分かっているか分かっていないか、理解しているか理解していないか、という問題だ。これは、「常識的判断に照らせば、その技術に近付くことすら認められない」ということである。
原子力発電所の定期検査で、30年間にわたり検査すべき部位とは違う部位を検査していたのにもかかわらず、規制当局はこれに全く気付いていなかったことが分かった。原子力安全委員会は釜山市機張郡の古里原発4号機と全羅南道霊光郡のハンビッ原発2号機で、原子炉容器溶接部の一部検査部位についてミスが確認されたと4日、発表した。・・・
例えば手順書(マニュアル)の間違いに気づくことができる人間は、その内容だけでなく、背景情報、知識、原理を理解している人間だ、つまり、手順書が書けるぐらいの人間でなければ間違いには気付けない。この辺りは良くも悪くもお国柄が出ると見える。一般論として、他分野も含めて個人的な心象は下記のような感じ。
- 米国:誰が読んでも分かるように、然るべき手順が為されるように手順書が書かれていることが要求される。手順書を書く人間は自他共に認める専門家であり、報酬は多い分だけ人一倍働く米国的エリートである。米国ではエリート層が最も長時間働き、かつ重要な決断を担う。
「知らないこと」が報酬や社会的地位に影響するが、知らないなら知らないなりの社会生活が営める、プラスアルファがプラスアルファの元、「然るべき人を然るべき立場に就ける」という文化。知識レベルの二極化を受け入れ、それでも上手く機能するシステムを構築する文化。 - 日本:手順書を読み、手順を実行する人間にも背景知識の理解を要求する代わりに、教育機会と理解度に応じたポスト及び報酬を制度的に担保する。手順書を書く人間は先達かつ大抵が無名の専門家であり、報酬は年功序列+専門性分+重要な決断を担うかどうかを鑑みて状況により変動する。手順書を書く人間も実行する人間も、概して報酬+α分に見合う分は最低働く。
「知らないこと」が時として恥となるが、「知ること」への努力、結果が評価され、報酬や社会的地位に影響する、「立場が人を作る」を認める文化。全体の知識レベルを常に上げようとする圧力がある文化。 - 某国:誰が読んでも分かるように、然るべき手順が為されるように手順書が書かれていることが要求される。手順書を書く人間は自ら認める専門家であり、報酬は多いが働かず、概して部下に書かせたりする。重要な決定は担わないし、専門性の高低は社会的地位や報酬とはほとんどリンクしないので身に付かず、しょせん自称専門家なので自分のみならず部下の間違いにも気付けない。片や、手順書の内容は専門知識を有しない実行者により「面倒くさい、良く分からない」などの理由から概して無視される。
人材を潰し、全体の知識レベルを常に一定レベルに保ち続けようとする圧力がある文化。