2013/11/27

SynthMasterの買い方

2014/11/29追記:
 昨日確認したところ、Synthmasterの購入にクレジットカードが使えるようになっていました。


 当ブログの検索ログを眺めていると、「SynthMaster 買い方」という検索ワードがあった。その時には意味が分からなかったのだが、今日拡張サウンドバンクを購入した際に「もしや…」と思った点があったので書いておこうと思う。

 ちなみにこれを書いている時点で、SynthMasterの拡張サウンドバンクはサンクス・ギビング・キャンペーン中ということで50%OFFで購入できる。私は既にSynthMasterユーザーなので結構な額のクレジット(クーポン)が使え、通常は$90相当のプリセットバンクを$8.80で購入できた。まぁ、キャンペーンと銘打ってはいるものの、実態は年内に売り上げを積み増ししようということなのだろう。大抵の欧米企業の会計年度は1~12月だから、欧米企業相手に値切り交渉をするなら11~12月上旬に限る。

  さて、SynthMasterは開発元のkv331audioのサイトからダウンロード購入できる。が、購入前に以下の点に留意が必要だ。
  • 言語は英語しか用意されていない。
  • 実はPayPalアカウントが必要(少なくとも私が購入した時点では)。
  • PayPalアカウントを日本で取得するにはクレジットカードが必要。
  • PayPalは日本語で利用できる。
kv331audioのサイトにはMasterやVISAのクレジットカードが使えそうな表示があるが、クレジットカード決済をしようとすると「そのクレジットカードでPayPalアカウントを取得してね」とやんわりとPayPalサイトに誘導される。kv331audioのサイトに行く前にPayPalアカウントが取得しておくのが吉だ。

 もう分かると思うけど、自分で使えるPayPalアカウントが無く、かつクレジットカードも持っていないと、その時点でSynthMaster購入は不可能、ジ・エンドとなる可能性がある。

 さて、PayPalアカウントを準備したら、kv331audioのサイトに行こう。購入ページにはヘッダー下端の「purchase」をクリックすると行ける。SynthMaster本体を購入する場合は左側の「Notes」をちゃんと読もう。初心者ならば、シンセ本体に150音の拡張サウンドバンクを選択してバンドルできる「Standard」をお勧めする。

 SynthMaster本体やプリセットバンクをカートに入れるには、右側の「Add to Cart?」のチェックボックスをチェックする。「Standard」を選んだ場合、50音のサウンドバンクを3つとか、とにかく合計で150音色となるように幾つかのサウンドバンクのチェックボックスをチェックすれば良い。

 で決済だが、実はここがちょっと分かりにくい。

 いわゆる「カートの中身の確認」のページはなく、ページ右下端のMaster、VISAまたはPayPalのロゴをいきなりクリックするのだ。

 PayPalアカウントを取得済みなら、迷わずPayPalのロゴをクリックしよう、カートの中身とともにPayPalのログイン画面が表示される。VISAは分からないが、Masterをクリックした場合はPayPalサイトにアカウント作成のために誘導される。PayPalアカウントを取得すれば、そのまま購入手続きに入れる。

 PayPalにログインすることで決済を了承すると、kv331audioの購入内容確認ページ(「カートの中身を確認」相当のページ)が表示される。ここで問題なければページ内のボタンを押す。これで決済処理は完了となり、購入した製品のダウンロードデータへのリンク一覧ページへ自動的にジャンプする。購入品のリンクをクリックすると、リンク一覧ページに表示されているシリアル・ナンバーと自分のEメールアドレスの入力が求められる。これらを入力して購入製品毎にデータをダウンロードしよう。

 なお、シリアル・ナンバーはユーザーのEメールアドレスと対応させられており、ダウンロード時のみに必要で全製品で共通だ。シリアル・ナンバーは「user area」でいつでも確認できる。

 以上、参考になれば幸いだ。

2013/11/25

Karplus-Strong String SynthesisをREAKTOR5で試す:Q

 Karplus?Strong String Synthesisの原理を理解し、プリミティブなものとは言えREAKTOR5上に実装したものの、何か心の隅に引っかかるものが…

