2014/11/29

朝日vs読売、低レベルであっても...:補足

 先のエントリの補足です。なぜ朝日新聞の記事が駄目なのかについて。

 最大の問題点は事実関係を全く明らかにしていないこと、となれば客観的に有効と思われる具体的な再発防止策が語れるはずもない。そもそも、記事の元ネタはれっきとした調書、しかもそれを入手しての記事となっている。記事を書いた人間、記事の内容をチェックした人間とその具体的なチェック範囲に何ら言及がないのでは、処分した人間が本当に処分されるべきだったのかも不明だ。

 「記事を書いた人間は調書を読んでいた」...それすら不明確である。結局のところ、調書入手から記事の出稿に至るまでの「事実関係」が大事なのだ。要らぬ推測を招き、地に落ちた朝日新聞社の信頼はもはや戻らない。「事実関係」の秘匿が意図的ならばもはや報道機関というなら犯罪と言って良いし、「事実関係」を確認すらしていないなら報道機関としてはもはや腐りきっている。記事内容は様々な可能性を否定しないため、実際に起きた事の矮小化の意図すら残る。可能性は幾らでも考えられ、それによって事態の重大さは全く異なる。
  • 記事の執筆者は調書を読んでいない。調書を読んだ上司が記事内容を執筆者に指示し、執筆された記事をそのまま出稿。
    ・・・この場合は組織的な悪意が疑われる。執筆者には罪は無い。
  • 記事の執筆者、上司は調書を読んでいる。読んだ上であの記事を執筆し、出稿した。
    ・・・この場合は悪意の存在は明確、組織的な「捏造」である。
  • 記事の執筆者は調書を読んでいたが、上司は読んでいなかった。上司は記事内容と調書内容との整合性をチェックしないまま出稿した。
    ・・・この場合は執筆者に悪意の存在は明確、個人的な「捏造」である。上司は職務怠慢を最低ラインとして、「故意」による「捏造」ほう助も疑われる。
  • 調書の入手方法がそもそも違法であった。
  • 調書を持ち込んだ人間がいて、かつ記事内容もいっしょに売り込んできた。調書を持ち込んできた人間や経緯は明らかにできない。
などなど。

 「事実関係を重視しない姿勢」は朝日新聞社がかねてより積み重ね、さらに今でも積み重ね続けている文化のようである。「捏造内容」のレベルすら低いのはおそらく馬鹿だからではない、「事実関係を重視しない姿勢」が「捏造内容」に厚みを与えることができないのである。「吉田調書内容の捏造」すら、朝日新聞社には手に余る高度な知的作業だったというだけなのである。「捏造」の一つもまともにできない組織が報道なんて知的作業が出来る筈もないのでは?

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