2013/06/30

2013/06/29 CBCラジオ×U-strip夜用スーパー「電磁マシマシ」

 さて、観るとどうしてもシンセがいじりたくなる「電磁マシマシ」、今回もノーゲストのいわゆる「電磁ノビノビ」。終わってから「ありがちなシンセベースの音」の"z3ta+2"(ソフトシンセ)による大量生産に挑んでしまい夜更かし気味。"Retrologe"(やはりソフトシンセ)はなんか音が濁らないんだよなぁ。

 文脈は省略するけど、"The Shamen"とか"Deee-Lite"とか90年代初頭のグループの名前が飛び出したりして、ほぼ同世代なのだなぁと実感.。(とは言え、個人的には90年代初頭と言えば"LFO"なのだ。)

 シンセいじりは発売されたばかりのKORGの"Volca Beats"と"Volca Bass"。パーソナりティ佐野電磁氏が連発する

 「イイねぇ!」

の声の張り具合が半端ない。"Beats""Bass"ともに「成程納得の音」なのだが、「パラメータ振りきっちゃった時どこまで行くんだろう」って辺りはハードウェア故に気になるところ。ホント、どこまでイケるのかなぁ。

 パラメータ範囲のエッジ付近で「どうしてでも使いたくなる面白い音」が出るようなハードウェアが昔は結構ありましたよね。大学の実験室に持ち込んで電源に変圧器挟んだりして、「吹っ飛ぶ(壊れる)か、唯一無二の音か」みたいな…今に輪をかけて馬鹿でした。今ソフトシンセを使う理由の一つは「コンデンサが吹っ飛ぶ心配をしなくても良い」からなのかもなぁ…

 それにしても、"z3ta+"と"z3ta+2"のフィルタ特性違い過ぎませんかねぇ?レンダリングレベルの問題?ん~?

2013/06/29

バンダイVF-1A/S完全変形プラモデルの股関節部移動

 人づてに「バンダイからVF-1A/Sの完全変形プラモデルが出る。ガウォークからバトロイドの変形過程での脚部付け根(股関節)部の移動も再現されてるよ。」という話を聞く。

 股関節部の移動機構は以前に頭が沸騰するかと思ったぐらい考えていた時期があるのだが、3DCGモデルならいざ知らず、プラモではとても強度が確保できんだろうと思わずにはいられない。ヒンジ、駆動シリンダーともに物理的に配置可能な寸法は極めて限られているのよ、実際。

 で、実際どうだったかというと「ヒンジはない」。まぁ観てたもれ。初期の設定に固執するつもりは毛頭ないけど、この部分「だけ」は「再現」じゃない別の表現が相応しくないかなぁ。もちろん良い意味でだよ。

 股関節部の移動のシーンで機首が後方に移動する様子も分かる。この機首の移動が結構重要で、バトロイドモード時の胸~背方向の厚みの適正化に寄与していると思う。自分がかつて作った3DCGモデルでは胸に相当する部分が機首側に動く。このため、胸と背を結ぶパーツが長くなりすぎて、そのままではバトロイドモード時のプロポーションが酷過ぎた。故にズルをせざるを得なかったのだが、今回のバンダイの変形機構を観て「ヒンジの親側の部材は機首パーツに固定という考え方から俺は逃れられなかったのだな。」と目から鱗の思いですよ。

 だからもしもう一度VF-1Aの3DCGモデルに取り組むなら、「ヒンジあり+機首が後ろに移動」で挑みますよ。3DCGでやる限りはやはり初期設定の無謀さに挑みますよ、ということ。今回の変形だと、ヒンジを含む部材の段差などの形状に意味が無くなる訳で、やはり上手くないと思うのですよ。

 いい歳した大人(ただし、マクロスをリアルタイムで知っている必要はあるかもしれない)までも熱くなっちゃうことがあるという点で、VF-1の存在感はやっぱり凄いのだ。

2013/06/27

相対性理論は難かしくない(その2):補足

 「時空」の概念については、ちょいとややこしい話が絡む。この宇宙の誕生を我々の存在する時空の誕生と見なすことは良いとして、じゃ、「未来」は何時できたのか?

