2013/06/07

奥さん、論文査読お願いします。:アフターサービス

 さて、査読したうえで私が「掲載不可」と回答した論文が、某学会の論文誌に最近になって掲載された。何処をどう直したのか気になって、面白くないことは知りつつも内容をチェックした。というか、タイトルが査読時と同じで馬鹿丸出しのままだったので、何が起きたのかを確認する必要があったというのが正しい。

 結論から言うと、論旨破綻は解決されておらず、論文としては失格だ。このような論文が掲載されたという事実は、論文の出来を遥かに超えた高いレベルの問題を浮き彫りにしたと言える。

 論文では、ある現象をモデル化する際に、「パレメータAの影響は無視できる」と仮定した上で独自のモデルパラメータを決めている。まぁ、ここまでは良い。実際にパラメータAの効果が小さいのは40年以上にわたる試験データの積み重ねから明確だ。問題は、「開発したモデルは、パラメータAの影響を*%以内で予測できる。」と結論に誇らしげに書いていること。はい~(↑)?

 百歩譲っても、執筆者は技術的或いは科学的な見地からは「馬鹿」である。

 纏めると、
  • この論文の主筆者は(自粛)だ。名前は覚えたぞ。
  • この論文の連名者は(自粛)だ。良く知ってるぞ。(自粛)先生、あなたの名前を連名にして、酷い論文が出されましたよ、知ってますか?
  • この論文誌の担当編集委員は(自粛)だ。そんなんじゃだめだよ、ちゃんと査読手順に従わなきゃ。査読時の著者への質問の回答を、私は見せてもらってないぞ。
  • この論文を掲載した論文誌は、日本のごく一部でではあるが大きく信頼を下げた。今後、商売上の価値がない限り、私はこの論文誌には論文を投稿しないだろう。
って辺りだ。
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 このブログを読んでる人は、私を「直ぐに他人を馬鹿扱いする」人間と思うかもしれない。しかし、とある女性に「人の悪口をほとんど言わない珍しい人、人の良いところを見つけるのが上手いよね。」とまで言われたことがある、という事実は明記しておこう。私が「馬鹿」と呼ぶ相手は、本当にどこに出しても「恥ずかしいぐらい底抜けの」馬鹿だと思ってもらっていい。

 とはいえ「馬鹿、馬鹿言う奴が馬鹿。」というのも世の理の一端を上手く捉えている。「馬鹿」という表現を使うことで楽しちゃいかん、と言うことだ。ここはきっちり反省した上で、今後の姿勢を明確にしておこう。

 本エントリでの文脈における「馬鹿」は、「研究者失格」や「技術屋失格」とでも言い換え可能で、「プロフェッショナルでなければならない人間がプロフェッショナルではない行動、言動を取ることで良しとしており、かつ、それを当人が自覚できていないとしか見えない」状態を指す。個人的には「自覚の有無」がとても重要で、多少なりとも自覚があればそれだけで将来に期待して良いし、「馬鹿」と呼ぼうなんて思いもしない。

 また、今後書かれるブログエントリでは、「馬鹿」という表現は「馬鹿としか表現できない」場合しか使わないことにしよう。これまでのブログエントリにおける大部分の「馬鹿」は、「プロ作家失格」「プロクリエーター失格」などのように、文脈に沿っての上記の考え方に従う解釈をお願いしたい。もちろん、これまでも、これからも本ブログで個人の人格を攻撃することは有り得ない。この点、明言するとともにご理解を重ねてお願いしたい。

2013/06/06

「宇宙戦艦ヤマト2199」Vol.5でましたね。:補足

Q.ビーメラ4は辺境か?

 まず事実を確認しよう。

 第15話「帰還限界点」の開始時点で地球滅亡まで最長310日、終了時点で298日である。つまり、第15話のストーリーは最長12日間内の話となる。劇中でドメル上級大将はバランで作戦を部下に説明しているから、ガミラス艦のバランからビーメラ4周辺宙域への移動時間は12日以下ということになる。また、ヤマトは60日プラスアルファで地球からビーメラ4周辺宙域に到達していることにもなる。

 これらの数値に間違いはないよね?

 テロン、すなわち地球はガミラス帝国の版図の中では辺境とされる。つまり、ガミラス帝国から見て辺境と呼べる宙域までの航宙時間は、ゲシュタムジャンプを使えばバランから60日とかからないことになる。ヤマトの航宙は紆余曲折を伴ったものだから、トラブルなく移動できれば30日でもお釣りがくるのかも知れない。実際、島大介は「35日の遅れ」を劇中で口にしている。

 て~ことは、「バランから到達に30日かかる宙域は辺境」で間違いないだろう。では12日かかる宙域はどうか?航宙に要する時間の観点からは判断材料が無い、というのが実態だ。が、天の川銀河への版図拡大を図りながらビーメラ星系内の亜空間ゲートを使用していないということは、バラン~ビーメラ星系の移動にはさして苦労は無いと考えるのが合理的だ。

 つまり、ビーメラ4はガミラス帝国にとって辺境とは見なし難い。で、本題。面倒臭いので遠まわしはやめよう。

Q.「イズモ計画派」は馬鹿ばかりなのか?

