2014/11/22

FIAT 500 Twinair Dualogic インプレッション - 1年間乗ってみて

インプレ最終回、結論から言えば「ぞっこん」です。

まずは前提となる条件からのおさらい。
  • 車はTwinairエンジン、Dualogic(オートマチックモード付きクラッチペダルレスシーケンシャル5段トランスミッション)、 ただし足回りのセッティングはほぼマニュアル車500Sと同等。
  • 乗り換え前の車は、先代のFIAT Nuova Panda Plus、1.2ℓFIREエンジン、Dualogic(同上)。
  • 用途は主に通勤で方道約9km。行き(出勤時)のみ軽い渋滞あり。高速道路使用は年に2、3回で方道70~150km。 
  • エコモードは酷い渋滞時以外は未使用、スタート&ストップは基本的に常時ON。
  • 停止のための減速時以外はマニュアルモードでシフト操作、エンジンブレーキも多用。
 ただでさえ足回りが日本車一般と較べて硬めの欧州車でかつ スポーツ仕様なので、明らかに足回りは硬いです。道路事態やマンホールの段差をもろに拾うので、好き嫌いは分かれるでしょう。私自身は運転しながら路面状態が把握できる方が好きなので、むしろ好ましいぐらいです。コーナリング時の車体のロール(横方向傾斜)はほぼ0で、ここは一旦ロールはするもののきっちり戻る(コーナリング後に反対方向へロールすることがない)先代Pandaとも味付けが違います。

 先代Pandaでは50km/h以上でのコーナリング時に感じたアンダーステア感(ハンドルを切ったほど曲がらない)は全くありません。少なくとも街乗りで使う速度域(70km/h以下)ではアンダーステアは感じません。その代わり、先代Panadaでは登り坂のカーブで多用したタックイン(コーナリング時にアクセルを緩めて速度を落とした瞬間に、ハンドル角度はそのままでもきゅっとより曲がる。)は使えません。一般的にアンダーステアが出るという事は「車がそういう運転はやめてと言っているに等しい」訳ですから、先代Panadaにとっては厳しい運転をしていたという事でしょう。実際、先代Pandaではコーナリング時にタイヤが鳴る事が多々ありました。が、500ではタイヤを鳴らしたことはまだ一度も有りません。ステアリング感は高速道路走行時でも変わらず、「ハンドルを切った分だけ曲がる」という感じです。500で初めて高速道路を運転した際、アンダーステアが出ることを前提に先代Pandaの感覚で車線変更をしたところ、あまりに急激に曲がったのでびっくりしたぐらいです。

 先代Pandaと較べると重量は+5%、ただし馬力は+30%ですから、動力性能には今のところ不満はありません。Twinairエンジンの応答性は非常に高く、これまた「アクセラレータ ペダルを踏んだ分だけ回る」といった感じです。3000回転を狙ってアクセラレータペダルをやや深めに踏み込んだ状態で2400回転を越えたらマニュアルでシフトアップという加速操作なら、3速に上げた時点でほぼ60km/hに達してしまいます。最大トルクが1900回転で出るのがTwinairエンジンの特徴(FIRE系エンジンは3000回転付近)で、これが良好な加速特性に寄与していると思います。このためFIRE1.2ℓエンジンを搭載した先代Pandaの「3速で引っ張って」とは一味違います。気を付けないといけない点は、アクセラレータペダルの踏み込み具合はそのままで5速までシフトアップするとストレス無く80km/hを余裕で越えてしまうこと。望む通りに「加速し、止まり、曲がる」ため一体感は得やすいのですが、「ドライバーが車の一部になって」エンジンや車自体が望むような運転をしてしまうと道路交通法i違反は必至です。

