ラベル 映画 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 映画 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2013/05/16

「喪失感」と「ビューティフルドリーマー」、「Thatness and Thereness」

 今回は完全に個人的な話。

 私の好きな映画「うる星やつら2 ビューティフルドリーマー」と好きな楽曲「Thatness and Thereness」は個人的に奇妙な「喪失感」と不可分だ。

 「うる星2」は高校生の時分にリアルタイムに劇場で観た。夢邪鬼が「終わらない夢があってもエーんとちゃいまっか」とあたるに語るシーンで、劇場で泣いてしまったことを告白しよう。泣いてしまった理由は簡単、「自分の高校生生活もやがて終わってしまうのだ」ということを図らずも自覚してしまったからだ。同時に、「今観ている映画もやがて終わるのだ」ということも自覚してしまったからだ。その感覚は実際に失ってしまう前に感じた奇妙な「喪失感」だ。まさに「諸行無常」、どんなに望んでも楽しい時間は永遠に続かない。

 映画館で過す時間は楽しいものだ。他方、自分の高校生時代が楽しい時間だったかは今でも判断を保留せざるを得ない。試験の多い高校だったので、とにかく試験勉強と部活でいっぱいいっぱいだったこと、そしてやがて失われてしまったことは確かだ。ちなみに、当時は「ドラマ編」なる映画の音声のみを収めたLPレコードがあり、勉強のBGMとして何回も聞いているうちにメガネの有名なモノローグを完全に覚えてしまった。

 「うる星2」が面白い映画か、という判断も保留せざるを得ない。今でも客観性を持てないからだ。言えることは、「星勝氏の音楽は素晴らしい仕事」、「原作者の不興をかったらしい、という点はむしろ評価ポイント」といったところだ。「うる星やつら」の世界観を突き放したように見えて、その世界観の強靭さに頼らないと成立しないギリギリのところでのストーリー展開。そのバランスを絶妙と見るか、たまたまと見るか、それほどまでに「うる星やつら」の世界観が強靭と見るか。

 いずれにしてもタイトルはエンディングで現れる。それに気付いた瞬間、「この映画もやがて終わる」という私が上映中に感じた「喪失感」は完全に行き場所を失ってしまった。DVDで何度か見直したが、その「喪失感」の行き場所はまだ見つけられずにいる。

 「Thatness and Thereness」は大学生になってから、「AVガーデン」という深夜番組でたまたま流れたのが出会いだ。とにかく気になった。当時は歌詞の内容も背景も知らなかったが、曲自体に「喪失感」を強く感じた。

 「Thatness and Thereness」の歌詞は、坂本龍一氏自身の学生運動の経験を反映したものだという。坂本氏にとって、学生運動の終焉が「喪失感」を伴うものだったかどうかは分からない。しかし、本楽曲から私が感じるのは一種の「喪失感」、そして「勝ち/負け、成功/失敗といった結果が保留された状態が維持されている」という感覚だ。後者の感覚は、まるで人が走り出した一瞬を捉えたセピア色の写真にでも例えられよう。古くて、止まっているような動いているような、が、絶対動きださない。

 映画「うる星2」のエンディングが、映画が終わっても劇中人物とってのストーリーはまだ続くこと、つまり「うる星2」は終わらないことをまるで示唆したかのように、楽曲「Thatness and Thereness」のリズムは何処から始まって何処で終わるのか時々分からなくなる。「終わらないこと」に気付く前に感じてしまった「終わることを自覚することで生まれた奇妙な喪失感」は、20年以上の時を経ても変わらない。今の自分の一部は「うる星やつら2 ビューティフルドリーマー」と「Thatness and Thereness」からできているんじゃないかとすら思う。

2013/05/12

今秋公開予定の映画「キャプテン・ハーロック」について雑感

 敢えて触れずにきたネタだが、思うところだけは書いといた方が健康には良い。「実際に公開されたら出来が良かった」、なんてうれしい誤算な展開はエニタイム・ウェルカムなので念の為。

 「作品に対して何か語るのは実際にその作品を観てから」が個人的なルール、今回は投資リスク的な観点で思うところ。要は監督、脚本家である。

 私個人は"APPLESEED"、"EX MACHINA"、"STARSHIP TROOPERS: INVASION"を全く評価していない。興行的にも決して成功したとは言えない筈だ。ハリウッドでは3作もコケればもはやメガホンは握れないと聞く。これは監督に興行的観点からもプロフェッショナルであることを要求する風土と、監督予備軍の層の厚さという少なくとも二つの要素を念頭に置いて理解する必要がある。

