KORGの商品企画・坂巻匡彦さん、開発・高橋達也さん、KORG特集ではお約束の山口愛実さんを迎えての「KORG Volca特集」。
"Volca"はシーケンサ機能を持ったアナログシンセ(一部PCMサンプリング音源搭載)で、ベースシンセの"Volca Bass"、ドラムマシーンの"Volca Beats"及びコードやメロディ演奏用の"Volca Keys"の3種類。スタジオには4セット、合計12台が用意され、全台同期演奏可能状態という事前情報もあって色々と期待していたのですが…
坂巻さん、高橋さんのやり取りからは、"Volca"シリーズ開発時の状況の大変さだけでなく一種のユルさも覗えて面白かったのだが(「喫煙所始まり」とか良いじゃないですか)、後半に進むにつれて…なんとも期待していたのとは全く違う展開に。「ユルさの中にちらちら見えるプロの凄さ」みたいところが覗えることが多いのが 私にとっての「電磁マシマシ」という番組の面白さであり期待しているところ。今回ばかりは展開上そういうものが欠けてしまって不完全燃焼感が残っちゃったねぇ…ゲストの坂巻さん、高橋さん、そして"Volca"シリーズには全く非が無いだけに困っちゃうなぁ。
2013/07/21
Gyaoで映画「WINDS OF GOD」(1995)を改めて観る
やはり個々人の「映画の観方、読み方」が何気に露わになりそうな映画。
明らかに舞台上のセットでの撮影、窓外があからさまに書き割りなセットでの撮影、ラストの漫才シーンに代表されるロケーション撮影などと、冒頭の「WINDS OF GOD」を上演しているという劇場のカットとの関連性をどう捉えるか…解釈は解釈に過ぎないし、語られる物語自体の価値には影響しないものの、元々舞台劇であったものを映画にすることの意味合いには個人差が出てしまうだろう。
何かが変わってしまったことの映像表現には少なくと二つ方法がある。ひとつは、変わったものを変えてしまうこと、もう一つは変わったもの以外を全て変えてしまうこと。カメラが切り取った映像の主体を誰とするかが一つのキーだ。
『映画「WINDS OF GOD」』は「構造」だけでもけっこう味わい深く、他人の「読み方」がどうしようもなく気になるのだ。
零戦の色が地上と空中で違うとか、特攻機なのにドロップタンク付けてるとかは「それらをちゃんとできない(そういう事に感度が無い、他人が同じことをやっても気づかないか気にしない)人達」が作ったんだから、と納得しましょう。決して笑いどころではありません。出来ん人は出来んのですよ。
明らかに舞台上のセットでの撮影、窓外があからさまに書き割りなセットでの撮影、ラストの漫才シーンに代表されるロケーション撮影などと、冒頭の「WINDS OF GOD」を上演しているという劇場のカットとの関連性をどう捉えるか…解釈は解釈に過ぎないし、語られる物語自体の価値には影響しないものの、元々舞台劇であったものを映画にすることの意味合いには個人差が出てしまうだろう。
何かが変わってしまったことの映像表現には少なくと二つ方法がある。ひとつは、変わったものを変えてしまうこと、もう一つは変わったもの以外を全て変えてしまうこと。カメラが切り取った映像の主体を誰とするかが一つのキーだ。
『映画「WINDS OF GOD」』は「構造」だけでもけっこう味わい深く、他人の「読み方」がどうしようもなく気になるのだ。
零戦の色が地上と空中で違うとか、特攻機なのにドロップタンク付けてるとかは「それらをちゃんとできない(そういう事に感度が無い、他人が同じことをやっても気づかないか気にしない)人達」が作ったんだから、と納得しましょう。決して笑いどころではありません。出来ん人は出来んのですよ。
2013/07/20
すまんがそいつは腹が立つ
スパムメールなんて無視すれば良いだけなのだが、仕事で疲れきった状態ではスパムメールのつまらんタイトルに異様に腹が立つことがある。もちろん内容なんて見ない。
タイトル:ニートやってて悪いですか!?
腹立ちポイントは"!"が付けてあること、疑問の文体で末尾を"?"だけにしないという姿勢だけで十分カチンとくる。良いとか悪いとかそんな高尚なレベルの話じゃないよ、ニートやってる暇があるなら働け。
で、いわゆる"Night Crawlers"。何時観てもなごむねぇ…癒しのUMA。
タイトル:ニートやってて悪いですか!?
腹立ちポイントは"!"が付けてあること、疑問の文体で末尾を"?"だけにしないという姿勢だけで十分カチンとくる。良いとか悪いとかそんな高尚なレベルの話じゃないよ、ニートやってる暇があるなら働け。
で、いわゆる"Night Crawlers"。何時観てもなごむねぇ…癒しのUMA。
2013/07/19
近況、六度。
- 病状は安定でしばらく出社拒否なし、投薬も変更なし。来週は気の重い出張が2件入っていて、ちょっとばかりブルー、気の重さの原因は自分にはないんだけどね。
- 頭部のMRI検査。脳は20歳代前半並みということで、医者も唸っちゃう「脳が実年齢より20歳ばかり若い」という事実。自分の経験から「人間、歳を取ると逆に無邪気になるもんだ」という感想を持っていたが、辺りを見回すと他人はそうそうそういう訳でもないみたい。どうも脳年齢の影響は無視できないやな感じ。無邪気になるためのポイントは「自分の無能さ加減の直視」かと思う。不要なプライドやこだわりを積極的に抽出、意図的に捨てることで身も心も思考も軽くなる。考えたことは人に話すのが間違いなく吉だが、話すときこそ頭をフル回転させよう。
- フランク・ウィルチェックの「物質のすべては光」を再読中。いよいよ「質量の起源」に関する記述に突入。今度こそ内容をちゃんと「理解」せねば!頑張れ、俺の脳。
- とある報道によると、ここ3年間(訂正:2005年以降、が正しいそうです。)の中露軍合同演習の費用は全て中国が出してるとか。また、国内向けに「ロシアからスホーイ35(ロシア軍ですら配備機数が限られている最新鋭戦闘機)を100機購入を契約」と報道しながら、この件に関するネット上の一般人による言及は完全に検閲中とか、もちろんロシアは公式に否定。輸出したスホーイ27がコピーされた上にコピー品を「中国開発機」と主張されてしまった件もあり、ロシアが中国を警戒するのも最もな話。中国(と言うか中国共産党)の意図が全く見えない恐ろしさ、「でっかい北朝鮮化」なんて上手いのかどうか分からない陰口もあったりする。
- 暴動が頻発している新疆ウィグル自治区には人民解放軍と武装警察隊を合わせて10万人投入したという報道もあり、「中国という国を喰い物にする中国共産党」のイメージがいや増す展開。新華社通信がこの辺りについて何も報道しないってことが何気に凄い。地方政府から「自殺禁止令」が出されたってあたりに「どうしようない感」を禁じえない。単純に思うのは、「今日的に中国共産党は充分にイスラムの敵」なんじゃないの?、と。
