2014/08/15

本日の天声人語は

豪快なブーメランであろう。

 山田風太郎氏の「戦中派不戦日記」を引用し、「どんぐりとなるな、個を持て」とまとめていた。ここで「どんぐり」が指す意味合いは「皆が同じ考えに染まった状態」を指す。戦前、戦中に日本国民の「どんぐり」化、しかも戦争に向かう「どんぐり」化を進めた主体のひとつは明らかに新聞である。朝日新聞自体も例外ではなく、戦前~戦中の紙面に一通り目を通した経験からは、むしろ強力に加担したと言って良いとの感触を持つ。今もどんぐり化を進めたい意向のようだが、紙面を見るにもう報道である事も放棄しつつある現状では無理であろう、ドグマ剥きだしで読むに耐えない。なお、山田風太郎氏の作品を愛する身としては、

 山田風太郎氏を愚弄するな。

とはっきり言いたい。どの面下げてそんなことが書けるのか、毎度のことながら自らを省みることができないセンスを心底疑う。

 夕刊は輪をかけて剥きだしで酷い。昨日の「素粒子」欄も酷かった。国内で朝鮮半島で見られるピラミッド型古墳が発見されたことと、現在の日韓関係の悪化状況を引っかけた一文があった。が、当時の高麗(高句麗)は「現在の朝鮮半島の住人」とは異なる民族による国である。

 良くて不勉強、それとも「韓国国定教科書の歴史記述を信じている」とか。

 別民族であることを前提に書いていたとすれば、それはそれで愉快。違う民族による違う歴史を経ていれば、現在の状況は無かったかもしれない。そういう意図でのあの一文であれば評価もできよう、いや、上手いと言おう。脱亜論も、日中戦争も、日露戦争も、日華事変も、太平洋戦争も、ねつ造慰安婦問題も無かったかもしれないのだ。

おまけ・・・いや、四大文明より大韓民国の方が新しいですから。

2014/08/11

イントレランス

 イントレランス【intolerance】とは、
  1. 許せないこと、耐えられないこと
  2. (宗教上の)不寛容
という意味である。

 冷戦時代は少なくとも表面的にはイデオロギーの対立の時代だったと言えよう。

 この時代のイデオロギー対立は完全な対立関係、つまり両立しないものとして良くも悪くも極めて単純化された形で取り扱われた。だから勝敗が争われた、互いに自分がラストマン・スタンディング(最後の生き残り)たらんと科学技術、経済、軍事などあらゆる手段で覇を競い合った。今から見れば、極めて理解し易い世界情勢が形作られていたと言える。

 イデオロギー対立の下では、それ以外の事案は大抵許容された。どちらかの陣営に属するか旗色をはっきりさせれば、独裁だろうがなんだろうが大国はそれを許容し、支援すらした。敢えて誤解を恐れず言えば、冷戦時代は意外にも「寛容(トレランス)」が至るところで見られた時代だったのかもしれない。もちろん、ここで「寛容である事」自体の良し悪しは問わない。「寛容」が極めて恣意的、選択的であったことは紛れもない事実である。

 対して、現在は「不寛容(イントレランス)」の時代という思いが最近強くなってきた。例えば、宗教対立や民族対立には相手に対する「不寛容」の存在が透けて見えることが多い。先鋭化した原理主義も他の価値観に対する「不寛容」さを伴う。隣国と日本との関係もそう、互いの「不寛容」さの衝突のように見える。

 時代のキーワードは「寛容(トレランス)」から「不寛容(イントレランス)」へ。 情報化の発達は相互理解の促進だけでなく、互いに相譲れない価値観の相違もあぶり出した。国家や民族集団などの内への顔、外への顔が同じ重みで不特定多数に伝わるようになった。これはまぎれもなく大きな変化である。

iTunes11.3.1.2、あ、もうきっと直す気無いのね

 定期報告です。
 Windows7における右端問題、未だ健在。アップデート後の初回起動で安定のこの状況。



「Dear Radio」Megpoidカバー、テストミックス #2

 "Z3TA+ FM Mix"と"MF Mix"のテスト版です。

  "Z3TA+ FM Mix"はカバーでは無くてコピー寄り、と言うか音色含めて何処までオリジナルに近づけるかというミックス。音は全てソフトシンセ"Z3TA+"によるもので、「サイン波オシレータ2個(Yamaha流には2オペレータ)のFM変調縛り」でスクラッチから作成。けっこうFM変調での音作りのノウハウが貯まりましたよ。MS-Exelで生成波形をシミュレートしながらの音作りはちょっと面白かったです。

