2015/11/16

「価値観」とは?

 「価値観外交」の「価値観」の意味するところをいまいち掴みそこねていたのだが、ここに来てやっと個人的に納得できる結論に至った。他国と共有されていたり共有されていなかったりする「価値観」とは、「法治主義」ではないだろうか。

  「法治が為されているか」という点は、もれなく特定アジア諸国のアキレス腱だ。さらに言うなら、「本来、国内法に優先されるべき国際法(慣習含む)、国際条約、2国間条約」が「まず履行されているか?」を問うのが「価値観外交」の初手という事になる。

 少なくとも韓国、中共(中国共産党)への昨今の対応はそのように見える。

 在韓日本大使館前の所謂従軍慰安婦像の撤去に日本がこだわる理由は、単純に国際条約(ウィーン条約)違反だからである(棒。本条約を批准している韓国の政府は、撤去はもとより、設置自体を許さない国際的な義務がある。日本は韓国の国内法に干渉はできないが、国際公約とも言えるウィーン条約の履行は要求できる。そこに感情論が入り得る余地は無く、日本に対する外交カードにもなり得ない。しかもこれは初手に過ぎない。

 同様に「航行の自由」は中共に対する一種の錦の御旗だ。米国は「原理原則」に対して非常にナイーブだから、B-52爆撃機を飛ばすことも厭わない。米国のあるアナリストは「孫子の兵法は米国には通じない」と書いた。これは米国の行動原理が「明確な、極力単純で他の解釈を許さない原理原則に基づく」ことを求めるからだと言える。行動原理の根本に「裏が無い」ので、物事の裏表の間隙を突くような策はそもそも存在しないのである。スプラトリー諸島の件は米国経済へに直接影響しないから、米国から見れば純軍事的なイシューだ。国内経済界からのノイズが無いが故に、米国は大上段に「裏の無い原理原則」を振りかざせるとも言える。

 中共は米国が自分達と同じ行動原理に従うとナイーブにも考えていた節があるが、こここそがそもそものボタンの掛け違いの始まりなのだろう。米国も極めてナイーブであるが、米国政府にはそのナイーブさの押し出し方や押し出し時を心得ている人間が居るという事だ。注意すべきは米国政府がナイーブさをアピールする第一の対象は相手国政府(または支配層)ではなく、むしろ米国市民と相手国(とその従属国)を除いた すべての国、地域の政府と住民である点だ。「国内世論と国際社会を味方につけるにどうすべきか?」は米国政府の行動原理を推定する上で無視できない因子だと思う。

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