 少なくともヤマトに乗り込んでいる連中は馬鹿ばかりとしか思えない。想像力に欠けるか、自分で考えることを止めて(誰かの言うままに動いて)いるかのどちらかに見える。

 ガミラス軍はバランに1万隻の戦闘艦艇を簡単に集結させられるのみならず、バランからビーメラ4への移動も苦にしない。となれば、地球からビーメラ4に地球人類が移住したとしても、発見されれば2週間と保たずに壊滅させられるのがオチだ。壊滅を免れるためには軍の再建が必須だが、移住開始までの猶予はせいぜい270日、最初の移民のビーメラ4到達からどのくらいガミラス帝国の目を逃れられるかは全く分からない。というより、逃れられる筈もない。軍の再建に使える時間など無いのだ。おそらく、大型ミサイルの20発もあれば地球人類はこの宇宙から消え去ってしまう。つまり、ビーメラ4への移住を考えるという一点だけで、「イズモ計画派」の理性や想像力の欠如を指摘するに十分なのである。

 まぁ、ヤマトクルーがガミラス帝国の勢力範囲を把握していないだろうことは間違いないのだが、そういう状況を視聴者に陽に伝えるような描写は劇中になく、逆にガミラス帝国の勢力範囲をクルーが気にする描写もない。ただし、新見情報長がガミラス帝国の勢力範囲を把握できていないことや、ヤマトの航宙がガミラス帝国の勢力圏により深く入っていくことと等価である可能性を考えていないことは、劇中の行動や言動から明らかだ。亜空間ゲートの情報が、ガミラス帝国の中心宙域、或いは支配宙域のコア宙域の推定に使える筈で、今後の真田副長の分析に期待しよう。

 ついでに地球はどうなってるの、という点にも思いを巡らしてみよう。

 ヤマトとの戦闘で太陽系内のガミラス軍の拠点は全て壊滅した。遊星爆弾が落下することは無くなり、人類滅亡まで1年の猶予を確実なものとしたことになる筈だ。で、次は?

 確かに地球人類は絶滅の危機に瀕しているのだが、それは地球に居る限りにおいてのみ正しい。火星のテラフォーミングがどの程度のレベルなのかは不明だが、劇中で火星の海ははっきりと描かれ、総監督がオーディオ・コメンタリーでもそれに触れたことは無視できない。少なくとも火星の一部では人類が生存できる可能性が大なのだ。

 もう言いたいことは分かるよね?

 「大局的視点からの物語への一貫性、論理性の付与」、その踏み絵のひとつは踏まれるどころか大きく踏み外され、新たな踏み絵も先に控えているのである。

2013/06/05

ウルトラホーク1号発進できず。

 冬木透氏によるウルトラセブンの音楽はそりゃもう最高で、当然iTunesのライブラリに加えてある。ちなみに音源はアナログレコードだ。サッカー日本代表のブラジルワールドカップ出場決定を見届けた後、ふと聞きたくなって今まさに聞いている。

 で、曲名を何気に眺めていて、突如重大なことに気付いて愕然としてしまった。

 ウルトラホーク1号の発進シーケンスでは、なんかもっともらしく英語のアナウンスが使われている。分かる人はすぐ分かるだろうけど、「フォース・ゲート・オープン!」で始まるなんかカッコいい一連のアレだ。私の持っているウルトラセブンのアルバムには、SEとしてウルトラホーク1号の発進シーケンスの全ての英語アナウンスが入っている。タイトルは「ウルトラホーク発進(SE Forth Gate Open!)」である。

 ……………………ん?!

 中学で英語を習って以降、実は「フォース・ゲート・オープン!」はずっと"Fourth gate open!"だと思っていたのだ。"Forth(前へ)"ではなく"Fourth(4番目の)"である。

 まぁ、"Fourth gate open!"でも厳密には翻訳不能なのだが、"(The) Fourth gate (will) open!"とか、"(The) Fourth gate (is about to) open!"とか補えばなんとか文脈上の解釈は可能だ。しかし、"Forth gate open!"ではそれすらも不可能なのだ。 "Forth(前へ)"は副詞なので"gate(ゲート)"を修飾することはない、むむぅ。

 聖なる牛!

