2013/06/07

奥さん、論文査読お願いします。:アフターサービス

 さて、査読したうえで私が「掲載不可」と回答した論文が、某学会の論文誌に最近になって掲載された。何処をどう直したのか気になって、面白くないことは知りつつも内容をチェックした。というか、タイトルが査読時と同じで馬鹿丸出しのままだったので、何が起きたのかを確認する必要があったというのが正しい。

 結論から言うと、論旨破綻は解決されておらず、論文としては失格だ。このような論文が掲載されたという事実は、論文の出来を遥かに超えた高いレベルの問題を浮き彫りにしたと言える。

 論文では、ある現象をモデル化する際に、「パレメータAの影響は無視できる」と仮定した上で独自のモデルパラメータを決めている。まぁ、ここまでは良い。実際にパラメータAの効果が小さいのは40年以上にわたる試験データの積み重ねから明確だ。問題は、「開発したモデルは、パラメータAの影響を*%以内で予測できる。」と結論に誇らしげに書いていること。はい~(↑)?

 百歩譲っても、執筆者は技術的或いは科学的な見地からは「馬鹿」である。

 纏めると、
  • この論文の主筆者は(自粛)だ。名前は覚えたぞ。
  • この論文の連名者は(自粛)だ。良く知ってるぞ。(自粛)先生、あなたの名前を連名にして、酷い論文が出されましたよ、知ってますか?
  • この論文誌の担当編集委員は(自粛)だ。そんなんじゃだめだよ、ちゃんと査読手順に従わなきゃ。査読時の著者への質問の回答を、私は見せてもらってないぞ。
  • この論文を掲載した論文誌は、日本のごく一部でではあるが大きく信頼を下げた。今後、商売上の価値がない限り、私はこの論文誌には論文を投稿しないだろう。
って辺りだ。
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 このブログを読んでる人は、私を「直ぐに他人を馬鹿扱いする」人間と思うかもしれない。しかし、とある女性に「人の悪口をほとんど言わない珍しい人、人の良いところを見つけるのが上手いよね。」とまで言われたことがある、という事実は明記しておこう。私が「馬鹿」と呼ぶ相手は、本当にどこに出しても「恥ずかしいぐらい底抜けの」馬鹿だと思ってもらっていい。

 とはいえ「馬鹿、馬鹿言う奴が馬鹿。」というのも世の理の一端を上手く捉えている。「馬鹿」という表現を使うことで楽しちゃいかん、と言うことだ。ここはきっちり反省した上で、今後の姿勢を明確にしておこう。

 本エントリでの文脈における「馬鹿」は、「研究者失格」や「技術屋失格」とでも言い換え可能で、「プロフェッショナルでなければならない人間がプロフェッショナルではない行動、言動を取ることで良しとしており、かつ、それを当人が自覚できていないとしか見えない」状態を指す。個人的には「自覚の有無」がとても重要で、多少なりとも自覚があればそれだけで将来に期待して良いし、「馬鹿」と呼ぼうなんて思いもしない。

 また、今後書かれるブログエントリでは、「馬鹿」という表現は「馬鹿としか表現できない」場合しか使わないことにしよう。これまでのブログエントリにおける大部分の「馬鹿」は、「プロ作家失格」「プロクリエーター失格」などのように、文脈に沿っての上記の考え方に従う解釈をお願いしたい。もちろん、これまでも、これからも本ブログで個人の人格を攻撃することは有り得ない。この点、明言するとともにご理解を重ねてお願いしたい。

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