東南アジア地域のドイツ領を引き継ぐという密約を他連合国から得た。密約の見返りとしてか、海軍は輸送船団護衛に艦隊を地中海に派遣、潜水艦との戦闘などで戦死者も出している。このとき、海軍は東南シナ海、太平洋南部、インド洋、地中海と非常に広範囲に展開している。一方、陸軍の欧州派兵は「国益に直接関与しない外征に参加させることはできない」と最後まで拒絶した。

 「国益」という言葉は、「国体」と並んで戦後しばらく忘れられていた言葉である。言語に頼らない純粋な非言語による思考、それが可能かを疑う人は新しい哲学用語が次々と現れることの意味を考えて欲しい、は実は結構難しい。これは「非言語による思考ができないのは駄目」と言いたいのではなく、「思考内容が言語によって制限されることがある」と言いたいに過ぎない。つまり「国益」という言葉と、その言葉が指す概念が忘れらた状態では、「国益」に対応する概念の「言語化」に無駄なエネルギーを注ぐことが不可避となる、ということだ。時間が有限な中で、それは極めて効率が悪い。

 おそらく現在の「国益」の大まかなコンセンサスは、「国民の生命、財産を守り、国体を維持する」だろう。前者についてはほとんど異論はないだろうが、後者については色んな考え方があって良い。現在の日本において、思想、信条、さらに心情の自由とその発露は基本的に許されている。

 「集団的自衛権の行使容認」は確かに戦後日本の政治的、軍事的転換点と言えると思う。が、真に実効的(practical)な部分は、それに続く「国益」乃至は「それに対応するもの」と「同盟の意味」を考え、言語化して定義し、実行することにあると思うのだ。

2014/07/13

ドイツのチャレンジは続く

 ウォール・ストリート・ジャーナルの記事、「ドイツ、再生可能エネルギー新法が成立」。

 以前のエントリで触れたことがあるけど、ドイツは再生可能エネルギーの導入促進、脱原発、炭酸ガス排出低減といった政策の結果、電気料金が高い。これに対して企業は自家発電設備の導入が進んだ。高い電気料金の下では工業製品の価格競争力が維持できないからだ。 本当は上手くないのだが、短い記事なので全文引用しよう。

【ベルリン】再生可能エネルギーをめぐるドイツの野心的な法案が11日、連邦参議院(上院)を通過した。ドイツはこれにより、原子力発電や化石燃料を使った火力発電の減少による影響の緩和を目指す。

連邦参議院は数カ月にわたる激しい議論を経て法案を可決した。予定通り8月1日に施行される見通しだ。

欧州委員会は当初、ドイツ政府の目指す改革に反対の立場を表明していた。だが9日にこの件で調査を終え、ドイツ政府が一部の修正に応じたことも考慮して異議を撤回した。

新たな制度の下、再生可能エネルギーへの補助金は引き下げられる。一方でより幅広い企業に賦課金の負担を求め、補助金の資金源を補強する。これまではエネルギー集約型産業や自ら発電して消費電力を賄う企業が賦課金の支払いを免れていた。

欧州委員会の意向を受けたドイツ政府は今週、再生可能エネルギーを輸入する外国企業に、国内で発電する事業者と同じ条件を適用することを決めた。

今後は自家発電する企業が賦課金の支払いを通じ、再生可能エネルギー支援基金に貢献することになる。また欧州委員会が2013年から14年にかけての補助金が不公平だったと指摘したことを踏まえ、350社がいったんは受け取った総額3000万ユーロ(約41億円)を基金へ払い戻す。

 記事のトーンはポジティブだが、ドイツ国内に製造基盤を持つ企業にとってこの法律は後出しじゃんけん以外の何物でもないだろう。企業の自家発電設備所有はいわば従来の法の抜け穴を利用した価格競争力維持の努力であった訳だが、新法によってその努力は基本的に無効となる公算が高い。再生可能エネルギーの価格も上がり、一般家庭向け電気料金も上がることはあっても下がることはない。で、これらは明確な政府による市場介入だ。

 政府による市場介入自体は否定しない。が、本法は企業にとっては二重、三重に悪夢だ。

 まず、先に触れたように自家発電設備への投資が100%ではないものの無駄になること、次いで本法の成立で「将来政策の不可実性の高さ」がリスクとして明確になったことである。後者は実はマインドとして重要で、「無駄になるかも、政策変更でご破算にされるかも」という可能性がある、「不安」があると、企業としては投資を躊躇せざるを得なくなる。この種のリスクを低減、或いは払拭する一つの方法は、生産拠点をドイツ国外に移すことである。企業人に対しては置いておくとしても、純然たる企業活動に利益より倫理を求めることはフェア(公正)ではない。