 我々の世代の中学英語なら、"(A) Front gate (will) open!"または"Open the front gate!"という辺りが本当のところなのではないかな。山手線とか乗ってると、"Car's doors on the left side will open.(左側のドアが開きます。)"って感じの英語アナウンスが聞こえるよね?うろ覚えで申し訳ないのだが。

2013/06/03

映画"EUROPA REPORT" トレーラー

 全くノーチェックだった映画"EUROPA REPORT"のトレーラーが公開に。カット切り替え時に「でーーーん」って音を入れるのは最近のトレーラーでは定番、観てる方は飽きちゃうよね。

 近未来、リアル指向のSci-Fiとのこと。タイトル中の「エウロパ」は木星の衛星のひとつ。表面を覆う氷の下には海があると考えられており、太陽系内で地球以外に生命が発生するならばまずエウロパだろうとの見解を持つ人は少なくない。

 トレーラーでは、人類初の有人エウロパ探査機「エウロパ・ワン」の打ち上げから船内の様子、エウロパ表面やエウロパの海中から見上げた氷原などのカットを見ることができる。最後付近の処理はリアリスティックなそれまでのカットとは少しちぐはぐなホラータッチだが、やや似た構造の「プロメテウス」のトレーラーと較べても、こっちの方が面白そう。

 とはいえ、トレーラー中で使われているモニタリングカメラの映像を本編でどの程度用いているのかは気になる。別エントリで書いた通り、カットのリアリスティック感をこの種の映像に頼る作りだと、映画体験としての面白みには欠ける可能性があるからだ。

 "3D"との表記が出てこないのは好感。TVで観た「バイオハザード/アフターライフ」が余りに「映画ではない」ことに実は驚かされたのだが、冷静に観てみるとカメラアングルやカット割り、音響効果や視覚効果に至るまでが「3Dに奉仕させられている」様が露わでガックリしてしまった。「映画たらしめん」とする意思と行動が作り手側にないと、3Dはすぐにアトラクション映像になってしまうということかな?

 まぁ、観てちょ。

2013/06/01 CBCラジオ×U-strip夜用スーパー「電磁マシマシ」

 ゲームの音楽にはとんと疎いので、今回のゲストのお二人、来兎氏と山岡晃氏については全くの予備知識なし。どんな感じになるかと思えば、お二方ともお話が面白い!充実の2時間ですよ、U-stripライブを視聴しててほんとに良かった。

 とても名古屋のタクシー運転手さん達向けのAM放送の内容じゃない。パーソナリティの佐野電磁氏、ディレクターらスタッフ一同を称賛すべきなのか、や、どうなのよ!って話ですよ。初の配信フル参加で私の「奇妙な喪失感」もあっさり発動。名古屋に土曜日に出張したもののラジオを持ってくるのを忘れ、仕方ないので9:00PMごろにタクシー捕まえて「2時間、適当に流してくれ。ラジオはCBCで頼む。」とか、さらっと変な妄想。タグも追加。

 来兎氏は沖縄在住のゲーム音楽作曲家とのことだが、そもそもトラック自体をクライアントに納入する訳だから、編曲、音色編集/選択、音声/MIDIデータ編集、ミキシングほかもやってることになる。肩書きと実態との乖離が激しいのはフリーランスのプロでは良くあることだが、実態に即した相応しい肩書を誰か思いついてくれないものか。

 来兎氏のお話は、ゲーム製作に関わる同人活動から現在に至る経緯、パッケージが凄すぎる「もえちん(萌えるちんすこう)」への関わりなど多岐にわたり、ステムミックス、とろ美氏、ベーマガ(Basicマガジン)、Basicのmusic文、SHARP mz-1500、クイックディスク、NEC PC-88、カモンミュージックなどの濃いキーワードが飛び交う展開。

 某学会の大会を沖縄でやってくんないかのぅ、「もえちん」買ってくるから。あ、ひらがな4文字なのな、やっぱり。

 ちなみに「ステムミックス」は言葉は知っていたが、実際にどういう形態なのかが分かったのはちょっとした収穫。ステムミックスというのは、クライアントに音楽を納入する際にドラム、ベース、メロディなど個別のパートを独立した音声トラックデータとしておくことらしい。いったんステレオなり5.1チャンネルなりでミックスしてしまった音声トラックデータだけを納入した場合、「ここではドラムパートだけ使いたい。」といった時にクライアント側では対応できないからだという。「クライアントは神様です。」というのは悲しいかな事実ではあるのだが、ステムミックスを納入した場合は、作った人間の意図しない使われ方をされる可能性もあるということだ。

 Stemは名詞としては「茎」、動詞としては「茎を接ぐ」或いは全く逆の「茎を取り去る」という意味がある(動詞の場合の両者の意味は目的格の前置詞で決まる)。ざっくり「剪定」「草刈り」或いは「枝葉を取り去る」というニュアンスで捉えれば、ステムミックスとは特定のパートのミックスのみを取りだしてきたものと解釈するのではなく、特定のパートだけとなるように完成品のミックスからそれ以外のパートを取り除いたものと解釈すべきなのかも知れない。まぁ結果は一緒なんだけど、この種のニュアンスを曖昧にしない癖を付けておくと、外国語の学習は少しは楽になるよ、実際。

 閑話休題。

 面白かったと書きながら、来兎氏のパートの話の中身に踏み込めないのには理由がある。二人目のゲストである山岡氏のお話がさらに面白かった、というか、どう言や良いんだ?