 "MF Mix"は80年代風の作りを目指したところ、良い感じに"Michael Fortunati"(つまりMF)っぽくなってきたことから命名。"Michael Fortunati"のオリジナルの"Give me up!"と"BaBe"によるカバーバージョンのどちらに寄せようか思案中。

  "Michael Fortunati"のオリジナルの"Give me up!"、いや~80年代だなぁ。

 "BaBe"のカバーバージョンの"Give me up!"。このころはTVドラマ「スクール・ウォーズ」の影響でラグビーがちょっと人気だったんだよね。私は一度も観たことがないのだが。

 で、テストミックスです。

2014/08/10

朝日新聞「慰安婦問題を考える」の不完全な解説 #0

  夕刊フジZakuZakuの記事、タイトルだけでもううんざり。

 朝日新聞、慰安婦誤報 英文サイトに検証記事なし「お答えは、さし控えます」

 前段は良いとして後段はどういうことかと言うと、
・・・しかし、朝日が運営するウェブサイトの英字版では9日午前9時現在、誤報を認めた記事の英文版は確認できない。朝日の主要記事は当日中に英訳され、同サイトに掲載されている。
これだけ日本にダメージを与えた証言を取り消す検証記事は、少しでも早く掲載する必要があるはずだ。万が一、掲載しないとなれば、「姑息」といわれても仕方ないのではないか。
夕刊フジが、朝日にこの件について問い合わせたところ、同社広報部は書面による質問を求めてきた。このため、7項目の質問をFAXすると、5時間以上かかって回答書がきた。
注目の回答書は、「いただいたご質問にまとめて回答します」で始まり、改行後、黒く太いゴシック文字で「お答えは、さし控えます」と続き、再び改行後、「以上です。どうぞよろしくお願いいたします」と書いてあるだけだった。
電話で、回答ができない理由を担当者にたずねても、「さし控えますということです」という答えしか返ってこなかった。
ということらしい。

 でも真面目な話、あのシリーズ記事の英語版は書けても英訳は不可能だと思う。姑息なレトリック満載の記事の文章は論理破綻の塊で、日本語ですら成り立っていない。そんな文章、或いはそもそも論理構造も論旨すら備えていない唯の単語の羅列なんか、論理構造がより明確であり、あやふやな記述を苦手とする英語に訳せるとは思わない。翻訳を頼まれた人が居たとしても、できる人間ほど頭を抱えてしまうだろう。概して英語で曖昧な文章を書くことは難しい。

 論理的に無意味な英文が使われていると言えば「不思議の国のアリス」を代表とするチャールズ・ドジソン(ルイス・キャロル)の作品群が挙げられるが、彼が数学者であったことは重要だ。英文として成立させつつ、論理性が曖昧な、或いは論理破綻した英文を書くには、人並み外れた論理性が必要ということだ。

 技術畑の人なら分かると思うけど、英語で論文を書く場合と日本語で論文を書く場合とでは論展開自体が変わる。日本語のしっかりした論文でも、単純に英訳したものは回りくどくて凄く理解にしくい代物となる。実際、先に社内用の日本語報告書を書いた後に社外向けの英文論文を書こうとするともの凄く苦労する。ここは個人差があると思うが、私は論理的思考に数学を除く特定の言語は使わない。が、いったん頭の中の論理を日本語で言語化すると、頭の中の論理構造が一気に曖昧になってしまうのだ。

