2013/07/13

"dg++"という表記を普及させたい。

 当事者にとっては迷惑なのだろうけど、アクセスログを信じる限りはさしてアクセス数もなく、インターネットにおいては太平洋の水分子1個にも満たないような存在のブログなんだから、このくらいのバカ話は良かろうと。

 以下は、食料買い出しのため2km程の距離をドライブ中に頭をかすめたもの。発端は、「米国人による自分の名前の発音が余りに凄すぎる」から「発音専用のアルファベット綴りを用意するならどう綴ろうか」である。ちなみにハングル文字、古代マヤ文字(構造はハングルに極めて似ている。まぁ使うことは無いが)、さらにヒエログリフ(これも使うことは無いだろうが)での綴りは確定させている。

 パスポートなどで用いるヘボン式(ヘップバーン式)ローマ字表記が、英語の発音とはほぼ無関係であることは海外旅行経験者ならご存知の通り。自分の実名をヘボン式で表記すると"a"だらけなのだが、これを「ア」と発音してくれる米国人はこれまでの人生において皆無である。じゃあどうなるかというと、「エイ」とか「アイ」となる。例えば"Nagata"なんてのは「ネェイゲェイテェ」みたいになる。そんな調子だから、発音されても自分の名前どころか、日本人の名字とも思えない。語感が「イエティ―」みたいで、まるでUMA(未確認生物)扱いされてるような気分にすらなる。

 加えてオーストラリア英語話者の私の名前の発音は、英語ダメダメな私ですら十分に区別できるぐらいまた違ったものになる。

 知り合いで英語ペラペラの日本人男性から聞いた話だが、夫婦でオーストラリア旅行中に旅行案内所で「××行きのバスは何時出るのか?」と窓口で尋ねたところ、「とても軽い。」との返事が返ってきてきょとんするしかなかったというのだ。ちなみにその知り合いの奥さんも日本人なのだが、英語ペラペラどころか米国の学校で「英語の教師」をしていたことがある程の人なのだ。

 種を明かせば、窓口の返事は"It's too late."、「(最終便は出てしまって)もう遅いですよ。」だったのだが、"late(遅い)"を「ライト」と発音されたので"light(軽い)"と夫婦共に解釈してしまったということ、ここでも"a"の発音が胆なのだ。個人的に大好きなミュージカル映画「マイ・フェア・レディ」の主人公イライザもロンドン訛りの"a"の発音を矯正される。"take"は「タイク」→「テイク」といった具合で、劇中でクリアすべき課題として与えられるセンテンス"The rain in Spain stays mainly in the plain.(スペインでは雨は主に平野に降る)"も"a"だらけである。

 結局、「"u"を上手く使うしかないか…」というのが現時点での解、「"nut(ナット)"のナ、"gut(ガット)"のガ…」といった具合。でも、これもモンティ・パイソンズ・フライイング・サーカスのスケッチみたいでなんとも。

 で、ここからが本題。人間の脳というのは意識的に考えている事と微妙にズレた事も無意識に処理しているものだ。個人的にはその辺りを楽しんでいるし、いわゆる「(天から)突然降って来る」感覚の原因はそんなものだろうと考えている。

 さて、すっかり視聴が習慣化してしまった「CBCラジオ×U-strip夜用スーパー『電磁マシマシ』」のパーソナリティ佐野電磁氏は、"sanodg(サノディージ―)"という名義をソロアルバムなどで用いている。"a"の問題故、「西濃(セイノー)運輸の関連会社?」みたいな「西濃DG」と発音されるリスクはあるのだが、"dg"は「電磁」や「デジタル」に掛っていると思われ上手いなぁと純粋に感心していたのだ。で、そのような背景の下、ドライブ中に突如「天から降ってきた」のが

 "dg++"

である。是非、

 「電磁増々(でんじましまし)」

と読んで頂きたい。

 "dg++"でググっても、現時点ではダイレクトにヒットするページはないよ!

