今回は紛れも無く爺の戯言。
とある人が自著で「『民族自決の原則』なんて唱えた人がいたもんだから地獄の窯の蓋が開いた」旨の 文章を書いた。それを始めて読んだ私は、成程、と膝を打った。本日100周年を祝っている中国共産党(中共)の中華人民共和国支配がどうしてこんななに続くのか、米国はアフガニスタンをいずれ失うだろうという直観的な未来像、それらの一因を見た気がしたからだ。
どこで読んだか聞いたか忘れたが、「中華の人々(≠中華人民共和国人民)は基本的に秩序を与えてくれる存在を求める」という言葉を記憶している。ここで秩序とは、極端な話で言えば「食えること」、つまり食料品市場に常に(塩を含む)品物が並び、屋台が商売をしていて朝食を食べたり買ったりできる状況を指す。背景には中華の長い歴史、風土とその土地の大きさが挙げられるが、直近では国共内戦の記憶もあるという。国共内戦の時代は流通は麻痺し、食うのにも困った人々が溢れた。故に、「食える状態」を与えてくれる権威的存在は無くてはならないものとなる。それが中共である必然性は全く無いが、逆に中共ではダメな理由も無い。
国共内戦後、中共は支配地域に秩序を与えた。支配地域内の人々の多くはその秩序を受け入れた、或いは受け入れることを自ら決めた。共産主義を嫌ったり、国民党を支持したりと様々な理由で中共の「秩序」を受け入れなかった人々の一部は香港や台湾へ逃げた。今は無き香港九龍城が生まれた一因である。
このような視点に立つと、亡命した元中共エリートが「共産党は張り子の虎であって、時を待たずして自壊する」と語ろうと、その発言は説得力を著しく欠く。ほぼ間違いなく、発言者は「秩序を求めた経験」を持たないか、家族や地域に記憶されている「秩序の渇望」を忘れている(場合によっては、何らかの意図をもってそこに触れない可能性もある。反中共メディアもプロパガンダ機関の一面を持つことを忘れてはいけない)。現在の秩序を受け入れている人々にとっては、一時的であっても現在の秩序が失われるようなことがあるならば、中共の自壊なんぞ望まないだろう。
故に、自壊をも含む中共の崩壊や消滅は、「秩序」を与えてくれる別の存在が明確な状況でなければ、現在の中華の人々には受け入れられないし、求められもしない。歴史的に見れば別の存在たり得るのは侵略民族による王朝や宗教団体なのだが、前者は国民党への浸透、後者は徹底的な弾圧でそれらの台頭の芽を中共は徹底的に潰してきている。中共の抜け目の無さが際立つ点だ。
他方、実のところ堅牢な官僚機構を既に確立した国家は、政変に対する「秩序の維持能力」が高い。ソ連然り、第二次大戦後のドイツ、日本然り、フセイン・イラクの官僚機構を引継いだダーイシュ然り、そして現在の中華人民共和国も然りだ。法輪功弾圧を苛烈にした大きな原因として、個人的には高級中共官僚への急激な普及があったと見るが、そう見る理由は説明不要だろう。ただぺーさんが指導者となってから、次期及び次々期指導層級の高級官僚から優秀な者が腐敗撲滅を名目に多数排除された。これは大きな禍根を残す可能性を秘めている。すなわち、中華人民共和国が人民解放軍もろとも中共から官僚機構のみ奪うようなことがあっても、その官僚機構を動かせる能力を持つ人間は収容所を門を開ければ直ぐに大量に手に入る状況にある。
米国の政治学者の中国観のズレにはやはり宗教が影響している。学者とは言え、自身の信教の世界観からは逃れ得ない。特に米国はプロテスタントどころか、より原理主義的なキリスト教徒も少なくない。これらキリスト教が個人に求めたり、個人が備えているとしているものを、キリスト教徒ですらない中華の人々が有していると期待してはいけない、同じ考え方はしないのだ。むしろ「自由より飯」という価値観の存在を忘れてはいけない。また、「秩序」は常に「今」求められていることも忘れてはならない。大躍進運動による実質的な中共による中華人民共和国人民虐殺は、例え皆が改めて知ることになろうとも「過去の話」でしかない。
かくて私自身は「中共自壊論」には懐疑的であり、それが起きても誰も得をしないようにしか思えない。いや正確には、気軽に「中共滅ぶべし」と言えないということになろうか。
アフガニスタンにも類似の構造を見る。米国介入前のタリバンの勢力拡大の原因をどこに置くかだが、私の考えはやはり「勢力圏内に秩序をもたらした」からだ。 タリバンの勢力圏内ではかなり厳格にイスラム法が適用、運用された。その結果、域内住民の生活には主に禁欲的な方向でかなりの制約が加わったが、同時に犯罪行為は徹底的に摘発、犯罪者にはイスラム法に従った厳罰が加えられた。賄賂は機能しなくなった。結果、域内住民は不合理な金品の支払い要求を含む犯罪行為や性的なものを含む暴力行為におびえる必要がなくなった。これも一種の秩序が与えられた状態ではなかろうか。
現在のアフガニスタンの政体は、部族間対立、宗教宗派間対立を背景に、金や利権も絡んだ勢力争いの常に変化するスナップショットのようなものにしか見えない。国内の「秩序」の担い手として機能していないし、その意思も無い。首都近郊の治安(≒秩序)は米軍が、地方の治安は再び台頭してきたタリバンが担っているのが一見したところの現実だ。故に米軍の撤退後は、タリバンに再び国内全域が支配されるだろうと信じて疑わない。少なくともベターな選択として、住人達がそれを望むだろうからだ。
で、ハマスとファタハの人気の差の原因は? 同じ考えが適用できるように思う。ハマスは兵力はもちろん、官僚機構に基づくコンパクトな地域統治能力を有している。影響下の地域での経済活動や医療活動などを可能とするのだ。だからと言って現時点ではハマス礼賛などできはしない。軍事抵抗組織を起源とするファタハの主な収入は、その初期においては国や王族を含む反イスラエル勢力からの援助資金であることが顕著だった。一方、ファタハの軍事資金の多くは影響地域での経済活動に負う。ファタハは影響化の地域住民に等しく「秩序」を与えるが、それが戦闘で消える費用や命の供給手段でもあることは明確だ。