2014/12/22

あのキャスターもあかん。

 朝日新聞絡みで、某報ステの某キャスター曰く、「人間は間違いを犯すものとして...」

 問題をすり替えてはいけない。

 嘘をつき、嘘を指摘した人々を報道機関としての力を使って非難してきたことは、犯罪或いは暴力に他ならない。朝日新聞が言う「普遍的な人権問題」と言ってもよい。

 捏造と過誤とは全く別物だ。

Megpoid English、YMOの「シムーン」カバー、再び

 基本的にボーカルのミックス違い。先のバージョンはPiapro Studio(ボーカロイドエディタみたいなDAW用のプラグイン)の出力をエフェクトに通したものでしたが、今回のバージョンはCubaseのVari Audio機能を使ってピッチや発声タイミングをかなりいじってます。出来はもう一息。

2014/12/19

理研、あかんのとちゃう?

 某再現実験の責任者が変なコメントを出していてびっくり。以前に書いた通り、STAP細胞の件は最初っから全く科学的じゃなかった。最後になっても科学的じゃなかった、と当事者たる理研から出たのは本当に想定外だが、自業自得とも言える。また、理研やTVでコメントしている研究者の発言の多くには甘えが強く感じられて不快だ。研究開発の世界は元々からして食うか食われるかの超競争社会、名ばかり研究者を「科学に立脚した上で研究者としては潰す」こと自体は悪ではない。未熟は悪しとは思わないが、未熟を何かの理由にすることなんて類の低レベルの甘えは科学者には許されるべきではないんじゃないの?あんなコメントをわざわざ言うなんて研究者としても管理者としても失格、甘えるにも程があると思うよ。

 特許、論文、記者会見と勝者としての「競争社会の掟」を最大限利用しながら、今度は「そんな掟なんか知らん」とは虫が良すぎ。

2014/12/18

安定のクラカタウポスコ:補足

 今回の爆発は転炉(コンバータ)だそうです。つまり、高炉と転炉の配置はこんな感じということかな?
 高炉とは鉄鉱石やなどを上端から放りこみ、「鉄(Iron)」を分離するためのもの。鉄鉱石などを高炉の上端に運ぶための長いベルトコンベアらしきものが見えますね。転炉とは鉄に混入している炭素を除去して「鋼(Steel)」とするためのもの。炭素を除去するために酸素を炉内に吹き込みますが、通常は水が入る要素はありません。爆発原因が水と銑鉄との接触との事ですが、何故水が混入するのか全く理解できません。

 ちなみに、酸素を吹き込むだけで鉄中の炭素を二酸化炭素の形で簡単に除去できるそうです。また酸素と炭素の結合時の反応熱が大きいため、転炉では特段の加熱は必要ないらしいです。良くできてます。さらに言うと、仕事で関わった事があるので知っているのですが、吹き込む酸素は大気中から精製します。原理は面倒くさいので省略しますが、液体窒素と液体酸素の僅かな沸点の違いを利用するこれまた良くできた方法を用います。

2014/12/16

安定のクラカタウポスコ

 韓国とインドネシアのジョイント会社、クラカタウポスコ製鉄所で15日にまた爆発が起きた模様。なかなか豪快な爆発で、建物の屋根とか陥没してそうな勢い。
Googleさんで調べてみると、場所はここかなって感じ。さて如何でしょう。
  鉄鋼は中共国内の生産力だけで世界需要を賄えるとされる昨今、まともに稼働してもそうそう儲からない筈なんだよなぁ。

2014/12/14

衆議院議員選挙です。

 先ほど投票を済ませてきました。昨今の国政レベル選挙は隠れ争点、厳密にはマスコミが基本的に報じない事案、もあるので、たかが一票、されど一票の重みは以前より増している気がします。

 間接民主主義政体はしょせん「相対的に成功してきた」政体のひとつに過ぎませんが、日本の「国体」や歴史的文化とも相性が良いと思います。権利は有難いものとしてきっちり行使しましょう。ついでに責任についてもちょっと思いを馳せましょう。完全な私見ですが、日本がヤバくなる兆候の一つは「相互監視が始まった時」、責任の名の下に投票と言う権利行使を事実上強要されるようになった時と考えています。もう一つは政党側が野合によって巨大化、均質化した時。この場合は実質的に投票者の選択肢は無くなり、権利自体が有名無実化します。これらの観点からは、現在の国民の選挙行動を取り巻く状況は極めて健全と言えます。

 あと、間違っても権利は「果たす」ものではありませんよ、某報ステのキャスターさん。思いっきりあきれさせて頂きました、本当に言葉をちゃんと使えない人ですね。

 さて、この2週間にも色々ありましたが、このタイムラグを最も有効に使うことになるのは誰でしょうかねぇ。

2014/12/13

トヨタ車のデザインって

イマイチって言うか何と言うか。MIRAIのデザインである意味びっくりしたのが面処理の醜さ、特にフロントから引っ張ってきた面がリアに繋がるところの面分割の処理の醜さ、デザイナーが何がやりたいんだか全く分からないというかその部分の「デザインされてない」感がハンパ無い。リアデザインのつまらなさが更に残念感を煽ります。

 そしてここが重要なところ、「どっかで上手く処理しているデザインを観た事があるぞ」感もあったこと。MIRAIのデザインに新規性は全く感じられないどころか、既にもっと良い面処理をしたデザインの車があったじゃないか、ということ。

 じゃ、「あまりの上手さに私が感心したデザイン処理」を備えた車とは...つい先ほど何の脈絡も無く思い出しました。

 ずばりランボルギーニ・ウラカンとその先行デザイン群です。「その会社の車と一目で分かる特徴」をきっちり残し続けながら常に「その時のデザイン」を提示する...この点に関してはランボルギーニにブレは無いように思います。 ソリッドカラーで成り立つデザインってのは実はとっても難しい筈なのですが、ランボルギーニはそれを常に成功させ続けてきたとも思います。

 あらためてランボルギーニ車のデザインを一望(ネットは便利)したあとでトヨタ車やホンダ車の最近のデザインを見てみると...


こっちはおまけ。

2014/12/08

サンダーバードのテーマ!!

 私と同世代の人ならおそらく知らない人はいない「サンダーバードのテーマ」。作曲者のバリー・グレイ氏は謎多きと言うか写真も余り残っていない人なのですが、残した楽曲群はマイエバーグリーンです。

 かつて渋谷に映画、TV音楽を専門とした輸入レコード/CDショップがあり、足しげく通っていました。そこでとにかく入手したのはサンダーバードをはじめとした英国TVシリーズ音楽のCDです。けっこう人気があるので見つけたらとにかく購入、次は無いと思わなければならないような状況でした。iTunes Storeとか使っていると「こんなに楽に購入できて良いの?」って気分に未だなるのは仕方ないとしても、購入してからプレーヤーにかけるまでのワクワク感はもはや失われてしまったと言って良いでしょう。90年代初頭の輸入CDは軒並み再生エラーが頻発するようになってきましたから、音楽保存メディアとしてはCDはレコードに完全に負けています。またデジタルデータならばCD上にあろうがハードディスク上にあろうが無関係な訳で、もはや音楽流通メディアとしてもCDは意味を失っているように思えます。ハイレゾとか言い出すと、もはやCDには出番すらありません。
 さて 世代がらTV放送はモノラル音声が当たり前、故に「サンダーバード」、原題では複数形の"Thunderbirds"、もモノラル音声で観ていたことになります。本カバーは「モノラル音声で聞いていた楽曲を当時自分が頭の中で勝手に再構成していたステレオ版」の再現です。ですから、現在手軽に入手できるようになったステレオのオリジナルサウンドトラック版とは色々と違います。オリジナルを知っていると「あれっ?」と思う様な所も込み、と言ったところでしょうか。
 そう言えば、映画"THUNDERBIRDS ARE GO!!"のエンディングには観た当時に意表を突かれた事を思い出しました。 1:27:30あたりから。

2014/12/07

Megpoid English、YMOの「シムーン」カバー

 日本語では敢えて「シムーン」、アルバム「イエロー・マジック・オーケストラ(日本版)」の同曲に対する自分なりのイメージをかなり引きずった音作りになってます。最小限のリバーブ(残響をシミュレートするエフェクター)の使用と波形丸出しのシンセ音が一種のコンセプトで、ミックス名の通り、2種類のパーカッション(ジィー、チン!)を除いて、音は全てソフトシンセZ3TA+2(ゼータ・プラス・ツー)で作ってます。ドラム音とベースは正弦波とノイズだけ、風音はノイズだけ、他の音は矩形波が絶対入ってます。

 あ、DAWをCubase 7.5からCubase Pro 8にアップグレードしました。レンダリングエンジンが軽くなっている(リアルタイム再生時のCPU負荷が下がっている)のはメーカーの謳い文句通りです。ただしバッファサイズを小さくするとリアルタイム再生時にノイズが発生し易い傾向があります。

 FL StudioBitwig StudioへのDAW乗り換えも考慮しましたが、一旦使い慣れたもの変えるのはやっぱり敷居が高いですね。複数のグレードを揃えたアプリケーションであっても、欲しい機能の有無にこだわれば結局最高グレードを購入せざるを得ない訳で、導入コストも必然的に高くなります。ただ、FL Studioは無償でアップグレードし続けられるので5年単位ぐらいで見れば元は取れるでしょう。Bitwig Studioはバージョンが1.0から1.1に上がることと年末(会計年度末)ということもあってか、1月中旬まで少し安い価格で購入できるようです。円安が進行している昨今でも、国内代理店経由より海外のメーカーサイトで直接ダウンロード購入した方が安い、というのは何とも。

 Megpoid音声はエフェクトを除くとPiapro Studio出力のまま、調整は無しです。もちっと音は丸めた方が良っかなぁ。

おまけ

2014/11/29

STAR WARS Ep.7のティーザー公開


Xウィングファイター、TIEファイター、ミレニアムファルコンが地球型惑星の大気圏内どころか地表や水面すれすれで高機動運動・・・スターウォーズの世界観も大変更ですか、作り手の知的な感じ(ちゃんと考えてる感)が下がる一方ですなぁ。

朝日vs読売、低レベルであっても...:補足

 先のエントリの補足です。なぜ朝日新聞の記事が駄目なのかについて。

 最大の問題点は事実関係を全く明らかにしていないこと、となれば客観的に有効と思われる具体的な再発防止策が語れるはずもない。そもそも、記事の元ネタはれっきとした調書、しかもそれを入手しての記事となっている。記事を書いた人間、記事の内容をチェックした人間とその具体的なチェック範囲に何ら言及がないのでは、処分した人間が本当に処分されるべきだったのかも不明だ。

 「記事を書いた人間は調書を読んでいた」...それすら不明確である。結局のところ、調書入手から記事の出稿に至るまでの「事実関係」が大事なのだ。要らぬ推測を招き、地に落ちた朝日新聞社の信頼はもはや戻らない。「事実関係」の秘匿が意図的ならばもはや報道機関というなら犯罪と言って良いし、「事実関係」を確認すらしていないなら報道機関としてはもはや腐りきっている。記事内容は様々な可能性を否定しないため、実際に起きた事の矮小化の意図すら残る。可能性は幾らでも考えられ、それによって事態の重大さは全く異なる。
  • 記事の執筆者は調書を読んでいない。調書を読んだ上司が記事内容を執筆者に指示し、執筆された記事をそのまま出稿。
    ・・・この場合は組織的な悪意が疑われる。執筆者には罪は無い。
  • 記事の執筆者、上司は調書を読んでいる。読んだ上であの記事を執筆し、出稿した。
    ・・・この場合は悪意の存在は明確、組織的な「捏造」である。
  • 記事の執筆者は調書を読んでいたが、上司は読んでいなかった。上司は記事内容と調書内容との整合性をチェックしないまま出稿した。
    ・・・この場合は執筆者に悪意の存在は明確、個人的な「捏造」である。上司は職務怠慢を最低ラインとして、「故意」による「捏造」ほう助も疑われる。
  • 調書の入手方法がそもそも違法であった。
  • 調書を持ち込んだ人間がいて、かつ記事内容もいっしょに売り込んできた。調書を持ち込んできた人間や経緯は明らかにできない。
などなど。

 「事実関係を重視しない姿勢」は朝日新聞社がかねてより積み重ね、さらに今でも積み重ね続けている文化のようである。「捏造内容」のレベルすら低いのはおそらく馬鹿だからではない、「事実関係を重視しない姿勢」が「捏造内容」に厚みを与えることができないのである。「吉田調書内容の捏造」すら、朝日新聞社には手に余る高度な知的作業だったというだけなのである。「捏造」の一つもまともにできない組織が報道なんて知的作業が出来る筈もないのでは?

朝日vs読売、低レベルではあっても...

リスト紙1枚分の差は本質的に大きい。敢えて例えれば常識、礼儀をわきまえた社会人3年生とDQNな母親の回りで騒ぎまくっている3歳児ぐらいの差かな?

 朝日新聞デジタル記事「『吉田調書』報道で前報道局長ら6人を処分 朝日新聞社」ですが、総合評価は9点/100点満点。
以下、引用です。他人事感が半端無い、マネしちゃいけない落書きモドキ。 朝日新聞社にはまだまだ落ちる余地があるようで、しかも自ら更に落ちて行きそうで正直凄い。おそらく普通の日本人の感覚では理解不能。
2014年11月28日14時45分

 朝日新聞社は28日、東京電力福島第一原子力発電所の事故をめぐる「吉田調書」報道で5月20日付朝刊の記事を取り消したことに伴い、6人の処分を決めた。
 記事を出稿した特別報道部の市川誠一・前部長を停職1カ月、市川速水・前ゼネラルマネジャー(GM)兼東京報道局長、渡辺勉・前ゼネラルエディ ター(GE)兼東京編成局長、出稿を担当した前特別報道部次長の3人を停職2週間、取材チームの前特別報道部員と前デジタル委員を減給とした。いずれも 12月5日付。
 朝日新聞社は5月20日付朝刊で、所員らの9割にあたる約650人が吉田昌郎所長(故人)の第一原発での待機命令に違反し、10キロ南の福島第二 原発に撤退したと報じた。しかし、吉田所長の発言を聞いていなかった所員らがいるなか、「命令に違反 撤退」という記述と見出しは、多くの所員らが所長の 発言を知りながら第一原発から逃げ出したような印象を与える間違った表現と判断し、記事を取り消した。その際、事態の重大さから、杉浦信之取締役の編集担 当職を解任したほか、市川速水GM、渡辺GE、市川誠一部長(いずれも当時)の職を解いた。
 また、慰安婦報道の問題なども含めた一連の事態に対する経営の責任を明確にするため、12月5日には木村伊量社長ら3人の取締役が辞任、取締役1人が執行役員へ降格、執行役員1人が辞任することを決めている。
     ◇
 〈西村陽一取締役・編集担当の話〉
 吉田調書報道に関し、本社の第三者機関「報道と人権委員会」から「読者の視点への想像力と、公正で正確な報道を目指す姿勢に欠ける点があった」と 厳しい指摘を受けました。これまでの社内の調査の結果、取り消しに至った記事については、意図的な捏造(ねつぞう)ではなく、未公開だった吉田調書を記者 が入手し、最終的に記事として送り出す過程で思い込みや想像力の欠如があり、その結果、誤った記事を出稿した過失があったと判断しました。
 さらにそうして出稿された原稿のチェックや評価、取材指示などについても上司が果たすべき役割を十分に果たさず、組織として誤りを防げなかったこ と、掲載後に受けた批判に適切に対応しなかったことなども大きな誤りであったと判断しています。こうした判断を踏まえて、職責が重い人間に、より厳しい処 分を適用しました。
 東京電力福島第一原子力発電所の所員の方々や、みなさまに改めておわびをするとともに、本社は今回の事態を非常に重い教訓と受け止め、信頼を得られるよう全力で努めてまいります。

2014/11/26

ふふふ

 京都大学の先生とやらの「嫌韓の分析」は寒い、実に寒い。色々大変ですね、ふふふ。論理性0点、分析力0点、文章30点、はい書き直し。


 それはさておき、一般的な日本人というのはこんな感じじゃなかろうか。
  • 嘘はきらい、ただし「良い嘘」ってのもあることはある。
  • 嘘つきは大嫌い。
  • 嘘がばれると開き直る人は軽蔑の対象。
  • 同じ失敗を繰り返す人、集団は馬鹿。
  • 口だけの人、集団は軽蔑の対象。
  • 馬鹿を実質的に公言している人、集団は軽蔑の対象。
  • 不勉強が許されるのは一回だけ。
  • 馬鹿は相手にしない、ただし自分に火の粉がかからない限りは。
  • イデオロギーに結論を合わせることしかできない人は馬鹿、しない人は軽蔑の対象。
    宗教的しがらみや二項対立的な硬直した思想とは比較的無縁ゆえに、思想、発想の自由さは日本人の強みと感じるところ。
 鎖国時の日本のように内側だけ見ていれば良い社会では「無視」が軽蔑に続く社会的制裁として有効に機能した。しかし、文化や宗教の異なる外部の第三者(つまり外国)が介在する情報的に開かれた社会では、「無視」はもはや制裁としての機能は果たせない。そういう観点からは、日本、ひいては日本人は結構重大な岐路に立っているように思う。つまり、日本人も「攻撃」に転じなきゃならないんじゃないかと言う事、「反撃」はもう始まっているからね。

 ナイーブさにつけ込む工作?長期化覚悟のガチな提訴?どうせやるなら本気で行こうよ。

 今回の衆院選、そういう意味合いを感じている日本人がどれくらい居るかが多少問題。言わぬが華というか、日本人的阿吽の呼吸と言うか、(今日的な意味での)空気を読んで、どうぞ。

2014/11/23

奥さん、論文査読お願いします。- 雑感アゲイン

 先週頭に久しぶりに英文論文を投稿した。おそらく査読が始まったころだと思う。新規性には問題ないだろうが、如何せん英語が下手なのは英語ネイティブに添削してもらっても限界がある。

 かと言って、とてつもない事を発見した訳ではない。むしろ何故同じことをやる人間がこの40年間に現れなかったのか、とすら思う様ななんちゃ無いことである。ただし有効性、汎用性は明らかに高いと思う。他人にやられていたら、もの凄く悔しい思いをしただろうと思う。と言う訳で、ここ20年くらいの関連論文を1ヶ月ほどひたすら読み漁った。他の研究者が既に同じ結果を発表していたらとても恥しいじゃないですか、着想から結果の確認まで高々3日程の内容なんだから。

 で、何となく見えてきたのが近年論文数の増加が著しい中韓在住研究者の論文内容の一般的傾向である。はっきり言って「まだ」面白くない。

 韓国研究者はとにかく一人当たりの論文数が多い。 おそらく所属機関内での評価に論文数が効くのであろう。ただ結果として試験結果の出し惜しみとも取れる傾向がある。また、常に新しい試験結果は出てくるが、結果評価に用いる手法やモデルは30年前のままなのである。結論の「これらモデルは試験結果と合わなかった」が予定調和とすら感じられるぐらいなのである。試験結果を共有してくれるのは有難いし、その点において新規性もあるのだが、しょせんそこまでなのは遺憾としか言いようが無い。本来、独自の試験データを持つ研究者が一番強いはずである。他の研究者が打ち破れない壁を文字通りぶっ壊すための鍵を持っている可能性があるからだ。先行研究者の知見を発展的に打ち壊す、そういうパワーが論文から感じられないのが「まだ」面白くない理由の一つと言える。こと知的活動においては量は質を凌駕できないのが現実だ。

 この種のパワー、という観点からは、中共研究者の論文から読み取れる研究開発姿勢は韓国からも10年以上遅れている。何故それをやるかは理解できるが、試験自体が他の研究者の後追いに過ぎないことが多い。国家プロジェクト絡みなんだからもっと大規模な試験をやれば良いのにと思うのだが、米国大学の試験装置みたいなレベルで留まっている感じがぬぐえないし、試験結果自体が新しいものになり得ない。しかし、導き出す結論は無理筋までに大きいことが多い。やった内容、結果と結論の内容の間のギャップが激しいのだ。「それは言い過ぎだろう」と突っ込みたくなる論文が多いということだ。質が伴わないのはものさびしいものである。

 一般化はできないし、やるべきでもないが、心象としての傾向はズバリ、「韓国の研究者は論文の数を多く見せたい、中共の研究者はやった事を大きく見せたい」だ。これら、各々が所属する集団の文化をも反映しているのではとすら感じられる一種のステレオタイプを打ち破る研究者の登場を心待ちにしている、というのは偽らざる心境だ。重要なのは論文自体、という当たり前の姿勢を是非示して欲しい。

 誰が何と言おうが研究開発には「王道」がある。王道を本当の意味で離れて新しい何かを手に入れる、或いは王道を極めるためには、「王道」自体を理解することが必須と言える。韓国、中共の研究者に論文を介して共通して感じるのは、彼らが「王道」を歩みつつ、それから離れる意思がないように見えることだ。果たして彼らが王道を本当に理解しているのか、意識してその道に留まっているのかは現時点では私には分からない。

「給水ぐらいで自衛隊使うな」って...