 朝日新聞の件のシリーズ記事では主語、或いは行為の主体を曖昧にしたり、不要な修飾を付すことで、結局論理的には何も言っていない文章が多い。これは日本語が主語を重視した言語構造を持つ故であって、裏を返せばここを曖昧にすれば文章全体を曖昧とできるということだ。対して英語は主語よりも動詞に重点を置く。例えば、英文では文頭を主語を代理する"it"で始め、論理的な主語が動詞の後で記述される事が多い。これは単に構文といった形式的なものではなくて、論理構造を明確に示すにはまず動詞、次いで主語ということを英語という言語が要求するからと解釈すべきだと思う。動詞と主語の現れる順番を幾つかの文で確認すれば、執筆者がどれだけ英語慣れしているか、或いは日本語といったウラル・アルタイ系言語をネイティブとしているかが何となく分かることすらある。

 職場で論理破綻した主張をする人には「英語で説明し直して」とお願いする。まず、主語も動詞も選べなくて説明できない。良くても論旨が変わってしまう。TOEIC900点以上を自慢する人でも、論理が破綻している内容は英語では説明できない。 ちなみの私の英語力は、英文を読むことに抵抗が無いだけで、高いとはお世辞にも言えない。会話、文章作成能力は職場では平均未満であろう。

 さて、朝日新聞社の「お答えは、さし控えます」、どう解釈しますか?察してやるなんて義理もないですからね。

フロッピー座の怪物?

 "Phantom of the Floppera"、"Phantom of the Opera(オペラ座の怪人)"のもじりですね。 

 昔、むか~し、9セクタフォーマットのフロッピーディスクを8セクタフォーマットフロッピー用ドライブで読み込むために特殊なドライバーソフトウェアを使ったりしました。Windows以前のお話です。確かにドライブ動作音が変わったんだよなぁ・・・ちょっとそんな事も思い出したビデオ。おそらくドライブヘッドの動作(ステッピングモーターだったっけ?)を直接制御してんじゃないかと思います。

バカ・卑怯者発見機、豪快に作動中!

 「このブログ主、何をはしゃいでるの?」と思う人もいるだろう。だが90年代の朝日新聞社への投書などによる質問、問い合わせを複数回無視された身としては、やっと「始まりの始まりに」に辿り着いたという思いを持たざるを得ない。私の朝日新聞社への態度は単に「嘘つきは大嫌い、卑怯者としか呼ばない」でしかなくて、自ら任じる「中道左派」という政治的信条とは無関係だ。

 朝日新聞の記事シリーズ「慰安婦問題を考える」は、案の定○○発見機として機能している。

 2chまとめ「【特定秘密は批判したクセに自身はw】 東京新聞記者のxxxxx、「朝日新聞は謝罪した」とTwitterで主張するも批判と反論が殺到→非公開設定にして逃走(ノ∀`)」を見てうんざり。本質スルー、リアリティ欠如者のドミノの典型例。リアリティ欠如から自ら極めて低いハードルを設定しながら、それすら越えられずに自爆、ハードルは一気に上がってしまうという自業自得。個人攻撃は本意ではないが、典型的な例なので一部伏字で引用しよう。なお、今沈黙している人はある意味賢いが、自爆者のおかげで自らの身の振り方とは無関係にハードルは自動的に上がっているので覚悟しておいた方が良い。最初のドミノが自ら許容した理不尽なのだから、拡大していくのも理不尽だ。因果応報とは良く言ったもの、論理に訴えようと、感情に訴えようとも、倫理に訴えようとも、泣き叫ぼうが自殺しようがテロ仕掛けられようが自らが醸成し肥大化した理不尽はビクともしない。
xxxxx@kenkoma 2014年08月05日(火) 10:47:28
朝日はあれだけの分量を割いて間違いの検証、謝罪をした。それに引き換え、朝日を徹底的に
攻撃する某新聞は、自らの明らかな誤報で何らかの対処をしたことがあるのかな?