 山岡晃氏はPSゲーム「サイレントヒル」の音楽、効果音などサウンド全般に関与、続編へ進むにつれて肩書きはプロデュース寄りに変わりながら、実態はよりゲームの具体的中身に関与を深めていったということらしい。来兎氏に輪をかけて肩書き不明、挙句にはパーソナリティの佐野電磁氏から「『人間』・山岡晃氏をゲストに迎えてお送りしております。」と紹介されることになるのだが、それもむべなるかな。

 「誰でもフェラーリが買える」(実際の話ではピンク色のランボルギーニ・ガヤルド?のオープンカー)の話は触りの触りということと、この話の大枠は自分も20年以上前からやってることにほぼ等しいので置いておくとして、UnityやUnreal(ともに3Dゲームエンジン兼ゲーム製作ツール)を触るのが大好きだとか、コード(和音)名や楽譜も読めないのに作る音楽のレベルや完成度の高さが半端無いとか、「サイレントヒル」の関わっていたころは1日20時間働いていて「時給はマクドナルド(のバイト)より安かったんじゃないか。」とか、とにかくデキる人が大抵二つぐらい備えている資質や有り様を五つも六つも備えている「ある種トンデモない人」であることが良く分かった。

 「え、未だにそんなことやってンですか?」という佐野氏の問いにさくっと「だって、楽しいじゃん。」って返せる辺り、私の目指してる有り様がそのまま目の前のPC画面内で展開されてるのは、いやはや、愉快を通り越してただただ驚愕するのみである。お話の内容についてはキーワードぐらいは書けるけど、とても文章では伝えられない濃さと痛快さ、本ブログなんかでは絶対伝えられないのでそれに挑みもしませんよ。

 一つだけ山岡氏の発言に触れておくと、「グラフィッカーなので、4、5分の音楽は絵みたいに捉えられる。」とのこと。一種の可視化、見える化であって、言葉(音楽では楽譜が相当するのだろう、少なくともクラシカルは。)に頼らないが故に全体と部分を一気に把握、理解できるということだろう。加えてのポイントは、頭の中に既にあるものを我々が聞くことができるサウンドの形に落とし組む作業を「楽しむ」ことが当たり前にできるところだろう。

 デキる人の一部は、頭で分かった時点で当人にとっては終わってしまい、具体的な出力は面倒臭がってやらないことがままある。そういう人といっしょに働いていると、そりゃ聞き上手になっちゃいますよ。気持ち良く出力させることさえできれば周囲も本人も幸せですからね。そういう観点から見れば、山岡氏はまさに生き物でありながら価値発信装置、価値を生み出すだけではなくそれを周囲に送出し続ける(しかも本人は楽しい)というやっぱりトンデモない人としか思えないのだ。

 来週のU-strip配信も楽しみですなぁ。

2013/06/02

「宇宙戦艦ヤマト2199」Vol.5でましたね。

 内容盛りだくさん+新たな伏線張りに終始する感じで、Vol.3や4みたいにダレたところがなく、全体としては好印象。総統暗殺事件はやっぱりやったか。

 森雪とユリーシャの関係性に関わる伏線は基本的に回収され、森雪の「こころ」については回収不要となった。とはいえ雪の記憶喪失はそのままだから、まだ一波乱あるかも知れないっちゃ知れない。全体としては妥当な落とし所と言えるが、「あの状況」を「憑依」なんて超常現象的なニュアンスの言葉で止めてしまうシナリオにはやはり疑問を呈せざるを得ない。要は自分の周りで同じようなことがあった時、「あ、憑依だったんですかぁ、そうかぁ!」なんて合点してくれる人なんていますかね、「憑依」状態の人の話を信用する人なんていますかね、という話。

 第14話の「魔女はささやく」を踏まえれば何らかの説明は可能であり、(新見情報長があの状態なので)真田副長なりがもっともらしいことを言っても良い気がする。つまり「憑依」という表現で止めているのはあくまで製作者達であり、これまでのエントリでも書いたことがあるように2199の世界観に寄りそう(登場人物達の視点に立つ)ならば説明にまで踏み込むのが正解だ。2199の「作品として」の座りの悪さ、一種の「出来そこない感」は、そういう小さな踏み込みの欠如の積み重ねに起因するところ大やに思う。他方、デスラーが自分の暗殺計画を何処から知ったかなんてのは余りに明白なのに関わらず、セリフできっちり説明してしまうバランスの悪さ、ちぐはぐ感には、世界観に対する大局的な視点の欠如を感じずにはいられない。デスラーならいかにも「何でもお見通しだよ、バカ共め」って態度で「バカ」にわざわざ説明なんてしないんじゃないかな。

 ちなみに「憑依時の岬にはアホ毛が無い」というのも有りかと思ったが、あの一房ははたして「アホ毛」に分類できるものなのか、もし「アホ毛」だとしても絵面からは分かんないよなぁ…。