2013/07/11

上坂すみれさんの「テトリアシトリ」「SUMIRE #propaganda」

 上坂すみれさんの「げんし、女子は、たいようだった。- EP」が本日発売。

 出勤前のメールチェックのついでにiTunes storeにアクセスすると既に購入可能だったので躊躇なくポチっとな。ただしタイトル曲はガン無視して、松武秀樹氏が編曲を担当した「テトリアシトリ」、佐野電磁氏が作・編曲を担当した「SUMIRE #propaganda」の2曲のみ購入。

 タイトル曲についてはなんも分からんもんね、iTunes storeの「アニメ」のところにあったからアニメなんでしょうねぇ…という知識レベルなのな、俺。

 「テトリアシトリ」は基本的に成程納得の音作り。ベースの音色、レベルがけっこう淡白だったのは予想外だったけど、「かなりピュアなホワイトノイズ」の登場は完全に想定外。対して「SUMIRE #propaganda」のベースは粘りありの佐野節と言えば佐野節な作り。佐野氏のインスト曲群と較べるとちょっと食い足りない感じもするのだが、ボーカルいじり(エフェクトかけたり定位を変えたり)が面白かったのかなぁ…ちょっとボーカルが引っ込み気味で「凸凹のない奇麗過ぎる仕上がり」なのは確か。

 まぁ、上坂さんのEPなんだから、作曲家、編曲家が前に出るのは基本的に上手くない訳で、これはこれで正解な筈。が、ちょこっと覗いた上坂さんのブログとかから受けた印象では、(ミニ)アルバムを作るようなことがあればかなりコンセプト優先の楽曲構成も可能な感じだし、上坂さん自体の引き出しも多そう。

 聞くのに思わずドキドキしちゃうようなコンセプトで1枚とか、様々な上坂さんを色んな作詞家、作曲家、編曲家がプロデュースする破綻が約束されたノンプロデュースな1枚とか、どうですか?キングレコードさん。

追記:

 「テトリアシトリ」の歌詞のモチーフはゲーム「テトリス」なのか!やっと気づいたよ。(上坂すみれさん→ロシア語→ロシア/ソ連→テトリスってあたり?)

2013/07/08

"Bizarre Love Triangle / feat. Megpoid Eng."の顛末

 "New Order"の"Bizarre Love Triangle"はやはり80年代を代表する名曲だと思うのだ。歌詞も「思いつめた人間の気持ち」を想像すれば何気にありそうな話にも思えるし、実際、似たような経験がない訳でもない。

 それはさておき、Vocaloid3 Megpoid English用のテストオケとして、ほぼオリジナル曲に忠実な(私の耳コピレベルではだが)シーケンスデータは作ったものの、どうもしっくりこない。Megpoidが悪いんじゃなくて、オケが文字通り単なるカラオケ曲になってしまっている時点で面白くないということ、何をやりたいのかがはっきりしないうちは基本的に「どうでも良いもの」にしかならない。故に、暫く放置状態としてきた。

 再開のきっかけは、別の曲のシーケンスを組んでいる際に頭をよぎった疑問、「私にとってチップチューンに相当するものは何か?」であった。

 元来「チップチューン」というのは、改造したゲームボーイなどの旧式の携帯ゲーム機で演奏した楽曲である。つまり、ゲームの音楽、効果音用の音源チップを楽器化するというもので、広義では旧式ゲーム機の音源をシミュレートして作った楽曲も指す。だからと言って、編曲はそのままで音色のみファミコン風の音に変えただけでは「チップチューンの心」は宿らない。音色自体のチープさをキャッチ―に変えるためには、同時発声数などの制限がある中で生み出された数々の方法論、特に特有の編曲法、音源チップのバグの活用や仕様外の使用方法などの実際にどう使われてきたかも踏まえたアプローチが必要、というのが個人的に信じるところだ。

 「チップチューン」を「チップチューン」たらしめるためには、送り手と受け手とが共通体験としての「ゲーム体験」があった方が良い。が、如何せん任天堂ファミリーコンピュータですら私の世代には遅れてきたゲーム機であり、私には共通体験たる「ゲーム体験」が欠けている。だから私には「チップチューン」はおそらく作れない、それこそ作る理由がない。では、共通体験としての「ゲーム体験」に代わるものは何か、別の言い方をすると、ある特定のハードウェアと結びついたかつては存在したが今は無い音はないか、という点に思いを巡らせた結果が"CASIO SK-1"超廉価版サンプリングキーボードや同時期のポップキーボードの音だったのだ。