 速度は160km/hまで確実に出ます。ちなみにカタログスペック上の最高速度は170km/h超です。120km/h辺りまでの加速にはエンジンのトルクが太い2000回転超の領域が使えるので何らストレスはなく、高速道路合流時に速度不足となるような心配もありません。140km/h辺りでドアミラー付近からの風切り音が気になり始め、加速感は頭打ちになってきます。ただし、高速道路での追い越しのための110km/h付近から140km/h付近までの加速にはほとんどストレスはありません。高速道路でもアンダーステア感はほぼ無く、路面の凹凸はがつがつ拾うものの接地感が失われることはありません。ただし、これらはあくまでで好天時の話なので念の為。先代Pandaで雨天時に高速道路を走った際には、時折タイヤが滑ってるような感覚がありました。エンジン回転数は120km/h巡航時に5速で2800回転程度、アクセラレータペダルは気持ち踏んでいるだけなので瞬時燃費表示には平然と20~40km/ℓの値が示されます。エンジンを3000回転以上回そうとするとそれなりにアクセラレータペダルを踏み込む必要がある、といった感じでしょうか。なお、高速道路走行時にエンジン振動が気になることはありません。

 Twinairエンジンのトルクバンド下限は1400回転付近にあります。ですから、この辺りの回転数でアクセラレータペダルを踏み込むとエンジンは「どっどっどっ」とばかりに低振動数で大きく振動します。これは結構気持ち悪い振動で、「酔う」人がいるのも分かります。一度わざと1400~1600回転中心で運転してみたら30分程度で私も気分が悪くなりました。Dualogicをオートマチックモードにしておけば、シフトアップ直後にアクセラレータペダルを緩めるといった意地悪な運転をしない限りはこれらの回転数領域は使われません。マニュアルモードならば尚更回避は容易です。先代Pandaはエンジンのトルクバンド下限を積極的に使う事で大幅に燃費改善が可能(私の実績は3000km平均18.6km/ℓ)で、エコモードでもこの回転数領域を積極的に使うようになっていました。つまり、先代Pandaのエコモードは「エンジン回転数を上げない」というものでした。対して500のエコモードはシフトアップ時のエンジン回転数は通常モードと同等のまま、エンジンの燃料噴射量などを調整して燃費向上を図ります。この違いは、「Twinairエンジンではトルクバンド下限付近のエンジン回転数が振動のため使えない」という判断に基づくものだと推測しています。4速まではDualogicに任せてとにかく加速、巡航速度で可能ならマニュアルで5速にシフトアップして1700回転ぐらいを使う、という運転の方がだらだら加速するよりも平均燃費は良くなるんじゃないかと思います。私の500の実績は1000km平均で17.0km/ℓ。

 2気筒エンジンのためかエンジンブレーキは「エンジンの音の割には」効きません。特に2速で効かない印象で、減速時に2速にシフトダウンするとアクセラレータペダルを踏んでもいないのに「ぬるぬるっと僅かに加速する」感じを受ける事があります。この特性は正直不満、とういうかちょっと気持ち悪いところですね。Dualogicも熟成され、先代Pandaの鬼門であった「緩傾斜を1速で下っている際の自動半クラッチ解除時のかっくんがくがくがく」に類する「分かっていても避けられない」困った挙動は完全に無くなりました。

 走行速度メーターとエンジン回転数メーターのレイアウトは一部で「読みにくいのでは?」という声もありました。しかし、要は慣れとメーターのレンジ設定の問題です。2000回転超付近、60km/h超まで の運転条件であれば両者の針の位置は近くて一目で両方とも確認できます。また、Twinairエンジンならエンジン回転数はエンジン音、トルク変化を反映したアクセラレータペダルの踏込み量と加速感との関係で3000回転ぐらいまではメーターを見なくとも直ぐ分かるようになりますよ。

  さてFIAT 500 Twinair、癖はあるけどキビキビ感に満ちた良い車だと思います。少し寄り沿ってあげれば「癖は最大限生かすべき特徴」となります。ガチガチ行きたければマニュアルトランスミッションの500S、更にパワーが欲しければアバルトもあります。ちょっとなんちゃってクロス感は否めませんが500Xも控えています。現行PandaもTwinairエンジン搭載となりました。噂では500は千葉県の一部で物凄く普及してしまって食傷気味だとか、でもそれはあくまで「見た目」の話。同じ500でもFIRE1.2ℓ、FIRE1.4ℓ、Twinair、更にはアバルトとエンジンが変われば旋回半径(Twinairエンジンは小さいので前輪の最大舵角も大きく取れるそうです)どころか可能な走りも全く別物なのです。

