2012/12/24

今さらながら「鋼の錬金術師」のこと。

 先のエントリで「魔法陣」という単語を使って、少し思い出したことがあったので言葉にしておこうと思う。マンガ・アニメの「鋼の錬金術師」のことである。

 「鋼の錬金術師」の最初のアニメシリーズの初回を観たのは単なる偶然である。夕食を作って何気にTVを点けたらちょうど始まった、というのが正しい。冒頭から一気に引き込まれた。「語るべき物語がある」という表現がぴったりだと感じた。ここ10年ほどで何らかの映像作品でそう感じたのは2回だけだ。放映後、近所の大型書店に文字通り走り、既刊の原作コミックス全巻を大人買いした。

 本当の衝撃は原作コミックスを読んでいる途中に訪れた。主人公の兄弟に対する周囲の人間の視線は掛け値なく優しい。そしてそれは半端な優しさではない。個人的にはマリア・ロス少尉のキャラクター造形において強く感じたが、極めて母性的かつ大きく強い(とても実際には有りそうもない)優しさである。

 著者は「荒川弘」、どう見ても男の名前である。当時私は30代後半に入ったころだったが、それなりに苦労してきた自分に照らしてもとても40才前の男にそんな表現が出来るとは思えなかった。もし「20才代の男」がこんな作品と表現をモノにしているとなれば、そいつは大の付く天才である。一度でも創作の道を志したことのある人間なら嫉妬すべき才能である。クロード・ルルーシュが映画「男と女」を製作したのが20才代後半であったことを彷彿させられた。

 実体はご存じの通り、荒川氏は女性とのことである。この事実を知った時、正直ほっとしたことを良く覚えている。女性となれば上記の「優しい視点」を作品で表現できるかどうかに年齢はほとんど関係ない。必要な人生経験と表現者としての才能があれば十分である。著者が女性だったからどうだ、と言いたい訳ではない。「著者が男性だったら異常かも」という状況に一人で取り乱していたに過ぎない。

 ただ々々作品が著者の望むように育ち、完結することを願った。

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