 "CASIO SK-1"は8bit、9.7kHz(CDは16bit、44.1kHz)のサンプラーなので、固有の音なんて無いだろうと見做すことは八割方正しい。が、当時のポップキーボードに当たり前のように付いてきた伴奏機能、特にドラムパートの音源には製造元や機種毎に結構癖がある。先週水曜日にふと思い立ってググったところ、有難いことにSK-1のドラム音の音のサンプリングデータをアップロードしてくれている人がいた。早速データをダウンロードしてDAWのドラム音源データセットを作って使ってみたら「(曲は選ぶものの)まさにコレだ!」という感じ、探していたモノのひとつはすぐ入手できるところにあったのだ。

 出来の良し悪しはどうでも良し、ある意味「今の私だからこそできること」は80年代の自分の方法論の再現、より正確には翻案だ。そして、そのコアには「チープだけど味のあるドラム音色」をどう生かすかという課題がある。

 という訳で音色変更から、ボカロデータ作成、ムービーの背景ドローイングまで土曜日一日で力ずくでまとめちゃったのが以下のムービー。繰り返しになるけど、出来の良し悪しはどうでも良いのだ。考えていることと実際にやっていることが一致してるとか比較対象が無いとかは精神衛生上も良いのですよ。

CASIO SK-1 - like Lo-Fi Mix (8bit 9.7kHz Mix)


CASIO SK-1 Drum Mix


2013/07/07

2013/07/06 CBCラジオ×U-strip夜用スーパー「電磁マシマシ」

 「ゆかどち」(CBCラジオレポートドライバーの大嶽由香里さんと下條由香里さんのふたりによるユニット)来襲、あの種のかしまし感ある光景を観るのはオヤジとしては久しぶり。ここんとこ職場には「おねえさん」しかいないからねぇ(笑)。ユニット名の由来が

 「由香里と由香里、どっち?」

みたいなところ、というのは意外感があって脳が「あっ」と喜ぶ類のちょっと面白い話、友人の友人の演劇ユニット「タテヨコ企画」(横田修さん(作・演出・美術)と舘(タテ)智子さん(俳優))とか脈絡無く思い出したりする。

 脱線次いでだけど、東京近郊に住んでる人は演劇を観に行くには絶対恵まれているんだから、お気に入りの劇団のひとつも見つかるぐらいまでちっさな劇場に足を運んでみてほしいなぁ。映画、音楽ライブ、寄席、劇団四季や宝塚みたいな大規模劇団などとはまた違う、空間、時間ってのがあるよ。

 さて、NINTENDO 3DS用ソフトKORG M01Dが7/10(時刻不明)から配信(ダウンロード販売)開始ということで、パーソナリティ佐野電磁氏自ら「ゆかどち」にM01Dの使用方法を伝授(?)、「リバーブ → お風呂」「ディレイ → 一休さん(アニメのオープニングの「すき」の連呼から)」とか、適当と言うか何と言うか。

 16ポリフォニックシンセにあこがれ、エファクターなんてせいぜいコーラスぐらいしか買えなかった貧乏学生時代の自分からすると、\3000-(だっけ?+DS本体価格)で24ポリフォニックシンセ・エフェクター・シーケンサ+αが手に入るというのは隔世の感がある。が、「20年以上もかかった」のは意外に長かったな、というのも正直な思いだ。

 かつて、(個人的な認識では突然発売された)CASIO SK-1という超廉価版サンプリングキーボードとの出会いが、使う使わないに関わらず私のPCには常にMIDIシーケンサかDAWがインストールされている状態に繋がっている。私や友人にとってSK-1が果たした役割を、KORG M01Dが新たな世代にとって果たすことになり得るのか。楽器きっかけでワイワイガヤガヤやるのも楽しいもの、打ちこみがPC主体となる前は、シーケンサ+マルチトラックレコーダー+シンセを抱えてシンセやドラムを持っている友人宅間を夜中にうろつき回ったもんですよ。

 ハードウェアの制限から「打ちこみ作業」が避けがたく獲得せざるを得なかった一種の作業の密室性、発表先という出口が無いという閉鎖性は、インターネットの普及とともにかなり解消され、特に地理的に遠いことは制限にならなくなった。NINTENDO 3DS + KORG M01Dの軽さ、小ささは即機動力であり、むしろ身近なところの閉鎖性の打破に有効だ。「打ちこみ」もワイワイガヤガヤやれるということ、積極的に友人と貸し借りし合うってのも良いと思うよ。ベースにこだわるやつ、音色作りだけが好きなやつ、実は自分がプロデュース属性だったとか、色んな発見があるかもね。

 もし自分に中学生ぐらいの子どもが居て、彼/彼女がKORG M01Dを購入したら?

