2015/01/11

フランスでのテロ事件、雑感

 報道内容を信じる限り、逃走中に車を止めてまで殺害した警官がイスラム教徒だったというのは皮肉かつ救いの無い話だ。本件に関わるテレビでの朝日新聞社の解説委員らのコメントが具体性の無いのはさておいても、自社の姿勢(捏造報道の数々)に見事なまでにブーメランとして帰っていく様は救いが無いを越えて(論理性が全く無いが故に)馬鹿にしか見えないのも実に皮肉な話だ。自由の行使とそれに伴う責任について現時点の朝日新聞社の人間に語る資格なんかありゃしない。自ら行使した「報道の自由」に対する責任を放棄したまま、なんら「具体的に購っていない」からである。

 「イスラム教徒=テロリスト」或いは「マスコミが嬉々として報道=捏造、恣意的解釈」といった一種の定型化された、硬直的な認識の打破にはまず左辺側の言行のちょっとした、ただし本質的な変化が必要であり、変化しないことは主体的な選択と見做され得る。例えば「何処までがイスラムの大義に基づく正義だったのか」がイスラム指導者から明確にされれば、一連のテロの見え方をかなり違うものとできるだろう。報道機関、ジャーナリスト、国家も同様である。

 素朴に、「『神は偉大なり』『ムハンマドの名誉を回復したぞ』と声を挙げながら、明らかに殺害される理由の無いイスラム教徒警官を射殺したイスラム教徒達」がイスラム法でどう扱われるのかが現在凄く気になっている。(知らないが故にざっくりとした表現しかできないが、いわゆる)イスラム法を調べ、理解することが今後暫くの自分の課題となりそうだ。ただ敷居は極めて高い。その基礎たるクルアーン(コーラン)は基本的に他言語への翻訳が禁じられているためである。つまり、一次文献たるクルアーンの内容を文字通り正確に、翻訳による歪みがない状態で把握するためには、まずアラビア語が読めなければならないのだ。次いで解釈にはイスラム文化圏の知識も必要になる。

 さて、テレビで某朝日新聞社コメンテーターが不用意に「文明の衝突」という表現を口にした。

 「文明の衝突」という表現、概念自体は昭和からある使い古されたものであり、大雑把に言ってまぁ使っても良いだろうとは思う。が、使い古されているということは、その処方箋に対する議論も広く為されてきているのである。つまり少なくとも言論人たる者がポスト「文明の衝突」の一端にでも触れられないならば、勉強不足、知識不足、思考停止などなどのそしりは免れられない。上述の「朝日新聞社の解説委員らのコメントが具体性の無い」とは、まさに文明の衝突に対する処方箋を含まない点を指している。そもそも「文明の衝突」の概念を理解しているのかどうかも疑わしいのである。経済を知らず、歴史を知らず、社会を知らず、文明も知らず、宗教も知らずで解説委員とか、ふざけるにも程があるのであると言えよう。確かに現時点で有効かつ具体的な「文明の衝突に対する処方箋」はない。だがそれ故に、「解説員たる者」は処方箋に相当するヴィジョンぐらいは語って欲しいものだ。とは言え、言葉を選ばない限り自らの首をも締めることは必至と言える。一種のパラドクスとなるが、上述したような硬直化した認識の打破は、従来の自己否定をも含むものとならざるを得ない。本当の勇気が問われる、卑怯者と他者から後ろ指を差されなくなる一線と言えよう。アポロ計画をはじめ、技術発展においては名も無き「荒野に名を呼ばわる者」(誰にも相手にされない反逆者)の存在は無視できない。

 以降は不謹慎なジョークとして理解頂きたい。対テロ部隊を全員女性とすることにしたらどうだろうか。「女性に殺された場合は天国に行けない」「自殺した場合には天国に行けない」という宗教的価値観を持つ集団の構成員がテロリストである場合へのカウンターとしての一つの解である。

 「殺されなさい、死して永遠に呪われなさい。」という強烈なメッセージだ。

 「文明の衝突」を衝突のまま放置して先鋭化させた場合、この種の殺伐とした世界が待っている。

2015/01/09

イントレランス 再び

 イントレランスとは不寛容の意味。フランスでの新聞社襲撃をはじめとする一連のテロ事件の報道を見るにつけ、この言葉を意識せざるを得ない。自らの信条に基づく「正義」を他者への攻撃理由とする姿は不寛容の極みである。ましてやその「正義」に照らしても攻撃対象とはならない警官や工場作業員を殺害するに及んでは、単なるテロに過ぎない。

 「一種のイスラムの正義」自体は理解する。とあるイスラム教指導者がコメントしたように、「イスラムの正義はイスラム法に基づいて為されなければならない(今回の襲撃はイスラム法に照らしてもテロでしかない)」という考えも一種の奇弁ではあるが理解する。だが、どのような正義もテロとは両立しないということは指摘せざるを得ない。

