2014/06/18

「音楽の計画」Megpoidカバー、リビジョン1

 イコライザで20Hz未満の低周波数成分をばっさり落としてみた、と言うのがリビジョン0との違い。個人的には中央のバスドラムが煩すぎるぐらいが好みなのだが、如何せんMegpoid音声と上手く音の位置が分離できない原因となっていたのだ。

 20Hz未満の周波数成分はMegpoid音声自体も結構含むので、この周波数帯域成分をばっさり落としてやると、Megpoid音声は全体に上に移動して聞こえるようになる。対して高周波成分をそもそもほとんど持っていないバスドラムの音はほとんど上下には動かず、低周波数の「もこもこ」成分が無くなった分輪郭がはっきりする。かくて、Megpoid音声とバスドラムの位置がより分離できた、という訳だ。これは一種のマスタリング作業かもね。

2014/06/17

ドイツのチャレンジ:続

 ブログ主たる私はこれまでもドイツのエネルギー政策を「チャレンジ」と呼んできた。ドイツのアプローチをを否定するのではなく、文字通り挑戦だなと考えているということだ。毎日新聞ウェブ版の記事、「ドイツ:脱原発…前世紀の燃料採掘で光発電施設立ち退きも」の内容は、挑戦が挑戦たる状況を露呈したものと言えると思う。

 特に新たに付け加えるべきコメントはない。私の中にあっては、理想と現実が明確に分離されているだけだ。ドイツの理想には共感するが、その理想にリアリティがないと私の中の現実が今も昔も囁き続けている。脱原発には共感するが、愚劣な二分法レッテル貼りに従えば私は原発推進であることに間違いはない。が、そこに論理的矛盾は一切ないのだ。矛盾を隠ぺいしようとしたり見ないようにするのは良し悪しを別にしても偽善は偽善、自分の考えへの同意を他者に求める行為はNGだ。「仁」、「義」、「礼」、「智」、「誠」諸々を伴わないが故である。

 関連エントリ

 原子力発電は必要か?

某国、またもや一線越えた・・・か?

 知らない人に「テキサス親父」がどういう方かを説明するかは難しい。Youtubeなどを使って、某国の対日プロパガンダ(と敢えて書こう)にカウンターを当てている方だ。親日?それは確かだが、それを割り引いても十分に公正、事実ベースの論陣を張っていると思う。

 で、何が起きたかと言うと、某国向けのテキサス親父のYoutubeチャンネル(英語音声にハングル字幕付き動画がアップされていた)のアカウントが停止されたのだ。さらにハングル字幕版以外の動画も、某国国内からブロックされて視聴できないようになっているらしい。特定の動画のブロックなんて、その国の政府が関与しないとできることとは思えない。

 小中華とは良く言ったもの、世界が某国からの孤立を一層深めている。テキサス親父日本事務局のブログ記事「【テキサス親父】とうとう韓国政府がテキサス親父の動画を有害動画指定!2014/06/15」の内容が顛末についての一次情報に近いものだろう。

 いよいよ恥も外聞もない、身も蓋もない行動に出てきたようだ(誰が?)。ここ2日ほどYoutubeの調子悪いなぁ…と思っていたけど、F5連打とかレベルは低いが効果は大きいいつもの攻撃が行われていたのではないか(誰によって?)とふと思ってしまう。為替操作で国富を国外の人々に渡し続けることに手いっぱいで(誰が?)、対日プロパガンダにお金を回せなくなったのかな、などと意地悪な想像もついしてしまう。

 過去の事象と現在の状況の関係を説明できなければ、その「歴史と呼ばれる何か」は歴史の名に値しない。「自らの歴史を直視しない民族に未来は無い」のなら、現在の状況や自らの行為を誤魔化す者には偽りの未来しかないことになるだろう。現在も歴史の一部なのだ。某国がどのような未来を手繰り寄せようとしているのかは、おそらく標準的な日本人の一人に過ぎない私の理解の埒外であろう。が、某国が自らの未来に関わりかねない一線を越えたのは確かだろう。

