2013/03/20

近況。

 近況です。

 年度末進行で仕事がエラいことになっているところに、名のある先生の研究室の学生がエラく困った内容のペーパーを国際会議にサブミット、とばっちりでこっちまでさらにエラいことになってます。引用文献ぐらいちゃんと全部書け!他人の論文のグラフに間違いがないか位は自分で確認しろ(電卓と時間が10分もあれば横軸の数値が間違ってることは定量的に確認できる、専門家なら縦軸か横軸の少なくとも一方がおかしいことは一目で分かる)!!査読者は何やってんだ!!!

 ま、結論はオレの考えと同じではあるのだが、ものには言い方というものがあるし、学究の場にだってそれなりに仁義の切り方というものもある。

 もはや何周遅れか?「水曜どうでしょう」の未見エピソードを友人の協力あって視聴中。面白いのだが、観て笑っているだけというのは休日の過ごし方としても余りに非生産的。とは言え、未だ投薬で気分を持ちあげている状態では、豪快に疲れる3DCGモデリングは無理。今後もしばらくは封印。

 1年ほどちまちま一から組んでいた"Bizarre Love Triangle/New Order"のオケが80%ぐらいの完成度、取り合えずVocaloid Editorを立ち上げてみよう。

2013/03/11

BSG: B&CのバイパーはMk.IIBということらしい

"Battlestar Galactica Blood & Chrome"に登場したViperはMk.IIIらしいと以前書きましたが、本当はMk.IIBらしいということが判明。なにせデザインした本人がそう書いてるんだからねぇ。

2013/03/10

成程、船戸与一「夢は荒れ地を」は力作、傑作

 これまで最後に読んだ船戸与一氏の小説は「蝦夷地別件」だった。初版で読んだので、もはや15年以上前になる。本当は「満州国演義」を買うつもりだったのだが、あいにく近所の大型書店に在庫すらなく、船戸与一リハビリのつもりで昨年12月に手に取ったのが「夢は荒れ地を」だった。

 船戸与一氏の小説タイトルは、内容が想像できる割とストレートな場合と漠然とし過ぎて内容がさっぱり読めない場合がある。「夢は荒れ地を」は後者だろう。と言うこともあって、読み始めたのは買ってから3ヶ月ほど経った今朝になった。文庫で約800ページ、比較的大著かとも思うがほぼ3時間半で読了、文句なく力作、傑作。

 船戸与一氏の作品との出合いはもうかれこれ25年前、「猛き箱舟」になる。当時は3冊ぐらいの小説を常に平行して読んでいたのだが、同時に読んでいたのが村上龍氏の「愛と幻想のファシズム」、小林久三氏の「皇帝のいない八月」だったことをはっきり覚えている。「5日ほどのめったにない濃密な読書体験」の記憶の中でも「猛き箱舟」の輝きは褪せない。

 しまった!「マギの聖骨」、「ナチの亡霊」、「ユダの覚醒」、「宙の地図」なんてつまらん作品を読んでる場合じゃなかった!

2013/03/09

GyaoでTVシリーズ「うる星やつら」の第一話を観る

 タイトルの通りです。映画監督になる遥か前の押井守氏がチーフディレクターを務めた作品ですね。

 デジタルリマスター版とかいう話なので、第一話に関しては「乳首」が残されているかを気にしつつ視聴しました。はい、残ってました。

 TVシリーズ初期の「うる星やつら」と言えば、OPとED、小林泉美氏の曲と南家講二氏のアニメとのコラボの半端ない素晴らしさが光ります。タイトルロゴの後にまずピンク色を持ってくる南家氏のセンスには今観てもシビレます。キャラ達の動きも小林氏の曲のリズムを上手く活かしていて、相乗効果の良い見本じゃないかと思いますよ、ええ。

 小林氏の曲はリズムにクセがあるものが多く(時に変態的)、ビートはジャストを基本をしつつも「やっぱちょっと跳ねてないかい?」といった感じを曲全体で出すのが上手い印象があります。作曲家として、キーボディストとして、そしてシンガーとして、間違いなく私の中のエバーグリーンの一人。小林氏はキティフィルム繋がりで鶴見辰吾氏主演の映画「翔んだカップル」の音楽も担当、サントラ盤は良質のインストテクノポップアルバムの感すらあります。

