2015/02/16

イランの超音速戦闘機!

 イランの独自開発だそうですが、ノースロップF-5とスホーイSu-27を微妙に混ぜたような形状です。ステルス性向上策でしょうか、V字型に近い配置の2枚の垂直尾翼が特徴的です。その名もSaeqeh 2 (Thunderbolt 2)!

2015/02/15

DAW Studio One Artist DL版、¥999也。しかし!

 DAWアプリケーション Studio Oneが期間限定でディスカウントとなっている。入門グレードのArtistは¥999と安いが、VSTなどのプラグインが使えない事を思うと余りお勧めできない。むしろ入門者ならば、言わばArtistグレードのフリー版のStudio One Freeを触ってみる事をお勧めする。かく言う私もStudio One Free(Windows 64bit)をダウンロードして少し使ってみた。

 オープンソースなどのフリーで使えるDAWソフトウェアは一通り触ってみたが、正直なところどれも自分のニーズとはマッチしてこなかった。私の主なニーズは
  1. VSTiプラグインとしてソフトシンセサイザが使えること
  2. MIDIデータ入力がめんどくさくないこと 
  3. 安定して動作すること(クラッシュしないこと)
  4. Windows7 64bitで使えること
の4点に過ぎないのだが、それでもなかなかというのが実情だ。

 3点目は開発中のオープンソースアプリでは確かに厳しい条件で、DAWアプリに関しては所謂安定版の登場まで1年くらいまだかかりそうだという感じがする(これは伸び代(藁)。2点目は、多用する機能の操作手順が面倒くさいと結局いじらなくなってしまう事の裏返しだ。例えば同じピアノロール画面上でのMIDIデータ入力でも、Cubase6ではマウスだけでデータ入力できたが、Sonar X1ではマウスを操作しつつCtrlキーも押さなければならなかった。このような「たった一つのキーを押す手間」が実のところ相当うっとおしいし、何故そのキーを押さなければならないのか全く理解できなかった。ほとんどこの一点を持って私はSonarからCubaseに乗り換えたと言って良い。

 DAWアプリも出自は大まかに2系統に分かれる。ひとつはMIDIデータ作成から始まりオーディオ編集機能が統合したもの、もうひとつはハードディスクレコーディングソフトにMIDIデータ入力機能を統合したものである。私のニーズには前者の系統がマッチし易いし、Cubaseなどはその典型であろう。後者はオーディオデータ編集には優れるもののMIDIデータ入力操作が煩雑なものが多い。海外ではFL Studioの人気(シェア)が最近は高い様だが、理由の一つは出自が3つめの系統、すなわち現行のDAWアプリの概念(MIDIデータとオーディオデータをほぼ等価に扱える)或いは所謂カジュアルユーザーのニーズが確立されてからのプロダクトである事も大きいと思う。出自に依存したような操作の煩雑さが無く、操作自体もロジカルで一貫性があると言う事だ。オーディオデータを使う事があっても編集はしないのであれば、renoiseの様にキーボード入力に特化したインターフェースもアリだ(Mod Tackerとして見れば普通ではあるが)。

 さて、Studio One Freeは1点目を除けば私のニーズは満たす。触った限りではなかなか使い易いのではないかとも思うが、操作には独特の癖がある。「やりたい事がはっきりしている場合にアプリを立ち上げた時点でどうすれば良いかが分かる」という点では未だProject 5を越えるアプリに出会った事が無いのだが、残念ながらStudio One Freeの操作も他のDAWを触ったことのない人間には分かりにくいだろう。Cubaseユーザーとしての使用感は、
  • アプリ自体の動作が軽い
  • ピアノロール画面でのMIDIデータ入力はマウスだけでできる。ペイントツールの場合、既に入力済みのデータをクリックするとデータを削除する。
  • オートメーションの入力のためのツール(ペイントツール、直線ツールなど) が充実していて、かつ直観的に使える
  • オーディオデータの切り貼りも動作が軽い
  • トラックへのエフェクトのインサート方法がなかなか分からなかった
と言ったところだ。最後の点はとある領域をダブルクリックすれば良いのだが、せめて専用のボタンでも表示してくれていれば、とも思う。

