2013/04/24

"R.I.P.D."トレーラー、なんか面白げ

 "R.I.P.D."のトレーラーを観る。本編が面白くてもおかしくないかも。

 "R.I.P."は"Rest in Peace"、つまり「安らかに眠れ」で、カートゥーンなどでは墓石に大きく刻まれたりしている。最後の"D."は"Department"、「部」や「局」に相当する。まとめれば「安らかに眠れ局」あたりとなる。

 警察官である主人公が銃撃を受けて死亡、警察官としての腕を買われて「安らかに眠れ局」に参加することになる、というのが冒頭の流れのようだ。どうも癖のあるコンビモノらしいという点では"M.I.B."を連想する人もあると思うけど、まぁ面白けりゃ良いんじゃないの。

 0:45辺りの会話をざっくり再現すると

 監督官: 今日は忙しいわね。今日の予定は?(←ここは自信ありません。準備はいい?かな、何になさる?かな?)
 主人公: 俺は何処に居るんだ?
 監督官: あなたは死んだの。
 主人公: ジョーダンだろ?
 監督官: 笑えるわねさぁ~て何処(どっこ)かなぁ~(←ここは自信ありません)、あはは~。
 主人公: <呆然>
 監督官: <拳銃を引き出しから出しながら>あなたは私達が求めるスキルを持っているわ。R.I.P.D.に加わって欲しいの。
 主人公: R.I.P.D.?
 監督官: Rest In Peace Department.

てな感じ。パートナーも紹介されて物語がスタートします。さて、本編の出来は如何に。

 あ、映画「博士の異常な愛情」みたいな空中ロデオもありますよ。「緊張するなよ!」

奥さん、論文査読お願いします。再び。

 職場の上司がとある学会の論文査読委員をやっている。先週に「ちょっと読んで。」と論文のコピーを手渡されたものの、抄録を読む限りかなりつまらなそうだったのでグラフだっけチェックしてすっかり忘れてしまっていた。昨日になって、ふらっと私の席へやってきた上司は「こんなの査読通して良いはずないよね?」と言う。全く同感だ。

 数値解析では何らかの妥当性確認(Validation)が必要である。例外は第一原理或いは連続体近似の下で厳密な支配方程式を直接解く場合か、統計的過程であることが保証される現象をモンテカルロ法などの統計的手法で取り扱う場合ぐらいである。前者の例としては気体や液体の運動を記述したナビエ・ストークス微分方程式を差分法などを用いて直接数値的に解く場合、後者の例としては原子炉内の中性子の数密度やエネルギーの分布などを解く場合が挙げられる。しかしながら、流れの直接数値シミュレーションでは例えば空間離散化時の空間分割幅や密度の取り扱いに吟味が必要だし、後者では例えば統計ノイズや乱数発生アルゴリズムなどの吟味が必要となり、いずれにしても解析結果を妥当と判断するためには結構手間がかかってしまう。むしろ試験結果との定量的比較の方が手間に見合う場合が少なくない。特にエンジニアリングではコストである手間の合理的な低減を重視せざるを得ない。

 件の論文は、数値解析用の幾つかのモデルを提案し、それらモデルを用いた解析結果を示しただけのものである。解析結果だけを見れば新規性があるとも見なせるが、査読者は何をもってそれら解析結果が妥当と判断すれば良いのだろうか。どだい無理な相談である。

 モデル単体の妥当性確認はもちろん、最終的な解析結果についても妥当性確認が一切為されていない。理想的な数値シミュレーションの妥当性確認プロセスの観点からは、①:解析対象の階層分解と重要度ランキングテーブルの作成とレビュー、②:①の結果に基づくモデル単体及び最終解析結果の妥当性確認の計画立案と実施、がざっくりと言って必要である。エンジニアリングの世界では最終的な解析対象はまだ存在しない場合が多いから、対象とする現象の支配因子が何かや妥当性確認に利用可能な既存知見の有無などを①のプロセスで徹底的に洗い出し、かつモデル単体の妥当性確認によって最終的な解析結果に一定レベル(例えば、解析結果の精度が設計で見込む余裕よりも良い)の信頼性が確保できるという論理的道筋を明示しなければならない。