 まぁ、ザラつき感も無いけど芯も無い「如何にもフェアライトCMIって音が好き」っていうのもあるんですが。敢えて名づけるなら「8ビットチップチューン」(ファミコンは実は4ビットだったらしいが)ならぬ「擬似16ビットチップチューン」(モトローラ6800/8ビットCPU×2台)みたいな。

 「翔んだカップル」と「フェアライトCMI」、どっちも分かる人って今の日本にどれくらいいるのかなぁ(笑)

2013/03/08

wired.jpの記事 「どのようにSNSは死を迎えるか」が面白い(その3)

 今回はブレークとして、自分にとってのインターネットコミュニティにおける損失と利益について思うところを書いておく。

 まず本ブログ。読んでくれる人が居るだけで幸せ、ということで利益は全く期待していない。よって、かけるコスト(=損失)は最小限、友達リストなんて使う気もない。表示オプションの変更操作(=損失)も億くうなぐらいで、遠方の友人からのツッコミメールが季節毎に1つでもあれば十分に報われる。コメント機能もスパム対応(=損失)が面倒臭いので使っていない。

 3DCGコミュニティで実質的にアクティブと言えるのはFoundation3Dだけだ。

 Foundation3Dへの参加において最も大きなコスト(=損失)は英語を読み書きする必要があることだ。何気に英語を読み書きしているように見えるかも知れないが、実際は今でも辞書片手に四苦八苦している。今はほとんど無くなったが、以前はスラングの解釈ミスが元でコミュニケーションがぎくしゃくした事もある。とにかく続けること、6年も踏ん張れば経験値は上がるものだ。

 では、利益はどうか。これが実は大きい。Foundation3Dはカナダ中心のコミュニティである。カナダはアメリカのTVシリーズの撮影場所として良く使われ、今やVFXの一大発注先でもある。英連邦であるせいかイギリスのTVや映画のVFXに携わっている人も多い。結果として、Foundation3Dのメンバーには3DCGモデリング、シーン編集や合成のプロが多いのだ。

 職業なり趣味なりで実際に手を動かしているメンバーのコメントは適切で、なるほどと思わされることに事欠かない。互いにリスペクトがあるから、自分のCGモデルが褒められれば単純にうれしい。運営方針はきっちりしており、メンバーには良い意味での礼儀正しさが求められる。メンバー間の距離感は付かず離れずといったところで、アメリカ的なフレンドリーさ(なれなれしさと表裏一体だ)とは一線を画している。個人的には心理的な負荷が無い理想的な距離感だ。反面、的外れな、或いはどうでも良いコメントには手厳しい場合があり、単なる評論家は居ずらいコミュニティという側面も持つ。これも個人的には良いと思う点だ。

 単なる評論家が居ずらいということで、コミュニティの規模は大きくない。しかし、互いに互いの作品にコメントしあうという関係が成り立っているので、規模に較べてメンバーのコア度は高いのではないかと思う。

 かつて主な活動場所としていた別のコミュニティは、英語コミュニティへのデビュー先という意味で思い入れは強い。が、コミュニティ規模が大きいと同時にコメントのみのメンバーの比率が高く、コミュニケーションが一方的になりがちだった。節点間の腕は対称的な接続を表すので、一方向的なコミュニケーションは腕とはなり得ない。だからコア度が高いとは言えない。また運営方針がおおらか過ぎて、想定外の損失が発生したりした。

 代表的な想定外の損失として、そのコミュニティ内で共有していた自分のCGモデル(メンバーなら自由にダウンロードできる)の派生物をさらに別のコミュニティで売りに出した人間への対応が挙げられる。データに添付したファイルに記載した使用条件は「商用利用以外は実質的に制限しないもの」であったが、それでもそんな事が起こってしまったのだ。ただCGモデルを共有していたコミュニティの規模が大きかったのが幸いし、私が商用利用を禁止していることを知っているメンバーから早い段階で通報があった。結局、複数のコミュニティの管理者や3Dプリンティングサービス会社のカスタマーサービス窓口とのやり取り(英語!)に1週間分以上の余暇を費やした。時間に加えて心理的な負荷も大きく、バカにならない損失と言える。