2014/11/08

クライスラーの名前で出ています。

 愛車FIAT500 Twinairの一年点検に行ってきました。ちょっと健忘癖がある様ですが車としては問題無し。先代愛車のNuova Pandaが120km/hぐらいで加速が頭打ちという高速道路走行にはちと辛かったことを思うと、120km/hからも十分加速が得られるFIAT500 Twinairは周囲の流れに合わせるのが楽チン。

 さて、エントリタイトルはディーラーの担当者との雑談で出てきた話。エクステリアデザインという点に限れば、個人的に大好きな車はまずランチア・ストラトス、次いで先代(2代目)のランチア・イプシロンってあたり。だから先代イプシロンに乗っていた可能性もあった筈なんですが、日本国内に正規ディーラーが当時は無かった、と言うのが現実。

 二代目イプシロンが出たのは2002年。これを既に目にしている以上、デザイナーがTVCMで自らのデザインについて何を語ろうが、所詮日産のデザインインはランチアやルノーの劣化版にしか見えなかった訳です。特にリアのデザイン処理は日本車は総じて不格好、かつフロントとの不整合具合については個人的に醜悪さを感じる事が多いぐらいです。その辺りが分かっているのはスズキ、次いでマツダぐらいじゃないかなぁと思います。マツダが次点なのは処理方法が似た先行品があるためで、本当の実力が試されるのは現世代以降でしょう。ホンダは完全にデザイナーにタレント不在ですね、とにかく醜くて馬鹿っぽい、機能性とも完全に乖離しちゃってる。N-BOX/N-oneとHUSTLERとのエクステリアデザインの「質」の差は歴然、HUSTLERにはこの車にどういう外観を与えるべきか考慮した感が強いですが、N-oneなどは外観変えてみました感しかないですね。トヨタは整合性と言う点で日産やホンダと較べればマシですが、方向性と言うか何がやりたいのかが分からないというか、少なくとも「美」と無関係な感じで魅力は全くありません。スバルは近年やや迷走中、アクが強くなくなった分だけ受け入れやすくはなってます。ダイハツ、三菱自工のデザインにはここんところ見るべきものは無いですね。

 閑話休題。

 ランチアはアルファロメオと同様にフィアットグループです。が、「アルファロメオとランチアは同一店舗で扱ってはいけない」との決まりがあったため、そもそもアルファロメオの日本法人を起源に持つ当時のフィアット・ジャパンはアルファロメオとフィアットの併売故にランチアが扱えませんでした。このあたりの話をディーラーでしていたら、 「(三代目は)クライスラーで扱ってますよ。」とあっさり。

 帰宅後に調べてみると確かにその通り、1年以上前にクライスラーの名前で出てました。 プラットフォームもエンジンも500と基本的に同じの様です。ただし二代目と較べるとエクステリアデザインが明らかに米国車寄りとなったのはちと残念。ちなみにフロントグリル周りは6万円程度でランチア版に交換できるそうです。

 あと、赤色(所謂アルファロメオの赤色)の500特別仕様車がありましたが、先週のディーラー入庫時点でもうディーラー割り当て分は売約済みとなったそうです。「塊」感が出る色なので小さくて丸い500には結構合ってると思いますね。それとPanda 4x4もありました(白と黒のまさに正調Panda)。先代Nuova Pandaも4x4も国内販売されましたが、左ハンドルのみだったのが災いしてか売れなかった様です。今回は右ハンドルで6速マニュアルですが果たして?

 おまけ。フィアット500 ソレントへ行く - 太陽と海と500ツアー

2014/11/03

やっと請求権協定を踏まえた展開?

 相変わらずkoreaしているニュースばかり聞こえて全く面白くも無いので韓国方面ほぼ放置だったのですが、すわ、態朝鮮日報記事「強制動員被害者 韓国政府に請求権資金の返還求め提訴へ」です。

 やっと日韓請求権協定の取り決め内容、趣旨を踏まえた動き?が韓国にあったようです。請求権協定はもちろん双方向、日本が請求権を放棄している事案もあるのです。とは言え、やっと当たり前の展開ですか…と思ったらやっぱり反日国家、「日本の免責の口実を与えた政府」って挟んじゃうあたりはやっぱりねじくれててkorea(韓国する、という動詞)です。
 日本による植民地時代に軍人や軍属などとして強制動員された韓国人被害者の遺族が韓国政府を相手取り、1965年の韓日請求権協定で日本から無償で受けた資金の返還を求める訴訟を起こす。

