今日は東京出張。上野駅でふとホームに目を配ると、環状線用のホームに京浜東北線の列車が入っていることに気づいて愕然とした。知ってる人は直ぐ分かると思うけど、環状線は「緑」、京浜東北線は「青」、車体のラインからホーム番号の背景まで統一した色が使われている。「緑」のホームに「青」の列車が停車している光景は配色だけでも十分にちぐはぐだ。
原因は東京駅での京浜東北線の事故で、一部区間ではあるけれど「京浜東北線の列車を環状線用の線路を使って運用していた」のだ。「JRすげー!」とか、普通に感心してしまいましたよ。
片や中央日報の記事、「事故が相次ぐ韓国…今度は首都圏電車が300メートル逆走」にはもうタイトルだけでお腹一杯。
ホント、笑えない話には事欠かないね。
2014/05/10
2014/05/09
アジアワッチ、九度。
なんか底の浅い言い訳(普通は「嘘」と言う)させたら天下逸品ですな。
朝鮮日報の記事、「戦闘機がミサイル誤射、韓国空軍に隠蔽疑惑」がネガティブ方向で衝撃的。
「離陸中のF-4戦闘機からサイドワインダーミサイルが滑走路に落ちた」なんてのが最初の報道だったのだが、サイドワインダーミサイルの搭載方法はレール式だし、ケーブルだって繋がってる筈。素人目にだって「そりゃねぇだろ」という全く説得力のない話で、フタを開けてみれば「やっぱり」と何の捻りもない有様。
あ、「回路のショート」も底の浅い言い訳だったりして…。
朝鮮日報の記事、「戦闘機がミサイル誤射、韓国空軍に隠蔽疑惑」がネガティブ方向で衝撃的。
「離陸中のF-4戦闘機からサイドワインダーミサイルが滑走路に落ちた」なんてのが最初の報道だったのだが、サイドワインダーミサイルの搭載方法はレール式だし、ケーブルだって繋がってる筈。素人目にだって「そりゃねぇだろ」という全く説得力のない話で、フタを開けてみれば「やっぱり」と何の捻りもない有様。
あ、「回路のショート」も底の浅い言い訳だったりして…。
アルバム「イエロー・マジック・オーケストラ」と言えば、
米国版と国内盤がある。私がCDで最初に入手したのは米国版で、そのころは国内版のCDはまだ流通していなかったんじゃなかろうか。いずれにしても25年ほど昔のことだ。
私は別にYMOファンではないので、国内版はiTunesで購入したのが初めてで、さして聞き込むこともしてこなかった。が、昨日の出張の移動中に米国版と国内版を「分析的」に聴き比べてみて、余りの違いに(やっと)驚いた次第。ファンなら常識なんだろうけどさ。
とにかく米国版が「如何に分かり易いミックスとなっている」かが良く分かった。「アフター・サーヴィス」に収録されているライブ音源の分かり易さはおそらく米国版譲りなのだろう。ここで言う「分かり易さ」とは、①リズムが取り易い、②余分な音が無い、の2点に尽きる。
例えば国内版の「東風」には、左端に「エッジの立っていないスクラッチノイズ」みたいな音が入っている。アタックが弱いせいで、この音に気を取られるとリズムが分からなくなってくる。米国版にはこの音は無い。「マッドピエロ」も国内版はちょっとリズムが変態的だ。おそらく特定の音に利かせているディレイ成分の音量が大きく、またドラム音のアタックもけっこう鈍いので、これまたリズムが分からなくなってくる。
国内版ってのは「高尚」っていうのではなくて「ひねくれてる」って感じの毒入り品、米国版は「ひねくれ感」という「毒」を薄皮を剥くように取り除いたもの、むしろ国内版で隠されていた本性がむき出しにされたもの、じゃないかなという感じ。国内版はシャイな訳だ。
国内版は、もう格好良いどころかむしろダサいぐらいで、本来のYMOの方向性ってそうだったのかもな、などと思わせるところがある。まぁ、「東風」なんて改めて真面目に聞くと色々と発見があるものだ。米国版では冒頭にドンカマがクロストークで入っちゃってる、みたいな話では無くて、構成とかにね。
私は別にYMOファンではないので、国内版はiTunesで購入したのが初めてで、さして聞き込むこともしてこなかった。が、昨日の出張の移動中に米国版と国内版を「分析的」に聴き比べてみて、余りの違いに(やっと)驚いた次第。ファンなら常識なんだろうけどさ。
とにかく米国版が「如何に分かり易いミックスとなっている」かが良く分かった。「アフター・サーヴィス」に収録されているライブ音源の分かり易さはおそらく米国版譲りなのだろう。ここで言う「分かり易さ」とは、①リズムが取り易い、②余分な音が無い、の2点に尽きる。