 もちろん、同様の経験をしたメンバーは少なくないようだ。そして、私も含むそのような経験をしたメンバーの大部分が根本的な原因の根絶を図る。つまり、CGモデルの共有の中止と実質的なコミュニティからの離脱である。金儲けに使えそうと思わせるだけのCGモデルを作ってしまうスキルを持つメンバーは、そのコミュニティで影響力が大きい存在であると考えて良い。そして、そんなメンバーのコミュニティからの離脱は、間違いなくそのコミュニティの価値を下げる。運営方針のおおらかさが凶と出た良い例かと思う。実際、そのコミュニティはすっかりつまらなくなってしまった。

 取り合えず、ブレークはここまで。

2013/03/07

wired.jpの記事 「どのようにSNSは死を迎えるか」が面白い(その2)

 さて、その2です。k-コアがどういうものかが分かっていないといきなり厳しいですよ。

 前回は、節点と腕を用いてモデル化したコミュニティネットワークから、任意の自然数(1以上の整数)kにおけるk-コアと呼ぶ部分ネットワークを求めたり、あるいは存在しないことを確認したりできることを述べた。今度はコミュニティネットワーク全体から接点へという見方とは逆向きに、節点に着目しよう。

 ある節点がk=nにおけるk-コアに属しているとしよう。このとき、この節点は少なくともnの「コア度(coreness)」を持つものとする。ここで「少なくとも」と断った意味は、この節点がk>nの条件を満たすkにおけるk-コアにも属している可能性があるからだ。この節点の真のコア度は、その節点が属するk-コアのうち「最もkが大きい場合のk-コア」の「k」そのものとする。

ksi:i番目の節点(i番目のメンバー)のコア度

 さて、ある特定のメンバーがコミュニティに参加し続けるということは、何らかの利益があるからである。更に加えれば、コミュニティに参加して活動することに伴う損失に対して見返りが充分に大きいということだ。

 ここで分析対象はSNSであるから、やり取りされたり共有されるものはざっくりと言えば情報である。具体的には文章かも知れないし、写真かも知れない。また情報であるから、新鮮さが重要な場合もあれば、逆に古いものがどれだけ短時間で取り出せるかが重要な場合もあるだろう。これらを踏まえて、メンバーにとっての損失と利益について考えてみよう。

 損失から行こう。

 まず、情報発信のための作業に伴う損失がある。具体的には、文章の執筆、写真の加工や選別、データのアップロードなどに要する「時間」である。ここで重要な点は、友達が1人だろうが1000人だろうが具体的な作業に要する時間は変わらないことである。すなわち、情報発信のための損失はコミュニティの規模に基本的に影響されない。

 次いで閲覧時の損失、「手間」と「時間」である。前者はインターフェースの分かりやすさや使い勝手、後者はサーバーレスポンスの良し悪しやサービス停止時間の有無や長短が影響因子として挙げられよう。「ユーザーインタフェースの刷新でメンバーがまごつく」といった事態は、一時的な損失増と見做すということだ。影響因子から分かるように、閲覧時の損失もコミュニティの規模に影響されない。他にも損失はありそうだが、ここでは上記の二つの損失の和で総損失が与えられるとしてしまおう。情報発信の頻度と作業規模が一定ならば、時間当たりの損失は一定となる。

 c:コミュニティに参加し続けるために必要なメンバー当たりの総損失

 で、利益である。

 利益は各メンバーの価値観に強く依存するし、情報には新鮮さなどの時間的な因子も絡む。よって、ここでは単純に友人から発信された情報の総数で代表させよう。利益のモデル化は損失のモデル化に輪をかけてざっくりしたものだ。

 b:腕1本当たりの価値(友人の発信した情報の価値、時間当たりで一定とみなす)
 Ni:i番目の節点の腕の数(i番目のメンバーの直接の友人の数)

 b×Ni:コミュニティに参加し続けることによるi番目のメンバーの総利益

つまり、特定のメンバーの総利益は「直接の友人の数」に比例する。

と、ここまで来れば

(総利益)-(総損失)= b×Ni - c > 0

の条件を満たせばメンバーはコミュニティに参加し続ける意味がある、ということは明解だ。だが、ここで終わっては面白くもなんともないし、何のためにk-コアなんて概念を理解しなければならなかったか分からない。以降でのポイントのひとつは、メンバーの総利益とコミュニティの規模との関係だ。これはコミュニティのネットワーク構造に依存し、失敗したSNSと成功しているSNSでは異なるということらしいのだ。

 「節点のコア度と腕の数にはどういう関係があったっけ?」とぼんやりとでも今考えたあなた、あなたは正しい。続く!