 軍人・軍属・労務動員被害者でつくるアジア太平洋戦争犠牲者韓国遺族会は3日、会見を開き、1人当たり1億ウォン(約1050万円)の被害補償金返還訴訟をソウル中央地裁に起こすと明らかにした。原告は軍人・軍属被害者の遺族3人。

 遺族会は「韓日請求権協定の調印で日本から援助を受けた資金8億ドルのうち、無償資金3億ドルは軍人・軍属被害者への補償金だった。その資金を基に経済を発展させただけに、国はこれを被害者に返すべきだ」と主張した。

 訴訟代理人の法務法人は「日本の裁判所は強制動員の違法性と請求権の効力を認めていない。協定を結び、日本の免責の口実を与えた政府は被害者に一部の資金を返すべき」と指摘した。

 日本政府は強制動員被害者の賠償要求に「請求権協定で問題は完全に終結した」との立場を示している。

 今回の原告の一部は1991年、強制動員について東京地裁に損害賠償請求訴訟を起こしたが、同地裁は2001年、訴えを棄却。請求権協定で、3億ドルを無償で韓国政府に供与しており、被害補償は韓国政府が責任を持つべきだとした。

2014/11/02

やっと「宇宙戦艦ヤマト 復活編」を観ました。

 「さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち」にギリギリ引っかかっているオッサン世代の視点からは、実写版「Space Battleship Yamato」、「2199」とは較ぶべくもなく遥かに「ヤマトらしさ」を感じてしまう作品。ヤマトの無双ぶりは気持ち良いぐらい。

 作品として特筆すべき点のひとつは3DCGカットの他のカットとのなじみの良さ、画作りのセンスがあるとこうなるのか、という好例ではないかと思う。

 「Space Battleship Yamato」は悪い意味でCG屋の手癖、実は安く上げるための合理的ワークフロー、の枠をはみ出すことが無く、結果的にクリエイティビティは今二つ。明らかに参考としたであろう米国TVシリーズ「Battlestal Galactica(リメイク版)」の洗礼を浴びていた身としては、質はTVシリーズレベルと同等か及ばないとの印象を持たざるを得ない。画として具体的に見せる、という観点のクリエイティビティにも乏しい。動きにアニメ的なタメが無いのは当然としても、ゲーム用物理エンジン的な「慣性力」感を払拭できなかった点は単純に製作側の汚点であろう。使ったレンダリングエンジン(CGソフトによって意外に癖がある。特に点光源の処理結果)がアマチュアの私にも分かるのはポスト処理に余り手をかけていない、或いはレンダリング画像で良しとしたとも考えられるが、「それで良いのか(誰にでも作れる画で良いのか)?」という話。

 「Battlestar Galactica」の3DCGカットにしても、VFX専門スタジオZoicとUniversal社のインハウスVFXチームとの画の質の違いは歴然で、Lightwave3D丸出しのインハウスVFXチームの仕事は決して褒められるものではない。「安かろう悪かろう」の典型例、或いはアイディアを持つアーチスト集団と想像力に欠けるエンジニア集団との違いとでも例えられようか。

 また「2199」は結局のところ手書きの焼き直しに過ぎず、レイアウトは基本的に非凡。モーション付けはタメがあったり無かったりのバラつきが大きく、アウトラインシェーダーとセルシェーダー(輪郭線とセル塗りをシミュレートするもの)の使用が他のカットとの断絶感をむしろ強調してしまうというのは皮肉な話だ。

 「宇宙戦艦ヤマト 復活編」でも全ての3DCGカットが良いとは当然言わないし、言えない。個人的には「どういう順番で3DCGカットが製作されたのか?」がかなり気になる。大雑把に言って、ストーリーの進展とともに3DCGカットのなじみがどんどん良くなっていくからだ。これは単に後半に集中しがちな重要なカットに時間をかけたというだけなのかも知れないが、一作の中で「地球の3DCGカットの出来」にあんなに落差のある作品は個人的には初めてだ。レンダリングエンジン一世代(3~4年)分ぐらいのギャップがある。