- 余り報道されていないみたいだけど、イスラエルは国費を投入して国内のパレスチナ人の教育レベルの向上を目指すとともに、人材と呼べるパレスチナ人は積極的に国立研究機関で採用している事実。政治参加にはまだ敷居が高いとは言え、パレスチナ人の社会進出と国力向上は切り離せないとする方向性(加えて国防費が圧縮できればなお良し)は政府閣僚の発言でも裏打ちされている。
- ちなみにイスラエル国内で製作されたアニメーション映画は3本だけなそうな。1本目はストップモーションの人形アニメ(らしい)、2本目はFlashを使った「戦場でワルツを」。
- 遠方のいつもの友人から「3DCGはもうやらないの?」の問い。これまではモデリングプロジェクトしかやってこなかったが、今後はムービー作成まで含めたプロジェクトへと軸足を移すのが基本的スタンスだ。いったんとりかかれば2~3年はかかるやもしれぬ故、始めるとなるとそれなりに覚悟が要るのよ。今は、「複数あるプロジェクト案を絞り込むための試作」を色々やっている段階。
- 塩漬け状態だったVocaloid3 Megpoid Wisperの初テスト。まだ曲中のセリフというか語りはありません。歌詞の「トゥインクルスター」と「エンディングスタート」は鬼門で、「ス」の音が上手く出ないか、「ス」の音が出る代わりにその前の音が出ないかの二者択一状態。どうでもよいところは良い塩梅にどうでもよく処理してしまうのがボーカロイドの仕様のミソだが、局所的に突き詰めようとするとUTAUの方が上だったりするのは如何なものか。Vocaloid Editorは何回使っても使い勝手の悪さばかり目立つ。音程によるフォルマント変化が激しいのも辛い。
バックトラックは耳コピ60%ぐらいで残りは印象で組んだ3種類、チップチューン風に落とす前の適当なやつ、CASIO HT-700ポップキーボード(の私の記憶における音)をシミュレートしたやつ、及びYAMAHA FB-01音源モジュール(の私の記憶における音)をシミュレートしたやつといったところ。適当なやつが一番音の切れが良い気がするのは気のせいですか?こと音楽に関してはとことん突き放した方が後で聞いても耐えられる方向に寄り易い感じ、きっとセンスが無いのな。あ、楽曲の"Dear Radio"は「電磁マシマシ」のエンディングテーマ曲でやんす。
2013/07/16
"Bizarre Love Triangle / feat. Megpoid Eng."の顛末:補足
言わば正調版。邪道を先にやってしまうことで、逆に正調版の座りどころが自分の中に見つかると言う変な展開。フォルマントが変に変わるところを直しきれていないことと、ミックス時にバスドラ入れ忘れてる(自分でも訳分からんよ)のでVer. 0.8。ボーカルのレベルが高めのままなのもVer. 0.8。さすがに"KORG M1"(もちろんVSTi)の"Hit"を剥き身のままでは使えませんなぁ…やっぱ今では恥しい音色ですね。
2013/07/14
2013/07/13 CBCラジオ×U-strip夜用スーパー「電磁マシマシ」
ゲストはSEGAのHiro氏とmaimaiちゃん(の中の人こと、SEAG広報の方。もちろん女性ですよ) 。もう近所のゲーセンは全て壊滅して久しいのでゲーム"maimai"なんてプレイするどころか見る機会もないのだが、チップチューンユニットYMCKの楽曲はチェックしているので「maimaiちゃんのテーマ」は既に購入していたりする。
ゲーム音楽にはとんと疎いのでHiro氏と聞いてもピンとこなかったのだが、「ゲーム"After Burner"の音楽も担当した人ですよ。」と分かってしまっては「私にも是非『Hiro師匠』と呼ばせて下さい!」という感じ(苦笑)。家庭用ゲームコンソールを購入したのは就職後で機種は"SEGA MegaDrive"。もちろん"After Burner"を自宅でプレイしたかったから。
今回のポイントは、何といってもHiro氏のSEGA入社直後の音源の紹介(いわゆる「バナナパフェ」)。時期的には1985~88年ごろということで、音源はオーディオカセットテープ、しかも4トラックMTR(マルチトラックレコーダー)で録音したものも混じっているという説得力の高さ。
内容は、いわば楽曲スケッチ~チーム内検討用デモといったところとのことで、没になった"After Burner"用楽曲のスケッチ(メロディの一部は採用)も飛び出す貴重さ加減。初期のスケッチはポップキーボードの伴奏機能(数小節のドラム、ベース、コードの基本パターンは編集できて、再生中にキーボードでコードを左手で押さえるとベースやコードがリアルタイムに変化する機能)+メロディのリアルタイム演奏なので、勢いがビシビシ。スケッチということで録音のし直しなんてしていないということなので、メロディ演奏に時折躊躇してるようなニュアンスも乗っかっていたりして、ライブ感?いや「息遣い感」がとても良い。特にMTRでリアルタイム演奏のギターを重ねているスケッチでは「勢い」も「息遣い感」も気持ち良い。
また、ラジオでは分からないHiro氏が「MTRの各トラック出力のレベル、イコライザー、定位を再生中にちゃっちゃっといじる姿」は当然のことながらとても様になっているとか、「20年以上前の自分の演奏するギターのチューニングのずれ」にダメ出しするとか、とにかく貴重回。
番組最後の20分はHiro氏による"KORG M01D"楽曲製作ライブ状態。初めて触るということで、佐野氏の説明を受けつつも「成程。」を連発しながら4小節(だったかな?)の楽曲を製作してしまう。「(NINTENDO 3DSソフトなので画面は3Dで表示されるのを指して)無駄な機能だよね、音は3Dにしないの?」と当然と言えば当然のインプレッションで佐野氏を慌てさせ、「キーボード画面とスタイラスペンを使ってリアルタイムMIDIレコーディングは出来ないの?」という想定外質問でさらに佐野氏を一瞬凍りつかせるといった飽きない展開。幸い、後者はリピート再生を止めて単音なら(スタイラスペンでは一度に一つの鍵盤しか押せないから)できちゃうことが実証されました。良かった良かった。
MTR(既にSEGA社内には無いらしい)を今時用意しちゃう番組スタッフも実は凄い。