 長野県で地震、先の大震災の経験者としても被害が最小限である事を心から祈りたい。

 ネットの一部で「給水ごときで軍隊(自衛隊)使うな」との声もあるようだが、それは能天気に過ぎると言っておこう。地方自治体の危機管理能力なんて知れているのが実態で、飲料水の確保は死活問題だ。

 個人的な経験だけで言うが、自衛隊の給水作業は効率良く、きめ細かく、心配りが効いている。能力には限りがあるが、それを踏まえた運用は信頼、信用に繋がる。少し具体的に書くと、私の居住地域では自衛隊は給水タンクと牽引車を2組用意していて、上水施設への水補給と被災者への給水を交互に行っていた。給水タンクの到着から給水開始までの作業もてきぱきしており、待たされる感じは無かった。給水タンクが到着しても、「どうすればいいの?」といった雰囲気で多くの人間が立ちつくしていた地方自治体とは対照的だった。しかも24時間体制である。

 繰り返すが、「給水ごときで軍隊(自衛隊)使うな」なんて言う人間は想像力が著しく欠ける、現実を知らない野外の存在に過ぎない。

 私の場合は早朝から11時間待ちで飲料水を手に入れる事が出来たが、自衛隊によりほぼ常に給水が行われている状況を目にしていなければとても冷静に待ってはいられなかったろう。

 自衛隊投入前の自治体の対応では30分余りで給水タンクが空となり、かつ当日に追加の水補給も無かったことがあったという。集まった住人の1/10程度しか水を受け取れず、給水場所はかなり険悪な雰囲気になったという。食料と水を求める人々の行列の持つ独特の緊張感は、その場にいた人間にしか分からないだろう。

 それと、有志者の活動についても触れておかないといけない。

 私の居住地域は町工場が少なくなく、可搬式水タンクとそれらを輸送できるトラックを持つところも多い。地方自治体があたふたする中、自衛隊派遣前に給水に活躍したのは町工場の人々だ。タンクの容積は限られ、トラックのガソリンもやがて切れるのは分かっていながら、若手社員と社長、そして近所の人々としか見えない集団がてきぱきと水を輸送、供給する姿は頼もしかった。町工場の社長さん達と言うのは概して意思決定能力が高く、指示も的確、やるとなったらやるが引き際も逃さないもの、社長の肩書は伊達ではないのだ。しかも自衛隊員達の作業の様子も良く見ていて、自衛隊員と情報交換をしているような姿も見られた。結局、地方自治体の水供給作業も彼らが手伝い始めてから効率が格段に良くなっていった。

 これらの流れもあってか、私の近所では自衛隊の活動を高く評価する声が多く聞かれた。対して終始車の流れを制御できなかった警察はあまり評価されなかった。

 あとこぼれ話をひとつ。

 私は米陸軍の旧型野戦ジャケットを持っている。未使用のまま放出されたものらしく、中古感は全く無い。早朝の薄暗い中(停電中なので町に灯りはない) それを着て近所の湧水を汲むためにペットボトル詰めたアリスパックを背にとぼとぼ歩いていると色んな人に声をかけられた。曰く、「頑張ってね」「有難う」「状況はどうなっているのか、何か情報を知らないか?」「水質の検査に来たのか?」「ちょっと力仕事を手伝ってくれないか?」「病院に給水車を直接回してもらえないか」などなど。一種の笑い話としてこのエピソードが紹介できる現状を心から嬉しく思う。

2014/11/22

FIAT 500 Twinair Dualogic インプレッション - 1年間乗ってみて

インプレ最終回、結論から言えば「ぞっこん」です。

まずは前提となる条件からのおさらい。
  • 車はTwinairエンジン、Dualogic(オートマチックモード付きクラッチペダルレスシーケンシャル5段トランスミッション)、 ただし足回りのセッティングはほぼマニュアル車500Sと同等。
  • 乗り換え前の車は、先代のFIAT Nuova Panda Plus、1.2ℓFIREエンジン、Dualogic(同上)。
  • 用途は主に通勤で方道約9km。行き(出勤時)のみ軽い渋滞あり。高速道路使用は年に2、3回で方道70~150km。 
  • エコモードは酷い渋滞時以外は未使用、スタート&ストップは基本的に常時ON。
  • 停止のための減速時以外はマニュアルモードでシフト操作、エンジンブレーキも多用。
 ただでさえ足回りが日本車一般と較べて硬めの欧州車でかつ スポーツ仕様なので、明らかに足回りは硬いです。道路事態やマンホールの段差をもろに拾うので、好き嫌いは分かれるでしょう。私自身は運転しながら路面状態が把握できる方が好きなので、むしろ好ましいぐらいです。コーナリング時の車体のロール(横方向傾斜)はほぼ0で、ここは一旦ロールはするもののきっちり戻る(コーナリング後に反対方向へロールすることがない)先代Pandaとも味付けが違います。

 先代Pandaでは50km/h以上でのコーナリング時に感じたアンダーステア感(ハンドルを切ったほど曲がらない)は全くありません。少なくとも街乗りで使う速度域(70km/h以下)ではアンダーステアは感じません。その代わり、先代Panadaでは登り坂のカーブで多用したタックイン(コーナリング時にアクセルを緩めて速度を落とした瞬間に、ハンドル角度はそのままでもきゅっとより曲がる。)は使えません。一般的にアンダーステアが出るという事は「車がそういう運転はやめてと言っているに等しい」訳ですから、先代Panadaにとっては厳しい運転をしていたという事でしょう。実際、先代Pandaではコーナリング時にタイヤが鳴る事が多々ありました。が、500ではタイヤを鳴らしたことはまだ一度も有りません。ステアリング感は高速道路走行時でも変わらず、「ハンドルを切った分だけ曲がる」という感じです。500で初めて高速道路を運転した際、アンダーステアが出ることを前提に先代Pandaの感覚で車線変更をしたところ、あまりに急激に曲がったのでびっくりしたぐらいです。

 先代Pandaと較べると重量は+5%、ただし馬力は+30%ですから、動力性能には今のところ不満はありません。Twinairエンジンの応答性は非常に高く、これまた「アクセラレータ ペダルを踏んだ分だけ回る」といった感じです。3000回転を狙ってアクセラレータペダルをやや深めに踏み込んだ状態で2400回転を越えたらマニュアルでシフトアップという加速操作なら、3速に上げた時点でほぼ60km/hに達してしまいます。最大トルクが1900回転で出るのがTwinairエンジンの特徴(FIRE系エンジンは3000回転付近)で、これが良好な加速特性に寄与していると思います。このためFIRE1.2ℓエンジンを搭載した先代Pandaの「3速で引っ張って」とは一味違います。気を付けないといけない点は、アクセラレータペダルの踏み込み具合はそのままで5速までシフトアップするとストレス無く80km/hを余裕で越えてしまうこと。望む通りに「加速し、止まり、曲がる」ため一体感は得やすいのですが、「ドライバーが車の一部になって」エンジンや車自体が望むような運転をしてしまうと道路交通法i違反は必至です。

 速度は160km/hまで確実に出ます。ちなみにカタログスペック上の最高速度は170km/h超です。120km/h辺りまでの加速にはエンジンのトルクが太い2000回転超の領域が使えるので何らストレスはなく、高速道路合流時に速度不足となるような心配もありません。140km/h辺りでドアミラー付近からの風切り音が気になり始め、加速感は頭打ちになってきます。ただし、高速道路での追い越しのための110km/h付近から140km/h付近までの加速にはほとんどストレスはありません。高速道路でもアンダーステア感はほぼ無く、路面の凹凸はがつがつ拾うものの接地感が失われることはありません。ただし、これらはあくまでで好天時の話なので念の為。先代Pandaで雨天時に高速道路を走った際には、時折タイヤが滑ってるような感覚がありました。エンジン回転数は120km/h巡航時に5速で2800回転程度、アクセラレータペダルは気持ち踏んでいるだけなので瞬時燃費表示には平然と20~40km/ℓの値が示されます。エンジンを3000回転以上回そうとするとそれなりにアクセラレータペダルを踏み込む必要がある、といった感じでしょうか。なお、高速道路走行時にエンジン振動が気になることはありません。

 Twinairエンジンのトルクバンド下限は1400回転付近にあります。ですから、この辺りの回転数でアクセラレータペダルを踏み込むとエンジンは「どっどっどっ」とばかりに低振動数で大きく振動します。これは結構気持ち悪い振動で、「酔う」人がいるのも分かります。一度わざと1400~1600回転中心で運転してみたら30分程度で私も気分が悪くなりました。Dualogicをオートマチックモードにしておけば、シフトアップ直後にアクセラレータペダルを緩めるといった意地悪な運転をしない限りはこれらの回転数領域は使われません。マニュアルモードならば尚更回避は容易です。先代Pandaはエンジンのトルクバンド下限を積極的に使う事で大幅に燃費改善が可能(私の実績は3000km平均18.6km/ℓ)で、エコモードでもこの回転数領域を積極的に使うようになっていました。つまり、先代Pandaのエコモードは「エンジン回転数を上げない」というものでした。対して500のエコモードはシフトアップ時のエンジン回転数は通常モードと同等のまま、エンジンの燃料噴射量などを調整して燃費向上を図ります。この違いは、「Twinairエンジンではトルクバンド下限付近のエンジン回転数が振動のため使えない」という判断に基づくものだと推測しています。4速まではDualogicに任せてとにかく加速、巡航速度で可能ならマニュアルで5速にシフトアップして1700回転ぐらいを使う、という運転の方がだらだら加速するよりも平均燃費は良くなるんじゃないかと思います。私の500の実績は1000km平均で17.0km/ℓ。

 2気筒エンジンのためかエンジンブレーキは「エンジンの音の割には」効きません。特に2速で効かない印象で、減速時に2速にシフトダウンするとアクセラレータペダルを踏んでもいないのに「ぬるぬるっと僅かに加速する」感じを受ける事があります。この特性は正直不満、とういうかちょっと気持ち悪いところですね。Dualogicも熟成され、先代Pandaの鬼門であった「緩傾斜を1速で下っている際の自動半クラッチ解除時のかっくんがくがくがく」に類する「分かっていても避けられない」困った挙動は完全に無くなりました。

 走行速度メーターとエンジン回転数メーターのレイアウトは一部で「読みにくいのでは?」という声もありました。しかし、要は慣れとメーターのレンジ設定の問題です。2000回転超付近、60km/h超まで の運転条件であれば両者の針の位置は近くて一目で両方とも確認できます。また、Twinairエンジンならエンジン回転数はエンジン音、トルク変化を反映したアクセラレータペダルの踏込み量と加速感との関係で3000回転ぐらいまではメーターを見なくとも直ぐ分かるようになりますよ。

  さてFIAT 500 Twinair、癖はあるけどキビキビ感に満ちた良い車だと思います。少し寄り沿ってあげれば「癖は最大限生かすべき特徴」となります。ガチガチ行きたければマニュアルトランスミッションの500S、更にパワーが欲しければアバルトもあります。ちょっとなんちゃってクロス感は否めませんが500Xも控えています。現行PandaもTwinairエンジン搭載となりました。噂では500は千葉県の一部で物凄く普及してしまって食傷気味だとか、でもそれはあくまで「見た目」の話。同じ500でもFIRE1.2ℓ、FIRE1.4ℓ、Twinair、更にはアバルトとエンジンが変われば旋回半径(Twinairエンジンは小さいので前輪の最大舵角も大きく取れるそうです)どころか可能な走りも全く別物なのです。

2014/11/08

クライスラーの名前で出ています。

 愛車FIAT500 Twinairの一年点検に行ってきました。ちょっと健忘癖がある様ですが車としては問題無し。先代愛車のNuova Pandaが120km/hぐらいで加速が頭打ちという高速道路走行にはちと辛かったことを思うと、120km/hからも十分加速が得られるFIAT500 Twinairは周囲の流れに合わせるのが楽チン。

 さて、エントリタイトルはディーラーの担当者との雑談で出てきた話。エクステリアデザインという点に限れば、個人的に大好きな車はまずランチア・ストラトス、次いで先代(2代目)のランチア・イプシロンってあたり。だから先代イプシロンに乗っていた可能性もあった筈なんですが、日本国内に正規ディーラーが当時は無かった、と言うのが現実。

 二代目イプシロンが出たのは2002年。これを既に目にしている以上、デザイナーがTVCMで自らのデザインについて何を語ろうが、所詮日産のデザインインはランチアやルノーの劣化版にしか見えなかった訳です。特にリアのデザイン処理は日本車は総じて不格好、かつフロントとの不整合具合については個人的に醜悪さを感じる事が多いぐらいです。その辺りが分かっているのはスズキ、次いでマツダぐらいじゃないかなぁと思います。マツダが次点なのは処理方法が似た先行品があるためで、本当の実力が試されるのは現世代以降でしょう。ホンダは完全にデザイナーにタレント不在ですね、とにかく醜くて馬鹿っぽい、機能性とも完全に乖離しちゃってる。N-BOX/N-oneとHUSTLERとのエクステリアデザインの「質」の差は歴然、HUSTLERにはこの車にどういう外観を与えるべきか考慮した感が強いですが、N-oneなどは外観変えてみました感しかないですね。トヨタは整合性と言う点で日産やホンダと較べればマシですが、方向性と言うか何がやりたいのかが分からないというか、少なくとも「美」と無関係な感じで魅力は全くありません。スバルは近年やや迷走中、アクが強くなくなった分だけ受け入れやすくはなってます。ダイハツ、三菱自工のデザインにはここんところ見るべきものは無いですね。

 閑話休題。

 ランチアはアルファロメオと同様にフィアットグループです。が、「アルファロメオとランチアは同一店舗で扱ってはいけない」との決まりがあったため、そもそもアルファロメオの日本法人を起源に持つ当時のフィアット・ジャパンはアルファロメオとフィアットの併売故にランチアが扱えませんでした。このあたりの話をディーラーでしていたら、 「(三代目は)クライスラーで扱ってますよ。」とあっさり。

 帰宅後に調べてみると確かにその通り、1年以上前にクライスラーの名前で出てました。 プラットフォームもエンジンも500と基本的に同じの様です。ただし二代目と較べるとエクステリアデザインが明らかに米国車寄りとなったのはちと残念。ちなみにフロントグリル周りは6万円程度でランチア版に交換できるそうです。

 あと、赤色(所謂アルファロメオの赤色)の500特別仕様車がありましたが、先週のディーラー入庫時点でもうディーラー割り当て分は売約済みとなったそうです。「塊」感が出る色なので小さくて丸い500には結構合ってると思いますね。それとPanda 4x4もありました(白と黒のまさに正調Panda)。先代Nuova Pandaも4x4も国内販売されましたが、左ハンドルのみだったのが災いしてか売れなかった様です。今回は右ハンドルで6速マニュアルですが果たして?

 おまけ。フィアット500 ソレントへ行く - 太陽と海と500ツアー

2014/11/03

やっと請求権協定を踏まえた展開?

