2020/01/14

アニメ「映像研には手を出すな!」第2話を観る!

 第1話を観ながら感じた「スケジュール厳しいのかな?」感は大幅緩和、作画とアフレコとのミスマッチを感じるカットも無く、そりゃ凸凹はあるけど作画も良かった。原画担当の人数、数えちゃうんだよね。

 ただ、なんか色々と引っかるところはあって、スムースに観れなったのも事実。例えば撮影台の説明の下りや色指定に関する蘊蓄とか、必要だったのかと。

 評論でもなく、作品が面白いとかつまらないとかとは全く別の話を今回もつらつら。

 これらは別に有っても良いんだけど、時間をかけて描いてはいないので、そもそも知らない人には伝わってなかったり、内容を咀嚼する時間が与えられてなかったり、というのが実情ではなかろうか。正直、個人的には「誰得情報?」って感じだ。セル、撮影台ともに今後も出番無いでしょ?雰囲気、気分で良かったのなら、部屋中を見回す金森の背後で、浅草や水崎が「おースゲースゲー」って感じでまくしたてるようにしゃべり続ける様を(音声は当然オフ気味に)描いて置けば十分だろう。

 演出に関しては3カット、影の色や使い方(+目への光の入れ方)が不自然過ぎ、無理過ぎとの印象を受けたが、そこら以外は良い意味で気になったところは無かった。あ、アンビエントオクルージョンという現象の存在は当然知ってますよ、そのうえで不自然過ぎ。ただ影が気になったカット周辺は作画が凸の(つまり良い)部分だったから、気分は本当に複雑。金森の表情とか良かったからね。

 「金森専用の演出として今後も一貫的に使う、形式化する」って言うなら、まぁアリとは思うけど。ただこのレベルの形式化はただのローカルルール、普遍性がほぼ無いですからね、悪手だと思います。「やった本人が思っているほどうまく機能する手じゃない、その癖真似は簡単なので、劣化した形で安易に類似の手を使う人間が現れる」、という流れが発生しないことを祈ります。「いや、80年代から良くある演出じゃないか。マンガでも使う」という意見もあろうが、ならば「影の形が違う、縦方向の輪郭線は左右対称の波型だ」と言いたい。

 で、最大の引っ掛かり点はラスト近く、「最強の風車」のカットだ。風を遮っているビルに穴を開けた後で、何故風車のデザインが変化したのだろう?羽根や軸受け周りなんかは完全に別物だ。「最強の~」のシーンの冒頭時に既に変化していれば忖度の余地もあるけど、途中からってのはその理由や作り手の意図が全く読めないなぁ・・・と思ってもやもやしていたのだが、原作マンガを改めてチェックすると、アニメ程ではないけど風車のデザインが実は変化していた。ありゃりゃ、「読む」ってのはいつまで経っても難しいなぁ。

 でも変化後のアニメ版の風車の羽根のデザインは、実用性の観点からはかなり「最弱」寄りだよね。より回らん形になってるよ。

 今回の一枚は吉田健一氏、想定外でした。水崎の顔がやや吉田キャラっぽいカットが有ったなとは思ったりしていたのですが。ちなみに私がリアルタイムに追い続けた最後のTVアニメは「エウレカセブン」・・・どうでもいいか。

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