 艦長室に置かれた「罪と罰」の本、中原中也氏の詩の引用などは、誰の趣味なのか知らないが、きっちり描かれたり語られたりと描写は極めて饒舌である。本来は作品にとって或いは世界観にとっての狭雑物に過ぎないものの描写の饒舌さは、先に述べた踏み込みの無さとは対照的で、さらにちぐはぐ感の原因となる。

 個人的には「罪と罰」の引用の理由は全く理解できず、中原中也氏の詩の引用も不快だ。まるで小学校か中学校の国語の試験問題の如く、おそらく先に進んでも薄っぺらい解釈しか出てこないのではとの危惧すら持つ。かつて自著「火垂るの墓」が入試問題に使われた際、野坂昭如氏は「正解とされる文章」の内容に対して異を唱えたことがある。まぁTV出演時などの印象から野坂氏の述べたことが本心であると考えること自体がナイーブに過ぎるとは分かっているが、「正解とされる文章」の内容の平板さ、薄っぺらさに比べれば何倍もの説得力があった。いかにも試験問題の正解っぽい「戦争がどうのこうの…」とう文章を全否定、「(当時は)とにかく何か腹いっぱい食いたいとしか考えていなかった。」といった趣旨の発言をされたのだよ、野坂氏は。この話を知ってしまうと、映画「火垂るの墓」の(以下自己検閲)

 「罪と罰」は好きな小説であり、思うところは多々ある。映画「ローレライ」での引用でもちょっと困ってしまったが、こちらでは特定の登場人部の心情乃至は信条の吐露としての機能が優先であり、観客が「罪と罰」を読んでおく必要は要求されない(「罪と罰」を引き合いに出す必然性があったかは、登場人物の背景描写として機能するかどうかだけの問題である)。2199での「罪と罰」の本の位置付けはどのようなところにあるのか?読んでいて、かつ好きだと明言している私の視点からは解が見いだせない。

 詩を引用して、その内容に何らかの作品上の意味付けを行うのは危険である。特定の詩に対する個人の好き嫌いは小説よりも顕著であり、私はと言えば中原中也氏の作品は15歳ぐらいまでで平板でつまらないものと化してしまった。詳細は省こう。

 念押ししておくけれども、中原氏の詩の引用を否と言いたい訳ではない。引用を介して古代守-真田-新見の過去を上手く劇作に取りこんでいると思う。が、本来作り込むべき描写をおろそかにしながら、引用そのものの描写が突出して饒舌なところがアンバランスだと言いたいのである。「記憶の森から」といった感傷的とも言えるサブタイトルも含めて捉えると、私の思うところのアンバランスさに製作者達は頓着していないように感じてしまう。「本気」の結果としてアンバランスなものを作っているならば、それは作り手側の自己満足の結果に過ぎず、作品自体や視聴者は基本的においてけぼりと言える。

 以前から何度か書いているように、演出や劇作の構造が論理よりも感性に偏り過ぎている印象は変わらない。「理詰めじゃヤマトなんて作れない。」と言う方もおられると思うが、この場合は「なら、作るな!」とはっきり言ってしまおう。それが出来る人達がやらないと、単なるおちゃらけ、ファンムービーに堕してしまうのだ。

 ここでまたまた念押しなのだが、私は「科学考証や設定」に対して論理性を与えよ、とは一言も言っていない。論理性が与えられるべきは「物語」であり、大局的見地からの一貫性を物語に付与せよ、と言っているのである。そもそも物語性を意思を持って明示的に放棄しているエヴァならいざ知らず(作られる度に語られる物語が変わる、或いは様々な物語が何度も繰り返されるという構造にする。明確なラストの提示を保留しているので一貫性のある物語を論理的に構築できないが、それ故に論理的帰結としてラストを回避し続ける繰り返し構造を選択せざるを得ない。)、ヤマトでは「一貫性を持つ物語」を語ることをやらなきゃ駄目だろうと。

 オリジナルを代表する脚本家である藤川桂介氏のシナリオ集などを読んでみよう。それが「格」かどうかはここでは言明しないが、明らかに質の違いがある。Battlestar Galacticaが主要シナリオライターの変更後に人気急降下、というのは海外の友人達の話からもほぼ間違いない事実なのだが、シナリオライターの変更がもたらしたのは明らかに「論理性の喪失に伴う物語性の消失」である。「論理性を排した」が故に破綻が見えないだけであって、状況は「論理性を維持することができなくなった」よりも酷い状態になった、別の言い方をすれば「低レベルな状態」になった、というだけに過ぎない。シナリオライター変更の理由は十中八九製作費カットで、ライターの質が下がったのだから当然といったところなのだろう。視聴者はそんな「質」に対して実に敏感なんですよ、実際。

 細かいところでは三段(四段?)空母にアングルドデッキ(米国ニミッツ級空母のように、船の進行方向から左斜め前向きに設けられているデッキ)が付いているの所には笑ってしまった。オリジナルのヤマトの世界観では艦船のデザインモチーフの多くは第二次世界大戦中の兵器から採られている。そのため、大戦時にはまだ生まれていないアングルドデッキはオリジナルには出てきようがない。