 相変わらずkoreaしているニュースばかり聞こえて全く面白くも無いので韓国方面ほぼ放置だったのですが、すわ、態朝鮮日報記事「強制動員被害者 韓国政府に請求権資金の返還求め提訴へ」です。

 やっと日韓請求権協定の取り決め内容、趣旨を踏まえた動き?が韓国にあったようです。請求権協定はもちろん双方向、日本が請求権を放棄している事案もあるのです。とは言え、やっと当たり前の展開ですか…と思ったらやっぱり反日国家、「日本の免責の口実を与えた政府」って挟んじゃうあたりはやっぱりねじくれててkorea(韓国する、という動詞)です。
 日本による植民地時代に軍人や軍属などとして強制動員された韓国人被害者の遺族が韓国政府を相手取り、1965年の韓日請求権協定で日本から無償で受けた資金の返還を求める訴訟を起こす。

 軍人・軍属・労務動員被害者でつくるアジア太平洋戦争犠牲者韓国遺族会は3日、会見を開き、1人当たり1億ウォン(約1050万円)の被害補償金返還訴訟をソウル中央地裁に起こすと明らかにした。原告は軍人・軍属被害者の遺族3人。

 遺族会は「韓日請求権協定の調印で日本から援助を受けた資金8億ドルのうち、無償資金3億ドルは軍人・軍属被害者への補償金だった。その資金を基に経済を発展させただけに、国はこれを被害者に返すべきだ」と主張した。

 訴訟代理人の法務法人は「日本の裁判所は強制動員の違法性と請求権の効力を認めていない。協定を結び、日本の免責の口実を与えた政府は被害者に一部の資金を返すべき」と指摘した。

 日本政府は強制動員被害者の賠償要求に「請求権協定で問題は完全に終結した」との立場を示している。

 今回の原告の一部は1991年、強制動員について東京地裁に損害賠償請求訴訟を起こしたが、同地裁は2001年、訴えを棄却。請求権協定で、3億ドルを無償で韓国政府に供与しており、被害補償は韓国政府が責任を持つべきだとした。

2014/11/02

やっと「宇宙戦艦ヤマト 復活編」を観ました。

 「さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち」にギリギリ引っかかっているオッサン世代の視点からは、実写版「Space Battleship Yamato」、「2199」とは較ぶべくもなく遥かに「ヤマトらしさ」を感じてしまう作品。ヤマトの無双ぶりは気持ち良いぐらい。

 作品として特筆すべき点のひとつは3DCGカットの他のカットとのなじみの良さ、画作りのセンスがあるとこうなるのか、という好例ではないかと思う。

 「Space Battleship Yamato」は悪い意味でCG屋の手癖、実は安く上げるための合理的ワークフロー、の枠をはみ出すことが無く、結果的にクリエイティビティは今二つ。明らかに参考としたであろう米国TVシリーズ「Battlestal Galactica(リメイク版)」の洗礼を浴びていた身としては、質はTVシリーズレベルと同等か及ばないとの印象を持たざるを得ない。画として具体的に見せる、という観点のクリエイティビティにも乏しい。動きにアニメ的なタメが無いのは当然としても、ゲーム用物理エンジン的な「慣性力」感を払拭できなかった点は単純に製作側の汚点であろう。使ったレンダリングエンジン(CGソフトによって意外に癖がある。特に点光源の処理結果)がアマチュアの私にも分かるのはポスト処理に余り手をかけていない、或いはレンダリング画像で良しとしたとも考えられるが、「それで良いのか(誰にでも作れる画で良いのか)?」という話。

 「Battlestar Galactica」の3DCGカットにしても、VFX専門スタジオZoicとUniversal社のインハウスVFXチームとの画の質の違いは歴然で、Lightwave3D丸出しのインハウスVFXチームの仕事は決して褒められるものではない。「安かろう悪かろう」の典型例、或いはアイディアを持つアーチスト集団と想像力に欠けるエンジニア集団との違いとでも例えられようか。

 また「2199」は結局のところ手書きの焼き直しに過ぎず、レイアウトは基本的に非凡。モーション付けはタメがあったり無かったりのバラつきが大きく、アウトラインシェーダーとセルシェーダー(輪郭線とセル塗りをシミュレートするもの)の使用が他のカットとの断絶感をむしろ強調してしまうというのは皮肉な話だ。

 「宇宙戦艦ヤマト 復活編」でも全ての3DCGカットが良いとは当然言わないし、言えない。個人的には「どういう順番で3DCGカットが製作されたのか?」がかなり気になる。大雑把に言って、ストーリーの進展とともに3DCGカットのなじみがどんどん良くなっていくからだ。これは単に後半に集中しがちな重要なカットに時間をかけたというだけなのかも知れないが、一作の中で「地球の3DCGカットの出来」にあんなに落差のある作品は個人的には初めてだ。レンダリングエンジン一世代(3~4年)分ぐらいのギャップがある。

 「宇宙戦艦ヤマト 復活編」の3DCGカットではアウトラインシェーダー、セルシェーダーともに使用していない。このため、火焔、煙、水などの処理には悩まなくても良く、特に煙は完全にリアリティ重視と言える。他方、爆発に伴う閃光が周囲に及ぼす影響は、無視されるか細部を省略したかのような大雑把な表現になっている。換言すれば、3DCGを使いながらも光の処理は(おそらく意図的に)極めて手描きアニメ的であると言える。これを3DCGでやるということは、むしろ一手間も二手間も余計に手間をかけたということに他ならない。しかし、手描き背景の緻密さとアニメ的な嘘(例えばメタリックな構造物への写り込みが無い)との相性は格段と良くなることを期待して良い。

  「Space Battleship Yamato」は光の媒介物(真空なのか、ガスがあるのか)の効果をレンダリングの時点で作りこめていないので、ポスト処理で頑張ってもスケール感や重量感の表現には制限が多い。点光源の光が遠くまで届いてしまっては、(真空中ではそうだと言っても)巨大感はスポイルされてしまう。また、Universal社のインハウスVFXチームと同様に「何が光源なのか分からない環境光」を強くするという愚を犯しており、宇宙空間での光と影のリアリティはほぼ無いと言って良い。船体表面などの凹凸、微細構造は影があってこそ見た目のリアリティに寄与する訳で、影を積極的に使わないのであればモデリングの頑張りは意味がない(影を使わないならバンプマップやノーマルマップで十分で、単にメモリの無駄でもある)。「2199」はアウトライン、セル塗り調でありながら光(と影)の表現が突出してリアル寄りであるため出来上がりの画が内在する違和感の排除は不可能だ。結局、「宇宙戦艦ヤマト 復活編」のヤマトが重量感という観点からは突出して見栄えが良い。特に逆光のなか海上に佇むヤマトの姿は、「重量感」を越えて「戦艦感」とでも言うべき風情すら感じてしまった。それは単に止め絵であるからではなく、ヤマトが登場する3DCGカットのほぼ全てにわたって共通する光の処理への考え方に負うところが大きいと思うのだ。

 ちなみに「キャプテン・ハーロック」のモデリング+テクスチャに極端に頼った方向性では影が使えない。結果、画で使えるコントラスト幅、色の彩度幅は著しく制限され、光と言えば白色しか使えず(白色しか使わないだけでも見るべき見識はあると言える)勢い画は単調とならざるを得ない。

2014/10/31

今日の某報ステも酷いですね。

 元官僚?のコメンテーターの言う事の酷い事ったらない。再生可能エネルギーの欧州事情に関する話(さも上手く言っているかの様な表現)は明らかに嘘も同然、そんな話をもっともらしく公共の電波で語るなんて誠意の欠片も無い。民間企業の様々な努力に言及できないところなんかがあの人の限界で、かつ信用の無い証拠かも、情報を持っていない?

 日本語も論理もハチャメチャ、いい大人なんだから嘘をついたり言葉を弄ぶのは止めなさいよ、いい加減。不勉強故の底の浅さ、言葉の空疎さは怠慢のそしりを免れまい。

2014/10/30

ゴジラの映画音楽と言えば…

まずは伊福部昭氏、でも佐藤勝氏も忘れちゃいけない。両氏ともにリズミック、かつ一種の日本テイストを備えた楽曲を特徴とするが、方向性は全く違う。ざっくり、伊福部氏は西洋楽器を使いつつ日本(更にはアイヌ楽曲)的なリズムやメロディーを導入するという方向性、対して佐藤氏は和太鼓などの日本のパーカッションを積極的に使う方向性、と言えるんじゃないかと思う。

 ゴジラシリーズに絞れば、佐藤氏は「ゴジラの逆襲」と「ゴジラ対メカゴジラ」の劇音を担当している。前者ではメインタイトル、後者ではゴジラの皮(?)がはがれてメカゴジラが全身を表すシーンに使われた楽曲がそれぞれお気に入りだ。

 まず「ゴジラの逆襲」。黒澤明映画っぽいと思ったあなた、そう、その通りですよ。
 で、メカゴジラ。
 で、今日初めて知ったの事が!この曲に歌詞付きのバージョンがあったとは!

2014/10/28

広東語だよ。

 香港の自由選挙を求めるデモの行方は未だ見えない。中国共産党はあくまで対立姿勢を崩せない、そう、「崩せない」のだ。TV報道によれば、CCTV(中国中央電視台)はデモ反対派の声しか流していないらしい。デモする側も中国共産党も共に時間は味方ではないようだが、落とし所のない対立は何時まで続くのだろうか。

 さて、TV報道の中で久しぶりに広東語を聞き、ちょっとなごんでしまった。昔の香港映画を良く観ていた人なら直ぐに分かるだろう。広東語は北京語とかなり違う言語で、知り合いの北京語話者も広東語は全く分からないという。広東語が喋れる訳でも理解できる訳でもないが、少し聴けばそれと分かるのは我ながら面白い。中国共産党の基本方針は北京語への統一だが、別のソースによれば広東語はしぶとく使われ続けているらしい。少なくとも一世代分の期間は使われ続けられるだろう。

 昔、広東語を調べていて面白いと思った点の一つは「ん」から始まる単語や表現が多い事である。ジャッキー・チェンの古いカンフー映画では、「んごい」という表現が良く聞かれる。これは「どうも(有難う、助かります)」に相当する表現だ。「我(私)」も「んがぁ」に近い発音である。動詞を過去形にするために使われる「過」も「んごぉ」に近い発音である。同じ漢字の発音も北京語とは近いようで違う。「好」は「はぉ」ではなく「ほぅ」に近いし、「貴方」に相当する単語は「にぃ」ではなく「ねい」である。

 使用する言語は話者の思考にも影響する。従って言語の喪失の意味するところは実は大きい。中国共産党の同化政策に「北京語使用の強要」が含まれるのは至極当然と言えよう。久しぶりに耳にした広東語になごみながらも、ずっしりと重い別の思いも頭をよぎるのだ。

 それはそうと、某報道ステーションのエボラ出血熱対策に関するキャスターとコメンテーターの会話はもうはや漫才。言葉遊びに興じることしかしてこなかっただろう人々の言葉はホントに空疎、論理性も意味も無い点はある意味凄すぎるね、庶民感覚の無さも凄いしね。

2014/10/26

「歴史観」について思うこと。再び。

 「自虐史観」とか「正しい歴史観」なんて言葉狩りはどうでも良い。「正しい歴史観」という表現が内在する政治的意図は唾棄すべきものだ。

 私の考える「適切な歴史観」とは単純、現在の国際状況を説明できる「歴史観」だ。韓国の「正しい歴史観」では東南アジア諸国は反日の筈だ。だが、現実はそうではない。歴史を紐解けば分かる通り、大日本帝国と帝国軍はある時は植民地解放の名の下に現在のアジア諸国の人々と戦い、時に日本帝国軍の軍政の下で共に発展を進めたり逆に搾取したり、またある時にはかつては共に戦った現地軍相手に戦ったりもした。その経緯は国によって様々であり、それらを特定の意図の下で定型化、再編集して作られた「正しい歴史観」なるものは、現在の国際情勢を説明できない矛盾に満ちたものになるのは必定だ。「歴史観」は与えられるものではなく、ましてや無批判に受け入れるものでもなく、歴史を学び、調べる作業を介して身につけるべきものだ。

 最近調べて目からウロコだった話がある。沖縄で使われる「うちなー」という言葉の意味、それも概念的なものではなく単語としての意味である。現在、「うちなー」は沖縄県内や沖縄本島を指す。かつては「(沖縄県の人から見た)内地」や「内地人」が訛ったものかと思っていたのだが、実はずばり「沖縄」そのものなのだそうだ。

 現在の沖縄県の一部、乃至は多くの島々はかつて琉球国を形成していた。当然、使われる言語はいわゆる現在の日本語とは異なる上、多くの方言もあった。それらの言葉のうち、現在の沖縄本島でかって使われていた言語では「おきなわ/Okinawa」はそのまま発音できない。まず母音に「お」が無い(その代わりと言っては何だが「い」が2種類ある)ので、近い音が選ばれて「O→U」と化ける。ついで、子音の「k」が日本語には無い「ch」に近い音になるので、「ki→chi」と化ける。敢えてひらがなで書いてみれば「つぁ、つぃ、つゅ、つぇ、つょ」が近いのかもしれない。最後は特殊で、「母音にはさまれたwの発音は省略、あるいは無音化する」というもので、「na-wa→na-a」と化ける。

 結果、「O-ki-na-wa/沖縄」は「U-chi-na-a/うちなー」となる。「うちなー」は沖縄を指す単語であるが、「意味がそうである」ではなくて沖縄そのものなのだという。本当、調べてみないと分からないものだ。

 さて、沖縄関連に脱線したのには意味がある。 産経ニュースの記事「朝日新聞作成の教材 日本軍の残虐性強調 指導要領逸脱の指摘も」から一部を引用したい。
2014.10.26 05:37
朝日新聞が今夏、沖縄戦について「日本軍は住民を守らなかったと語りつがれている」などとする中学・高校生向けの教材を作成して学校に配布し、教育関係者 から「偏向的な内容で子供たちに誤解を与える」と批判の声が上がっていることが25日、分かった。戦争の悲惨さを伝える一方、日本軍の残虐性を強調する記述が多く、学習指導要領の趣旨を逸脱しているとの指摘もある。朝日新聞はこの教材を38万部作成したが、学校現場に適切かどうか議論を呼びそうだ。
 また出た、朝日新聞社である。

 報道を生業と称しつつ、読者すらも放置して正面切って議論をすることもないまま、(おそらく、実物を見ていないので)「特定の歴史観」に沿った内容の教材(!)を押しつけようとでもしているのかと勘繰らざるを得ない。「嘘をつく、嘘がばれても謝罪もしない、挙句に開き直る」とか、せめて小学生の「道徳」からやり直せと言われて久しい朝日新聞社が教材など笑止だ。自分達が○○や××だからと言って、他者まで○○や××とは思わないで欲しい。間違っても他者よりも自らが優れているとか思って欲しくもない。他者と対話すらしない存在は、「社会的存在」とは言えない。対話「できない」なら「報道機関」の資格すらない。

 「ヒトラー権力掌握の二〇ヵ月」(分かり易さ優先で話が一部単純化されているので、他の文献での知識の補足をお勧めするが)は読んで理解できても、「ナチスの知識人部隊」は読んでも理解できないのかな?まぁ、おそらくどちらも読んでいないのだろう。前者の内容を理解すれば、ひとたび「大衆運動」が勃発した際に自分達がどういう運命と向き合うことになるかは一目了然だ。後者を読めば第二次世界大戦の欧州戦争は第一世界大戦の延長に過ぎず、ヒトラーやナチスの存在がその勃発に必須とは言えない可能性に気づくだろう。さらに、ユーロ圏の危うさ、もっと言えばドイツ視点で眺めた場合の胡散臭さにまで思いは至る。英国がなぜ自国通貨ポンドを固守するのか、自国内銀行の欧州連合からの独立にこだわるのか、といった現状に対して自分なりの説明、理解が得られているのは、それを支える自分なりの歴史観があるからである。

 件の教材の内容では「沖縄独立運動」や「米軍基地フェンスへ黄色いリボンを結び付ける反基地運動」は説明できるが、「沖縄の本土復帰運動」や「まだ米国統治時代に甲子園に出場した沖縄の高校球児が持ち帰った『甲子園の土』を、検疫上の理由で泣く泣く船上から海に捨てなければならなかったことがあった」ことや、「基地反対派がフェンスに結び付けたリボンを外して回る基地近隣住民の存在」 を説明できるだろうか?これら多様性故に一見対立する複数の事案を同時に説明できなければ、その教材とやらの依拠する歴史観が「適切或いは健全な歴史観」である資格はない。

 「歴史観」とは現在を理解するための一種の出発点である。出発点が間違っていれば、それだけ正しい現在の理解に至ることは難しくなるだろう。ただそれだけだ。

Megpoid English、Kraftwerkの「放射能」カバー、リビジョンアップ!