 「これ、どこかで見たことあるよなぁ…」

 あはは、Native Instruments社のPRISMがまさにそうでした。

2013/11/24

Karplus-Strong String SynthesisをREAKTOR5で試す(その2)

 Karplus-Strong String SynthesisのREAKTOR5上での実装だが、先のエントリの時点では音程(ピッチ)の変更を実装していなかった。今朝は車のディーラーに約束の時間の15分程前に到着してしまったので、近所の公園内をふらふらしながら10分程考えたところ、原理やら音程の設定方法やらその他諸々が一気に分かってしまった。という訳で、帰宅そうそうに音程制御などを実装してみた。原理が分かってしまうともはや魔法や不思議はなくなるが、数式を紙に書き出すまでもなく実装できるシンプルさにはやはり舌を巻く。

 音色の制御に関わるパラメータは基本的に閉ループ内のローパスフィルターのカットオフ周波数だけというシンプルさ。ただし、そのままだとアタックが強いので、最終的な出力は現時点では別のローパスフィルターでなまらせている。ギターっぽい音なんかはすぐ作れて、我ながら割と良い感じ。今回はポリフォニックで処理したけど、実際のギターシミュレーションでは弦1本当たりに1つのモノフォニック音源を割り当ててミュートなども模擬すべきなのだろう。「6つのモノフォニック音源+Tab入力+α」という感じだろうか。


 こんなもの作って何の役に立つのかというと、必要最小限の要素でシンセを組むことでCPU負荷が激減できることが挙げられる。リアルタイム処理であるDAWにあっては、欲しい音が手に入るならCPU負荷は小さい方が良い。Z3TA+2をロードした場合のCPU負荷は最低5%、今回の実装では最高で1.5%だ。この差は大きい。

2013/11/23

フィアット「ツインエアエンジン」ファーストインプレッション

 ついに愛車乗り換え、本日午前中にディーラーで車を受け取った。新しい愛車のエンジンは通称「ツインエア」、ターボ付空冷2気筒エンジンである。排気量は900cc以下で、自動車の排気量に対して税率が決まる国では魅力的な選択肢かと思う。

 「ツインエア」エンジンについては否定的な評価も国内には多い、曰く「低エンジン回転時の音や振動が不快、車酔いする」といったものだ。

 主観だが、この意見は100%正しい。

 エンジン回転数が1500回転以下で発生する低周波音は、長時間さらされると体調を崩す人がいても驚かない。10Hz以下の音を人間は聴覚的には認識できないが、音自体はストレス要因となるという。個人的に発電用風車の近くには住みたくないと思っているのには、そんなところに原因がある。

 ただ、エンジン回転数を常に1500回転より高めとしておけば、基本的に低周波音とは無縁だ。停車時はアイドリングストップ機能によってエンジンは回らない。トルクバンド下限は1300回転ぐらいにあるから燃費向上の観点からはこの辺りの回転数を使いたいのが人情だが、やはり1500回転以下は使わないのが吉かと思う。

 その辺はフィアット社も分かっているようで、デュアロジック(クラッチペダルレス・マニュアル・トランスミッションとか2ペダル・マニュアル・トランスミッションとか呼ばれる)をオートマチックモードにしておくと1500回転より下はほぼ使わない。そのせいなのか、回転数を高めに維持しようとしているのだろうか、3速になかなか上がらず2速での加速力が突出して大きい味付けになっている。ちなみにニュー・パンダでは3速が使用回転数域が広くて重宝した。

 旧愛車ニュー・パンダのエンジンであるFIREは、設計も十分にこなれた優等生エンジンだった。幸か不幸か非力(イタリアではエンジン出力によって税率が決まるのがひとつの要因かと思う)故に、周囲の車の流れに合わせるには必要な時にトルクが得られるように「考えた運転」が要求された。新愛車では別の「考えた運転」が要求されているのだなと思う。そこが楽しめれば、これはこれで良い買物だったと言えるようになるだろう。

 なんとも癖のある車を買ってしまったものだ。

 なお、今日は高速、基幹国道、田舎道を約100km走破したが、燃費はざっくり18km/?だった。高速では少しとばしてもみたので、今後はもうちょっと燃費が上がるんじゃないかと期待している。さて…