 何度でも繰り返すが、ドイツの現在のエネルギー政策は完全に無理筋、常識的には上手くいくはずがないものである。それ故に私はそれを「チャレンジ」と呼ぶ。その思いは以前として変わらず、報道された新法の内容はその思いを更に強くさせる。

2014/03/26

アジアワッチ

 もともと政治的な話はしないつもりで始めた本ブログだが、やっぱりそうもいかないご時世のようだ。やはり触れずには済ませられない遺憾な事が余りに多い。ま、おそらくシリーズ化すると思われマス。
  • 台湾立法院(日本の国会に相当)を学生達が占拠、警察により強制排除
    原因は、中共との経済・貿易協定。ちょっとでも想像力が有れば、協定が中共にとって一方的に有利な内容であり、一種のトロイの木馬であることはすぐ分かる。中共からは投資だけじゃなくて人も来る。台湾を実質的に自国の一地域化する中共の意図が見え過ぎていて怖い。
    台湾の国民の大部分は、先祖代々の現地民(内省人)達と大陸から中華民国政府とともに渡ってきた移住者(外省人)達から構成されており、両者の対中共姿勢の大きな違いは台湾立法院で乱闘騒ぎが絶えない理由のひとつとなっている。当然ながら、現在の台湾が日本領だった時代には、中華民国政府はまだ大陸にあった。台湾は親日国とされるが、これは内省人を中心としたものと考えて良いだろう。中華民国はかつて大陸で日本帝国軍と戦っていた訳だからね。
    台湾が何処へ行こうとしているのか、暫くは目を離せない。

  • 韓国、ロシアから経済制裁?!
    こんなことができるなんて、やはり韓国だ。悪い意味で「奇跡の存在」と容赦なく無慈悲に呼ばせてもらおう。やろうと思っても普通できない、底抜け具合が半端無い。
    口は災いの元。クリミア半島情勢に関して対ロシア経済制裁の可能性を韓国政府が公式に述べたところ、ロシア側から経済協力協議などを一方的にキャンセルされたそうだ。
    また爆撃機が来るかもよ。

  • 安重根義士?!
    中共と韓国がノリノリだが、彼らの主張内容は学術的検証には全く耐えられない。当時から彼はテロリストでしかない。
    安重根氏の思想は、支離滅裂ではあるが「西洋列強に伍するためには日朝中による汎アジア連合が必要」とするものであり、反日ではない。そもそも伊藤博文氏の暗殺の理由の一つは、伊藤氏を「日本皇室に仇為す君側の奸」と見做した”事実無根の勘違い”にあり、彼が日本皇室に汎アジア連合形成の求心力となることを期待していた節もあるのだ。
    実は「理想に燃える青年を嘘で煽ったコミンテルンの陰謀」とか?
    共産主義なんてもはやお題目に過ぎない実利優先のリアリスト中共…のはずだったのだが、なにこのリアリティの欠如は!
 あっ!中共は今そんなに何かヤバいってことですか!?

2014/01/12

米国の「失望」、キャンペーンが始まってるかも

 本エントリの内容はあくまで主観ですので為念。

 首相の靖国神社参拝に対して米国が「失望」と表明した。以前のエントリで、「米国は怖い」、「キャンペーンが始まったら終わり」と書いたけど、どうもキャンペーンは始まっているみたいな雰囲気が濃厚。年が明けて米国は韓国への戦車部隊派遣も決めたようだが、それも何時までかは不透明ですな。

 あ、勘違いしている人がいるかも知れないので為念、キャンペーンの対象は韓国であって日本じゃない。

 キャンペーンかな?と思われる報道は幾つもあるんだけど代表的なものを二つだけ。

  • 新華経済 2013/12/4  ”韓国が戦闘機製造で「米国依存」から脱却か、米専門家は「韓国も大国製造と同等の戦闘機作れる」”
     米ハドソン研究所のリチャード・ワイツ政治軍事分析センター主任が「韓国は資金と資源を結合させれば、米国やロシア、中国製の性能に近い第5世代戦闘機を製造することができる」との見方を示している。
    http://www.xinhua.jp/socioeconomy/photonews/367642/

  • 中央日報 2014/1/10 ”アベノミクスは確実、米国・欧州より日本の株に投資を”
     「米国・欧州より日本の株がいい」。9日に韓国を訪れたベアリング資産運用のスコルフィールド・グローバル株式部門代表の言葉だ。…「円安のため輸出が減るという懸念があるが、サムスンやLGなどの韓国企業の技術力はすでに日本のライバル企業が追いつきにくいレベルだ。現代・起亜車も善戦している。韓国はグローバル景気回復の最大恩恵国になるだろう」
    http://japanese.joins.com/article/426/180426.html
怖いっ、怖すぎる。