例えば国内版の「東風」には、左端に「エッジの立っていないスクラッチノイズ」みたいな音が入っている。アタックが弱いせいで、この音に気を取られるとリズムが分からなくなってくる。米国版にはこの音は無い。「マッドピエロ」も国内版はちょっとリズムが変態的だ。おそらく特定の音に利かせているディレイ成分の音量が大きく、またドラム音のアタックもけっこう鈍いので、これまたリズムが分からなくなってくる。
国内版ってのは「高尚」っていうのではなくて「ひねくれてる」って感じの毒入り品、米国版は「ひねくれ感」という「毒」を薄皮を剥くように取り除いたもの、むしろ国内版で隠されていた本性がむき出しにされたもの、じゃないかなという感じ。国内版はシャイな訳だ。
国内版は、もう格好良いどころかむしろダサいぐらいで、本来のYMOの方向性ってそうだったのかもな、などと思わせるところがある。まぁ、「東風」なんて改めて真面目に聞くと色々と発見があるものだ。米国版では冒頭にドンカマがクロストークで入っちゃってる、みたいな話では無くて、構成とかにね。
2014/05/08
検索ワードラウンドアップ:その6+東風/YMOカバーのスタブ
久々のアクセス解析:検索ワードラウンドアップ。ちょっとしたシンクロ感というか、タイムリーだったので。で、おやと思った検索キーワードは…
ソフトシンセは2?3本あれば十分だろ?
う~ん、これは色々と悩ましい。自分の環境から言うと、ソフトシンセ(サンプラーは除く)は以下の3つで確かにやりたいことはほぼカバーできる。
ソフトシンセは2?3本あれば十分だろ?
う~ん、これは色々と悩ましい。自分の環境から言うと、ソフトシンセ(サンプラーは除く)は以下の3つで確かにやりたいことはほぼカバーできる。
- 音色作り用:Cakewalk Z3TA+2
元々Cakewalk PsynIIが「音色作り用」だったのだが、開発も終了し、OSの64bit環境移行後に使えなくなったことも受け、Z3TA+2への完全移行を決断して購入した。ちなみにPsynIIは、これまた開発が終了した初期のDAW、Cakewalk Project5の添付ソフトシンセだった。「決断した」とか大げさに思うかもしれないけれど、「欲しい音が明確な」場合に「その音が作れる」ソフトシンセを持っておくことは「音色作り好き」にとっては重要で、新しいソフトシンセを使うということは「一から音色作り手順を勉強する」覚悟が要る。
音色作りのフローの分かり易さとエフェクトを使わなければCPU負荷が低いのがZ3TA+2の魅力だ。欠点は、最初のとっつきにくさと、音色作りの観点から肝心なことがマニュアルに一切書かれていないこと(操作方法しか書かれていない。ある意味致命的かも)。
- ベース用:NI Razor または NI REAKTOR(自作シンセ)
ベース音はRazorで仮音を取り敢えず設定し、必要に応じてREAKTOR上に組んである物理モデリング音源かZ3TA+2で作った音に後で差し替えるのがよくあるパターンだ。Razorで一から音を作ることはしないけど、プリセット音のバリエーションは着々と増えている。
Safe Bass機能がなければ実は貧相なソフトシンセという気がしないでもないが、実用性と言う観点からはSafe Bass機能は無敵だ。またボコーダーは使い易いし、そのバリエーションが多いのも魅力だ。
- プリセット、サンプルが豊富:KV331 Synthmaster
「あの曲のあの音が欲しい」時に便利なソフトシンセ。CPU負荷がもう少し低ければ、「音色作り用」の座をZ3TA+2から奪っていたかも知れない。使用頻度は「3曲中1曲に1音色」ぐらいで、問題なければとっととフリーズやバウンスしてしまう。
私個人は、「ビンテージシンセ(ハードウェア)をそのままシミュレートしたソフトシンセ」については否定的な立場だ。果たして的確な例えかどうか分からないが、「ミニ(車ね)に乗りたかったんだけど、ミニっぽいデザインの別の車に乗ってます」というのはツマらんだろう、みたいな感じで、「Moogの音が欲しいならMoogを使え」っていう極論が自分の信じるところということ。Synthmasterならば十分にMoogっぽい音やDXシリーズっぽい音は出せる訳で、ならばそれを使い込めばMoogシンセやDXシリーズをシミュレートした別のソフトシンセなんか要らんでしょうということです。
実際のところ、Synthmasterは個人的にはオーバースペックなぐらいで、音色作りのフローの分かり易さはおそらくZ3TA+2より上。
