2020/02/06

アニメ「映像研には手を出すな!」第5話を観る!

 金森好きの面倒くせぇ奴の戯言、今回もはっじま~るよ~。本エントリの内容が伝わるか伝わらないかはあなた次第(丸投げ。評論でもなく、作品が面白いとかつまらないとかとは全く別の話を今回もつらつら。

 アニメ版もきっちり楽しんでいるので念の為。第一人格?が無邪気にストーリーを楽しみ、第二人格?がリアルタイムで演出意図などを分析しているような視聴法になっているのだ。通常、第二人格?は劇中設定そのものや設定を反映した画面中の要素を追うことに使う。アニメーターの遊びなども第二人格?が大概拾う。発見や面倒くさい見方の担当とも言え、視聴回数が限られる映画鑑賞経験を重ねて培った一種の視聴テクニックっぽい。これまでのエントリで何回も触れた通り、原作マンガはアニメ化にひと工夫もふた工夫も必要な特殊な構造を持つ。だから作り手の工夫や考えの発露たる演出や原作からの変更点などに第二人格?の視線を向けている。ちなみに第一人格?だけに従うと褒めっぱなしになっちゃうよ。

 さて、

最後の4分程の「ロボットの改造」シーンは画もテンポも良く、展開を知っていてもワクワク感がたまらなかった。声優さん達も良い。背景を白一色で通し切ったのもプラスに働いていたと思う。原作マンガでは数コマだけだけど背景が描かれたコマがある。このシーンではロボットも前景だから、同じテイストの絵での背景があると画が煩雑になっちゃっただろう。あの絵でロボットの一部を動かしたり、多少とも入り組んだ構造となっている関節部むき出しで立ち上がらせたりするのだから尚更だ。

 とは言え、残念と言うかもったいないと思う点が無かった訳ではない。

 浅草の「シートベルト忘れた!」や水崎の「あ~だけど関節全部隠して良いかな?」などのセリフに合わせて、静止画でも良いから対応する画を見せるカットが欲しかった。特に後者のセリフ前後はドリルをゆっくりスライドさせながら見せる長いカットなので、「セリフで説明するだけかいっ!」と突っ込まずにはいられなかった。別にドリル好きでもない私には、流石にこのカットは長過ぎ、観てて結構しんどかった。新品のドリルなんだから、「反射光キラーン!」ぐらいしてくれて良いのよ。

 対して、アバンタイトルの浅草の「なんじゃぁこりゃ!」の後からミサイルが浅草に命中するまでのシーンは、観ててこっちが「なんじゃぁこりゃ!」となった。テンポがなんか悪いし、演出意図も掴みかねたからだ。この一連のシーンは暗い(透明度が比較的高い黒一色のレイヤーが重ねられている感じ)のだが、私はこの見せ方を浅草の主観の反映と解した。

 しかし、カメラがかなり客観的視点から浅草、水崎を追うのでチグハグ感が半端なかった。「なんじゃぁこりゃ!」までの3カットは徐々に浅草の顔に寄せていくので、例えば「浅草の不安感」の反映と解することができ、観てて全くチグハグ感を感じなかったのとは対照的だ。「浅草の知らないところで進行する、金森、水崎も関わる陰謀の進行」感の反映ならば、それこそ浅草の主観となり、使われているカメラワーク(ほぼ原作準拠?)は明らかに相応しくない。また、画面が通常の明るさに戻るのが、ミサイルの浅草への命中と同時と言うのもおかしい。万が一、「トンデモない陰謀が進行中」と視聴者をミスリードしたかったのであっても、視聴者にカタルシスを与える瞬間は「浅草が状況を正しく理解した」時でなければならず、やはり浅草にミサイルが命中した瞬間ではない。

