2014/08/21

侵入者を殲滅せよ!

 今住んでいるアパートには新築で入った。新築の良さは何と言っても「ゴキブリが居ない」ことである(訳有り物件の可能性が低い事ももちろん重要、学生時代にエライ目にあったからね)。実際、7年以上ゴキブリを見ることはなかった。が、約1ヶ月前についに現れた。おそらく隣室への入居者の荷物とともに侵入したものと思われる。

 基本、虫とは言え殺生はしない主義なのだが、如何せん相手の挙動が自由過ぎる、勝手に俺(座卓生活者)の身体に登るな。そしてついに繁殖の揺るぎない証拠が確認された。

 という訳で既に発動していた封鎖作戦「座卓の盾」を破棄、昨晩から化学兵器「ハンドソープ」を主兵装とする非接触大規模殲滅作戦「座卓の嵐」の発動を決定した。守りから攻めへの方針転換である。「砂漠」→「座卓」と、作戦名が地口としてイマイチなのがつくづく残念ではあるのだが。

 昨晩は封鎖作戦「座卓の盾」で追い込みに成功した大物を浴室(ユニットバスなので入口、排気口、排水口以外に開口部なし)で殲滅、今晩は小物達の挙動を10分ほど観察して洗濯機脇の本拠(空の卵のある場所)を急襲、十匹以上の小物を一気に殲滅した。残念ながら一、二匹逃したが、明後日にはブービートラップ(ゴキブリホイホイの類ね)を設置する予定である。

ふぁっ、「夜のヒットスタジオDeluxe」!!

 いわゆる「夜ヒット」、知ってる人の年齢は推して知るべし。で、たまたまYoutubeで見つけたのがMichael Fortunatiの出演シーン。へぇ、来日したことがあるんだぁ、しかも楽曲は"Give me up!"じゃん、とか何気に見ていると、同曲を日本語でカバーしたBaBeのお二人も登場。他の出演者も懐かしいやら若いやら。

 ちなみに「BabeのGive me up!」で斉藤由貴さん主演のTVドラマ「あまえないでヨ!」とか思い出しちゃったあなた、そうあなた!お互い歳をとりましたなぁ。

 タイトルは「ライブ」になってるけど、これは口パクだよねぇ。「生出演」ってニュアンスかな。
 それはそうと、シュルダーキーボードっていうのは一応格好良かったんでしょうかねぇ。チック・コリアみたいにガリゴリ弾いたり、打楽器みたいに扱う分には多少ありかとも思ってましたが、未だ謎。

2014/08/16

う~ん、

 朝日新聞社説、なんとも調子が良いことで。
日本と韓国―国交半世紀に向かって

2014年8月16日(土)付

 8月15日の終戦の日、日本は戦没者の追悼に包まれた。
 隣の韓国は、植民地支配から解放された「光復節」だった。
 きのうの式典で朴槿恵(パククネ)大統領は、日韓が来年、国交正常化50年を迎えることにふれ、「未来志向的な友好協力関係に進まねばならない」と訴えた。
 中でも慰安婦問題が解決されれば関係が進むとし、「日本の政治指導者たちの知恵と決断を期待する」と呼びかけた。
 両国が未来を見すえて行動を起こすときであることは間違いない。日本の誠実な対応とともに、朴氏自身も「知恵と決断」に踏み込むべきである。
 どちらか一方が百点満点と評価できる解決はありえない。どんな方策を選ぼうとも、両国の間には、評価と反発とが入り組む複雑な反応が生まれることは免れない。
 だが、そのむずかしい着地点を探しだし、大局的な視座に立った解決を図ることこそが、外交をつかさどる政治の使命である。冷え切った隣国関係がこのままでいいはずがない。
 朝日新聞は今月、慰安婦問題について特集を組んだ。過去の報道の誤りをただすとともに、慰安婦問題の本質は普遍的な人権の問題であることを示した。
 日本軍が関与して作られた慰安所で、多くの女性が兵士の性の相手を強いられた。女性の尊厳が著しく傷つけられた。その史実は否定できない。
 負の歴史に対する責任の認識は、日本の歴代政権もしっかり共有してきた。90年代の「アジア女性基金」の設立など一定の努力をしたが、韓国側が受け入れを拒んだ。
 こじれた問題とはいえ、両政府は2年前、打開する合意案に近づいていた。日本の大使が被害者らにおわびし、国家予算による支援などをする案だった。
 その合意は日本の政局の流動化で霧散してしまった。だが、政治が真剣に取り組めば、道は開けることを示している。
 両国の識者や政治家が集まった「日韓フォーラム」が先週、福岡で開かれた。政治の膠着(こうちゃく)が経済や観光にも暗い影を落とし始めている問題も論じられた。
 安全保障面では、北朝鮮への対応や、アジア全体の安定化のためにも、西太平洋を代表する民主主義経済大国である日韓の連携は不可欠だ。
 首脳同士会うこともできず、健全な隣国関係を築けない両国の指導者が、アジア地域全体の未来を描けるはずもない。
 安倍首相と朴大統領は、節目の年を前にした今こそ、真のリーダーシップを見せてほしい。
言いたいことは分かる、分かるが、「それはそれとして」旗色はっきりさせないといけないことが有るでしょうという事なんですが。「ねつ造報道」とそれらを発端として隣国との無用な軋轢を発生させた件に対してはどういう立ち位置なんですか。