- サンプラー:Cakewalk D-Pro64bit
基本的にピアノ、弦楽器音源。以前に使っていたDAW、Cakewalk Sonar X1添付で、Cubase移行後も使っている。
- サンプラー(ドラム音源):Steinberg Groove Agent SE
DAW Cubase7.5添付。実際のところ、スネアとかはZ3TA+2で作って書き出したWaveデータに差し替えることが多い。音の差し替えはドラッグ&ドロップで直ぐ出来るので便利。
- サンプラー:NI KONTAKT
ドラム音源NI DM-307とSoundironのコーラス系サンプルデータを使うためにインターフェースとの位置付け。
- ピアノ:3種類使っている。ピアノまんまな音はD-Pro、他はSoundironのIron Pack1(サンプルパック)をKONTAKTで再生。ちなみにIron Pack1は$1.99(現在は$2.99)で喫茶店のコーヒー1杯よりも安いね。
- ベース:2種類使っている。Z3TA+2と、REAKTOR & Z3TA+2。
- ピアノ以外:Z3TA+2の1種類。冒頭の「ぎー」って感じの音やシンセブラスっぽい音は実は同一音色。低めの音程域では「ぎー」となるが、中程度の音程域ではシンセブラスっぽく、高めの音程ではフィルターの特性のせいで音が痩せるためシンセストリングスっぽくなるという我ながら上出来な自作音色ですよ。
- ドラム:Groove Agent SEのみ。ただし、複数出力チャンネルを用いていて、チャンネル毎にエフェクトのかけ方が全く変えてあります。
2014/05/01
KiNK氏のライブセッション映像
これはその場に立ち会えれば最高だねぇ、きっと。
KiNK氏はブルガリア出身のハウスアーティストとのこと。パッドを押す際の右手の指の曲がりの神経質な感じと、チョップよろしく左手でパッドを打つ様の大胆な感じとの対比がなんか不思議。
KiNK氏はブルガリア出身のハウスアーティストとのこと。パッドを押す際の右手の指の曲がりの神経質な感じと、チョップよろしく左手でパッドを打つ様の大胆な感じとの対比がなんか不思議。
近況、十五度。
体調も安定して久しいので、そろそろ3DCGモデリングを再始動しようと思うようになってきた。ここんところ、と言ってもほぼ10年という話だが、バトルスター、VF-1バルキリー、コスモゼロとメカものばかりだったので、キャラに戻ろうと。
で、ネタなのだが、これが休んでいる間にすっかり名前(ニックネーム)の筋が悪くなってしまった、その名を「スプト二子」または「スプートニ子」という。うむぅ。筋が悪くなったのは、Sputniko!氏(アーティスト、MITメディアラボ助教授)の登場である。”!”を除くと、英文表記は全く一緒だ。う~ん。
スプトニ子(Sputniko)が最初に描かれたのは1984年ごろ、Sputniko!氏の生年よりは1年早い。なぜそう言い切れるかと言うと、スプトニ子は金田伊功氏の”BIRTH”のキャラデザインが元になっているからだ。”BIRTH”的な「卵型のヘルメット」に「3本のアンテナ」を加えたヘルメットを被った少女キャラ、それがスプトニ子だ。いやはや何とも芸のないことだ、だが取り敢えずやっちゃう方向で行きましょう。
さぁ、ペンタブの埃でもはらいましょうか。
で、ネタなのだが、これが休んでいる間にすっかり名前(ニックネーム)の筋が悪くなってしまった、その名を「スプト二子」または「スプートニ子」という。うむぅ。筋が悪くなったのは、Sputniko!氏(アーティスト、MITメディアラボ助教授)の登場である。”!”を除くと、英文表記は全く一緒だ。う~ん。
スプトニ子(Sputniko)が最初に描かれたのは1984年ごろ、Sputniko!氏の生年よりは1年早い。なぜそう言い切れるかと言うと、スプトニ子は金田伊功氏の”BIRTH”のキャラデザインが元になっているからだ。”BIRTH”的な「卵型のヘルメット」に「3本のアンテナ」を加えたヘルメットを被った少女キャラ、それがスプトニ子だ。いやはや何とも芸のないことだ、だが取り敢えずやっちゃう方向で行きましょう。
さぁ、ペンタブの埃でもはらいましょうか。
Godzilla、アジア向けトレーラー
何か飛んでます!「奴らを戦わせよう("Let 'em fight."かな)」みたいなセリフもあります。う~ん、これは想定外。
追加です。0:30辺りとかの背景に注目!あの腕にはトレーラーで見覚えが…「三大怪獣」ってこと?