 個人的意見としては、荒牧伸志氏は監督として一度干され、本作は別の人間が監督すべきだったと思う。別の人間が「今」思いつけないなら作らない(企画として温存する)事自体が投資となる可能性すらある。私が投資側なら、「今の」荒牧伸志氏にはこのレベルの大きな投資は絶対しない。もし荒牧氏が諸般の権利関係を処理して

 「本家"Genesis Climber MOSPEADA"ってやつを見せてやるぜ!(ホントは海外では"ROBOTECH"って呼んじゃうけどさ:P)」

なんてことを言い出したら、1/3ぐらいの額は出しちゃうかもしれない。カッコ内書きの海外での取り扱いも重要な要素である。この場合の投資はむしろその次の作品への投資のための繋ぎ料であり、「自分に投資する価値あり」とあらためて示す機会の提供である。それでもコケればホントの終わりである。

 脚本家でクレジットされている福井晴敏氏はマンガやアニメに理解があり、ハズしてこない所は評価されるべきだが、出来上がりに対してまだ定評があるわけではない。

 自作小説の映画化作品「ローレライ」「亡国のイージス」の出来も踏まえたうえで、どういう姿勢で本作に臨んでいるのか、作品の出来はそのあたりも問われることになるはずである。自作の映画化作品が口を出してもああだったのか、全部投げ渡してああだったのか、寡聞にして私は知らないが、本作では原作者が別にいる映画の脚本である。自作の映画化とは全く逆の立場に立っていることにどのくらい自覚的かは気になるところ。

 余談ながら、アルカディア号の船首にはいわゆる髑髏のマークがあしらわれているが、トレーラーでみる限り、安物の金属アクセサリにありがちな最も下品な方向性での造形が為されているやに見ゆる。このような造形を選ぶ人間とは絶対話が合わないなぁ、と心から思う。つまり、この造形を選んだ映画製作サイドの人間はもとより、劇中のハーロックともきっと私は友達になれないのだろう。

 いやぁ、あの造形は本当にセンスないと思うよ。

映画「椿三十郎(2007)」、あらためてTVで観ましたよ。

 まぁ、間の取り方は何回観てもやはり上手くて、編集の妙はあり。森田芳光氏の監督作としてはちゃんとしている方ではないかと思うよ、なんたって脚本もネタもストーリーも彼じゃないものね。

 だが、「オリジナルの脚本をそのまま使う」っていう手法の意図は全く理解不能。

 オリジナル製作時期の黒澤明氏の監督作なら主要な俳優は決まっているのも同然で、脚本はほぼアテ書きの可能性が高い。アテ書きとは「俳優に合わせてセリフを書く」こと。つまり、椿三十郎のセリフは三船敏郎氏が演じることを前提に書かれている可能性が高いということ。室戸半兵衛のセリフは仲代達矢氏が前提、というあたりまではまず間違いないでしょう。

 どうでも良いけど室戸半兵衛って室戸文明の元ネタなのかなぁ。

 三船氏や仲代氏のセリフ回しにはけっこうアクが強いところがあります。三船氏のモノマネさせられてるみたいにしか見えず、主演俳優には今回も不憫さを禁じ得ませんでした。ありゃきっついよ。

2013/05/11

有難う、レイ・ハリーハウゼン

 カラー映画時代においては文句なくストップ・モーション・アニメーションの巨星、レイ・ハリーハウゼン氏が最近亡くなったとのこと。素晴らしい作品群を有難う。

 個人的には映画「アルゴ探検隊の冒険」のガイコツ兵が印象深い、日曜洋画劇場(だったかな?)で何回観たことか。合成技術の未熟さに足を引っ張られている作品が少なくないのが残念だが、「彼の技術があればこんな映画も作れるね」って感じで陽の目を見た作品も決して少なくない筈。彼のアニメーションをフューチャーしたミュージカル映画がない、というのもとっても残念。