 ドメル艦とヤマトとの接触、ゼロ距離射撃の一連のシーンはちょっと良かった。広大な三次元空間でそれが起っちゃうって辺りはまさにヤマトと言える。他方、重力アンカーのあの使い方は波動砲を使うと分かった時点で読めてしまって(と言うか、アンカーを上手く使うなら今ですよ、と作り手気分で思ってしまった)ちょっと楽しみ損ねたところはありました、はい。

 あ、「イスカンダル」のメロディーモチーフを2199ではこういうところで使うのね。

2013/05/29

シナプスの爆発をキャッチせよ!の巻

 今回は、本ブログのエントリの中でも屈指の下らなさを保証しよう。

 佐野電磁さんのラジオ番組「電磁マシマシ」のエンディングテーマ曲であるところの「Dear Radio」をその一部を聞いただけでiTunesですかさず購入しちゃったよ、と言うのは以前のエントリに書いた通り。曲単位で購入ができること、CDという実体を部屋に持ち込まなくても済むことなどがiTunesの利点だが、他方、映画の字幕と並ぶ日本の良き伝統と言える実体物「歌詞カード」は入手できない。

 文部省唱歌ですら聞き違えをやってしまう「空耳」な私としては、「Dear Radio」の歌詞の聞き取りが難事業となるのは至極まっとうな流れ。とはいえ、標準語を解する今を生きる日本人としては、「歌詞聞き取りに挫折しました。」と白旗を上げるというのも悔しい話。かつて「言語破壊者」とまで呼ばれ、友人間だけで通じる造語を大増産していた言葉にこだわりのある人間としては、歌詞は充分に味わう価値のある言葉の連なりなのである。

 ちなみに、もしエロ同人誌を指す言葉としてかつて使われていた「面妖本」という表現の発祥が1985年ごろの福岡、かつ、某大学のアニ研ならば、最初に使用したのは私ということになりますよ。なお、私はアニ研に属したことはありません。

 おっと軌道修正。

 さて、件の歌詞の聞き取りは予想通り難航し、何回聞いても2か所がどうもしっくりこない。要はどう考えても「空耳」としか思えないのだ。具体的には下記のような具合だ。
  • 「約束はいつも言えない」「約束はいつも見えない」
  • 「心を素通り」「心を素通し」「心をスローに」「心をスローリー」
前後の文脈を参照するまでもなく変な日本語であることは明らかだ。という訳で、ここ一週間ほどは聞き取りに全く進展なく、D-wave社の量子コンピューティングチップ(量子アニーリング手法のハードウェア実装)の仕組みの調査や査読の段階で既に話題となっている素数に関する論文の情報収集もうっちゃってただただ悩むという日々が続いていたのだ。

 「空耳」の結果に発想が縛られていることが、聞き取りの進展を妨げている原因の一つであることは明らかだ。それ以外にも不要な予備知識や思い込みにより発想が制限されている可能性もある。このような場合は意図的に自分の思考過程の「タガ」を外すしかない。幸いにして本日は出張だったので、帰りの列車の乗車時間である約1時間半をそれに当てることとした。

 今回の具体的な手順は下記の通りだ。仕事でアイディアが行き詰ったときの発想転換に良く使っている手法の応用である。

 まず、背景情報を整理する。ここで重要なのは、整理すべきは事実のみとし、「空耳」の結果の如き事実とは無関係な情報は意図的に排除することである。整理した具体的な事実は下記の3点だ。
  • 件のラジオ番組の終了時刻(11:30、イレブン・サーティ)は歌詞に織り込まれている。
  • 件のラジオ番組の開始時刻は午後9:00である。
  • 件のラジオ番組はUSTでライブ配信されている。
賢明な方なら、「約束は…」に続く言葉が番組開始時間だろうと推定できるだろう。当然私もそう考えたが、如何せん「空耳」結果の呪縛は強く、答えに行きつけなかった。ここでは「推定」は発想の自由度を制限する要因でしかなく、排除すべき対象なのである。また整理した情報は「言葉」のままではなく、「概念」へと落とし込む。この辺りはなかなか他人には分かってもらえないプロセスである。

 次いで、おもむろにiPodで楽曲をリピート再生し、ただ無心に「閃き」、或いは「シナプスの爆発」を待つ。再生5回目ぐらいまではつい言葉を聞きにいってしまったが、やがて「聞こえたものに対する自分の脳の反応」が感じられるようになってくる。爆発はリピート10回目ほどで立て続けに起こった。「悟り」の瞬間、と言っても良いかもしれない。結果は以下の通りだ。
  • 約束はいつもPM9:00(ピーエムナーイ(ン))
  • 心をstreaming(ストリーミン(グ))
これら結果を得るために経た思考過程はもちろん不明だ。また、これらすらも新たな「空耳」に過ぎず、正解ではない可能性も残る。だが、そもそもの「空耳」結果に較べればはるかに納得がいく。