2014/01/11

「用日」の気持ち悪さと「もしかするといつか来た道」

 中央日報の記事「【社説】政府、「用日」の世論に耳を傾けるべき(http://japanese.joins.com/article/359/180359.html)」の気持ち悪さが半端じゃない。記事中の「国民の相当数が、『用日』の観点で対日関係改善を望んでいると見られる。」という表現には倫理的な観点からも含めて嫌悪感しか感じない。

 「用日」、つまり日本を利用してやろうということである。この嫌悪感は何処から来るのか。

 「国益」という言葉があることから分かる通り、国家間においても損得を踏まえた付き合いは当たり前だ。が、「用日」という言葉には「自分の都合で相手を一方的に利用する」というニュアンスしか読み取れない。

 もし「自分の都合で相手を一方的に利用する」つもりだとしても、それを口にしては元も子もない。本当に「韓国の都合で日本を一方的に利用する」つもりならば、「用日」という言葉を使った時点で終わりである。このような言葉を使うことが引き起こす結果に対する「想像力の無さ」は異常としか解釈できない。

 もし「韓国の都合で日本を一方的に利用する」のが当たり前と「本気で考えている」ならば、その有様は異常なまでに他者への礼を失しているとしか思えない。

 何れにしても、大部分の日本人の感覚からはお近づきになりたくない相手の条件を十分に満たしているだろう。良くて馬鹿か異常のどちらか、悪くすれば両方である。「反日」と「用日」が両立できるなぞ、ファンタジーをも超えて例えるべき言葉も見つからない。有権者としては、間違ってもこれらを両立させちゃうような政権を選んじゃいけないと心から思う。

 歴史を振り返るに、敵対する宮廷内勢力それぞれが、自勢力の強化のために他国を利用するのは李氏朝鮮のお家芸のようである。李氏朝鮮宮廷内の勢力争いに伴う「他国の利用」は、日清戦争、日露戦争ともに重要な原因となっている。

 日清戦争の講和条約である下関条約の第1条は下記の通りである。
清國ハ朝鮮國ノ完全無●{缶へんに欠/ケツ}ナル獨立自主ノ國タルコトヲ確認ス因テ右獨立自主ヲ損害スヘキ朝鮮國ヨリ清國ニ對スル貢獻典禮等ハ將來全ク之ヲ廢止スヘシ
(http://www.ioc.u-tokyo.ac.jp/~worldjpn/documents/texts/pw/18950417.T1J.html)
清国は、朝鮮国が完全無欠なる独立自主の国であることを確認し、独立自主を損害するような朝鮮国から清国に対する貢・献上・典礼等は永遠に廃止する(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8B%E9%96%A2%E6%9D%A1%E7%B4%84))
この条文は、一般的に「朝鮮半島の王朝を清国の『属国』状態から解放するもの」と理解されるが、李氏朝鮮に「用清を止めよ」と言っているに等しい。日清戦争により「清国は眠れる獅子ではない」ことがいよいよ明らかとなり、清国は朝鮮半島における影響力を失っていく。だが、三国干渉を経てロシア帝国の朝鮮半島への影響力が高まることとなり、李氏朝鮮宮廷内の特定の勢力が「用日」から「用露」を進めるに及んで、日露戦争へ至る。日露戦争の講和条約であるポーツマス条約の第2条は下記の通りである。
露西亞帝國政府ハ日本國カ韓國ニ於テ政事上、軍事上及經濟上ノ卓絶ナル利益ヲ有スルコトヲ承認シ日本帝國政府カ韓國ニ於テ必要ト認ムル指導、保護及監理ノ措置ヲ執ルニ方リ之ヲ阻礙シ又ハ之ニ干渉セザルコトヲ約ス

韓國ニ於ケル露西亞國臣民ハ他ノ外國ノ臣民又ハ人民ト全然同樣ニ待遇セラルヘク之ヲ換言スレハ最惠國ノ臣民又ハ人民ト同一ノ地位ニ置カルヘキモノト知ルヘシ

兩締約國ハ一切誤解ノ原因ヲ避ケムカ爲露韓間ノ國境ニ於テ露西亞國又ハ韓國ノ領土ノ安全ヲ侵迫スル事アルヘキ何等ノ軍事上措置ヲ執ラサルコトニ同意ス
(http://www.ioc.u-tokyo.ac.jp/~worldjpn/documents/texts/pw/19050905.T1J.html)
第1条が「日本國皇帝陛下ト全露西亞國皇帝陛下トノ間及兩國並兩國臣民ノ間ニ將來平和及親睦アルヘシ」であることを踏まえると、日露戦争においても李氏朝鮮の取り扱いが重視されていることが分かる。つまり、李氏朝鮮/大韓帝国に「用露を止めよ」と言っているに等しい。

