大学時代のサークル仲間にロシア語を第2外国語に選んでいた人がいた。その人の「名詞すら格によって変化するので、もうこれが面倒くさい」とのぼやきは忘れらなくて、約20年後に仕事でロシア語の論文を読まなければならなくなったとき「ああ、これか」と直ぐに合点がいったものだ。固有名詞である人名も変形するのである。
なお本エントリ内の外国語音のカタカナ表記は、私の耳で近いと感じた音としてある。従って、他の人が使っている表記と異なるものもあると思う。例えばロシア語には、「ア」と「オ」の中間の音としか聞こえない母音や、清音と濁音の区別が難しい子音(例えば「フ」、「ブ」、「ヴ」)がある。厳密さを求めると有気音だ無気音だ有声音だ無声音だとかいった話になるのだが、それはそれで沼なのでこれ以上は立ち入らない。そもそもちゃんとした知識を持っていないのだ。が、標準中国語とも言える普通話には英語や日本語における濁音は存在しないが、代わりに日本語には無い似た別の音が存在する・・・ぐらいは書いておいても良いかな。
あと、本エントリでは前置詞については触れない、例の分節中に前置詞が出てくることは無い。以降を読めば分かる通り、本エントリではロシア語での「『人名』+の」の表現方法の例に触れている。ただ、紹介する例は「人名の語形変化から人名に先行する前置詞が実質的に特定できるため、実用性や利便性から前置詞が省略されているもの」なので前置詞が含まれていないだけだ。う~ん、この辺りは案外説明が難しいんだよね。
さて銃器関係のYoutube動画を観ていて、動画制作者はロシアの銃器自体にはやったら詳しいのに、銃器名中の人名の変化についてはお茶を濁していることが少なくない。間違った説明をしている場合もあって、そこ以外の部分が面白かったりすると本当に残念な気持ちになる。分かってしまえばたいしたことではないからだ。
エントリタイトルの通り、AK-47のAKは「アヴトマット・カラシニコヴァ」であって「アヴトマット・カラシニコフ」ではない。語形変化自体にちゃんと意味がある。アヴトマットはざっくり「自動小銃」の意味で、カラシニコヴァには「カラシニコフの」の意味がある。つまり、表記上は"a"に似たキリル文字を末尾に付けることで(Калашников→Калашникова)、「~の」の意味を付加しているのである。これでアヴトマット・カラシニコヴァは晴れて「カラシニコフの自動小銃」の意味となる。
ちなみにギリシャ文字を知っていると、キリル文字の英語アルファベットへの書き換えルールは覚えやすい。例えば、лはλ/Λ(ラムダ)でL、пはπ/Π(パイ)でP、уはυ/Υ(ウプシロン)でU、 гはγ/Γ(ガンマ)でG、Фはφ/Φ(ファイ)でfといった具合だ。早い段階で個別で覚えておくと良いのが、рがR、иがi、йがii、ШがSh(シュ)、нがN、вがVまたはWまたはB、CがS辺りだ。「ウラー!」は英語アルファベットで"Uraaaa!"なのでキリル文字では"Ураааа!"、うっかり無理やり「ヤパー!」などとは読まないようにお互い気を付けようぜ。
AN-94のANはアヴトマット・ニコノヴァ("автомат Никонова")で「ニコノフ("Никонов")の自動小銃」の略だ。またPPSh-41のPPShは"пистолет-пулемёт Шпагина"の略だが、最後の"Шпагина"はシュパーギン(Шпагин)に"а"が付くことで「シュパーギンの」の意味となっている。ちなみに先に説明した英語アルファベット書き換えルールに従えば、Никонов→Nikonov、Шпагин→Shpaginとなり、当たらずとも遠からずの発音が推定できる。
地名の分りやすい語形変化例は、「ソ連(ロシア)宇宙軍の歌」の歌詞中にある。ロケット発射場で有名なバイカヌールが、「バイカヌールの砂漠」の意味の文章内で使われる際に「バイカヌーラ」に変化している。動画中には変化していない「バイカヌール(Байконур)」の看板がしっかりと映る一方、歌詞を見ると「バイカヌーラ(Байконура)」となっていて聞き取りも十分できると思う。 歌詞中の"Старт"はまんま"Start"だ。
♪カスミチェスキエ・バイスカ~
なお2:44ごろに「ツィオルコフスカガ イ カロリョヴァ("Циолковского и Королёва" )」という「ツィオルコフスキーとコロリョフの」という意味の歌詞がある。ここで"и"は英語の"and"に相当する。どちらもロシアの宇宙開発史における偉人の名前だが、「ツィオルコフスキーの」に相当する"Циолковского"の末尾は"а"ではないばかりか、変化前の"Циолковский"ともかなり違う。お察しの通り、ここから先はロシア語の語形変化の沼なので流して欲しい。「名前の末尾の文字が"а"の場合はどうするの?」などの疑問を解くのは私ではない、っつーことやで。
あとソ連国歌の歌詞でも「レーニンの党」の部分で「レーニン(Ленин)」ではなく「レーニナ(Ленина)」が使われている。蛇足ながら、"Πартия Ленина"(パルティーヤ・レーニナ)→"Partiya Lenina"なので、これは"(The) Party of Lenin"とか"Lenin's party"といった「レーニンの党」を意味する英語に簡単に書き換え可能だね。
とまぁ「固有名詞の末尾への"а"の付加」という名詞の語形変化についてここまで書いてきた。だが、固有名詞の語形変化に限ってもこの先にある沼は深く、上述の通り"а"を付けるだけで済むのは「特定の格に対する規則変化」の「一部」に過ぎず、更には覚えるしかない「不規則変化」も控えている。例えば歴史的人物の名前「ピョートル大帝」の変化具合は凄まじい。冒頭に登場した人物に一度説明してもらったのだが、原形をとどめない変化ぶりに具体的な内容は全く覚えていない。もちろん、そんな沼に足を踏み込むつもりはない。