 「宇宙戦艦ヤマト 復活編」の3DCGカットではアウトラインシェーダー、セルシェーダーともに使用していない。このため、火焔、煙、水などの処理には悩まなくても良く、特に煙は完全にリアリティ重視と言える。他方、爆発に伴う閃光が周囲に及ぼす影響は、無視されるか細部を省略したかのような大雑把な表現になっている。換言すれば、3DCGを使いながらも光の処理は(おそらく意図的に)極めて手描きアニメ的であると言える。これを3DCGでやるということは、むしろ一手間も二手間も余計に手間をかけたということに他ならない。しかし、手描き背景の緻密さとアニメ的な嘘(例えばメタリックな構造物への写り込みが無い)との相性は格段と良くなることを期待して良い。

  「Space Battleship Yamato」は光の媒介物(真空なのか、ガスがあるのか)の効果をレンダリングの時点で作りこめていないので、ポスト処理で頑張ってもスケール感や重量感の表現には制限が多い。点光源の光が遠くまで届いてしまっては、(真空中ではそうだと言っても)巨大感はスポイルされてしまう。また、Universal社のインハウスVFXチームと同様に「何が光源なのか分からない環境光」を強くするという愚を犯しており、宇宙空間での光と影のリアリティはほぼ無いと言って良い。船体表面などの凹凸、微細構造は影があってこそ見た目のリアリティに寄与する訳で、影を積極的に使わないのであればモデリングの頑張りは意味がない(影を使わないならバンプマップやノーマルマップで十分で、単にメモリの無駄でもある)。「2199」はアウトライン、セル塗り調でありながら光(と影)の表現が突出してリアル寄りであるため出来上がりの画が内在する違和感の排除は不可能だ。結局、「宇宙戦艦ヤマト 復活編」のヤマトが重量感という観点からは突出して見栄えが良い。特に逆光のなか海上に佇むヤマトの姿は、「重量感」を越えて「戦艦感」とでも言うべき風情すら感じてしまった。それは単に止め絵であるからではなく、ヤマトが登場する3DCGカットのほぼ全てにわたって共通する光の処理への考え方に負うところが大きいと思うのだ。

 ちなみに「キャプテン・ハーロック」のモデリング+テクスチャに極端に頼った方向性では影が使えない。結果、画で使えるコントラスト幅、色の彩度幅は著しく制限され、光と言えば白色しか使えず(白色しか使わないだけでも見るべき見識はあると言える)勢い画は単調とならざるを得ない。

2014/10/31

今日の某報ステも酷いですね。

 元官僚?のコメンテーターの言う事の酷い事ったらない。再生可能エネルギーの欧州事情に関する話(さも上手く言っているかの様な表現)は明らかに嘘も同然、そんな話をもっともらしく公共の電波で語るなんて誠意の欠片も無い。民間企業の様々な努力に言及できないところなんかがあの人の限界で、かつ信用の無い証拠かも、情報を持っていない?

 日本語も論理もハチャメチャ、いい大人なんだから嘘をついたり言葉を弄ぶのは止めなさいよ、いい加減。不勉強故の底の浅さ、言葉の空疎さは怠慢のそしりを免れまい。

2014/10/30

ゴジラの映画音楽と言えば…

まずは伊福部昭氏、でも佐藤勝氏も忘れちゃいけない。両氏ともにリズミック、かつ一種の日本テイストを備えた楽曲を特徴とするが、方向性は全く違う。ざっくり、伊福部氏は西洋楽器を使いつつ日本(更にはアイヌ楽曲)的なリズムやメロディーを導入するという方向性、対して佐藤氏は和太鼓などの日本のパーカッションを積極的に使う方向性、と言えるんじゃないかと思う。

 ゴジラシリーズに絞れば、佐藤氏は「ゴジラの逆襲」と「ゴジラ対メカゴジラ」の劇音を担当している。前者ではメインタイトル、後者ではゴジラの皮(?)がはがれてメカゴジラが全身を表すシーンに使われた楽曲がそれぞれお気に入りだ。

 まず「ゴジラの逆襲」。黒澤明映画っぽいと思ったあなた、そう、その通りですよ。
 で、メカゴジラ。
 で、今日初めて知ったの事が!この曲に歌詞付きのバージョンがあったとは!