 時空の外から見る限り、過去も未来もこの時空の誕生とともに既にあったと考えるのが自然だ。つまり、「我々一人々々の人生の始まりから終わりまでもが、この宇宙の誕生とともに存在した」ということだ。

 では「未来は全て既に決まっていて、我々個人の自由意思ってのは幻想なの?」ということかというとちょいと違うらしい。ここではあくまで「らしい」とだけしておこう。キーワードは「量子力学」と「並行宇宙仮説」だ。

 アインシュタイン博士は死ぬまで「量子力学」を認めなかったとされるが、「一般相対性理論」でこの宇宙の全てが説明できるとすると「自由意思は幻想」となる。「時空」はその誕生時に明確な単一の構造を持つことになるからだ。我々の人生は一本道でしかあり得ない。

 他方、量子力学の考えに従えば、誕生した時空は様々な可能性の重ね合わせとなる。つまり、「時空」は「我々個人の自由意思に対応できる構造」を持って誕生したと見做せるということだ。ここから先は輪をかけて異論も多いので踏み込まないけど、ともかくも「自由意思は幻想ではない」という考えは魅力的だよね。

相対性理論は難かしくない(その2)

 我々は「真空中の光速」よりも速い速度では移動できないという。NASAにはワープ航法の実用化を真面目に検討している人もいるし、少なくとも2本の論文、真面目にワープ航法の実現可能性を考察したもの、は読んだことがある。ワープ航法に立ち入る前に、我々が「真空中の光速」よりも高速では移動できない理由について、面白いモデルがあるので紹介しよう。

 アインシュタイン博士は「時空」という概念を用いた。英語では"Time-Space"、そのまんまである。我々は三次元空間内に存在する、少なくとも認識できている空間次元は三次までだ。ここに時間を加えて四次元の空間を考える、それが「時空」だ。

 我々は時空の中に存在し、実は「真空中の光速と同じ速度で移動している」。文章的には「常に」とか使いたいところだが、如何せん時空は時間も含んでいる。「そのころ未来は…」という言い回しは某SF小説家の名前を一躍有名にしてしまった爆笑ネタだが、図らずも「時間」という概念の認識の曖昧さを端的に表した事例かと思う。

 さて、「真空中の光速と同じ速度で移動している」ということは、時間が我々の周りで流れているのではなくて、我々自身が時間軸に沿って移動しているということだ。今あなたはPC画面を目の前にしてじっとしているかもしれない、つまり三次元空間内を移動はしていない。が、それでも時間軸にそって「真空中の光速」で移動しているのだ。結論から先に言うと、「我々が真空中の光速を超えた速度で三次元空間内を移動できないのは、我々が時空(四次元空間)の中で真空中の光速でしか移動できないからである」ということなのだ。ん?

 議論をより厳密に取り扱うために数式を導入しよう。ただし、以下の式が成り立つのはあなたが我々が存在する時空を「外」から見ている場合である。

 我々の三次元空間内での移動速度を U 、時間軸に沿っての移動速度を V 、真空中の光速を c とする。ここで U はベクトルで、速度だけでなく速度の向きの情報を持っている。他方、V 及び c はスカラーと呼ばれ、大きさ(ここでは速度の絶対値)だけを持つ。気を付けて欲しいのは、V は正味の速度を表す量だからマイナス値は取らない。

 時間軸に沿っての移動は向きが決まってしまっている。これはエントロピー増大の法則から決まる向きで、ざっくりと言えばビッグバンによる我々の存在する時空の始まりから遠ざかる向きと理解してもらえば良い。時間軸に沿った移動の向きを与えるベクトルを e としよう。e は長さが1のベクトル(単位ベクトルと呼ばれる)なので、Ve が時間軸に沿っての移動速度及び向きを与えるベクトルとなる。基本的な道具立ては終わったので本題に入ろう。

 上記の定義から下記は明らかだ。

 (我々が時空内を移動する速度と向き)
 = (三次元空間内を移動する速度と向き)+(時間軸に沿って移動する速度と向き)
 = U + Ve

 さて、 (真空中の光速) = (我々が時空内を移動する速度) だから次式が成り立つことになる。ここで"| |"は絶対値を与える演算子で、何をやっているかと言うと「移動の速度と向きを持つベクトル」から「移動の速度だけを取り出してスカラー量に変換する」ことをやっている。

 c = | U + Ve | = ( | U  |2 + V2 )0.5

この関係式は、3つの辺の長さが c 、| U  |、V の直角三角形の辺の長さの関係を表す式と同じ形、斜辺の長さが c だよ。上式の両辺を2乗して項の順番を入れ替えると次式が得られる。

