2013/02/10

SONiKAでポルトガル語曲に挑もうか、と考えてみたものの…

 iTunesのGeniusのレコメンド曲がバッチリ好みなんて経験は未だ無いのだが、それでも何か発見があるんじゃないかと視聴はしてしまう。

 一週間ほど前に明らかに好みから外れた曲をレコメンドされたが、その曲を含むコンピレーション・アルバムに1曲だけピンと来た曲があった。Kaleidoscopio(Kaleido)のMadalena (Youtube)である。

 実はこの曲、別のコンピレーション・アルバムの1曲として既に入手していて、一時期はドライブ時のヘビロテ曲でもあった。まぁ、CDの山から昔良く聞いていたCDを弾みで発見してしまったようなものである。

 インターネットとは便利なモノ、検索で色んなことがすぐに分かる。MadalenaのオリジナルはElis Reginaの歌唱によるもの、歌詞は基本的にポルトガル語(ただし当然ブラジル風)である。「Elis Reginaなんて知らねーなぁ」などと思うのもつかの間、愛聴盤である"Elis & Tom"のElisその人である事に思い至って冷や汗…職場にテクノの話で盛り上がれる人間はいるが、ボサノヴァなどのブラジル音楽の話ができる人間はいない…恥をかかずに済んだといったところ。まぁ、これも一種の再発見である。

 そのあとも色々あったのだが省略して、本題。SONiKAにポルトガル語を歌わせることができるか、という点を改めて調べてみたところ…という話である。

 これも顛末は省略するが、うちのiPodにはポルトガル語-英語辞典を入れてあるので、早速ネットで拾った歌詞の単語の発音と意味をチェックしていく。フランス語にはリエゾン、ドイツ語には動詞の枠構造などの個人的には鬼門があるのだが、ポルトガル語にも二重母音やら「名詞と形容詞は性数に一致」という別の鬼門が待っている。名詞に性も数(単数形と複数形)もない日本語使いとしてはとても辛い。相対的に英語は簡単、というのは実は本当だとつくづく思わされる。

 結論から言うと、真面目にやるのは無理。いきなりpercebeuという単語でお手上げである。この単語は動詞perceberの二人称複数・現在・直接法の活用形で、意味は「理解する」「知る」といった辺りかと思う。発音はカタカナ的には「ペッセベェゥ」と聞こえるが、正確には[pexsebew]となる。実は[x]が曲者、英語にも日本語にも基本的に無い音なのだ。もちろん、英語Vocaloidの発音表にも記載はない。ちなみにネッシーで知られるネス湖を指すロッホ・ネスの「ッホ」は[x]らしいのだが、綴りがLochとあっては英語本来の発音とは思えない。

 [x]は無声軟口蓋摩擦音、バッハの「ッハ」、押井守作品好きには「マッハ軒」の「ッハ」なのである。カタカナ的に「ッ」が入った時点で既にマズいということ、少なくとも英語には無いからねぇ…。

 あ、ちなみにウズベク語歌曲に挑戦して挫折した経験が既にあります。

2013/02/09

Lightwaveを11から11.5へアップデート

 3DCGアプリのLightwave11を11.5にアップデート。

 2カ月近く触ってなかったせいか良く使っていたショートカットキーを忘れていて、モデラーを立ち上げたものの一瞬愕然として固まってしまう。モデラー、レイアウトともに動作はむしろ軽くなった感じ。一方レンダリング時間は短くなった感じはしないが、良く使うレンダリング設定でのノイズは減っているかもしれない。

 新しいリグシステムGenomaには期待大だが、ちょっと触った範囲ではとにかく理屈というか基本的な考え方を理解しないと有難みを享受できそうもない感じ、ちっちゃいボンが予想外の所に入っていたりする。

 取り合えずこの土日に少し触ってみましょう。

2013/02/01

「博士の異常な愛情」と「未知への飛行」のトレーラー

 タイトルが長いよ、「博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか」。Youtubeで高画質のトレーラーを見つけたので埋め込んでみる。

