2014/11/26

ふふふ

 京都大学の先生とやらの「嫌韓の分析」は寒い、実に寒い。色々大変ですね、ふふふ。論理性0点、分析力0点、文章30点、はい書き直し。


 それはさておき、一般的な日本人というのはこんな感じじゃなかろうか。
  • 嘘はきらい、ただし「良い嘘」ってのもあることはある。
  • 嘘つきは大嫌い。
  • 嘘がばれると開き直る人は軽蔑の対象。
  • 同じ失敗を繰り返す人、集団は馬鹿。
  • 口だけの人、集団は軽蔑の対象。
  • 馬鹿を実質的に公言している人、集団は軽蔑の対象。
  • 不勉強が許されるのは一回だけ。
  • 馬鹿は相手にしない、ただし自分に火の粉がかからない限りは。
  • イデオロギーに結論を合わせることしかできない人は馬鹿、しない人は軽蔑の対象。
    宗教的しがらみや二項対立的な硬直した思想とは比較的無縁ゆえに、思想、発想の自由さは日本人の強みと感じるところ。
 鎖国時の日本のように内側だけ見ていれば良い社会では「無視」が軽蔑に続く社会的制裁として有効に機能した。しかし、文化や宗教の異なる外部の第三者(つまり外国)が介在する情報的に開かれた社会では、「無視」はもはや制裁としての機能は果たせない。そういう観点からは、日本、ひいては日本人は結構重大な岐路に立っているように思う。つまり、日本人も「攻撃」に転じなきゃならないんじゃないかと言う事、「反撃」はもう始まっているからね。

 ナイーブさにつけ込む工作?長期化覚悟のガチな提訴?どうせやるなら本気で行こうよ。

 今回の衆院選、そういう意味合いを感じている日本人がどれくらい居るかが多少問題。言わぬが華というか、日本人的阿吽の呼吸と言うか、(今日的な意味での)空気を読んで、どうぞ。

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