 リビジョン1です。

 Native Instrument社のソフトシンセMassiveの音色作成のコツがかなり分かってきたので、Cakewalk社のソフトシンセZ3TA+2と同等に自分好みの音色を大量作成中。"Radioactivity"についてはベース音を新規音色に差し替え、バランスを取り直すために他の音源の音量や定位をかなりいじりました。ただし普通に聞く分には差は僅かでしょうね。

 あくまで「俺の中では別物」ということで。

国際新聞編集者協会の方と意見が一致してますが。

 Viewpointのインタビュー記事「韓国は『言論の自由』を遵守すべし」。

 記事中、言論自由マネージャーのバーバラ・トリオンフィ氏は朝日新聞社の慰安婦捏造報道について以下の通り述べてる。これらはまさに以前のエントリで紹介した私の見解と瓜ふたつ。
「メディアが誤報をした場合、2つの対応が不可欠だ。一つは誤報記事に対する正式謝罪だ。2つ目は誤報関連の全記事リストを公開することだ」
 おそらく「常識的に考えればそうだろう」ということで、1点目はもとより2点目が欠けているのは全くもって誠意がない。「訂正記事の特定、明示化」は朝日新聞社の義務であり、8/5の時点で可能な事項だ。つまり「逃げをうっている」のが見え見えなのが見苦しいってこと。

 その他にも朝日新聞社の対応の「非常識さ」があらためて際立つインタビュー記事だ。「マスコミじゃない」と見做せばそれまでだが、ならば唯のプロパガンダチラシに過ぎないということ。「新聞として踏みとどまらんとする」姿勢は依然として全く見えないのは、もはや駄目ってことだよねぇ。 
韓国は「言論の自由」を遵守すべし  
編集局  2014/10/23  コラム|韓国・北朝鮮 [ウィーン発コンフィデンシャル]  

 ウィーンに本部を持つ国際新聞編集者協会(IPI)の言論自由マネージャー、バーバラ・トリオンフィ女史は22日、当方とのインタビューに応じ、産経新聞前ソウル支局長の在宅起訴問題と朝日新聞の慰安婦報道の誤報について、その見解を明らかにした。

 ソウル中央地検が8日、韓国の朴槿恵大統領に関するコラムをめぐる問題で、産経新聞の加藤達也前ソウル支局長を名誉毀損で在宅起訴したことに対し、同女史 は「言論の自由を著しく傷つけている。加藤氏に対し刑罰上の名誉毀損(criminal defamation)を適用することは国際法の基準を逸脱している。政府関係者や公人は批判に対して寛容であるべきだ」と述べ、韓国当局は加藤氏への全 ての処罰を即撤回すべきだと要求した。

 イタリア人の同女史は「『言論と表現の自由』に関する2002年の国連特別審査官の共同宣言、 欧州安全保障協力機構(OSCE)や米州機構(OAS)の特別報告書は『刑罰上の名誉毀損』を表現の自由の制限に適応することは正当ではないと明記してい る。産経新聞の場合、朴大統領が自身の名誉が毀損されたと感じたならば、民事法の名誉毀損(civil defamation)を訴えるべきだ。産経新聞 のジャーナリストが起訴された背景には、険悪な日韓関係が多分影響を与えているのかもしれない」と語った。

 一方、朝日新聞の慰安婦問題に関する誤報について、同女史はメディアの「責任問題」に言及し、「メディアが誤報をした場合、2つの対応が不可欠だ。一つは誤報記事に対する正式謝罪だ。2つ目は誤報関連の全記事リストを公開することだ」と指摘した。

 朝日新聞の場合、社長が謝罪を表明し、誤報記事の背景を検証する委員会を設置したが、朝日新聞の慰安婦報道は国内だけではなく、海外のメディアにも大きな影響を与えている。安倍晋三首相は「朝日の慰安婦報道の誤報は日本の名誉を傷つけた」と主張しているほどだ。

 トリオンフィ女史は「国や公共機関はメディアの誤報に対し、賠償請求はできない。国は誤報による被害総額を計算できないからだ。ただし、読者が連帯して朝日の誤報に対し被害賠償を請求することは可能だろう」と説明した。

  IPIは1950年10月、創設された機関で、言論の自由を促進し、世界の言論の自由を検証した年次報告を発表している。 120カ国以上が参加している。

(ウィーン在住)

2014/10/21

K11+磁石

 銃器の歴史は長いですが、最新製品が優れている訳ではないというのが当たり前、常識だそうです。実際、軍用銃ともなるとどのような状況下で使われるかは分からない訳で、「想定外は避けられない」と言われれば思わず納得してしまいます。靴と違ってサイズは単一、この時点で身体も手も小さな私は想定外どころか「規格外」ですね。

 さてK11は韓国軍の最新ライフル。特徴は重くて信頼性が低いこと、もとい、20mm空中さく裂弾ランチャー一体型という点です。この空中さく裂弾、発射前に設定した距離飛んだあとで自動的に爆発するという優れモノで、照準装置のコンピュータが故障さえしなければ敵の頭上で爆発させることで物陰に隠れていても致命的なダメージを与えることができるとされています。個人的には20mmは小径過ぎて実効性は低いんじゃないかとは思うのですが、とにかく自称「凄い」らしいんですよ。が、件のコンピュータの初期故障率が異常に高いとか、ライフル弾マガジンのスプリングが直ぐにへたるとか問題が次々と発覚、それでも量産は始めていたんだとか。

 そんな中、K11に新たな、と言うか想定外の機能、と言うかはっきり言って仕様レベルの大欠陥が発覚しました。朝鮮日報の記事「K11小銃に深刻な不具合、防衛事業庁は黙認して量産 『磁石を当てただけで撃発信号と誤認』」から一部抜粋です。
 韓国軍が誇る高品質兵器、「K11複合小銃」。防衛事業庁(防事庁)は、K11複合小銃に性能上の問題があることを事前に知りながらこれを黙認し、量産を強行した疑惑が浮上した。

 最大野党、新政治民主連合の金光珍(キム・グァンジン)議員(初当選、比例)によると、国防技術品質院は今年5月30日に「K11複合小銃電磁波影響性実験」を行った。この実験で、K11複合小銃の20ミリ空中さく裂弾の撃発センサーが、市販されている一般的な磁石の磁性を撃発信号と認識してしまう欠陥が確認された。

 20ミリ空中さく裂弾は、弾に電磁信号を入力することで、一定の距離を飛んだら爆発するシステムになってい る。電磁装備なので、電磁波の影響をかなり受けるという。このため、今後普及が予定されている戦闘ヘルメットのヘッドセットマイクの磁石にも影響されかねないことが明らかになった。万一の場合、K11複合小銃を携行した兵士が銃の誤射・誤爆事故に遭いかねないというわけだ。デリケートな電子装置を有し、誤作動の危険が大きい複合小銃は、米国やドイツでも開発を中止している。
  「韓国軍が誇る高品質兵器」との表現を冠せられながら、K11が全然「高品質じゃないこと」を切々と語るというある意味面白記事。この記事を書いた人は論理性を著しく欠くか、筋金入りの皮肉屋の何れかでしょうねぇ。

 「さく裂弾装填状態で高圧送電線の下を通過しないように」とか、笑えない、笑えないなぁ。

2014/10/19

NHK 「カラーでよみがえる東京」に激おこな俺

 別の事をしながらの「ながら見」ながら、「それはないだろう」と言う色が多くて閉口。カラー化と言っても結局着色に過ぎないならば全く意味が無い。使用した色には何らかの技術的根拠ぐらいはあろうが、最後にモノを言うのは広い意味での考証、色に関する他の資料との相互参照などによる根気が必要な「人の手の介在」だ。「知性、知識の介在」と言っても良い。

 これを3DCG映画製作に例えれば、ピクサーやディズニーがキャラクターのモーション付けのために何故アニメーターを多数雇っているのか?才能あるアニメーターを発掘しようとし続けているのか?という問いへの答えに相応しよう。

 海外のドキュメンタリー番組でもモノクロフィルムのカラー化は良く行われているが、きっちりとした時代考証を踏まえての作業である事にしばしば感心する。それら労作と較べると、適当な時代考証故か遠慮がちに薄く色付けされた画像には「如何にも」といった作りモノ臭さが付きまとう。はっきり言えば、「限りなく嘘に近い」、「実質的にじゃねつ造」と言うことだ。

 少なくとも製作側に「軍装」に関する知識が皆無であることは明言できる。使われている色は国を問わず適当で、全くもってやっつけ仕事、知性も魂も全く感じられない。おそらく歴史の知識も圧倒的に不足しているのであろう。一事が万事、底が浅いのである。もしかしたら唯の無能なのである。頑張ったって結果があれでは意味が無いのである。

 NHK解体論?こんな調子ならそれも妥当だ。敢えて問う、私達の御先祖様に対するこの「誠の無い」所業、お前達は何者だ?何が目的だ?

これは凄ぇ、「柏サポがFWドゥドゥに『アホの坂田』チャントを歌う→まさかの反応が…」

 ドメサカブログのエントリを見てびっくり。

 関西のTV電波圏で小学生時代を過したことがあるオヤジ世代なら(ほぼ)絶対知ってる「アホの坂田」、でもそれっぽく踊れる人は良くて半数。誰が横歩き教えたのよっ!サイコーじゃんっ!て話。
 で、オリジナル、コテっコテですな。「(アホの坂田)馬鹿にすなーい!」→「アホちゃいまんねんパーでんねん」は明白。阿呆、馬鹿、パーの明確な区別はひとつの関西文化と言って過言ではないのだが、関東に来るとその辺りは通じないというかニュアンスが結構「てれこ」なんだよなぁ。

つ iTunes12.0.1.26

 何気にiTunesをアップデートしたらバージョンが12.0.1.26に。ついにiTunes12登場です。

 まず目につくのは、アイコンの色の変更。個人的には下品な感じがしてどうも勘弁っていうのが正直なところ。私のWindowsデスクトップの基調色は淡い緑なので、見事に補色がぶつかる形で相性が悪いこと甚だしい。「日章旗ガー!」までもう二息ぐらいかな?ちなみにグラデーションは「フラットサーフェス」との相性が最悪の筈。

 レイアウトもかなり変わっている、と言うか思想からして変わっているので最初のうちは混乱必至ですね。差分でも追えるけど、考え方をリセットした方が絶対効率的。インターフェースやレイアウトの理解のキーワードはやっぱり「フラットサーフェス&タイル」、かつディスプレイは横長(ワイドスクリーン)が大前提と見た。が、それでも横幅が足りない感じのiTunes Storeのレイアウトの間抜けさ加減は素人目にも痛い。

 「フラットサーフェス&タイル」ベースのユーザーインターフェイスはWindows8のやり方の方が王道であり、徹底具合も完成度も高い。問題はユーザーがそれを受け入れなかっただけである。それを見ていたのかどうかは不明だが、iTunes12の「フラットサーフェス&タイル」の導入具合は実に中途半端に見える。iOS7、8とiTunes12との間にもデザイン思想に乖離が残る。ポストジョブス時代のAppleのユーザーインターフェースデザインは、視覚的にも機能的にも統一感が完全に失われてしまったままだ。

 iTunes11ではかなり処理が馬鹿っぽかったiTunes Storeアクセス時のディスク使用方法は改善された模様でこれは良い点、と言うか少なくとも普通にはなったという話。

 Windows7 64bitでのウィンドウ右端問題はiTunes11からきっちり引き継いでいる、っつーか引き継ぐんかい!

Megpoid English、Kraftwerkの「放射能」カバー

 音は全てNative Instruments社のソフトシンセMassiveで作ってやろうと。サイン波や矩形波が実にピュアでちょっとびっくりした事と、ユーザーインターフェイスが全く理解できなくて困っていたのにチュートリアルビデオを30秒ほどチラ見したら一瞬でユーザーインターフェイスの操作方法がほぼ全て分かってしまった事が発端。そうかドラッグ&ドロップすれば良い訳ね、ということ。ノイズも使い易いしね。

 あ、もちろんMassive VSTプラグインをDAWにロードしてまず実行するのは設定の初期化ですよ。この流儀はCakewalk社のZ3TA+2を使う時と全く一緒。

2014/10/18

為替介入はやめなはれ


 別に米国の肩を持つつもりもないけど、結局その場しのぎの策に出て既にぱっくり開いている傷口を更に広げる様は中韓ともに実に無残。米国の糾弾はもっともで、経済が専門でなくてもマズイいことをやってることは十分に分かる。既に避けられないと分かっている予測された経済破綻は自国の利益にならないばかりか、その過程で結局ゲームに参加できる富める者を更に富ませるだけだ。そしてその分だけ破綻後の処理に要する資材や時間もどんどん大きくなる。

 韓国においては多少の同情の余地はある。既に海外の経済植民地と呼ばれて久しく、自国企業の収益の大部分が海外へと出て行くのが実態だ。

 このような経済構造は実はソヴィエト連邦(ソ連)崩壊直後のロシア共和国に似ている。当時のロシアではエネルギー関連企業が軒並み国内の新興成金と欧米企業の資本に抑えられてしまい、これら企業の収益はほとんど国内に残らなかった。状況を変えたのはプーチン現大統領である。彼はエネルギー関連企業の国有化を強行し、更に企業の統合を進めて巨大エネルギー企業体(ガスプロムやアトムエネルゴプロムなど)の形成を一気に推し進めた。天然ガスや原子力プラントの輸出は国内経済復活の原動力となり、加えて外交上のカードとなった。この辺りの経緯を知らないと、ロシアでのプーチン人気の高さは理解しにくいのではないかと思う。プーチン大統領の手法で欧米資本は少なからずダメージを受けた。しかし、ロシア国民の不満が「ソ連時代への回帰」へと向かう勢いを断ち切ったというのも事実であり、地域安定の観点からは正解のひとつだったと個人的には捉えている。ロシア国内が混乱状態となればロシアからのエネルギー供給は途絶え、更に他国を巻き込んだ軍事的暴発の可能性もあったからだ。プーチン大統領は絶妙なバランス感覚と婉曲的な恫喝(ロシアの不安定化の可能性だ)を使って「長期的見地からの双方の利益」を演出、欧米資本からは妥協を、国内からは支持をそれぞれ手に入れたと言って良いと思う。日本では強面のイメージが強いプーチン大統領だが、KGB出身は伊達ではない、リアリストのバランサーにして英雄なのである。

 少し脱線すると、ISISの地域的、宗教的復古運動という側面は見逃すべきではないと思う。

 対して「自称アジアのバランサー」こと韓国はバランス感覚が全く感じられない。自身らの歴史だけでなく、直近のロシアの経緯も理解していないように見える。これら愚劣さ、或いは日本人的心情からは「怠惰故の卑怯」ともとれる振る舞いは、先の「同情」を帳消しにするどころか「同情すること自体を馬鹿らしく感じさせる」までに酷い。自己資本に対する借金の割合が1000%近い企業が多数有りながら、それら企業を生き残らせようと愚策に走る様はまるでゾンビ映画のカットの様だ。「借金は踏み倒すもの」「いっぱい借金してでも楽しく暮らし、借金は返さないまま死ぬのが夢」と平然と言えるという「価値観」を共有する国家、国民、文化、民族はおいそれとは見つからない。英雄が生まれない、産ませない国は統合の拠り所が無く、国であること自体が矛盾、或いは不必要なのである。

 中共も特殊だ。全ては中国共産党幹部の自己保身に帰すことができよう。 彼らは人民による粛清を避けるためなら、逃げ出す以外の全てのことをやってやろうとしている様に見える。新興成金や海外居住者(何人か知り合いがいる)はその辺りを完全に読み切っており、中共本体の没落の影響を受けないように実にしたたかに振る舞っている。つまり、中国共産党には何も期待していないのだ。韓国同様に、やはり現在の中共も国である必然性を著しく欠くと言って良いと思う。

 米国には意外にナイーブなところがある。米財務省が韓国や中共の経済状況をどの程度正確に把握しているのかは実のところ良く分からない。ただ、軍事的見地からは、中共に対しては軍事的圧力の必要性を、韓国に対しては不信を、それぞれ露骨に国内世論に刷り込むような報道が俄然増えてきた。ポスト中韓経済破綻後の世界をどうするか、当事者以外の間では既にある程度のコンセンサスが形成されているのかも知れない。もしそうなら、今回の米財務省のリポートは一種のアリバイ工作に過ぎず、中韓経済破綻の引き金を引くのは中韓以外の国、例えば北朝鮮、かも知れない。少なくとも北朝鮮には英雄がいるからね、ここにもソ連~ロシアのリアリスト達が介在しているのは面白いと言えば面白い。中韓とは実はちょっと違うんだな、共にリアリズムは排除の対象にしてしまったからね。

2014/10/16

アパッチ!

 以前に職場の喫煙室で同僚と「ニコラス・ケイジ主演の映画『アパッチ』は全然TVとかでやらなくなったよね、DVDも見たことないしね」なんて話していた事がありました。

 宇宙人ジョーンズがなんか若いねぇ。お約束のデイル・ダイ大尉(退役)も登場!

2014/10/13

アニメ「暁のヨナ」ねぇ・・・

 主人公の名前で既に終ってる感満載なのですが、放送されてやっぱりという感じだそうです。

 ハイファンタジー(現実との接点なし)ではなく誰かにとって居心地の良い妄想(誰かにとって都合の悪い歴史を改変し、別の形態で提示する)ということです。つまり、ハイファンタジーの資格がないということ。 「高華王国」とか、劣等感か当てつけの何れかが込められているのは明白ですね。もちろん、そのどちらかであるかはこの名称を選んだ主体に依存ということです。自称なら妄想そのままの垂れ流し、他称なら相当意地が悪いとしか言いようがありません。まぁ、単なる無知という可能性も残りますけれど、その場合は「罪」ですね。

 ファンタジーで敢えて止めるというのは「風刺」では良く使われる手法ですが、本件は無関係でしょう。One Pieceがハイファンタジーではないどころか風刺とも言うべき毒が随所に盛られている、という指摘は以前から多いですね。

 一般的日本人はそのあたりの区別をきっちり付ける線引きが得意だし、他者に対する配慮もある(あった)。故にその辺りの素養のない人達とは提示されたものの見え方が違うんだ、という点はまさに越えられない壁である訳です。昔はけっこうアニメ化の時点で妄想垂れ流し的な部分は設定を変更するといった「配慮と品位」があったものですが、今はもうそういうものは無いのですね。  

2014/10/12

T-50は米国製、世界の常識と韓国の非常識

 韓国の超音速練習機T-50はロッキード・マーティン社のお蔵入りした練習機設計をロッキード・マーティン社自らが韓国KAI社の依頼に基づいて焼き直したもの・・・と言うのは世界でも日本でもとっくの昔からの常識。ワークシェアは米国企業が55%を占め、どう考えても米国製・・・と言うのも世界でも日本でも常識。何で常識って断言しちゃうかと言うと、日本語版ウィキにもちゃんとそう書いてある

 でもそこはお約束の韓国。「純国産」とか言い張ってたところに思いもかけず米国から横槍、新たなる"Don't korea!"事案の誕生のようです。この期におよんで微妙に論点外したコメントをしている人が少なくないのも大事なお約束。まさに鉄板ですな、水陸両用装甲車両の追加装甲板は塩害で朽ちるにまかせつつ未だ国産化できてないらしいですが。

韓国空軍のアクロバット飛行隊「ブラックイーグルス」の中国の航空ショー参加に対し、米国が「待った」をかけたことが韓国で話題になっている。

9日の朝鮮日報によると、ブラックイーグルスは、来月、中国の広東省珠海で開かれる航空ショーに参加する予定だったが、米国が「T50の技術が中国に流出する恐れがある」として参加取りやめを求められているという。

ブラックイーグルスが使用する練習機「T50」は、韓国航空宇宙産業(KAI)製造で韓国では「国産」「韓国製」といった枕詞を付けて呼ばれている。しかし、米ロッキード・マーティン社から技術支援を受けているため、輸出や敵性国家への飛行には米国の了解が必要だという。

このニュースに対し、韓国ネットユーザーはざまざまな意見を寄せている。一部を紹介しよう。

「自慢の国産飛行体と言ってたのに・・アメリカ製だったの?」

「“純国産技術で作った”という嘘がばれたね」

「国産機と呼ぶな(笑)エアショーすら米国の許可が必要なのに」

「この記事の核心は『米国の技術で作ったT-50』」

「訓練機すら自力で作れないくせに何がエアショー参加だ、恥ずかしい」

「まさに米国の属国!」

「米国の措置は正しい。飛行機が中国に入ったら中国の方々がただ眺めているだけだろうか?」

「米国としては当然の措置。国家間の約束は守るべき」

「エアショーで国威発揚もいいが、なにかが流出する可能性を考えると参加すべきではなかろう」

「エアショーのような目先の点数稼ぎでなく、日本のように長期的に米国に信頼を示して訓練機より重要な戦闘機を開発する方が良いのでは」

「中国を絶対に信じるな。 油断禁物だ」

「技術の流出はウソ。『韓国と中国を敵に仕向けたいのにエアショーとは何事だ』こんなところだろ」

「飛行テストはもう一つの露出になるんだ」

「要は米国が韓国を信じていないって話」

Thatness and Thereness / feat. Avanna、肩慣らし!

