2014/11/02

やっと「宇宙戦艦ヤマト 復活編」を観ました。

 「さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち」にギリギリ引っかかっているオッサン世代の視点からは、実写版「Space Battleship Yamato」、「2199」とは較ぶべくもなく遥かに「ヤマトらしさ」を感じてしまう作品。ヤマトの無双ぶりは気持ち良いぐらい。

 作品として特筆すべき点のひとつは3DCGカットの他のカットとのなじみの良さ、画作りのセンスがあるとこうなるのか、という好例ではないかと思う。

 「Space Battleship Yamato」は悪い意味でCG屋の手癖、実は安く上げるための合理的ワークフロー、の枠をはみ出すことが無く、結果的にクリエイティビティは今二つ。明らかに参考としたであろう米国TVシリーズ「Battlestal Galactica(リメイク版)」の洗礼を浴びていた身としては、質はTVシリーズレベルと同等か及ばないとの印象を持たざるを得ない。画として具体的に見せる、という観点のクリエイティビティにも乏しい。動きにアニメ的なタメが無いのは当然としても、ゲーム用物理エンジン的な「慣性力」感を払拭できなかった点は単純に製作側の汚点であろう。使ったレンダリングエンジン(CGソフトによって意外に癖がある。特に点光源の処理結果)がアマチュアの私にも分かるのはポスト処理に余り手をかけていない、或いはレンダリング画像で良しとしたとも考えられるが、「それで良いのか(誰にでも作れる画で良いのか)?」という話。

 「Battlestar Galactica」の3DCGカットにしても、VFX専門スタジオZoicとUniversal社のインハウスVFXチームとの画の質の違いは歴然で、Lightwave3D丸出しのインハウスVFXチームの仕事は決して褒められるものではない。「安かろう悪かろう」の典型例、或いはアイディアを持つアーチスト集団と想像力に欠けるエンジニア集団との違いとでも例えられようか。

 また「2199」は結局のところ手書きの焼き直しに過ぎず、レイアウトは基本的に非凡。モーション付けはタメがあったり無かったりのバラつきが大きく、アウトラインシェーダーとセルシェーダー(輪郭線とセル塗りをシミュレートするもの)の使用が他のカットとの断絶感をむしろ強調してしまうというのは皮肉な話だ。

 「宇宙戦艦ヤマト 復活編」でも全ての3DCGカットが良いとは当然言わないし、言えない。個人的には「どういう順番で3DCGカットが製作されたのか?」がかなり気になる。大雑把に言って、ストーリーの進展とともに3DCGカットのなじみがどんどん良くなっていくからだ。これは単に後半に集中しがちな重要なカットに時間をかけたというだけなのかも知れないが、一作の中で「地球の3DCGカットの出来」にあんなに落差のある作品は個人的には初めてだ。レンダリングエンジン一世代(3~4年)分ぐらいのギャップがある。

 「宇宙戦艦ヤマト 復活編」の3DCGカットではアウトラインシェーダー、セルシェーダーともに使用していない。このため、火焔、煙、水などの処理には悩まなくても良く、特に煙は完全にリアリティ重視と言える。他方、爆発に伴う閃光が周囲に及ぼす影響は、無視されるか細部を省略したかのような大雑把な表現になっている。換言すれば、3DCGを使いながらも光の処理は(おそらく意図的に)極めて手描きアニメ的であると言える。これを3DCGでやるということは、むしろ一手間も二手間も余計に手間をかけたということに他ならない。しかし、手描き背景の緻密さとアニメ的な嘘(例えばメタリックな構造物への写り込みが無い)との相性は格段と良くなることを期待して良い。

  「Space Battleship Yamato」は光の媒介物(真空なのか、ガスがあるのか)の効果をレンダリングの時点で作りこめていないので、ポスト処理で頑張ってもスケール感や重量感の表現には制限が多い。点光源の光が遠くまで届いてしまっては、(真空中ではそうだと言っても)巨大感はスポイルされてしまう。また、Universal社のインハウスVFXチームと同様に「何が光源なのか分からない環境光」を強くするという愚を犯しており、宇宙空間での光と影のリアリティはほぼ無いと言って良い。船体表面などの凹凸、微細構造は影があってこそ見た目のリアリティに寄与する訳で、影を積極的に使わないのであればモデリングの頑張りは意味がない(影を使わないならバンプマップやノーマルマップで十分で、単にメモリの無駄でもある)。「2199」はアウトライン、セル塗り調でありながら光(と影)の表現が突出してリアル寄りであるため出来上がりの画が内在する違和感の排除は不可能だ。結局、「宇宙戦艦ヤマト 復活編」のヤマトが重量感という観点からは突出して見栄えが良い。特に逆光のなか海上に佇むヤマトの姿は、「重量感」を越えて「戦艦感」とでも言うべき風情すら感じてしまった。それは単に止め絵であるからではなく、ヤマトが登場する3DCGカットのほぼ全てにわたって共通する光の処理への考え方に負うところが大きいと思うのだ。

 ちなみに「キャプテン・ハーロック」のモデリング+テクスチャに極端に頼った方向性では影が使えない。結果、画で使えるコントラスト幅、色の彩度幅は著しく制限され、光と言えば白色しか使えず(白色しか使わないだけでも見るべき見識はあると言える)勢い画は単調とならざるを得ない。

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