 V2 = c2 - | U  |2

 改めて確認しよう。右辺第1項中の c は「真空中の光速」であり、変化しない一定値だ。右辺第2項中の U は「三次元空間内の移動速度」であり、我々が物理的に可能な範囲で自由に選べる速度と向きの組み合わせだ。そして左辺が曲者、我々が「時間軸に沿って移動している速度」だ。従って上式の関係は、「我々が時間軸に沿って移動する速度 V は一定ではなく、三次元空間内の移動速度 U によって変わる。」ということを表している。

 それでは「真空中の光速」で三次元空間内を移動してみよう。つまり、

 | U  | = c

 すると、

 V2 = c2 - | U  |2 = c2 - c2 = 0

となる。 V = 0 ということは「時間軸に沿って移動している速度が0」、つまり「真空中の光速で三次元空間内を移動すると、移動者の時間は全く進まなくなる(時間が無限大に伸びた状態となる)」ということだ。時間が経たないとなると加速はできないから、「三次元空間内の移動速度は真空中の光速を超えられない」ことになる。「三次元空間内の移動速度」と「移動者の時間」との関係は、「特殊相対性理論」の範囲内では上で示した式で計算できる。

 ちなみに三次元空間内の移動速度を真空中の光速より大きくするとどうなるだろうか?時間を逆行する?…それは残念ながら間違い。計算上は時間軸に沿って移動する速度が「虚数」と呼ばれる特殊な値となる。虚数を表すためには別の新たな次元が必要となる。つまり、これまで考えてきた四次元の時空の外へ飛び出してしまうということだ。「伝説巨神イデオン」の「亜空間航法(デス・ドライブ)」は割とこの考えに馴染む設定だと思うよ。

 繰り返すけれども、この関係式は「時空の外から我々の移動の様子を見ている」場合に成り立つものだ。見られている当人は「時間軸に沿っての速度自体やその変化は認識できない」のだ。

 式を使ったせいで逆に分かりにくくなったかもしれないが、頭の体操のつもりで一回考えてみて欲しい。なかなかに目から鱗な話だと思うよ。

 最後にワープ航法について簡単に触れておこう。実は「特殊相対性理論」の枠内では常に上の関係が成立するため、ワープ航法が可能となる見込みはない。ワープ航法を可能とするには「一般相対性理論」の枠組みが必要だ。「特殊相対性理論」では「時空は均一でゆがみや捻じれはない状態」しか取り扱えない。「一般相対性理論」では「時空にゆがみや捻じれがある状態」も取り扱いが可能となる。

 「時空にゆがみや捻じれ」を発生させる原因は重力だ。ブラックホールは「時空が極端にゆがんだ状態」と考えてもらって構わない。光が太陽の周辺で曲がるといった「重力レンズ効果」は太陽の重力によって周辺の空間が歪んでいるために発生する。光は直進しかしないから、その航路が曲がって見えるということは空間が曲がっていると考えるしかない。

 で、ワープ航法。

 「時空内を移動する」のではなく「宇宙船の出発地と到着地の間の空間だけをギュッと圧縮」すれば良いのだ。宇宙船は三次元空間内を移動していないので、「真空中の光速」による制限は受けない。問題は「出発地と到着地の間の空間だけをギュッと圧縮」することができるとしてもそのためには膨大なエネルギーが必要なこと。とある仮定に基づく計算では、必要なエネルギーはビッグバン時に宇宙全体に放出されたエネルギーと同等と見積もられている。仮定によって必要エネルギー量は減少できるけれども、とてつもなく膨大であることには変わりがない。さらに、「ギュッと圧縮された空間」をどうやって宇宙船が横断するか、という問題はまだ解決はされていないのだ。う~ん。

 ワープ航法に要するエネルギー量の低減の可能性を示唆する宇宙論として「ブレンワールド」がある。詳しくはググッて頂戴。ブレンワールドの考えは、重力が物体間の距離の増大にともなって余りに急激に減少することの説明に使われたりする。つまり、重力は「時空」の外へ漏れているが故に「三次元空間内の距離の増大」に対して急激に弱くなるのではないか、ということだ。ブレンワールド仮説が正しい場合、人工的にブラックホールを作るために必要な正味のエネルギー量が大幅に低減できる可能性がある。要は時空外に漏れた重力波の航路を曲げるなり反射させるなりして時空内に戻してやれば、膨大なエネルギーが入手できてしまうということ。この時空が壊れちゃうかも知れないけどね。

