2014/04/30

The Model/KraftwerkのMegpoidカバー 本来の姿

 歌詞を間違ってみるとか小ネタが先行しましたが、通常版(本命)はこっち。

 暫く放置の後、リビジョン1になるでしょう。今日は午後から出勤、連休は明後日から。

ローマ法王「韓国民、倫理的に生まれ変わることを望む」

 中央日報の記事です。宗教的ではありますが、倫理的以外にもステップアップすべき重要な事項を法王は口にされております。「霊長類」とは良く言ったもの、法王のお言葉でなければ「差別妄言」とかにされて大騒動ですよ。

 身も蓋もないとはこのことです。と言うことで宜し…ん?…「生まれ変われ」ってことは…

アジアワッチ特別編:「反日」の正体が一瞬見えたような…(その2)

 ここ半年程の中共の「反日」的言行は全く意図が読めない。おそらく主体が複数のため、一貫性がないのではないかというのが一応の見立てだ。

 思わず唸る狡猾なもの(最近はほとんどない)、韓国と同じぐらい筋の悪いもの、通常の韓国すらぶっちぎる幼稚過ぎるもの、これらの主体はおそらく違う。ちなみに海上自衛隊の艦艇が射撃管制レーダーの照射を受けたというのは、幼稚過ぎるレベルにあたる。相手が挑発に乗る筈もないし、手の内を教えている様なものだ。日米では、とっくの昔に射撃管制レーダーの性能分析なんか終っているだろう。

 さて、中共の「反日」の正体について考える前に、中華人民共和国の「正統性」について考えてみる必要がある。ここでの考察の対象は「正統性」そのものではない。中華人民共和国に「支那を統べる正統性が備わっているのか」という問いに対する答えを考えてみようということだ。

 「中国」という呼称は中華民国の求めによって使われるようになった呼称だそうである。ではそれまではどうだったかというと、そう、”China”、「支那」だ。故に、少なくとも清国までは「支那」で良い訳だし、定義が曖昧な「中国」という表現は意図的にしか使う理由はない。

 話を「正統性」に戻すと、清国から中華民国への移行には「正統性」がある。ウィキペディアの「中華民国」からその辺りの経緯を引用しよう。
1912年1月1日に、革命家の孫文を臨時大総統(臨時大統領)として、中国大陸を中心とする中国を代表する国家として成立した。
同年2月12日には、清朝の皇帝である愛新覚羅溥儀が退位することによって、その後袁世凱が大総統(大統領)に就任した。その後、袁世凱と対立した孫文は1919年に中国国民党を創建し、1921年には後の国民政府の基となる革命政府を広州に樹立したものの、1925年に死去した。
つまり、新政府樹立→清国皇帝の退位を為しているが故に、中華民国は清国の後継として「少なくとも」清国の支配地域を統べる資格を持つと言える。だが、上記の通り支那の正統政府の系譜は直後から捻じれ始めている。現在の中華民国(台湾)の祖たる中国国民党は、革命政府として樹立されたのだ。まぁ、ここはちょっと目をつむろう。大事なのは、「正統性」は中華民国にまずあったという点だ。

 中華人民共和国が「支那の正統な後継政府」であるためには、正論から言えば、「中華民国から支那の支配権を委譲されなければならない」、或いは「中華民国を打倒して支配権を奪取しなければならない」。が、どっこい「中華民国」はまだ存在する。「ひとつの中国」論は、「清国支配地域の大部分を実効支配している」という事実を以て、さらに「中華民国も中国である」という理屈を重ね、「中国たる中華人民共和国」に支那後継政府としての「正統性」をこじつけるための方便という側面を強く持つと言って良い。裏返せば、「中華民国を除く中国」には支那後継政権としての「正統性が無い」と認めているに等しい。

 この観点から、中共が「実効支配」という表現や事実に敏感なのは当たり前なのだ。「実効支配こそ全ての根源、正義」としておかないと、自分の「正統性」が根底からひっくり返るからである。

