2013/12/28

2013年を振り返ってみる(その2)

 さて、安倍首相の靖国参拝に対して韓国政府高官が「対日政策の見直す」と述べたとのことだ。聯合ニュースの日本語サイトを読むと確かにそのような報道が為されているが、読めば読むほど「本質的に政策変更はない」としか解釈できない。

 要は、最近になって広く認識されつつある「恨(ハン)の文化」に基づく政策の尖鋭化は止めないということだ。私が所謂「親韓」から中道へ向かうきっかけは、韓国映画「ユリョン」を観たことにある。劇中で言及される「恨」は普通の日本人には理解できない概念だ。

 約1年ほど色々調べてみて、「恨を全面に出す限り、韓国とロジカルかつファクトベースの話は絶対不可能」との結論に至った。「恨の文化」との分離が行われない限り、「本質的に政策変更とはなり得ない」というのが個人的な論理的帰結なのである。

 「恨の文化」ではどんな事が起こっているか。

 宗主国(例えば元とか明とか)の使節や皇帝を称える石碑を建てるが、宗主国が滅びるとそれらを「大国に恥辱を与えられたことを忘れないための石碑」として扱うようになる。日本人の感性でも当たり前っぽい?確かに表層的にはそうだが、「文脈の変更、或いは文脈を無視した再解釈」は日本人の感性では客観性が無いが故に「恥」とされる(「恥を知れ」という表現はそういうこと)。実際のところ、「恨の文化」を尖鋭化させると「客観的な恥の意識」自体が排除される。サッカーの国際試合などでサポーターが他国を侮辱するような振る舞いを平気で出来るのは、そのような行為を「恥かしいと感じる感性が無い」からだと解釈できると思う。客観的視座が欠けるため、他者からは「表層が重要であって本質は重視しないという姿勢」のみが目立つようになる。やがて本質も失われるという負のスパイラルを延々と繰り広げているようなのだ。

 だから、私は心情的には「嫌恨」、ロジカルにエティカルに「反恨」であって、「韓≠恨」の条件においてのみ中道なのである。が、韓国社会が「恨」を「対外的な文化的コードとして良しとしている」以上は実際的には「嫌韓」として対応せざるを得なくなったという訳である。他方、「反日」はもはやイデオロギー以外の何物でもないと見える。ならば極論すると、日本に「戦後ドイツを見習え」と声を大にして言いつつ、自分達は「戦前~戦中のドイツの某政権」の如くプロパガンダを繰り返していると言って良い。これは感情抜きの(単純化し過ぎているけれども)ロジカルな帰結、良し悪しとは無関係の事実認識なのだ。

 「恨」は自己中とかいうレベルの話ではなくて、フィクションファンタジーの形成を必須とせざるを得ないから、他者があっては嘘をつかずには成立はさせられないし、いちいち文脈を追っていくと容易に破綻する。つまり、某大河や日本海を越えては通用しない内々の論理に過ぎない(追記:失礼、「論理」ではなかったです)。「恨」を強化しつつ、「恨」を合理的に正当化できる方法は実に簡単で、「他者から人間扱いされず、不愉快な押し付けを受け続ければ良い」というのがロジカルな帰結だ。故に、「恨」に取り込まれるんじゃなくて「恨」という文化的コードを内包するより大きなアイデンティティを獲得し、差別的イデオロギーから自由にならなければ、状況は良くなりようがない。お互いに、内は内、外は外とできれば理想ではあるのだが。

 ネットを巡れば、「反日姿勢に対して誤解がある」との旨の、例えば韓国人留学生の手による日本語の説明も見つけることができる。が、その内容は私が知り、理解しているものを超える内容では無い。「何故それが分かっていてコレなんですか?」というのがここ15年ほどの変わらぬ疑問である訳だ。

 実際には、差別的イデオロギーから自由になる道をまず探るべきだと思う。ここで言う「差別的イデオロギー」とは「反日」だけでなく、他国人を自分たちの格上か格下に分類する思考法や、女性蔑視なども含んでいる。