 とは言いつつも、Studio One FreeはDAW初心者には基本的にお勧めだ。機能としては物足りないかも知れないが、これを触ってみて、かつ「アレもしたい、コレもしたい」とならない様では高いお金を出してまで別のDAWアプリを買うのは馬鹿馬鹿しい。つまり、Studio One Freeを触ってみることで、自分にとってDAWが必要かどうかという点が結構明確になるんじゃないかと思う。

 なお、Studio One Free単体では音が出ない(音源としてバーチャル・インストゥメントのPresenceが添付されているが、データが含まれていない)ので、フリーの拡張コンテンツを本体インストール後に別途追加インストールする必要がある。追加コンテンツのインストールは簡単で、Studio One Free起動後に「メニュー=>Studio One=>Studio One インストール...」を選べば専用のウィンドウが開き、ダウンロードからインストールまでがワンストップで実行できる。「PreSonusユーザーアカウントからコンテンツをインストール」を選ぼう。

日本から最も遠い国

 日韓通貨スワップ協定の期限切れが約1週間後の2/23に迫って来た。FNNや朝日新聞の報道によると、韓国はスワップ上限額のアップと期限延長を申し込んできたが、日本政府はスワップ自体を延長しない(終了する)方針だと言う。是非その方向でお願いしたい。韓国総体とはあまりに価値観が違いすぎる、十分「価値観外交」の埒外だ。韓国に進出した日系企業の決済対策?知らんがな。ただ韓国の外貨準備高も十分らしいし(棒、円と元は直接取引が可能だから上手くやって頂戴。とにかくウォンは要らんです。

 この報を聞いてちょっと思い出したのが、会社の喫煙所での馬鹿話における結論。

 日本に最も近い国は? → ロシア(北方領土)。
 日本から最も遠い国は? →  韓国、なんと言ってもほぼ地球一周分離れている。

もう、こんな距離感で良いんじゃないですか。

2015/02/14

テレビ東京「永遠の0」第2回、雑感。

 まだ全3回の2回め、かつながら観だからは内容には触れない。ただ、映像作品として見た場合に気になった一点については触れておきたい。

 全3回でほぼ6時間だから冗長となるのは致し方ない、何と言っても原作を読むに要する時間の倍以上あるからだ。冗長であること自体は全く問題ない。が、冗長故にシーンの力強さ、一連のカット群が観るに耐えられるかがどうしても試される。全てのシーンが力強ければ、例え「冗長」であっても「丁寧に作られている」という印象が強くなる筈だ。

 CGカットはセンスが良い。まずライティングが抜群に上手く、次いでCGが明らかに苦手とするカットや素材にはおそらく意図的かつ徹底してCGを使っていないと思う。単独で見れば寂しいカットもあるが、結局のところシーンとして捉えればそつがないと言って良い。

 となるとシーンの力強さの有無は演者に負うところがどうしても大とならざるを得ない。つまり、演者の格の違いみたいなものが如実にシーンの力強さに現れてしまうという事だ。少なくとも第2回に関しては、登場する演者によってシーンの力強さや説得力があまりにまちまちだ。とても観ていられない時間域と思わずやってる作業の手を止めて見入ってしまう時間域とのシーンの出来の落差が物凄く大きいのだ。これは映像作品にとってはとても残念なことだ。

2015/02/12

殲十出撃!