2013/03/06

wired.jpの記事 「どのようにSNSは死を迎えるか」が面白い

 wired.jpの記事「どのようにSNSは死を迎えるか:Friendsterで検証」の内容が面白い。記事中に論文PDFファイルへのリンクがあったので、ダウンロードして早速読みだしたところだ。

 まだ半分も読んでいない段階だが、wired.jpの記事に引用されている図(下図と同じ)の意味と論文で使用されている手法の大枠ぐらいは説明できる。


 図中の点または小さな丸をここでは「節点」と呼ぼう。同様に節点間を結んでいる線を「腕」と呼ぼう。節点はSNSのメンバー、腕はメンバー同士が「友達」であることを表していると考えれば良い。任意の2人のメンバー間には腕がないか、あっても1本である。また、上下関係といったような「向き」は腕にはない。つまり、腕で繋がれたメンバーは互いに対等な「友達」と考えよう。

 ここまで来れば第一の大枠の考え方、「『互いに友達の友達が友達』なメンバーで構成されるコミュニティは密なコミュニティ」とみなせる、というのはそう異論はないと思う。図的には、ある節点からスタートして「同じ腕を1回しか通らず」にスタートした節点に戻るルートがたくさんある状態だ。

 次に、wired.jpの記事中でも触れられているk-コア(k-core)が重要な概念となる。ここでk-コアとは、腕を「k」本以上持つ接点だけで構成されている部分コミュニティネットワークのことだ。なぬ、とか言わずに上図を見ながら続きを読んで欲しい。上図中のAがコミュニティネットワークの全体である。この中には、k=3、すなわち腕が3本以上の節点だけで構成された部分コミュニティネットワークが一つ含まれている。Aから腕が2本以下の節点を削除したのがBだ。k-コアを求めるには、同じ操作を削除する節点が無くなるまで繰り返すだけだ。A→C→D→Eがその節点削除操作を繰り返した過程であり(当然、ネットワークBとネットワークCは同じになる)、部分コミュニティーネットワークEがコミュニティネットワークAのk=3におけるk-コアである。k-コアを構成する節点に対応するメンバーは、そのコミュニティの中心メンバーとみなして良いだろう。

 一気に話を単純化しよう。「特定のコミュニティネットワークが安定的に存在する、つまりコミュニティが活発であり続けるには、コミュニティネットワークがk=3以上のk-コアを一つ以上含んでいる必要がある」としてみる。その上で図中のk-コアEからどれでも良いので節点を一つ削除してみよう。これは中心メンバーのコミュニティからの離脱に相当することは明確だ。さて、Eから節点を一つ削除したコミュニティネットワークには腕を3本以上持つ節点が含まれない。つまり、k=3におけるk-コアは消失する。これはコミュニティが活発な状態から実質的に活動停止状態になった瞬間だ。

 k-コアの概念の重要な点は、Eの状態から削除した同じ節点をAの状態から削除しても、やはりk=3におけるk-コアが消失するところにある。つまり、どんなに巨大なコミュニティネットワークでも、kが最大となるk-コアに含まれる節点を一つ削除するだけで、最大でも(k-1)に対するk-コア((k-1)-コアと呼ぶべきか)しか持てなくなり得るのである。裏を返せば、Aの状態からE(k=3におけるAのk-コア)に含まれない節点を削除しても、上述したk-コアを求める操作の結果はやはりEなのである。

取り合えず、今晩はここまで。

2013/03/04

SONiKAユーザー向けMegpoid Englishセカンドインプレッション

 丸一日格闘しました。結論は、「英語の歌は歌わせるな。」

 いや、正確には「英語の歌を普段から英語を使っている人間が歌っている状態のシミュレートには使うな。」といったところ。出来上がりイメージとして英語ネイティブの歌唱を持っていると、何時までいじってもまとまらない。まぁ、日本語の歌詞に何気に英語が混じっている場合にワンポイントで使う、というのが本来の使い方なのだろう。