 ここでは、①のプロセスだけでも論文と成り得る点を指摘しておこう。これは、①のプロセスが一週間やそこらでできる簡単な作業でなく、かつ極めて深い専門性が要求されるという事実の裏返しでもある。

 件の論文は却下されるだろうと思う。もし却下されないようなら、そんな学会なんて無くていい。

2013/04/23

iCarly Remix and more by Pogo

 まぁ完成度は及ぶべくもないですが、大昔にオーディオテープを切り張りして曲をでっち上げていたことを思い出します。あ、カシオの廉価サンプラーキーボードSK-1を友人達皆で買って遊んだりもしたよなぁ。

 あとどうでも良いけど"Get some!"って連呼されると、映画「フルメタル・ジャケット」のセリフを思い出します。「逃げる奴はVC(ベトコン)だ。逃げねえ奴は良く訓練されたVCだ。ホント、戦争ってのは地獄だよなぁ。」みたいな感じ。








 Youtubeにありましたね。

2013/04/21

映画「テルマエ・ロマエ」、TVで観ましたよ。

 タイトルの通りです。面白かったですね。

 主人公の古代ローマと現代日本との行き来が「そろそろくどいかな」と思うギリギリな加減で後半の盛り上がりへ、という展開は見事。ただし、数カットあった貧乏ミニチュアVFXみたいな処理ってのは皆は笑えるのかな?某TVアニメで唐突に発泡スチロール人形をふっ飛ばしていたのと同様で、プロがやってしまっては私はゲンナリするだけです(おそらく作り手側にとっては面白いはず。それは昔8mmフィルムを使って映画を作っていたアマ経験からは良く分かります)。「実はCGでした」なんてことだったら、CGでやるということの馬鹿さ加減に今からでも大笑いしますよ。

 あと、一部のカットで「空気感がチネチッタっぽいな」と思ったのだが、やっぱりチネチッタを使ってたということが番組最後で分かってちょっと驚き。

 それにしても、上戸彩さんはこういうちょっと素っ頓狂な設定の話にすぽっとはまる不思議さがある。白戸家とかね。彼女が主演したTVドラマ「下北サンデーズ」は視聴率的には苦戦したようなのだが、私個人は作品、彼女ともに高く評価しているのだ、ついでながら。

2013/04/20

さんざん脱線、結局中華人民共和国の女性兵士パレード

 最初はちょっと固いお話。

 2年ほどまえから朝鮮戦争について色々調べていて、本を読んだりYoutubeなんかにアップロードされているドキュメンタリーなどをワッチしている。

 本ではやはりディヴィッド・ハルバースタムの「ザ・コールデスト・ウィンター 朝鮮戦争」が出色で、最近文庫化されたので少しでも興味があれば是非読むことをお勧めする。題材はもちろん朝鮮戦争だが、当時のアジア地域の米軍総司令官でもあり、GHQのトップとして日本の戦後に影響力を行使したダグラス・マッカーサーの戦争対応のみならずその有り様そのものへの批判の書でもある。「自虐史観」を是とする人も非とする人も、マッカーサーの個性が色濃く反映されたGHQの行動原理の一端でも理解する上で読んでおいて損は無い。

 「ダイバーシティ」なんて難しい用語が説明なくTVで使われた始めた昨今、自分で訓練してでも同一の事項を多方面から理解、解釈する能力を身につけねばね。得られるものは「偏見」からの(相対的なより)自由ですよ。

 ちなみに15年ほど前は、フランス方面から「パリティ」という表現が良く聞こえてきた。「パリティ」は原子核物理や素粒子論などでも用いられている用語だが、ここでは「同一の社会的地位を男性が占めようが女性が占めようが、性別(ジェンダー)ごとに良さがある」というニュアンスで使われていた。要は「この地位は男性(または女性)でなければならない、という考え方は一種の偏見である」という考えを反映した用語と言える。結局、社会的意味での「パリティ」は日本には上陸せず、「性別、宗教、年齢、人種その他含めた多様性を認めるところからはじめよう」というニュアンスで「パリティ」の考えをも包含する「ダイバーシティ」という用語がいきなり上陸したのだ。