xxxxx@kenkoma 2014年08月05日(火) 10:47:28
朝日はあれだけの分量を割いて間違いの検証、謝罪をした。それに引き換え、朝日を徹底的に
攻撃する某新聞は、自らの明らかな誤報で何らかの対処をしたことがあるのかな?
http://twitter.com/kenkoma/status/496472522934607872
http://twilog.org/kenkoma/date-140805

yyyyy@neon_shuffle 6:52 - 2014年8月6日
32年も経過してから記事訂正するのは別に誇ることじゃないし、謝罪はしてないよな
QT @kenkoma: 朝日はあれだけの分量を割いて間違いの検証、謝罪をした。(以下略)
https://twitter.com/neon_shuffle/status/496775832853958656

xxxxx @kenkoma
yyyyyなる著名アカウントになるとを頂く栄誉に接したが、寝起きで頭が動かないから
処置させていただきます。
https://twitter.com/kenkoma/status/496791196534972418
http://favstar.fm/users/kenkoma/status/496791196534972418

xxxxx@kenkoma 2014/8/6 8:32:00
鬼の首を取ったように揚げ足を取る奴が殺到しているので、謝罪があったという部分は訂正します。
RT @kenkoma: 朝日はあれだけの分量を割いて間違いの検証、謝罪をした。それに引き換え、朝日を
徹底的に攻撃する某新聞は、自らの明らかな誤報で何らかの対処をしたことがあるのかな?
https://twitter.com/kenkoma/status/496800820587819008
http://favstar.fm/users/kenkoma/status/496800820587819008

xxxxx@kenkoma 2014/8/6 8:41:21
鍵かけていいすか?
https://twitter.com/kenkoma/status/496803174959685632
http://favstar.fm/users/kenkoma/status/496803174959685632

@kenkomaは非公開設定です。
https://twitter.com/kenkoma?protected_redirect=true
 繰り返しになるけど、まぁ、以下のような内容が普通の日本人(ノンポリ)の反応ではないか?朝日新聞の件の記事はレベルが低すぎて非難や評価の対象にもなり得ないでしょう。他者を言行を挙げて自己の言行を肯定しようとする幼稚園児手法もあっさり使用。普通の日本人はこういう態度は卑怯者のものだからやっちゃいけないと教えられてくるものだが。
  • あれだけの分量を割いても、検証の証拠の提示、論理的で誤読を許さない明確な論展開ができていない。不要なレトリックばかり目立ち、それが原因で論理破綻していたり、書くべき内容が書かれていなかったり(<疑問>に対してちゃんと回答を示していない)、とにかく酷い文章としか言いようがない。
  • 個人的には分量が圧倒的に不足している、ひとつの<疑問>に対して10面フルに使っても説明するに足りないだけの事をしてきたんじゃないの?書籍が何冊も書かれているような事案なんだけど。
  • 文章を何回読んでも、謝罪しているとは解釈できない。百歩譲って謝罪してるとしても、謝罪対象も明確にしてないんじゃ意味がないよね。謝罪の対象たる被害者が特定できないということは、すなわちには謝罪する内容も特定できていないということだよね。そんなんじゃ実効ある謝罪にもならないし、誠意が無い(感じられない、ではない)よねぇ。
 報道ステーションSundayではフリップにリストアップしておきながら見事にスルー、テレビ朝日も天晴れ、卑怯者。

2014/08/09

加害者ということの意味、分かってる?

 8月5、6日の朝日新聞のシリーズ記事「慰安婦問題を考える」に対するネット、一般の反応ともに予想以上に冷静、理性的な点は、「やっぱり日本人ってまだまだ行ける」感じがして実に心強い限り。とは言え、私の職場に限って言えば20代の反応は薄い。興味が無いのかもしれないが、結局知らない、全体像が見えないから反応もできないのだろう。知らないことは恥という空気が醸成されればまずは文句は無いのだが。

 結局、恥の上塗りしかできなかった朝日新聞の件の記事は、ズルい人間、状況を適切に理解していない人間をあぶり出した形となっていると言って良いと思う。ズルい人間とは特に名を挙げずとも分かるだろう「口を閉ざした人間達、報道機関」と「触れずに逃げている人間達、報道機関」 、状況を適切に理解していない人間の代表は件の記事について実に間抜けなコメントを出したことが報じられた某都知事だろう。本質スルーってのは笑いのキモのひとつだが、都知事にそんなもの要らないだろう。

 朝日新聞が5、6日付の紙面で「慰安婦問題を考える」との特集を組み、「強制連行があった」とした過去の一部報道を取り消したことに、政界では自民 党の石破茂幹事長や民主党の松原仁国対委員長、日本維新の会の橋下徹大阪市長などが批判した。ネット上でも批判のオンパレードとなっているが、朝日新聞社 内では若手記者を中心に「いい加減にしてくれ!」と悲鳴に近い怒りの声が渦巻き、険悪な雰囲気になっているという。