 あと、「事大主義」と「バランサー論」は全く別次元の話であることを早く理解して欲しい。

 実は、工学分野の国際誌の論文査読をやっていると、論展開にお国柄が如実に表れていることに思わず吹き出してしまうことがある。面白いのでは無く、酷いという意味で吹き出さざるを得ないのだ。優れた論文には良い意味でお国柄は現れない(文章表現は英語でもお国柄は現れるが、簡潔でロジカルである限りは無問題、つまり本質的であるなら問題ない)。論文の筈が実はファンタジー、なんてことが実際にあるのだ。

 件の靖国参拝が国家100年の計の一環であるならば、日本は対韓政策を本質的かつ明確に転換したと見做せると思う。であるなら「安倍政権では無理」という韓国の認識は甘すぎる。実はそうではなくて、「南スーダンでの弾薬提供」に起因する現韓国政権の国内不安定化に対する「日本からの思いやりカウンター」と見做す向きもあるが、実際のところは分からない。

 ま、聯合ニュースなどの報道からは、実際はそう機能している様が良く分かるのだが。

[一部追記修正:2014/1/7]

追記:2013/12/29

 たまたま目にしたYoutube動画。動画中では触れてませんが、「身分が上昇する可能性はゼロ」はツッコミどころかと思います。日本には残念ながら(一部は残念ながらも当然ながら)「差別は残る」ものの、「身分意識」は基本的にありません。故に、「身分意識に基づく差別、身分に基づく差別」は基本的にありません。とか書いた矢先にアレですが、実は親戚が「身分意識に基づく差別」を受けたことはあります。

 「旧華族」から「平民出身なんて」と言われた訳ですが、御一新前まで遡ると「商人」から「(下級とは言え)武士なんて」と言われたことになることが判明し、「旧華族」側が黙らざるを得なくなりました。自らのロジックで自らの首を絞める所謂「ブーメラン」ですね。日本における身分意識なんてせいぜいそんなものです。実効性はありませんし、そういうものを口にする人ほど「口にした事以外に相手に対して何か優位に立てるようなものを持っていない」ことが多いものです。

 「身分が…」と言った時点で、以降の記述は「身分意識が実効的に機能していない限り意味がありません」。敢えて悪乗りして言い過ぎてみると、「韓国は身分が上昇する可能性はゼロなのですか?身分意識或いは身分制度があるのですか?」と問わざるを得ません(もちろん、李氏朝鮮時代が硬直的な身分制度を持っていたことは知っています)。日本において「身分」は少なくとも「社会的には」無いのです。

 なお、身分制の有無は先進国がどうかとは関係ありません。例えば英国には「身分による区別」があります。身分により飲みに行く店が違うとか、内閣に入るためには爵位を返上しなければならない(慣例)とか、そんな話です。あ、大臣になるには身分を下げなければならないのですね、っつーかより正確には英国で機能しているは「身分」ではなく「階級(クラス)」で、かつ上下ではなくて功績の有無や果たすべき義務の有無を表す集団の区分なのです。

 まぁ、相対的ではあるけれど今年は自国をもう一度見直すいい機会になったのは確か、うん。

2013年を振り返ってみる

 まだ今年も何日か残ってますが、会社も休みになりますし、もはや年末年始まったりモードです。

 会社の同僚が「正月攻勢と称して某国が某線を越えるのではないか」と心配していますが、個人的にはこの時期に動くことは賢明とは思えません。が、ちょっと某国に関する報道が以前と較べて減っているのが気になります。要は、中共と上手くいっていないのではないかという点が懸念事項ではある訳です。

 とは言え、2015年には朝鮮半島国連軍の戦時統制権が米国から韓国へ完全委譲されることは決まっており、また米国が非核化を条件に某国との不可侵条約締結も考えていることは米国自身が明言しています。事実関係として、某国、米国、中共は休戦条約を結びました(韓国は休戦していない)が、この休戦条約、今年になって某国が一方的に破棄を宣言し、米国もそれを公式に認めています。戦時統制権に韓国への委譲、休戦条約の実質的破棄という事実関係の文脈からは、「不可侵条約締結」はあながち想定されないシナリオでもない様なのです。ポイントは「半島非核化」、北から南まで全てですよ、もちろん。