 殲十、或いはJ-10は中共人民解放軍の主力戦闘機。デザインの類似性から、イスラエルが一時期開発していた軽量戦闘機「ラビ」の技術が入っているのでは、と良く言われます。ちなみに「ラビ」は米国の圧力などもあり敢え無く開発中止、代替として米国からF-16シリーズが導入されます。その後のイスラエルにおけるF-16の進化、魔改造ぶりはけっこう凄く、オリジナルに取り込まれた技術すらある程。

 さて、エントリタイトルの「殲十出撃」は人民解放軍(赤い星に八一ですな)が製作した映画。色々と突っ込みどころはあるのですが、相当暇な人だけ観て下さいな。っつーかCGじゃなくてもっと実機の映像使えば良いのにね。

2015/02/09

お花畑ジャーナリスト vs 一部マスコミ vs 小学二年生:アフターサーヴィス


 さて、過去のエントリで某ジャーナリストが小学二年生未満の思考しかできていない事に触れたが、多くのジャーナリストに同じフラグが豪快に立ちまくっている様だ。

 今回の旅券返納は、旅券法19条の規定「旅券の名義人の生命、身体又は財産の保護のために渡航を中止させる必要があると認められる場合」に基づくものだ。一方で、日本国憲法では22条で「海外渡航の自由」を保障しており、上記の規定による返納命令は史上初、異例中の異例といえる。

杉本さんの「渡航宣言」を掲載していた朝日新聞は、いち早く8日付朝刊の1面でこの問題を報じ、「踏み込んだ対応は論議も呼びそうだ」との見解を示した。同日の「報道ステーションSUNDAY」(テレビ朝日系)でも、ジャーナリストの後藤謙次さんが、「渡航の自由を超えた『報道の自由』への配慮が、政府はどこまであったのかな、とそこが非常に気になりますね」と疑問を呈している。

ツイッターでは、ジャーナリストの常岡浩介さんが、「憲法の自由権への直接制限ですから、ジャーナリストだけでなく、全国民、全人類への挑戦です」「今では中国にすら移動の自由があるが、日本はイスラム国への恐怖に駆られて9条以外の憲法も自主的に放棄し、北朝鮮並の不自由国になるのね。これこそ、テロへの屈服だよねえ」と激しい言葉で批判している。また、アジアプレス大阪オフィス代表の石丸次郎さんも、「恐れていた事態。このような取材者に対する強権発動は絶対に許されない」とツイートするなど、報道に携わる人々を中心に、反対の声が強い。
 「今では中国にすら移動の自由がある」とか、サクッと嘘をついてはいけない(私の情報ソースは知り合いの中共人民の一人、もちろん現役)。それにarterna の記事「岩上安身氏らが声明『自粛という名の翼賛体制に抗する』」。
ISILによる邦人人質殺害事件後、現政権の施策を批判することを自粛する動きを懸念し、ジャーナリストで市民グループ「国民投票/住民投票」情報室・事務局長を務める今井一氏は、「翼賛体制構築に抗する」という声明を発表した。この声明には、岩上安身氏、香山リカ氏、坂本龍一氏ら約1000人のジャーナリスト、表現者などが賛同している。9日に記者会見を開き、正式に発表する予定だ。(オルタナ副編集長=吉田広子)

「私たちは、『ISIL』と称する組織・集団による卑劣極まりない邦人人質惨殺事件を強く非難し、抗議するものである。また、この憎しみと暴力の連鎖の帰結として起きた事件が、さらなる憎しみや暴力の引き金となることを恐れている。同時に、事件発生以来、現政権の施策・行動を批判することを自粛する空気が国会議員、マスメディアから日本社会までをも支配しつつあることに、重大な危惧を憶えざるを得ない」(声明文(案)から)

 同声明では、自粛が広がることで、戦時と同じように「物言えぬ空気」がつくられることを危惧し、「表現の自由」を訴えている。 今井氏は、「テレビ番組のキャスター、コメンテーターをはじめ、作家、映画監督、俳優など、言論・表現に携わる人々すべてに、『誰が、どの党が政権を握っていようが、政権への批判や異議申し立てを自粛するようなことをしてはならない』」という考えから、今回の声明を発表するに至った。

記者会見は9日、参議院議員会館で行われる。
自由過ぎるよ皆。「翼賛体制」とか思考停止具合、ピントの外れ具合が酷いよね。

 ネット上の意見で笑っちゃったのは、「あれだけ『湯川さんや後藤さんを殺したのは安倍(首相)だ』って繰り返せば、そりゃシリアへの渡航を国が許す訳無いじゃないですか」と言うもの、ああいう人達は至極何時もの通りということですか。例えば安保闘争の敗因は私の目からみれば完全に「戦略の欠如」「勝つ気無し」、そういう近視眼的にわーわーを繰り返すだけという有様は半世紀経っても変わらないんだなぁ・・・と言うか、本当に目的があって、かつ戦略のある人間はこんなやり方を最初っから採らないということなんだろうね。

2015/02/08

/plog/ CHIPSPEECHのテスト!