 某国は法治も捨て、国民の自由・権利の一部も明らかに能動的に捨てた。学生を中心とする多くの犠牲を払っていったん某国が手に入れた自由、民主主義は愚民政策を介して今も失われ続けている。知らないことはそれだけで罪たり得、何の免罪符にもならない。日本人一般の一種の鈍感さ、お人よしさは軋轢を避けるための知恵と見るべきであり、弱さと見るべきではない。そうでなければ、英、米、露、清なんて大国ばっかりと戦争した歴史なんて持っていない筈だ。明治維新で如何なく発揮された日本人の持つ手段を選ぶ一種の冷徹さ(残虐さは大陸文化に生きる人々の足元にも及ばないが、それは不要だ)を、そろそろ発揮すべきときではないだろうか、と思わずにはいられない。と言っても日本の近代史をを知らない人には分からないだろうなぁ…。

「音楽の計画」Megpoidカバー、リビジョン0

 ちょっと晒してからリビジョン上げましょう、という感じ。しっかし最近Youtube調子悪いなぁ…

超初心者向けCubase7.5+Vocaloid(その1)

 エントリタイトルで「その1」をうたってはいますが、「その2」以降があるかは未確定。あくまで、DAW触り始めのVocaloid3ユーザーに有益と思える事項に出会った際に適宜上げていきます。ラベル(タグ)は「超初心者」です。

 PiaproStudioは使い易いが、細かな発声タイミング調整はバウンス(Waveファイルに書き出し)してから直接編集した方が絶対効率が良い。使っている人ならご存知の通り、Cubase7にはVariAudioというモノフォニック音源(ボーカルなどの単音音源)のピッチ(音程)とタイミングを調整するツールがある。他のDAWでも同じ機能を持つツールがありますな。

 今回の話は、「Vocalodの発声タイミングがVariAudioでイマイチ上手く調整しきれない」という人に今一度チェックしてみて欲しいポイントだ。

 下図はPiaproStudioで編集したVocaloid音声をいったんバウンスしてから、VariAudioに読み込んで少しいじったところ。赤、或いは黒(選択されている状態)の長方形が音声のピッチ(縦方向)と開始及び終了時刻(横方向)を表している。読み込んだ波形の発音は「Making music(メイキング・ミュージック)」だ。今回のポイントは、波形を見ると黒色の長方形の右端よりも右側(時間的には後)に小さいピークがあること。これはこのピークに対応した音をVariAudioが「ピッチがない」と判定したということを表している。だが、このピークに対応した音の発声タイミングは結構重要なのだ。
  具体的に「ピッチがない」と判定された音は「ミュージック」の「ク」、或いは「ミュージッ」の「ッ」だ。上図から分かるように、バウンスした波形データでは「ッ」の発声タイミング(波形上の小さなピーク)が143小説2拍目(143.2)よりやや遅れている。この差が聞いた時の違和感、或いは自分の思い描くボーカル音声像との差の原因となり得る。実際、そうなっていた訳だ。

 じゃあVariAudio上で「ッ」のタイミングが変えられないかと言うと、そんなことはない。「ッ」は「ピッチがないと判定された」だけであって、あくまで黒い長方形で表されている音節の一部だ。だから、黒い長方形の右端をちょっと動かしてやれば、下図のように「ッ」に対応した波形のピーク位置を望む位置に合わせられる。
 VariAudioによる発声タイミングの調整は長方形の両端の左右移動で行うが、結局のところ調整後の発声タイミングは波形を見なければ分からない。発声タイミングをクォンタイズしたいからといって、長方形の両端位置を単純にクォンタイズしても駄目だということだ。

 VariAudioによってVocaloid音声の発声タイミング調整をする場合は、あくまで波形を見ながら調節しよう。また、「ピッチがない」とVariAudioが判定した音についても、タイミング調整ができることを忘れないでおこう。

唖然…朝鮮日報「河野談話を検証するなら談話を取り消せ」

 朝鮮日報の社説「河野談話を検証するなら談話を取り消せ」に唖然、呆然。本来はこれまでの主張とのギャップを笑うべきかもしれないのだが、タイトルだけでも笑う気を失せさせる無慈悲なまでの破壊力。