一点だけちょっとびっくりしたのは、佐野氏もHiro氏もYMCK製作のチップチューン用VSTiプラグイン "Magical 8bit Plug"のことは余り知らない様子で、プラグイン名称が出てこなかったこと。シンセサイザーで楽曲製作する人にも、ざっくり楽曲製作寄りの人と音色作り寄りの人がいるけれども、お二人とも基本的に前者ということなのかなぁ…。
ちなみにこ1980年代後半は私は大学生で、CASIOのポップキーボードやMTR(TASCAM PortaOne)を使って友人達とワイワイガヤガヤ多重録音をやっていたころ。Hiro氏は「最初のころはまだMIDIシーケンサーが無くて…」と発言していたのでネット上で確認したところ、確かにMIDIシーケンサーの普及開始時期は1987年付近。当時バイトして買った"KORG SQ-8"が1986年発売(約3万円)、とても手が出なかった"Roland MC-500"も同年発売…あぁ、懐かしい。
ネットで拾った"KORG SQ-8"の写真、けっこう小さいことが分かるでしょ?厚みはあるけど、MIDI端子の大きさ、電池の内蔵を考えるとこれ以上は薄くできないのだ。8トラックで最大6400音ってぇのは当時の私には十分すぎる機能。ただ基本的にデータ保存メディアは無かったから、再生後の音しか残せなかったのよ。
ゲーム音楽にはとんと疎いのでHiro氏と聞いてもピンとこなかったのだが、「ゲーム"After Burner"の音楽も担当した人ですよ。」と分かってしまっては「私にも是非『Hiro師匠』と呼ばせて下さい!」という感じ(苦笑)。家庭用ゲームコンソールを購入したのは就職後で機種は"SEGA MegaDrive"。もちろん"After Burner"を自宅でプレイしたかったから。
今回のポイントは、何といってもHiro氏のSEGA入社直後の音源の紹介(いわゆる「バナナパフェ」)。時期的には1985~88年ごろということで、音源はオーディオカセットテープ、しかも4トラックMTR(マルチトラックレコーダー)で録音したものも混じっているという説得力の高さ。
内容は、いわば楽曲スケッチ~チーム内検討用デモといったところとのことで、没になった"After Burner"用楽曲のスケッチ(メロディの一部は採用)も飛び出す貴重さ加減。初期のスケッチはポップキーボードの伴奏機能(数小節のドラム、ベース、コードの基本パターンは編集できて、再生中にキーボードでコードを左手で押さえるとベースやコードがリアルタイムに変化する機能)+メロディのリアルタイム演奏なので、勢いがビシビシ。スケッチということで録音のし直しなんてしていないということなので、メロディ演奏に時折躊躇してるようなニュアンスも乗っかっていたりして、ライブ感?いや「息遣い感」がとても良い。特にMTRでリアルタイム演奏のギターを重ねているスケッチでは「勢い」も「息遣い感」も気持ち良い。
また、ラジオでは分からないHiro氏が「MTRの各トラック出力のレベル、イコライザー、定位を再生中にちゃっちゃっといじる姿」は当然のことながらとても様になっているとか、「20年以上前の自分の演奏するギターのチューニングのずれ」にダメ出しするとか、とにかく貴重回。
番組最後の20分はHiro氏による"KORG M01D"楽曲製作ライブ状態。初めて触るということで、佐野氏の説明を受けつつも「成程。」を連発しながら4小節(だったかな?)の楽曲を製作してしまう。「(NINTENDO 3DSソフトなので画面は3Dで表示されるのを指して)無駄な機能だよね、音は3Dにしないの?」と当然と言えば当然のインプレッションで佐野氏を慌てさせ、「キーボード画面とスタイラスペンを使ってリアルタイムMIDIレコーディングは出来ないの?」という想定外質問でさらに佐野氏を一瞬凍りつかせるといった飽きない展開。幸い、後者はリピート再生を止めて単音なら(スタイラスペンでは一度に一つの鍵盤しか押せないから)できちゃうことが実証されました。良かった良かった。
MTR(既にSEGA社内には無いらしい)を今時用意しちゃう番組スタッフも実は凄い。
一点だけちょっとびっくりしたのは、佐野氏もHiro氏もYMCK製作のチップチューン用VSTiプラグイン "Magical 8bit Plug"のことは余り知らない様子で、プラグイン名称が出てこなかったこと。シンセサイザーで楽曲製作する人にも、ざっくり楽曲製作寄りの人と音色作り寄りの人がいるけれども、お二人とも基本的に前者ということなのかなぁ…。
ちなみにこ1980年代後半は私は大学生で、CASIOのポップキーボードやMTR(TASCAM PortaOne)を使って友人達とワイワイガヤガヤ多重録音をやっていたころ。Hiro氏は「最初のころはまだMIDIシーケンサーが無くて…」と発言していたのでネット上で確認したところ、確かにMIDIシーケンサーの普及開始時期は1987年付近。当時バイトして買った"KORG SQ-8"が1986年発売(約3万円)、とても手が出なかった"Roland MC-500"も同年発売…あぁ、懐かしい。
ネットで拾った"KORG SQ-8"の写真、けっこう小さいことが分かるでしょ?厚みはあるけど、MIDI端子の大きさ、電池の内蔵を考えるとこれ以上は薄くできないのだ。8トラックで最大6400音ってぇのは当時の私には十分すぎる機能。ただ基本的にデータ保存メディアは無かったから、再生後の音しか残せなかったのよ。
3DCGにおけるカメラの回転軸についてのメモ
Youtubeなどにアップロードされているアマチュア製作の3DCGムービーを観てしばしば感じるのは、「カメラの動き」への意識が低いこと。善し悪しではなくて、勿体ないという話である。
今回はカメラの回転軸についてだけ、思うところを書いておこう。
まず以下の話で必要なカメラの要素をはっきりさせておこう。カメラにはフィルムなりCCDなり、レンズを通して入射してきた光を受ける部分がある。これを便宜上「受光面」と呼ぼう。受光面の中心からレンズの中心に向かう直線の向きを同様に「カメラの向き」と呼ぼう。これら二つがあれば事足りる。
さて、私が使っている3DCGアプリLightwave3D(以下、LW3D)のカメラのデフォルトの回転中心は受光面の中心に相当する位置にある。他のアプリでも同様かと思う。だが、実際にそんなカメラセッティングは可能なのだろうか。上述の「勿体なさ」の原因はデフォルトの回転軸をそのまま使うところにある。
例を挙げよう。砂漠の中の直線道路を車が疾走しているカットを作ることを考える。より具体的に言うと、カメラマンが道の脇でカメラを構えている設定で、「遠方から高速で迫って来る車→目の前を通過する車→高速で遠ざかっていく車」をカメラの向きを車の位置に合わせてを回転させながら、いわゆるパンさせながら、撮影したようなカットを作ることを考える。さらに、車や背景のモデル、ライティングは完璧、静止画で見る限りはリアルそのものという条件、車の動きもリアルそのものという条件を加えよう。
