2014/08/31

物語の共有の否定、或いは「情けは人のためにならず?」


 素人目には主張に色々と引っかかる。「日本軍が関与したことを示す資料」 とかいう曖昧な表現はいい加減やめて欲しい。これは自分の主張の優位性を意図した印象操作であって、普通は「卑怯」とされるやり口である。

 問題を遡及的に取り扱うのは近代法治国家では禁じ手だ。これでは開戦時には国際的に無かった罪を戦後に問うた「東京裁判」と同じである。
人身売買禁止が国際法で規定されていないと主張するのは日本しかない。日本政府が今年7月、国連市民・政治権利委員会で日本軍慰安婦は性奴隷ではないと話 したことは問題だ。性奴隷ではないというのは‘慰安婦=売春婦’ということだ。これは慰安婦被害者を二度侮辱することで、新しい加害だ。
  「日本しかない」ことは重要ではない。これは明確な印象操作であって、まず明確にすべきは「人身売買禁止が国際法で規定されたのが何時か」であるべきだ。それを主張しない事は、主張者にとって都合が悪い「事実、真実」がある可能性を想起させる。

  「性奴隷ではないというのは‘慰安婦=売春婦’ということだ。これは慰安婦被害者を二度侮辱することで・・・」の部分は日本人の感性を意図的に無視し、逆手に利用している可能性がある。公娼制度の運用実態については十分な知識を有しないので踏み込まないが、「慰安婦」という表現が「公的に職業として認められているにも関わらず、それを『売春婦』と呼ぶことが差別的であるが故に使われた可能性」は全く無いのだろうか。日本特殊論を唱えるつもりは毛頭ないが、特定の文化圏と時代性のコンテクスト(文脈)を意図的に排して、事後的乃至遡及的(つまり、現在の価値観でのみ捉え)、さらに「国際法」という錦の御旗の下で糾弾する姿勢には大いに疑問を感じる。はっきり言ってしまえば「庶民感覚」として「卑怯者の所業」にしか見えない。

 これを国際問題として捉える視点は「遡及」によってしか現れない。当時の朝鮮半島は大日本帝国憲法の施政下にあり、国土の一部であって植民地ですらない。当時の枠組みでは「国内問題」を越えることはないとしか論理的には解釈できない。

 遡及法は近代法治国家では許されない。加えて「国際法」の名の下に文化差を考慮しない取り扱いは恣意的な運用、或いは「国際法」の悪用である。ただでさえ民族主義、宗教原理主義の先鋭化で 「より広い文化圏で共有可能な国際法」の成立性、実効性は揺らいでいる(本来の国際法は、文化圏の価値観差にまで踏む込まない範囲でのコモンセンスであるべきである、というのが個人的な心証だ)。

 ただ「強制性」が前に出てこなくなってきたことは、実は重要な前進である。朝日新聞社もそうだが、結局証拠がないと何を主張しようと駄目、ということだ。問題点のすり替えは戦線に例えれば撤退を転戦と呼ぶに等しい。明確な誤魔化しであり、「嘘」は特定の人間の懐を肥やしつつ、「被害者とされた人々を加害者にするとともに、最終的には本当に被害車にしてしまう」危険を孕む。幸か不幸か、日本人の感性は「最終的には本当に被害車にしてしまう危険」を察知した時点で、その一線を越えないように知恵を絞ると言うものだ。

 「察しと思いやり」、である。

 だが、今や日本人?ですら、その日本人の感性を悪用してきたことが白日の下にさらされてきている。が、私の信じる日本文化のしなやかさは、一線を越えないという感性と、一線を越えた場合の冷徹さを両立させられるだろう。

 「従軍慰安婦問題」の「真の加害者は誰か」、「真の被害者は誰か」。いったん問題化した以上、或いは問題化させた勢力、人間がいる以上、それを「幸いに変える」、或いは「災い転じて福と為す」には「言葉遊びにのみ興じる勢力」を排すると同時に、然るべき制裁を受けさせる必要がある。冷静に、論理的に、慌てず急いでしなやかに進めなければならない。通常、「共同体の掟」を破ってしまった者は、その共同体からの保護は受けられない。長年にわたって適用が猶予されてきた共同体で共有される掟というものは曖昧とならざるを得ない。が、過去より存在するが故に明示化された時点で「遡及的」であるとは必ずしも言えない。単に知らなかっただけ、では逃れられない。更に踏み込めば、「それを知らないことは違う文化圏に属する」ことの証左とも言えるのである。「自らの利益のためにその文化圏に属しているふり」をしていたのであれば、「その文化圏の掟で裁かれること」も受け入れなければならない。それが世の習いというものだ。