 ある20代の記者は本紙にこう激白した。「32年前のことをわざわざ『誤報だった』と報じて、直接批判にさらされるのは現場に出ている我々、若い記者。取材先で『あれは何?』と聞かれても、僕らは答えようがないですよ」とため息交じり。

 また30代の記者は「もし今、自分が書いた記事で『誤報でした』なんてことになったら大問題で、すぐ処分される。内容次第では上司も飛ば されるでしょう。でも、32年前のこの記事では書いた記者も社会部長もおとがめなしどころか、結構出世してる。退職金もきっちりもらってる。『こんな不公平はない』と社内は不満の声ばかりですよ」と明かした。

 社内でも「なぜこの時期に検証記事を掲載したのか」との声もあるとか。一因として「慰安婦問題の火付け役」の元記者U氏が今年3月、早期 退職したのと関係があるともささやかれている。「Uさんがまだ社内にいたとしたら、さすがに検証記事はやりづらいでしょう。もっとも紙面ではUさんの記事 について『意図的な事実のねじ曲げはありません』と擁護してましたけど…」(同)

 6日の紙面では「日韓関係なぜこじれたか」との見出しが付けられたことも、朝日社内で話題になっている。「こんな見出し付けたら『こじれたのは朝日のせいだろう』と皮肉られる。現場の記者はあきれていますよ」(同)。検証記事は朝日社内外の怒りを買ってしまったようだ。
 不満を漏らすとか、答えようがないとか、現場の記者は呆れてるとか、甘えるのもいい加減にしろとはっきり言いたい。 そういうのを単に醜態と言うのだ。不公平当然、不満なんか挙げてる暇があったら自分達の立ち位置について早く適切な状況認識を持つか、さもなくばとっとと朝日新聞社と縁を切るべきだ。

 ねつ造記事を載せ、それを放置するのみならず更に嘘を重ね、他者を加害者に仕立て上げた新聞なんぞ機能的には十分に「暴力装置」だ。加害者に仕立て上げられた人間に非は無い、それは若い記者もいっしょだろう。新聞のねつ造内容を口実に加害者にされた人間も理不尽、ならば若い記者だろうが朝日新聞社の人間が叩かれるのも理不尽、筋が通っていないか?公平ではないか?

 前述の通り、日本人、日本の反応は総じて冷静で理性的だ。そうではなかった場合をちょっと想像してみると良い、自分達が如何に恵まれているか分かる筈だ。分からない人もいるかも知れないからはっきり書いてしまうが、「暴力装置」を効率良く排除する方法は別の「暴力装置」にその機能を発揮させるだけで良い。最近ではクリミア半島やウクライナで起きてるって報道があったじゃないですか、ね?

朝日新聞「慰安婦問題を考える」の不完全な解説 #2

 さて#2です。#1はこちら

 朝日新聞及び朝日新聞デジタルは 「慰安婦問題を考える」というシリーズ記事を最近掲載した。はてさて、今度はどう出てくるかと思ったが、悪い意味で予測が的中、時宜もわきまえず、自らの 非も認めずといった内容であった。私なら(自己検閲)。本エントリから始まるシリーズは、「慰安婦問題を考える」の記事に解説と言うか、「読者への考える きっかけ」を加える試みである。「不完全な」に込めた意味は主に下記の3点である。
  • 記憶に頼るところが多く、ソースが示せない内容を含む。
  • どう頑張っても一個人の力だけでは客観性を完全に担保することはできない。
  • 事実ベースのアカデミック寄りの姿勢は譲れない。
記憶、と言うのは大学生時代に足しげく大学や自治体の図書館に 通って目にした戦前~戦後の新聞紙面、歴史研究書、手記、個人的な聞き取りの内容である。これらはネットだけでは引用元を担保できない。また、先の震災経 験後に蔵書を泣く泣く処分した。従って引用元が手元に無い場合も多い。