 不寛容は不寛容を生む。

 個人的には、「テロを正当化し、正義と見做す」イスラム指導者が必ずしも少なくない事が気に食わない。彼らの言行は極めて無責任に見える、他者の命を奪う行為を奨励しながら自らの命は危険にさらさないように振る舞っているやに見えるからである。私の価値観に従えばそれは卑怯な振る舞いである。しかし、私はそれを持って一部のイスラム教指導者やイスラム教徒に敵意を向けたり糾弾するといったことはしない。

 これは他者に対して寛容であるというより、自分を卑怯者にしたくないというのが本音だ。ただし、「これはまごうことなく卑怯、無責任、適当」と確信した場合はその限りではない、某報道機関とかね。ホント、テロ朝とは良く言ったもの、キャスターやコメンテーター(経済学者らしい)の適当具合はもはやテロ。リフレ経済学(こんな日本語初めて聞いた。せめてリフレ派経済学)とか適当にしゃべってるし(本当に分かってるのかな?ただのレッテル貼りにしか聞こえない)、ドイツの実態(かなりえげつない経済的な戦争行動、財政均衡はユーロ発行権を持つが故に可能な一種の搾取という側面がある。まぁ、良くも悪くも「中庸」を取らないのは如何にもって感じ)を都合良く無視してるよ。

2015/01/08

これマジっすか!BAEシステムズの赤外線光学迷彩

 英国・BAEシステムズが赤外線光学迷彩を開発しているという話は知っていましたが、たまたま見つけたムービーの内容が結構衝撃的。これはマジですか、CGじゃない?

2015/01/06

韓国、運開前発電用原子炉で死亡事故...時限爆弾化必至?

 つい最近、韓国の発電用原子炉である新古里3号で作業員3名の死亡事故が発生した。事故の経緯はまだはっきりしないところもあるのだが、酸欠が死因であるようだ。漏れてはいけない窒素ガスが大量に漏れたために低酸素雰囲気が形成され、たまたまそこに足を踏み入れた作業員が死亡したということらしい。

 酸欠、と聞くと「息苦しいと感じる段階がある」と考えている人も少なくないと思うが、 本当の酸欠というのは当人がそれと気づくことなく一瞬で昏倒してしてしまうものらしい。人間の五感では酸欠を事前に察知できないから、「2次災害も含んでの3人」という可能性もある。目の前で人が倒れれば、思わず駆け寄ってしまうのが人情というものだ。

 さて、事故を受けて新古里3号及び4号の運転開始に向けた作業は停止されている。亡くなられた3人の方々には申し訳ないのだが、本件は「韓国の抱える時限爆弾の一つ」の針を大きく進めた可能性がある。

 新古里3号は韓国の最新型原子炉APR1400だ。この原子炉は韓国が受注、建設を進めているアラブ首長国連邦の原子炉と同形式である。問題はAPR1400に運転実績が無い事だ。新古里3号が初号機なのだが、当初予定の2013年中の運転開始ができないまま、未だ運転開始準備中なのである。

 アラブ首長国連邦は運転実績の無い原子炉を建設することを選択した訳だが、当然ながら新型原子炉の世界初運転、うっかりすると実験、をする事なぞ望む筈もない。従って、受注した韓国企業及び韓国との契約にあたって至極真っ当な事項を含めた。ざっくりと書くと、アラブ首長国連邦のAPR1400の運転開始に先立って同形式の運転実績を作る事、それができない場合は実績ができるまで賠償金を払い続ける事、である。では何時までに新古里3号或いは他のAPR1400を運転開始まで持っていけば賠償金を払わずに済むかというと、なんと今年の秋らしい。裏取りはできていないのだが、賠償金は毎月建設費の1%との話も聞く。本当なら洒落にならない額だ。

 原子力発電所建設のような大型プロジェクトでは経済的リスクをヘッジするために保険をかけるものである。が、当初プロジェクトに参加予定だった東芝が余りの安値受注に驚いて手を引いこともあり、ロイズが保険を引き受けなかったと聞く。そのため賠償金発生となれば韓国が引き受けなければならない。実績作りを意図したと思われる赤字必至の安値受注自体も裏目に出ているようだ。業界内でアラブ首長国連邦事案の受注額が既に知れわたっている(韓国の契約履行状況に不満を持ったアラブ首長国連邦が意図的にリークしたとされる)ため、もはやそれより高い価格では世界中で応札もさせてもらえない状態に韓国は追い込まれている。

 先にも触れた通り、受注段階での新古里3号の運転開始は2013年だった。韓国は十分余裕があると思っていたに違いない。が、信号ケーブルや多くの部品の性能未達、検査成績書偽造などのため未だ運転開始に辿り着けていないというのが実態だ。これも裏取りできていないのだが、近隣住民の反対運動で送電用の鉄塔が未だ作られていないとの話も聞く。これが本当なら新古里3号自体が完成しても商用運転には入れない。すなわち運転実績は作れない。

 さて、この爆弾は爆発しちゃうんだろうか?