 この辺りは裏取りしていくと、国内では報道されていない話がポンポン出てきて面白いです。

 で、我が国はというと、首相が靖国参拝したかと思うと仕事納めということで。まぁ国家100年の計の一部である筈だと信じてますからね。少なくとも事大主義はマジアカンでしょう、というのが今年の最大の教訓、国家も経済も仕事もね。米国の「残念」の意味ですが、TV報道での解説の説得力無さったらありません。米国はロジカルに怖いですからね、キャンペーン(大抵は褒め殺し)が始まったらもう手遅れですよ、おそらくここまでは想定通りの展開と思われますが。

 良くも悪くも来年は今年以上に国際情勢、世界経済に色々動きがありそう、との認識は同僚とも共有してますが、内容については云わぬが華ということで。IMF(国際通貨基金)とかEU(欧州連合)の公開資料とかに目を通しているとちょっとドキドキしますよ。アジアの事は、アジアだけ見てては理解できません。

 後は気のまま。
  • 9月以降は出社拒否も起こさず、時折PCを前に寝オチする始末。
     そもそも職場で倒れた原因が不眠症で、睡眠導入剤も飲まずに「寝オチ」なんてのはここ3年ほど無かったこと。きっと体調良くなっているって思いたいのが人情ではありますが。ただ仕事以外への粘りと言うかやる気は明らかに減退、まぁ歳のせいでしょうけどね。

  • 車の乗り換え。
     気が付けば9年乗ってたのねFIAT Nuova Panda(2004年型)、良い車でした。2004年型は色々と原価低減策をする前の型式なので、実は外見が一緒でも後の年代の同型車よりもインテリアはしっかりしていたのです。
     一応プレミアムコンパクトとの位置付けのFIAT 500シリーズですが、「インテリアにおける原価低減策」はしっかり継承されているのはちょっと残念。TwinAirエンジンはちょっと回し気味でナンボって感じですねぇ。

  • 「宇宙戦艦ヤマト2199」良いところ無く完全撃沈、覚悟の心中。
     酷い出来でしたけれども最期まで付き合いました、Blu-rayプレーヤーもわざわざ買ったのにねぇ。あの素材で事前の予想を大幅に凌ぐ物語の薄っぺらさ、いつもの事とは言えあの素材でアレが平気でできるって辺りが「性根がプロじゃない」って証拠かと。金出す人も相手は選ばないとさ。
     一部報道では「市場規模なんとか億年!」なんて報道もありましたが、ゆるキャラ「くまモン」の経済波及効果(推定、活動開始からの積算)の1/10以下ですからねぇ…「くまモン」にしても「ふなっしー」にしても、中の人の「ゆるキャラとしてのプロ魂」みたいなものを感じますよ、マジで。

  • 「パシフィック・リム」に救われる。
     ツッコミ所満載という点は認めるけど、理詰めの構成力は凄い。労作にして傑作、シナリオが酷いという人は映画の読み方を知らないと思うべき、カットの一つ一つまでがなんと饒舌なことか!VFXとライブアクションを同じ人間がデシジョンすることで、何故作ったか、どんな作品を作りたいかから始まって実際の作品までが理詰めの一品。
     あこがれや思い入れを理に落とし込めた時点で、某2199とは別次元になったと言えよう。米国では不評とのことだが、それはかなり映画リテラシーのレベルの問題じゃないのか。「スターウォーズ」の興行的成功による「映画における新たなるイマジネーションの不在」をウン十年ぶりに打破した作品であり、その意味では「2001年の宇宙の旅」の直系かと思う。イマジネーションだけならば「インデペンデンス・デイ」っつーミッシングリンクがあるにはあるのだが、あれはシナリオが良い意味で馬鹿過ぎるもんなぁ。
     あと「マーズ・アタック」は「どこかで見たことがあるような感じのちょっと曖昧だけどそれっぽい一連のイメージ」を具体化したという点で、「スターウォーズ」の流儀を尖鋭化したと言って良いのではないかと思う。問題は、そこを尖鋭化しただけでは面白くなる理由がないことで、その辺りが確信犯的に作られている点を面白がれるかどうかという意味で、やはり観客を選ぶ映画ではないかと思う。