 さて、具体的なやり方だが、
  • 定本は朝日新聞デジタルの記事とする。より厳密には、 まず2015年8月6日午前7時42~44分の間にダウンロードした記事のウェブページの内容とする。
  • 不完全とは言え解説を目指すので、記事全文の引用を基本とする。
  • 解説を加える部分に下線を引き、下線部の末尾に"*数字"を付す。つまり、こんな感じだ。*3
  • 記事引用の後に、番号毎に解説を付す。
って感じかな。 

 なお、必要に応じて刺激の強い表現、単語も使用している場合がある。ご注意のほど。


記事開始

強制連行 自由を奪われた強制性あった

2014年8月5日05時00分

〈疑問〉政府は、軍隊や警察などに人さらいのように連れていかれて無理やり慰安婦にさせられた、いわゆる「強制連行」を直接裏付ける資料はないと説明しています。強制連行はなかったのですか。*1

---------------------------------------------------------------------------

 慰安婦問題に注目が集まった1991~92年、朝日新聞は朝鮮人慰安婦について、「強制連行された」と報じた。吉田清治氏の済州島での「慰安婦狩り」証言(「『済州島で連行』証言」で説明)を強制連行の事例として紹介したほか、宮沢喜一首相の訪韓直前の92年1月12日の社説「歴史から目をそむけまい」で「(慰安婦は)『挺身(ていしん)隊』の名で勧誘または強制連行され」たと表現した。

 当時は慰安婦関係の資料発掘が進んでおらず、専門家らも裏付けを欠いたままこの語を使っていた。秦郁彦氏も80年代半ば、朝鮮人慰安婦について「強制連行に近い形で徴集された」と記した=注①。

 もともと「朝鮮人強制連行」は、一般的に、日本の植民地だった*1朝鮮の人々を戦時中、その意思とは関係なく、政府計画に基づき、日本内地や軍占領地 の炭鉱や鉱山などに労働者として動員したことを指していた=注②。60年代に実態を調べた在日朝鮮人の研究者が強制連行と呼び=注③=、メディアにも広 がった経緯もあり、強制連行は使う人によって定義に幅がある。

 こうした中、慰安婦の強制連行の定義も、「官憲の職権を発動した『慰安婦狩り』ないし『ひとさらい』的連行」に限定する見解=注④=と、「軍また は総督府が選定した業者が、略取、誘拐や人身売買により連行」した場合も含むという考え方=注⑤=が研究者の間で今も対立する状況が続いている。

 朝鮮半島でどのように慰安婦が集められたかという過程は、元慰安婦が名乗り出た91年以降、その証言を通して次第に明らかになっていく。

 93年2月、「韓国挺身隊問題対策協議会」は、元慰安婦約40人のうち「信憑性(しんぴょうせい)に自信が持てる」(鄭鎮星〈チョンジンソ ン〉)・挺身隊研究会会長)19人の聞き取りを編んだ証言集を刊行。「軍人や軍属らによる暴力」があったと語ったのは4人で、多くは民間業者が甘い言葉で 誘ったり、だまして連れて行ったりする誘拐との内容だった。

 慰安婦たちは、徴集の形にかかわらず、戦場で軍隊のために自由を奪われて性行為を強いられ、暴力や爆撃におびえ性病や不妊などの後遺症に苦しんだ経験を語っていた。*3

 93年8月に発表された宮沢政権の河野洋平官房長官談話(河野談話)は、「慰安所の生活は強制的な状況で痛ましいものだった」「募集、移送、管理 等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた」と認めた。関係省庁や米国立公文書館などで日本政府が行った調査では、朝鮮半島では軍 の意思で組織的に有形力の行使が行われるといった「狭い意味の強制連行」は確認されなかったといい、談話は「強制連行」ではなく、戦場の慰安所で自由意思 を奪われた「強制」性を問題とした。

 談話発表に先立つ7月には、ソウルの太平洋戦争犠牲者遺族会事務所で、日本政府が元慰安婦たちに聞き取りをした。今年6月に発表された河野談話作 成過程の検証チーム報告は、聞き取りの目的について「元慰安婦に寄り添い、気持ちを深く理解する」とし、裏付け調査などを行わなかったことを指摘した。

