かつて「フランスはシトロエンを持っているが、フィアットはイタリアを持っている」とまで言われたそうである。シトロエンは国有自動車会社、対してフィアットは国をも支配する勢いを持つ大企業グループだったということだろう。現在のインドにおけるタタ・グループのスタンスが近いかもしれない。なんせタタは鉄鋼製品から自動車、トイレットペーパーまで供給する存在だ。
フィアットは自動車製造から始まり、「陸に、海に、空に」を合言葉にあらゆるものを設計、製造、販売する一大企業グループに成長した。原子力を含む発電所用の機器製造などにも携わっており、「FIAT」のロゴの描かれた古い図面を仕事で目にすることが今だにある。が、驕れる者は久しからず、2000年ごろには倒産の可能性が当たり前に語られようになっていた。しかし、新経営陣の抜本改革が功を奏し、純粋な自動車製造・販売会社として完全に復活した。今は自動車部門を除いて全ての分野を分離、売却し、さらに米国クライスラーを合併して米国への足掛かりも得ている。ちなみに現在のアルファロメオ、ランチア、アバルトはフィアット傘下のブランドである。
FIAT 500に乗っているとたまに「ルパン(三世)の車だね」と言われる。ディーラーの方と話をしたときも、「ルパンの車(の現代版)」を理由に購入した人が多いのだそうだ。ナンバープレートも某映画中の旧FIAT 500にちなむものを希望する人が少なくないらしい。だが以前のエントリでも書いた通り、私の中では新旧含めてFIAT 500とルパン三世とには一切の接点がない。
現在のFIAT 500の原型はコンセプトカー「2+1(トレピウノ)」にある。「2+1」というのは基本2シート、シート配置をいじることで3シートにもできるという小型車コンセプトで、実際のところはコンセプトそのものよりも旧500のデザイン意匠が大胆に導入されたことが注目されたと記憶している。時期的にはフォルクスワーゲンの新型ビートルが好評を持って迎えられた時期と前後する。当時の私は自動車運転免許を取得すらしていなかったが、「2+1(トレピウノ)」の写真を見た瞬間に「10年後には私はこれを運転している」と「直感した」ことを明言しよう。この直観がなければ、未だに運転免許を持っていなかったかも知れないし、現在FIAT 500を愛車にしていることなんて尚更あり得ない。
私の人生の大部分は「直観」による判断とその後の「幸運」からできていると言って良い。大学の選択しかり、研究室の選択しかり、就職先の選択しかりである。全ていきなり一点勝負であった。ポイントは「直観」による判断、選択を信じ、その一点は決して譲らないことであろうと思う。それは時に厳しいが、自分に言い訳するなんてことは願い下げだ。例え望むように事が進まなくなかったとしても、後悔として将来に禍根を残す可能性は個人的にはないと言って良い。逆説的だが、後で後悔するようなことをやること自体が一種の愚行という認識なのである。
さて、結局FIAT 500の製品化までには「2+1」からほぼ5年を要した。そのため、先代かつ私の最初の愛車はFIAT Nuova Pandaとなった。運転免許取得の約1ヶ月前にアルファロメオ・フィアットディーラーが近所にオープンするという幸運な巡り合わせ付きであった。
私が運転免許を取得したころのフィアット車の評判はと言えば、これは目も当られぬものだった。曰く、「高速道路走行中にエンジンが落下した」、「駐車していたらエンジンから出火した」といった具合で、サムスン電子のスマホもびっくりの酷さだった。イタリア在住の自動車関連ライターのコラムでも、フィアットディーラーの営業スタッフが「どうせもうすぐ倒産するんだから」と口にする様を紹介していたほどである。
しかし既に触れたように、自動車製造・販売会社としてのフィアットは復活する。「我々の(品質管理における)ベンチマークはトヨタである」と明言した当時のCEOにちょっとシビれたが、その言葉に嘘はなかったということだろう。Nuova Pandaは「新生フィアット」を体現した良い車だったと思う。いわゆる「サンダル」、街乗りユースには全く文句のない車だった。これも一種の「幸運」だろう。
さて、これまでの流れからだけならFIAT 500が発売されたとなれば直ぐにでも飛び付いていた筈なのだが、その直前に業務多忙を原因に「軽度のうつ」を発症して高価な買い物なぞできない状態となってしまっていた。実のところFIAT 500とNuova Pandaはプラットフォームを共有している。つまり極論すると、エンジンが同じであれば両者には外観とエンジンや足回りのチューニングレベルの差しかない事になる。初期のFIAT 500のエンジンはNuova Pandaと同じFIRE1.2ℓを搭載したモデルもあったから、極論とは言えあながち間違いとも言えないだろう。
病気が原因で購入時期が当初の予定より4年ほど遅れた結果、Twin Airエンジン搭載車という選択肢を得ることができた。ターボ付き空冷2気筒エンジンとか、現在の日本車ではあり得ない方向性だ。優等生エンジンであるFIREに較べてれば癖は強いし、街乗りでは燃費もイマイチだ(実力でたった17km/ℓ!)。が、そのFIREエンジン搭載車ですら運転が楽しいのがフィアット車である、Twin Airエンジン搭載車となればどうなるだろうかと期待も不安も膨らんだものだ。Twin Airエンジンの搭載は私の中では「新型500らしさの獲得」以外の何物でもなく、「ついに乗り換え時期が来た」と確信したものである。例え不安が的中したとしても「好きでする苦労」は楽しいものなのである。一見すると私の行動はギャンブルだが、私の中ではどう転がろうが「勝ち」しかないのである。これは一種の「覚悟」とも言えると思う。
FIAT 500というプロダクトの存在感が気になったという身にとっては、このような状況すらも幸運と呼ぶべきなのだろう。「覚悟ができるなんて、なんと幸せな!」
私にとってのFIAT 500 Twin Airの購入は、約10年前の「直観」とその後の様々な「幸運」にやっぱり彩られている。