 ブラックホールの形成はすなわち「時空のゆがみ」の形成に他ならないから、人工ブラックホール形成が可能となった先にはワープ航法が見えてくるという訳だ。ちなみに「超時空要塞マクロス」の「フォールド航法」は時空を重力が漏れ出る方向を加えた五次元空間内で曲げて、漏れた重力と一緒に移動しているイメージかも知れない。まぁ、劇中の描写からは「船の周囲の時空を引きちぎって三次元空間内の別の位置に縫い付ける」というかなりめんどくさいこともやっているようだ。

 また「キャプテンフューチャー」の「振動ドライブ」も同様に五次元空間内で四次元空間である時空を幾重にも折りたたみ、やはり漏れる重力と一緒に移動しているイメージに近いように思う。ただ「振動ドライブ」の場合は何度も「四次元時空」を突き抜けることになる訳だけど。「振動ドライブ」が可能なら任意の空間に様々な空間位置からの重力波を集めることも可能ということで、とてつもないエネルギー源を手に入れられることになるよね。

 どうやるかって?

 材料が豊富な空間を選んで、そこに新たな太陽を作れば良いだけですよ。

2013/06/26

今さらながら 「『オタク・イズ・デッド』@ロフトプラスワン 」を観る。

 Youtubeにupされている岡田斗司夫氏の「『オタク・イズ・デッド』@ロフトプラスワン」を観る。話の分かり易さは両刃の剣だが、真面目に聞く限りは誤解は生まないだろう論展開はやはり見事。

 コメント欄に「(最後で)なぜ、泣いてるんだろうか?」とのコメントがあるが、「オタク」でありながらそこが分からない或いは理解できないというなら、やはり「オタク(という文化的グループ)の消滅」は本当なのだろう。

 岡田氏の話の中で、「オタク」は三世代に分類される。
  • 第一世代:貴族的、求道的。「かくあるべし」という有様が共通認識としてあり、グループ内での切磋琢磨もある。グループ内に共通認識に基づく結社的な結束が存在し得、かつグループ外部に対しては閉鎖的な傾向も持つ。後者故に「差別的」扱いを受けることがあるが、当事者は「貴族の気持ちは貴族にしか分からない」と基本的に気にしない。他方、一部のメンバーがグループ間のコミュニケーション及びグループ外への情報発信を積極的に開始、旧来の「かくあるべし」との有様への反発も含みつつ第二世代への移行を加速することになる。
  • 第二世代:選民的(エリート的)。「かくあるべし」という有様が多様化、相対化するとともに、求道的な態度は消滅していく。「なぜ、***の良さ、面白さが分かってもらえないのか」といった類のグループ外部とのコミュニケーションギャップ故に「差別的」扱いを受けることがあるが、当事者は「***の良さ、面白さが分からないなんて可哀想だな」と自分を納得させられるだけの理論武装、主張は持つ。評論家などにより主張がすくい上げられ、グループ外部の人間による代弁すら起きた世代。
  • 第三世代:「かくあるべし」という核となる共通の価値観は消滅し、「萌え」に代表される曖昧な概念でカテゴライズされる。包括的な類型化はもはや不可能。
第三世代では核となる共通価値観がないことが、他の世代との重要な違いだろう。ある歴史学者は「10歳までに自分の民族に伝わる神話を教えなくなった民族は100年内に滅びる。」と書いたと聞く。ここで「滅びる」という言葉が指すのは「固有の民族文化の消滅」、周囲との同化である。

 岡田氏は「かつて『オタク文化』と呼ばれた、個人が『好きだ、面白い、素晴らしい』と感じたものへの接し方、取り組み方のひとつの作法」が消滅していしまったことを悲しんでいるのではないかと思う。第一世代はひたすら高みを、先端を目指して研鑚し、その多くは自分の得たものを次世代に向けて披歴した。第二世代は同人活動などを通じて対象に能動的に迫ろうとし、自分の言葉で語るべく、時に悶々とせざるを得なかった。これら両世代の有様に共通するものは、「なぜそれが好きなのか?」という自己への問いを不可避とする態度である。

 理由も語らず「だって好きなんだも~ん。」という一言で片づける人達の登場は、個人的にも衝撃だった。今の自分の大部分が「一銭にもならない、生きる上では必要ない、他人にとっては意味が無い事ごと」に対する思索でできているような身としては、「自分の好きなものについて何も考えない、手放しで自らの嗜好を肯定するのみ」といった態度は解せない。「自分探し」なる理解不能な行動が陽に語られ始めたのと同時期のことである。