 さらに中共にとって頭が痛いのが、「満洲国」の存在とその倒れ方である。

 満洲国(火属性の「明」へのカウンターとしての水属性ということで、洲にも「さんずい」を付けよう)は清国皇帝を退位した愛新覚羅溥儀を皇帝に迎え、満洲人の故郷に建国された。実態はともかく、満洲人が自分達のオリジンである満洲に自分達の王を戴く国を建てる、これは筋が良い。加えて満洲は清国の一部ではなかった、という事実がある。清国建国後も満洲地域は一種の特別区として独立を維持し、他民族の流入を制限していたのだ。さて、同じ皇帝を戴くという一点を以て、満洲国は清国の後継とは言えないか。中共は明らかにこの点にも神経質と見る。「偽満洲国」なんて呼び方はそんな背景の存在を疑わせる。

 映画「ラストエンペラー」で描かれたように、愛新覚羅溥儀は中華人民共和国の一人民となる。が、「満洲国を倒したのはソヴィエト連邦だ」。

 つまり、中華人民共和国は「清国も中華民国も満洲国も倒していない」が故に、「支那の正統な後継政権」としての資格を持っていないのだ。所謂「中華思想」を都合良く緩用しつつ、本質的には「中華思想と相容れないイレギュラーな政権」なのである。

 本来は身内でしか意味の無い筈の「中華思想」に絡め取られたままマゾヒスティックな喜びの声を挙げつつもだえ続ける巨獣、それが中華人民共和国だ。倒錯し、国民党軍との戦いと内部粛清の過程で手に入れた暴力を未だに核とする、欲望ではち切れんばかり膨れ上がったぶよぶよの巨獣だ。そこには龍のような優雅さや神々しさは微塵も無い。もちろん、清国国旗に描かれていた龍を中共が自らに投影することなぞ、イデオロギー的にあり得ない訳だが。

 さて、そんなやっかいな状況下でも「正統性」を確保する手段が無い訳ではない。いや、より正確には「正統性」を不要とする手段が無い訳ではない。

 一つは「中華思想的価値観を捨てること」だが、上述のようにこれは今の中共にはできそうもない。もう一つは、暗に「支那支配における正当性の系譜はいったん途切れた」とすること、もちろん「途切れさせたのは日帝」という理屈だ。これを成立させるには、「日本がいったん支那を実効支配したこと」と「その実効支配の終結に寄与した抗日活動が存在」し、かつ「抗日活動の主体が中共であった」という神話の創造と流布が必要だ。これは普通は歴史の「ねつ造」と呼ばれる行為である。

 「抗日」を起点に歴史をねじ曲げたい、せめて北朝鮮ぐらいのレベルの「正統性の主張」が出来るようにしたい、というのが本音だろう。だが、日帝支配にしても満洲国建国にしても、相手は几帳面な日本人が関与した事項であるため多数の資料が残っている。一方的な主張は簡単には通らない。

 近年の中共の「反日」には、「抗日の延長線上」という筋の悪さが見え隠れする。それは筋の悪さ故に、少なくとも鄧小平氏までの主流派は全く使った形跡の無い手法だ。となれば、今日的な中共の「反日」は、韓国の「反日」よりも新しいことになる。むむ。

 続きマス。

STAP細胞騒動:遅すぎるけど出さないより百万倍マシなメール

 YOMIURI ONLINE記事、「『STAP信じている』だけでは駄目…学会強調」から。
 STAP(スタップ)細胞論文の問題をめぐり、日本分子生物学会の大隅典子理事長は、データの正確な記録や再現性の確認など、科学の世界で決められている手続きを守るよう呼びかけるメッセージを、同学会の全会員に電子メールで送った。
あまりに遅い、という気もするけれども、「まっとうな人ほど陥り易い罠」もある。「まっとうな人は他人もまっとうに振る舞うと思いがち」、一種のバカの壁とも言える。ついにこらえきれずに、というのが実態かもしれない。ただ、メール内容の対象がどこまでか、という点は重要だ。学界全体へ、ということにならば少し記事の捉え方も違ってくる。