 「男女雇用機会均等法」は「パリティ」という用語の発祥と呼応してたんじゃないの?、という考え方はおそらく時期的には正しい。が、この法律は雇用「機会」を「均等」とするだけであって、雇用後の処遇については立ち入っていない。つまりこの法律では「パリティ」の考えの実現は保証されないのである。「パリティ」という用語の上陸はその概念の上陸も不可避に許すことになるのだが、個人的に色々調べた結果として日本国内に「パリティ」の概念の上陸を望まなかった勢力があったやに思われる。

 この種の用語には大抵明確な定義(ただし、一つではない場合もある)があるので、政治家や官僚が間違った意味で使ったときに笑うためにも、一度は自分で定義を調べてみることをお勧めする。TV番組でメインキャスターを張っているようなジャーナリストでも、この種の用語を間違った意味で結構使ったりしてますよ。間違った解釈の引用もまた然り、馬鹿キャスターの間違った発言や主張は笑ってあげましょう(キャスター本人を笑うかどうかはまた別問題なので念の為)。

 さて、本題。朝鮮戦争ドキュメンタリーを試聴していた流れなのか、Youtubeから下のビデオがレコメンドされましたよ。「パリティ」の概念から言えば「女性兵士」という表現は微妙。「男性兵士」という表現が併置されればうやむやになってしまいますが、「兵士」が併置された場合は微妙です。「兵士=男性」は偏見か否か、「偏見」とは何か、以前のエントリで触れたことのある「文化的コード」もからんで何気に奥は深いですよ。

 このビデオでのひとつのポイントは「女(性)民兵」。濃いピンクの制服に白いブーツ、手袋と帽子、そして旧式サブマシンガン。なんか、80年代の東映特撮TV番組をほうふつとさせられます。当人達はこのファッションスタイル(敢えてこの表現)をどう思っているのでしょうか?制服のデザインを変えたら入試の競争率が跳ね上がったという女子高がかつてありましたけど…。

近況、三度。

 会社でこそこそやっている個人プロジェクト、「こいつはすげぇ!」としか言いようのない計算結果が出だした矢先に計算プログラムのバグを発見。三ヶ月前ならどん底まで落ち込むところだが、冴えてる今はちょっと違う。

 そもそもバグ発見の契機は「計算結果が実験結果と一致してはいけない」はずの条件で両者が一致してしまったこと。敢えて大口を叩けば、私は「計算結果がどうなるか分かっている」に近い状態まで計算対象である現象の振る舞いを理解できつつあるということだ。

 間接的な師匠格である職場の大先輩に本当にそういう人がいた。当時の大型計算機で1週間以上かけて求めるような三次元流れ解析の結果のグラフを、計算を始める前にさらさらとノートに書いちゃうような人だ。彼にとっての計算結果のチェック作業は、彼自身がノートに書き留めておいた予測結果が正しいことを確認するための作業に過ぎない…と言っても過言ではなかったのだ、実際に。

 ちなみに、私が研究対象としている現象の予測モデルの95%までは1980年代に完成されている。が、残り5%の欠落は約25年経った今現在でも埋められていない。その欠落を埋めるのが件の個人プロジェクトだ。

 バグを取り除いた後、ノート3ページ程の手計算結果に基づいて計算モデル中の唯一の経験パラメータを修正。今はプログラムの計算結果と試験結果が一致するべきところは一致し、5.0%ずれるべきところは5.0%ずれ、9.2%ずれるべきところは9.4%ずれているといった塩梅だ。プログラム計算値の精度が試験結果の誤差に肉薄しつつある…のか?といったところでこの土日はきっちり休みます。

