2013/03/08

wired.jpの記事 「どのようにSNSは死を迎えるか」が面白い(その3)

 今回はブレークとして、自分にとってのインターネットコミュニティにおける損失と利益について思うところを書いておく。

 まず本ブログ。読んでくれる人が居るだけで幸せ、ということで利益は全く期待していない。よって、かけるコスト(=損失)は最小限、友達リストなんて使う気もない。表示オプションの変更操作(=損失)も億くうなぐらいで、遠方の友人からのツッコミメールが季節毎に1つでもあれば十分に報われる。コメント機能もスパム対応(=損失)が面倒臭いので使っていない。

 3DCGコミュニティで実質的にアクティブと言えるのはFoundation3Dだけだ。

 Foundation3Dへの参加において最も大きなコスト(=損失)は英語を読み書きする必要があることだ。何気に英語を読み書きしているように見えるかも知れないが、実際は今でも辞書片手に四苦八苦している。今はほとんど無くなったが、以前はスラングの解釈ミスが元でコミュニケーションがぎくしゃくした事もある。とにかく続けること、6年も踏ん張れば経験値は上がるものだ。

 では、利益はどうか。これが実は大きい。Foundation3Dはカナダ中心のコミュニティである。カナダはアメリカのTVシリーズの撮影場所として良く使われ、今やVFXの一大発注先でもある。英連邦であるせいかイギリスのTVや映画のVFXに携わっている人も多い。結果として、Foundation3Dのメンバーには3DCGモデリング、シーン編集や合成のプロが多いのだ。

 職業なり趣味なりで実際に手を動かしているメンバーのコメントは適切で、なるほどと思わされることに事欠かない。互いにリスペクトがあるから、自分のCGモデルが褒められれば単純にうれしい。運営方針はきっちりしており、メンバーには良い意味での礼儀正しさが求められる。メンバー間の距離感は付かず離れずといったところで、アメリカ的なフレンドリーさ(なれなれしさと表裏一体だ)とは一線を画している。個人的には心理的な負荷が無い理想的な距離感だ。反面、的外れな、或いはどうでも良いコメントには手厳しい場合があり、単なる評論家は居ずらいコミュニティという側面も持つ。これも個人的には良いと思う点だ。

 単なる評論家が居ずらいということで、コミュニティの規模は大きくない。しかし、互いに互いの作品にコメントしあうという関係が成り立っているので、規模に較べてメンバーのコア度は高いのではないかと思う。

 かつて主な活動場所としていた別のコミュニティは、英語コミュニティへのデビュー先という意味で思い入れは強い。が、コミュニティ規模が大きいと同時にコメントのみのメンバーの比率が高く、コミュニケーションが一方的になりがちだった。節点間の腕は対称的な接続を表すので、一方向的なコミュニケーションは腕とはなり得ない。だからコア度が高いとは言えない。また運営方針がおおらか過ぎて、想定外の損失が発生したりした。

 代表的な想定外の損失として、そのコミュニティ内で共有していた自分のCGモデル(メンバーなら自由にダウンロードできる)の派生物をさらに別のコミュニティで売りに出した人間への対応が挙げられる。データに添付したファイルに記載した使用条件は「商用利用以外は実質的に制限しないもの」であったが、それでもそんな事が起こってしまったのだ。ただCGモデルを共有していたコミュニティの規模が大きかったのが幸いし、私が商用利用を禁止していることを知っているメンバーから早い段階で通報があった。結局、複数のコミュニティの管理者や3Dプリンティングサービス会社のカスタマーサービス窓口とのやり取り(英語!)に1週間分以上の余暇を費やした。時間に加えて心理的な負荷も大きく、バカにならない損失と言える。

 もちろん、同様の経験をしたメンバーは少なくないようだ。そして、私も含むそのような経験をしたメンバーの大部分が根本的な原因の根絶を図る。つまり、CGモデルの共有の中止と実質的なコミュニティからの離脱である。金儲けに使えそうと思わせるだけのCGモデルを作ってしまうスキルを持つメンバーは、そのコミュニティで影響力が大きい存在であると考えて良い。そして、そんなメンバーのコミュニティからの離脱は、間違いなくそのコミュニティの価値を下げる。運営方針のおおらかさが凶と出た良い例かと思う。実際、そのコミュニティはすっかりつまらなくなってしまった。

 取り合えず、ブレークはここまで。

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