 「プロトコル」とは「手順」だが、使われる文脈によっては「礼儀に適った」というニュアンスをも伴う。以前にも触れたように、某論文の執筆者は技術者、科学者としての礼や品性を著しく欠く。

 私は育ちが多少悪いので「仁義を切る」とよく表現する。論文査読にあたって「侮辱」なんて言葉を飛び出させないためにも「仁義を切る」必要がある。一例は、少なくとも戦後の主要関連論文には全て目を通し、一、二世代前の研究者の「常識」をも身につけておくことだ。1950年代の論文に書いてあることを「再発見」しても意味がない。ただの勉強不足と一蹴されるだけだ。

 周囲も、仮説だなんだとか言ってる暇があったら再現試験やって結果を発表したらどう?というのが建設的な姿勢ってもんじゃないかな。

2014/04/29

韓国マスコミの報道姿勢もN○○は笑えない

 Jキャストニュースの記事「救助活動で韓国海軍がテレビ用に「やらせ」 休憩中ダイバーにウェットスーツを着せて水かけ、臨場感つくる」を読んで思い出した。

 これは本人から直接聞いた話。

 もう10年以上前のとある事故が発生した際、その分野の専門家であった知り合いが呼び出されて自治体の事故対策本部に入った。担当したのは技術的な視点からの報道対応だった。正確を期すため技術資料を何冊ものファイルバインダーで持ち込み、きっちり分野毎に目の前に並べて置いたそうだ。

 と、突然見知らぬ人間がやってきて、ファイルバインダーの位置を変えるわ、ひっくり返すわされたという。本人が抗議したところ、相手が一言。

「臨場感が無いので。」

N○○のディレクターだったそうだ。

 放映されたニュース映像では確かにファイルバインダーがめっちゃくちゃに積んでありました。N○○のニュースなんてそんなもの、と思うようになりましたよ。ちなみに私は地方新聞で「言ってもいないこと」を書かれたことがあります。

 全然関係ないけど、この記事も凄いよね?変な思考回路だなぁ。

 <韓米首脳会談>米大統領の慰安婦発言は韓日和解「折衷案」

2014/04/28

The Model/KraftwerkのMegpoidカバー リビジョンアップ!

 やっぱりリビジョン1ぐらいが「ま、いっか感」が出てバランスが良いようで。テンポを下げて、音量バランスを調整しました。

2014/04/27

米国だけじゃない

 多くの企業が凄~く遠まわしに、間違っても差別と呼ばれないように、慎重に手を打ち始めてると聞くスパイ対策。片やどっかの組織は「お人よし全開」なので、打ち合わせで話す内容に実は非常に気を使ってる昨今。「他人を犯罪者にしない(出来心の原因を作ってはいけない)」のも日本人の昔からの心使い。とは言え、法整備は必要ですな。

 あ、報道機関も一緒だよ。


ラフマニノフ1929

 エフゲニ・ポジャノフが「題名のない音楽会」で弾き、フィギュア浅田真央選手(もはやアスリートと呼ぶのも憚られる、まさにファイター)がフリー演技で使ったラフマニノフのあの曲、タイトルなんかどうでも良いよね。古い話だが、アニメ「のだめカンタービレ 巴里編」のオープニング曲の元ネタでもある。

 クラシカルも聞くようになったけど、クラシカルファンとは未だ共通の言葉が使えないという典型的な入門状態の私としては、こんな紹介が限界だ。ひょんな弾みでYoutube上のラフマニノフ本人がピアノを弾いた1929年録音版を見つけたので、自分の為にも貼っておこう。

 作曲者自身が演奏や指揮を担当した録音は実は面白い。ラヴェルの「ボレロ」は楽譜上はかなりゆっくりとした演奏が指示されている。が、作曲者本人が指揮した録音は、どう計算しても楽譜上の指示より15%ぐらい速かったりするそうだ。ちなみにこれを教えてくれ、実際に聞かせてくれたのは「銀河英雄伝説」ファン。どうでも良いことでした。