 「ちょっと貸せ!」って3DSを奪って10分程シーケンスをいじった後、「これがミュンヘンビートってやつよ!」なんて誇らしげに打ちこんだものを子どもに聞かせそうだね。

2013/07/02

「宇宙戦艦ヤマト2199」のラスト:いやーんな妄想

 職場の喫煙室でいつものバカ話の最中、ほとんど脈絡なく「宇宙戦艦ヤマト2199」のラストのイメージが頭をよぎる。かなりいやーんな展開、単なる妄想であれば良いですが。ちなみにこの手の妄想は「並行多列的な様々な可能性の重ね合わせ」として突如降って来るのだよ。
  • ユリーシャが憑依(?)している際の岬の発言から、「波動砲」は結構ヤバい代物らしい。「時空をぶっ壊す」んじゃねぇか。

  • ヤマトはイスカンダルに何を取りに言ってるんだっけ?コスモクリーナーDはおそらくない。「コスモクリーナーD」に相当するものもない、とか。

  • スターシャから波動砲の「想定外の使い方」を教わっちゃたりする。

  • スターシャの指示に従って波動砲をぶっ放すと、並行宇宙があんなんなってヤマトは地球艦隊-ガミラス艦隊のファーストコンタクトの現場に時間もワープ。

  • 地球艦隊、ガミラス艦隊の両方からの攻撃を受けつつも、ヤマトクルーの説得の努力が実り、地球-ガミラス帝国の平和的なコンタクトが実現する。ヤマトが地球を救う。

  • スターシャの指示に従って波動砲をぶっ放すと、並行宇宙があんなんなってデスラーがとっても良い人になっちゃたりして地球-ガミラス帝国間の戦闘自体が起きない。ヤマトが地球を救った…のか?何も解決してないじゃん!

  • スターシャの指示に従って波動砲をぶっ放すと、並行宇宙があんなんなってヤマトは…とにかく、なんかとっても都合が良い並行宇宙にワープ。

  • 想定外の使い方とは、「波動砲」と「デスラー砲」の正面からの同時発射だ!

  • デスラー艦とヤマトの一騎打ち、うっかりデスラー艦の発砲でスターシャ死亡、デスラーがっくり。「デスラー砲もあと一射が限界だ…古代、スターシャの生きている世界を取り戻してくれ……デスラー砲、発射!」な展開。デスラー艦は爆沈、ヤマトは…以下略。
「あ、ラーゼフォンね?」と思ったあなた、はい正解。

2013/06/30

2013/06/29 CBCラジオ×U-strip夜用スーパー「電磁マシマシ」

 さて、観るとどうしてもシンセがいじりたくなる「電磁マシマシ」、今回もノーゲストのいわゆる「電磁ノビノビ」。終わってから「ありがちなシンセベースの音」の"z3ta+2"(ソフトシンセ)による大量生産に挑んでしまい夜更かし気味。"Retrologe"(やはりソフトシンセ)はなんか音が濁らないんだよなぁ。

 文脈は省略するけど、"The Shamen"とか"Deee-Lite"とか90年代初頭のグループの名前が飛び出したりして、ほぼ同世代なのだなぁと実感.。(とは言え、個人的には90年代初頭と言えば"LFO"なのだ。)

 シンセいじりは発売されたばかりのKORGの"Volca Beats"と"Volca Bass"。パーソナりティ佐野電磁氏が連発する

 「イイねぇ!」

の声の張り具合が半端ない。"Beats""Bass"ともに「成程納得の音」なのだが、「パラメータ振りきっちゃった時どこまで行くんだろう」って辺りはハードウェア故に気になるところ。ホント、どこまでイケるのかなぁ。

 パラメータ範囲のエッジ付近で「どうしてでも使いたくなる面白い音」が出るようなハードウェアが昔は結構ありましたよね。大学の実験室に持ち込んで電源に変圧器挟んだりして、「吹っ飛ぶ(壊れる)か、唯一無二の音か」みたいな…今に輪をかけて馬鹿でした。今ソフトシンセを使う理由の一つは「コンデンサが吹っ飛ぶ心配をしなくても良い」からなのかもなぁ…

 それにしても、"z3ta+"と"z3ta+2"のフィルタ特性違い過ぎませんかねぇ?レンダリングレベルの問題?ん~?