 死蔵状態だったボーカロイドAvannaを使ってみる。

 音程によるフォルマント特性変化が大きく、"f"がほとんど聞こえないのに"i"がやたら大きいとか、これはこれで癖がある。Megpoid Englishの発声タイミングがエディター入力に対して遅れぎみなのに対して、Avannaはむしろ発声タイミングは早め。従って、Megpoid English様にいじり倒したデータを使うと物凄く突っ込み気味の発声になってしまう。

 SONiKAがそうであったように、英国Zero-Gのボーカロイドバンクは素人っぽいのが一つのミソ。かと言って声質は両者完全に別物で代替物にはならない。かつては海外でもSONiKAのボーカロイド3バンク待望論があったものの、 今では全く聞かなくなりましたねぇ。あと、Avannaのコンセプトは「ケルトテイスト」ということですがあくまで英語ボーカロイド(Engloid)、ゲール語系固有の音素は使えない。残念と言うより無念。

FIAT 500 Twinair、車載コンピュータは大丈夫?

 さて、私のFIAT 500 Twinairの燃費はざっくり17km/ℓ。この燃費だと、先代の愛車FIAT Nuova Pandaの経験を踏まえても平均時速は22km/hぐらいだ。実際、先週末の時点でもトリップメーターが表示する平均時速は22km/ℓだった。

 が、昨日何の気無しに平均時速をチェックすると…

 なんと3km/h。四度見ぐらいしてもやはり3km/h。

 車載コンピュータ、大丈夫?

2014/10/11

アジアワッチ特別版:2014年度上半期を振り返る

 意外に動きがあった上半期、ざっくりまとめましょう。

 韓国
  • セウォル号事故は未だ終息の様相を見せず、政府機能の無残さは目を覆わんばかり。
  • セウォル号事故発生時の「大統領空白の7時間」は産経新聞社の在韓国社員の出国禁止、起訴まで発展。自由主義国にあるまじき有様として米国すら懸念表明する事態となり、もはや日本現政権の「価値観外交」対象の埒外に置かれることになったのは国際的にも明白。
  • 告げ口外交の完全な行き詰まり。朝日新聞社社の吉田清治証言記事の取り消し、安重根記念館(実際は部屋)まで作った中共の梯子外しと、マイナス要因のみ。ドイツ首相にソウル平和賞なるものの受賞を決定するが、ドイツ首相の大人っぷりが目立つばかり。
  • 対ドルウォン安が進行し、国内輸出業に打撃。売上に占める輸出比率の高いサムスン電子やヒュンダイ自動車などの大手企業の経営悪化や韓国による為替介入で対ドルウォン安は緩和されるも、それと入れ替わるように対ドル円安が進行。ウォンとは直接為替取引のない円の為替変動に大統領までが懸念を表明するに至り、あまりの非常識さ加減に国際的な笑い者状態に。
  • 仁川アジア大会が酷い有様で、タイ、フィリピン、台湾(中華民国)、インド、イラン、中共などアジア各国を激怒させる。「大会は大成功」との自画自賛ぶりが、更に各国国民の怒りを逆なで。特にタイは韓国民による国王侮辱に当然の大激怒。
  • アジア大会の韓国でしか起こらない非常識事案を指す"OINK(Only in Koreaの略、オインク、英語では豚の鳴き声)"に続き、動詞としての"korea"が一気に普及。
    使用例:
    Don't korea!
    意味:ズルするな、買収するな、ねつ造するな、レ○プするな、嘘つくな、自分達がついた嘘を本当のことだと信じるな、自分達の姿を鏡で見てみろ、他者に事故を投射するな、借金踏み倒すな、パクるな、パクっておいてそれを指摘すると開きなおるな、パクっておいてそれを指摘すると開きなおって口泡吹かせながら顔を真っ赤にして大声上げて泣き叫ぶな、パクっておいてそれを指摘すると開きなおって口泡吹かせながら顔を真っ赤にして大声上げて他者を閉口させるまで泣き叫び続け、さらに泣き叫び続け、嘘や罵詈雑言や差別的発言を吐き散らし、自分に非が無いと一方的に責任を他者に転嫁し、さらに翌日にも翌週にもそれらを繰り返し、そのくせ1カ月後には忘れるとか、またあらためて最初から同じ事をやり直すとかするな。[親しい間柄の相手に] 韓国人みたいだからやめなさいよ、みっともない(以下略)。
  • インドネシアのポスコ合弁会社、アラブ首長国連邦の原発と、時限爆弾かもしれない事案多数。
  •  朝鮮日報の書きっぷりが「日本が世界から孤立」から「日本が北東アジアから孤立」に。実態に沿う表現までもう一息。
  • 戸籍法、兵役法及び関連法の改正をほぼ終え、いよいよ施行段階へ。近代法治国家では御法度の「遡及法」もありで、在外韓国人の金、命、肉 までもれなく召し上げとなる状況へ。
  • サムスン電子やヒュンダイ自動車だけでなく、造船業など多業種も軒並み売り上げ減少。造船受注量では再び日本に追い抜かれる状況。世界のスマホ市場は中国シャオメイなどの攻勢で既に焼畑化が始まり、サムスン電子のモバイル部門は利益率、出荷数ともに大幅減。モバイル機器OS Tizenの市場投入失敗といった自爆も加わってもはや何が何だか。
  •  在韓米軍(国連軍)からの戦時作戦統制権の2015年委譲は未だ変わらず。米韓同盟も韓国の金の出し渋りや中共との接近から先行き不透明。
中共
  • 対日外交では軍事力を前面に出した強硬路線が完全にトーンダウン。一部消息筋の情報では、日本の民主党政権時代に大量に漏えいした自衛隊の防衛機密を分析した結果として「少なくとも海戦においては人民解放軍がとある理由で短期で全滅する」との結論が得られたためともされる。また、日本が中共に対して敵対路線を取っていないことも影響しているのではないかと個人的には推測。
    ちなみに人民解放軍は基本的に志願制、加えて海軍はプロフェッショナルな仕事が要求される。が、如何せん一人っ子が多い中共である。尖閣諸島に絡んで日中軍事衝突の噂が人民解放軍内に流れた際、多くの海軍志願兵(特に潜水艦乗務兵)が一斉に退職したとの話も聞く。事実の程は分からないが、前後して人民解放軍海軍の艦隊編成、配置(母港)が大幅に変更され、外洋向け艦隊の規模が縮小されたのは事実。
  • 数字で分かる実態として、日本からの投資がASEAN諸国へ向かい、中共向け投資額が大幅減。併せて技術移転も進まなくなっている。そのせいか、独占禁止法の外国企業への適用が増えており、法運用が恣意的との批判もある。チャイナリスクではなく、既にチャイナハザードだとの声も。
  • チベット自治区、新疆ウィグル自治区での暴動の大規模化と先鋭化が進行。暴動鎮圧などの公安予算が人民解放軍の総予算と同レベルにまで達しているとの試算も。更に香港でもデモが発生、当局側が催涙弾まで使う事態にまで発展。
  • 環境問題、貧富の差の拡大、財産の国外流出、不透明な法運用、汚職、粉飾決済、不動産バブルなどにより、市場としての中共も既に魅力なしとの意見も。
  • 日本の防衛装備移転条件の大幅緩和(実質的には規制撤廃に近い)が、独自技術をほぼ持たない中共兵器業界に何気に激震。
  • 学生を中心とする台湾の抗議運動により台湾(中華民国)との実質的な経済一体化に失敗。権力基盤の揺らぎや米国との関係上、馬台湾総統も「香港の自由選挙要求運動の支持」を表明せざるを得ない事態に。
日本
  • 朝日新聞社自爆。が、その後はkoreaするばかりでせっかくの汚名返上の機会も喪失。個人的には「滅べ」というのが25年来の悲願。朝日新聞社自爆後に「だんまり」を決め込んだ人達の顔ぶれをしっかり覚えておこう!
  • 「歴史観」と「歴史」の違いが一般にも周知されつつあるのは個人的に嬉しい限り。
  • 日韓関係の目に見えるかつ至極原因が当たり前な冷え込みを背景に内閣改造、見事に韓国は切り捨て、中共には対話の陣容に。本来は取り扱いがやっかいだった筈の人事も某東京都知事の韓国や中共での愚挙が原因であっさり解決。恩を仇で返すことが分かっている人間なら、さんざ躍らせて結果を利用して捨てるというのが大人のたしなみ、本件がそうなのかは別の話ですが。某都知事は国政レベルの政治家数人の政治生命を危機にさらしてしまったから、国内にも多くの敵を作った筈。とは言え媚韓勢力も残さざるを得なかった内閣改造では、改造前からのアキレス腱はそのまま。どうせ組むなら善悪は問わずに頭が良くバランス感覚の優れた相手なのは確かだが、今後も財務省を抑えられるかが問われる筈、つまり消費税だ。
今回はここまで。北朝鮮が残ってるね。

F-35Bは正義!

 戦闘機好きっていうよりも、戦闘用に作られた飛行機やそれらに使われているテクノロジーが好きっていう立場からすれば、ロッキード・マーティンF-35Bは正義。

 STOVL(短距離離陸、垂直着陸)、グラスコクピット、ステルス、ヘルメットマウントキューイングシステム、データリンクシステムはもちろん、光学センサとセンサからの情報の処理系により機体越しに真下も見えるとかほとんどZガンダム時のモビルスーツのコクピットだ。

 使用しているチタン材の品質に起因するエンジンの問題とか、導入時期の遅れと価格上昇で生産予定数が減りつつあるとか、そりゃぁこんな尖がったモノを文字通りモノにしようとすれば個人的な感覚では想定内、仕上がりが全てなのですよ。

2014/10/08

FOAS?

 FOASとは英国のステルス機開発計画で"Future Offensive Air System"の略。計画自体は2005年に中止(キャンセル)されたとのことなのですが、今年になって英国BAEシステム社がFOASの実物大モックアップで何やらやっているようだとの噂がありました。

 何かやってますね、ステルス機開発の知識があれば何をやっているかは説明不要でしょう。主翼がかなり小さい機体形状ですね。

2014/10/07

2014/10/06

中国不動産バブル、いよいよ本格的に顕在化?


 中共の不動産バブル崩壊はもはや既定路線で、素人目にも「何時か」以外は問題ではなくなっていたと言って良いと思う。氏のコラムは、ついに顕在化した不動産バブル崩壊の一端を具体的に記している。書かれていることが全て事実であれば、なんとも予想通りで一片の驚きもない展開のようである。

 ただ、驚きのない展開 という点は実は重要と個人的には捉えている。それは中共特有のファクターを踏まえて展開が読めるならば、不動産バブルが崩壊するにしてもまだソフトランディングのための方策が打てる可能性を残すからだ。想定外事象ばかり起こるようでは手の打ちようがない。

 中共における「不動産」は日本などにおける「不動産」とはちょっと違う。中共において「土地」は共有財であり、売り買いできるのは「上モノ」だけである。「共有財」と書くとまともっぽいが、実のところは地方政府や人民解放軍、或いは人民解放軍や地方政府を牛耳る共産党員達が自由に扱うことが可能な「実体物」とも言える。

 とある人が中共で不動産バブル崩壊が起きない根拠として、「国家、或いは共産党が土地価格を統制できるから」を挙げていたが、それはナイーブ(恥ずべき無知)に過ぎると言えよう。

 シャドーバンキングもその利率の高さから明らかにバブル崩壊に関与している。シャドーバンキングの原資は基本的に理財商品であり、それら商品の購買者の多くが一般人民だ。社会主義国家には似合わず基本的に年金制度がない中共においては、高利率の理財商品は老後の備えという意味合いが強いのだそうだ。
 上記の事項も踏まえて件のコラムを読めば、中共の不動産バブル崩壊の影響がどう広がっていく「筈」なのかが良く分かる。

 ところで、シャドーバンキングの「信用の有り所」は実は私も理解していない。が、理財商品で損害を被った一般人民が地方政府相手にデモを起こすという話を読むに、 実際のところはともかく、共産党乃至は地方政府が信用の元として使われてきたという可能性は高い。それらが商品購入を陽に煽っていた可能性もある。もしそうならば、中共における不動産バブルの崩壊は政治的となる側面を多分に持つことになる。これは中共の特殊事情と言え、産党乃至は地方政府が逃げを打つか、それとも保身の意味でもソフトランディングに尽力するかは重要な分水嶺となる筈だ。

 あからさまに逃げを打てば、人民解放軍の発言力、影響力が一気に高まり、中共内外の政治状況が一気に不安定化する可能性があると思う。 政治状況の不安定化は、内部には排除すべき不満分子、外部に軍事的に叩くべき敵国を求める傾向を内在するが故、日本を含む周辺国は特ア特有の「面子」を念頭に置きつつ慎重に振る舞うことが求められようが、事はそう簡単ではない。従って、このような特殊事情の連鎖の発生を未然に防がなければならない。中共指導部が「大人」として振る舞えるかどうかがまず試されることになろう。

 本件とは関係ないが、日本の財界人が最近書いたコラムで「中共の(経済)エリートは親日」という内容のものがあった。書き手は何かポジティブなメッセージを込めたいようだったが、一読しての思いは陰鬱としたものだった。エリートということは、中共でいったん事が起これば国外脱出、さもなくば人民からの吊るしあげの対象となるということだ。そんな人間が「親日」だろうが事が起こった時には何の意味もない。ただ、「親日」とばれた時に吊るしあげる側の人間がどう反応するかは実のところ良く分からない。もし更なる激高を呼ぶようならば、自らも加担して育て上げた怒りに自らがさらされることになった、という事だろう。

2014/10/05

慰安婦問題の大誤報を検証する朝日新聞が設ける「第三者委員会」の委員が

全然第三者じゃない。活動時期も無駄に長く、ただの時間稼ぎにしか見えない。「遅くても年内」というのが「世間の空気」という感覚がありましたが、個人的には。

 これはとてもまともじゃない、火に油を注ぐとはまさにこれ。というか、結局朝日新聞社は8/7以降も「実効的に何もやってきていない」じゃないのさ。更に発行部数が減ることを心から願っております、もはや学術的、倫理的、論理的、日本人的心情のいずれの観点からも擁護のしようがないが故。

 「第三者委員会」 に一種の期待、最後のチャンスという空気は優しい日本人達の中にはあった筈。で、これですよ。本質外し、ここに極まれり。

 奥様層も敵として取り込むばかりか、「利権とは関係ない良心的、信条的左派」からも愛想を尽かされ、「老いては子に従え」効果も加わって高年齢層の購読者減の加速も避けられないでしょう。

 あと、大誤報ではなく「ねつ造と名誉棄損」と「もしかしたら外患誘致」なので宜しく。あくまで「誤報」と言い続けるなら、何も解決しないでしょうなぁ。

 当ブログでの「朝日新聞社への苦言の表明」はおそらくこれが最後。個人的には次フェーズに入ります。

 「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」ってことわざの意味が最近身に染みて分かるようになりました。テレ朝の報道番組が生理的に受け付けられなくなったものなぁ。あと、NHKのニュースウォッチ9も。「今という点」で「一般論」でしか事物を語らない「解説委員」や「キャスター」には存在意義すらないのにね。

 「先を見ない、先が見えない」が朝日新聞社とその社員達の文化って気がしませんか? まぁ、それは「今すら読めてない、過去は知らないフリ」の裏返しに過ぎないのでしょうが。

2014/10/04

Thatness and Thereness / feat. Megpoid English、肩慣らし!

 本命は別でコード(和音)拾いのつもりだったんだけど、個人的に捨てがたい出来になったのでまとめてみました。 ホント、自作に関しては実に敷居が低い、っつーか志からして低い。

2014/10/03

Thatness and Thereness / feat. Megpoid English、リスタート!

 坂本龍一さん&ピーター・バラカンさんの楽曲、"Thatness and Thereness"は個人的に引っかかりの多いエバーグリーン。一度Vocaloid2 SONiKAでカバーをでっち上げたことがあるけれど、Megpoid Englishによる再挑戦に着手。アイディアスケッチとばかりに以前のデータは全て無視してとにかく組んでみた。関連して3DCGモデラーのリハビリもやっと本格的に始めてみたよ。

 途中から入るドラムの音が大きめなので、再生音量には要注意。

お久しぶり!Aphex Twin

 個人的には15年ぶりぐらいのAphex Twin、新作アルバム"Syro"から。

 アンビエント路線はスキップしているので、結局変わってるのか変わっていないのか、良く分からないのが良くも悪くもAphex Twin。

2014/10/02

揺れる、香港

 「例え戦勝国であっても、敗戦国の憲法をいじってはならない」、これは国際法が至ったひとつの帰結である。「戦争でなければこの考えは適用されない」という意見は正しいが、「政体の実質的変更は憲法改定に等しく、それらは当事者により為されなければならない」という一種の理想、は戦時平時を問わず共通の価値観であろう。

 エントリタイトルは月並みだが、現在の香港での動きは現行の中共指導部の姿勢が明確になった時点でいつかは起こらざるを得なかったものであり、まずはそうとしか表現できなかったということでご理解頂きたい。

 最近起きた台湾立法院(国会に相当)占拠も中心的主体は大学生を中心とした若者であったが、香港での現在の動きの最初の主体も高校生を筆頭とする若者だという。

 香港で「真の自由選挙」を求める活動集団としては「オキュパイ・セントラル」があるが、やや急進的である故か、また中共によるガス抜き工作を疑う向きもある故か、一般香港市民の支持は半数にも及ばないという。今回の動きは、中共の方針とのみならず「オキュパイ・セントラル」へのアンチテーゼとしての側面も持つように見える。

 御嶽山の不幸な災害があったためか日本国内の本件に関する報道は皆無に近く、勢い情報を海外のニュースサイトなどに頼らざるを得ないのはなんとももどかしい。学生を中心に発生した運動が市民の支持を得ているのか、その辺りがまだ良く見えない現時点では今後の予測は難しい。運動そのものだけ見ていると、事の本質を見誤りかねない。「民主化」の美名の下で行われた非人道的行為は多いが、それはデモ実施側も同じだ。

 私の「もっと情報を!」の思いはまだ満たされない。

2014/09/30

本質外し!!再び。

 朝日新聞社が販売店を介して購読者に手紙を届けた模様。

 「チャンスを下さい」、だそうだ。

 読んでみて「あ、こりゃ駄目だ」と思った人も多かろう。このズレっぷり、本質の外しっぷりはとても日本人の感性とは馴染まない。ニューヨークタイムスを介したソースロンダリングのからくりすらも奥様レベルで周知されるに至り、もはや「自ら死を選ぶか他者に殺されるか」の究極の選択に向かって爆走中のようである。つまり、「何も読めてない、見えていない」。