  • キャプテン・ハーロック…ん?
     気になって調べてみたら国内興行収入5億円程度とか、やっぱり大赤字。「くまモン」との比較は…ケタが違うね。某2199と同じで、金出す人間は相手を選ばなきゃだめっつーか、どうしてこんな企画に大金が投じられたのか?存在自体がファンタジーな感じ。
     今時モーションキャプチャーとか「作り手にイマジネーションありません」と言ってるも同然で、面白い物が出来るはずもない。「ロボットもカイジューも動きは全て手付けです、それがこの作品にとって必須なのです」と監督が言いきってしまう「パシフィック・リム」とは雲泥の差。作品の有様やら金の使い方やら色々間違ってる点では「デビルマン」の再来かもよ東映さん。
     世間のレビューを見るに、映画リテラシー的な観点からは評価が二分、シナリオ、或いは物語展開をきっちり追えている人とそうでない人との意識差が歴然。フランスではシナリオは受けるかもしれんが、小説同様マンガっぽさは余計かと思います。

  • 3Dモデリング封印、海外ネットコミュニティとの断絶。
     体調優先のため、一応「病気にて休みます」と仁義は切っておいて3Dモデリング関係のコミュニティからいったん断絶。まぁ、英語でやり取りすることが多少負担になっていたし、自分の3Dデータの商用利用差し止めとかでてんやわんやした経験も大きい。
     参加していたコミュニティはポライトであることを基本としつつも押しつけがましくないフランクな側面をも持ちバランスの良いところなのだが、時折その辺りの空気を読まないニューカマーが現れて「浮きまく」っていたりするのは(日本人っぽかったりして)ご愛嬌。ちなみに私は一部の人間に米国人だと思われていた模様、やはりカナダ人や英国人とは物言いが違うようです。

  • PC更新せず、3Dモデリングから音楽寄りにシフト。
     もうメモリも売ってないようなロートルPCなのだが、取り敢えず困らないのでそのまま。かつては毎年のように更新していたのが嘘のよう。PCアップデートに使っていたお金は音楽関係のソフト購入費にシフトした感じ。
今日のところはこんな感じかな。

2013/12/23

Mistabishi - Printer Jam - OFFICIAL VIDEO

 未だにDrum'n'Bass大好きっコなのですが、これまた古いんだけど"Mistabishi"の"Primter Jam"のご紹介。当然"Jam"が地口となっていると考えて間違いないでしょう。

 一発ネタと言えば一発ネタなのですが、実際曲にしようとするとなかなかまとめるのは難しいし、かつてのプリンターがそういう音をたてていたことを知らないと聞く方も楽しめないでしょう。年賀状を書く時期には散々聞いたような音が散りばめられています。

 最後にプリンターが死んでしまう("Printer, dead!")ことから逆算して作られたPVかと思いますが、如何でしょ。

2013/12/21

嫌韓の人も、そうでない人も

 今回のエントリはかなり真面目。皮肉や当て擦りなしだということを先に宣言しておく。また、私個人は2000年ごろまでは自他共に認める「親韓」だったが、今は中道だ。なぜ中道かと言うと、「相手の流儀とその元になった歴史低背景」がある程度理解できたとの自信がついてきたからだ。

 今回の話の発端は、米国カリフォルニア州グレンデールの公園に「平和の少女」と銘打って椅子に座った少女像が設置されたことだ。顛末は色々な報道もあったのではしょるけれども、実際は「従軍慰安婦の像」だ。それは像本体では無く、隣接して設置されている石碑の記載内容(少女像の説明)で明らかだ。

 私が朝鮮半島の歴史を勉強し始めたきっかけは、1980年代に朴大統領暗殺事件(粛軍クーデター)に関する書籍(韓国で発行された本の日本語訳版)をたまたま読んだことだ。それ以降、折に触れて朝鮮半島がらみの歴史書などを読み漁ってきた。所謂「従軍慰安婦問題」はもう2000年ごろには出っち上げであることが常識だった・・・・・・・筈だったのだが。