2014/10/28

広東語だよ。

 香港の自由選挙を求めるデモの行方は未だ見えない。中国共産党はあくまで対立姿勢を崩せない、そう、「崩せない」のだ。TV報道によれば、CCTV(中国中央電視台)はデモ反対派の声しか流していないらしい。デモする側も中国共産党も共に時間は味方ではないようだが、落とし所のない対立は何時まで続くのだろうか。

 さて、TV報道の中で久しぶりに広東語を聞き、ちょっとなごんでしまった。昔の香港映画を良く観ていた人なら直ぐに分かるだろう。広東語は北京語とかなり違う言語で、知り合いの北京語話者も広東語は全く分からないという。広東語が喋れる訳でも理解できる訳でもないが、少し聴けばそれと分かるのは我ながら面白い。中国共産党の基本方針は北京語への統一だが、別のソースによれば広東語はしぶとく使われ続けているらしい。少なくとも一世代分の期間は使われ続けられるだろう。

 昔、広東語を調べていて面白いと思った点の一つは「ん」から始まる単語や表現が多い事である。ジャッキー・チェンの古いカンフー映画では、「んごい」という表現が良く聞かれる。これは「どうも(有難う、助かります)」に相当する表現だ。「我(私)」も「んがぁ」に近い発音である。動詞を過去形にするために使われる「過」も「んごぉ」に近い発音である。同じ漢字の発音も北京語とは近いようで違う。「好」は「はぉ」ではなく「ほぅ」に近いし、「貴方」に相当する単語は「にぃ」ではなく「ねい」である。

 使用する言語は話者の思考にも影響する。従って言語の喪失の意味するところは実は大きい。中国共産党の同化政策に「北京語使用の強要」が含まれるのは至極当然と言えよう。久しぶりに耳にした広東語になごみながらも、ずっしりと重い別の思いも頭をよぎるのだ。

 それはそうと、某報道ステーションのエボラ出血熱対策に関するキャスターとコメンテーターの会話はもうはや漫才。言葉遊びに興じることしかしてこなかっただろう人々の言葉はホントに空疎、論理性も意味も無い点はある意味凄すぎるね、庶民感覚の無さも凄いしね。

2014/10/26

「歴史観」について思うこと。再び。

 「自虐史観」とか「正しい歴史観」なんて言葉狩りはどうでも良い。「正しい歴史観」という表現が内在する政治的意図は唾棄すべきものだ。

 私の考える「適切な歴史観」とは単純、現在の国際状況を説明できる「歴史観」だ。韓国の「正しい歴史観」では東南アジア諸国は反日の筈だ。だが、現実はそうではない。歴史を紐解けば分かる通り、大日本帝国と帝国軍はある時は植民地解放の名の下に現在のアジア諸国の人々と戦い、時に日本帝国軍の軍政の下で共に発展を進めたり逆に搾取したり、またある時にはかつては共に戦った現地軍相手に戦ったりもした。その経緯は国によって様々であり、それらを特定の意図の下で定型化、再編集して作られた「正しい歴史観」なるものは、現在の国際情勢を説明できない矛盾に満ちたものになるのは必定だ。「歴史観」は与えられるものではなく、ましてや無批判に受け入れるものでもなく、歴史を学び、調べる作業を介して身につけるべきものだ。

 最近調べて目からウロコだった話がある。沖縄で使われる「うちなー」という言葉の意味、それも概念的なものではなく単語としての意味である。現在、「うちなー」は沖縄県内や沖縄本島を指す。かつては「(沖縄県の人から見た)内地」や「内地人」が訛ったものかと思っていたのだが、実はずばり「沖縄」そのものなのだそうだ。

 現在の沖縄県の一部、乃至は多くの島々はかつて琉球国を形成していた。当然、使われる言語はいわゆる現在の日本語とは異なる上、多くの方言もあった。それらの言葉のうち、現在の沖縄本島でかって使われていた言語では「おきなわ/Okinawa」はそのまま発音できない。まず母音に「お」が無い(その代わりと言っては何だが「い」が2種類ある)ので、近い音が選ばれて「O→U」と化ける。ついで、子音の「k」が日本語には無い「ch」に近い音になるので、「ki→chi」と化ける。敢えてひらがなで書いてみれば「つぁ、つぃ、つゅ、つぇ、つょ」が近いのかもしれない。最後は特殊で、「母音にはさまれたwの発音は省略、あるいは無音化する」というもので、「na-wa→na-a」と化ける。