 最初に観たのはTVで、小学3年生のとき。すげー映画だとぶったまげましたよ、エンディングにシビれました。スタンリー・クーブリック好きはこの作品からで、今でもきっと「2001年宇宙の旅」は観ても寝てしまう。登場人物達は「男一人当たり女十人」とか「俺のパンツはどこだ」とかのたまったり、「平和こそ我らが仕事」なんて看板を挟んで銃撃戦やってたりしてますが、とにかくそんな映画です。オープニングがB-52爆撃機の空中給油シーンだけでしかもその曲か!ってあたりが如何にもクーブリック。観るべし。
 ちなみにこれがオープニングタイトル。本当はエンディングも埋め込みたいけど思いっきりネタバレなので自粛。エンディングを初めて観た時は、まず大笑いはしたもののそれからとてつもなく切なくなったものです。
 「博士の異常な愛情」に対して良くも悪くも引き合いに出されるのが「未知への飛行」。原作の日本語版「未確認原爆投下指令」は中学1年生ごろに読み、映画を観たのは大学生になってから。2000年ごろにリメイクされたやに聞くが、そちらは未見。爆撃機の飛行シーンは基本的にバンク映像で、夜間シーンっぽくするため(?)に白黒反転(ネガ)されてるとかカットによって機種が変わるとかツッコミどころは満載。時間があれば是非観よう。

2013/01/30

年明けから調子低下でス…

 今回は完全に私信。

 遺憾ながら正月休み明けから体調が急降下。医者には「早く来んかい!」と怒られるわ、薬が増えて日中も眠いわで…会社には行けるが3時間ぐらいで集中力が無くなってしまう。頭だけは回るくせに手が追いつかなくてストレスが溜まる一方。ただし、考えていることがちゃんとしているかどうかはまた別問題だ。

 趣味の3Dモデリングは完全に封印、先の土日はiTunes Storeで映画レンタルなんかしてみた。「スタートレック」(2009)が意外に面白くてびっくりしたり、20年以上前に名画座で観た「激動の昭和史 沖縄決戦」「未知への飛行」を見直したりとダルダル過す。

 「男はつらいよ」シリーズもそうだが、「馬鹿」シリーズとか観るにやっぱり山田洋次監督の作風は変態的。大林宣彦監督の屈折具合と違って実に分かりにくく捻じれてくびれまである感じ。この感覚、なかなか伝わらね~だろうなぁ。そのカットだけ取り出せば笑えるが、ストーリー展開などの文脈を踏まえると笑えなく作ってある、といったところ。文脈を踏まえないと笑えないギャグをしょっちゅう使うモンティ・パイソンとはある意味対極かも。

2013/01/17

JR U駅の怪

 霊的な話とかじゃありません。聞いた遺憾な話と体験した遺憾な話。

 まずは聞いた話。

 数日前に積雪で首都高とか航空路とか大変なことになっていたという話はTVニュースなどでも報道された通り。実はJRもちょっと大変なことになっていたらしい。U駅はかつては地方からの集団就職列車が到着していたようないわば東京の玄関口、地方とを結ぶ特急の発着は今でも多い。特急を含めた列車ダイヤも積雪にダメージを受け、特急が定刻から何時間経っても発車できない事態が発生した。間引き運転やむなしという状況下で、駅側は指定席車両も全席自由席車両扱いとすることにした。どうやらとにかく発車できる車両にできるだけ乗客を乗せたい、という意図らしい。ここまではまぁ分からなくもない。

 問題①は「指定席特急券」を既に購入した人の取り扱い。定刻前に列車に乗り込んだものの、指定席には見知らぬ人間が座っている。聞くと、上記のようにこの列車は座席指定が無効となったと言う。そりゃ駅員に噛みつきたくもなるわな、「指定席特急券」を購入してた人は。