 米国ホワイトハウスのウェブページに、大統領宛ての「嘆願書」のページがある。出された「嘆願書」への署名数が30日間内に10万を超えると、一応無視はされないシステムのようだ。署名には名前、有効なメールアドレスなどの事前登録が必要だが、国籍は問われない。署名数が定数に達しても嘆願が通る訳ではないが、ひとつの明確な意思表明にはなる。

 で、話を戻すと、今月11日付けで件の少女像と石碑の撤去を求める嘆願書が出された。発起人はYoutubeなどでも観ることができる米国人で、ビデオで観る限りは(日本びいきを差し引いても)フェアでフランクでロジカルで知性と良識を感じさせる人だ。

 嘆願を引用しよう。
Remove offensive state in Glendale, CA public park
Please remove the statue in a public park in Glendale, California. It is a statue of a Comfort Women masquerading as a peace statue while in essence after reading the inscription it is promoting hate towards the people and nation of Japan.”
拙訳ながらこんな内容だ。
グレンデール・カリフォルニア市民公園内の無礼な/不快な(offensive)事態の復旧
どうかカリフォルニア州グレンデールの市民公園内の像を撤去して下さい。それは平和の像を装っていますが慰安婦の像です。碑銘は本質的に日本の人々と日本国に対する嫌悪を喧伝するものです。
うん、要は「特定の国や国の人々を貶める内容で不快だから是非撤去してよ」という内容だ。

 貶める対象となっている日本への言及はあるが、像と石碑を設置した主体や関わった人々、勢力への言及は一切ない。この嘆願においては、誰にも責めを負わせる意図が無いことは明らかだ。極めて良識的で、日本人の心情や感性までをも配慮したのではないかとまで思わせる嘆願となっていると思う。

 嫌韓の人も、そうでない人も…むしろそういうものから自由な立場から…署名するかしないかを「積極的に」選んで欲しい。

 嘆願が適って像や石碑が撤去されても、それが何らかの勢力や人々に対する勝利などとは考えてはいけない。それはおそらく嘆願の意図に反することだし、私もそうは考えないだろう。

 これらの像の問題は「今回は勝った負けた」なんて低レベルの話にしてはいけない。内容が幾ら低レベルであっても、日本人である時点でもはや当事者であり、「無関係の国に迷惑をかけている事実」に対しては早急に対応する必要がある。少なくとも意図や意思はまず、「無関係の国の人々」にも見える形で示さなければならない。

 この嘆願に署名するかどうかは、当事者にされてしまった日本人として、個々人の「歴史認識」とは無関係に、単純にモラルの問題としても一考すべき事項かと思う。本質的な解決は、相手あってのことでもであるし、そもそも問題がロジカルでもないからかなり困難だ。だが、「他人に迷惑をかけない」という価値観だけでも、この嘆願に署名する理由としては十分だと思う。

 "Please remove offensive state"でググッてみよう。

 アイゼンハワー公園の像についても同様の嘆願が出ていることが分かるだろう(締め切りは来年の1/12)。こちらの嘆願の最後の二文の内容は当たり前故に無視できないものだ。
This is the United Sates of America. We do not need it in this country.(ここはアメリカ合衆国だ。この国にそれは要らない)
そりゃそうだ、迷惑千判とはこのことだ。図らずも当事者にされてしまった一日本人として取り敢えずできることは、この嘆願に署名することだろうと重ねて思わずにはいられない。

 それはそれとして、「歴史認識」という言葉は何気にエグくて示唆的だ。「認識」なのだ、うっかりすると歴史的事実を無視したって良いし、「認識」のために歴史的事実を歪曲したって良いってことにならないか。

「初音ミクV3 ENGLISH」ってば:補足の補足 or Piapro Studioがいよいよ使い物になるか?!