2013/04/15

映画"Iron Sky"を観たよ

 本編より予告編(トレーラー)が、予告編より特報(ティーザー)が面白いっつー典型的に困った代物。企画はトンデモなく面白かったんじゃなかろうか。

 面白くないとは言わないが、本作に散りばめられている類の下品さは個人的に生理的に受け入れにくいものだ。笑うよりも先にげんなりしてしまう。TVでたまに見ることがある重鎮とも言える芸人が、地方の営業では下ネタを連発しているのを見ているような居心地の悪さがある。ギャグ、コメディー、スケッチ(コント)ではなくただの酔っ払いのジョークの連発、良くてファルス(笑劇)だろう。字幕の訳の適当さ加減が下品さをやわらげているというのも困った感じ。「80年代の欧州ポルノを思い出してしまった」、などと書くのは自らの下品さと性的フェティッシュの方向性を披歴するようで上手くないのだが、風合いとしてはそんなところだ。

 頭悪そうの見える(演出されている)人間が、さも頭悪そうな発言をしたり行動を取る姿は全然面白くない。ラスト(エンドクレジット頭)の処理はとても21世紀の映画とは思えない陳腐さで、想像力というより妄想力のみのありきたりの産物という気がする。新味はない、輝く才能の片鱗も見られない。

 タダなら観ても良いけれど、「ムダ」より質の悪い時間の過ごし方になる可能性を警告しておこう。遺憾ながら大変勉強になりました。俺の人生の一部を返せ、金はくれてやるぜ!

 ティーザーは今見ても最高ですね、音楽も良し。

2013/04/13

なぜ「プレイズYMO/セニュール・ココナッツ」を言下に否定したのか

 経緯は省略するけれども、先日ある人とのやり取りの中でセニュール・ココナッツのYMOカバーアルバム「プレイズYMO」を言下に否定した。ほとんど条件反射、自分の中の怒りみたいな何かに気付いた瞬間でもある。YMO本家がどう言おうが、聞くに耐えない代物には変わりない。理由は簡単だ。

 マンボじゃないから。

 実はマンボにもちょっと五月蠅いのである。金を払ったのに、「出来の悪いマンボのシミュレーション」なんか聞かされるのは全くもって迷惑以外の何物でもないのである。YMOのカバー以前のもっとレベルの低い話なのだ。

 「なんかめんどくさいヤツだなぁ」と思ったあなた、あなたはきっと正しい。

近況、再び。

 薬に助けられているとはいえ、最近体調も良いし頭も良く回る。1日12時間業務のペースをここ2週間維持している。要は病気を患う前のペースにかなり戻りつつあるということだが、ポイントは現在進めている解析技術開発の内容と進捗具合にある。

 ここで「業務」と書かないことには意味があって、実は個人的なプロジェクトだ。もちろん技術が完成した暁には間違いなく会社の役に立つ。しかし、誰も2~3年でそんな技術が確立されるなんて思っていないから、「それをやれ」などと言う人間はもとより開発費(ほぼ人件費)を出そうなんて人間もいない(ただし是非やるべきだと私を信じてくれている上司は居る)。でも必要だということを信じて疑っていないのだ。ここ3日間でちょっとした技術的ブレークスルーをモノにできた感触が得られている。

 個人プロジェクトは本来業務の合間を見つけて進めることになる。このような個人プロジェクトの進め方を私の職場では「アンダー・ザ・テーブル」と呼ぶ。なぜ「ザ(the)」なのかは不明だが、言い得て妙かとも思う。

 開発中の技術は、私が現在の職場を選んだ理由、すなわち「やりたかったこと」そのものである。だから楽しくて仕方ないし、ここ20年間で自分が得た知識を総動員している。ブレークスルーを確信した瞬間の喜びは真剣故に大きい。技術屋の特権である。

 病気は辛い。でも、病気になって課長をクビにならなかったらこの個人プロジェクトを立ち上げる暇もなかったろうことは明らかだ。来月からは本来業務に集中する必要がある。今月中にどこまで進められるか、何気に正念場なのである。