 個人的には、図らずも「オタク文化」として突出して語られた態度は、程度の差こそあれ如何なる分野にでも存在する作法だと考える。プロフェッショナルな仕事というのは、少なくとも私のような凡人にあっては、「オタク文化」的なアプローチを対象に適用しない限りは達成できない。

 「オタクの死」という状況を一般化することの愚は承知の上だ。だが、「自分の好きなものに対して何らの考えを持たない」人間に、「興味の無いことについて考えられる」ことを期待できるだろうか。上から下までのあらゆるレベルにおける創意工夫は、かつての日本の高度経済成長を支えた一要因と信じるに足る証拠がある。いわゆる"Kaizen"である。

 「オタクの死」は致し方ないとしても、「オタク文化」とかつて呼称された「対象に向きあう態度」までも死んでしまったとなれば失なわれたものは余りに大きい。「ネ申」を平気で頻出させる態度、またリクルーターとしての活動経験にも照らすと、少なくとも「考え、行動する者」と「考えない、行動しない者」との二極分化は最近とみに顕著になって来たやに見える。

2013/06/24

百足は怖いよ。

 定期的に閲覧しているウェブページで百足の話を読む。

 アレは怖いよ、今でも怖い。デカいやつはホントにデカい。赤いやつは文字通り赤い。

 幼少期、宮崎県の親戚の家で寝ていると顎のあたりに落下物を感じて目が覚めた。くすぐったい感覚に反射的に手で落下物を払おうとすると首に激痛、痛いったらない。落下物とは天井を這っていた百足だったのだ。結局、顎がどこだか分からなくなるぐらいに首が腫れあがり、暫くは首も回せない有様。医者の驚き様というか面白がり方は充分にトラウマになった。

 そんなに腫れあがることなんてないなんて言うことなかれ。おそらく何らかのアレルギーも発症したに違いない。百足を払おうとした右手は指が膨れあがり、二日程はまともに指も曲げられなかったのだ。なんたって、職場の女性の慣れない香水の使い過ぎが原因で失神、瞼の裏に炎症まで起こしてしまったような人なのよ。

2013/06/23

2013/06/22 CBCラジオ×U-strip夜用スーパー「電磁マシマシ」

 今回はゲストなしの電磁ひとりマシマシ。放送開始も21:45からで、U stripでだらだら展開で開始。

 佐野電磁氏はNHKテレビ小説「あまちゃん」にどハマりとの由。個人的にはクドカン(宮藤官九郎氏)の脚本やキョン2を苦手としてきたこともあって完全に食わず嫌い状態。クドカン脚本の苦手どころは一種の分かり易さと、物語の前提として持ち込む非日常性への肌の合わなさ。もうちょっと具体的に書くと、脚本の狙いどころや物語に持ち込んだ前提が見えてくると、エピソードのひとつひとつにあざとさが感じられがちとなってしまうこと。

 だからといってクドカン脚本を否定する意図は全くなく、むしろ「物語全体とエピソード間に一貫性が感じられる」という点で常にクオリティは高く、キャッチ―さ具合も含めて「上手いなぁ。」と唸ることも少なくないのだ。単に、脚本家が面白いと思う点と私のツボとがずれているだけの話、致命的と言えば致命的なのだが。

 さて、佐野氏が挙げた電磁マシマシリスナー向けの「あまちゃん」キーワードは、「YMOの『君に胸キュン』」、フィーチャー具合が半端じゃないそうな。能年玲奈さん演じる主人公がヘッドフォンでこの曲を聞きながら、歌詞の「キュン」を曲に合わせて呟くシーンなんかもあるそうですよ。電磁マシマシだから「能年亭」なる表現が飛び出るのはお約束。

 紹介のあった機材はRoland JV-1080音源モジュール(1994年)。同時発音数64音というのは、1985年後半の同時発音数がせいぜい16音の機材をいじっていた身としては夢のような音数。「なるほどね」という音が次々飛び出すと感じる辺りは世代的に致しかたない。

 いわゆる「オーケストラヒット(オケヒット)」という音色は、今となってはやはり恥しい、というか余りに一気に流行り過ぎたということなのだろう。だって、80年代後半ですらネタと化していた訳("TOPS"のアルバムの確か「ディスコ鎮魂歌」(タイトルうろ覚え)とかね)ですからねぇ。