 Piapro Studioのバージョン1.2がリリースされて、クリプトン社以外のボーカロイドも使えるようになったよ。技術的な問題があったのか、囲い込み戦略があっさり破綻したのかは不明だが、ユーザー寄りの展開は一度は苦言を呈した手前、大歓迎だとはっきり書いとかないとね。

 以前に書いたと思うけど、初音ミクの声?質にさっぱり魅力を感じない類の人間故、Piapro Studio自体が塩漬け状態だった。最後のミックスダウンまでそのまま使うことはないと思うけど、DAW上でのラピッドプロトタイピングには重宝しそう。テンポ変更の制限が無くなるからバックトラック作成に先行する「歌先」も可能で、ワークフローを根本的に変えることになるかもしれない。

 あ、V3 Megpoidだけでなく、V3にインポート済みのV2 Sonikaも使えるようになるよ。

ヴァーチャル"TANSU"生活始まる…

 ボーナスが出たのを機会にArturia社のソフトシンセ"Modular V"を買っちゃいました、厳密に言うと買ったのは"V Collection"というバンドル製品。半額セールとは言え¥2万を超えるお買い物、だが如何せん3個のソフトシンセを買うより安い価格で10個のソフトシンセが買えるという魅力には勝てなかったのだ。ちょうど買おうと思っていたソフトシンセが3個だったしねぇ。

 で、

 "Modular V"と言えば"Moog Modules"、"Moog Modules"と言えば"TANSU"。PC上のシミュレーションとは言え、パッチ(モジュール端子間の結線)を組んでいると気分は"TANSU MATRIX"だ。なんてったって
だもの。

 もちろんプリセット音は定番どころてんこ盛り、「どこかで聞いたことのある音」なんてものじゃなくて、「あのアーチストの、あのレコード(笑)の、あの曲の、あの音でしょう!」って感じ。ちと残念なのは、Z3TA+とかで苦労して作ったそれっぽい音をプリセット音が安々と凌駕してしまっちゃうことだ。「記憶に刷り込まれている音達」の強靭さをあらためて確認した次第だ。

 購入を全く考えてなかったドラムマシン"Spark Vintage"も動作が軽快でなかなか楽しいし、やっぱり「あの音」感が満載だ。

 ま、使ってナンボなんですけどねぇ…

2013/12/17

"Godzilla"トレーラー

 制作してるんだかしてないんだか、ここ2年ほど噂だけはあった"Godzilla"、今回は本当のようです。ゴジラ自体はちらっとしか見えませんが、首らしい首がないデザインは好きじゃないなぁ…あ、冒頭の音だけ聞いてるとモノリスが出てきそうですね。

2013/12/15

BBC"DOCTOR WHO"オープニング集

 英国映画と言えば「007シリーズ」、果たして終わる日が来るのかどうかも定かじゃない。BBCのTV番組では「ドクター・フー・シリーズ」、こちらも果たして終わる日が来るのかどうかも定かじゃない。長寿番組という訳ではないのだが、このほぼ50年間、主演俳優を変えつつ断続的に制作されている。何気に国民的番組かも、日本ではほぼ見ない形態ですよね。

 割と画質の良いオープニング集をYoutubeで見つけたので埋め込んでおきましょう。

映画「パシフィック・リム」、成程。

 手放しで誉めよう。DVDで観たのだが、映画とはこういうもんだ、ということを本当に久しぶりに再確認した次第だ。エポック・メイキングかと問われると国内外の評価の落差もあって言葉を濁さざるを得ないが、非常にレベルの高いベンチマークが登場したのは間違いない。

 つまり、「パシフィック・リム以降/以前」という尺度が生まれたということだ。そして、実はスターウォーズ以降で失われたある重要な因子の再興とも位置づけられる、というのが個人的な評価だ。

 徹頭徹尾ロジカルかつ客観的な絵作りは、やはりロジカルなシナリオ/ストーリー展開と相まって小気味良い。作り手側の視点に立てば、おそらく妥協を極力排した、或いは妥協したところは捨ててでも全体として成立させられた真摯な作品というところではないかと思う。

 「ストーリー展開が弱い」との国内評もあるが、それは「絵作りやシナリオにおける高い客観性」に観た側が慣れていない、或いは単に付いて行けていないだけではないかと思う。ストーリーは重くは無いが骨太だ。だが、観客に対しては優しくないので、「あなたはちゃんと映画を読めますか?」という意味でもベンチマークと言える。