2014/04/26

アジアワッチ、八度。

 多分、この記事を書いた記者は状況を理解している…気がする。そうでないともうどうしようもなく、あらゆる言語表現も不可な、レベルが低いどころじゃない××だ。

 中央日報の記事「<韓米首脳会談>オバマ大統領『慰安婦問題は甚だしい人権侵害』」から。
  オバマ大統領は青瓦台(チョンワデ、大統領府)で朴槿恵(パク・クネ)大統領と韓米首脳会談を終えた後の共同記者会見で、日本指導者の歴史認識に関する考えを尋ねる質問に対し、このように答えた。また「被害女性の声を聞かなければいけない。彼女たちは尊重される権利がある」とし「どんなことがあったのか正確かつ明確な説明がなければならない」と強調した。「安倍首相と日本人は(韓日両国間の)過去が正直かつ公正に認識されるべきだという点を知っていると考える」とも述べた。(下線はブログ主)
記事の記載を信じれば、オバマ大統領は「きっちりと公正に検証せよ!」と明確に言っている、そして「日本もそれを望んでいる」とも。形容詞を全て取り去って、文脈、論理のみとすればそうなる。

 米国は(一枚岩ではないにしても)日韓関係はほどほどの緊張関係であった方が良いと考えている、という見立てが日本では多いし、おそらく正しい。故に、米国は従軍慰安婦の「強制性」に関わる問題の解決、すなわち「歴史的事実の検証」に第三者として介在してくれそうにはない。またオバマ大統領の先の発言を言質と捉えることを、韓国はもとより、米国も嫌がるだろう。結局、何も変わらないのだ。

 ただ、現在に至っても「日韓が協調して米国覇権主義に挑む」なんて可能性を考えている人がいたら、それは歴史的、政治的リアリティを完全に欠く。「両者は根本的に価値観の相違を抱えるため、現在の延長上では相容れることはない」、それが現在の日本の主要な認識だろうと思う。

 米国において、知日派とされる人ほど大統領の訪韓を推した理由についても想像してみよう。某国のモンスター具合を気にしてのことではないか。

 大統領訪韓に先立ち、朴大統領は中国首脳と電話会談したという。訪韓を望んでおきながら米国大統領の面目を潰すったぁ、酷い話。そんなところにも「相容れない価値観の相違」がある。

STAP細胞騒動がどうしようもなくアカデミックじゃない

 マスコミも上げ足取りに汲々とし、本質的なところに全く触れない。バカバカしくて開いた口がふさがらない。

 STAP細胞作成が第三者によって再現、確認されない限り、その論文はねつ造か、不完全だ。それ以外の解はない。

 逆に、第三者によってSTAP細胞の存在が確認されれば、論文がねつ造だってかまわない。ねつ造ならば論文執筆者は間違いなく馬鹿にされ、信用は地に落ちるが、科学的功績の有無や所在は揺るがない。

 ヌケや間違いがあるならとっとと発表論文のエラッタ(訂正)を出せ。そんな当たり前のことを何故とっととやらないのか。記者会見の何万倍も優先度が高いじゃないか。あんな記者会見、私の周囲のできる人間に限って一顧だにしていない。私も「そんことが開かれたらしい」ことしか知らない。

 経験不足とかいうレベルの話じゃない。科学者倫理、技術者倫理の基礎の基礎を未だ放り出しっぱなしなんて、論文執筆者は科学者、技術者としてはそれだけで十分軽蔑の対象だ。

 ホント、論文執筆者本人からマスコミまで事の本質を放り出しっぱなしに過ぎる。低レベルにも程がある。

 寝る暇があったらエラッタ(訂正)を書いてよ。

 まぁ、分野によって差はあるのだろうが、「ネイチャー」は別段権威がある雑誌ではない。とある組織に属していた時に、その組織の人間の論文が「ネイチャー」に掲載された。当の本人はエラくはしゃいでいたそうだが、周囲の反応が凄かった。

 「アレで載るの?ふ~ん。」「そんなことよりあんな出来た女性と結婚できた事の方がうらやましい。」「アイツ、一生このことを反芻しつづけるんだろうなぁ…。」

世の中、そんなもんですよ。