 じゃぁアンタならどうすんのと問われれば、薄暗いのは「なんじゃぁこりゃ!」まで、または浅草がミサイルに気付いて目を丸くした「え?何?」ってなった瞬間までだろう。ミサイル接近から命中までは可能な限り笑えるもの、または視聴者が「は?」となるものにしたいから、命中過程のカメラワークは浅草の主観を強調した派手なもの(例えばスローモーションや背動駆使、○○サーカスみたいな)とし、命中直後または命中直前の浅草の顔のアップの後にOPに入りたい。OP開け以降は、最初から通常の明るさとしたうえで現行のままの命中シーンから始める。つまり命中シーンは浅草の主観的なカメラワークと客観的なカメラワークで2回見せることになる。これは「解決編」とでも言うべきパートにこれから入りますよ、転換点ですよと、視聴者に明確なキューを送りたい意図の反映だ。くどくやりたければ、OP開けはスコーンスコーンスコーンって感じで、ミサイル命中カットを3回くらい繰り返しても良い。ま、素人にそんなこと言われたくないよってなるでしょうけど、そりゃ当然そうですよねぇ分かります。

 結局、暗く見せた意図はどのようなものだったのだろうか。あ、古代芝浜文明の設定画もなんか「見せただけ」って感じになってたなぁ。他の回でもそうだけど、ちらりと見せるだけみたいにしか出さないなら、その浅草の設定画はいっそ端から見せない方が良いと個人的には思っている。設定画をチラ見するだけにしようが文字を全部読もうが読者次第のマンガと、時間が強制的に進んでいくアニメとの違いを踏まえれば、有り得ない選択肢とは思わない。大型ロボットを含む古代芝浜文明の設定を考えている時の浅草はむしろワクワクしていた、と原作を読みながら思っていた私なら、当然前後含めて薄暗いシーンなんかにはしない。古代芝浜文明の設定画を見せてしまったことも、暗く見せた意図が分からない原因の一つと言える。

 地下探検シーンは「日常」なので、アニメ文法への置き換えの手際は危なげない。水崎のフレーム内妄想シーンも自然で、ここでも声優さんが良い。「遷移過程」であるテッポウガニの設定画の説明も、ロボットとテッポウガニとの絡みも、何の引っかかりも無く観られた。「ロボットの改造」シーン同様、ここでのロボット周りの見せ方はとにかく楽しい。ただし、こちらでは背景は白一色で押し切ったりはせず、時折背景が、時に画面内の一部分だけに、描かれた。ロボット全体が吹っ飛ばされるようなこともあるアクションシーンもあったから、さすがに背景無しでは無理だろう。繰り返すけれど観てて引っかかることは無かったから、手放しで褒めてしまおう。

 ロボ研との打ち合わせシーンで手書き文字で見せた心の声、浅草の「定番の矛盾を・・・心が痛む」や金森の「死ぬほど面倒くせぇ。・・・」はそれぞれ浅草っぽい、金森っぽいと思えてしまう字体が使われていて面白く、凄く良いな上手いなと思いながら観ていた。

 が 、「突然の和解」が手書き文字で画面に表示された瞬間に、頭の中の第二人格?部分がクエスチョンマークだらけになった。いったい誰の書き文字なのか、誰の視点なのか。浅草なのだろうけど、画に、カメラに、浅草主観の要素が皆無だ。上述した暗いシーンと共通するチグハグ感がある。あ、大童さんか!?監督か!?演出か!?メタいがチグハグ感の原因は論理的にすっきり消える。

 ここは小野、浅草、水崎のハモった「同士よ!」という原作には無いセリフだけの方が、面倒くせぇ奴フレンドリーだったと思う。「同士よ!」というセリフの導入に合わせた「突然の和解」の表示の削除は、原作に対して「足す」ことが多いアニメ版において明確な「引く」チャンスだったのでは、と残念感がある。今回アニメ版で追加された要素はこのセリフぐらい(現時点で他には思い当たらない)なので、その思いは尚更強くなる。まぁ上で触れた「ロボットの改造」シーンの白一色の背景の徹底は、アニメ版でも「引く」ことはやってるよってことではあるのだが、ドリル長回しカットも伴うとなると制作現場の状況について勘繰りたくもなる。

 で、

昨日原作マンガ第5巻を入手、早速読んだところ・・・アニ研メンバー登場の1、2コマ目でコーヒー吹いた。そして最後の4ページ、そういう表現で来たかと思わず唸ってしまった。映像化したときのイメージが全然作れない、私の想像力では追っつかない。無念。音絡みの知識はほとんど持ってないから、百目鬼絡みのネタは半分も分からない(感覚的にでも良いというならほぼ全部分かるが)。エコーロケーションってそういうことなのか、絶対できない。こっちも取りあえず無念。

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