 一人称の小説に反吐が出る類の人間としては、セリフの一言一言までもが物語の全体像を形作るべく意味を持って積み上がっていく様が実に気持ち良い。カット一つ一つも同様で、スタイリッシュさといった「どうでも良い」ところをバッサリ落とした誤魔化しの無さは清々しいまでに美しい。「パシフィック・リム」という作品は、一部分を取り出してきたところで意味はない。全体を一つとして捉えたとき、私の脳内ではまるで球体のように見える。それは、素晴らしい論文の記載内容を頭の中で整理した時と同様の脳内の光景だ。

 ただ、ロジカルであるが故に、セリフやカットの意味をちゃんと追っていれば、最後の展開は2/3ぐらいまで進んだところでほぼ読める。それでもなお楽しめるのは、徹頭徹尾ロジカルだからだ。とは言え、エンディングのスタッフロールに挟まれる1カットをやっぱりやらざるを得なかったのはロジカルさを徹底するが故の代償とも言える。どう考えてもあれは必要なのだ。

 本作はレイ・ハリーハウゼン氏と本多猪四郎氏に捧げられている。両氏ともに一つ一つのカット自体だけでなくそれらの繋がりへの意味付けが明確なロジカルな作風であったことは重要だ。本多氏の作風は「ドキュメンタリータッチ」とも評されるが、本来荒唐無稽な怪獣映画でドキュメンタリータッチが成立すること自体に矛盾があり、論理的/ロジカルと捉えるべきだというのが以前からの持論だ。スターウォーズの商業的成功を機に絵作りにおけるロジカルさが映画から一旦失われるが、"Kaiju/Monster Master"たらんとすればロジカルであることは必須なのだろう。

 ジョージ・ルーカス氏の感性はあまりにカートゥーン的であるが故に、絵作りにおいて形態やシルエットを優先して嘘を許容し過ぎている。モーションコントロールカメラ全盛期のエピソードIVとCG期のエピソードIIIで絵作りに差が無いのは、氏にとって絵作りにおいて使われる技術の発達に意味がない、つまり絵作りにおいて「突き詰め、可能な限り肉薄すべき対象がない」ことの証左と言えよう。

 対照的に、「パシフィック・リム」はCG技術の成熟を待たねばならなかった作品とは言えるが、実は決して簡単な話ではない。CG技術自体が終始ロジカルなもの、というのは現代にあっては完全な間違いである。そこではスループットを上げるためのあらゆる誤魔化し(=冴えたやり方)が駆使されており、「リッチでありながら無味乾燥な絵」を作ることはむしろ困難なのだ。

 "Battlestar Galactica"は後半でストーリーにおけるロジカルさと骨太さを同時に失った。某2199は徹頭徹尾ロジカルではなかった。エヴァはロジカルでは成立させられない(まだ完結していないので言い過ぎかもしれないが)。作品におけるロジカルさの欠如を起因とするここ数年のうんざり感を一気に解消した「パシフィック・リム」、この1本を観ただけで2013年は良い歳だったと言っちゃえそうなのが実に幸せだ。

追記(2013/12/15):

 ただイェーガーの一部の名称は頂けない。ちょっと無神経ではないかと思うところもある。

2013/12/13

フィアット「ツインエアエンジン」インプレッション- エコ運転への挑戦編2

 「ゆっくり発進+早めのシフトアップ作戦」が功を奏し、直近の約300kmで平均燃費が16.0km/?まで向上した。運転方法を変えて3日、0.1km/?/10kmぐらいの割合で上昇中だ。

 結局、オートマチックシフトモードは明らかな停止時しか使わなくなった。もちろんECOモードも一切使わない。通常のオートマチックモードでは比較的早く2速まで落ちるが、基本的にエンブレを使いたい状況だからむしろ願ったり適ったりだ。2気筒エンジンだからエンジン音に較べればエンブレはあまり効くほうじゃない。マニュアルシフトモードで2200回転を超えたらすかさずシフトアップ、トルクが必要ならばすかさずシフトダウン。凹凸が多い道故に、シフトマナーは走り方にダイレクトに現れる。

 運転のきびきび感は維持しつつどこまで平均燃費が上げられるか、挑戦はまだまだ続く。取り敢えずの目標は16.8km/?、旧愛車Nuova Panda(2004)での冬場の平均燃費だ。