 結果、「O-ki-na-wa/沖縄」は「U-chi-na-a/うちなー」となる。「うちなー」は沖縄を指す単語であるが、「意味がそうである」ではなくて沖縄そのものなのだという。本当、調べてみないと分からないものだ。

 さて、沖縄関連に脱線したのには意味がある。 産経ニュースの記事「朝日新聞作成の教材 日本軍の残虐性強調 指導要領逸脱の指摘も」から一部を引用したい。
2014.10.26 05:37
朝日新聞が今夏、沖縄戦について「日本軍は住民を守らなかったと語りつがれている」などとする中学・高校生向けの教材を作成して学校に配布し、教育関係者 から「偏向的な内容で子供たちに誤解を与える」と批判の声が上がっていることが25日、分かった。戦争の悲惨さを伝える一方、日本軍の残虐性を強調する記述が多く、学習指導要領の趣旨を逸脱しているとの指摘もある。朝日新聞はこの教材を38万部作成したが、学校現場に適切かどうか議論を呼びそうだ。
 また出た、朝日新聞社である。

 報道を生業と称しつつ、読者すらも放置して正面切って議論をすることもないまま、(おそらく、実物を見ていないので)「特定の歴史観」に沿った内容の教材(!)を押しつけようとでもしているのかと勘繰らざるを得ない。「嘘をつく、嘘がばれても謝罪もしない、挙句に開き直る」とか、せめて小学生の「道徳」からやり直せと言われて久しい朝日新聞社が教材など笑止だ。自分達が○○や××だからと言って、他者まで○○や××とは思わないで欲しい。間違っても他者よりも自らが優れているとか思って欲しくもない。他者と対話すらしない存在は、「社会的存在」とは言えない。対話「できない」なら「報道機関」の資格すらない。

 「ヒトラー権力掌握の二〇ヵ月」(分かり易さ優先で話が一部単純化されているので、他の文献での知識の補足をお勧めするが)は読んで理解できても、「ナチスの知識人部隊」は読んでも理解できないのかな?まぁ、おそらくどちらも読んでいないのだろう。前者の内容を理解すれば、ひとたび「大衆運動」が勃発した際に自分達がどういう運命と向き合うことになるかは一目了然だ。後者を読めば第二次世界大戦の欧州戦争は第一世界大戦の延長に過ぎず、ヒトラーやナチスの存在がその勃発に必須とは言えない可能性に気づくだろう。さらに、ユーロ圏の危うさ、もっと言えばドイツ視点で眺めた場合の胡散臭さにまで思いは至る。英国がなぜ自国通貨ポンドを固守するのか、自国内銀行の欧州連合からの独立にこだわるのか、といった現状に対して自分なりの説明、理解が得られているのは、それを支える自分なりの歴史観があるからである。

 件の教材の内容では「沖縄独立運動」や「米軍基地フェンスへ黄色いリボンを結び付ける反基地運動」は説明できるが、「沖縄の本土復帰運動」や「まだ米国統治時代に甲子園に出場した沖縄の高校球児が持ち帰った『甲子園の土』を、検疫上の理由で泣く泣く船上から海に捨てなければならなかったことがあった」ことや、「基地反対派がフェンスに結び付けたリボンを外して回る基地近隣住民の存在」 を説明できるだろうか?これら多様性故に一見対立する複数の事案を同時に説明できなければ、その教材とやらの依拠する歴史観が「適切或いは健全な歴史観」である資格はない。

 「歴史観」とは現在を理解するための一種の出発点である。出発点が間違っていれば、それだけ正しい現在の理解に至ることは難しくなるだろう。ただそれだけだ。

Megpoid English、Kraftwerkの「放射能」カバー、リビジョンアップ!