追加です。0:30辺りとかの背景に注目!あの腕にはトレーラーで見覚えが…「三大怪獣」ってこと?
2014/04/30
The Model/KraftwerkのMegpoidカバー 本来の姿
歌詞を間違ってみるとか小ネタが先行しましたが、通常版(本命)はこっち。
暫く放置の後、リビジョン1になるでしょう。今日は午後から出勤、連休は明後日から。
暫く放置の後、リビジョン1になるでしょう。今日は午後から出勤、連休は明後日から。
ローマ法王「韓国民、倫理的に生まれ変わることを望む」
中央日報の記事です。宗教的ではありますが、倫理的以外にもステップアップすべき重要な事項を法王は口にされております。「霊長類」とは良く言ったもの、法王のお言葉でなければ「差別妄言」とかにされて大騒動ですよ。
身も蓋もないとはこのことです。と言うことで宜し…ん?…「生まれ変われ」ってことは…
身も蓋もないとはこのことです。と言うことで宜し…ん?…「生まれ変われ」ってことは…
アジアワッチ特別編:「反日」の正体が一瞬見えたような…(その2)
ここ半年程の中共の「反日」的言行は全く意図が読めない。おそらく主体が複数のため、一貫性がないのではないかというのが一応の見立てだ。
思わず唸る狡猾なもの(最近はほとんどない)、韓国と同じぐらい筋の悪いもの、通常の韓国すらぶっちぎる幼稚過ぎるもの、これらの主体はおそらく違う。ちなみに海上自衛隊の艦艇が射撃管制レーダーの照射を受けたというのは、幼稚過ぎるレベルにあたる。相手が挑発に乗る筈もないし、手の内を教えている様なものだ。日米では、とっくの昔に射撃管制レーダーの性能分析なんか終っているだろう。
さて、中共の「反日」の正体について考える前に、中華人民共和国の「正統性」について考えてみる必要がある。ここでの考察の対象は「正統性」そのものではない。中華人民共和国に「支那を統べる正統性が備わっているのか」という問いに対する答えを考えてみようということだ。
「中国」という呼称は中華民国の求めによって使われるようになった呼称だそうである。ではそれまではどうだったかというと、そう、”China”、「支那」だ。故に、少なくとも清国までは「支那」で良い訳だし、定義が曖昧な「中国」という表現は意図的にしか使う理由はない。
話を「正統性」に戻すと、清国から中華民国への移行には「正統性」がある。ウィキペディアの「中華民国」からその辺りの経緯を引用しよう。
中華人民共和国が「支那の正統な後継政府」であるためには、正論から言えば、「中華民国から支那の支配権を委譲されなければならない」、或いは「中華民国を打倒して支配権を奪取しなければならない」。が、どっこい「中華民国」はまだ存在する。「ひとつの中国」論は、「清国支配地域の大部分を実効支配している」という事実を以て、さらに「中華民国も中国である」という理屈を重ね、「中国たる中華人民共和国」に支那後継政府としての「正統性」をこじつけるための方便という側面を強く持つと言って良い。裏返せば、「中華民国を除く中国」には支那後継政権としての「正統性が無い」と認めているに等しい。
この観点から、中共が「実効支配」という表現や事実に敏感なのは当たり前なのだ。「実効支配こそ全ての根源、正義」としておかないと、自分の「正統性」が根底からひっくり返るからである。
さらに中共にとって頭が痛いのが、「満洲国」の存在とその倒れ方である。
満洲国(火属性の「明」へのカウンターとしての水属性ということで、洲にも「さんずい」を付けよう)は清国皇帝を退位した愛新覚羅溥儀を皇帝に迎え、満洲人の故郷に建国された。実態はともかく、満洲人が自分達のオリジンである満洲に自分達の王を戴く国を建てる、これは筋が良い。加えて満洲は清国の一部ではなかった、という事実がある。清国建国後も満洲地域は一種の特別区として独立を維持し、他民族の流入を制限していたのだ。さて、同じ皇帝を戴くという一点を以て、満洲国は清国の後継とは言えないか。中共は明らかにこの点にも神経質と見る。「偽満洲国」なんて呼び方はそんな背景の存在を疑わせる。