 以前のエントリで触れた"CHIPSPEECH"を試そうと言う事で、何の迷いも無く映画「攻殻機動隊」のオープニング曲、"Making of Cyborg"を演らせてみた。まずはボーカロイドでは落とし所が難しいネタだ。

 "CHIPSPEECH"は理由は分からないけれど「ひらがなによる歌詞入力」にも対応しているので、1時間もかからずにヴォーカル?トラックは出来た。歌詞入力にはコンピュータ向け発音記号体系であるX-SAMPAも使えるが、マニュアルを読む限りは全ての発音をカバーしている訳では無さそうだ。少なくともドイツ語などのゲルマン系ヨーロッパ言語で特徴的な音は残念ながら使えない。

 バックトラックはソフトドラムマシン"SPARK2"と"CHIPSPEECH"で2時間程で組んでみたもの、今回はヴォーカルのメロディーともに鍵盤からリアルタイム入力したMIDIデータを編集というスタイルを採ったが、やっぱり私は演奏者としては並み以下どころか駄目駄目ですわ。

 吾(あ)が舞えば 麗(くわ)し女(め) 酔ひにけり~

お花畑ジャーナリスト vs 一部マスコミ vs 小学二年生

 実際のところは分からないので「自称」を付けさせていただくが、ISIL支配地域への渡航を計画していた某自称ジャーナリストのパスポートを国が取り上げたとの報道があった。報道によれば自称ジャーナリストは「表現・報道・取材などの自由を侵害された」と述べたと言う。

 某報道番組では朝日新聞の人間などが「日本国民の生命の保護と日本国民の様々な自由との間」に何か対立でもがあるかのようなに偉そうにしゃべっているが、これは笑止だ。

 では、小学二年生時の私のクラスメート、そして一人の先生に登場してもらおう。そこまでの経緯は省略するが、社会の時間にクラス内でちょっとした議論が起きた。
職業選択の自由があるなら、泥棒も職業ではないか。なぜ、職業とは認められないのか
所詮小学生だから議論は空回りする。偉いのは先生で、15分程の間は生徒の議論に一切口を挟まなかった。そんな中、クラスでもキレ者だった某友人の発言によって議論が動いた。
自由は無制限じゃない。何か制限がある筈だ
そこで先生が議論が始まって初めて口を開いた。
その制限とはどういうものか、皆で考えてみましょう
さらに議論は10分程続き、クラス内で大枠の認識は一致した。すなわち、
他人に迷惑をかける行為は、自由にやって良い行為には含まれない。自由は他人に迷惑をかけない限りにおいてのみ、保証される
 小学二年生の議論としては上等だったと思う。最後に再び先生が口を開いた。
少し難しいですが、「公共の福祉」という考え方があります。他者に迷惑をかけることは「公共の福祉」に反する行為と見做されます。ですから泥棒と言う行為は「公共の福祉」に反しているので、警察に捕まれば自由に街中を歩く事も食べたい物を食べる事も自由に便所に行く事もできなくなります。つまり日本国民であっても泥棒の自由は制限されることになるということですね。
職業というのは回り回って自分や他人を幸せにするものでなければなりません。他人を幸せにするという行為は「公共の福祉」に合致します。対して泥棒と言う行為は他人を不幸にするので、「公共の福祉」という考えからは職業と見做されないのです。
詳しくは中学生になってからまた勉強することになるでしょう。
 まさに目からウロコだった。それから約5年後、多少世の中の仕組みを分かり出した私の耳にこの先生がかつて左派学生運動の闘士だったという話が聞こえてきた。60年安保闘争などの学生運動にからむ本は既に読んでいたし、当時の左派思想も表層的には知っていたから意外な感じはしなかった。「警察に捕まれば云々」のくだりは、案外自分の経験を踏まえての発言だったのかもしれない。