 ちなみに「オケヒット」はもともとオーケストラが「じゃん!」と鳴らした音をサンプリングしたもの、ティンパニやら管楽器やら弦楽器やらの奇麗なアンサンブルの一瞬を切り出した様なものなので音程は一つではない。音楽雑誌にはよくヒット曲の楽譜が載っているのだが、佐野氏によれば「『オケヒット』という音色が認知される以前には、含まれる音程ひとつひとつが採譜されていた(アンサンブル自体が再現されていた)」なんてことがあったそうな。

0:24あたりの「ゃん(休み)でれでれでっ」ってのが「オケヒット」。当時初めて聞いた時は、既存の曲の一部を逆回転再生したのではないかと推測したものだ。


 あと、先週配信回の過去ライブが公開されていたのは「事故」だったそうな。確かに見られなくなっている、っつーかそれより古い分もですか!

2013/06/22

相対性理論は難かしくない

 中学生の親戚から突如「相対性理論について教えてくれ。」と来たもんだ。じゃ、ってんで自己流の入口論を一発ぶってやると、なんか伝わっちゃた感が感じられる微妙な表情に。そりゃそうだ、誰もがすっと理解できるはずがない。が、決して難しくはないのだ。ちょいと纏めておこう。

 相対性理論の産みの親は言わずと知れた知の巨人の一人、アルバート・アインシュタイン博士だ。相対性理論には一般相対性理論と特殊相対性理論があるが、まずは簡単な方、特殊相対性理論に限定した話だけに触れることにする。

 ここで「特殊」とは「特別な場合」ではあるのだが、実際のところ「理解が面倒くさくなる要因、条件を排除した場合」とも言い換え可能だ。逆に「一般」は「めんどくさいけどどんな場合にも適用できる」ということになる。実際、アインシュタイン博士が論文として発表したのは「特殊相対性理論」の方が先だ。

 「特殊相対性理論」を表す方程式を導くためにアインシュタイン博士が行ったのは「思考実験」だけだとされる。「思考実験」とは「もし***だったらどうなるか?」を論理的に考えること、頭の中でシミュレートすることである。ま、実際のところ、「もし***ならば」の***の部分が重要で、ここを踏み外すとどんな頭の良い人だって意味ある結果が得られやしない。アインシュタイン博士の凄さは、この***が適切だったことだ。ではアインシュタイン博士の***とは?

 「光の速度は観察者によって変わらない。」

 厳密には水中と真空中で光の速度は違ったりする訳だが、ここではその差には目をつむろう。条件をより「特殊」にするために、以降では真空中の話と限定しよう。例えば宇宙空間を思い浮かべればかなり良い近似だ。

 さて、真空中に二人の観察者がいるとする。観察者が何を観察(測定)するかと言えば、ずばり「光の速度」だ。どうやって測るのか?例えば距離1mを光が通過するために要した時間を測れば良い。つまり、

 速度=距離/時間 (メートル/秒)。

 一人目の観察者Aは真空中でじっとしている、或いは一点で「じっとできている」。宇宙空間でじっとできているということは、周囲に惑星などが無く、何かの重力に引っ張られていないという実際にはあり得ない理想的な状態だ。(重力の影響を取り扱うためには「一般相対性理論」に踏み込まなければならない。)

 観察者Aが目の前を通り過ぎた光の速度を測定したとする。観察者Aは気付かなかったのだが、その光が目の前を通過している際、光と同じ向きに高速(ただし、光の速度よりは遅い)で移動している観察者Bも同じ光の速度を測定していたとする。

 観察者Cは「あなた」だ。観察者Aの背後にじっとしていて、肩越しに同じ光の速度を測定する。得られた速度は「真空中の光速」となるだろう。観察者Aが得た速度もやはり「真空中の光速」となるだろう。では、観察者Bが得た速度はどうなるだろうか?アインシュタイン博士の***に従えば、やはり「真空中の光速」とならなければならない。ん?

