香港の自由選挙を求めるデモの行方は未だ見えない。中国共産党はあくまで対立姿勢を崩せない、そう、「崩せない」のだ。TV報道によれば、CCTV(中国中央電視台)はデモ反対派の声しか流していないらしい。デモする側も中国共産党も共に時間は味方ではないようだが、落とし所のない対立は何時まで続くのだろうか。
さて、TV報道の中で久しぶりに広東語を聞き、ちょっとなごんでしまった。昔の香港映画を良く観ていた人なら直ぐに分かるだろう。広東語は北京語とかなり違う言語で、知り合いの北京語話者も広東語は全く分からないという。広東語が喋れる訳でも理解できる訳でもないが、少し聴けばそれと分かるのは我ながら面白い。中国共産党の基本方針は北京語への統一だが、別のソースによれば広東語はしぶとく使われ続けているらしい。少なくとも一世代分の期間は使われ続けられるだろう。
昔、広東語を調べていて面白いと思った点の一つは「ん」から始まる単語や表現が多い事である。ジャッキー・チェンの古いカンフー映画では、「んごい」という表現が良く聞かれる。これは「どうも(有難う、助かります)」に相当する表現だ。「我(私)」も「んがぁ」に近い発音である。動詞を過去形にするために使われる「過」も「んごぉ」に近い発音である。同じ漢字の発音も北京語とは近いようで違う。「好」は「はぉ」ではなく「ほぅ」に近いし、「貴方」に相当する単語は「にぃ」ではなく「ねい」である。
使用する言語は話者の思考にも影響する。従って言語の喪失の意味するところは実は大きい。中国共産党の同化政策に「北京語使用の強要」が含まれるのは至極当然と言えよう。久しぶりに耳にした広東語になごみながらも、ずっしりと重い別の思いも頭をよぎるのだ。
それはそうと、某報道ステーションのエボラ出血熱対策に関するキャスターとコメンテーターの会話はもうはや漫才。言葉遊びに興じることしかしてこなかっただろう人々の言葉はホントに空疎、論理性も意味も無い点はある意味凄すぎるね、庶民感覚の無さも凄いしね。
それはそうと、某報道ステーションのエボラ出血熱対策に関するキャスターとコメンテーターの会話はもうはや漫才。言葉遊びに興じることしかしてこなかっただろう人々の言葉はホントに空疎、論理性も意味も無い点はある意味凄すぎるね、庶民感覚の無さも凄いしね。
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