 朝日新聞社以外の大部分の日本人の間では朝日新聞社がどうすれば良いかのコンセンサスは十分に取れている気はするんだけどね。未だにそれに手を付けないと言う時点で「チャンスを掴む気がない」のは明らか。普通の人々(奥様含む)を怒らせた、ということの意味を未だに理解していないと見える。

 購読解約が相次いで新聞販売店が大変だ、というのは分かるが、実質的な違約金(解約後の本来は配達されるべき部数分)を払ってまでも購読を止める人が存在する事実を虚心坦懐に受け止められんと言うのは色々と小さいか、○○○ということだろう。新聞販売店に気兼ねがあって朝日新聞購読解約ができないという人は、その店が取り扱っている別の新聞に乗り換えてあげれば基本的に問題は無い筈。

 この期に及んでは販売店も旗色を示す必要がある。「周囲が納得する行動」に出た店舗だけが被害者になれる、何もしないといずれ加害者認定されると覚悟しておくべきだ。

 力関係はあるんだろうが、現在の状況は朝日新聞社にとっては非常事態、販売店から朝日新聞社に色々と声を上げるべきだと思う。「所詮そんなの声届かないよ」なんて割切っちゃうのはただの茹で蛙状態、自滅への道だろう。まぁ、「朝日新聞社の有様は正しい」という立場も見識ではあるのだが、感情論には絶対勝てまい、韓国を見ていればその辺りは良く分かる筈。感情論を煽りまくった挙句がこの体たらく、というのが朝日新聞社だ。

 仁義も論理も倫理もない、馬鹿馬鹿しいが譲れない一線を巡る密やかな戦いが、今でも日本中で繰り広げられているようなのである。このままでは「朝日新聞社は悪意あるテロ集団」という評価がフィックスされちゃいますよ、代々限り語り接がれますよ。敵と味方を間違い続けると敵しか残らないですよ。

 もはや死ですらあがえないレベルにまでハードルが上がったと言って良い。 チャンスはお盆休み前に既に失われているのである。

2014/09/25

本質外し!韓国軍兵士死亡の捕虜訓練

 韓国軍で訓練中に兵士が死亡した。原因は通気性のない袋を頭に被らされことによる窒息死だ。正直言って全く意味不明だった。だが事はそれだけでは終わらなかった、ハンギョレの記事「韓国軍兵士死亡の捕虜訓練は映画『ブラヴォー・ツー・ゼロ』が見本だった」を読んでもはや言葉を失った。

 一部引用。
特戦司令部幹部の即興的な指示が明らかに  

今月初めに特殊戦司令部(特戦司)の副士官2人の命を奪った“捕虜体験訓練”が、外国の特殊部隊の活躍を描いた映画を見て拙速に真似た訓練だったと、ユン・フドク新政治民主連合議員(国防委幹事)が17日に明らかにした。

ユン議員はこの日、「今年4月3日に特戦司令部で開かれた“戦闘映画祭”で幹部が英国特殊部隊を扱った映画『ブラヴォー・ツー・ゼロ』を兵士らと一緒に観た後、茶の席で映画に登場した“特性化訓練”に言及し、『我々にはどうしてあんな訓練がないんだ。我々もやってみよう』と意見を出して用意されたという報告を軍当局から受けた」と話した。『ブラヴォー・ツー・ゼロ』は1991年の湾岸戦争でイラクに特殊任務を帯びて投入された英国のSAS隊員の話を扱った映画だ。
これぞ命がけの本質外し、記事タイトル中の「見本」という表現も見事に本質を外しているというか、この期に及んで現実直視もできんまま誤魔化しに徹するのかと開いた口が塞がらない。ちなみに厳密には 「ブラヴォー・ツー・ゼロ」はTV番組。

 実はショーン・ビーン好きなんですよ、ゴールデン・アイの彼も良かったねぇ。大事なことなので敢えて書いておきましょう、「子供は絶対マネしちゃいけません!子供未満も同じです!」

2014/09/23

【バカ話注意!】「すすめ!パイレーツ」みたいな、

展開。と言っても、そもそも「すすめ!パイレーツ」ってのが分からん人が多いでしょうなぁ。

 TV番組表がTVで見られるっつーのは世の流れとはいえ罪なもの。こういう一定のフォーマットに文字を自動的に流し込むという手法は、偶然にマズい字並びを生み出すことがあるのは必定。

 今日のうちのTVでは”新ウルトラマン列伝「ウルトラマンコスモス2 第1章 災いの影」”が途中までしか表示されていなくて、放送禁止用語的な1行が出現。これらから暫くは同じ状態が続くんですか、そうですか。 ここは表示時に「ウルトラマン コスモス」と一文字スペースを入れる様な本当の「とんち」や「察し」があっても良い。

 他のTVは知らないが、うちのTVの番組表のフォントは等幅である。故に、横書き方向で文字を表示した結果、縦方向でマズい字並びを生み出すこともある。おそらく、フィーチャーフォンでのメールなんかでもしょっちゅう起こっていたことなのだろうが。

 漢字仮名交じり文と言うのは縦横OKと、アルファベットと較べて筆記法の自由度が高い。加えて横書きのブログがまとまって出版された際には縦書きになってるなんて当たり前で、出版する側は縦横なんかおそらく気にしていないし、読む側も特に意識することなく読む向きを切り替えられる。文字認識などのプログラミングをやったことのある人間なら、文字の並びの向きが2つあるだけで処理が一気に面倒くさくなることは直ぐに分かる。何気に人間の脳ってのは凄いものだと思う。

 いわゆる「エヴァ文字」、実際は日本映画などで一時期良くやられていたタイポグラフィーの一種、は縦横混在も有りと「ほとんど抵抗なく読める」けどかなり特殊な表記法だ。「等幅」表示が不自然とはならないという漢字仮名交じり文の特徴に加え、カナ文字に較べて漢字をやや大きく表記するというスタイルが元々有ることもあって、よっぽど文字サイズがばらつかない限りはさらりと読めてしまうし、座りの良いデザイン自体はさして難しくない。

 基本、漢字の書き順(とされているもの)は左上→右下向きなので、横書きといっても左から右が日本語としては自然だ。ちなみに、戦前の写真などで時々「右から左の横書き風の日本語表示」を見ることがある。小学生のころに調べて得られた結論は「それらは横書きではない」だった。あれは、縦書きで一文字ごとに改行しているということなのだそうだ。

2014/09/21

カスピ海の怪物!

 ソ連で開発された興味深いものの一つは「エクラノプラン」、地上効果(超低空では機体と地上の間の空気が横にしか逃げられないので揚力が増える)を利用した「プラン(飛行機)」だ。もちろん、地上も水上も「ぎりぎり」しか飛べない。

 人工衛星偵察でカスピ海上の大型エクラノプランを見つけた米国が、それを「カスピ海の怪物」と呼んだのは割と有名な話。エクラノプランの開発は海上での高速兵員輸送が当初の目的だったが、やがて速度を生かした攻撃機へと目的が変わっていく。

 ビデオでは試作機が地上や雪上を飛行する珍しい様子も見られるよ。

2014/09/20

韓国大統領府が安倍首相の親書の内容を暴露、

対して韓国大統領の「とある7時間」内の行動は未だ秘密です。

「誅韓論」、読了

 読了、と言うか良い意味で分かり易い本なので、昼過ぎに買って1時間ちょいで読み終えた。

 当ブログでもファンタジーとしての半島統一について記した事がある。このファンタジーでは第二次朝鮮戦争は米中日露の出来レース、あっと言う間に片付いて統一朝鮮は中国の柵封体制下に入るというものだ。米国参加は半島非核化が絶対条件であるが、その実現には中国の同意が必要だ。さらに中国もその政策に対して人民からの支持をある程度は得る必要があるし、中国が出来レースに関わっていないというアリバイも作らなければならない。故に、北朝鮮の中国寄り勢力は弾道ミサイルの一発も中国に向けて打っておかなければならない。

 要は「彼らに核は持たせちゃ駄目」というコンセンサスがその出来レースを可能とする、という見立てだ。

 「誅韓論」の内容は、第二次朝鮮戦争勃発前に一方の国を疲弊させ、むしろ第二次朝鮮戦争勃発のおぜん立てを日本が「して差し上げるための御品書」みたいなものだ。実現可能性については「?」とさせておいてもらおう。できる、とはそう簡単には言わないよ、言わない、絶対言わない、やって欲し・・・いやいや。でも、こうもあからさまに書いちゃうのは、それらをやりたい、実はやろうとしている人達にとっては手の内を明かすみたいでマイナスでは?という気もする。でも出てしまった以上、多くの日本人に読んでおいて欲しい気もする。

 竹島の件はサプライズ的に狙ったタイミングで、と思ってたけど、サプライズ色は本書の登場で無くなっちゃいました。ちょっと残念。

 「有事対韓三原則」の"法制化"は、個人的には新視点。先のファンタジーでも日本の行動はほぼ「有事対韓三原則」に従うものだが、戦後処理に関してはやはり私のファンタジーの何十倍も現実的だ。あと、周辺事態法についてはもう一度真面目に読まないと・・・

燃費悪そうだなぁ。

 割と最近になっても「こういうのやってみました」というのが色々出てくるのがロシア/ソ連の面白いところ。1960年ぐらいまでは西欧、米国も結構面白かったんだけどね、もはや出尽くした感あり。

 「ウルトラセブン」の地球防衛軍装備なら有りかな。

スホーイT-50、良い仕上がりだなぁ。

 スホーイT-50 PAK-FA、ステルス機という点がクローズアップされがちだが、高いエンジン性能と優れた空力特性は間違いなくスホーイSu-27系譲りの様。

 2:25以降辺りを観れば、「空飛ぶ機械」としての筋の良さは明らか、「これはもはやダンス!」。グラマンF-14 トムキャットが高迎え角飛行(機首を上に向けた水平飛行)時に吸気不足からエンジンストール(エンジン停止)に苦しめられ続けた事を思うと、後ろ向きで進んでもストールしないエンジンと、そういう飛行自体が制御して可能というのは結構凄いことですよ。

朝日出版社、これは相当まずい


 経緯は記事を読んでもらうとして、朝日新聞社の100%出資子会社である朝日出版社が競争相手とも言えるデアゴスティーニ・ジャパン社の機密資料を入手、自社内の会議資料などとして使っていたらしい。

 昨今のサラリーマンなら、これが会社存亡に関わる事案であることは直ぐに分かる。記事の一部を引用しよう。
 デアゴ社(デアゴスティーニ・ジャパン社)の大谷秀之社長はこの「不正競争防止法違反」疑惑について、週刊文春の取材に「これはコンプラインアス違反だし、ビジネス倫理の問題もある。朝日に対してどう対応すべきか、これから顧問弁護士と相談して考えなければいけない。まずは抗議をし、(刑事告訴も含めた)あらゆるオプションを検討します」。

 この件は昨年、朝日新聞本社のコンプライアンス委員会にも通報されたが、黙殺された。

 同委員会の委員長は、木村伊量・朝日新聞社長が務めている。デアゴ社、および木村社長の今後の対応が注目される。
 「コンプライアンス」とは「法令遵守」の意味である。近年、企業における「コンプライアンスの徹底」は企業防衛における重点項目だ。

 例えば、社員個人による「会社の顧客リストの流出(個人情報保護法違反)」を考えてみよう。まず、以下の点は覚悟しなければならない。
  • 会社はその関与の度合いによって刑事罰の対象となり得る。集団民事訴訟で被害者から訴えられればまず勝てない。社会的制裁も避けられない。
  • 社員個人は刑事罰の対象となり、解雇は必至。被害者、会社から集団民事訴訟で訴えられればまず勝てない。訴訟となれば個人名は公開され、社会的制裁は避けられない。
 これらのような目に合わないために。企業は様々な仕組みを用意する。
  • 社員教育
  • コンプライアンス委員会などの社内機関の設置と運用
大抵の場合、コンプライアンス委員会の役割は以下の通りである。
  • 社内からの「コンプライアンス違反」通報、相談のための受付窓口を有する。
  • 通報、或いは調査によって「コンプライアンス違反」が疑われる事案が見つかった場合、「コンプライアンス違反」かどうかを調査、協議、検討する。そのため事業実施のための命令、報告ラインとは独立した調査権限を有する。経過、結果は第三者が確認できるように徹底的に文書化する。
  •  「コンプライアンス違反」が判明した場合、関与した社員の処分方法、社外対応方法(プレスリリース、会見の有無など報道対;株主への報告;省庁への報告など)などを決定、経営陣に勧告する。
 ここで重要かつ面白いのは、「コンプライアンス違反」を起こした後の企業の対応を見ることだ。その「コンプライアンス違反」をどう捉えているかといった点を通じて、企業体質というのがむき出しになる。

 ある「個人情報流出事件」では、当事者となる企業がいち早く会見で「流出があったこと」を発表し、その時点で分かっていることとして「流出が発覚した経緯、流出した個人情報の総数及び個々人が自分のデータが流出したかどうかを判断するための情報」を公開した。ただし、この時点で「犯人や流出経路はまだ不明」である点にも触れている。
  • 会見に経営陣が顔をそろえていた。
  • 「コンプライアンス違反」が疑われる事案の発生に対して、迅速に調査などに着手していた。
  • 「コンプライアンス違反」が明確になった時点で、情報公開に踏み切った。
  • 「コンプライアンス違反」に伴う被害者に明確に謝罪した。「犯人や流出経路はまだ不明」の時点での会見で、「顧客(被害者)重視」の意図を暗に示した。
 「コンプライアンス違反」事案においては、多少あざとくとも「顧客(被害者)重視」の姿勢を示すこと、「自浄能力がある」ことを示すことが重要だ。でなければその企業は通常は生き残れない。

 対して朝日新聞社はどうか?本報道の内容を見るに「顧客(被害者)軽視」、「自浄能力がないこと」を明確に示している。

2014/09/19

iPod Touch + iOS8

 iPod Touch Gen5は2台使いなので、一方のみiOS8にアップデート。OSの容量が大きくなっていて本体の容量不足からアップデートにまず1回失敗。同期する楽曲データを減らしてから復旧することで何とかアップデートを完了させた次第。音楽ライブラリの70%ぐらいしか入れられない状況は極めて不愉快で、いい加減に128MB版を出して欲しいというのが本音。高々1.2万曲が全て入らないでは役に立たない。個人的にはハイレゾよりも曲数が大事、結局ヘッドフォンを変えれば音なんて幾らでも変わるからね。

 第一印象はというと、フォントの変更が微妙。iOS7ではフォントが異様に細かったので表示をボールドに設定していたが、iOS8でボールドに設定するとこれがなんとも太い。個人的な好みから言えば、ボールドにすれば太すぎて、ノーマルのままでは細すぎる感じ。細すぎると思う理由としては、背景色と文字色との組み合わせによって視認性がかなり変わること、白背景に黒文字でもディスプレイ輝度を上げると途端に視認性が悪くなることが挙げられる。英文字、漢字かな混じりともに読み取りやすいという良い塩梅な設定が難しいのだ。

 使用している辞書アプリは全て正常動作、音楽プレーヤーとしても変な動作はまだ見られない。iOS7の音楽プレーヤーには最後まで解決されていないバグが散見されたが、そこら辺がちゃんとフィックスされているかはまだ分からない。

2014/09/18

ふむ、

「嘘はいかん」、「他人を欺むき嘘に加担した人間はそれを正した上で、さらに然るべき行動を取るべき」ということですね。そして「それを怠る者達には未来はない」と。成程、正論ですね、そうあるべきですね、ね?ね?

 朝日新聞の社説です。
(社説)山口淑子さん 戦後の歩みが語ること
2014年9月17日05時00分

山口淑子さんが、94年の生涯を閉じた。戦中は満州映画協会のスター「李香蘭」として一世を風靡(ふうび)。戦後は、俳優、テレビキャスターとして活躍し、参議院議員を3期務めた。

劇的なその人生は、私たちに多くのことを語りかける。

生まれは旧満州(中国東北部)。南満州鉄道で働く父は中国の人たちと親しく交わり、義兄弟の契りを結んだ。その縁で山口さんも「李香蘭」という中国名を持った。

北京の女学校には、父の親友の家から「潘淑華」の名で通った。時は日中開戦前夜。祖国日本と母国中国、それぞれへの愛情に引き裂かれ、「日本軍が攻めてきたら、北京を囲む城壁の上に立ち、どちらかの軍に撃たれよう」と思ったという。

だが、完全な中国語を話す日本人の美少女は、満映によって、「中国人女優・李香蘭」として売り出されてゆく。

日中のはざまで苦悩した山口さんは時代に翻弄(ほんろう)された「被害者」といえる。半面、日本の国策映画に出演し、プロパガンダの一翼を担わされた。

中国では日本人の横暴に心を痛め、憧れの日本では、中国服姿を侮辱された。

こうした自身の複雑な立場のどれからも目をそらさず、深く省みたことが、戦後の生き方を方向づけたのだろう。

いつも虐げられた側を思い、平和と人権擁護のために発言、行動した。パレスチナ問題に積極的にかかわり、元慰安婦への償いをする「アジア女性基金」の副理事長を務めた。

著書やインタビューでは、あやまちを率直に語った。

「李香蘭 私の半生」(藤原作弥氏と共著)には、こんなことが記されている。

李香蘭時代も、自分なりの信念を持ち、納得できないことは受け入れないできたつもりだった。しかし、日本にとって都合のいい中国の娘を演じた当時の主演映画を改めて見て、衝撃を受けた。信念というものが、いかにあいまいなものだったか、思い知らされた、と。

この罪を償うには、わびるだけでなく、自分の体験について作為を加えずに語るしかないと考えた。それでも、記憶が自分の都合のよいほうへ流れるのを抑えるのは、ひどく難しい作業だったと明かしている。

自分の弱さを深く自覚しながら、それでも過去と誠実に向き合うことでしか、人はあやまちを正せない。未来はその先にしかない。長い戦後を生きた山口さんのピンと伸びた背中から、いま学ぶことは多い。

2014/09/16

想定外と言えば・・・

STAP細胞騒動である。うっかりすると北朝鮮日本人拉致事件の方が先に解決しちゃったりするかも知れん、というグダグダぶりである。知り合いに理学部生物学科や農学部の出身者がいれば、如何にも嘘っぽいことが分かるというレベルの話なのに、未だ結論が出ないと言うのはこの世には本当に変な世界があるものだ。

 2chまとめかどこかで同様の記述を読んだ気もするのだが、当初報道されていたSTAP細胞製作法を聞いた時にまず思ったのは、「濃縮オレンジジュースを良い塩梅に薄めて飲めば、失った消化器系が再生される可能性がある」ということだった。如何にも胡散臭い。

 もしやに備えて「特定遺伝子発現促進成分添加オレンジジュース(医薬外品)」 の特許を取っとくべきだろうか?