2013/06/29

バンダイVF-1A/S完全変形プラモデルの股関節部移動

 人づてに「バンダイからVF-1A/Sの完全変形プラモデルが出る。ガウォークからバトロイドの変形過程での脚部付け根(股関節)部の移動も再現されてるよ。」という話を聞く。

 股関節部の移動機構は以前に頭が沸騰するかと思ったぐらい考えていた時期があるのだが、3DCGモデルならいざ知らず、プラモではとても強度が確保できんだろうと思わずにはいられない。ヒンジ、駆動シリンダーともに物理的に配置可能な寸法は極めて限られているのよ、実際。

 で、実際どうだったかというと「ヒンジはない」。まぁ観てたもれ。初期の設定に固執するつもりは毛頭ないけど、この部分「だけ」は「再現」じゃない別の表現が相応しくないかなぁ。もちろん良い意味でだよ。

 股関節部の移動のシーンで機首が後方に移動する様子も分かる。この機首の移動が結構重要で、バトロイドモード時の胸~背方向の厚みの適正化に寄与していると思う。自分がかつて作った3DCGモデルでは胸に相当する部分が機首側に動く。このため、胸と背を結ぶパーツが長くなりすぎて、そのままではバトロイドモード時のプロポーションが酷過ぎた。故にズルをせざるを得なかったのだが、今回のバンダイの変形機構を観て「ヒンジの親側の部材は機首パーツに固定という考え方から俺は逃れられなかったのだな。」と目から鱗の思いですよ。

 だからもしもう一度VF-1Aの3DCGモデルに取り組むなら、「ヒンジあり+機首が後ろに移動」で挑みますよ。3DCGでやる限りはやはり初期設定の無謀さに挑みますよ、ということ。今回の変形だと、ヒンジを含む部材の段差などの形状に意味が無くなる訳で、やはり上手くないと思うのですよ。

 いい歳した大人(ただし、マクロスをリアルタイムで知っている必要はあるかもしれない)までも熱くなっちゃうことがあるという点で、VF-1の存在感はやっぱり凄いのだ。

2013/06/27

相対性理論は難かしくない(その2):補足

 「時空」の概念については、ちょいとややこしい話が絡む。この宇宙の誕生を我々の存在する時空の誕生と見なすことは良いとして、じゃ、「未来」は何時できたのか?

 時空の外から見る限り、過去も未来もこの時空の誕生とともに既にあったと考えるのが自然だ。つまり、「我々一人々々の人生の始まりから終わりまでもが、この宇宙の誕生とともに存在した」ということだ。

 では「未来は全て既に決まっていて、我々個人の自由意思ってのは幻想なの?」ということかというとちょいと違うらしい。ここではあくまで「らしい」とだけしておこう。キーワードは「量子力学」と「並行宇宙仮説」だ。

 アインシュタイン博士は死ぬまで「量子力学」を認めなかったとされるが、「一般相対性理論」でこの宇宙の全てが説明できるとすると「自由意思は幻想」となる。「時空」はその誕生時に明確な単一の構造を持つことになるからだ。我々の人生は一本道でしかあり得ない。

 他方、量子力学の考えに従えば、誕生した時空は様々な可能性の重ね合わせとなる。つまり、「時空」は「我々個人の自由意思に対応できる構造」を持って誕生したと見做せるということだ。ここから先は輪をかけて異論も多いので踏み込まないけど、ともかくも「自由意思は幻想ではない」という考えは魅力的だよね。

相対性理論は難かしくない(その2)

 我々は「真空中の光速」よりも速い速度では移動できないという。NASAにはワープ航法の実用化を真面目に検討している人もいるし、少なくとも2本の論文、真面目にワープ航法の実現可能性を考察したもの、は読んだことがある。ワープ航法に立ち入る前に、我々が「真空中の光速」よりも高速では移動できない理由について、面白いモデルがあるので紹介しよう。

 アインシュタイン博士は「時空」という概念を用いた。英語では"Time-Space"、そのまんまである。我々は三次元空間内に存在する、少なくとも認識できている空間次元は三次までだ。ここに時間を加えて四次元の空間を考える、それが「時空」だ。