2015/01/05

2015年!

 目出度いかどうかはさておき、年が明けました。仕事が立て込んでしまい、いまいち年末年始感の無い日々を過ごしました。来年の今頃はゆっくりできれば良いなぁ、などと思っている今日この頃です。

 さて、2013年~2014年前半は個人的には色々と面白いことが多く、色々新たに学ぶことが多い時期でした。学んだ、と言う事が実感できる瞬間の一つは、対象の反応が読めるようになった時。しかし対象の反応が読めるようになると、これが何とも面白くなくなってしまうもの。2014年後半はまさにそういう状態にあって、全く意外性の無い反応(要は滑ってばかりいる)に対象への興味も失われてしまいます。本年は予想+アルファな、斜め上な事項も発生しそうですが、さて?

 どっこい生きてる。本年もちびちび書いていきますので今後ともよろしくお願いいたします。

2014/12/22

あのキャスターもあかん。

 朝日新聞絡みで、某報ステの某キャスター曰く、「人間は間違いを犯すものとして...」

 問題をすり替えてはいけない。

 嘘をつき、嘘を指摘した人々を報道機関としての力を使って非難してきたことは、犯罪或いは暴力に他ならない。朝日新聞が言う「普遍的な人権問題」と言ってもよい。

 捏造と過誤とは全く別物だ。

Megpoid English、YMOの「シムーン」カバー、再び

 基本的にボーカルのミックス違い。先のバージョンはPiapro Studio(ボーカロイドエディタみたいなDAW用のプラグイン)の出力をエフェクトに通したものでしたが、今回のバージョンはCubaseのVari Audio機能を使ってピッチや発声タイミングをかなりいじってます。出来はもう一息。

2014/12/19

理研、あかんのとちゃう?

 某再現実験の責任者が変なコメントを出していてびっくり。以前に書いた通り、STAP細胞の件は最初っから全く科学的じゃなかった。最後になっても科学的じゃなかった、と当事者たる理研から出たのは本当に想定外だが、自業自得とも言える。また、理研やTVでコメントしている研究者の発言の多くには甘えが強く感じられて不快だ。研究開発の世界は元々からして食うか食われるかの超競争社会、名ばかり研究者を「科学に立脚した上で研究者としては潰す」こと自体は悪ではない。未熟は悪しとは思わないが、未熟を何かの理由にすることなんて類の低レベルの甘えは科学者には許されるべきではないんじゃないの?あんなコメントをわざわざ言うなんて研究者としても管理者としても失格、甘えるにも程があると思うよ。

 特許、論文、記者会見と勝者としての「競争社会の掟」を最大限利用しながら、今度は「そんな掟なんか知らん」とは虫が良すぎ。

2014/12/18

安定のクラカタウポスコ:補足

 今回の爆発は転炉(コンバータ)だそうです。つまり、高炉と転炉の配置はこんな感じということかな?
 高炉とは鉄鉱石やなどを上端から放りこみ、「鉄(Iron)」を分離するためのもの。鉄鉱石などを高炉の上端に運ぶための長いベルトコンベアらしきものが見えますね。転炉とは鉄に混入している炭素を除去して「鋼(Steel)」とするためのもの。炭素を除去するために酸素を炉内に吹き込みますが、通常は水が入る要素はありません。爆発原因が水と銑鉄との接触との事ですが、何故水が混入するのか全く理解できません。

 ちなみに、酸素を吹き込むだけで鉄中の炭素を二酸化炭素の形で簡単に除去できるそうです。また酸素と炭素の結合時の反応熱が大きいため、転炉では特段の加熱は必要ないらしいです。良くできてます。さらに言うと、仕事で関わった事があるので知っているのですが、吹き込む酸素は大気中から精製します。原理は面倒くさいので省略しますが、液体窒素と液体酸素の僅かな沸点の違いを利用するこれまた良くできた方法を用います。

2014/12/16

安定のクラカタウポスコ

 韓国とインドネシアのジョイント会社、クラカタウポスコ製鉄所で15日にまた爆発が起きた模様。なかなか豪快な爆発で、建物の屋根とか陥没してそうな勢い。
Googleさんで調べてみると、場所はここかなって感じ。さて如何でしょう。
  鉄鋼は中共国内の生産力だけで世界需要を賄えるとされる昨今、まともに稼働してもそうそう儲からない筈なんだよなぁ。