 問題②は指定席の取り扱い変更の放送によるアナウンスは1回だけで、掲示類も一切なかったらしいこと。つまり、「指定席特急券」を購入していた人で指定座席の取り扱い変更を知る機会がなかった人が大部分だったらしいということ。件の特急に乗ったということは特急改札を通った筈で、「指定席特急券」を見ながら改札員が何にも客に告げなかったというのも考えてみれば酷い話。そりゃ駅員に噛みつきたくもなるわな、「指定席特急券」を購入してた人は。

 で、駅員に噛みついた人も「窓口に行ってください」と言われるのみで、窓口に行けば行ったで座席指定分だけ払い戻しかと思うと特急料金まで払い戻されたという有様で、ある人は自由席特急券を窓口に並び直して購入したと聞くし、別の人に至っては自由席特急券の買い直しに時間がかかったせいもあってついにその日は列車に乗れなかったと聞く。

 あ、ちなみにグリーン車は自由席にしなかったらしいです。ここまで来るともう論理不在というか理解不能。

 ついで体験した話。

 実は上記の話を聞いたのは、山手線でU駅に向かう途中。U駅着後にホームで上記の話をしてくれた人と別れた後、当日特急券販売窓口に向かった。「19:00発、××まで」と告げ、窓口職員も発券時に「19:00発ですね」と”確か”に言った。

 本屋でも覗こうと考えながらなんの気なしに購入した指定席特急券に目を落とすと、なんと指定列車が18:30発の特急となっている!窓口に戻るのが筋だが、時間を確認すると既に18:27、窓口には5人ほど並んでいる。当然、窓口に辿り着いた時点で18:30を過ぎていれば窓口は指定変更なぞ受け付けない。”窓口側に非があって”も良心的対応なんて期待できないのはもう何度か経験済み。結局、18:30発特急に乗るべく特急改札を抜けてからは全速力で走らなければならなかった。

 ほんとにU駅ってのは上から下まで…。

2013/01/07

NHK大河ドラマ「八重の桜」、初回観ましたよ。

 冒頭の一連のシーケンス、銃発砲時の反動感の無さは特筆モノ。CGの外し感も半端無く、演出不在感があってかなりマズい感じ。

 銃の描写にフェティッシュ感が必要とは言わないが、それが皆無にすら見えるという辺りは意図ある演出なのだろうか。衣装にそれなりに凝っていて奇麗でもあるため、登場人物がどうしても人形然としてしまう。せめて「当たりそうに見える」銃の構え方ぐらいはさせるべきだ。弾丸が当たる側の描写もおざなりになりそうで、ちょっとばっかり今後が怖い。銃は相手を殺し得る武器であるものの物語上の重要アイテムでもあるわけで、銃(や人の生き死に)の描写の演出上の取り扱いは作品の品位にも関わると思うのだが今後は如何に。

 オープニング曲の最後のフレーズで映画「王立宇宙軍」をふと思い出す。ググッてみると「テーマ音楽:坂本龍一」、成程。

2012/12/24

大矢アキオ氏「イタリア発 アモーレ!モトーレ!」終了

 大矢アキオ氏のAsahi.comでの連載コラム「イタリア発 アモーレ!モトーレ!」が12/21付で最終回となった。金曜更新で、毎回会社で昼食を取りながら読むのが癖になっていた。連載開始は約8年前、私の普通免許取得(自動車取得ではない)前後である。ほぼ8年乗っている今の車を選ぶ際、彼の別のコラムでのその車に関する記述も重要な決め手の一つとなった。

 氏は、普通の人々の「実は持っている(自分の車に対する)強いこだわり」をさらっと引きだすことのできる人のようだ。当然、濃い人々からはそのこだわりの源泉までも引き出してしまう。文章から感じる氏のまなざしの温かさは、読み手にとっては「なごみ」となる。「イタリア発 アモーレ!モトーレ!」には「ヨーロッパ(特に仏、伊)の車好きに悪い人はいない」と信じさせてしまう力があった。