 河野談話の発表を受け、朝日新聞は翌日の朝刊1面で「慰安婦『強制』認め謝罪 『総じて意に反した』」の見出しで記事を報じた。読売、毎日、産経の各紙は、河野談話は「強制連行」を認めたと報じたが、朝日新聞は「強制連行」を使わなかった。

 官房長官への取材を担当していた政治部記者(51)は、専門家の間でも解釈が分かれていることなどから「強制連行」とせず単に「強制」という言葉 を使ったのだと思う、と振り返る。「談話や会見、それまでの取材から読み取れたのは、本人の意思に反する広い意味での強制連行を認めたということだった。 しかし、強制連行という語を使うと読者の誤解を招くと考え、慎重な表現ぶりになった」

 93年以降、朝日新聞は強制連行という言葉をなるべく使わないようにしてきた。

 97年春に中学教科書に慰安婦の記述が登場するのを機に、朝日新聞は同年3月31日朝刊でこの問題を特集した。

 日本の植民地下*2で、人々が大日本帝国の「臣民」とされた朝鮮や台湾では、軍による強制連行を直接示す公的文書は見つかっていない。貧困や家父長制 を背景に売春業者が横行し、軍が直接介入しなくても、就労詐欺や人身売買などの方法で多くの女性を集められたという。一方、インドネシアや中国など日本軍 の占領下にあった地域では、兵士が現地の女性を無理やり連行し、慰安婦にしたことを示す供述が、連合軍の戦犯裁判などの資料に記されている。インドネシア では現地のオランダ人も慰安婦にされた。*4

 97年の特集では「本人の意思に反して慰安所にとどまることを物理的に強いられたりした場合は強制があったといえる」と結論づけた*5

 河野談話が発表されて以降、現在の安倍内閣も含めて歴代の政権は談話を引き継いでいる。一方、日本軍などが慰安婦を直接連行したことを示す日本政府の公文書が見つかっていないことを根拠に、「強制連行はなかった」として、国の責任が全くなかったかのような主張を一部の政治家や識者が繰り返してき た。*6

 朝鮮など各地で慰安婦がどのように集められたかについては、今後も研究を続ける必要がある。だが、問題の本質は、軍の関与がなければ成立しなかった慰安所で女性が自由を奪われ、尊厳が傷つけられたことにある。*7

 これまで慰安婦問題を報じてきた朝日新聞の問題意識は、今も変わっていない。*7

■読者のみなさまへ

 日本の植民地だった朝鮮や台湾では、軍の意向を受けた業者が「良い仕事がある」などとだまして多くの女性を集めることができ、軍などが組織的に人 さらいのように連行した資料は見つかっていません。一方、インドネシアなど日本軍の占領下にあった地域では、軍が現地の女性を無理やり連行したことを示す 資料が確認されています。*4共通するのは、女性たちが本人の意に反して慰安婦にされる強制性があったことです。*7
     ◇
 注① 「従軍慰安婦(正続)」陸軍史研究会編「日本陸軍の本 総解説」(自由国民社、1985年)
 注② 外村大「朝鮮人強制連行」(岩波新書、2012年)
 注③ 朴慶植「朝鮮人強制連行の記録」(未来社、1965年)
 注④ 秦郁彦「『慰安婦狩り』証言 検証・第三弾 ドイツの従軍慰安婦問題」「諸君!」1992年9月号
 注⑤ 吉見義明「『河野談話』をどう考えるか――その意義と問題点」「戦争と女性への暴力」リサーチ・アクションセンター編「『慰安婦』バッシングを越えて」(大月書店、2013年)