映画「ラストエンペラー」で描かれたように、愛新覚羅溥儀は中華人民共和国の一人民となる。が、「満洲国を倒したのはソヴィエト連邦だ」。
つまり、中華人民共和国は「清国も中華民国も満洲国も倒していない」が故に、「支那の正統な後継政権」としての資格を持っていないのだ。所謂「中華思想」を都合良く緩用しつつ、本質的には「中華思想と相容れないイレギュラーな政権」なのである。
本来は身内でしか意味の無い筈の「中華思想」に絡め取られたままマゾヒスティックな喜びの声を挙げつつもだえ続ける巨獣、それが中華人民共和国だ。倒錯し、国民党軍との戦いと内部粛清の過程で手に入れた暴力を未だに核とする、欲望ではち切れんばかり膨れ上がったぶよぶよの巨獣だ。そこには龍のような優雅さや神々しさは微塵も無い。もちろん、清国国旗に描かれていた龍を中共が自らに投影することなぞ、イデオロギー的にあり得ない訳だが。
さて、そんなやっかいな状況下でも「正統性」を確保する手段が無い訳ではない。いや、より正確には「正統性」を不要とする手段が無い訳ではない。
一つは「中華思想的価値観を捨てること」だが、上述のようにこれは今の中共にはできそうもない。もう一つは、暗に「支那支配における正当性の系譜はいったん途切れた」とすること、もちろん「途切れさせたのは日帝」という理屈だ。これを成立させるには、「日本がいったん支那を実効支配したこと」と「その実効支配の終結に寄与した抗日活動が存在」し、かつ「抗日活動の主体が中共であった」という神話の創造と流布が必要だ。これは普通は歴史の「ねつ造」と呼ばれる行為である。
「抗日」を起点に歴史をねじ曲げたい、せめて北朝鮮ぐらいのレベルの「正統性の主張」が出来るようにしたい、というのが本音だろう。だが、日帝支配にしても満洲国建国にしても、相手は几帳面な日本人が関与した事項であるため多数の資料が残っている。一方的な主張は簡単には通らない。
近年の中共の「反日」には、「抗日の延長線上」という筋の悪さが見え隠れする。それは筋の悪さ故に、少なくとも鄧小平氏までの主流派は全く使った形跡の無い手法だ。となれば、今日的な中共の「反日」は、韓国の「反日」よりも新しいことになる。むむ。
続きマス。
思わず唸る狡猾なもの(最近はほとんどない)、韓国と同じぐらい筋の悪いもの、通常の韓国すらぶっちぎる幼稚過ぎるもの、これらの主体はおそらく違う。ちなみに海上自衛隊の艦艇が射撃管制レーダーの照射を受けたというのは、幼稚過ぎるレベルにあたる。相手が挑発に乗る筈もないし、手の内を教えている様なものだ。日米では、とっくの昔に射撃管制レーダーの性能分析なんか終っているだろう。
さて、中共の「反日」の正体について考える前に、中華人民共和国の「正統性」について考えてみる必要がある。ここでの考察の対象は「正統性」そのものではない。中華人民共和国に「支那を統べる正統性が備わっているのか」という問いに対する答えを考えてみようということだ。
「中国」という呼称は中華民国の求めによって使われるようになった呼称だそうである。ではそれまではどうだったかというと、そう、”China”、「支那」だ。故に、少なくとも清国までは「支那」で良い訳だし、定義が曖昧な「中国」という表現は意図的にしか使う理由はない。
話を「正統性」に戻すと、清国から中華民国への移行には「正統性」がある。ウィキペディアの「中華民国」からその辺りの経緯を引用しよう。
1912年1月1日に、革命家の孫文を臨時大総統(臨時大統領)として、中国大陸を中心とする中国を代表する国家として成立した。つまり、新政府樹立→清国皇帝の退位を為しているが故に、中華民国は清国の後継として「少なくとも」清国の支配地域を統べる資格を持つと言える。だが、上記の通り支那の正統政府の系譜は直後から捻じれ始めている。現在の中華民国(台湾)の祖たる中国国民党は、革命政府として樹立されたのだ。まぁ、ここはちょっと目をつむろう。大事なのは、「正統性」は中華民国にまずあったという点だ。
同年2月12日には、清朝の皇帝である愛新覚羅溥儀が退位することによって、その後袁世凱が大総統(大統領)に就任した。その後、袁世凱と対立した孫文は1919年に中国国民党を創建し、1921年には後の国民政府の基となる革命政府を広州に樹立したものの、1925年に死去した。