 「南京大虐殺」「靖国参拝問題化」と、まだ先が控えているのですよ。今は中共内では権力闘争が展開中の様なので目立っちゃいないけど、いずれこれらにも答えなきゃならないよ?歴史もちゃんと理解できない馬鹿、或いはしないファンタジー脳なのは重々承知ですが、仮にも報道機関なんだろ。総括しろ、それとも総括されたいの?左翼用語ならば分かってもらえるかな?

2014/08/15

クリスティアン・アングラオ著「ナチスの知識人部隊」読了。

 博士論文に筆を入れたものとのことで、読み物としては重い。

 テーマはナチス政権下でのドイツの東方進出の正当化に重要な役割を果たし、さらに東方進出後には行動部隊(虐殺も行うことになる)の指揮にも関わった博士を含む大学出身者の行動、言動である。内容についてはちょっとやそっとでは纏め切れないので具体的には触れないが、まずナチズム有りきではないこと、第一次世界大戦の敗北~戦後の混乱期が当時のドイツの学生の目にどう捉えられていたか、どう彼らの思考に影響したかという視点が特徴の書と言える。第一次大戦で一部ドイツ人が感じた「民族絶滅の危機」が如何にその後の行動の正当化と繋がっていくか、そしてそれが実は姿、主体を変えて繰り返され、現在もなお繰り返されつつある、という視座を読んだ者に残すだろう。つまり本書は意外にもナチズムを扱ったものではない。が、ナチズムと総称されるものの一部、かつナチズム無しでも存在できたひとつの思想、の正体を明らかにしている。それ故に恐ろしくもあり、示唆に富む内容となっていると思う。

 もし太平洋戦争敗戦時に「国体」が外科的に解体されていれば、日本でも一周遅れで起きたかもしれない、と覆わせる部分も多々あるやに思う。

 少し脱力してしまったのは翻訳者のあとがき。無用な修辞を不用意に使ったせいで、まるで本書を読まなくても書けるような奥行きの無い内容となっている。うっかりあとがきだけ読んで「つまらん」などとは思わぬように、翻訳はきっちりとしたものです。

本日の天声人語は

豪快なブーメランであろう。

 山田風太郎氏の「戦中派不戦日記」を引用し、「どんぐりとなるな、個を持て」とまとめていた。ここで「どんぐり」が指す意味合いは「皆が同じ考えに染まった状態」を指す。戦前、戦中に日本国民の「どんぐり」化、しかも戦争に向かう「どんぐり」化を進めた主体のひとつは明らかに新聞である。朝日新聞自体も例外ではなく、戦前~戦中の紙面に一通り目を通した経験からは、むしろ強力に加担したと言って良いとの感触を持つ。今もどんぐり化を進めたい意向のようだが、紙面を見るにもう報道である事も放棄しつつある現状では無理であろう、ドグマ剥きだしで読むに耐えない。なお、山田風太郎氏の作品を愛する身としては、

 山田風太郎氏を愚弄するな。

とはっきり言いたい。どの面下げてそんなことが書けるのか、毎度のことながら自らを省みることができないセンスを心底疑う。

 夕刊は輪をかけて剥きだしで酷い。昨日の「素粒子」欄も酷かった。国内で朝鮮半島で見られるピラミッド型古墳が発見されたことと、現在の日韓関係の悪化状況を引っかけた一文があった。が、当時の高麗(高句麗)は「現在の朝鮮半島の住人」とは異なる民族による国である。