2013/11/22

Karplustrong-String SynthesisをREAKTOR5で試す

 Karplus-Strong String Synthesisは「物理モデリング」に分類される弦楽器の音声合成(シンセシス)手法だ。Wikipediaの記事中の図を見て、ほぼそのままREAKTOR5で組んでみたら、これが予想以上に良い音が出てびっくり。

(Wikipediaから転載)

 合成に必要な最小要素はノイズ源、ローパスフィルター、ディレイのたった3つだ。下図を見れば分かる人はすぐ分かる、音は基本的にフィルター⇒ディレイ⇒フィルター…という無限ループで生成される。ノイズ源は一瞬だけノイズを発生するだけでいい。

 REAKTOR5上ではフィルターの下流側にレベル(音量調整)を設けた。ノイズ源のデフォルト設定はアタックが1ms、ホールドが10ms、ディケイが1ms、サスティンは0%、またディレイタイムはホールドと同じ10msだ。ノイズがパルス状に10msだけループに供給されるこの設定だと金属弦をつま弾いたような音が生成される。フィルター下流(図の+の上流)のレベルを下げていくと音量の減衰が早くなり、ノイズのアタック(音量の立ちあがり時間)を大きくしていくと弦を弓で擦ったような音に変わっていく。まぁ聞いて頂戴、5分もあれば組めるたったこれだけの構成でなんとも豊潤な音が生成されるのはちょっとした驚異だ。
 本当はREAKTOR5のアンサンブルファイルを上げても良いんだけど、少なくとも米国では本手法は特許化されているのでやめておきます。

2013/11/17

みなとちゃんこまったなー

 那珂湊はひたちなか市の一部で、茨城県の県庁所在地である水戸市や、アクアワールド(水族館)があったり「ガルパンの聖地」のひとつと聞いてたりする大洗町に隣接する「ちょっとおしい」ロケーションにある。

 「みなとちゃん」というのは、女子高生が考案したという那珂湊のPRマスコットだ。

 本格始動はこれからのようだが、すでにYoutubeに「みなとちゃんこまったなー 」なる楽曲も上がっている。着ぐるみの造形は個人的には微妙な感じ、要は子ども受けするかどうか分からない、というところなのだが、如何にも緩い線で書かれた2Dキャラは個人的には十分に「アリ」感が漂うもの。ただし、「ご当地ゆるキャラ」の枠組みからは、デザインとしての筋の良さ故に良くも悪くもはみ出ている気がする。きっと2D押しが正解で、「みんなのうた」とか目指してくんないか。NHK側でもそういう枠を設けてくれないかな。

 ちなみに「みなとちゃん」が持っているのは「干しイモ」、「こまったなー」が口癖のサツマイモの妖精だそうだ。

 なお、「みなとちゃんこまったなー」は私の昔の口癖です。

2013/11/13

ヘンリー・マンシーニのメロディには抗えない

 先の日曜日にイタリア映画「ひまわり」がBS11で放映された。最後に観たのはいい加減子どものころだったので、真面目に一度は観てみるかとばかりにチャンネルを合わせた。音楽はヘンリー・マンシーニだ。

 モーリス・ジャールと並んで、マンシーニの楽曲にはお気に入りが多い。例えばこれ。

 もうたまらんですよ。さらにこれ、映画自体は「トンデモ」でしたけどね。

 そして「ひまわり」。

 宮川泰さんの宇宙戦艦ヤマトの楽曲群とも一脈通じるところがあるような…単に楽器編成が似てるとか、そんなレベルのお話ではないと思います。

2013/11/12

YoutubeでKraftwerk Live at the Latitude festival Southwold (UK) - 20 July 2013

 Youtubeとは有難いもので、BBC Radio 6で放送されたと思しきライブ音源に触れることが出来たりする。今日視聴したのは"Kraftwerk Live at the Latitude festival Southwold (UK) - 20 July 2013"。

 Kraftwerkのメジャーデビューは私が小学生のころ、マンガ「すすめ!パイレーツ」でアルバム「人間解体」のジャケットがネタにされていたりして、音よりも名前を覚える方が早かったという稀有なパターン。実際にきっちり聞くようになったのは大学に入学してからで、それでもCD普及以前という古い話、いやはや。

