2015/08/17

東京オリンピック、パラリンピックのロゴ/エンブレムの騒動 (2)

 件の件、佐野研二郎氏への個人攻撃になっていないか、との問題提起及び現状への批判の声がある。言いたいことは理解するが、現状はある意味「作られた状況」だ。その点を無視すべきではない。

 状況の「作り手」の例を挙げれば、かのエンブレムを多数の候補の中から選定した人々だろう。ここまで状況がこじれる前に、彼らは何らかの説明をすべきであったと思う。彼らが何も語らぬ故、すべての火の粉が佐野氏に降りかかるのは必然だ。やがて「佐野切り」が囁かれるようになるのは「常識的に」仕方のない展開である。

 そもそもこの騒動の発端は、少なくない人が感じた「かのエンブレムに対するこれではない感」にあっただろうことは想像に難くない。「オリンピックにはふさわしくない」と少なくない人が感じた、とも言い換えられるかもしれない。もしそう言い換えられるならば、「オリンピックにふさわしいエンブレム」を選定した人々が出てきて語らないのは本当におかしい、非常識のそしりは免れない。「オリンピックにふさわしいかどうか」という点への責任は、実際のところ佐野氏本人には別に無くてもいい。対してそれを選んだ人間には明確に責任がある。本質はあくまでここだ。

 「パクリ(疑惑)元探し」は佐野氏の発言へのリアクションでしかなく、自らが招き寄せた状況に過ぎない。「彼には『既存のものから容易に類推可能なレベル』の仕事が多いよね」というのは、多少なりともデザインに興味のある人間には広く共有されていた認識だ。機会があればポンッと弾ける素地は間違いなくあった。

 「佐野氏への個人攻撃」と解釈できる状況は紛れもなく存在する。だが、その状況を作っているのは攻撃される側でも攻撃する側でもないというのが個人的な見解だ。「個人攻撃」に非を唱える人は、本来あるべき状況に思いを巡らした上で、状況をあるべき姿に変えるための具体的な提案をして欲しい。そういう事が期待される立場の人でも「個人攻撃における攻撃者のみ」を責めるような文章を書いている場合がある・・・見てる人はちゃんと見てるからね。

 そういう意味で俣野温子氏が関連するブログ記事を削除したのは本当に残念。それを書けるのは世界でも俣野氏ただ一人なんだけどね・・・。

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