 良くて不勉強、それとも「韓国国定教科書の歴史記述を信じている」とか。

 別民族であることを前提に書いていたとすれば、それはそれで愉快。違う民族による違う歴史を経ていれば、現在の状況は無かったかもしれない。そういう意図でのあの一文であれば評価もできよう、いや、上手いと言おう。脱亜論も、日中戦争も、日露戦争も、日華事変も、太平洋戦争も、ねつ造慰安婦問題も無かったかもしれないのだ。

おまけ・・・いや、四大文明より大韓民国の方が新しいですから。

2014/08/11

イントレランス

 イントレランス【intolerance】とは、
  1. 許せないこと、耐えられないこと
  2. (宗教上の)不寛容
という意味である。

 冷戦時代は少なくとも表面的にはイデオロギーの対立の時代だったと言えよう。

 この時代のイデオロギー対立は完全な対立関係、つまり両立しないものとして良くも悪くも極めて単純化された形で取り扱われた。だから勝敗が争われた、互いに自分がラストマン・スタンディング(最後の生き残り)たらんと科学技術、経済、軍事などあらゆる手段で覇を競い合った。今から見れば、極めて理解し易い世界情勢が形作られていたと言える。

 イデオロギー対立の下では、それ以外の事案は大抵許容された。どちらかの陣営に属するか旗色をはっきりさせれば、独裁だろうがなんだろうが大国はそれを許容し、支援すらした。敢えて誤解を恐れず言えば、冷戦時代は意外にも「寛容(トレランス)」が至るところで見られた時代だったのかもしれない。もちろん、ここで「寛容である事」自体の良し悪しは問わない。「寛容」が極めて恣意的、選択的であったことは紛れもない事実である。

 対して、現在は「不寛容(イントレランス)」の時代という思いが最近強くなってきた。例えば、宗教対立や民族対立には相手に対する「不寛容」の存在が透けて見えることが多い。先鋭化した原理主義も他の価値観に対する「不寛容」さを伴う。隣国と日本との関係もそう、互いの「不寛容」さの衝突のように見える。

 時代のキーワードは「寛容(トレランス)」から「不寛容(イントレランス)」へ。 情報化の発達は相互理解の促進だけでなく、互いに相譲れない価値観の相違もあぶり出した。国家や民族集団などの内への顔、外への顔が同じ重みで不特定多数に伝わるようになった。これはまぎれもなく大きな変化である。

iTunes11.3.1.2、あ、もうきっと直す気無いのね

 定期報告です。
 Windows7における右端問題、未だ健在。アップデート後の初回起動で安定のこの状況。



「Dear Radio」Megpoidカバー、テストミックス #2

 "Z3TA+ FM Mix"と"MF Mix"のテスト版です。

  "Z3TA+ FM Mix"はカバーでは無くてコピー寄り、と言うか音色含めて何処までオリジナルに近づけるかというミックス。音は全てソフトシンセ"Z3TA+"によるもので、「サイン波オシレータ2個(Yamaha流には2オペレータ)のFM変調縛り」でスクラッチから作成。けっこうFM変調での音作りのノウハウが貯まりましたよ。MS-Exelで生成波形をシミュレートしながらの音作りはちょっと面白かったです。

 "MF Mix"は80年代風の作りを目指したところ、良い感じに"Michael Fortunati"(つまりMF)っぽくなってきたことから命名。"Michael Fortunati"のオリジナルの"Give me up!"と"BaBe"によるカバーバージョンのどちらに寄せようか思案中。

  "Michael Fortunati"のオリジナルの"Give me up!"、いや~80年代だなぁ。

 "BaBe"のカバーバージョンの"Give me up!"。このころはTVドラマ「スクール・ウォーズ」の影響でラグビーがちょっと人気だったんだよね。私は一度も観たことがないのだが。