 連載終了を残念とは思わない、が、とても寂しいというのが本音だ。

今さらながら「鋼の錬金術師」のこと。

 先のエントリで「魔法陣」という単語を使って、少し思い出したことがあったので言葉にしておこうと思う。マンガ・アニメの「鋼の錬金術師」のことである。

 「鋼の錬金術師」の最初のアニメシリーズの初回を観たのは単なる偶然である。夕食を作って何気にTVを点けたらちょうど始まった、というのが正しい。冒頭から一気に引き込まれた。「語るべき物語がある」という表現がぴったりだと感じた。ここ10年ほどで何らかの映像作品でそう感じたのは2回だけだ。放映後、近所の大型書店に文字通り走り、既刊の原作コミックス全巻を大人買いした。

 本当の衝撃は原作コミックスを読んでいる途中に訪れた。主人公の兄弟に対する周囲の人間の視線は掛け値なく優しい。そしてそれは半端な優しさではない。個人的にはマリア・ロス少尉のキャラクター造形において強く感じたが、極めて母性的かつ大きく強い(とても実際には有りそうもない)優しさである。

 著者は「荒川弘」、どう見ても男の名前である。当時私は30代後半に入ったころだったが、それなりに苦労してきた自分に照らしてもとても40才前の男にそんな表現が出来るとは思えなかった。もし「20才代の男」がこんな作品と表現をモノにしているとなれば、そいつは大の付く天才である。一度でも創作の道を志したことのある人間なら嫉妬すべき才能である。クロード・ルルーシュが映画「男と女」を製作したのが20才代後半であったことを彷彿させられた。

 実体はご存じの通り、荒川氏は女性とのことである。この事実を知った時、正直ほっとしたことを良く覚えている。女性となれば上記の「優しい視点」を作品で表現できるかどうかに年齢はほとんど関係ない。必要な人生経験と表現者としての才能があれば十分である。著者が女性だったからどうだ、と言いたい訳ではない。「著者が男性だったら異常かも」という状況に一人で取り乱していたに過ぎない。

 ただ々々作品が著者の望むように育ち、完結することを願った。

2012/12/17

「~的な」という表現について思うこと。

 私も日常会話では使うものの、「~的な」という表現が大嫌いである。日常会話で使う場合は相手の「感覚」に合わせるとき、「察しと思いやり」の精神が必要なときだけである。仕事では、後輩の教育の際に使った方が早いと判断した場合を除いて絶対使わない。「~的な」という表現を使わなくても相手に自分の論理を伝えられるようになれば、エンジニアとしての入口には到達したと見なして良いと考えている。逆に、使っているうちは良くて半人前、正直本質的に駄目である。

 「~的な」という表現には、時代による言葉の意味の変化を原因とする二義性と、思考停止を招きかねない困った効能という二つの問題がある。

 「A的な」という表現の指し示す論理的意味はどのようなものか。充分におっさんな我々の世代の人間の多くは、「AっぽいけどAとは違う」または「Aとは違う可能性が高いのにAのように見える」と理解する。「違う」という意味が重要なのである。言い換えると、「Aとは違うもの(の筈)なのにAのようだ(なぜ?)」である。他方、TVCMなどでの今時の用例における「A的な」は「Aっぽい」までしか意味しておらず、「違う」という意味は完全に抜け落ちている。文字通りに「A的な。」だけの形で口にされない限り、二義性の問題に留意して使うべきである。実際、「カオス的な」という表現はカオスではないもの、カオスと識別できていないものに対してしか使わない。

 人間の考えられることを適切かつ客観的に表現するには話し言葉、書き言葉は全くの無力であり、エンジニアリングではグラフ、図、数表、数式の力も借りねばならない。哲学などの世界でも、新しい言葉を定義や概念ととともに提示することが繰り返し行われてきた。これは、人間の思考活動や内容が、話し言葉や書き言葉で表現できる範囲に制約されていないことを意味する。しかし、人間は言葉にしてしまうと分かった気になりがちなのも事実である。