 で、視聴して気になったのが、「ここ2、3年、Kraftwarkの音のエッジ感が急激にが失われてきたのではないか?」ということ、往年のベンチャーズの演奏が「安心感はあるけどつまらなくなった」のと似たような感じだ。まぁ、さすがに年齢も考えるとそれも致し方ないのかもしれない。

 かつて立花ハジメは自らのパフォーマンスを「これが、ノンプロだ!」と表現した。ここで「ノンプロ」とは「ノン・プロフェッショナル」ではなく、「ノン・プログラムド」を意味する。つまり、「事前に用意した演奏データなんか使わないよ」ということで、「プログラムド」なパフォーマンスとの決別を宣言したものだ。

 Kraftwerkと「ノンプロ」との組み合わせは有り得ないのか?なんかそれぐらいやらないと、かつてのKraftwerkが持っていたポップさは取り戻せないかもしれない気がする。伝聞なので本当かどうかは分からないが、Kraftwerkはライブで観客に改造電卓コントローラーを渡して演奏させたことがあるという。もし本当なら、「Kraftwerkと『ノンプロ』との組み合わせ」はかつては存在したということになるんだよね…。

2013/11/11

MS IE ってば

 個人的にはさっぱり使わなくなったMS Internet Explorer。Windows8用新バージョン登場に合わせてのローンチキャンペーンの一環でしょうか。後半はパロディと解釈すべきなのでしょうか?なんか、前半の描写から想像した世界観と後半のコスチュームとのギャップが凄すぎて吹き出してしまいました。「つづく」んですけどね、先が全然気にならないというのもなんとも。

なんちゃって考現学

 サッカー日本代表をどうしても応援してしまう。サポーターの熱狂を一種のナショナリズムの発露と見る向きもあるが、私自身はそうは思わない。

 現在の日本社会は良くも悪くもナショナリズムとは一線を画している。教育の為せる業か、或いは日本人自体が元来ナショナリズムとは縁遠いのか。海上にしか国境を持たず、大和朝廷の成立以降は民族単位の大きな内戦を経験していないことも思うと、強烈なナショナリズムを内部に育む因子に欠ける気がする。

 「『ネ申○○○』といった表現は一種の『思考停止状態の表明』である」といった趣旨の文章を書いた人がいた。私自身もこの考えを支持するが、これを単純にネガティブにとらえることには反対だ。これは表現が違うだけで、日本人の心情には従来よりフィットするものだ。

 さて、大風呂敷を広げよう。

 私の子ども時代には「皇室アルバム」なるTV番組が放送されていた。皇室の1週間の動向を紹介する番組で、おそらく年配者、女性層を中心に視聴者数も多かったと思われる。私自身の皇室との距離感は適した言葉が見つからない。ただはっきり言えることは、かの震災以降により顕著に感じられるようになった通り、「皇室が国民に寄りそう」とでも表現できる状態を非常に好ましく思っている。いや、「有難いこと」だと思っていると言った方がより正確だろううし、広い意味で「皇室を愛している」と言っても良いだろう。私は「皇室を中心とする大家族としての日本人」という枠組みを肯定し、居心地の良さを感じているのだろう。

 だがしかし待て、その「肯定」は自ら考えた結果なのか?もしそうでなければ私の「皇室への思い」も一種の「思考停止」と見做すべきではないか。

 作家トールキンは「英国における神話の不在」を憂い、民族固有の神話の代替物として「指輪物語」を書いたとどこかで読んだことがある。神話は概して民族と強く結び付いており、民族のアイデンティティにも関わる重要なものだ。「共通の神話の共有」の有無は「同胞」かどうかの大きな判断材料となり得る。ネイティブアメリカンの部族ごとの神話は共通点も多いが、小さいものの重要な差異があるという。 「共有する神話」という観点からは、ネイティブアメリカンをひとくくりの文化的民族区分と見做すことには無理があるということなのだろう。中国の民族同化政策の胆のひとつは、明らかに個別の民族固有の神話(或いは宗教)のはく奪である。とある文化人類学者が書いたように、「三世代にわたって独自の神話が伝承されないと、その民族は失われる」のである。