LW3Dでは、カメラが特定のオブジェクト(ここでは、車のモデルで良い)の中心位置に常に向くように設定できる。こうしておくと、カメラは車の動きに合わせて自動的に回転する、つまりカメラの向きは常に車の方向に向く。このような設定で作られたカットでは、意外と違和感は出ない。別の言い方をすると、意外にCGっぽくはならない。
出来上がったカットを観た製作者は、例えばこんなことを考える。
「カメラマンは家庭用ビデオカメラを使っているのだ。カメラの手ぶれの効果でカットに臨場感を加えよう。」
「手ぶれ」のシミュレート方法はここでは問わないこととして、とにかくカメラの位置は変えずに、カメラの向きが良い塩梅に揺れるように設定できたとしよう。が、その結果得られたカットは逆に「リアリティ」を失ってCGっぽさを獲得し、勿体ない状態となる。それは何故か?
ここで「家庭用ビデオカメラ」はカメラマンの右手で構えられており、さらにカメラマンは「家庭用ビデオカメラ」の左側面から立ちあがっている液晶画面を正面から見ているとする。このとき、カメラの受光面はカメラマンの腰の回転軸(軸の向きが上下方向)に対して右前にあることになる。このような状況下では下記のように「リアリティ」が失われる。
対して、「手ぶれ」効果を加える前のカットには、「あり得ないカメラセッティング」を視聴者が認識するような情報が基本的に含まれていない。もっと言えば、「カメラという物理的な存在が無くても」成立する、或いは「カメラという存在があってはならない神の視点」とでも呼ぶべきカットなのである。「手ぶれ」効果は「カメラという物理的な存在」無くしては成立しないし、パンの回転軸が受光面中心を通るような精巧なカメラセッティングと「手ぶれ」の発生は「リアリティ」として相容れない(想定が実質的に困難という意味)。
昔の8mmカメラによるホームメイドムービーのパンなどの回転軸は、基本的に受光面の後方にある。これはカメラマンがファインダーを覗いており、左右・上下方向への回転軸は首及び腰にあるためである。回転軸が受光面の後方にあるため、パン操作時には回転に合わせて「受光面の向きだけでなく位置も動く」。カメラの動きにリアリティを与えるためには回転軸の設定に心を砕く必要があるということ、逆に言えば、例えば「8mmカメラによるホームメイドムービー」風のカットにするひとつの方法論は、カメラの回転軸の位置と向きを「リアリティ」としての8mmカメラにまず合わせて設定することである。
"Battlester Galactica"の初期エピソードのVFXカットでは、カメラ回転軸設定に「リアリティ」を感じさせるカットが多々あった。このような「専門のカメラマンではない人間によって撮影されたドキュメンタリー」風の絵作りはその後流行り、相当の時間遅れを伴ってNHK大河ドラマでも見られるまでになる。しかし、実際に多く見られたのは「『専門のカメラマンではない人間によって撮影されたドキュメンタリー』風」風の映像に過ぎず、国内外のプロにあっても本質的なところを外しちゃうんだという状況が露わになっただけのようだ。本家"Battlester Galactica"もVFX製作体制の変更(予算縮小により、VFX専門会社へ外注できなくなったのが原因とされる。)などを経るうちにカメラ回転軸の「リアリティ」は完全に失われる。"Blood & Chrome"のVFXカットの酷さ(神の視点か、カメラの存在という「リアリティ」を備えた映像か、といった意味での明確な方向性の無さ)は、過剰なレンズフレアの使用も相まって、心有る人ほどがっかりさせたようだ。
8mmカメラには8mmカメラの、映画カメラには映画カメラの「リアリティ」がある。ここで「リアリティ」とは、受光面と回転軸の向きや位置の相対関係が映像に与える効果である。更に言えばレンズ焦点距離(或いは画角)の設定もカメラやカメラセッティングの「リアリティ」に関わる重要な要素だろう。
アニメなどで、フレームが固定された状態では極めて映画的な絵(映画鑑賞体験の記憶と一致する絵という意味)なのに、フレームが動いた途端に映像が映画的でなくなるという経験をしたことがないだろうか。個人的には上述の「リアリティ」の欠如が原因である場合が多いように思うのだ。
TVドラマや日本の旧来のセルアニメの方法論は、「神の視点」に寄っている。まずフレームがあり、その中に登場人物をどのように配置するかというアプローチ寄りということである。片や少なくとも「私の記憶における映画」の方法論は、出演者の演技する空間の一部をどのようにカメラのフレームで切り取るかというアプローチに寄っている。いわゆる「カメラ固定の長回し」でも映画にあってはアプローチは同様である。
TVドラマはカメラに合わせるが故に映像にカメラの存在感が希薄となり、「私の記憶における映画」ではカメラが合わせるが故に映像におけるカメラの存在感が増す、とも言える。これは、相対的に短時間でカット数をこなさなければいけなかったTVドラマと、出演者の演技と相互作用しながらのカメラセッティング調整を当たり前としていた映画との如実な違いかと思う。映像というアウトプットに影響しないならば、カメラセッティングに時間をかける必然性はないよね。
まぁ、黒澤明氏や岡本喜八氏などはちょっと例外ではあるんだけどね。
今回はカメラの回転軸についてだけ、思うところを書いておこう。
まず以下の話で必要なカメラの要素をはっきりさせておこう。カメラにはフィルムなりCCDなり、レンズを通して入射してきた光を受ける部分がある。これを便宜上「受光面」と呼ぼう。受光面の中心からレンズの中心に向かう直線の向きを同様に「カメラの向き」と呼ぼう。これら二つがあれば事足りる。
さて、私が使っている3DCGアプリLightwave3D(以下、LW3D)のカメラのデフォルトの回転中心は受光面の中心に相当する位置にある。他のアプリでも同様かと思う。だが、実際にそんなカメラセッティングは可能なのだろうか。上述の「勿体なさ」の原因はデフォルトの回転軸をそのまま使うところにある。
例を挙げよう。砂漠の中の直線道路を車が疾走しているカットを作ることを考える。より具体的に言うと、カメラマンが道の脇でカメラを構えている設定で、「遠方から高速で迫って来る車→目の前を通過する車→高速で遠ざかっていく車」をカメラの向きを車の位置に合わせてを回転させながら、いわゆるパンさせながら、撮影したようなカットを作ることを考える。さらに、車や背景のモデル、ライティングは完璧、静止画で見る限りはリアルそのものという条件、車の動きもリアルそのものという条件を加えよう。