 全文を読んで、真実が何処にあるのか、捻じれががどこにあるかを一緒に考え、興味のおもむくまま色々と調べてみて欲しい。




【慰安婦問題】 国連に「慰安婦=性奴隷」と訴えた戸塚悦朗弁
護士インタビュー「慰安婦問題は解決していない」
日本の国際人権法権威者、戸塚悦朗弁護士は1992年2月、国連人権委員会で‘日本軍慰安は性奴隷’と初めて慰安婦問題を国連に提起した人物として有名だ。彼は今月20日、世界日報と のインタビューでも「日本軍慰安婦は強制でなければなされず、意志に反したもの」とし、「性奴隷が明らかだ」と再確認した。また、慰安婦問題は日本国内でも犯罪行為として糾弾され、1965年の韓日請求権協定で解決されていないという点も明らかにした。

-どうして慰安婦問題を国連に初めて提起することになったのか。
「初めから慰安婦問題のために国連で活動したのではなかった。精神障害者の人権問題解決のために裁判で敗れた場合、国連規約人権委員会に通知できる‘個人通知権’制度を導入するよう日本政府に要求したが拒否された。個人通知権が導入されなければ被害者代理の弁護士が国際社会に訴えるほかなく、かえって負担が大きくなるといったが、政府はそれでもダメといった。やむを得ず、毎年、国連に行って日本の人権問題を提起せざる得なかった。そうするうちに在日 朝鮮人と韓国女性たちが助けてくれと言うので、慰安婦問題に介入することになった。」

-初めはためらったと聞いたが。
「1992年、国連に訴える2年前、社会党の本岡昭次参議院議員の依頼で慰安婦問題を検討したことがある。しかし弁護人としてその問題の解決に同意できなかった。まず被害者がおらず、事件として検討できなかった。また、国家を相手にした訴訟になる他ないが、当時の日本国内法では勝つのが難しいと考えたためだ。ところが1991年8月14日、キム・ハクスン氏が慰安婦だったことを証言し、1992年1月、中央大、吉見義明教授が防衛庁資料館で日本軍が関与したことを示す資料を発掘して公開した。弁護人として問題にする義務があった。ちょうどその年、国連人権委が予定されており慰安婦問題を扱うことに決めた。」

1992年2月、彼は国連人権委員会で日本軍慰安婦は国際法上人身売買違反とし‘慰安婦は性奴隷’と主張した。彼の問題提起をきっかけとして国連で慰安婦議論が公論化し始めた。

-なぜ慰安婦は性奴隷なのか。
「日本軍関与資料と被害者証言集を見て判断した。国連では国際法違反問題を提起しなければ発言や呼び掛けにならない。国際人権条約がなかった第二次世界大戦以前の国際法で最も重視された人身売買禁止を適用した。また‘私が女性なら日本が戦争に勝てばと思って(慰安婦を)絶対しはしないだろう’と考えた。それは強制にならざるを得ず意思に反するものと考えた。そうなると誰でも奴隷と考えるわけで、性問題なので‘性奴隷(sex slavery)’と命名した。‘自分の意志で兵士を慰安する’慰安婦という言葉はお笑いだ。」

-今、国際社会で日本軍慰安婦は性奴隷という認識が確立されたか。
「確立されている。人身売買禁止が国際法で規定されていないと主張するのは日本しかない。日本政府が今年7月、国連市民・政治権利委員会で日本軍慰安婦は性奴隷ではないと話したことは問題だ。性奴隷ではないというのは‘慰安婦=売春婦’ということだ。これは慰安婦被害者を二度侮辱することで、新しい加害だ。被害者を見ると心が痛む。」

-日本は問題がみな解決されたという立場ではないのか。
「慰安婦補償問題が1965年韓日請求権協定で解決されたと言うのは話にならない説だ。いつかキム・ヨンシク元外相は当時の交渉過程で不法行為問題の議論がなかったとして‘もし不法行為が発見されれば後で交渉する’という日本代表、久保田貫一郎が話した議事録を公開した。日本は関連資料を公開しないでいる。実際の交渉では経済協力やお金の問題だけ話した。併わせてお金の問題は解決したが犯罪問題は解決されなかった。慰安婦問題は第二次世界大戦前の日本裁判所も認めた犯罪問題だ。1965年の交渉過程で犯罪問題は扱われなかった。」
(後略:弁護士の経歴など)

埼玉=キム・ユンチョル特派員

ソース:世界日報(韓国語) [インタビュー]「国際法上人身売買禁止違反…‘慰安婦=性奴隷’明らかに」
http://www.segye.com/content/html/2014/08/29/20140829003367.html
引用元:http://awabi.2ch.sc/test/read.cgi/news4plus/1409407649

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