 我々は時空の中に存在し、実は「真空中の光速と同じ速度で移動している」。文章的には「常に」とか使いたいところだが、如何せん時空は時間も含んでいる。「そのころ未来は…」という言い回しは某SF小説家の名前を一躍有名にしてしまった爆笑ネタだが、図らずも「時間」という概念の認識の曖昧さを端的に表した事例かと思う。

 さて、「真空中の光速と同じ速度で移動している」ということは、時間が我々の周りで流れているのではなくて、我々自身が時間軸に沿って移動しているということだ。今あなたはPC画面を目の前にしてじっとしているかもしれない、つまり三次元空間内を移動はしていない。が、それでも時間軸にそって「真空中の光速」で移動しているのだ。結論から先に言うと、「我々が真空中の光速を超えた速度で三次元空間内を移動できないのは、我々が時空(四次元空間)の中で真空中の光速でしか移動できないからである」ということなのだ。ん?

 議論をより厳密に取り扱うために数式を導入しよう。ただし、以下の式が成り立つのはあなたが我々が存在する時空を「外」から見ている場合である。

 我々の三次元空間内での移動速度を U 、時間軸に沿っての移動速度を V 、真空中の光速を c とする。ここで U はベクトルで、速度だけでなく速度の向きの情報を持っている。他方、V 及び c はスカラーと呼ばれ、大きさ(ここでは速度の絶対値)だけを持つ。気を付けて欲しいのは、V は正味の速度を表す量だからマイナス値は取らない。

 時間軸に沿っての移動は向きが決まってしまっている。これはエントロピー増大の法則から決まる向きで、ざっくりと言えばビッグバンによる我々の存在する時空の始まりから遠ざかる向きと理解してもらえば良い。時間軸に沿った移動の向きを与えるベクトルを e としよう。e は長さが1のベクトル(単位ベクトルと呼ばれる)なので、Ve が時間軸に沿っての移動速度及び向きを与えるベクトルとなる。基本的な道具立ては終わったので本題に入ろう。

 上記の定義から下記は明らかだ。

 (我々が時空内を移動する速度と向き)
 = (三次元空間内を移動する速度と向き)+(時間軸に沿って移動する速度と向き)
 = U + Ve

 さて、 (真空中の光速) = (我々が時空内を移動する速度) だから次式が成り立つことになる。ここで"| |"は絶対値を与える演算子で、何をやっているかと言うと「移動の速度と向きを持つベクトル」から「移動の速度だけを取り出してスカラー量に変換する」ことをやっている。

 c = | U + Ve | = ( | U  |2 + V2 )0.5

この関係式は、3つの辺の長さが c 、| U  |、V の直角三角形の辺の長さの関係を表す式と同じ形、斜辺の長さが c だよ。上式の両辺を2乗して項の順番を入れ替えると次式が得られる。

 V2 = c2 - | U  |2

 改めて確認しよう。右辺第1項中の c は「真空中の光速」であり、変化しない一定値だ。右辺第2項中の U は「三次元空間内の移動速度」であり、我々が物理的に可能な範囲で自由に選べる速度と向きの組み合わせだ。そして左辺が曲者、我々が「時間軸に沿って移動している速度」だ。従って上式の関係は、「我々が時間軸に沿って移動する速度 V は一定ではなく、三次元空間内の移動速度 U によって変わる。」ということを表している。

 それでは「真空中の光速」で三次元空間内を移動してみよう。つまり、

 | U  | = c

 すると、

 V2 = c2 - | U  |2 = c2 - c2 = 0

となる。 V = 0 ということは「時間軸に沿って移動している速度が0」、つまり「真空中の光速で三次元空間内を移動すると、移動者の時間は全く進まなくなる(時間が無限大に伸びた状態となる)」ということだ。時間が経たないとなると加速はできないから、「三次元空間内の移動速度は真空中の光速を超えられない」ことになる。「三次元空間内の移動速度」と「移動者の時間」との関係は、「特殊相対性理論」の範囲内では上で示した式で計算できる。

 ちなみに三次元空間内の移動速度を真空中の光速より大きくするとどうなるだろうか?時間を逆行する?…それは残念ながら間違い。計算上は時間軸に沿って移動する速度が「虚数」と呼ばれる特殊な値となる。虚数を表すためには別の新たな次元が必要となる。つまり、これまで考えてきた四次元の時空の外へ飛び出してしまうということだ。「伝説巨神イデオン」の「亜空間航法(デス・ドライブ)」は割とこの考えに馴染む設定だと思うよ。