 あなたから見た観察者Bは、光と同じ向きに高速に移動している。つまり、観察者Bが得た速度は

 (真空中の光速) マイナス (観察者Bの移動速度)

になっても良さそうだ。なんか矛盾してるように見えるよね。実はこの矛盾を解決するのが「特殊相対性理論」だ。光の速さの測定方法を思い出そう。つまり、

 速度=距離/時間 (メートル/秒)。

速度を直接測定している訳ではないのが何気に重要なところ、あなたを含めた三人の観察者は、実際には「距離」と「時間」しか測定していない。「特殊相対性理論」が告げる内容は単純、「光の速度は観察者によらず変わらないが、距離や時間は観察者によって変わる。」ということだ。

 距離も時間も「真空中の光速」を基準にして決まると考えるべきなのだ。1秒とは「光が1秒間で進む距離の通過に光が要する時間幅」、1メートルとは「光が1メートル進むに要する時間幅に光が進む距離」なのである。距離や時間は変わる、つまり絶対的ではなく相対的なものに過ぎないという訳だ。

 あなたの立場からは、観察者Bが得たであろう光の速度は

(真空中の光速) マイナス (観察者Bの移動速度)

である。が、「観察者Bにとっての1秒間」が「あなたには1秒未満」に見えれば観察者Bが得た光の速度が「真空中の光速」であっても矛盾は発生しない。この場合、あなたの時間に対して観察者Bにとっての時間は伸びている。これがいわゆる「ウラシマ効果」と呼ばれるやつだ。

 ちょっと単純化し過ぎたかもしれないけれど、特殊相対理論が語る我々の住む世界の仕組みの一端はそういうことらしい。ちなみに次のステップは「我々は常に光速で移動している」というものだ。いわゆる時空、三次元空間+時間の四次元空間内で我々がどのように動いているかを考察すれば、「複数の観察者」という込み入った思考実験よりも時間の伸び縮みを実は理解し易いのだ。(その2)が書かれるかどうかは気分次第だけどね。

2013/06/16

2013/06/15 CBCラジオ×U-strip夜用スーパー「電磁マシマシ」

 ゲストは松武秀樹氏。

 「4人目YMO」として知られているが、YMOを細野晴臣氏のソロの延長で仕方なく聞き始めた身としては、"Logic System"、"Akihabara Electric Circus"の人だ。

つまり、私は
ってことですよ、20年以上前からね。

 "Akihabara Electric Circus"の"TV(1989)"は米国TVシリーズのテーマ曲カバー集で、今日チェックしたところでは日本のiTunesで購入できるようになっていた。残念ながら"Logic System"の全てのアルバムはiTunesではまだ購入できるようにはなっていない。「音色は"TV"がカラフルな感じ、"Logic System"の『東方快車』がモノトーン気味とかなり対照的」というのが個人的な印象だ。「Tansu(Moogモジュラーシンセの愛称)だけに(音色の)引き出しが多い!」なんつって。

 松武氏のお話の多くは田中雄二著「電子音楽 in JAPAN」などでも触れられていた内容だが、やはりディテールのレベルが上がっているし、文章では伝えにくいが故に書籍では涙を飲んで割愛したに違いない本人の感覚に根ざした言葉が伝えるニュアンスは豊潤だ。

 印象深かったのは、やはりMoogIII-Pシンセに関する冨田勲氏がらみのエピソード。音色を作っている過程を(身体で隠すようにして)見せてくれなかったとか、その日の仕事を終えるとパッチ(シンセモジュール間の結線)を外すのみならずツマミも全て0にしてしまうとか、冨田氏の有り様を伝えるエピソードかと思う。特に後者はデキる人の机上にありがちな光景、仕事中は結構散らかっているように見えて、帰宅時には奇麗に片付いているみたいな。

 シンセサイザーポリッシャー(本人談)として重要な曲、アルバムとして、ガーション・キングスレイの"Popcorn"とウェンディ・カルロス(当時は男性だったのでウォルター・カルロス)の"Switched-On Bach"を挙げたのは普通過ぎて意外なぐらいなのだが、「徹頭徹尾王道を貫いた」ということなのだろう、少なくともここまでは。なんたって「シンセの音を変えなきゃいけない!」って言っちゃったんだから、ワクワク。


 まぁ、観てつかぁさい。

 あ、松武氏が編曲した上坂すみれさんの「テトリアシトリ」のイントロが猛烈に刺さりましたよ(2:07:00辺りから)、これは発売されたら買っちゃうなぁ。


Video streaming by Ustream


2013/06/15

「ボラリティ」ってなんぞや

 !今回は軽い下ネタを含んでいます!