 カリも良いよね。

"Honest Trailers - Star Trek (2009) "に大笑い

 「正直な予告編」ってとこ。

 「そして、レンズフレア(AND... LENS FLARES)」、「さらにさらにフレア(AND... EVEN MORE FLARES)」に大笑い。レンズフレア、ぶれるカメラアングルなど、本作は「カメラや照明の下手さ」を一生懸命お金をかけてシミュレートした、とってもおバカな作品という側面もあることは明言しておこう。

 まぁ、ドキュメンタリー映画風のぶれるカメラアングルや過剰なレンズフレアの導入は2003年の"Battlestar Galactica"でいきなり完成形で現れた。しかも、監督本人がその一回で「飽きた」という手法である。J. J. エイブラムスは製作として同様の手法を先鋭化してい用いた「クローバーフィールド/HAKAISHA」に関与、飽きるどころの騒ぎじゃないはず。それでもやっちゃうってのはウケ狙い以外に何か目的あるかいな。

 NHK大河ドラマ「平清盛」でもそんな演出を感じさせる回があって観てる方が恥ずかしかったが、今時その種の手法をスタイリッシュなんて思っている人は「(少なくても)10年古い!」とバカにしてあげよう。

 ピンポイントでさらっと上手く使ってる人は今も昔もいるんですからね。

2013/05/10

"Ender's Game"トレーラー

 SFファンならもちろん読んでるよね。「エンダーのゲーム」、今風で映画化です。ハリソン・フォードが出てますよ。

2013/04/24

"R.I.P.D."トレーラー、なんか面白げ

 "R.I.P.D."のトレーラーを観る。本編が面白くてもおかしくないかも。

 "R.I.P."は"Rest in Peace"、つまり「安らかに眠れ」で、カートゥーンなどでは墓石に大きく刻まれたりしている。最後の"D."は"Department"、「部」や「局」に相当する。まとめれば「安らかに眠れ局」あたりとなる。

 警察官である主人公が銃撃を受けて死亡、警察官としての腕を買われて「安らかに眠れ局」に参加することになる、というのが冒頭の流れのようだ。どうも癖のあるコンビモノらしいという点では"M.I.B."を連想する人もあると思うけど、まぁ面白けりゃ良いんじゃないの。

 0:45辺りの会話をざっくり再現すると

 監督官: 今日は忙しいわね。今日の予定は?(←ここは自信ありません。準備はいい?かな、何になさる?かな?)
 主人公: 俺は何処に居るんだ?
 監督官: あなたは死んだの。
 主人公: ジョーダンだろ?
 監督官: 笑えるわねさぁ~て何処(どっこ)かなぁ~(←ここは自信ありません)、あはは~。
 主人公: <呆然>
 監督官: <拳銃を引き出しから出しながら>あなたは私達が求めるスキルを持っているわ。R.I.P.D.に加わって欲しいの。
 主人公: R.I.P.D.?
 監督官: Rest In Peace Department.

てな感じ。パートナーも紹介されて物語がスタートします。さて、本編の出来は如何に。

 あ、映画「博士の異常な愛情」みたいな空中ロデオもありますよ。「緊張するなよ!」

2013/03/28

ロシア-フィンランド-ウクライナ映画 "9 POTA"

 映画 "9 POTA"を英語字幕で観る。

 キリル文字なので「9ポタ」と読んではいけませんよ、英語アルファベットに転記すると"9 ROTA"です。タイトルは「第9中隊」といったところでしょう。題材はソ連のアフガニスタン侵攻で、赤軍に志願入隊してアフガニスタンに派遣される新兵を中心にストーリーが展開します。

 作りはオーソドックスですが、緊張感を最初から最後まで維持できている点では出来の良い映画です。ソ連のアフガニスタン侵攻を題材とした映画としては「レッド・アフガン(The Beast of War)」(邦題が酷過ぎる)を観たことがありますが、趣は全く違います。

 赤軍兵がムジャヒディンのことを「Ghost(幽霊)」と呼んでいる辺りにリアリティを感じます。まさに神出鬼没に見えたのでしょう。ただ、リドリー・スコット監督の「ブラックホークダウン」のソマリア人民兵の描き方と同様に、戦闘時のムジャヒディンの描き方には人間っぽさが感じられません。「幽霊」っぽさを意図した演出の結果なのか、「敵」を人間として描くことを選ばなかった結果なのかは不明です。もしかすると、死を恐れぬムジャヒディンの佇まいは、実際に映画で描かれている通りだったのかも知れません。また、第9中隊にモンゴル系らしい兵士がいたりして、今は無きソ連が民族的にモザイク国家だったことを強く意識させられます。