LW3Dでは、カメラが特定のオブジェクト(ここでは、車のモデルで良い)の中心位置に常に向くように設定できる。こうしておくと、カメラは車の動きに合わせて自動的に回転する、つまりカメラの向きは常に車の方向に向く。このような設定で作られたカットでは、意外と違和感は出ない。別の言い方をすると、意外にCGっぽくはならない。
出来上がったカットを観た製作者は、例えばこんなことを考える。
「カメラマンは家庭用ビデオカメラを使っているのだ。カメラの手ぶれの効果でカットに臨場感を加えよう。」
「手ぶれ」のシミュレート方法はここでは問わないこととして、とにかくカメラの位置は変えずに、カメラの向きが良い塩梅に揺れるように設定できたとしよう。が、その結果得られたカットは逆に「リアリティ」を失ってCGっぽさを獲得し、勿体ない状態となる。それは何故か?
ここで「家庭用ビデオカメラ」はカメラマンの右手で構えられており、さらにカメラマンは「家庭用ビデオカメラ」の左側面から立ちあがっている液晶画面を正面から見ているとする。このとき、カメラの受光面はカメラマンの腰の回転軸(軸の向きが上下方向)に対して右前にあることになる。このような状況下では下記のように「リアリティ」が失われる。
- 「手ぶれ」があるならば、ぶれの回転軸は手首、肘、肩などとなるが、いずれにしてもぶれの「回転軸」は受光面中心をまず通らない。つまり、「手ぶれ」によって受光面の中心位置が変わらなければならない。
- 「手ぶれ」があるならば、カメラはカメラマンの手で構えられている。この場合、車の通過に合わせてカメラの向きが変わる際の回転軸は腰の回転軸でなければならず、パン時の「回転軸」は受光面中心を通らない。
対して、「手ぶれ」効果を加える前のカットには、「あり得ないカメラセッティング」を視聴者が認識するような情報が基本的に含まれていない。もっと言えば、「カメラという物理的な存在が無くても」成立する、或いは「カメラという存在があってはならない神の視点」とでも呼ぶべきカットなのである。「手ぶれ」効果は「カメラという物理的な存在」無くしては成立しないし、パンの回転軸が受光面中心を通るような精巧なカメラセッティングと「手ぶれ」の発生は「リアリティ」として相容れない(想定が実質的に困難という意味)。
昔の8mmカメラによるホームメイドムービーのパンなどの回転軸は、基本的に受光面の後方にある。これはカメラマンがファインダーを覗いており、左右・上下方向への回転軸は首及び腰にあるためである。回転軸が受光面の後方にあるため、パン操作時には回転に合わせて「受光面の向きだけでなく位置も動く」。カメラの動きにリアリティを与えるためには回転軸の設定に心を砕く必要があるということ、逆に言えば、例えば「8mmカメラによるホームメイドムービー」風のカットにするひとつの方法論は、カメラの回転軸の位置と向きを「リアリティ」としての8mmカメラにまず合わせて設定することである。
"Battlester Galactica"の初期エピソードのVFXカットでは、カメラ回転軸設定に「リアリティ」を感じさせるカットが多々あった。このような「専門のカメラマンではない人間によって撮影されたドキュメンタリー」風の絵作りはその後流行り、相当の時間遅れを伴ってNHK大河ドラマでも見られるまでになる。しかし、実際に多く見られたのは「『専門のカメラマンではない人間によって撮影されたドキュメンタリー』風」風の映像に過ぎず、国内外のプロにあっても本質的なところを外しちゃうんだという状況が露わになっただけのようだ。本家"Battlester Galactica"もVFX製作体制の変更(予算縮小により、VFX専門会社へ外注できなくなったのが原因とされる。)などを経るうちにカメラ回転軸の「リアリティ」は完全に失われる。"Blood & Chrome"のVFXカットの酷さ(神の視点か、カメラの存在という「リアリティ」を備えた映像か、といった意味での明確な方向性の無さ)は、過剰なレンズフレアの使用も相まって、心有る人ほどがっかりさせたようだ。
8mmカメラには8mmカメラの、映画カメラには映画カメラの「リアリティ」がある。ここで「リアリティ」とは、受光面と回転軸の向きや位置の相対関係が映像に与える効果である。更に言えばレンズ焦点距離(或いは画角)の設定もカメラやカメラセッティングの「リアリティ」に関わる重要な要素だろう。
アニメなどで、フレームが固定された状態では極めて映画的な絵(映画鑑賞体験の記憶と一致する絵という意味)なのに、フレームが動いた途端に映像が映画的でなくなるという経験をしたことがないだろうか。個人的には上述の「リアリティ」の欠如が原因である場合が多いように思うのだ。
TVドラマや日本の旧来のセルアニメの方法論は、「神の視点」に寄っている。まずフレームがあり、その中に登場人物をどのように配置するかというアプローチ寄りということである。片や少なくとも「私の記憶における映画」の方法論は、出演者の演技する空間の一部をどのようにカメラのフレームで切り取るかというアプローチに寄っている。いわゆる「カメラ固定の長回し」でも映画にあってはアプローチは同様である。
TVドラマはカメラに合わせるが故に映像にカメラの存在感が希薄となり、「私の記憶における映画」ではカメラが合わせるが故に映像におけるカメラの存在感が増す、とも言える。これは、相対的に短時間でカット数をこなさなければいけなかったTVドラマと、出演者の演技と相互作用しながらのカメラセッティング調整を当たり前としていた映画との如実な違いかと思う。映像というアウトプットに影響しないならば、カメラセッティングに時間をかける必然性はないよね。
まぁ、黒澤明氏や岡本喜八氏などはちょっと例外ではあるんだけどね。
2013/07/13
"dg++"という表記を普及させたい。
当事者にとっては迷惑なのだろうけど、アクセスログを信じる限りはさしてアクセス数もなく、インターネットにおいては太平洋の水分子1個にも満たないような存在のブログなんだから、このくらいのバカ話は良かろうと。
以下は、食料買い出しのため2km程の距離をドライブ中に頭をかすめたもの。発端は、「米国人による自分の名前の発音が余りに凄すぎる」から「発音専用のアルファベット綴りを用意するならどう綴ろうか」である。ちなみにハングル文字、古代マヤ文字(構造はハングルに極めて似ている。まぁ使うことは無いが)、さらにヒエログリフ(これも使うことは無いだろうが)での綴りは確定させている。