 「PM9:00」が実は曲者だ。一般的な、或いは英語での使用方法は「9:00PM」だからだ。このような知識は「PM9:00」という聞き取りを明らかに阻害する。実際、「PM」→「11PM」→「明日は東京、日本テレビ。」という連想がデフォルトとして刷り込まれているのが60年代生まれの悲しさだ。

 今回は本当にどうでも良い話でしたね。

2013/05/27

ボーカロイドとその周辺で思うこと。

 最近はすっかりDAW(Digital Audio Workstation)アプリばっかりいじっていて、しかも作っているのはボーカロイド用オケばかりというヘンさ加減。さすがに打ち止め感(ネタ切れ感)が出てきても良さそうだが、どっこいそうはいかない。愛用のiPod Touchには既に1万2千曲以上入っているし、PCのハードディスクにはそれらの3倍を超える数の楽曲データが格納されている。CDやレコードの置き場所に困っても、ネタには困らないのだ。

 ボーカロイド曲を作るにしても、オリジナルソングであれば救いがある。が、少なくとも作曲の才能が無いことは大学生のころに確信してしまったし、カバーなりでいじってみたい曲にはことかかない。オリジナル用のネタはこつこつ貯めているが、曲としてまとめるというのは結構エネルギーの要る作業なので病気の身ではまだ辛い。良い歳したオヤジがおバカな感じのポップスをやろうとすれば、自分を一旦捨てるぐらいにはっちゃける必要があるのだよ。

 さて、「ボーカロイド」の登場は、20年以上にわたってリスナーに徹していた自分を「曲を組む作業」に再帰させる重要なきっかけだった。ただし、「ボーカロイド」そのもの以外には全く興味がない。最初に購入した「ボーカロイド」はSONiKA(英語)で、まず歌わせたのはKraftwerkの"The Robot"のカバーだった。歌詞の出だしはこうである。

 "We are codes and libraries, and we are installed on PCs."
 「私達は規則とライブラリ(の集まり)、私達はPCにインストールされる。」

つまり、個々のボーカロイドに「見た目などのキャラクター性を付与する」こと自体を心底小馬鹿にしているのである。商売としては間違いなく正解だが、付与されたものは私にとって何の価値もない。金銭を対価に自分のPCにインストールしたソフトウェアに過ぎない。

 ちなみにとある外国の方から面白いメールがあった。メールの送り主は、「ボーカロイドって何だ?日本の新しいアニメか?それともゲームか?キャラがいっぱいいるが一貫性はないみたいなんだが…」といった質問を何人もの知り合いから受けて閉口していたという。そこで私の"The Robot"のカバーの歌詞を印刷して読ませたりメールで送ったりして説明したところ、高確率ですんなりと「あぁ、PCアプリソフトなのね。」と納得してくれるそうな。実にイイ話じゃないですか。

 前置きが長くなったが、エントリタイトルの通り、思うところを書いておこう。
  • 「ボーカロイド」の登場は、「純粋な」人声合成を諦めた結果やに見ゆる。
    「ボーカロイド」は実在する人間の発声から抽出した音素データをライブラリとして用い、与えられた入力に対して音素データを加工、連結しているに過ぎない。声を声たらしめているフォルマント特性の生成は陽には為されていないのである。出力データが不自然に聞こえる場合は、結局フォルマントの時間変化が経験則とマッチしていないという場合が多い。

  • 純粋にフォルマント特性を合成できるならば世界中の言語で使われている母音が再現可能であり、特定の言語(すなわち限定されたフォルマント特性或いは母音しか用いない)に使用が限定される必然性はない。
    現存する言語の中にあって、日本語は最も母音が少ない(あ行の5つ)部類に入り、外国語習得のひとつの障壁となっているやに思われる。経験的に、日本語で使われない子音(残念、母音ではない)でも聞き分けることが出来るようになれば、発音もできるようになる。
    「純粋な」人声合成技術は、言語教育に大きなインパクトを与えるかもしない。赤ん坊が言語を習得する過程で、「耳」或いは人声を処理する脳機能は周囲から聞こえる人声に最適化されることは否めない。このような時期に日本語に無い様々な母音も聞かせておけば、赤ん坊の「耳」は日本語に無い母音も認識できるようになる可能性が高い。
     ここで「日本語に無い母音」の意味は、複数の母音が日本語では区別されないで用いられるということである。学校の英語の授業で「『え』の口で『あ』と発音する」とか習わなかったろうか?英語には「あ」と「え」の間にあるフォルマント特性に対応した母音があるということである。日本語に最適化された「耳」では、一般的にその母音は「あ」か「え」のどちらかでしか認識されない。
    しかし、更に母音の数が増えるとそうもいかない。幾つかの北欧の言語は母音が10以上あり、「あ」と「え」の間に3つ以上の母音がある場合もある。北欧の歌曲を聞いたとき、歌詞をカタカナですら置き下せないことを当たり前に経験する。これは、聞き手が母音を見つけることすら失敗しているということだ。ただ、この失敗はむしろポジティブに捉えるべきだ。少なくとも「日本語では使わない母音である」ことは認識できているからだ。
    言語習得の基本はやはり「ものまね」、「耳を作っておく」ことの重要性は高い。実績が確認できれば国策として制度化、義務化しても良いぐらいだ。もしそうなったら、カタカナでは書けない新しい擬音(オノマトペ)がたくさん生まれるだろう。