「不寛容(イントレランス)」という表現が別の人からも出ました。


 窪田氏が「非寛容」という表現を使ったのは個人的にやや痛快(私が使ったのは「不」寛容だが、どっちもイントレランスの意味であろう、と我田引水)、この言葉でしか表現できないニュアンスが朝日新聞社への反応にはあるように私も思う。イントレランス(不寛容)という表現を本ブログで使ったのはほぼ1ヶ月前、本文中では触れていないけれども朝日新聞の8/5、8/6の記事も当然念頭にあった、というよりその時は敢えて朝日新聞社の記事には触れなかった。それは朝日新聞社への期待もまだあったからだ。

 さて、窪田氏の文章の一部を引用させて頂く。
 こうなるともはやジャーナリズムではなく「信仰」である。

 今、彼らは自分たちの「信仰」を守ろうと必死になっている。「信仰」に批判や反発はつきものなのだ。世界中の宗教紛争を見るといい。「イスラム国」然りだが、弾圧をされることでさらに信仰が深まり、危険さが増している。

 つまり、もし仮にアンチの人々が望むように『朝日新聞』が地上から消え去っても、「殉教者」たちに手によってより過激な第二、第三の『朝日』が生まれるだけというわけだ。だから、怒りにまかせて過激な行動にでてはいけない。腹わたが煮えくり返っている方もいるかもしれないが、それでも我々は『朝日新聞』を許さなければいけない。

 異なる思想を暴力で排除するということは、韓国と同じレベルに落ちてしまうということなのだから。
 うん、「殉教者」にしては絶対いけないし、個人的には最初っからそうさせるつもりもない。私の考えは単純で、
  • 嘘をついて多くの人々に迷惑をかけた。
  • 嘘により被害、或いは不公正な扱いを受けた人々に謝罪する必要がある。
  • 嘘により被害、或いは不公正な扱いを受けた人々の名誉回復に率先して取り組む必要がある。
という風に、単純に倫理的問題、或いは「人としてどうなんですか?」というレベルの問題としか捉えていない。これは今までの関連エントリで言葉や表現を変えて何度も述べていることである。 朝日新聞社の有様は余りに隙が多く、理詰めで追い込もうと本気で考えている人間には良いカモになってしまうだろう。そのような動きが表層的にはほとんど見られないということは、この期に及んでもまだ朝日新聞社は甘える事を許されているのである。が、当の本人達は「まだ」甘えが許されていることに気づいていないようである(つまり、普通の日本人の目からも「察し」が無い馬鹿、阿呆、愚鈍に見える)。察しを欠き続ければ、更なる被害者を生み出し続けるだろう。ここでの被害者は主に元朝日新聞社社員である。

 主義主張もイデオロギーも何も関係ない「人として」という話だから、「殉教」なんて出来る筈もない。 そもそも朝日新聞自体には見るべき論理性も、主義も思想も無いじゃないですか。だから言葉を弄び続ける朝日新聞記事やテレビでしゃべる朝日新聞論説委員などの言葉に寛容ではいられないのである。「嘘ついたんでしょ?」、「人としてその姿勢は問題では?」と言いたくなるのである。これは私一人の心象では無くて、同様の思いをもやもやしたまま抱えている人も多いのではないかと思う。そういう「日本人の美意識に照らしてプリミティブに受け入れ難い有様」を朝日新聞社に感じているのではないかと思う。故に「黙って購読中止」する人が多かったり、奥様方が動く事態が発生しているのではないかと思わずにはいられないのだ。加えれば、

朝日新聞社:「記事を取り消します。」
私:「はい、大枠分かりました。で、倫理的観点から、嘘をついたことに対してどう今後対応していくのですか?」
朝日新聞社:「(それ以外の事ばかり)うだうだ」

という感じで、ボールはまだ朝日新聞社側にあると私は思っている。朝日新聞社にはまだ対応を正す機会が与えられている筈なのだ。早くしなければ「朝日新聞社が生理的に受け付けられない」人間が増えるばかりだと信ずる。

2014/09/15

河野洋平氏ほか、国家招致について思うこと

 今回は完全に主観。河野氏の国会招致に対して自民党がおよび腰との報道を受けてのエントリです。私なりの「察しとお思いやり」の発動方法ですが、当然ながら「意図的な劇場化」も図ります。

 まず、私にとっての「河野談合」、もとい「河野談話」の認識(事実+想像)は下記の通り。
  • 「河野談合」における「広義の強制性」への言及は「政治決断」 であった。
  • 「政治決断」の目的は「河野談話」における「謝罪の対象を拡大」し、最後の「謝罪」とすることを意図していた。
  • 韓国・金泳三大統領(当時)は「河野談話」を評価し、「これで未来志向の韓日関係が推進できる」旨の発言もした。
  • 「謝罪した以上賠償も必要」とばかりに「謝罪」と「賠償」を結びつける「特定の勢力」が現れた。
  • 「特定の勢力」の登場により、「政治決断」と「謝罪の対象の拡大」が悪用される事態となった。ここで「政治決断」の目的たる「最後の謝罪」は達成できなくなった。
  • 韓の国政府及び世論、国内の一部報道機関も「特定の勢力」の主張に追従し、「政治決断」は完全に裏目に出ることとなった。

上記の認識に基づけば、「劇場化」によりあぶり出すべきは下記の点。
  • 「河野談話」は「政治決断」であり、本来は「最後の謝罪」 を実現するものであった。従って、その意図するところに立脚すれば「河野談話」自体は間違いではない。
  • 「河野談話」に関わる今日的な問題の本質は、「河野談話」に込められた意図(思いやり)を逆手にとって、「賠償」要求へとの関連付けを図った「特定の勢力」及び「追従者達」の存在にある。
  • 河野洋平氏を売国奴などと呼ぶ風潮もあるが、当時の「政治決断」の意図の明確化とともに河野洋平氏の立ち位置も明示化すべきである。必要があれば明示的な名誉回復も考慮すべきである。ただし、河野氏は「特定の勢力」の登場以降に「それは違う」という声を何故挙げなかったのか、という点については語る必要がある。
  • 「特定の勢力」及び「追従者達」を文字通り特定しなければならない。本丸は実はこちらの方である。

 さすれば、河野洋平氏をはじめとする国会招致の落とし所、一種のシナリオは下記の通り。
 
 まず、以下を明示化する。
  • 「河野談話」作成過程の検証結果の再確認、国内承知の徹底
  • 「河野談話」における「政治決断」の当時の状況下における妥当性
  • 「河野談話」に対する韓国大統領の評価内容の国内外承知の徹底
  • 「河野談話」に端を発する今日的問題が「政治決断」と基本的に無関係であったことの国内外承知の徹底。強調すべきは、「特定の勢力」の登場がなければ「河野談話」は日韓ともに有益な「外交的成功」たり得たこと、及び今日的問題の責任を河野洋平氏に単純に帰すべきではないこと。 
  • 国内問題は国内で解決するものとして、他国の内政干渉は一切受け付けないこと。
  • 特に詐欺行為、虚偽報道には立件も含めて法的に対処する用意があること。法的措置の対象者が外国籍である場合は国外退去措置も辞さないこと。

 次いで本丸。
  • 国内「特定の勢力」及び国内「追従者達」の文字通りの特定と国内周知徹底
  • 国内「特定の勢力」及び国内「追従者達」の国会招致 

 さぁ、「未来志向の日韓関係の推進を損ねた責任」を本来取るべき存在を明らかにしようじゃないの。「日韓共通の敵(あはは)」を特定しようじゃないの。河野洋平氏の現在の態度は状況を悪化させているだけにしか思えない。もし自分に非が無いと信じるなら、このシナリオに乗っちゃくれませんかねぇ。

2014/09/14

S.P.Yのアルバム「Back to Basic」

 ドラムンビート聞く人なら英国のHospital Recordsは知ってる筈。最近HospitalからリリースされたS.P.Yのアルバムが結構好み、というか予想以上の「純度」の高さが嬉しい仕上がり。

 これまでのS.P.Yの作品群は、特にリミックス曲は「ドラムンベースかなぁ?」という感じでイマイチピンとこなかった。ただトラックメーカーとしては大変優れていると思ってはいて、アルバムが出れば必ず視聴はするけど結局買わないという状態が続いていた。

 で、新アルバムのタイトルがなんと「Back to Basic(Chapter oneとChapter twoの2枚あり)」。

 上記の通りアーチストとしては捨て置けない存在、かつ「基本に帰る」とくればちょっと期待しちゃうじゃないですか。「純度」、ある意味でベタなドラムンベースってヤツをですよ。Youtubeにアップされていたプロモーション用ビデオを1つ視聴して、即2枚ともiTunesで購入してしまいました。ベタに寄っているのでS.P.Yらしさってのは出にくいんだけど、やっぱり凡庸なトラックメーカーの楽曲とは一線を画す楽曲群、一つ一つの音の粒立ち感がたまらない。

 香りと並んで音楽の好みは人により様々で幅が広い。私自身も楽曲の好き嫌いが激しく(ただし、聞かず嫌いは全くしない)、ジャンルで聞く癖もないから、こと音楽に関しては実生活でも話が合う人が少ない。故に人に「これは聴くべきだ」とかは絶対言わない。ただ、S.P.Yのこれらアルバム「Back to Basic」はタイトルに偽りなし、このアルバムからドラムンビートに入っても良い、とは言っておきたい。一種のベンチマーク?、リトマス試験紙?みたいなアルバム2枚だ。

安定のiTunes11

 iTunesを11.4.0.18にアップデート、安定の右端っぷり。それはそうと、そろそろiOS8が公開予定ですが果たして出来は?

"Fly me to the moon" Megpoidカバー、リビジョン0

 まずはリビジョン0です。発声タイミングはwaveファイルに書き出してからCubaseのVariAudioで徹底的に調整。

 After Effectsでタイムカウンターを作ろうしたんだけど、エクスプレッション(スクリプトですね)の書き方をすっかり忘れていてびっくり、歳やねぇ。

もう「詐欺」と呼ぶべきではないですか?

 「報道ステーションSanday」での朝日新聞社社長会見の紹介、アナウンサーの「『謝罪しなかったこと』を謝罪した」としか聞こえない表現に口あんぐり。出演している朝日新聞社社員の発言も当事者意識の無さが語尾の歯切れの悪さに滲み出て酷い。朝日新聞社内のセクショナリズムなんて、日本、日本国民、在外邦人が長期にわたり、さらにこれからも受けるであろうダメージを前にすればどうでも良いことだ。更に朝日新聞社の言う「誤報」で儲けた連中もいることを忘れてはいけない。

 「ねつ造」なんて呼ぶから駄目なんじゃないか、「詐欺」と呼び、実質的に犯罪行為である(あった、ではない)ことを明示的にする必要があるんじゃないか、という思いを強くした。それでも朝日新聞社は「誤報」と呼ぶのだろう。どこまで言葉遊びに興じ、被害者に甘え続けるつもりなのか。

 朝日新聞社は普通になったって駄目だ、自助能力があることを示さなければならない。自らの「誤報」によって生じた利権、詐欺的犯罪に切り込むというのは最低ラインだろう。自らに引導を渡すこと(渡すぐらいのこと、ではない)ということだ。それが無ければ、外部の人々が引導を渡すことになるんじゃないだろうか。前者なら禊と認識されて生き残れる可能性はまだあるが、後者ならまず間違いなく報道機関ではいられなくなるだろうと思う。

2014/09/13

加害者責任も併せてお忘れなく

  どう言おうが書こうか変わらないことがある。謝罪しようとも変わらないことがある。

 もう一度、「加害者責任も併せてお忘れなく」。

 「誤報を認めた」ことは分かったから、早く「ねつ造」に対する見解を出して欲しい。まさか「ねつ造」=「誤報」とか、日本語としても論理的にもおかしい究極的に手前勝手で他者を馬鹿にした「認識」なんてしてないよね。あと、吉田証言、吉田調書の誤報の訂正記事の英語(米語)、韓国語、中国語(簡体、繁体)での海外発信を早くお願いします。日本版デジタルの英語記事じゃ駄目、ニューヨークタイムス記事でも駄目(もうその手はばれてますから、ソースロンダリングやっても無駄)。

 朝日新聞社説、どこまで甘えれば気が済むのやら。
論じることの原点を心に刻んで

2014年9月13日(土)付

 朝日新聞は、戦後に例がない大きな試練を自ら招いてしまいました。
 一昨日、木村伊量(ただかず)社長が記者会見し、福島原発事故での「吉田調書」をめぐる誤報や、慰安婦報道での間違った記事の撤回の遅れなどを謝罪しました。
  「吉田調書」は、社説でも取り上げ、全面公開を求めました。その中で、誤報だった記事に基づいて「所員の9割が命令に反して10キロ余り離れた別の原発に 一時退避」や「所長の指示・命令が守られず」という表現を使いました。社説を担う論説委員室として、読者や関係者の方々にかさねて深くおわびします。
 また、慰安婦報道検証や、それについて論評した池上彰氏のコラム掲載見合わせも、重い問題だと受け止めています。
 私たち論説委員は、社説などの欄で、あるべき社会の姿について主張をし、ときに人や組織を批判する役割を担っています。
 しかし、その土台を大きく損なってしまいました。どんな主張をしても「お前にそれを言う資格があるのか」と厳しく問われるからです。
 私たちはその批判と誠実に向き合い、読者の信頼回復に努めなければならないと感じています。そのうえで、論じるべきことを論じるのは依然として自分たちの責務だと考えます。

■反証と異論に謙虚に

 読者やほかのメディアから、たくさんの批判をいただきました。一番重く受け止めなければならない指摘の一つは「自分たちの主張に都合の良いように事実を集めたのではないのか」だと思います。
 日々、論じることを仕事としている論説委員も、つねにその危険に近いところにいます。
 論を紡ぐ過程で、主張への反証となる事実への謙虚な姿勢を失えば、それは空論や暴論となります。また、そこに陥らないようにする上で、あるいは自分たちが陥ってもそれを批判する視点を読者に確保する上で、大切なもう一つのことは、異論に紙面を開く姿勢にほかなりません。
 朝日新聞はそのためにオピニオン面をとりわけ重視し、社説とは異なる論も含めた多様な意見を掲載することに力を入れてきました。それだけに池上氏のコラムの掲載見合わせは、自分たちが一番大切にしていた価値を損ねる結果になりました。
  慰安婦報道の影響については、今後、第三者機関で検証を進めてもらいます。ただ、たとえば1997年に一度検証をしながら、吉田清治氏の証言を虚偽だと断 定し記事を取り消せなかったのは、反証となる事実や異論への謙虚さが欠けていたからではないかと自問せずにはいられません。

■議論をゆがめた誤報

 朝日新聞が8月、自身の慰安婦報道の検証を紙面に掲載したのは、慰安婦問題を直視するには、過去の誤った記事が妨げになっていると考えたからです。
  かつての報道を明確に取り消さないかぎり、「朝日の慰安婦報道問題」が前面に出てしまい、本来の「慰安婦問題」が背後に退いてしまう。朝日報道への批判と ともに、議論がナショナリズムの対立に大きく傾く。日本で嫌韓本がはやり、韓国の団体は慰安婦の像を国内外に建てる。お互いに挑発する不毛な応酬。その結 果、被害者の救済という一番大事な問題の解決が置き去りになっていく――。そんな状況を打開したいと考えたからです。
 にもかかわらず、原発事故に関する「吉田調書」の誤報で再び議論の核心をゆがめかねない同じ過ちを繰り返してしまいました。原発問題という大切な議論をしなければいけない言論空間に、「朝日の原発報道問題」というもう一つの問題を作ってしまったからです。

■論じ続ける責務

 私たちは、慰安婦問題の本質とは、戦時下の女性の尊厳や人権であり、取り組まなければならないのは被害者の救済や日韓の和解であると主張してきました。
 また、吉田調書を含め関係者の証言や記録の吟味は、日本の今後の原子力行政に欠かせない作業だとも考えています。
 その意味でも、慰安婦問題や原発問題の議論が、自らの失態で後方に退いたり、ゆがんだりしたままにならないように論じ続けることは、私たちの責務だと思っています。
 もちろん、論じることを読者に説得力を持って受け止めていただくためには、反証となる事実や異論に謙虚になるという原点を改めて心に刻まなければならないと痛感しています。
 その自覚をもって、今の日本にとって重要な数々のほかの課題についても、私たちはこれからも社説などを通して言論人としての使命を果たしていきます。批判に耳を傾けながら、多様な議論の発展に貢献したいと考えます。

 んで、天声人語。

 「砕け散った思い」とは笑止千万、「自ら砕いた」が正しい。そこは他人事みたいに書いてはいけない。はい、書き直し。
天声人語

2014年9月13日(土)付

まっさらな紙に記事が印刷されて、世の中に出ていく。新聞社で働く者の喜びであり、ささやかな誇りでもある。しかし昨日の紙面は、朝日新聞にとっ て痛恨のものとなった。報道にたずさわる一人として、身が縮む。同僚だれもが同じ心情だと思う▼当コラムの執筆を任されたころ、敬愛する先輩に言われた。 引き継がれてきた1本のろうそくに、毎日毎日、火をともすように書く仕事だ、と。小欄だけではない。新聞づくりそのものが、社員全員が真摯(しんし)な気 持ちで、日々に新たな火をともす仕事である▼言論の自由の保障が、日本国憲法にもある。人間の歴史がこの自由を獲得するまでに、どれほどの血が流れ、苦闘 があったことか。その理念を尊び、死守すべき言論機関として、慰安婦問題をめぐる池上彰さんのコラム掲載を見合わせたのは最悪だった▼気に入らない意見 や、不都合な批判を排した新聞は、もう新聞ではない。「あなたの意見には賛成しないが、あなたがそれを言う権利は命をかけて守る」。古来の至言が、信頼も ろとも紙面上に砕け散った思いがした▼「吉田調書」については、今年5月の小欄でも取り上げている。初報記事とともに「命令違反」の表現が誤っていたこと を、おわびいたします▼砕け散ったもののかけらを、時間はかかっても拾い集める。そして信頼を一から作りなおしていく。深く自省する中で、朝日新聞が言論 の一翼を担っていく気構えには揺らぎがないことも、あわせてお伝えをしたい。

2014/09/11

テレビ朝日「報道ステーション」が朝日新聞の二つの「吉田」報道

 朝日新聞社、言葉に溺れ、この期に及んでただ言葉を弄ぶのみ。上(社長)も中(論説委員)も当事者意識、加害者意識が画面を通じて全く感じられないのはある意味凄い。とても日本人とは思えない。

 無意味、曖昧、j自浄能力が無いことの表明(第三者機関の調査とか笑止だが、法廷での証拠にできるレベルのきっちりした調査書が出ればそれはそれで良し。ただし、時期に触れないのはやらないと言ってるに等しい)、実質的に謝罪もなし。吉田調書の件は、日本語が読めいない、理解できないと言ってるのと同じ。見え見えの本質外し対して一般的な日本人は非常に敏感、実害があったとの認識が広く受け入れられている現状では叩かれるのは必定。早く馬鹿をやめなきゃならない、戦前から一貫して続けている姿勢そのものを改めなければならない。

 あかんわ。

 「クラマスワミ報告書」にまで踏み込んだのはちょっとした驚き。黒田勝弘氏の主張は完全に上滑り(立ち位置は察するし、気持ちは理解できるけどね。感情論はもう意味が無いのですよ)、お金の話にしちゃいけない。

 恵村順一郎氏は印象操作と問題すり替えに一生懸命で、カメラから顔をそむつつもこれでもかとばかりに「ぶれない朝日」を押しつけてくるが、まさにそこが一般的な日本人にとって「朝日新聞社が異常に見えるところ」と私は見ている。ボールは今も朝日新聞社にあると思うんだけどね。自分達が原因で他者から非難されている状態で非難者に対して全く歩み寄らない姿勢、そんな態度の人達に「国家間の歩み寄りが必要」とか言われたって説得力なんか全くありゃしませんがな。

 ほんまあかんわ。舐めるンもたいがいにしぃやぁ。

p. s.