パスポートなどで用いるヘボン式(ヘップバーン式)ローマ字表記が、英語の発音とはほぼ無関係であることは海外旅行経験者ならご存知の通り。自分の実名をヘボン式で表記すると"a"だらけなのだが、これを「ア」と発音してくれる米国人はこれまでの人生において皆無である。じゃあどうなるかというと、「エイ」とか「アイ」となる。例えば"Nagata"なんてのは「ネェイゲェイテェ」みたいになる。そんな調子だから、発音されても自分の名前どころか、日本人の名字とも思えない。語感が「イエティ―」みたいで、まるでUMA(未確認生物)扱いされてるような気分にすらなる。
加えてオーストラリア英語話者の私の名前の発音は、英語ダメダメな私ですら十分に区別できるぐらいまた違ったものになる。
知り合いで英語ペラペラの日本人男性から聞いた話だが、夫婦でオーストラリア旅行中に旅行案内所で「××行きのバスは何時出るのか?」と窓口で尋ねたところ、「とても軽い。」との返事が返ってきてきょとんするしかなかったというのだ。ちなみにその知り合いの奥さんも日本人なのだが、英語ペラペラどころか米国の学校で「英語の教師」をしていたことがある程の人なのだ。
種を明かせば、窓口の返事は"It's too late."、「(最終便は出てしまって)もう遅いですよ。」だったのだが、"late(遅い)"を「ライト」と発音されたので"light(軽い)"と夫婦共に解釈してしまったということ、ここでも"a"の発音が胆なのだ。個人的に大好きなミュージカル映画「マイ・フェア・レディ」の主人公イライザもロンドン訛りの"a"の発音を矯正される。"take"は「タイク」→「テイク」といった具合で、劇中でクリアすべき課題として与えられるセンテンス"The rain in Spain stays mainly in the plain.(スペインでは雨は主に平野に降る)"も"a"だらけである。
結局、「"u"を上手く使うしかないか…」というのが現時点での解、「"nut(ナット)"のナ、"gut(ガット)"のガ…」といった具合。でも、これもモンティ・パイソンズ・フライイング・サーカスのスケッチみたいでなんとも。
で、ここからが本題。人間の脳というのは意識的に考えている事と微妙にズレた事も無意識に処理しているものだ。個人的にはその辺りを楽しんでいるし、いわゆる「(天から)突然降って来る」感覚の原因はそんなものだろうと考えている。
さて、すっかり視聴が習慣化してしまった「CBCラジオ×U-strip夜用スーパー『電磁マシマシ』」のパーソナリティ佐野電磁氏は、"sanodg(サノディージ―)"という名義をソロアルバムなどで用いている。"a"の問題故、「西濃(セイノー)運輸の関連会社?」みたいな「西濃DG」と発音されるリスクはあるのだが、"dg"は「電磁」や「デジタル」に掛っていると思われ上手いなぁと純粋に感心していたのだ。で、そのような背景の下、ドライブ中に突如「天から降ってきた」のが
"dg++"
である。是非、
「電磁増々(でんじましまし)」
と読んで頂きたい。
"dg++"でググっても、現時点ではダイレクトにヒットするページはないよ!
以下は、食料買い出しのため2km程の距離をドライブ中に頭をかすめたもの。発端は、「米国人による自分の名前の発音が余りに凄すぎる」から「発音専用のアルファベット綴りを用意するならどう綴ろうか」である。ちなみにハングル文字、古代マヤ文字(構造はハングルに極めて似ている。まぁ使うことは無いが)、さらにヒエログリフ(これも使うことは無いだろうが)での綴りは確定させている。
パスポートなどで用いるヘボン式(ヘップバーン式)ローマ字表記が、英語の発音とはほぼ無関係であることは海外旅行経験者ならご存知の通り。自分の実名をヘボン式で表記すると"a"だらけなのだが、これを「ア」と発音してくれる米国人はこれまでの人生において皆無である。じゃあどうなるかというと、「エイ」とか「アイ」となる。例えば"Nagata"なんてのは「ネェイゲェイテェ」みたいになる。そんな調子だから、発音されても自分の名前どころか、日本人の名字とも思えない。語感が「イエティ―」みたいで、まるでUMA(未確認生物)扱いされてるような気分にすらなる。
加えてオーストラリア英語話者の私の名前の発音は、英語ダメダメな私ですら十分に区別できるぐらいまた違ったものになる。
知り合いで英語ペラペラの日本人男性から聞いた話だが、夫婦でオーストラリア旅行中に旅行案内所で「××行きのバスは何時出るのか?」と窓口で尋ねたところ、「とても軽い。」との返事が返ってきてきょとんするしかなかったというのだ。ちなみにその知り合いの奥さんも日本人なのだが、英語ペラペラどころか米国の学校で「英語の教師」をしていたことがある程の人なのだ。
種を明かせば、窓口の返事は"It's too late."、「(最終便は出てしまって)もう遅いですよ。」だったのだが、"late(遅い)"を「ライト」と発音されたので"light(軽い)"と夫婦共に解釈してしまったということ、ここでも"a"の発音が胆なのだ。個人的に大好きなミュージカル映画「マイ・フェア・レディ」の主人公イライザもロンドン訛りの"a"の発音を矯正される。"take"は「タイク」→「テイク」といった具合で、劇中でクリアすべき課題として与えられるセンテンス"The rain in Spain stays mainly in the plain.(スペインでは雨は主に平野に降る)"も"a"だらけである。
結局、「"u"を上手く使うしかないか…」というのが現時点での解、「"nut(ナット)"のナ、"gut(ガット)"のガ…」といった具合。でも、これもモンティ・パイソンズ・フライイング・サーカスのスケッチみたいでなんとも。
で、ここからが本題。人間の脳というのは意識的に考えている事と微妙にズレた事も無意識に処理しているものだ。個人的にはその辺りを楽しんでいるし、いわゆる「(天から)突然降って来る」感覚の原因はそんなものだろうと考えている。
さて、すっかり視聴が習慣化してしまった「CBCラジオ×U-strip夜用スーパー『電磁マシマシ』」のパーソナリティ佐野電磁氏は、"sanodg(サノディージ―)"という名義をソロアルバムなどで用いている。"a"の問題故、「西濃(セイノー)運輸の関連会社?」みたいな「西濃DG」と発音されるリスクはあるのだが、"dg"は「電磁」や「デジタル」に掛っていると思われ上手いなぁと純粋に感心していたのだ。で、そのような背景の下、ドライブ中に突如「天から降ってきた」のが
"dg++"
である。是非、
「電磁増々(でんじましまし)」
と読んで頂きたい。
"dg++"でググっても、現時点ではダイレクトにヒットするページはないよ!