 「皇室を中心とする大家族としての日本人」という心情的な枠組みは政治的な形態である「国体」とは実際になじまないものだが、戦前の「国家神道」を介して「心情的な形態」と「政体における国体」とは緩やかに結び付けられた。それ故に、戦後の教育において「国家神道」との分離が難しい「神道における神話」はほぼ語られなくなった。私の世代でも「いなばのしろうさぎ」「スサノオの八岐大蛇退治」がせいぜいである。さらに戦後、東宝が特撮映画「日本誕生」、東映がアニメ映画「わんぱく王子の大蛇退治」を製作した時代とも明らかに現在の状況は違う。

 現在の日本人において、「神道における神話」は共有されるものとはなっていない。では日本人としてのアイデンティティを何処に求めるべきか。そこで最初の話に戻る。サッカー日本代表への熱狂、サポーターの振る舞いを私はナショナリズムの発露とは思えないと書いた。では何かと問われると、それは「日本人なら、頑張っている日本人を応戦するよね」といった極めて曖昧な共通認識だ。なぜ曖昧なのかというと、その共通認識自体が「日本人」と「日本人以外」を分ける要素を一切含んでいないからだ。でもそれはそれで良いのではないかと思う。

 「ULTRAS NIPPON」に代表されるサッカー日本代表サポーターの応援は熱狂的であり、ふがいない試合に対しては抑制されてはいるものの不満も隠さない。相手国を貶めるようなことはせず、試合後にはスタンドのゴミをちゃんと片付けるなどとも聞く。おそらく彼らには「日本人ならどう振る舞うべきか」ということに人一番自覚的なのではないかと思う。なんとなく受け継がれてきた日本人の美徳とでも言うべきもの(それは小さな島国の中でひしめき合った暮らしてきたという事実とは不可分では無い)を図らずも彼らは引き継ぎ、実践しているのではないかと思う。

 「日本人とは?」という問いをひとまず封印し、「日本人ならば○○○」というところに共通点を見出す。だからただ突っ立っているだけでは日本人同士でも日本人とは認識できない。せめて日本語を話し、如何にも日本人然とした振る舞いをして初めて互いに「同胞」と認識できる。一部の観光国では買い物をするとすぐに日本人と分かるそうである。少なくとも中国人、韓国人、日本人のうち、買い物時に客なのに店員に礼を言うのは日本人だけだという。「他者の視線」を要求するところがちょっと弱いが、美点と呼べる価値観或いは倫理観に従った「日本人ならばこう振る舞う」という共通認識で結び付くのも悪くないと思うのだ。確信犯として、私はそういう枠組みを受け入れ、しばしの思考停止状態に身を委ねてみようと思う。

 ちなみに「ネ申○○○」の共有は、比較的共通した価値観を持つ者同士の「生ける神話」の共有と見做すこともできるのではないかと思う。そして、そういうものは常に求められ続けているのだろう、日本人はこれまでも「○○の神様」を多数産み出してきたではないか。それと何が違うのか。一種の思考停止であることは認めよう。だが、力のある一部の人間はいったん産み出した「ネ申」をもやがて超えてみせる筈だ。だから、幾ら卑近であろうとも今現在の「ネ申」をもって将来について語ったり将来を憂えたりするのは正当ではないだろうと思う。

 ただ、あなたの「ネ申」が私にとっても「ネ申」たり得るかは別の話だ。「思考停止」が許されるのは、「思考停止」状態にあることを自覚できる人間だけであることをお忘れなく。私はあなたの「ネ申」よりも先に行ってるかもしれない。

 最後に一言。

 こんな私でもとある分野で海外の人間から"almost a god"と呼ばれたことがある。「私如きを"God"と呼ぶようじゃこの分野、レベルは知れてるな」と一瞬でも思ったことがあることを告白しておこう。もしあなたが多数の「ネ申」を持っているようなら、ちょっとは自分の有様に思いを巡らすぐらいはしてもいいんじゃないかな。ちなみに私は「ネ申」を持っていない。