中華人民共和国が「支那の正統な後継政府」であるためには、正論から言えば、「中華民国から支那の支配権を委譲されなければならない」、或いは「中華民国を打倒して支配権を奪取しなければならない」。が、どっこい「中華民国」はまだ存在する。「ひとつの中国」論は、「清国支配地域の大部分を実効支配している」という事実を以て、さらに「中華民国も中国である」という理屈を重ね、「中国たる中華人民共和国」に支那後継政府としての「正統性」をこじつけるための方便という側面を強く持つと言って良い。裏返せば、「中華民国を除く中国」には支那後継政権としての「正統性が無い」と認めているに等しい。
この観点から、中共が「実効支配」という表現や事実に敏感なのは当たり前なのだ。「実効支配こそ全ての根源、正義」としておかないと、自分の「正統性」が根底からひっくり返るからである。
さらに中共にとって頭が痛いのが、「満洲国」の存在とその倒れ方である。
満洲国(火属性の「明」へのカウンターとしての水属性ということで、洲にも「さんずい」を付けよう)は清国皇帝を退位した愛新覚羅溥儀を皇帝に迎え、満洲人の故郷に建国された。実態はともかく、満洲人が自分達のオリジンである満洲に自分達の王を戴く国を建てる、これは筋が良い。加えて満洲は清国の一部ではなかった、という事実がある。清国建国後も満洲地域は一種の特別区として独立を維持し、他民族の流入を制限していたのだ。さて、同じ皇帝を戴くという一点を以て、満洲国は清国の後継とは言えないか。中共は明らかにこの点にも神経質と見る。「偽満洲国」なんて呼び方はそんな背景の存在を疑わせる。
映画「ラストエンペラー」で描かれたように、愛新覚羅溥儀は中華人民共和国の一人民となる。が、「満洲国を倒したのはソヴィエト連邦だ」。
つまり、中華人民共和国は「清国も中華民国も満洲国も倒していない」が故に、「支那の正統な後継政権」としての資格を持っていないのだ。所謂「中華思想」を都合良く緩用しつつ、本質的には「中華思想と相容れないイレギュラーな政権」なのである。
本来は身内でしか意味の無い筈の「中華思想」に絡め取られたままマゾヒスティックな喜びの声を挙げつつもだえ続ける巨獣、それが中華人民共和国だ。倒錯し、国民党軍との戦いと内部粛清の過程で手に入れた暴力を未だに核とする、欲望ではち切れんばかり膨れ上がったぶよぶよの巨獣だ。そこには龍のような優雅さや神々しさは微塵も無い。もちろん、清国国旗に描かれていた龍を中共が自らに投影することなぞ、イデオロギー的にあり得ない訳だが。
さて、そんなやっかいな状況下でも「正統性」を確保する手段が無い訳ではない。いや、より正確には「正統性」を不要とする手段が無い訳ではない。
一つは「中華思想的価値観を捨てること」だが、上述のようにこれは今の中共にはできそうもない。もう一つは、暗に「支那支配における正当性の系譜はいったん途切れた」とすること、もちろん「途切れさせたのは日帝」という理屈だ。これを成立させるには、「日本がいったん支那を実効支配したこと」と「その実効支配の終結に寄与した抗日活動が存在」し、かつ「抗日活動の主体が中共であった」という神話の創造と流布が必要だ。これは普通は歴史の「ねつ造」と呼ばれる行為である。
「抗日」を起点に歴史をねじ曲げたい、せめて北朝鮮ぐらいのレベルの「正統性の主張」が出来るようにしたい、というのが本音だろう。だが、日帝支配にしても満洲国建国にしても、相手は几帳面な日本人が関与した事項であるため多数の資料が残っている。一方的な主張は簡単には通らない。
近年の中共の「反日」には、「抗日の延長線上」という筋の悪さが見え隠れする。それは筋の悪さ故に、少なくとも鄧小平氏までの主流派は全く使った形跡の無い手法だ。となれば、今日的な中共の「反日」は、韓国の「反日」よりも新しいことになる。むむ。
続きマス。
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