 "The Look of Love"をやらせると結構面白かったのだが、どうしても日本人の英語にしか聞こえないというのはある意味凄いことかもしれない。海外の人が何人も指摘しているが、SONiKAの発音は「実にブリティッシュ」なのだそうだ。まぁ、自分のSONiKAの使い方は自分の中のヨーロッパ風歌唱のリアライズだから、実はSONiKAの使用は正解寄りのはずだ。対して「Ja-nglish(日本語なまりの英語)の座りの悪さ」はネタとして以外は使い道が思いつかない。(文法的に正しい限り、日本語なまりの英語は非英語圏の人間にも聞き取り易いのだそうだが。)

 音がもこもこしようが、合成時にノイズが入ろうが、英語の歌を歌わせるのならやはりSONiKAの方が上(それでも曲は選ばねばならないが)、残念。

2013/03/02

年度末進行とけいれん

 2月後半から完全に年度末進行。お客向けの報告書作成やお金の計算やら、果ては来年度の作業計画策定など締め切り目白押し。ここ2週間で自分の報告書は2本仕上げて、今週末はちょっとばかりゆっくりできそう。週明けはおそらく他の人間の書いた報告書のチェックの仕事が数本入る筈。

 実は自分の報告書がすんなり上長のチェックをパスするのは久しぶり、秘密のひとつは抗うつ剤の増量にある。単純にうつ症状が出なければ、それなりに論理的思考ができるということだろう。とは言え、しゃべると異様に疲れるのは抗うつ剤だけでは解決できない。よって会議は辛い、特に専門家として参加する会議は辛い。うっかり論理の破綻或いは脆弱性を目の当たりにするようなことがあれば、例え厳しくとも言うことは言わなければならないし、非専門家相手なら良くも悪くも懇切丁寧に説明しなければならない。心に余裕の無い身としては、会議の席で宿題(予定外の仕事)をもらう事態も避けたい。

 現在使用している抗うつ剤の副作用には胃腸障害などがあるが、けいれん閾値を下げる場合もあるらしい。そのせいか、靴を脱ごうとしてふくらはぎがけいれんし、玄関でのたうつ事態に何度か陥っている。特にまずいのが東京出張帰り。自宅から駅まで約2kmの往復に加えて、東京出張はけっこう最寄り駅から歩く距離が長くなることが多い。更に言えば、出張先(つまり客先)で黙っている訳にもいかない。

 ふくらはぎがけいれんするなんてのは、何気に体育会系だった十代のころは日常茶飯事。対応も手慣れたものだったのだが、いかんせん運動不足と加齢で身体がすっかり固くなっている。が、今やけいれんが怖くてジョギングにも腰が引けるというのが実態だ。

 …いかんのぅ。

2013/03/01

SONiKAユーザー向けMegpoid Englishファーストインプレッション

 毒を食らわば皿まで。デモ曲も聞かずにMegpoid English導入しましたよ。

 取り合えず、SONiKAで作った"Fly Me to the Moon"と"Always Look on the Bright Side of Life"をV3 Editorにロードして歌手を変更して再生してみました。ファーストインプレッションをば…

・発声タイミング、Velocityに対する感度がSONiKAと微妙に違う。少し編集しないとダメっぽい。

・10~20kHzあたりの高周波数域が気になる。合成の影響か、ボイスバンク自体がそうなのかは調べてみないとなんとも言えない。まぁ、イコライザで削る分には、元々このあたりの周波数が不足気味のSONiKAのボイスバンクより筋は良いと言えば良い。

・[v][kh I][p][f I]の発音がVelocityなどでかなり印象が変わる。[l0][@r]には違和感あり。SONiKA向けの調整のままだと、[Kh I][f I]は大音響、[p]は逆に小さくて良く聞こえない。"love"、"kiss"とか、良く使う単語に含まれる音なので重要なんだけどね。

 今週末は、"Fly Me to the Moon"で調整にトライ!