 さて、自称ジャーナリストの「表現・報道・取材などの自由を侵害された」との発言が日本という法治国家においては自分勝手な言いがかりに過ぎないという点は、小学二年生時点の私ですら論破できる。後藤健二氏はその辺りの機微をかなり理解していた節があるので某自称ジャーナリストの∞倍マシな可能性が高い。「自己責任」という表現はかつて首相も務めた某「ワンフレーズ政治家」の一種の負の遺産なので余り好きではないのだが、極めて本質的であるが故に捨て難いのが実態だ。ここでの「自己責任」とは、「公共の福祉」からの逸脱、裏を返せば国が当人の自由を保証できなくなった状態を指す事と考えても良い。ただし実体は、当人も含めて誰も当人の生き死にに責任が持てないという、もう迷惑千判も甚だしい状態なのだが。

 「行使した自由の結果の責任をまだ自らが取れる余地がある状態」はまだ良い。責任から逃げ続ける先には究極的にはまさに「自己責任」しか残されないのだよ、某新聞さん。

 ISILに拘束されたり殺されたりするのは勝手だが、それなら「公共の福祉」に則って生活している日本人の税金を使う事態を招いたり、 「公共の福祉」に則って生活している日本人をISILに「敵」認定させたり、或いは 「公共の福祉」に則って生活している日本人が国際社会で肩身の狭い思いをする事態を招いたりする可能性を皆無としてから「あなたの言う自由とやら」を行使して頂きたい。要は、小学二年生でも分かり得る事を理解していない低レベルの頭の中がお花畑状態だから、あなたのパスポートは取り上げられ、 「公共の福祉」に則って生活している日本人なら謳歌できる自由の一部が停止されたに過ぎないということだ。「馬鹿」や「××」の一言で片づけないのはせめてもの慈悲である。

 テレ朝も酷いものである。未だにISILのプロパガンダ映像を挟んだ映像を平気で流している。カナダ、フランス、米国在住の知人によれば、それらの国のテレビ放送の状況からみると「ISILのプロパガンダ映像を一部とは言え公共の電波に乗せることは今や異常」ということである。これは非常に単純な話で、これらの行為が「公共の福祉」に反するとのコンセンサスが既にあり、かつ、そのような行為が「テロ支援」として規制、立件の対象となる法律も一部の国では既に存在するからである。世界標準、少なくとも欧米の標準に照らすならば、幾ら声高に「報道の自由」を叫ぼうとも「ISILのプロパガンダ映像」を放送するテレビ局は「公共の福祉」に反しているが故に「報道の自由」は制限されても仕方がない。それを直接規制、立件する法律が無い事を良い事にやりたい放題、とも見える点には注意しておいた方が良いと思う。

 「両論併記」とか戯言を抜かすなら、ヨルダン側の映像だって電波に乗せるべきだ。落ちてきた爆弾が女性整備士によって取り付けられていたり、メッセージが女性に記載されていたりした場合、その爆弾で死んだISILメンバーは天国に行けるのだろうか?彼らは女性に殺されたとは言えないか?映像に込められたメッセージは、「ムアーズ・アル-カサースベ中尉は殉教者である」を越えて実は更に強烈なものではないか?