 「検証」がそんなにマズイいのか。検証結果がリークしている(されている?)のかとも邪推してしまいます。"Everything but 検証"、「検証以外ならなんでも良い」みたいで、ある意味とっても分かり易い。

 日本の現状を鑑みれば、河野談話の取り消しは十分に政局マターになり得るし、その過程で検証結果の公開は避けられないだろう。何れにしても検証結果の公開は必要だというのが個人的な思いだ。

 このように情況に仕向けたのは韓国の大統領、政府、マスコミらですよ、という点を当時者達は受け入れなきゃならんですよ。いよいよ「始まりの始まり」かなぁ…

2014/06/15

ぷうぺらさんの三段空母は…:蛇足

 このエントリでも書いた通り、私はぷうぺらさんの三段空母造形へのアプローチを強く支持している。あれには愛があるとおもうんだけどなぁ・・・版権不許諾でワンフェスには出せないとのことで実に残念。

蛇足1

 リメイク版Battlestar Galacticaのギャラクティカのデザインモチーフのひとつが、第二次世界大戦~戦後第一世代の空母であることはその筋では有名な話。ギャラクティカの尾部にあっては、如何にも実在する空母の船尾部を思わせる船体にエンジンポッドを4本加えることでヴォリューム感を与えている。コンセプトデザイナーEric Chu氏の与えたデザインの方向性は、ずばり「ぱっと見でどちらが前/後かが分かること」、「男性器的意匠から一定の距離を与える(要素としては残す)こと」と見た。サイロンベーススターはデザイン自体も素晴らしいが、デザインの方向性がギャクティカとほぼ逆方向である点も素晴らしい。コンセプトデザインって仕事の意味をデザイン自身が雄弁に語っていると思う。

 2199の三段空母のデザインも「実在する空母の船尾部を思わせる船体にエンジンポッド加えた」イメージが強く、1974版の三段空母のデザイン画の造形が持つ不安定感(平らな所に置くと絶対後ろにコケそう、船尾部の下部の処理が肝で横から見ると菱形感が出る)はかなり失われている。2199における三段空母デザインに感じる中途半端感の原因はまさにここにあって、処理が「無難過ぎる」のだ。

 劇中で「波をけたてる」描写を行うならば、より実際の船に近い1974版のデザイン処理の方が絶対良い(どうせ嘘なんだから喫水線は曲げちゃえば良い)。2199版もデザイン単体で捉えれば単に今時っぽい普通の処理に過ぎないのだが、それが劇中での演出とマッチしていないというのは、2199という作品にとっても三段空母のデザインにとっても不幸としか言いようがない。デザインを世界観に奉仕させない(奉仕させられない?)ところは、2199という作品の完成度を著しく下げていると断言する。

蛇足2

 先のエントリで不用意に下記のように書いた。
ジャガイモに名刺を3枚突き刺しただけでは普通は三段空母にはならんのですよ。だけどジャガイモの形の目利きにはそれができるかも。
ここで「不用意」の意味は、「そんなことを書いておいて自らやってみないのはまずいだろう」ということ。いや、「そんなこと誰もやらんだろう」という油断があったというのが正しい。だが、ぷうぺらさんのフットワークは実に軽く、私の思い込みが如何に偏狭であったかを痛感する事態となった次第。何歳になってもこういう刺激があるのは実に嬉しい限り、ぷうぺらさんとはこれからもこんな感じで緩~くキャッチボールできれば良いなと思います。で、「ジャガイモに名刺3枚」はこのページの中段あたり。まさに私のイメージ通りの三段空母なのですが、皆さんはどうお感じになりますか?

 でもぷうぺらさん、お言葉は有難く、心に染みわたるものがあるのですが・・・・・・そんなにハードル上げんで下さい・・・

2014/06/14

奥さん、論文査読お願いします。:やっぱりあの大学は駄目...