2013/07/11
上坂すみれさんの「テトリアシトリ」「SUMIRE #propaganda」
上坂すみれさんの「げんし、女子は、たいようだった。- EP」が本日発売。
出勤前のメールチェックのついでにiTunes storeにアクセスすると既に購入可能だったので躊躇なくポチっとな。ただしタイトル曲はガン無視して、松武秀樹氏が編曲を担当した「テトリアシトリ」、佐野電磁氏が作・編曲を担当した「SUMIRE #propaganda」の2曲のみ購入。
タイトル曲についてはなんも分からんもんね、iTunes storeの「アニメ」のところにあったからアニメなんでしょうねぇ…という知識レベルなのな、俺。
「テトリアシトリ」は基本的に成程納得の音作り。ベースの音色、レベルがけっこう淡白だったのは予想外だったけど、「かなりピュアなホワイトノイズ」の登場は完全に想定外。対して「SUMIRE #propaganda」のベースは粘りありの佐野節と言えば佐野節な作り。佐野氏のインスト曲群と較べるとちょっと食い足りない感じもするのだが、ボーカルいじり(エフェクトかけたり定位を変えたり)が面白かったのかなぁ…ちょっとボーカルが引っ込み気味で「凸凹のない奇麗過ぎる仕上がり」なのは確か。
まぁ、上坂さんのEPなんだから、作曲家、編曲家が前に出るのは基本的に上手くない訳で、これはこれで正解な筈。が、ちょこっと覗いた上坂さんのブログとかから受けた印象では、(ミニ)アルバムを作るようなことがあればかなりコンセプト優先の楽曲構成も可能な感じだし、上坂さん自体の引き出しも多そう。
聞くのに思わずドキドキしちゃうようなコンセプトで1枚とか、様々な上坂さんを色んな作詞家、作曲家、編曲家がプロデュースする破綻が約束されたノンプロデュースな1枚とか、どうですか?キングレコードさん。
追記:
「テトリアシトリ」の歌詞のモチーフはゲーム「テトリス」なのか!やっと気づいたよ。(上坂すみれさん→ロシア語→ロシア/ソ連→テトリスってあたり?)
出勤前のメールチェックのついでにiTunes storeにアクセスすると既に購入可能だったので躊躇なくポチっとな。ただしタイトル曲はガン無視して、松武秀樹氏が編曲を担当した「テトリアシトリ」、佐野電磁氏が作・編曲を担当した「SUMIRE #propaganda」の2曲のみ購入。
タイトル曲についてはなんも分からんもんね、iTunes storeの「アニメ」のところにあったからアニメなんでしょうねぇ…という知識レベルなのな、俺。
「テトリアシトリ」は基本的に成程納得の音作り。ベースの音色、レベルがけっこう淡白だったのは予想外だったけど、「かなりピュアなホワイトノイズ」の登場は完全に想定外。対して「SUMIRE #propaganda」のベースは粘りありの佐野節と言えば佐野節な作り。佐野氏のインスト曲群と較べるとちょっと食い足りない感じもするのだが、ボーカルいじり(エフェクトかけたり定位を変えたり)が面白かったのかなぁ…ちょっとボーカルが引っ込み気味で「凸凹のない奇麗過ぎる仕上がり」なのは確か。
まぁ、上坂さんのEPなんだから、作曲家、編曲家が前に出るのは基本的に上手くない訳で、これはこれで正解な筈。が、ちょこっと覗いた上坂さんのブログとかから受けた印象では、(ミニ)アルバムを作るようなことがあればかなりコンセプト優先の楽曲構成も可能な感じだし、上坂さん自体の引き出しも多そう。
聞くのに思わずドキドキしちゃうようなコンセプトで1枚とか、様々な上坂さんを色んな作詞家、作曲家、編曲家がプロデュースする破綻が約束されたノンプロデュースな1枚とか、どうですか?キングレコードさん。
追記:
「テトリアシトリ」の歌詞のモチーフはゲーム「テトリス」なのか!やっと気づいたよ。(上坂すみれさん→ロシア語→ロシア/ソ連→テトリスってあたり?)