記事終了

  1. <疑問>の時点で既におかしい。「政府の説明の真偽」と「強制連行はあったのか」は独立して検証可能な事項である。これら二点を分離していない書きっぷりは論理性の欠如の証左と言えよう。
  2. (百歩譲って)議論の分かれる「当時、朝鮮半島が植民地であったか」について当然のようにこう書く姿勢を疑う。朝日新聞社は「植民地の定義」を明確にしなければならない。
    歴史上の事実は「合邦」であり、大日本帝国憲法が朝鮮半島にも適用された。この形態は例えばドイツ帝国のパラオや、英国のインドの取り扱いとは一線を画しており、同様に「植民地」と呼ぶには論理的に無理があるとともに、当時の実態に対しての印象操作が疑われても仕方ない。
  3. 証言資料にのみ依拠しているということ。
  4. 証拠の存在する事実である。
    が、大部分の事案において関係者が法に基づいて処罰されているという事実、つまり軍、政府は「慰安婦強制的連行」を禁止しており処罰者も出ている事実に触れないのは印象操作のそしりを免れ得ない。軍や政府の通達を破った人間が逮捕、処罰されたが故に、当時の司法関連書類などが「慰安婦強制的連行が行われた」という証拠資料として残っているのである。本来はこれら証拠資料の全文を記載、乃至は参照可能としておくことが必要であろう。
  5. 結論自体は否定しない(厳密には議論のしようがない、理由は続いて記載の通り)が、なぜそう結論したのかの経緯、根拠に一切触れられていない。他者の認識に触れるのは構わないが、自らの結論に対してそこに至る経緯、判断根拠を示さないのは詐欺師のよく使う手段である。また他者の言行に基づいて自己の言行を肯定するという手段は、真っ当な日本人ならば小学校入学時にはもはや使わなくなっているものである。
  6. 根拠も示さずこの言説は意味不明。印象操作のそしりを免れ得ない。
  7. 「共通するのは」がかかる範囲が不明、文章自体も意味不明。そのまま読めば、「資料がない」ことと「資料がある」こととに「共通するのは」「強制性があったことです」となる。これは主観だが、まずはちゃんとした日本語の文章が書けるようになってから記事を書くべきである。
    「問題意識」の内容も文章中に明確に述べられていない。執筆者はもっとまらしい事を書いているつもりなのだろうが、論理的には何も言っていない。つまり、この一文は無くても良い、と言うか何も変えないつもりならば無い方が良かろう。これからも卑怯でいきまっせ、という宣言と解釈させて頂く。
    (注:文字通り「何も言っていない」ということ、「何も言っていないも同然」ということではない。)
全体・感想

 <疑問>に対する回答は、
  • 日本政府の主張を覆すような資料は現時点でも見つかっていない。
  • 当時の日本施政下及び軍事的占領地下において慰安婦として現地の軍隊が女性を連行した事実はある。
の2文で朝日新聞的にも十分であろう、残りの文章は全く不要。それら事項が書きたければ<疑問>を変えるべきであったろう。 執筆者の論理構成能力の欠如があからさまな酷い記事としか言いようがない。論文であればイントロダクションだけでいきなり結論が書いてある様なもの。大事なのはその間に書かれていることなのにね。
 *4で触れているように、現地軍による強制連行事案があったのは証拠資料が残る事実であるが、これら事実を強調するならば、少なくとも証拠資料の残る事案において関係者が処罰を受けている事実も記載するのが真っ当な姿勢であろう。こういう底の浅い印象操作を平気で未だにやるあたりに朝日新聞社の卑怯さ具合が良く出ている、
 もしこのような印象操作が不要な差別や被害者を生み出す口実にされれば、もはやねつ造、偏向、犯罪のそしりは免れまい。日本人の「察しと思いやり」の中には、「他者を犯罪に導きかねない自らの安易な行動、言動を厳に慎む」というものがある。列車で財布を席に置いたままトイレに行ったりしない、みたいな話である。朝日新聞社にはそういう日本人的な感性も無いのか、分かってはいても酷いものは酷いとしか言いようがない。

2014/08/09 初版

2014/08/08

バック・トゥ・ザ・フューチャー、やっぱり上手いね

 TVで久しぶりに「バック・トゥ・ザ・フューチャー」を試聴。脚本始め本当に幸せな映画。小ネタの効き具合がハンパじゃない。デロリアンが未来に帰る瞬間のカットとターミネーターが未来からやってきた瞬間のカットはともにチリチリ、85年ごろの米国映画を代表する実にアイコニックなカット。

 主題歌がヒューイ・ルイス&ザ・ニュースってのも実に80年代的。分かる人はここで笑って頂戴。

 で、オマケ