 機会があれば観ておきましょう。


 ちなみに「レッド・アフガン」は映画監督の押井守氏が「戦車がカッコ良く撮られている映画」の一つに挙げています。

2013/02/21

「博士の異常な愛情(以下略)」のトレーラー紹介後の後処理

 本ブログをマメにチェックしてくれている遠方の友からメールあり。「『博士の異常な愛情(以下略)』を観たけど面白くなかったぞ」という内容である。「ま、そっかな」とか思わなくもないが、実に「バカバカしい」しい映画である点は合意できた。ついでなので思うところをメモっておこうと思う。

 個人的に「博士の異常な愛情(以下略)」のビビりポイントは、「良い音楽、計算されたカメラアングルや照明、デザインはもとより出来も素晴らしいセット、ジョージ・C・スコットを筆頭とする俳優陣の濃い演技エトセトラエトセトラ、が、結局バカバカしい」ところだ。タイトルのストレンジラブ博士は登場するもストーリー展開には一切関与せず、ただただ戯言を繰り出しながら意味のない小芝居(?)を続けるだけである。挙句の果てにあのセリフである。

 観客はまず間違いなく感情移入できる登場人物を見つけられない。自分をバカだと信じる一部の人間を除けば観客は文字通り観客のままであり、下手をすると人間達のバカさかげんを上から目線で見ている「神」のような気分にさえなるかもしれない。が、先の展開が予測できなかったならば「神」の気分は錯覚にすぎないということだ。

 「タイトルから内容を想像すること自体が無駄である」こと、そこから本映画の仕掛けが始まっているとしか思えない(ウィキペディアにも記述があるように、クーブリック監督はタイトルの直訳しか許さなかったらしい)。本映画が描くのは不合理や不条理ではなく、時にこてこてのコメディスタイルでコーティングした理不尽である。

 人生の至るところに転がっているのにも関わらず、理不尽は実のところ全く笑えない。例えばお金を払って観た映画が面白くなかったとかね。僕にできることは、理不尽を笑い飛ばして生きていることを実感することだけである。「時計じかけのオレンジ」を観れば性的メタファの氾濫に辟易し、「2001年宇宙の旅」を観れば寝てしまう僕は、「博士の異常な愛情(以下略)」を観るたびにちょっとだけ元気をもらうのだ。

2013/02/01

「博士の異常な愛情」と「未知への飛行」のトレーラー

 タイトルが長いよ、「博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか」。Youtubeで高画質のトレーラーを見つけたので埋め込んでみる。

 最初に観たのはTVで、小学3年生のとき。すげー映画だとぶったまげましたよ、エンディングにシビれました。スタンリー・クーブリック好きはこの作品からで、今でもきっと「2001年宇宙の旅」は観ても寝てしまう。登場人物達は「男一人当たり女十人」とか「俺のパンツはどこだ」とかのたまったり、「平和こそ我らが仕事」なんて看板を挟んで銃撃戦やってたりしてますが、とにかくそんな映画です。オープニングがB-52爆撃機の空中給油シーンだけでしかもその曲か!ってあたりが如何にもクーブリック。観るべし。
 ちなみにこれがオープニングタイトル。本当はエンディングも埋め込みたいけど思いっきりネタバレなので自粛。エンディングを初めて観た時は、まず大笑いはしたもののそれからとてつもなく切なくなったものです。
 「博士の異常な愛情」に対して良くも悪くも引き合いに出されるのが「未知への飛行」。原作の日本語版「未確認原爆投下指令」は中学1年生ごろに読み、映画を観たのは大学生になってから。2000年ごろにリメイクされたやに聞くが、そちらは未見。爆撃機の飛行シーンは基本的にバンク映像で、夜間シーンっぽくするため(?)に白黒反転(ネガ)されてるとかカットによって機種が変わるとかツッコミどころは満載。時間があれば是非観よう。

2012/12/15

"Pacific Rim"予告編、怪獣ですよ!人型決戦兵器ですよ!

 仕事に追われてここ三日ほどチェックを怠っていましたが、"Pacific Rim"の予告編公開です。怪獣です、巨大人型兵器です、Rinko Kikuchiです。