  • 編集できるパラメータの名称とその大まかな機能が、MIDI規格(電子音楽機器の制御のための通信規格)で定義されている送信可能なパラメータと同じとなっている。
    これを単に仕様と見なすか否かは重要だ。
    個人的には、このようなパラメータを人声合成に適用する事自体が直観に反している。つまり、これらパラメータの選択は音素データ合成というボーカロイドの仕組みの自由度を下げ、本来持ち得る機能をも封じているのではないかと思う。百歩譲ってもアフタータッチがない、エクスプレッションもない、ヴェロシティはMIDIデータにおけるそれとは別物など、欲求不満と混乱しか引き起こしていない。

  • 個人的な趣味から言えばエディターの完成度の低さはバージョン3でも噴飯もので、反応の遅さ、ダサいデザイン、論理的とは思えないメニュー構成など不満点にはきりがない。いわゆる打ちこみによる音楽データの編集は逐次的なデータ入力とリアルタイム再生を交互に行うものであり、ボーカロイドデータの編集はまさにこれにあたる。20GB近くのデータを扱いながら操作の切り替えにタイムラグを感じさせないDAWソフトウェアが実際にある以上、ボーカロイドエディターのレスポンスの悪さはどうしても目立つ。

  • 「ボカリス(Vocaloid Listener)」自体の存在意義は何処にあるのか?分析する歌唱データがあるなら、それ自体使えば良いだけの話で、ボーカロイドの出番は本来無い筈だ。

2013/05/20

Madalena / Kaleido+ファミコン風味 ボーカロイド用試作オケ

  Madalenaは名曲なのだが、いかんせん歌詞はブラジル-ポルトガル語。英語ボーカロイドでは直球勝負は出来ませぬ。オケの出来については0号ゆえ、ということで。耳コピ基本で4か所ほどコードが決め切れずにごにょごにょとした処理のままですが、いったんさらしておきます。

 大人の事情対策で「さとうささら」さん(CeVIO Creative Studio FREE)に再びご登場願っております。
 Kaleidoオリジナルの別バージョン。

 音はわやくちゃだけど、参考にしたバージョンに近いもの。

 忘れちゃいけない、Elis Reginaのオリジナル。こんな表現力はボーカロイドにはそうそう期待できないよね。ちなみに日本語ウィキでは「ブラジルポルトガル語での発音表記に準じるとエリス・ヘジーナ」なんて書いてあるけど、英語ウィキ記載の発音記号に基づけば「エリス・レジ―ナ」にやはり近い。「rr」みたいにrが二つ並ぶと、日本語の「ハ」に近い発音となるのは確かなんだけどね。

 はたしてお気に入りは見つかるかしらん。






  コード進行やコードの刻み方は、実はブラジル・コンテンポラリー・ミュージック(どっかで見たことあるけどどういう意味?)では比較的スタンダードなもの、海も渡ってますよ。この曲を初めて聞いたときはまず笑っちゃったけどね。

2013/05/19

CBCラジオ×U-strip夜用スーパー『電磁マシマシ』ですか!

 音楽データいじってるときは当然BGMはないし、3DCGモデリングのときは集中力確保のため耳になじんだ曲をiTunesでリピートしてBGMにしている。そういう訳で、ラジオなんて先の震災時以外は聞いていない(5日ぶりに電気が来た時には、ローカル放送をUSTREAMで聞きましたが…)。

 DTMマガジンのサイトでエントリタイトルの佐野電磁氏の番組について触れていたので、さっそくUSTREAMのページに飛んだところ、これが見事にツボ。ツボですよ。

 「過去のライブ」をざっと飛ばし飛ばし再生していると、拾うフレーズのひとつひとつにガツンガツン引っかかる。「カウベルの呪縛(笑)(文脈は違うが…)」「来週のゲストはサエキけんぞうさんで~」「えっ、Bar(バー、音楽における小節)単位でコピーできんの?」「アカイの…」「コルグの…」「もーほー?もほー?(シンセサイザー"Mopho"こと)」「ニューウエーブってのは…」etc etc。

 世代的に「カウベル」はつい使っちゃう(笑)。←私にとっての文脈

 とりあえずエンドテーマ曲の「Dear Radio」をiTunesで購入しちゃいましたよ。あぁ、このベースやリズムの音色というか波形はほぼ同世代としてはアリだよねぇ。今週は「過去のライブ」だけでお腹いっぱいになりそうだなぁ。

 次回はコルグからゲスト! なぬぅ!