 リビジョン1です。

 Native Instrument社のソフトシンセMassiveの音色作成のコツがかなり分かってきたので、Cakewalk社のソフトシンセZ3TA+2と同等に自分好みの音色を大量作成中。"Radioactivity"についてはベース音を新規音色に差し替え、バランスを取り直すために他の音源の音量や定位をかなりいじりました。ただし普通に聞く分には差は僅かでしょうね。

 あくまで「俺の中では別物」ということで。

国際新聞編集者協会の方と意見が一致してますが。

 Viewpointのインタビュー記事「韓国は『言論の自由』を遵守すべし」。

 記事中、言論自由マネージャーのバーバラ・トリオンフィ氏は朝日新聞社の慰安婦捏造報道について以下の通り述べてる。これらはまさに以前のエントリで紹介した私の見解と瓜ふたつ。
「メディアが誤報をした場合、2つの対応が不可欠だ。一つは誤報記事に対する正式謝罪だ。2つ目は誤報関連の全記事リストを公開することだ」
 おそらく「常識的に考えればそうだろう」ということで、1点目はもとより2点目が欠けているのは全くもって誠意がない。「訂正記事の特定、明示化」は朝日新聞社の義務であり、8/5の時点で可能な事項だ。つまり「逃げをうっている」のが見え見えなのが見苦しいってこと。

 その他にも朝日新聞社の対応の「非常識さ」があらためて際立つインタビュー記事だ。「マスコミじゃない」と見做せばそれまでだが、ならば唯のプロパガンダチラシに過ぎないということ。「新聞として踏みとどまらんとする」姿勢は依然として全く見えないのは、もはや駄目ってことだよねぇ。 
韓国は「言論の自由」を遵守すべし  
編集局  2014/10/23  コラム|韓国・北朝鮮 [ウィーン発コンフィデンシャル]  

 ウィーンに本部を持つ国際新聞編集者協会(IPI)の言論自由マネージャー、バーバラ・トリオンフィ女史は22日、当方とのインタビューに応じ、産経新聞前ソウル支局長の在宅起訴問題と朝日新聞の慰安婦報道の誤報について、その見解を明らかにした。

 ソウル中央地検が8日、韓国の朴槿恵大統領に関するコラムをめぐる問題で、産経新聞の加藤達也前ソウル支局長を名誉毀損で在宅起訴したことに対し、同女史 は「言論の自由を著しく傷つけている。加藤氏に対し刑罰上の名誉毀損(criminal defamation)を適用することは国際法の基準を逸脱している。政府関係者や公人は批判に対して寛容であるべきだ」と述べ、韓国当局は加藤氏への全 ての処罰を即撤回すべきだと要求した。

 イタリア人の同女史は「『言論と表現の自由』に関する2002年の国連特別審査官の共同宣言、 欧州安全保障協力機構(OSCE)や米州機構(OAS)の特別報告書は『刑罰上の名誉毀損』を表現の自由の制限に適応することは正当ではないと明記してい る。産経新聞の場合、朴大統領が自身の名誉が毀損されたと感じたならば、民事法の名誉毀損(civil defamation)を訴えるべきだ。産経新聞 のジャーナリストが起訴された背景には、険悪な日韓関係が多分影響を与えているのかもしれない」と語った。

 一方、朝日新聞の慰安婦問題に関する誤報について、同女史はメディアの「責任問題」に言及し、「メディアが誤報をした場合、2つの対応が不可欠だ。一つは誤報記事に対する正式謝罪だ。2つ目は誤報関連の全記事リストを公開することだ」と指摘した。

 朝日新聞の場合、社長が謝罪を表明し、誤報記事の背景を検証する委員会を設置したが、朝日新聞の慰安婦報道は国内だけではなく、海外のメディアにも大きな影響を与えている。安倍晋三首相は「朝日の慰安婦報道の誤報は日本の名誉を傷つけた」と主張しているほどだ。

 トリオンフィ女史は「国や公共機関はメディアの誤報に対し、賠償請求はできない。国は誤報による被害総額を計算できないからだ。ただし、読者が連帯して朝日の誤報に対し被害賠償を請求することは可能だろう」と説明した。

  IPIは1950年10月、創設された機関で、言論の自由を促進し、世界の言論の自由を検証した年次報告を発表している。 120カ国以上が参加している。

(ウィーン在住)