 王立ヨルダン空軍 オペレーション・殉教者ムアーズ
 欧米の大部分やイスラム圏の行動原理は時に一般的な日本人ではついて行けないぐらい二分法的である。つまり、やる時は徹底的にやる。 現行の日本の政権はその機微が分かっていると見做されているから、対ISIL有志連合からの目に見える圧力は受けていないというのが願望も含んだ私個人の現状分析だ。別な言い方をすると、現行の日本の政権は有志連合が「やるぞ」と言えば自国内でもやる用意が既に出来ているか、有志連合へポジティブリスト(やって良い事のリスト)を提示済み、或いは提示時期が既に明確化されているということだ。

 あくまで思考実験だが、今後ISILの問題がより重大化した場合、究極的には「報道の自由」の一部が国際的な枠組みの中で制限される可能性もある。となれば、米空軍機や王立ヨルダン空軍機から投下された精密誘導爆弾が日本の報道機関を直撃する事は、「日本のそれも含む国際的な公共の福祉、利益」に照らしては正当となり得る。標的はテロ支援組織、或いは報復の対象に過ぎず、日本にも 「公共の福祉」に則って生活している日本人にもその組織を保護する責任も義務も無いからである。より厳密には、その組織が自らをそういう状態、すなわち「自己責任の状態」に置く事を選んだからである。これは「言論封殺」でも「言論統制」でも「正義や悪」でも無く、「公共の福祉に照らして保護すべき対象かどうか」という問題なのである。

 こういう事を書いたり言ったりすると、「じゃあ、アル・ジャジーラは?」とかピントの外れた事を言い出す人達がいる。アル・ジャジーラに何故人気があるのか、評価されているのかの一つのポイントは「不偏不党、公正・中立を掲げ、イスラムの教えの枠内でそれらを徹底している姿勢」にある。この姿勢を続ける限り、アル・ジャジーラは公共の福祉に照らしても報道機関であり続け、如何なる勢力からも殲滅対象とはなり得ないのである。

 繰り返す、これは小学二年生でも分かる事なのだ。

2015/02/07

帰って来た、一回は観とけ!

 不勉強で汗顔の至り、本作については何も知らなかった。

 ひょんなことからアニメ劇場版「鉄人28号 白昼の残月(2007)」を観る。もっと評価されて良い作品だと素直に思う。監督は今川泰宏氏。

 同氏監督のOVA「ジャイアントロボ THE ANIMATION -地球が静止する日」では一種独特のケレン味が多少鼻についたが、本作ではそれが作品全体を上手く引き締める味になっていると感じた。同時に、氏のケレン味は実は当人の映画鑑賞歴も関係していて、かつかなりの数の映画を観てきたのではないか、とも思った。

 ここで言うケレン味とは、「見せ方を工夫することで、一切の余分な説明を排して何かを観客に理解させる」演出法を指す。例えば、特撮ヒーローが必殺技を決めるシーンを「物理法則とか科学的説明とかは一切すっ飛ばして、なんか凄そうに見える『画』」で演出するといった具合の話だ。 一時期流行った「トンデモ本」の内容は、概してこの種のケレン味あふれた演出内容を「荒唐無稽と問答無用に捉えた上で、演出を優先してすっ飛ばした、或いは誤魔化した内容」を白日の下にさらしたものと言って良い様に思う。「いい大人」が「納得づく」でやったことを「いい大人」が「納得づく」でいじるという、構造自体は面白いが中身には当然ながら意味がない。

 が、ケレン味あふれる演出が常にトンデモかと言うと当然そうではない。ここでの「ケレン味あふれる演出」の一つの効能は、「一瞬で視聴者に作り手側が伝えたいことを理解させる」ことにある。映画というのは、実質1時間半~2時間で物語の最初から終わりまでを最低限語らなければならないし、その時間内で視聴者をドキドキさせたり感動させたりと大変だ。となれば、ここぞと言うところで「一瞬で視聴者に何かを理解してもらい、それまでの映画の展開で心に積った疑問など一切のもやもやしたものを解消する」という大技を決めることができれば、映画全体が締まったものとできる。