 朝鮮半島の日本への併合(合邦)が「李氏朝鮮宮廷内が何時まで経っても他国を利用した勢力争いに明け暮れて地域の不安定要因であり続けること」に対する一つの解という認識は、少なくとも当時の米英日では共有されていたことは公開されている外交資料などから明らかだ(例えば、桂・タフト協定(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A1%82%E3%83%BB%E3%82%BF%E3%83%95%E3%83%88%E5%8D%94%E5%AE%9A))。

 さて、ここまで来て「嫌悪感」の正体が見えてくる。日清・日露戦争の共通の原因は「宮廷内の勢力争い」に他国を利用することであった。対して、中央日報の記事における「用日」の主体は韓国国民である。

 つまり、「用×」は「李氏朝鮮の『宮廷』のお家芸ではなく、国民乃至は民族のお家芸である」としか思えないということだ。もしそうなら、政権が変わろうが国が変わろうが1000年経とうが「互恵関係」なんて望めない。

 反韓、嫌韓の文脈からよく使われる表現に「こっち見るな」というのがある。件の中央日報の記事は、「こっち見るな」という思いをついに私にも植えつけてしまったようだ。

追記(2014/1/11):

 やはり中央日報の記事「日本を見る目、韓国国民は現実的(http://japanese.joins.com/article/357/180357.html)」も気持ち悪い。「現実的」の意味するところは何か?単なる「用日」ならばそれは妄想、ファンタジーに過ぎない(筈である、これからは)。つまり、それを「現実的」と呼ぶ感性に、日本人の感性とは全く異なるものを見出さざるを得ないのだ。

 どう見ても現在の韓国の「反日」は韓国の国内イシューにしか見えない。国内で解決して欲しいものだ。

2014/01/05

2014年初っ端は本の話

 この年末年始は4日程自由な時間が取れたので読書三昧、遺憾ながら豪快に体重増加しました。

 まずは倉山満氏のシリーズ3冊一気読み。
  • 嘘だらけの日中近現代史
  • 嘘だらけの日韓近現代史
  • 嘘だらけの日米近現代史
時刻歴でのイベントのディテールはかなり端折られているので、事前に他の書籍などでキーとなる歴史イベントの順番、経緯を知っていないとおそらく面白さは半減。個人的な収穫は、ハンガリー動乱と日本の国連加入との関係、米国南北戦争の経緯、ハリマンvsモルガンの構造に対する日本の国策方針など。中曽根康弘氏が「憲法改正には議論が必要」との旨の発言をしたとの報道がつい最近あったけど、スッと落ちる感じがあったのはもちろんこれらの本を読んだおかげ。自分の中に新たな視座が加わるのは楽しい。

 Sci-Fiは1冊だけ。
  • 孤児たちの軍隊 ガニメデへの飛翔 / ロバート・ブートナー
面白くて気楽に読めるのは間違いないが、「21世紀の『宇宙の戦士』」というコピーには偽りあり。説得力のないマンガチックな展開はコメディすれすれだが、キャラの立て方は上手くて(上手く紋切り型に落とし込んでいるという意味で決して誉めている訳ではない)一気に読ませるパワーはある。

 原文はあたってないけど、抒情的な部分の翻訳は結構工夫されたものではないかと思う。この辺りがいい加減だと、上述したようにコメディになってしまった可能性が高い。その甲斐もあってか、プーさんの最期はちょっと切ない。もしマンガ化するなら(はい~?)荒川弘氏に是非お願いしたい。

 その他の小説は3冊。
  • シブミ / トレヴェニアン
  • パラダイス・ロスト / 柳広司
  • アンドロギュノスの裔 / 渡辺温
シブミは訳がやや硬い。柳広司氏のD機関シリーズは安心して読める。渡辺温氏の作品には出会えたことが僥倖。

 その他ノンフィクションなどは3冊。
  • 日本とシナ 一五〇〇年の真実 / 渡部昇一
  • E=mc2 世界一有名な方程式の「伝記」 / D. ボダニス
  • 完全なる証明 100万ドルを拒否した天才数学者 / M. ガッセン
「日本とシナ」では「コミンテルン史観」なる概念が提示され、倉山満氏の著作と緩やかにリンクする。ヴェノナ文書に関する書籍は既に2冊読んでいるので、著者らが言いたいことは良く分かった。