 繰り返すけれども、この関係式は「時空の外から我々の移動の様子を見ている」場合に成り立つものだ。見られている当人は「時間軸に沿っての速度自体やその変化は認識できない」のだ。

 式を使ったせいで逆に分かりにくくなったかもしれないが、頭の体操のつもりで一回考えてみて欲しい。なかなかに目から鱗な話だと思うよ。

 最後にワープ航法について簡単に触れておこう。実は「特殊相対性理論」の枠内では常に上の関係が成立するため、ワープ航法が可能となる見込みはない。ワープ航法を可能とするには「一般相対性理論」の枠組みが必要だ。「特殊相対性理論」では「時空は均一でゆがみや捻じれはない状態」しか取り扱えない。「一般相対性理論」では「時空にゆがみや捻じれがある状態」も取り扱いが可能となる。

 「時空にゆがみや捻じれ」を発生させる原因は重力だ。ブラックホールは「時空が極端にゆがんだ状態」と考えてもらって構わない。光が太陽の周辺で曲がるといった「重力レンズ効果」は太陽の重力によって周辺の空間が歪んでいるために発生する。光は直進しかしないから、その航路が曲がって見えるということは空間が曲がっていると考えるしかない。

 で、ワープ航法。

 「時空内を移動する」のではなく「宇宙船の出発地と到着地の間の空間だけをギュッと圧縮」すれば良いのだ。宇宙船は三次元空間内を移動していないので、「真空中の光速」による制限は受けない。問題は「出発地と到着地の間の空間だけをギュッと圧縮」することができるとしてもそのためには膨大なエネルギーが必要なこと。とある仮定に基づく計算では、必要なエネルギーはビッグバン時に宇宙全体に放出されたエネルギーと同等と見積もられている。仮定によって必要エネルギー量は減少できるけれども、とてつもなく膨大であることには変わりがない。さらに、「ギュッと圧縮された空間」をどうやって宇宙船が横断するか、という問題はまだ解決はされていないのだ。う~ん。

 ワープ航法に要するエネルギー量の低減の可能性を示唆する宇宙論として「ブレンワールド」がある。詳しくはググッて頂戴。ブレンワールドの考えは、重力が物体間の距離の増大にともなって余りに急激に減少することの説明に使われたりする。つまり、重力は「時空」の外へ漏れているが故に「三次元空間内の距離の増大」に対して急激に弱くなるのではないか、ということだ。ブレンワールド仮説が正しい場合、人工的にブラックホールを作るために必要な正味のエネルギー量が大幅に低減できる可能性がある。要は時空外に漏れた重力波の航路を曲げるなり反射させるなりして時空内に戻してやれば、膨大なエネルギーが入手できてしまうということ。この時空が壊れちゃうかも知れないけどね。

 ブラックホールの形成はすなわち「時空のゆがみ」の形成に他ならないから、人工ブラックホール形成が可能となった先にはワープ航法が見えてくるという訳だ。ちなみに「超時空要塞マクロス」の「フォールド航法」は時空を重力が漏れ出る方向を加えた五次元空間内で曲げて、漏れた重力と一緒に移動しているイメージかも知れない。まぁ、劇中の描写からは「船の周囲の時空を引きちぎって三次元空間内の別の位置に縫い付ける」というかなりめんどくさいこともやっているようだ。

 また「キャプテンフューチャー」の「振動ドライブ」も同様に五次元空間内で四次元空間である時空を幾重にも折りたたみ、やはり漏れる重力と一緒に移動しているイメージに近いように思う。ただ「振動ドライブ」の場合は何度も「四次元時空」を突き抜けることになる訳だけど。「振動ドライブ」が可能なら任意の空間に様々な空間位置からの重力波を集めることも可能ということで、とてつもないエネルギー源を手に入れられることになるよね。

 どうやるかって?

