2014/01/11

「用日」の気持ち悪さと「もしかするといつか来た道」

 中央日報の記事「【社説】政府、「用日」の世論に耳を傾けるべき(http://japanese.joins.com/article/359/180359.html)」の気持ち悪さが半端じゃない。記事中の「国民の相当数が、『用日』の観点で対日関係改善を望んでいると見られる。」という表現には倫理的な観点からも含めて嫌悪感しか感じない。

 「用日」、つまり日本を利用してやろうということである。この嫌悪感は何処から来るのか。

 「国益」という言葉があることから分かる通り、国家間においても損得を踏まえた付き合いは当たり前だ。が、「用日」という言葉には「自分の都合で相手を一方的に利用する」というニュアンスしか読み取れない。

 もし「自分の都合で相手を一方的に利用する」つもりだとしても、それを口にしては元も子もない。本当に「韓国の都合で日本を一方的に利用する」つもりならば、「用日」という言葉を使った時点で終わりである。このような言葉を使うことが引き起こす結果に対する「想像力の無さ」は異常としか解釈できない。

 もし「韓国の都合で日本を一方的に利用する」のが当たり前と「本気で考えている」ならば、その有様は異常なまでに他者への礼を失しているとしか思えない。

 何れにしても、大部分の日本人の感覚からはお近づきになりたくない相手の条件を十分に満たしているだろう。良くて馬鹿か異常のどちらか、悪くすれば両方である。「反日」と「用日」が両立できるなぞ、ファンタジーをも超えて例えるべき言葉も見つからない。有権者としては、間違ってもこれらを両立させちゃうような政権を選んじゃいけないと心から思う。

 歴史を振り返るに、敵対する宮廷内勢力それぞれが、自勢力の強化のために他国を利用するのは李氏朝鮮のお家芸のようである。李氏朝鮮宮廷内の勢力争いに伴う「他国の利用」は、日清戦争、日露戦争ともに重要な原因となっている。

 日清戦争の講和条約である下関条約の第1条は下記の通りである。
清國ハ朝鮮國ノ完全無●{缶へんに欠/ケツ}ナル獨立自主ノ國タルコトヲ確認ス因テ右獨立自主ヲ損害スヘキ朝鮮國ヨリ清國ニ對スル貢獻典禮等ハ將來全ク之ヲ廢止スヘシ
(http://www.ioc.u-tokyo.ac.jp/~worldjpn/documents/texts/pw/18950417.T1J.html)
清国は、朝鮮国が完全無欠なる独立自主の国であることを確認し、独立自主を損害するような朝鮮国から清国に対する貢・献上・典礼等は永遠に廃止する(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8B%E9%96%A2%E6%9D%A1%E7%B4%84))
この条文は、一般的に「朝鮮半島の王朝を清国の『属国』状態から解放するもの」と理解されるが、李氏朝鮮に「用清を止めよ」と言っているに等しい。日清戦争により「清国は眠れる獅子ではない」ことがいよいよ明らかとなり、清国は朝鮮半島における影響力を失っていく。だが、三国干渉を経てロシア帝国の朝鮮半島への影響力が高まることとなり、李氏朝鮮宮廷内の特定の勢力が「用日」から「用露」を進めるに及んで、日露戦争へ至る。日露戦争の講和条約であるポーツマス条約の第2条は下記の通りである。
露西亞帝國政府ハ日本國カ韓國ニ於テ政事上、軍事上及經濟上ノ卓絶ナル利益ヲ有スルコトヲ承認シ日本帝國政府カ韓國ニ於テ必要ト認ムル指導、保護及監理ノ措置ヲ執ルニ方リ之ヲ阻礙シ又ハ之ニ干渉セザルコトヲ約ス

韓國ニ於ケル露西亞國臣民ハ他ノ外國ノ臣民又ハ人民ト全然同樣ニ待遇セラルヘク之ヲ換言スレハ最惠國ノ臣民又ハ人民ト同一ノ地位ニ置カルヘキモノト知ルヘシ

兩締約國ハ一切誤解ノ原因ヲ避ケムカ爲露韓間ノ國境ニ於テ露西亞國又ハ韓國ノ領土ノ安全ヲ侵迫スル事アルヘキ何等ノ軍事上措置ヲ執ラサルコトニ同意ス
(http://www.ioc.u-tokyo.ac.jp/~worldjpn/documents/texts/pw/19050905.T1J.html)
第1条が「日本國皇帝陛下ト全露西亞國皇帝陛下トノ間及兩國並兩國臣民ノ間ニ將來平和及親睦アルヘシ」であることを踏まえると、日露戦争においても李氏朝鮮の取り扱いが重視されていることが分かる。つまり、李氏朝鮮/大韓帝国に「用露を止めよ」と言っているに等しい。

 朝鮮半島の日本への併合(合邦)が「李氏朝鮮宮廷内が何時まで経っても他国を利用した勢力争いに明け暮れて地域の不安定要因であり続けること」に対する一つの解という認識は、少なくとも当時の米英日では共有されていたことは公開されている外交資料などから明らかだ(例えば、桂・タフト協定(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A1%82%E3%83%BB%E3%82%BF%E3%83%95%E3%83%88%E5%8D%94%E5%AE%9A))。

 さて、ここまで来て「嫌悪感」の正体が見えてくる。日清・日露戦争の共通の原因は「宮廷内の勢力争い」に他国を利用することであった。対して、中央日報の記事における「用日」の主体は韓国国民である。

 つまり、「用×」は「李氏朝鮮の『宮廷』のお家芸ではなく、国民乃至は民族のお家芸である」としか思えないということだ。もしそうなら、政権が変わろうが国が変わろうが1000年経とうが「互恵関係」なんて望めない。

 反韓、嫌韓の文脈からよく使われる表現に「こっち見るな」というのがある。件の中央日報の記事は、「こっち見るな」という思いをついに私にも植えつけてしまったようだ。

追記(2014/1/11):

 やはり中央日報の記事「日本を見る目、韓国国民は現実的(http://japanese.joins.com/article/357/180357.html)」も気持ち悪い。「現実的」の意味するところは何か?単なる「用日」ならばそれは妄想、ファンタジーに過ぎない(筈である、これからは)。つまり、それを「現実的」と呼ぶ感性に、日本人の感性とは全く異なるものを見出さざるを得ないのだ。

 どう見ても現在の韓国の「反日」は韓国の国内イシューにしか見えない。国内で解決して欲しいものだ。

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