 で、テストミックスです。

2014/08/10

朝日新聞「慰安婦問題を考える」の不完全な解説 #0

  夕刊フジZakuZakuの記事、タイトルだけでもううんざり。

 朝日新聞、慰安婦誤報 英文サイトに検証記事なし「お答えは、さし控えます」

 前段は良いとして後段はどういうことかと言うと、
・・・しかし、朝日が運営するウェブサイトの英字版では9日午前9時現在、誤報を認めた記事の英文版は確認できない。朝日の主要記事は当日中に英訳され、同サイトに掲載されている。
これだけ日本にダメージを与えた証言を取り消す検証記事は、少しでも早く掲載する必要があるはずだ。万が一、掲載しないとなれば、「姑息」といわれても仕方ないのではないか。
夕刊フジが、朝日にこの件について問い合わせたところ、同社広報部は書面による質問を求めてきた。このため、7項目の質問をFAXすると、5時間以上かかって回答書がきた。
注目の回答書は、「いただいたご質問にまとめて回答します」で始まり、改行後、黒く太いゴシック文字で「お答えは、さし控えます」と続き、再び改行後、「以上です。どうぞよろしくお願いいたします」と書いてあるだけだった。
電話で、回答ができない理由を担当者にたずねても、「さし控えますということです」という答えしか返ってこなかった。
ということらしい。

 でも真面目な話、あのシリーズ記事の英語版は書けても英訳は不可能だと思う。姑息なレトリック満載の記事の文章は論理破綻の塊で、日本語ですら成り立っていない。そんな文章、或いはそもそも論理構造も論旨すら備えていない唯の単語の羅列なんか、論理構造がより明確であり、あやふやな記述を苦手とする英語に訳せるとは思わない。翻訳を頼まれた人が居たとしても、できる人間ほど頭を抱えてしまうだろう。概して英語で曖昧な文章を書くことは難しい。

 論理的に無意味な英文が使われていると言えば「不思議の国のアリス」を代表とするチャールズ・ドジソン(ルイス・キャロル)の作品群が挙げられるが、彼が数学者であったことは重要だ。英文として成立させつつ、論理性が曖昧な、或いは論理破綻した英文を書くには、人並み外れた論理性が必要ということだ。

 技術畑の人なら分かると思うけど、英語で論文を書く場合と日本語で論文を書く場合とでは論展開自体が変わる。日本語のしっかりした論文でも、単純に英訳したものは回りくどくて凄く理解にしくい代物となる。実際、先に社内用の日本語報告書を書いた後に社外向けの英文論文を書こうとするともの凄く苦労する。ここは個人差があると思うが、私は論理的思考に数学を除く特定の言語は使わない。が、いったん頭の中の論理を日本語で言語化すると、頭の中の論理構造が一気に曖昧になってしまうのだ。

 朝日新聞の件のシリーズ記事では主語、或いは行為の主体を曖昧にしたり、不要な修飾を付すことで、結局論理的には何も言っていない文章が多い。これは日本語が主語を重視した言語構造を持つ故であって、裏を返せばここを曖昧にすれば文章全体を曖昧とできるということだ。対して英語は主語よりも動詞に重点を置く。例えば、英文では文頭を主語を代理する"it"で始め、論理的な主語が動詞の後で記述される事が多い。これは単に構文といった形式的なものではなくて、論理構造を明確に示すにはまず動詞、次いで主語ということを英語という言語が要求するからと解釈すべきだと思う。動詞と主語の現れる順番を幾つかの文で確認すれば、執筆者がどれだけ英語慣れしているか、或いは日本語といったウラル・アルタイ系言語をネイティブとしているかが何となく分かることすらある。

 職場で論理破綻した主張をする人には「英語で説明し直して」とお願いする。まず、主語も動詞も選べなくて説明できない。良くても論旨が変わってしまう。TOEIC900点以上を自慢する人でも、論理が破綻している内容は英語では説明できない。 ちなみの私の英語力は、英文を読むことに抵抗が無いだけで、高いとはお世辞にも言えない。会話、文章作成能力は職場では平均未満であろう。

 さて、朝日新聞社の「お答えは、さし控えます」、どう解釈しますか?察してやるなんて義理もないですからね。

フロッピー座の怪物?

 "Phantom of the Floppera"、"Phantom of the Opera(オペラ座の怪人)"のもじりですね。 

 昔、むか~し、9セクタフォーマットのフロッピーディスクを8セクタフォーマットフロッピー用ドライブで読み込むために特殊なドライバーソフトウェアを使ったりしました。Windows以前のお話です。確かにドライブ動作音が変わったんだよなぁ・・・ちょっとそんな事も思い出したビデオ。おそらくドライブヘッドの動作(ステッピングモーターだったっけ?)を直接制御してんじゃないかと思います。