 本作では物語の転換点に複数の小さなケレンを仕込み、謎解きのそのまさに直前に最大のケレンを仕掛け、そのケレンを生かしつつ物語を終焉に導く。映画の最初と最後は途中のケレンを一切排しても理解できる。作品が語る物語は、映画の最初と最後の間に挟まれた「一人の少年の成長のための通過儀礼」とでも位置づけられる内容だ。本作におけるケレンの数々はすべて映画、作品自体に奉仕している。娯楽作品で有る以上様々な要素を盛り込まなければならないが、上映時間には制限がある。故に「多くて3カット、セリフ多くて3つ、音楽一曲」で具体化した「画」で視聴者を納得させるケレンは、上映時間と娯楽要素と物語を全て過不足無く成立させるための技術、ひとつの武器なのである。今川氏の映画鑑賞歴が気になったのは、このような映画製作における一種のツボみたいなものが本作にはある、と感じたからであろう。映画の教科書は映画なのだ。

 最初の楽曲が流れ出してから10秒程度で確信した通り、音楽のクレジットは伊福部昭氏であった。ただし新作ではなく、氏の既存の作品からチョイスしてきたものの様だ。 ゴジラ映画などの関係もあって伊福部氏の楽曲は勇壮なものの方が良く知られているが、陰鬱ではないもののメランコリックな曲調の楽曲も多い。本作では特に後者にあたる楽曲のチョイスにまず唸らされるとともに、弦の音の処理、或いは録音方法に明確に意図的なものを感じた。そもそもヴァイオリンなどの弦楽器は弓の凹凸で弦を弾いているので、弦からの音はノイズとして弾かれた瞬間の音を含み、かつそれに続く弦振動由来の音よりも大きな音となることがある。本作の楽曲での弦楽器の音では件のノイズが明らかに抑えられており、「微かに聞こえる弦の音」が実現されている。ノイズを含む音では、ノイズレベルに合わせて弦の音の音量を下げるとノイズしか聞こえなくなってしまう。「微かに聞こえる弦の音」が実現は、使用した伊福部氏の楽曲の魅力を引き出すことはあっても損ねるものではない。正直、OSTが欲しくなった。

 鉄人28号自体をある程度は知っているなら絶対お勧め、極めて映画的な一本だ。

インターネットによる知恵?の拡散

 知恵、と言うかネタの拡散でも良い。インターネットを介しての情報収集と咀嚼はいわば他者の視点の獲得という側面を持ち、多様性においては既存マスコミは足元にも及ばない。
I'm Kenji, not Abe.
既存マスコミを介せば、この表現には
私は(後藤)健二だ、安倍(総理)ではない
以外の意味付けが与えられることは無いだろうし、至極当たり前の解釈だろう。ただし、何故安倍総理の名前がこのコンテクスト(文脈、経緯)で出てくるのかは私には全く理解できない。誰がとは言わないが、おそらく良くて馬鹿、悪くて大馬鹿或いは大馬鹿未満のアレなのだろう。 

 さて、ネットをうろついていて久しぶりに唸ったのが、上記の表現の別視点からの解釈だ。「当たり前を当たり前としないこと」が出来る人間の存在は、まさに生きていく上での刺激源の存在と言える。
私は健二だ、アブラハム(エイブラハム)ではない
繰り返すが、この解釈には思わず唸った。Abeはアブラハム(Abraham)の通称として一般的なものなのだ。

 アブラハム中のアブラハムと言えば、「ユダヤ教・キリスト教・イスラム教を信じるいわゆる聖典の民の始祖、最初の預言者」、「信仰の父」と呼ばれるあのアブラハムしかいない。上記の表現は、現行の日本の政権や後藤氏について知識のない人には、「ユダヤ教・キリスト教・イスラム教の否定」と解釈されても全く驚かない。

 いやはや、なんとも恐ろしい事で。なお湯川氏、後藤氏の事案に対しては個人的に
Abe is right.
"You are wrong."という英語表現の意味のどぎつさを思えば、これはかなり強い表現だ。「アベが正しい」と言った日本語訳は明らかに間違いで、「アベがいてくれて良かった、アベで良かった、アベはアベで良い」という方がニュアンスとしては近い。日本語における「君は間違っている」は「君の理解、考えなどは間違っている」とのニュアンスだが、英語においては相手の全否定となる。

 もちろん、「アベは右翼」なんて日本語訳は論理的に完全にあり得ない、あり得ないよ。