 一部海外で右翼が~とかいう朝日新聞社を擁護すような報道もあるようですが、そういうレベルっつーか文脈で捉えること自体が異常なのだ。一般的な日本人の言いたいことは、きっとこういうことだと思う。

「嘘ちゅいたんでしゅよねぇ~?だったらその嘘で迷惑をかけちゃったオトモダチみんなに謝って許してもらいましょ!許してもらえないときはぁ、う~ん、どうすれば良いと思う~?ちょっと考えてみましょうねぇ~。」

 つまり嘘をつくことはそれ自体が悪いこと、基本はここ。マスコミの嘘は暴力行為に等しい、とかは敢えてこれまで書いてこなかったけど、それよりももっと基本的な社会倫理の問題。

 なぜそれが問題か、ちょっと思考実験をしてみれば直ぐに分かる。口裏を合わせた悪意ある多数の人間が一斉に特定の朝日新聞社記者に暴行を受けたと「証言」する、しかも朝日新聞社記者のアリバイは巧妙に回避しておく。つまり、「暴行の証拠はない」が「証言を否定する証拠もない」状態に落とし込む。「証言」にのみに依存すればどうなるかは言わずもがな、裁判で無罪とされてもその後10年以上にわたって件の悪意ある多数の人間は謝罪と賠償を、との声を挙げ続ける。

 「論点すり替え」と言われるのは当たり前、そこに込められているニュアンスは「論点を変える前に、まずしなきゃならんことがあるでしょう」ということ。それさえすれば、「論点が変わる」のは当たり前で、「すり替え」とは言われない。あと、「謝罪と賠償はワンセット」なんでしょ?お忘れなく。

テレビ朝日「報道ステーション」が朝日新聞の「慰安婦問題」を報道!!らしい

 仕事から帰ってTV番組表を見てたらなんと!!、ということらしい。

 真面目な話、放っておけば放っておくほどハードルが高くなるのは必定で、それこそ誰かが腹切る様子を中継するぐらいのインパクトと実を伴う内容じゃないと結局火に油を注ぐことになりかねない。

 しかし例え何人死のうが真面目に謝罪しようが、朝日新聞社が「嘘」 をつき続けたことには変わりなく、社会的制裁はもとより日本の法制度に則った訴訟事案も有り得ると考えた方がいい。あの問題に関しては感情の出る場はもはやない、堪忍袋の緒が切れた日本人が既に多すぎる。

 正直に言って、放送中にあの問題の関係者がテロにあって命を落とすようなことがあっても、おそらく私の心には何も響かないだろう。結局のところ、中途半端な事をやれば当然ながら、相当に真面目にやっても流れは変わらず、「あれが終わりの始まりだった」と後々言われるだけという気がする。

 南京の件も靖国の件もあるよ、さて?

2014/09/09

はい、おしまい?

 朝鮮日報の韓国国内書籍の紹介記事「韓国人の危険極まりない対日認識に警鐘」から。

 著者であるユ・ミンホ氏は松下政経塾で学んだ経験があるという。多分に複眼的思考ができる(色々な立場から同一の事物をとらえられる、「相手の立場」に立った事物の見え方も考慮できる)人であることを期待しても良いのかな、と下記に引用した記事の一文からは思えなくもない。
また日本は、安倍首相のような政治家数人だけが動かしている国ではない。無言の「衆知」が示す方向に従って一糸乱れずに動き、一度それが始まってしまうと「おしまい」だという。
韓国発でこういう視点は新鮮、かつかなり正鵠を射ていよう。ただし、それはもう始まっているんだろうな。

  果たして日本人は「仕方ない」を発動し続けるのか、おそらく今日的な意味での「空気」を察するにその覚悟もしちゃったんだろな。戦前に「仕方ない」を煽りまくった朝日新聞社が、再び日本人の「仕方ない」に燃料つぎ込みまくってるしね。

2014/09/07

Fly me to the moon, again

 私が初めて実用に供したPC用DAW(デジタル・オーディオ・ワークステーション)ソフトと言えば、Cakewalkの今や亡きProject5、Steinberg Cubaseに完全移行後の今でも実はPCにインストールしたままなのだ。何故かと言うと、結構スケッチ風というか、楽曲の大枠だけ組んだようなProject5データが多数あるからだ。

 かく言う本楽曲のオケも元々はProject5で組んであったものを、「Project5の画面を見ながら1日かけてCubaseで打ち込み直す」ということをやったものだ。ある程度はキーボード(鍵盤)から入力しても良いんだけど、リズム感が弱いところに来て、鍵盤を押してから発声までのレイテンシ(時間遅れ)が気になり出すともう対応できない。勢いマウスを動かした方が早いという訳だ。

 ただ一つ問題なのは、Project5上のシンセ音はほぼ全てCakewalkのソフトシンセPsyn IIで作っていること。 Psyn IIも開発終了して久しく、現在の64bit環境で動くバージョンはない。そのため、データ移植後になかなかProject5上で組んだ時のイメージが再現できなくて苦労することが多い。本楽曲に関してはCakewalkのサンプラーD-Proで大部分組まれていたので、D-Pro 64bitを使うことで音色的にはProject5上でのイメージを比較的短時間で再現できた。ベース音(2音色)だけはCakewalk Z3TA+2で元々のイメージに即した音を新たに作った。

 MegpoidパートはPiapro Studio、ほぼ「楽譜通りに打ち込んだ」に相当するもの。そのため、発声タイミングがツッコミ気味だったり、逆に遅れ気味だったりとばらつきがある。ツッコミ気味になりがちなのは、"let"、"me"、"and"、"play"とか、遅れ気味になりがちなのは"please"、"among"、"are"とかが代表的だ。"you are"のところは"are"の出だしが余りに遅いので、さすがにノートオン(発声開始)を1/64音符分前にずらしている、つーか、"You're"にしておけば良かったと今気付いたよ。発声タイミングはWaveファイルにバウンスしてから、Variaudioなどで徹底的に調整することになるだろうね。

 後、分かる人にはスペクトルの動きを見れば直ぐ分かると思うけど、Vocalodのビブラート機能は積極的に使っている。

危ないか危なくないか以前に、

分かっているか分かっていないか、理解しているか理解していないか、という問題だ。これは、「常識的判断に照らせば、その技術に近付くことすら認められない」ということである。

原子力発電所の定期検査で、30年間にわたり検査すべき部位とは違う部位を検査していたのにもかかわらず、規制当局はこれに全く気付いていなかったことが分かった。原子力安全委員会は釜山市機張郡の古里原発4号機と全羅南道霊光郡のハンビッ原発2号機で、原子炉容器溶接部の一部検査部位についてミスが確認されたと4日、発表した。・・・
 例えば手順書(マニュアル)の間違いに気づくことができる人間は、その内容だけでなく、背景情報、知識、原理を理解している人間だ、つまり、手順書が書けるぐらいの人間でなければ間違いには気付けない。この辺りは良くも悪くもお国柄が出ると見える。一般論として、他分野も含めて個人的な心象は下記のような感じ。
  • 米国:誰が読んでも分かるように、然るべき手順が為されるように手順書が書かれていることが要求される。手順書を書く人間は自他共に認める専門家であり、報酬は多い分だけ人一倍働く米国的エリートである。米国ではエリート層が最も長時間働き、かつ重要な決断を担う。
    「知らないこと」が報酬や社会的地位に影響するが、知らないなら知らないなりの社会生活が営める、プラスアルファがプラスアルファの元、「然るべき人を然るべき立場に就ける」という文化。知識レベルの二極化を受け入れ、それでも上手く機能するシステムを構築する文化。
  • 日本:手順書を読み、手順を実行する人間にも背景知識の理解を要求する代わりに、教育機会と理解度に応じたポスト及び報酬を制度的に担保する。手順書を書く人間は先達かつ大抵が無名の専門家であり、報酬は年功序列+専門性分+重要な決断を担うかどうかを鑑みて状況により変動する。手順書を書く人間も実行する人間も、概して報酬+α分に見合う分は最低働く。
    「知らないこと」が時として恥となるが、「知ること」への努力、結果が評価され、報酬や社会的地位に影響する、「立場が人を作る」を認める文化。全体の知識レベルを常に上げようとする圧力がある文化。
  • 某国:誰が読んでも分かるように、然るべき手順が為されるように手順書が書かれていることが要求される。手順書を書く人間は自ら認める専門家であり、報酬は多いが働かず、概して部下に書かせたりする。重要な決定は担わないし、専門性の高低は社会的地位や報酬とはほとんどリンクしないので身に付かず、しょせん自称専門家なので自分のみならず部下の間違いにも気付けない。片や、手順書の内容は専門知識を有しない実行者により「面倒くさい、良く分からない」などの理由から概して無視される。
    人材を潰し、全体の知識レベルを常に一定レベルに保ち続けようとする圧力がある文化。

2014/09/06

ふーん、ASAの人達は怒らないの?

「座卓の盾作戦(乙号)」発動

 対ゴキブリ殲滅作戦「座卓の嵐作戦」は順調に成果を挙げているが、いつかは本拠を攻めなければならない。しかしながら「クレンダスゥ侵攻作戦」で犯した人類の失敗を鑑みれば、暫くはアラクニド、もといゴキブリに関する情報の収集と分析に時間を割くことも必要である。

 意図的な特定地域のみでの外科的掃討後の新個体の出没タイミングや新個体の大きさ、出没地域やフンの分布などのインテリジェンスを総合して判断した結果、昨夜ついに敵根拠地を特定したとの確信を得るに至った。私のアパートの部屋の洗面所シンク下付近はあくまで前線基地、本拠はアパートの隣室にある。

 この分析結果を踏まえ、本日13:00(日本時間)をもって「座卓の盾作戦(乙号)」を新たに発動した。なお、新ピケットライン(洗面所-キッチン境界)を越えて居間にまで侵入した個体は従来通り外科的な殲滅対象とするが、新ピケットラインを越えない個体、特に大型個体に対しては暫くの間、外科的な殲滅対象とはしないこととした。

 本作戦の主眼はあくまで本拠地(繁殖地)の殲滅であり、手段は固定式化学薬物兵器(キンチョー・コンバット)の隣室との接続経路がある洗面所シンク下及び新ピケットライン端部(壁面隣接部、ドア隙間あり)への配置とした。当該固定式化学薬物兵器の使用は初めての経験だが、調達価格が格安類似品の約12倍と極めて高いことから、相応の効果が得られるものと確信している。

2014/09/05

甘えはどこまで許されなくなるだろうか?

 「堪忍袋の緒が切れる」という状態の発生とその後の日本人の行動は、いわゆる日本人文化圏に属していない人間にはまず理解できないだろう。「察しと思いやり」は緒が切れた側、緒を切った側にとっても重要だ。「我慢する」或いは「許す」、逆に「どこまで我慢してもらえるか」或いは「どこまで許してもらえるか」の両者の衝突は、結局のところ両者に同等の「察しと思いやり」が共有されている限りは極力回避される。持つ者にとっては比較的確固たるものでありながら論理的とは言えない一種の「良い塩梅」は、それらを共有しない人間からは理解不能のグレーソーンだろう。

 日本人において美徳とされる行動規範は、「許してもらえなさそうだ」という状況の到来をまず「察し」、原因となった自分の言行に思いを馳せ、自らの言行を変えるとともに必要に応じて謝罪も行うことである。これを上手くやり遂げれば、「あいつ分かってんじゃん」とばかりに「思いやり」によって許され、むしろ評判が上がることもあり得るだろう。かくして「察しと思いやり」のサイクルは一回転し、許し許されの関係はより高次のものとなる。

 さて、「察しと思いやり」が共有されている事を前提にすると、「察しと思いやり」を共有していない人間の言行は曰く理解し難い。だが、それは「理解不能」というより「甘え」に見える。つまり、他人の「察しと思いやり」に頼りながら、他者を許さずに件のサイクルを回さないからである。

 と、大風呂敷を広げたところで言いたいことの一つめは単純だ。

 おそらく多くの日本人は「当たり前すぎる」故に直観的に気付いているだろうこと、「韓国や朝日新聞社は甘えているとしか見えない」ということである。彼らは「今まで許してもらえたのに、何故突然に許してもらえなくなったのか(厳密には、実害がない限りは『思いやり』により見て見ぬふりをしてもらえていた、ということだろう。だが、見て見ぬふりをしてもらえていたことを『察して』いることが暗黙の前提だった訳である)」という状況の発生に未だ戸惑っており、かつ「許してもらうためにはどうあるべきか」という思考にすら至ることができないのではないか、ということだ。「察し」の前提を著しく欠いていたとしか見えない朝日新聞社の行動が異常と捉えられる原因はそんなところにあるように思える。「日本人じゃなかった、そして日本人じゃない」とでも考えないと、彼らの言行は「心情的」にも「論理的」にも全く理解できないのだ。以前のエントリにでも触れている通り、韓国に行ったきりで日本に戻ってこなくなった人の方が「日本人的な察し」を有している可能性が高い、という点は実に皮肉な話だ。

 で、言いたいことの二つめは「察しと思いやり」の範囲の見直しの「可能性」だ。

 現在の日本の政権は「韓国や『察しと思いやり』を共有していない人間の『甘えに見える』言行をこれ以上許さない」という立場を明確に選択したと考えて良いだろう。またその選択は多くの日本人からも支持されているようだ、少なくとも現在までは。かく言う私も大枠において支持している(内政、特に経済政策には多くの疑問がある。が、それらはむしろ担当大臣と一部官僚に原因があるように見える。いくら優秀な総理大臣であっても、内外の敵対勢力を同時に相手にすることは困難だ)。

 ただし、この方向性の延長線上には、「察しと思いやり」を共有している人間の「これまで許されてきた甘え」に対する不寛容(イントレランス)の発生の可能性がある。ここでのキーワードは「性善説」だ。グレーゾーンが広い「察しと思いやり」や「弾力的な法制度運用」が法治国家の枠組みの中で成り立ったり、大多数の日本人に許容されてきたりした重要な理由が「性善説」にあると考える故だ。

 ネット時代の恐ろしさは、「性善説」故に許されてきたと誤って広く「察されていた」事案が、実は「制度の悪用」或いは一部勢力が「暴力乃至半暴力により強制的に獲得した利権」、であることを示す情報があふれていることである。事案個別に対策を打てるなら問題ないが、ある程度の類似の事案を一気に是正しようとすると、おそらく「性善説」をいったん停止しなければならない。「察しと思いやり」と「性善説」とが微妙に絡んでいる以上、その時には「察しと思いやり」もダメージが避けられない。

 「性善説」に立てば、是正の結果は「弱者を救うべきシステム」は「本当の弱者しか救わない」ものに生まれ変わるだろう。手垢の付いた表現が許されるなら、本来あるべき「社会正義」が実現できることになる。だが例えそうなったとしても、一度ダメージを受けた「察しと思いやり」は幾ばくかは変質せざるを得ない、良し悪しは別として。

  「察しと思いやり」の棄損を極力避けるひとつの方法は、「日本人文化圏に属するかどうか」よりも緩い条件、例えば「日本国民かどうか」で境界線を引くことであり、実際に引かれ始めた境界線だ。これは法的解釈の範囲で対応できるし、グレーゾーンが無く境界が明確故に合理的でもある。が、何気に「性善説」に基づく「察しと思いやり」を守るために「察しと思いやり」が発動している、という気がしてならない。

2014/09/04

サンダーバードのテーマ!

 いわゆる期末到来、仕事も含めて色々と煮詰まっているので、昔(20年以上前)に打ち込んだMIDIデータをサルベージしてCubase7.5上で組んでみた。昔はサウンドブラスター(PCの拡張音源ボード)で鳴らして喜んでいたものでした。

 あ、オーケストラ編成での楽器配置をすっかり忘れたので楽器の定位は大雑把。

2014/09/03

マンガ「富士山さんは思春期」

 久振りの私信。 

 ひょんなことからマンガ「冨士山さんは思春期」の第1巻を読む。なんちゃない展開が逆にタマランですよ、すっげー良い歳なんだけどさ、私。

  ちなみに私はちっちゃいころからちっちゃくて、未だにちっちゃい、既に縮みつつあるぐらい。「自分がちっちゃい」という認識だったから、相手の身長が気になったことはない。

  ちっちゃい男子とおっきい女子との組み合わせと言えば、マンガ、アニメの「ラブコン」も結構タマランかったです。何がタマランって「関西弁」。 私は思春期を関西語圏で過したから、当然初恋もそのあとのグダグダの記憶も関西弁と共にある訳です。「博多弁」もマズい、がここから先は秘密です。

  あと「ちっちゃい男子とおっきい女子」のマンガと言えば、「月とすっぽん」、「The かぼちゃワイン」とか、実は鉄板ネタなのかもね。