2013/07/08
"Bizarre Love Triangle / feat. Megpoid Eng."の顛末
"New Order"の"Bizarre Love Triangle"はやはり80年代を代表する名曲だと思うのだ。歌詞も「思いつめた人間の気持ち」を想像すれば何気にありそうな話にも思えるし、実際、似たような経験がない訳でもない。
それはさておき、Vocaloid3 Megpoid English用のテストオケとして、ほぼオリジナル曲に忠実な(私の耳コピレベルではだが)シーケンスデータは作ったものの、どうもしっくりこない。Megpoidが悪いんじゃなくて、オケが文字通り単なるカラオケ曲になってしまっている時点で面白くないということ、何をやりたいのかがはっきりしないうちは基本的に「どうでも良いもの」にしかならない。故に、暫く放置状態としてきた。
再開のきっかけは、別の曲のシーケンスを組んでいる際に頭をよぎった疑問、「私にとってチップチューンに相当するものは何か?」であった。
元来「チップチューン」というのは、改造したゲームボーイなどの旧式の携帯ゲーム機で演奏した楽曲である。つまり、ゲームの音楽、効果音用の音源チップを楽器化するというもので、広義では旧式ゲーム機の音源をシミュレートして作った楽曲も指す。だからと言って、編曲はそのままで音色のみファミコン風の音に変えただけでは「チップチューンの心」は宿らない。音色自体のチープさをキャッチ―に変えるためには、同時発声数などの制限がある中で生み出された数々の方法論、特に特有の編曲法、音源チップのバグの活用や仕様外の使用方法などの実際にどう使われてきたかも踏まえたアプローチが必要、というのが個人的に信じるところだ。
「チップチューン」を「チップチューン」たらしめるためには、送り手と受け手とが共通体験としての「ゲーム体験」があった方が良い。が、如何せん任天堂ファミリーコンピュータですら私の世代には遅れてきたゲーム機であり、私には共通体験たる「ゲーム体験」が欠けている。だから私には「チップチューン」はおそらく作れない、それこそ作る理由がない。では、共通体験としての「ゲーム体験」に代わるものは何か、別の言い方をすると、ある特定のハードウェアと結びついたかつては存在したが今は無い音はないか、という点に思いを巡らせた結果が"CASIO SK-1"超廉価版サンプリングキーボードや同時期のポップキーボードの音だったのだ。
"CASIO SK-1"は8bit、9.7kHz(CDは16bit、44.1kHz)のサンプラーなので、固有の音なんて無いだろうと見做すことは八割方正しい。が、当時のポップキーボードに当たり前のように付いてきた伴奏機能、特にドラムパートの音源には製造元や機種毎に結構癖がある。先週水曜日にふと思い立ってググったところ、有難いことにSK-1のドラム音の音のサンプリングデータをアップロードしてくれている人がいた。早速データをダウンロードしてDAWのドラム音源データセットを作って使ってみたら「(曲は選ぶものの)まさにコレだ!」という感じ、探していたモノのひとつはすぐ入手できるところにあったのだ。
出来の良し悪しはどうでも良し、ある意味「今の私だからこそできること」は80年代の自分の方法論の再現、より正確には翻案だ。そして、そのコアには「チープだけど味のあるドラム音色」をどう生かすかという課題がある。
という訳で音色変更から、ボカロデータ作成、ムービーの背景ドローイングまで土曜日一日で力ずくでまとめちゃったのが以下のムービー。繰り返しになるけど、出来の良し悪しはどうでも良いのだ。考えていることと実際にやっていることが一致してるとか比較対象が無いとかは精神衛生上も良いのですよ。
CASIO SK-1 - like Lo-Fi Mix (8bit 9.7kHz Mix)
CASIO SK-1 Drum Mix
それはさておき、Vocaloid3 Megpoid English用のテストオケとして、ほぼオリジナル曲に忠実な(私の耳コピレベルではだが)シーケンスデータは作ったものの、どうもしっくりこない。Megpoidが悪いんじゃなくて、オケが文字通り単なるカラオケ曲になってしまっている時点で面白くないということ、何をやりたいのかがはっきりしないうちは基本的に「どうでも良いもの」にしかならない。故に、暫く放置状態としてきた。
再開のきっかけは、別の曲のシーケンスを組んでいる際に頭をよぎった疑問、「私にとってチップチューンに相当するものは何か?」であった。
元来「チップチューン」というのは、改造したゲームボーイなどの旧式の携帯ゲーム機で演奏した楽曲である。つまり、ゲームの音楽、効果音用の音源チップを楽器化するというもので、広義では旧式ゲーム機の音源をシミュレートして作った楽曲も指す。だからと言って、編曲はそのままで音色のみファミコン風の音に変えただけでは「チップチューンの心」は宿らない。音色自体のチープさをキャッチ―に変えるためには、同時発声数などの制限がある中で生み出された数々の方法論、特に特有の編曲法、音源チップのバグの活用や仕様外の使用方法などの実際にどう使われてきたかも踏まえたアプローチが必要、というのが個人的に信じるところだ。
「チップチューン」を「チップチューン」たらしめるためには、送り手と受け手とが共通体験としての「ゲーム体験」があった方が良い。が、如何せん任天堂ファミリーコンピュータですら私の世代には遅れてきたゲーム機であり、私には共通体験たる「ゲーム体験」が欠けている。だから私には「チップチューン」はおそらく作れない、それこそ作る理由がない。では、共通体験としての「ゲーム体験」に代わるものは何か、別の言い方をすると、ある特定のハードウェアと結びついたかつては存在したが今は無い音はないか、という点に思いを巡らせた結果が"CASIO SK-1"超廉価版サンプリングキーボードや同時期のポップキーボードの音だったのだ。
"CASIO SK-1"は8bit、9.7kHz(CDは16bit、44.1kHz)のサンプラーなので、固有の音なんて無いだろうと見做すことは八割方正しい。が、当時のポップキーボードに当たり前のように付いてきた伴奏機能、特にドラムパートの音源には製造元や機種毎に結構癖がある。先週水曜日にふと思い立ってググったところ、有難いことにSK-1のドラム音の音のサンプリングデータをアップロードしてくれている人がいた。早速データをダウンロードしてDAWのドラム音源データセットを作って使ってみたら「(曲は選ぶものの)まさにコレだ!」という感じ、探していたモノのひとつはすぐ入手できるところにあったのだ。
出来の良し悪しはどうでも良し、ある意味「今の私だからこそできること」は80年代の自分の方法論の再現、より正確には翻案だ。そして、そのコアには「チープだけど味のあるドラム音色」をどう生かすかという課題がある。
という訳で音色変更から、ボカロデータ作成、ムービーの背景ドローイングまで土曜日一日で力ずくでまとめちゃったのが以下のムービー。繰り返しになるけど、出来の良し悪しはどうでも良いのだ。考えていることと実際にやっていることが一致してるとか比較対象が無いとかは精神衛生上も良いのですよ。
CASIO SK-1 - like Lo-Fi Mix (8bit 9.7kHz Mix)
CASIO SK-1 Drum Mix
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