 今取り組んでいる仕事に役立つかと思い、海外の大学の修士論文などを読み漁っていた。なぜ修士論文か。
  • 一般的に博士論文の出来は完全に当人の責任、修士論文までは重要な点については指導者の指導が入っていると考えていい。結果、中身の充実度は修士論文が勝る場合が多々ある。酷い博士論文は「受理しない」でおしまいにできるけど、修士はそうはいかないからね。
  • 試験データをまとめた付録が充実している場合が多々ある、これは、指導者の指導にそってデータまとめを執筆者自身が行っている可能性が高いため。

 私の専門分野だと例えばカナダのオタワ大学に大家がいらっしゃる。新規性はさすがに最近は厳しくなってきたが、実用性という観点からは成果を着実に積み上げてきている。修士の学生もその成果の蓄積をきっちり踏まえることを要求されるから、修士論文も大外しはしない。基礎がしっかりしているので、浮ついた展開にならない。付録の試験データの整理方法もこなれており、客観的な評価に耐えられるものだ。

 つまり、「検証可能」。

 で、そんな過程で米国の某大学の「修士論文」を読んだところ、工学にも関わらず数式がほとんど出てこず、技術用語の誤用や試験データの一貫性の欠如(試験データからだけでは妥当性の検討か不可)となかなか酷い出来だった。

 はっきり言おう、あれはエッセイだ。「ここまでの旅路」とか、目次にも技術論文感がない。

 「ああ、あの大学の修士じゃぁしょうがねぇかぁ…」などと思いつつ机に投げ出した論文の写しの表紙を何気に眺めると…「え、博士(Ph. D)論文?!しかも受理したとな!?」。

 やっぱり私の専門分野ではあの大学は駄目だ。

2014/06/13

椎名林檎さんのNHKサッカーテーマ曲「NIPPON」への変な反応

 さっぱり訳分からん記事、「椎名林檎のNHKサッカーテーマ曲、その“右翼ごっこ”より問題なこと」、っつーか記事の体裁も整っていない。

 「音楽批評」って気楽な商売に見えるじゃないさ、タイトル中の「問題」ってなんなのさ、それはNHKに言う話じゃないのかねぇ。そもそも「音楽批評」って何なんだろう、記事からはさっぱり伝わってこない。

 情緒も論理も無しの典型的な駄文。テンプレ○声○○も裸足で逃げ出すんじゃないかの低レベル。下には下があるものだ。

発送電分離先進国、英国と独国の話

 World Nuclear Newsの記事、"Energy market 'does not value low carbon'"から。

 英国は発電会社と送電会社が分離されている。記事では送電業者のNational GridのCEOの発言を紹介している。曰く、
the energy market today does not value low carbon, and it is crystal clear that very few markets place a true value on security of supply.
ざっくり訳すと、
今日のエネルギー市場は低炭素(排出)に価値を見出していない、エネルギー安全保障に価値を見出す市場も明らかにまれだ。
って感じかな。

 発送電分離して市場メカニズムに電力供給を委ねた結果、市場は地球温暖化(気候変動)対策やエネルギー安全保障に頓着しない状態にあるということだ。安い電気、でもいつ何時停電するか分からない、という状態にどんどん向かっているという認識なのだろう。欧州各国政府や国民は日本に較べれば地球温暖化に対して感受性は高いのだが、市場原理に委ねてしまうとそれでも価格第一にならざるを得ないようだ。

  「エネルギー安全保障」は国防、経済の競争力維持ともに関わる重要マターだ。

 独国は太陽光発電などの再生可能エネルギーを優遇することで電力の市場メカニズムに介入したが、大企業は安い化石燃料を用いた自家発電設備の所有に舵を切った。つまり、電力市場では地球温暖化(気候変動)対策へのインセンティブが有効に働かず、買い手市場の傾向を強めながらも電力価格が高止まる方向に進んでいるということだ。結果、企業は安い電力を求めてなおさら自家発電設備を所有することになり、こと地球温暖化ガス排出に関しては文字通り負の連鎖の様相を呈しつつある。しわ寄せは一般消費者に向かう。再生可能エネルギーの優遇措置のための税金を払いつつ、高い電力を買わざるを得ないからだ。企業も良いことばかりではなく、安さを優先すると露国からの化石燃料への依存性を高めざるを得ない。ウクライナに対する西欧諸国の対応の温度差の背景にエネルギー安全保障があることは明らかだ。

 英国がどこに向かうのかはまだはっきり見えない。日本はなおさら見えない。