 この「分かった気」は思考停止以外の何物でもない。今日的な「~的な」という表現の恐ろしさは、「実際のところどうなのか、何なのか」という判断は保留しつつ、言葉にできるところにある。「~的な」という表現を口にすることで「分かった気」になってしまう、という事態は、二重に思考停止しているのである。おっさん世代の「~的な」は、少なくとも「実際のところどうなのか、何なのか」という問いに対する個々人の判断結果が暗黙のうちに含まれており、積極的にそのような表現が使われたこと自体にも論理的な意味がある。

 後者の思考停止は、前者の二義性と無関係には見えない。今日的な用例において「違う」という意味合いが抜け落ちているのは、単に思考停止している様が露わになっただけかも知れない。私の周囲で最近起きたバカバカしい事態はその可能性を強く示唆しており、この一文を書くきっかけのひとつともなった。

 ある後輩が実験をして、Aという結果を得た。後輩らのグループはBという結果を実は期待していたのだが、Aの振る舞いはCに極めて似ていた。実験直後の結果検討会に呼ばれた際に後輩から「C的ですよね?」と問われ、私も「C的だね。」と答えた。それから1ヶ月ほど経って、まだ実験結果が説明できないから知恵を貸してくれという。後輩の説明が始まってものの30秒で全ての状況が分かってしまった。上述の二義性を思い出して欲しい。

 後輩は「C的ですよね?」と言葉にすることでBの可能性をいったん捨てた。私は「C的だね。」と言うことで「Cに見えるけど十中ハ九Bだね。」と伝えたつもりだった。が、実際には後輩にCである可能性を完全に捨てさせてしまっていたのだ。「ということは、あんたにも非があるだろう」という意見は正しい。が、失敗やミスを他人のせいに「だけ」してはいけない。彼は例えばこう問えば良かっただけの話なのだ。

「データの振る舞いだけならCのように見えます。」

対する私の答は例えばこうである。

「***な条件ではBはCのように振る舞う場合があると***の論文に書いてあった。Cのように振る舞う条件範囲でしか実験していない可能性はないか?」

 「~的な」なんて表現を使うからおかしくなったのだ。上記の仮定の会話では、試験自体が失敗している可能性にも既に触れている。

 で、実際のAの正体はどうだったのか。特定の条件を満たした場合に現れるBの特殊なケースである。C的な振る舞いの原因は試験条件が適切に設定できない試験装置の設計ミスと設計手順上のミスの重畳である。装置改造後は極めて快調である。

 で、結局何が言いたいかというと…
  1. とある船に、とある存在が「女神」と形容し、ハードウェアとしての存在が検出可能な「何か」が搭載されている。
  2. 霊感の強い少女がそのとある船に乗っている。彼女は自縛霊などの幽霊を見た経験がある。
  3. 霊感の強い少女が「何か」の近くで女性の姿をした「別の何か」を目撃、失神する。
という状況が仮にあったとする。①と②から純粋に論理的に示唆される③に対する説明は、「『別の何か』は幽霊である可能性が高い。『何か』、『別の何か』、『女神』相互の関連性を示唆するものは何もない。敢えて言えば、少女が『別の何か』を目撃したのが『何か』の近くであったことに何らかの意味があるかもしれない。」である。ここで「何か」=「女神」≒「別の何か」を成立させる論理的凄技は、「幽霊」や「霊感」を論理的に定義するところから始めなければ繰り出せない。が、21世紀の我々は素敵な武器を手に入れた。「~的な」という表現への新たな意味付け、或いはこのような意味付けの土壌となる「論理破綻に気付けない思考停止」や「論理性の必要を誰も要求しない(何かの)レベル低下」である。

 百歩譲ろう。「幽霊的なもの」、それは何か?