 職場の昼休みにとあるニュースサイトをチェックしていて、最近TVでも使われることのある「ボラリティ」とい言葉に出会う。化学の世界だと、「揮発性の高い」ことを「ヴォラタイル、ヴォラティル(Volatile)」と表現する。それもあって、これまでは「消えちゃう」とか「すぐ変わる」のぐらいのニュアンスで捉えてきたのだが、一度真面目に意味を調べておこうと。が、なんてことなさそうで、そこそこ笑劇的(変換ミスに非ず)な展開となった。

 そもそも、英語に「ボラリティ」なんて単語はない。おそらく「ヴォラティリティ、ヴォラティラティ(volatility)」が正解で、別のニュースサイトでは「ボラタリティ」を使っていた。この単語、経済学では株式や為替の変動率、つまり時間当たりの変動幅を指すらしい。つまり「ボラタリティが高い」というのは「乱高下する状態」と言い換え可能で、別に新たな単語を導入するまでもなかろうと思うのだ。

 想像力を逞しくすると、「個人的な株取引の過程で、なんかカッコ良さげな"volatility"という言葉に出会い、他人に対して使いたくて使いたくてたまらなくかった。ところが、いざ使う段で『ボラリティ』とう具合に間違って使ってしまった。」とか、発端としては有りそうじゃないですか。気取ったつもりが赤っ恥。若いころにありがちな「痛いパターン」ってヤツですよ。

 「シミュレーション(simulation)」ではなくて「シュミレーション」とか、おそらく日本語としての発音のし易さが原因で変なことになっちゃうってのは分からなくもない。かといって英語としても発音しにくい単語とは思えないから、発音がおかしいところは「カタカナ表記した際に違うところ以外」にあるとも考えられる。どーも、というかやっぱり「L」の発音が鬼門なんだろうじゃないかと思う。つまり、「L」をちゃんと「L」で発音すれば、「シミュレーション」の方が発音し易いのではないかということだ。

 "english.com"じゃなくて"engrish.com"というサイトがある。英語ネイティブが奇異に感じたり、苦笑せざるを得ない英語の誤用や上手くない使い方を紹介するサイトだ。アドレスは「L」を「R」にしか聞こえない音で発音する様を揶揄していて、当然ながら日本はネタの宝庫である。

 カレル・チャペックの小説「山椒魚戦争」では、人語を解する山椒魚が突如東洋に現れ、人類(実際には米、欧~露と言って過言ではないが)相手に戦争を仕掛ける。山椒魚達は英語をしゃべるも、「L」と「R」の発音を区別しないのが特徴だ。あれ? 中学生時代の英語の授業でやたら「R」の発音を練習させられたのだが、日本語のラ行の発音が英語ネイティブには「R」と聞こえるならば、むしろ「L」の発音の練習をすべきではなかったのでは?ん~?

 ついさっき久しぶりに"engrish.com"を覗いてみたら、いきなり袋詰めナッツ"My Nuts"の写真で苦笑。"Nuts"にはスラングとして「イカれたヤツ」みたいな意味もあるが、ここでは「オレのキ○タマ」が妥当な訳だろう。「ついつい手が出る」、「カリッと香ばしい」といったパッケージ記載のコピーとも併せると、「オレのキンタ○」では二重三重に痛いよな、痛そう。ちなみに「ポケットモンスター」は海外では"Pokemon"だ。"Pocket monster"は普段はズボンに隠れているモンスター、「男性のイ○モツ」の意味があるからだ、いや~ん。

 はい、軌道修正。

 とは言え単語の中の音の入れ替えは別に日本語固有ではないようだ。「イスカンダル」は「アレキサンダー(大王)」がアラブ語圏でなまったものとされる。良く使われる説明は、アラブ語の定冠詞(英語なら"the")である"al"が頭に付いていると誤解され、その部分がまず取り去られたというものだ。つまり「イキサンダー」とか「イキサンダル」になる。次いで「キ」と「サ」の順番がなんかの拍子で入れ替わると「イサキンダル」、かなり「イスカンダル」に近付いたよね。このような音の入れ換えの原因は「言い間違いの発生頻度が高い」せいと考えることもでき、それぞれの言語における発音のし難さ/し易さと無関係とは思えないのだ。

 "volatility"は「V」と「L」という日本語に無い音を含んでいて、発音が化け易い単語とは言えそうだ。確かに、「ボラリティ」という発音は余りにも「英語的では無さ過ぎる」気もするんだなぁ。