 材料が豊富な空間を選んで、そこに新たな太陽を作れば良いだけですよ。

2013/06/26

今さらながら 「『オタク・イズ・デッド』@ロフトプラスワン 」を観る。

 Youtubeにupされている岡田斗司夫氏の「『オタク・イズ・デッド』@ロフトプラスワン」を観る。話の分かり易さは両刃の剣だが、真面目に聞く限りは誤解は生まないだろう論展開はやはり見事。

 コメント欄に「(最後で)なぜ、泣いてるんだろうか?」とのコメントがあるが、「オタク」でありながらそこが分からない或いは理解できないというなら、やはり「オタク(という文化的グループ)の消滅」は本当なのだろう。

 岡田氏の話の中で、「オタク」は三世代に分類される。
  • 第一世代:貴族的、求道的。「かくあるべし」という有様が共通認識としてあり、グループ内での切磋琢磨もある。グループ内に共通認識に基づく結社的な結束が存在し得、かつグループ外部に対しては閉鎖的な傾向も持つ。後者故に「差別的」扱いを受けることがあるが、当事者は「貴族の気持ちは貴族にしか分からない」と基本的に気にしない。他方、一部のメンバーがグループ間のコミュニケーション及びグループ外への情報発信を積極的に開始、旧来の「かくあるべし」との有様への反発も含みつつ第二世代への移行を加速することになる。
  • 第二世代:選民的(エリート的)。「かくあるべし」という有様が多様化、相対化するとともに、求道的な態度は消滅していく。「なぜ、***の良さ、面白さが分かってもらえないのか」といった類のグループ外部とのコミュニケーションギャップ故に「差別的」扱いを受けることがあるが、当事者は「***の良さ、面白さが分からないなんて可哀想だな」と自分を納得させられるだけの理論武装、主張は持つ。評論家などにより主張がすくい上げられ、グループ外部の人間による代弁すら起きた世代。
  • 第三世代:「かくあるべし」という核となる共通の価値観は消滅し、「萌え」に代表される曖昧な概念でカテゴライズされる。包括的な類型化はもはや不可能。
第三世代では核となる共通価値観がないことが、他の世代との重要な違いだろう。ある歴史学者は「10歳までに自分の民族に伝わる神話を教えなくなった民族は100年内に滅びる。」と書いたと聞く。ここで「滅びる」という言葉が指すのは「固有の民族文化の消滅」、周囲との同化である。

 岡田氏は「かつて『オタク文化』と呼ばれた、個人が『好きだ、面白い、素晴らしい』と感じたものへの接し方、取り組み方のひとつの作法」が消滅していしまったことを悲しんでいるのではないかと思う。第一世代はひたすら高みを、先端を目指して研鑚し、その多くは自分の得たものを次世代に向けて披歴した。第二世代は同人活動などを通じて対象に能動的に迫ろうとし、自分の言葉で語るべく、時に悶々とせざるを得なかった。これら両世代の有様に共通するものは、「なぜそれが好きなのか?」という自己への問いを不可避とする態度である。

 理由も語らず「だって好きなんだも~ん。」という一言で片づける人達の登場は、個人的にも衝撃だった。今の自分の大部分が「一銭にもならない、生きる上では必要ない、他人にとっては意味が無い事ごと」に対する思索でできているような身としては、「自分の好きなものについて何も考えない、手放しで自らの嗜好を肯定するのみ」といった態度は解せない。「自分探し」なる理解不能な行動が陽に語られ始めたのと同時期のことである。

 個人的には、図らずも「オタク文化」として突出して語られた態度は、程度の差こそあれ如何なる分野にでも存在する作法だと考える。プロフェッショナルな仕事というのは、少なくとも私のような凡人にあっては、「オタク文化」的なアプローチを対象に適用しない限りは達成できない。

 「オタクの死」という状況を一般化することの愚は承知の上だ。だが、「自分の好きなものに対して何らの考えを持たない」人間に、「興味の無いことについて考えられる」ことを期待できるだろうか。上から下までのあらゆるレベルにおける創意工夫は、かつての日本の高度経済成長を支えた一要因と信じるに足る証拠がある。いわゆる"Kaizen"である。

 「オタクの死」は致し方ないとしても、「オタク文化」とかつて呼称された「対象に向きあう態度」までも死んでしまったとなれば失なわれたものは余りに大きい。「ネ申」を平気で頻出させる態度、またリクルーターとしての活動経験にも照らすと、少なくとも「考え、行動する者」と「考えない、行動しない者」との二極分化は最近とみに顕著になって来たやに見える。